彼は20年前から、中国が誇る「万里の長城」をテーマにした映画を作って欲しいと、中国政府からオファーされていたので、機が熟すのを待って、要望に応えたのだそうだ。映画の中に「これが中国の神髄」と言えるものが描かれているんだよ、と自分で言っている。
チャンイーモーの初めての英語の映画。映画は全部中国で撮影された。実際の万里の長城を使って撮影することは許可されなかったため、3つの長城を映画用に作って撮影した。エキストラを含めると中国人、数千人の映画出演者のために、100人以上の通訳が撮影に付き添って働いたという。
主役のマットデーモンが、テレビインタビューで「中国人監督のもとで中国の長城の映画に出ましたね。」と言われて、開口一番、「Yes, build a great wall to keep Trump out」万里の長城を作ってトランプをアメリカから追い出そうとしてたんだよ。と言って笑わせていた。ハリウッドは徹底して反トランプだ。
中米合作映画
キャスト
マット デイモン:ウィリアム
ペドロ パスカル:トヴァル
ジン テイアン:リン隊長
アンディ ラオ:ナムレス砦の総司令官ワン
ルー ハン :兵士ペヤング
ウィリアム ダフォー:バラード先生
他、出演者数千人
他、出演者数千人
宋の仁宗皇帝の時代。
11世紀の中国は世界の中でも最も文明が発達していた。印刷技術が進み、世界で初めて紙を材料にした貨幣を使って銀行を通じた貨幣経済が発達していた。科挙制度は充実し、北方や西方からの敵にたいしては和睦で交渉、異民族からの侵略を防いでいた。またコンパスが作られ、海洋事業も進み、多数の商業都市からは優れた陶器などが外国に輸出されていた。中でも、火薬の発明は、世界の侵略や戦争の形態をこれまでと全く変えてしまう、強いインパクトを持っていた。
映画のストーリーは
火薬を求めて、中国の国境線を越えてたくさんの盗賊団や密売人がやってきていた。アイルランド人のウィリアムとトヴァルら無法者たちは、ある日追手から逃れて洞窟に逃げ込んだところ、何か途轍もなく大きな怪物に襲われる。図体が大きい割に動きが速い。辛うじてウィリアムは怪物の腕を切り落として、トヴァルとともに生き残るが、他の者たちは全員、怪物に食い殺される。
翌日二人は彷徨っているところを、長城を警備する兵士達に捕らわれて、ナムレス砦に連行される。砦では数千人の兵士たちが、警備しており、二人はワン総司令官(アンディ ラオ)とリン隊長(ジン テイアン)の前に引き出される。そこでウィリアムが怪物の腕を切り落としたとき剣に付いたウロコのようなものを見せると、一同の間に緊張が走る。怪物は60年ごとに群れをなして人を襲ってくる。2000年前からゴウウ山脈の奥から神が、奢り多い人々を制裁するために送って来る試練なのだと伝えられている。無数の怪獣は一頭の女王から生まれてくるので、女王を倒さなければ怪獣は無限に生産されて、人々を苦しめる。
二人は捕らわれるが、このとき無数の怪獣が砦を襲ってきた。この日のために軍事訓練をしてきた兵士たちは恐れることなく怪獣に立ち向かう。ウィリアムとトヴァルは、バラードというこの砦に何十年も捉えられていて、兵士たちに英語を教えて来たという男に、縄を解いてもらい、兵士たちと共に怪獣と戦う。怪獣は沢山の犠牲者を出したあと、いったん引き上げた。1頭だけ砦のなかに残された怪獣を兵士たちは生け捕りにして柵に入れ、首都の朝廷に運ぶことにした。怪獣は磁石を近くに置くとおとなしくなることがわかった。
怪獣は鎧を着たサイのような体形をしていて、文字通り無数に押し寄せてくるので人の力ではなかなか殺せない。リン隊長の指揮する女性兵士たちは、足に縄をつけ、砦の壁からバンジージャンプで、下から襲ってくる怪獣たちと勇敢に戦う。次々と殺されて血塗られた縄に、また次の兵士たちが結ばれて、ジャンプしていく。女性兵士たちは自分が死んでも、同じ志を持った同志たちが必ず後を追ってくることを確信している。リン隊長は、「わたしたちは信頼で結ばれているの。」とウィリアムに言う。それを聞いて、ウィリアムは、自分には信頼して命を預けられるような人が居ただろうか、と自分に問う。一方、トヴァルとバラードは、この時ばかりと隠していた火薬を盗んで二人で砦から逃亡する。ウィリアムは同行することを拒否する。
