2018年10月2日火曜日

映画「JIRGA」

監督:ベンジャミン ベルモア
キャスト
サム スミス
シャーアラムミスキム ウスタド
アミ―ル シャ タラシュ
アルゾ ウェダ
イナム カン
音楽:AJ TRUE

オーストラリア軍は2011年から、9.11後の米国によるタリバンへの報復合戦に加担するかのようにアフガニスタンに兵を送り、現在に至るまでアフガニスタン政府に介入してきた。以降、アフガニスタンの市民と軍人を合わせて、戦争被害の死亡者は11万人をはるかに超える。一方オーストラリア兵の戦死者は41名。現在オーストラリア兵は、カブールでアフガニスタン兵、警察官への訓練に携わっている。
2001年の派兵以来、戦闘に関わりのない一般市民が戦闘に巻き込まれ死亡する事故が後を絶たない。イラク湾岸戦争のときも頻発したが、上空偵察機によって人が集まっているところが爆撃されるから、市民が結婚式や親戚の集まりをしている市井の人々が誤爆されて死亡する。一方的で不正確な情報によって攻撃され手、全くタリバンと関係ない人々が亡くなる。「敵」よりも罪のない市民の死亡者数が上回るのだ。

2009年に、オーストラリア軍でも、兵士が狙われて死亡したことで怒って常軌を逸した部隊が、一般家庭に手りゅう弾を投げ込んで、沢山の子供達とその母親たちを死亡させた。部隊長らは、軍隊内警察によって逮捕され、殺人罪を問われたが、裁判開始直前に訴えが下されて、結局誰も罪を問われなかった。2012年にも2013年にもオーストラリア兵によって同じような一般市民と子供が殺される事件が起こったが、裁判には持ち込まれていない。軍隊内の無規範、残虐性と、正義感や良心の不足、軍規のゆるみ、あいまいさ、なれ合いといった軍内部の超保身主義は赦しがたい。

もと兵士の告白で、センセーションを起こしたのは、「武器の置換」だ。彼によると兵隊はいつも余分の銃を持ち歩いていて、間違って丸腰の市民を殺してしまっても、銃を死体と一緒に置いておいて、あたかもゲリラが交戦したのでやむなく殺したように見せかけて罪を逃れるのが普通だ、という。こうして戦争犯罪は常に顔のない、ずる賢い、卑怯者によって闇に葬られる。
悪いのは、もともとはソビエト介入時に、タリバンに武器を供給した米国であり、その後現在でもシリアに武器を売りつけている米国や、サウジアラビア、カタール、フランス、トルコ、ブルガリアといった国々の死の商人たちだ。各国が軍事介入するのは、正義や民主国家建設のためではなく、もうかって儲かって仕方がないからなのだ。

「JIRGA」は、オーストラリア人監督による、オーストラリア俳優主演のアフガニスタンで撮影された映画だ。JIRGAとは、アフガニスタンの伝統的な年配者たちによる会合のことで、これは物事の善悪を裁く裁判所の機能を持つ。

映画のストーリーは
3年前にオーストラリア兵としてアフガニスタンに派兵されていたマイク ウィーラー(サム スミス)は、カンダハーで自分が誤って撃ち殺してしまった男のことが忘れられない。男が倒れ、妻と子供達が泣き叫びながら死体を家の中に引きずり入れていた様子が、繰り返し思い出されて、この家族に自分が貯めて来たドルを渡したいと思ってきた。そして、遂にアフガニスタン首都カブールに戻って来た。しかし、頼みにしていたかつての運転手に、カンダハーはまだタリバンが根拠地にしているところを通らなければ行けないので、危険すぎて行くことができない、と断られてしまう。マイクは仕方なくタクシーで、カンダハーまで行くことにする。しかし、当然タクシードライバーは、危険を理由に乗車を拒否する。しかし、とりあえず観光地だったバーミヤンまで行ってみよう。
二人は出発する。

ドライバーは歌の上手な気の良い老人だ。美しい山々が連なる果てしのない砂塵舞う荒地を車が行く。トルコ石のような美しい湖にボートを浮かべ、湖畔で焚火をたいてドライバーの作る食事をし、夜を明かす。二人の間には長い時間を共有する男同士の友情が芽生える。ドライバーは、翌日にはカブールに帰るつもりでいる。そこをマイクはドル札を手に、ドライバーに頼み込む。カンダハーまで。命かドルか。
ドライバーはとうとう断り切れなくなって車の行先をカンダハーに向ける。しかし予想通りにタリバンによるチェックポイントがあった。マイクはとっさに車から飛び降りて逃亡する。たった一人で、砂漠をドル紙幣をつめたバッグをもって歩くうち、砂漠の熱で脱水して倒れる。

