原題:「A STAR IS BORN」
監督:ブラドリー クーパー
キャスト
ブラドリー クーパー:人気歌手 ジャクソン メイン
レデイ ガガ :アリー キャンパナ
サム エリオット :ジャクソンのマネージャー、ボビー
デイブ チャペル :ジャクソンの友達 ジョージ
アンドリュー ダイスクレイ:アリ―の父親 ロレンゾ
アントニー ラモス :アリ―の親友 ゲイのラモン
マイケル ハーネイ: アリ―の父親の友人で運転手ウォルフィー
ラフイ ガバロン :アリ―のマネージャー レズ
アレック ボールドウィン: TV アナウンサー
「IN THE SHALLOW、SHALLOW」、「IT THAT ALRIGHT」、「I"LL NEVER LOVE AGAIN] などの印象的な曲が映画の中で繰り返し流れるが、今回、ブラドリー クーパーとレデイ ガガの二人の名前で「A STAR IS BORN」というタイトルのサウンドトラックが出た。映画の中で歌われる曲は、みなレーカス ネルソン(ウィリーネルソンの息子)が、レデイ ガガと話し合いながら合作したとされる。映画はブラドリー クーパーが初めて監督した作品。
ストーリーは
カルフォルニア。
アリーは、昼間レストランのウェイトレスをして働き、夜は小さなゲイバーのステージで歌を歌わせてもらっている、シンガーソングライターだ。リムジンカーの運転手をしている父親とその仲間3人の運転手が住む家に同居している。父親は自分がフランクシナトラよりも歌が上手かったことが、唯一の誇りで家ではいつもオペラが鳴り響いている。
ジャクソン メインはカーボーイハットをかぶりジーンズ姿で、ヘビーなカントリーロックを歌う大スターで、彼のステージには何万人ものファンが駆け付ける。ステージに立つ前、彼は酒をあび、コカインを吸う。ステージの爆音で片耳は難聴になっていて、治療を必要としている。けれど彼は、気にしていない。
ある夜ステージの後、飲み足りないジャクソンは運転手に無理を言って車から降りて、小さなバーに入る。そこはドラッグクイーンの店だった。呼び込みの青年ラモン(アリーの親友)に勧められるまま店のショーを見ていると、シャンソン「バラ色の人生」LA VIE EN ROSEを歌う娘がいた。そこで歌い手のアリーとジャクソンは出会う。アリーのもとボーイフレンドに、いちゃもんを付けられ、アリーがその男をぶん殴るハプニングがあり、ジャクソンはアリーを外に連れ出して、殴って赤く腫れたアリーの拳を手当てする。夜明け前のドラッグストアの前で二人は話をする。どうしてシンガーソングライターとしてデビューしないの? アリ―は、「だって私の鼻が大きすぎて不格好なので、人前で歌う歌手としてまだまだだって、人は言うんだもの。」ジャクソンはアリーの額から鼻にかけて指でなぞっておまじないをかける。アリーは、夜空に向かって自分で作った「SHALLOW」を歌って見せる。
翌日はジャクソンのステージがあるので、舞台横で見られる招待券をアリーは渡される。でもアリーは稼がないと生活できない。朝、いつものように職場に着いて仲良しのラモンとウェイターの仕事を始めようとすると、気難しいマネージャーは、いつものように嫌みばかり浴びせかける。頭に来たアリーとラモンは二人顔を見合わせて、その場でウェイトレスとウェイターの服を投げ捨てて、ジャクソンのドライバーが待つ車に、二人して飛び乗る。ジャクソンの個人用の小型飛行機に乗って、ジャクソンの歌う会場に。
ステージでジャクソンは、アリーが駆け付けたことを知ると、「友達を紹介するね。」と言って「SHALLOW」を歌い始める。二人で歌う歌だから、ただ舞台横で見ているわけにはいかない。アリーはラモンに押されて、舞台に進み出てジャクソンとデュエットを歌う。その夜、二人は結ばれる。
これを切っ掛けに、アリーの歌唱力は、大型新人登場としてセンセーションを起こす。ジャクソンは、アリーとの関係を深め、コンサートツアーをすっぽかし、マネージャーに愛想をつかされる一方、アリーは人々に注目されるようになり、イギリス人のマネージャーがつくようになる。順調に売れ出すアリーを後目に、ジャクソンには仕事が来なくなり、酒とコカインの日々が繰り返される。それでもアリーのジャクソンに対する尊敬と愛情は変わらない。もと仲間だった親友の家に転がり込んでいたジャクソンを迎えにきたアリーにジャクソンはギターの弦の端で作った指輪を差し出す。それを見たジャクソンの親友家族は大はしゃぎ。今から結婚しちゃえよ。と、、二人はその日のうちに、彼らに祝福されて結婚する。