2度目の怪獣による襲撃が始まった。火薬を使って兵士たちは、ウィリアムとともに怪獣と戦う。一方、生け捕りにした怪獣は、首都に運ばれて朝廷に献上されたが、若い天皇は「馬鹿殿様」で、柵の中の怪獣をからかって玩んだので、怒った怪獣は檻を破り暴れまわって仲間を呼び寄せる。呼ばれた怪獣たちは砦を後にして、首都に向かった。首都は大混乱、人々は次々と襲われて命を失う。リン隊長は熱気球に乗って首都に天皇を助けに行く。ウィリアムも熱気球に乗って後を追う。リン隊長の乗った気球が割れて、怪獣に囲まれ絶体絶命のところを、約束通りにちゃんとウィリアムに救われる。そこで、ウィリアム達は、怪獣の群れの中に女王を発見。火薬を女王に向けて何度も何度も爆発させて、遂に女王を殺すことに成功し、怪獣たちは退却。再び平和が戻って来た。
ウィリアムは、リン隊長に、「火薬か自由か」ひとつを選ぶように言われ、リンに心を残しながらも去っていく。
というおはなし。
目もと涼しい美青年が次々と出て来て、「おお君が映画の主人公か!」と思って観ていると、また次の美青年が出て来て「そうか、キミが本当の主人公だったのか!」と納得していたら、次にはもっと可愛いヤツが出てくる、という訳でもう 何が何だかわからない。話の筋などどうでも良くなってきて画面を見ているだけで楽しい。もう中年のマット デイモンなど目じゃないです。これは、「美青年見放題のおばさん用の映画か」、と思っていたら、いやいや、、美顔美形の少女達はもっとすごくて、バンジージャンプで空を飛び、城壁から突き出た踏み台を蹴って、さかさになったまま剣と盾で怪獣と戦う。勇ましく、強く、美しい。その少女達がさんざん怪獣と戦った末、単なる肉片となって、つるされていたロープだけが帰って来る。ひるまずに次の美少女が壁を蹴って去っていく。美しいものたちが正義で、この世のものと思えない醜い怪獣が悪だから、もう死に物狂いでやっつけるしかない。
ウィリアムは中国から火薬を盗み出して密輸入しようとした無法者だったが、互いに信頼関係で結ばれ強固な意志をもって生きている兵士たちをみて自分も出来る限りのことを人の為にしたいと思うようになる。チャンイーモー監督は、この映画に中国の「心」が込められていると言っているが「信頼」が彼のテーマなのだろうか。よくわからない。チャンイーモーはただ「でかい映画作品」を作りたかっただけではないか。
2000年、チャンイーモーは中国で初めて、プッチーニ作曲のオペラ「トランドット」を演出した。初めて西洋歌劇の公演を中国で行うに当たって、チャンイーモーは何百人もの大人数の出演者で、どでかい舞台を作った。普通プッチーニのオペラ「トランドット」の舞台は男女合唱団を入れても50人以下。だがチャンイーモーは、数百人の出演者で舞台を埋めた。「スぺキュタクラー!」「豪華絢爛」ド派手というわけだ。この北京の紫禁城での公演が、舞台造りからリハーサルを含めて、「チャンイーモーのオペラ:トランドット」というフイルムに納められた。これを映画館で観た。準備が大変だったのは、フイルムを観なくても想像できる。1公演に10万人だったかの観客のために、イタリアから監督を呼んで、舞台造りから始めて、合唱団の組織化、舞踏団の協力、何もかも初めてで大変だったと思う。