行き倒れのマイクの命を救ったのはタリバンの小部隊だった。根拠地の洞窟で、タリバン兵士たちは討議する。マイクを殺すか、生かしておいて身代金を取るか。タリバン兵士たちは、マイクが自分の罪を償うためにここに来たことを知り、カブールまでの道を教える。マイクは遂に3年前、武装部隊の一員として市民の家を急襲して罪のない村人を殺した村に着く。村の長老たちはマイクの話を注意深く聞く。マイクが殺した男は、村で唯一の音楽士だったという。寡婦となった男の妻は、マイクに靴を投げつけて怒りを表す。長老たちは、長い討議の後、殺された男の10歳になる息子に、どう罪を償わせるか決めさせようと言う。憤怒でいっぱいになった息子は長刀を持ち、いったんはマイクの首をはねようとするが、自分の罪を告白して償いをしようとしている、うなだれオーストラリアから来た男の姿を見て刀を納める。長老は、「報復はたやすいが、赦しは崇高な行為なのだ。」という。
というお話。

この映画を観たのは、アフガニスタンの砂漠を見たかったからだ。すべての文明の源であり、アレクサンダー大王が征服することを夢に見た美しい国。世界で唯一、ラピスアズーリの宝石が産出できる。オランダの画家フェルメールが、この石を砕いて青い服を着た女を描いた、その紺碧の色。
それと全く異なる青、ターキッシュブルーの湖の美しさが例えようもない。世界一美しいと言われるカナダのレイクルイーズよりも優雅で美しい、ミルクが混じった深い深い青色。それから、遠く彼方にそびえる山々、ヒマラヤに続くヒンドゥクシ山脈の5000メートル級の山々、その後ろに7000メートル級の山脈が連なっている。溜息とともに見とれるばかりだ。

この映画の脚本を書き、自らカメラを回し、編集した映画監督ベンジャミン ベルモアは、戦地の危険を避けパキスタンで映画撮影をする予定で、すでに数千万円の前金を払って現地入りしたが、パキスタン秘密警察が映画の内容を知って、不快感を示したため撮影がすべてキャンセルされ、クルーは放り出され、仕方なく危険を承知でアフガニスタン現地で撮影したそうだ。
黒いターバンを巻き、アイラインをひいたタリバンの男達による部隊が砂漠で行き倒れたオージー男を救出して根拠地の洞窟に連れてくるところなど、本当に本当のタリバン部隊やISIS兵に見つかったら、どういうことになったか想像するだけでドキドキするが、そんな命知らずのオージー撮影クルーを、よくやったと言うべきか、愚か者というべきかわからない。

映画のストーリーは単純だ。マイクはオーストラリアの志願兵であり、自ら選んで職業軍人となり、人を殺すこと破壊することを訓練されてアフガニスタンに派兵された男だ。オーストラリアに帰れば ヒーロー扱いだ。軍事恩給が出て、普通に市民より良い生活ができる。3年前に誤ってアフガニスタンの市民を殺したことで、3年もの長いあいだ罪の意識にさいなまれてきた、とは考えにくい。貯めたドル束をもって、いまだ戦争中の現地にもどり、自分が殺した男の家庭に謝罪するなど、もっと考えにくい。嘘っぽい話を美談にしている。

そのオージー男が大事に抱えて国から持ってきたドルを、アフガニスタンの孤児は受け取ることを拒否する。10歳の孤児がすごい。「血にまみれたドルなど要らない」、と彼は言う。「報復しない、賠償を求めない、赦しを与える。」これはもう神の言葉だ。この息子の結論を導き出した村の長老たちも立派だ。「報復はたやすい。赦すことは困難だが人として最も崇高な行為だ。」と彼らは言う。また、マイクがタリバンに捕えられたとき、タリバンでさえマイクのドル束を取ろうとしなかった。彼らは「money is curse」と言った。何と誇り高き男達か。戦争によってドルが飛び交う。ドルなど呪われた存在でしかない。そして10歳の少年の言う通りドルは、blood money で、受け取る価値などない存在なのだ。マイクはドルの札束を砂漠の風にまかせて捨て去り、アフガニスタンの人々に赦されて帰る。とてもアフガニスタンの人々がかっこ良い映画なのだ。

モスクから聞こえてくるコーランも美しい調べだが アフガニスタンの独特の音楽が終始流れて、そこにアフガニスタンの自然描写が観られて美しい。AJ TRUEの作曲した数々の音楽が、絶えることがない。湖を背景に年老いたタクシードライバーが、ハッシッシを吸い、バケツの底を叩きながら歌う民謡が、この上なく美しい。