アリーの歌が売れ、バックシンガーやダンサーが付くようになり大忙し。仕事が来ないジャクソンに昔のマネージャーが、ボーカルじゃないが、後ろでギターを弾いてみろと言ってくれる。昨日まで自分がスターだったというのに、若い下手な歌手の伴奏を弾く屈辱。
アリーはグラミー賞候補者となる。.授賞式で感謝のスピーチをしているアリ―の前に泥酔したジャクソンが現れる。アリーはジャクソンが祝福に来てくれたと思い、ジャクソンをステージで迎えるが、舞台の真ん中で、酔って意識不明状態のジャクソンはオシッコを漏らす。
そんなことがあってもアリーはジャクソンへの愛は変わらない。アリーに支えられてジャクソンは施設に行ってアルコール薬物中毒の治療をする。回復してこれからアリーと一緒にコンサートツアーに行く予定を立てた。しかしアリーが出かけている間にアリーのマネージャーが訪ねてくる。マネージャーは、アリーの成功を願うならば2度とアリーの前に姿を現すな、と言う。ジャクソンはガレージで首を吊る。
ジャクソンの葬式とお別れ会の会場で、アリーは、「わたしを支えて。ジャクソンを愛してくれた皆さんの力で最後の歌が歌えるように、どうぞ私を支えてください。」と言って、「I"LL NEVER LOVE AGAIN」 を歌う。
というおはなし。
もう、涙ボロボロです。よくあるお話でストーリーが単純。それだけに共感も得られやすい。レデイ ガガの歌唱力、音感の良さ、自作自演で魂を吐露するような歌を歌う様子が素晴らしい。本当に天才的な歌い手だ。そして、彼女の素顔の美しさ。自分の主張をはっきり持った、実力のある歌手だが、彼女がまだ32歳と知って、そのあまりのマチュアなことに驚いた。
生粋のニューヨーカーのシンがーソングライターで、ファッションアイコン。6グラミー賞受賞、世界で最もベストセリングアルバムを出し続けている歌手。女性への暴力と差別に反対するアクテイビスト。癌治療ファンデーションにも、野生動物保護活動にも関わっていて毛皮取引に反対してア二マル柄の服に血を体に塗りたくってパフォーマンスをした事も記憶に新しい。今回トランプ大統領の使命した最高裁判所判事の就任に対しても強い反対声明をしていて、この映画のためにTVショーやインタビューに応じるごとに、この女性差別主義者の判事就任に抗議している。右腕の裏側にトランペットのタットーを入れている姿が可愛い。
映画を監督、主演したブラデイ クーパーは43歳。3年続けて世界で最も高い出演料を取る俳優の一人だそうだ。4回アカデミー主演候補、2ゴールデングローブ賞。長い事テレビシリーズ「セックス アンド シテイ」シリーズに出演して人気を得て、映画「ハングオーバー」2009、「アメリカンスナイパー」2014、芝居で「エレファントマン」を主演。30代でアルコールと薬物中毒で苦しんだ経験も持っている。
この映画は、クリント イーストウッドが、ビヨンセを主演にして映画化する予定だったが、次期イーストウッド監督と言われるブラデイに、バトンが渡されて、レデイ ガガ主演で作られることになったという。
この映画は4回目の「スター誕生」のリメイク。無名だった妻に先を越されたオットが爆沈する筋の映画だ。
オリジナルは、1937年、ウィリアム ウェルマン監督、ジャネット ゲイナーとフレデリック マーチのカップル。30年代のデプレッションから戦争前後の暗い世相のなかで、ノースダコダ生まれの、美人でない、ごく普通の女の子がスターになる夢を見てそれを実現する物語に人々は夢中になったという。映画で夫役のフレデリックが落ち目になって死んでいったことに、人々はさんざんと涙を流した。サイレントムービーの時代だ。ジャネット ゲイナーは最初のアカデミー主演賞受賞者となった映画だが、まだ生まれて無かったから、私は見ていない。
次に出て来たのは17年後の1954年。ジュデイーガ―ランドとノーマン メインが演じた。夫のノーマンも、妻を歌手として成功させた後、自分が売れなくなって、妻がグラミー賞受賞する場で、「俺は仕事が欲しいんだ。」と叫んで、式をめちゃくちゃにした末、飲んだくれて水死する。これも私は見ていない。
