2019年12月4日水曜日

映画 「フォード VS フェラーリ」

ところで車の話だ。
運転する人はみんな自分の車が好きだと思うけど、自分も車が好きだ。一体感が普通じゃない。動くものにはみな命が通っているような気がして、車を停めて何か用事で車を離れるときなど、必ず「ちょっと待っててね。」と言って車の鼻先を撫でていく。やっと長時間の仕事が終わって帰途に就くときは、「さあ、トヨタちゃんお家に帰ろうね。」と告げるし、渋滞に巻き込まれた時など「トヨタちゃん、へこたれるなよ。」などと言って励ます。車に話しかける人って、変だろうか。

25年前に、公的交通機関の未発達なシドニーに来て以来、運転しないで済む日はほとんどないが新車を買ったことがない。来たばかりの頃、地元のブローカーに中古車のオークションに連れて行ってもらった。クレジットカードなど通用しないと言われて、6000ドルの札束を抱えて行って、古いトヨタカローラを競りで落とした。車を生産している日本では考えられないだろうが、15年の中古でも50万円した。メカのことはなにもわからないから、「とってもきれいな空色の車」というだけの理由で車を選んだは良いが、運転席に座ってみても動かない。ギアをニュートラルにしないとキーを差し込んでも車は動かないことを、そのとき教わった。オートマチックカーが初めてだったのだ。でもそれでも動かない。ガス欠と言われ、隣のガソリンスタンドまで人に押してもらったが、さて、どのホースからガソリンを入れるのか知らない。めんどくさそうなガソリンスタンドのおっさんに無鉛ガソリンをどうやって入れるのか教えてもらってやっと、車を始動させることができた。右も左も地図がわからない来たばかりのシドニーで、付いてきてもらったブローカーの車の後を、命がけで必死で追って家に帰って来た。よく帰ってこられたと感心する。

その車がポンコツになったあと買ったのが、当時唯一オーストラリアで生産していたホールデン社のコモドール。塗装が悪いことで有名で、「ホールデンの中古車買ったの。」と言うと「へえ、何色だったの?」と過去形で聞かれる。スモーキーカラーというか、緑色だった時もあった、というか、迷彩カラーで、エンジンはデカいからすごい音がして、戦車を運転しているような気分だった。これも数年でボロボロになり最後の日、引き取ってくれる業者のところまで1時間近く運転して行った。着いたところで「これでお別れだよ。長い事本当にありがとう。」と言い終わらないうちに、車はギュルギュル シュ―!と返事をしてそのままエンジンが死んだのだ。業者が移動させようとしてキーを入れたが、その車は二度と動かなかった。忠実に私のために尽くしてくれた末、死んでしまったホールデンを思い出すたびに、車はやっぱり生き物なのではないか、と思うのだ。

ところで映画の話だ。
フランスで行われる24時間、耐久自動車レース「ル マン」の話だ。アメリカ人の自動車設計者キャロル シェルビーと、怖いもの知らずのイギリス人ドライバー、ケン マイルズの実話。
キャロルをマット デーモン、ドライバーにクリスチャン ベールという二人の大物役者が演じている。アメリカ映画界を代表するマットと、英国の誇りクリスチャンが共演するのも驚きだが、この映画で、マットとクリスチャンの二人がともにアカデミー賞に主演男優賞候補として名前を挙げられている。珍しいことだ。例えば「ワンス アポンイン ハリウッド」では、レオナルド デ カプリオとブラッド ピットの二人の大物役者が共演しているが、レオナルドが主演男優賞、ブラッドが助演男優賞の候補にされている。

監督:ジェームス マンゴールド
キャスト:
マット デーモン:キャロル シェルビー
クリスチャン ベール;ケン マイルズ
カトリーナ バルフ: モリ― マイルズ
ノア ジョブ: 息子
トレイシー レッツ: ヘンリーフォード2世
レモ ジローネ: エンツオ フェラーリ

ストーリーは
フェラーリは1960年代、「ル マン」24時間耐久レースに連勝し、スポーツカーレースの王座に君臨していた。しかしモータースポーツに過剰に投資し、イタリア共産党左翼政権による労使紛争が長引き、そのうえ創業者、エンリッオ フェラーリをはじめとする一家のお家騒動などによって、経営困難に陥った。一方、1963年、アメリカ自動車産業を代表するフォードは、自社には無かったスポーツカーレースに参入することで、ヨーロッパに事業を広げたいと、野心を抱いていた。フォード社は、フェラーリの運営するレーシングチーム、スクーテリアを買収しようとする。しかし、アメリカ勢の有無を言わせぬ強欲な態度と、ビジネスライクな交渉の仕方に、エンリッオ フェラーリは激怒して、契約寸前までいった交渉を一方的に破棄する。その後、フェラーリは同じイタリアのメーカーファイアットに合併される。