その次に22年後 1976年に出て来たのが「A STAR WAS BORN」だ。バーバラ ストレイザンと、クリス クリストファーソン。彼はグラミー賞受賞のステージに酔っぱらって登場して、「この賞は俺が欲しい。」と、これまた絶叫した末、自動車をぶっ飛ばして事故死した。バーバラの歌唱力は素晴らしいが、久しぶりに映画を観てみたら、バーバラの話をする声のピッチが高くてものすごく不快だった。話し声は低くないと説得力がないし、落ち着かない。画面が変わるごとにバーバラが派手な70年代の服をつっかえとっかえして出てくるのも不自然でおかしい。70年代の映画って、こんなだったんだ。映画がほとんど娯楽の中心で、ファッションを先導していた時代だったのだろう。
そしてこの最新版、2018年ブラデイ クーパーの作品が、何とオリジナルからは、81年目に再登場したわけだ。いかに男が外面に反して、内部が弱くて嫉妬深くて、ロクでもないかを示している、、、、のかしら。4人の男が居る。1937年に女房がオスカーを獲ったことで嫉妬して死んだフレデリック、1954年に女房のトロフィーをつかんでダダをこねた末、水死したノーマン、1976年に女房のトロフィーを持って「俺がこれ欲しい」と叫んで車で暴走死したクリス。そして、2018年にステージで泥酔してオシッコを漏らした末、首を吊るジャクソン。こんなことで良いのか。お と こ。
ショービジネスにとって、どんなに歌手が歌い手として優れていても、レコード産業や、関連雑誌やマスメデイアのパペット、繰り人形でしかない。どんなに創意あふれる感受性の豊かな歌い手も、それを宣伝して売り出し、マネージする人無くしては世に出ることができない。またいったん世に出てしまったら自分だけの意志で、歌を作り続けることができなくなる。資本主義、商業主義社会で歌い手がプロであり続けるためには、捨てなければならないものが多すぎる。人を生かすも殺すも商売次第だ。
しかしこういった商業主義的エンタテイメントの世界の冷酷さとは別の、次の課題として、男が女房の尻の下で、自分の尊厳を保って生きて行けるのかどうかという男の課題。人は一人前になるために人気歌手の荷物持ちをして奴隷のように尽くし、やっと一人前になって栄光の時代を迎えても、それは長く続かない。ならば次世代に人気を譲って、落ち目になったら再びバックコーラスで歌うなり、荷物持ちを引き受けるなり、伴奏者になったりしておとなしく仕事を続ければ良いのだ。職業に貴賤なし。女房の収入が多ければ、その尻の下で家庭を支えればよい。定年まで働いてそれなりの業績を残し、退職金は動けなくなった時のためにとっておき、再就職してタクシーの運転手になったり、マクドナルドの皿を洗ったり、ビルの掃除をしたりして、元気で人の役に立っていることを、自分で祝福してやればよいのだ。人はそうやって人生を生きているのではないか。死なないでください。
映画の最後の方で、泣き崩れるアリーに、もとジャクソンのマネージャー(サム エリット)が言う。「アリー、自分を責めちゃだめだよ。悪いのはジャクソン。これはジャクソンの問題なんだ。これがジャクソンの人生だったんだ。」そのとうり。74歳の名優、サム エリオットがかっこよくキメている。ジャクソンは深く深く文字通り子供の様な純粋さで妻を愛していた。だからもう行き場がなかった。死ぬしかなかったのだ。
小さなことだけど、アリーのマネージャーを快く思っていないジャクソンが、ぶしつけに「あんた、ソックス履いてないじゃん。」と言う。イギリス人のマネージャーは、にっこり笑って靴下を履いてないように見えるけど、丁度靴に隠れるように靴下履いてるんだよ。と言って靴下を見せる。いま、ヨーロッパの男のファッション雑誌で、昔みたいに長い靴下を履いているようなモデルは居ない。みんな素足だ。流行に鈍感。アリゾナみたいな田舎からきてカントリーなんて、どんくさい歌を歌ってるアメリカ人にはわからないことだけどね、、、というニュアンスが会話に垣間見られてすこし笑った。
また一瞬だったけれどTVアナウンサーが出て来て、これがハリウッド大物俳優のアレック ボールドウィンだった。これは彼のお遊びですか。端役にも手を抜かないクーパー監督。
アレーの親友のゲイのラモン(アントニー ラモス)が、端役だけれどアリーのことを一番よくわかっている友達として出演していて、彼がとっても素敵。爽やか青年で忘れ難い。こんな人とアレーがずっと一緒に暮らしたら、こんな辛い思いをしなくて良かったのにね。
予定通りクリント イーストウッドがビヨンセで、この映画を撮っていたらどんなだっただろう、と想像してみるのも楽しい。
日本での公開は12月21日だそうだ。