この仕打ちに怒ったヘンリー フォード2世は、何が何でもスクーデリアフェラーリを「ル マン」レースで打ち負かしてやる、と公言し、即座にスポーツカー専門チームを結成する。モータースポーツ界で史上最高金額といわれる多額の投資をして作られたチームの責任者には、キャロル シェルビーが抜擢される。キャロルは、優秀なフォード社の設計士で、大戦中は空軍の優秀なパイロット、戦後はカーレーサーとして唯一「ル マン」24時間耐久レースにドライバーとして参戦した経験をもっていて、フォード社から篤い信頼と期待を受けていた。

シェルビーは自分が設計したスポーツカーのドライバーには、粗忽で変人扱いされているケン マイルズを指名していた。彼のエンジニアとしての能力もドライバーとしての捨身の運転も他には代えがたい。しかしフォード社の車がいかにスポーツカーの分野で遅れているかをよく知っているケンは、フォードの欠陥や立ち遅れを激しく指摘し、笑いものにする。彼の傍若無人な態度は、フォード社のプライドの高い上層部には受け入れがたいものだった。ケンはフォード社のドライバーとして必要不可欠な「品格」というものがない。フォード社としてフォードの車を運転させるわけにはいかない。
フォード社上層部と、ケン マイルズの間に挟まれて、シェルビーは苦悩する。せっかくケンが指摘してくれた欠陥に改良に改良を重ねて製作しているスポーツカーを、ケンに運転させてやることができない。
遂に1964年、フォードは鳴り物入りで「ル マン」レースに初参加する。しかし24時間の過酷なレースに、フォードは完走することさえできなかった。完全な敗退だ。

シェルビーはいったん自分のもとから離れて、自動車整備工として働いているケン マイルズに会いに行って謝罪を繰り返し、再びフォード社に帰ってきてほしいと懇願する。シェルビーはフォード2世に会って、許可を取っていた。シェルビーの熱意がケンの少しでも早く走る車を作るという情熱に火をつけ、ケンのフォードへの復帰が決まる。新しいマシンを作るために、シェルビーが設計する。それをケンがダメ押しをする。改良に改良を重ねて、ケンがマシンを試みる。それでもスピードが出ない。さらに改良を重ねる。シェルビーとケンの二人三脚で血の滲む努力を重ねた結果、新しいマシンが出来上がる。
そして、1966年「ル マン」にフォードは遂に優勝を勝ち取った。
というお話。

カーレースに命を懸ける二人の男の友情物語だ。と一言で言ってしまえるが、誰もがクリスチャン ベイルに泣かされることだろう。マット デイモンの喜びも悲しみも希望も絶望も静かに受け入れるスポンジのような穏やかさが好ましい。
クリスチャン ベイルの尖った激しさ、過激な熱を持った男の表現には、いつも恐れ入る。ロットントマトでも彼の好演を褒める記事で溢れていた。彼の強い目つき、内にこもった狂気、ふつうじゃないヘロヘロな態度、反骨を生きる男の孤独。それを体現する役者としての能力は、他のどの役者よりも優れている。映画「インソミア」では神経病質の不眠症を演じるために餓死寸前でドクターストップがかかる体重が30キロちかくになるまで痩せ、最近ではデイック チェイニーの役になるために90キロを超える体重に増やしたり、「アメリカンサイコ」でみせた狂気が、彼の役作りにいつも付きまとっている。

「ル マン」24時間耐久レースでは、6キロにも及ぶに直線がありアクセルを踏み続け、時速400キロで走り続けるとタイヤが焼けて車に火が付く。ギアとブレーキを切りかえながらで発火を抑えなければならない。他のマシンと並行に走るときは、ギリギリまでギアチェンジせずに居て、相手がギアチェンジした瞬間に先に出て追い越すのが先だ。タイヤをバーストさせないために、ギアチェンジを繰り返す。瞬時の判断が勝利を導き、瞬時の誤りが死を招く。映画では車の走行場面が多く、臨場感たっぷりだ。自分が運転している気になって画面と一緒にアクセルを踏んだり、ブレーキを踏んでフイルムと一体感になれる。

幼い息子と二人、クリスチャン ベイルが走行路に寝転んで、息子に「この直線の先のカーブが見えるか?ギアチェンジする瞬間が見えるか?」と問う。息子には見えると言い、それを聞いた父親は嬉しそうに「見える人はとても少ないんだよ。」と言う。父と息子の得難い会話だ。妻役のカトリーナ バルフもとても良い。冒険野郎の夫を、ちゃんと見ていて必要な時に支えてやることのできる妻。人はみな自分に無いものをもった人々を必要としていて、それらを補い合い助け合いながら生きるものなのだと言う、人間関係のあるべき姿を見せてくれる。
この映画、あらすじを書いたが、肝心なことを書いていない。
フォードが初めてフェラーリにスピードで勝った という成功物語がいまでも伝えられている。しかしその裏には信じられないような裏切りと、誰もが悔し涙にくれるような事実があった。最後に裏切られ、あっと驚く。それはここでは書けない。映画のストーリーとして書いてしまえないのは、推理小説を読み始めた人に真犯人を言えないのと同じだ。成功物語だと思って映画を観ている人は、最後に大泣きさせられる。

うまく期待を裏切ってくれた。
とても良い映画だ。
見なければわからない。だから観るしかない。
日本での公開は1月10日だそうだ。