出来上がったオペラを観ていて、落胆したのは、トランドット姫に心奪われた王子が胸をかきむしって恋する苦しさを吐露してアリアを歌っているその後で、ポーズを取っている兵士たちが「チェ!やってられないよなー。もうゲッソリよ。」「全くねー。」という感じでおしゃべりしている姿がはっきり写っている。10万人が見守る舞台の上でダレ切っている役者達。フイルムを編集するときだって、おかしな背景が写らないように普通は編集するだろ。フイルム編集者は何を見ていたのか。そりゃ舞台の上に200人もの役者たちが居れば、いろいろあるだろうし疲れるだろうが、舞台の上の出演者なのだからその自覚があって良い。プッチーニのオペラ トランドットを侮辱しないで。彼の演出した「でかいオペラ」は成功したと言えるのだろうか。
2008年 北京オリンピック 世紀の大事業五輪の開会式、閉会式の演出をチャンイーモーは任された。期待された割には、ふたを開けてみると、開会式の派手な花火はCGだったり、会場で独唱した可愛い女の子は「くちパク」で他の子供が歌っていたり、少数民族服に身を包んで踊って歌った青年少女達は、少数民族どころか北京の踊り子たちだったなどなど、スキャンダルばかりで酷評された。オリンピックそのものに反対だから競技をテレビで全く見なかったが、開会式の模様がニュースで流れたとき、数百人の若い少年少女が会場に輪になって手をつないで踊りながら歌っていた。ちょうど「オーストラリア選手たちの入場です!」とアナウンサーが興奮している後で少女達がくたびれた顔で「全く嫌になるねー。」という感じでおしゃべりしながら体を動かしていた。またか。数分の映像でさえ、そんなシーンを目撃して、苦笑するしかない。ただ人を沢山使った「でかいオリンピック」を、彼は演出したくて演出したのか。
チャンイーモーは、中国で初めてのオペラを演出し、北京オリンピックの開会式と閉会式を演出し、そして、中国が誇る万里の長城の映画を監督し、中国の国宝みたいな存在になった。けれど、結果は、どれも「雑で、ただでかいだけ」。人を沢山使えば良いという訳ではないだろう。お金をたくさんつぎ込めば良い作品ができるわけでもない。でも彼の場合、人を多く使って大規模な作品になりすぎたために、内容が雑になったという訳ではないような気がする。雑で、でかいだけの作品を何度も何度も繰り返して作る人は、かりに僅かな資金で限られた人数で小さな作品を作ってみても、もう心に響くものは作れないのではないか。
かつて、自由に物が言えず、自由に作品を作ることが出来なかった弾圧下で、本当に魂のある作品を作った監督だっただけに、残念だ。そう、チャンイーモーはアンウェイウェイではない。わかっている。でもそれが哀しい。
映画のストーリーは
火薬を求めて、中国の国境線を越えてたくさんの盗賊団や密売人がやってきていた。アイルランド人のウィリアムとトヴァルら無法者たちは、ある日追手から逃れて洞窟に逃げ込んだところ、何か途轍もなく大きな怪物に襲われる。図体が大きい割に動きが速い。辛うじてウィリアムは怪物の腕を切り落として、トヴァルとともに生き残るが、他の者たちは全員、怪物に食い殺される。
翌日二人は彷徨っているところを、長城を警備する兵士達に捕らわれて、ナムレス砦に連行される。砦では数千人の兵士たちが、警備しており、二人はワン総司令官(アンディ ラオ)とリン隊長(ジン テイアン)の前に引き出される。そこでウィリアムが怪物の腕を切り落としたとき剣に付いたウロコのようなものを見せると、一同の間に緊張が走る。怪物は60年ごとに群れをなして人を襲ってくる。2000年前からゴウウ山脈の奥から神が、奢り多い人々を制裁するために送って来る試練なのだと伝えられている。無数の怪獣は一頭の女王から生まれてくるので、女王を倒さなければ怪獣は無限に生産されて、人々を苦しめる。
二人は捕らわれるが、このとき無数の怪獣が砦を襲ってきた。この日のために軍事訓練をしてきた兵士たちは恐れることなく怪獣に立ち向かう。ウィリアムとトヴァルは、バラードというこの砦に何十年も捉えられていて、兵士たちに英語を教えて来たという男に、縄を解いてもらい、兵士たちと共に怪獣と戦う。怪獣は沢山の犠牲者を出したあと、いったん引き上げた。1頭だけ砦のなかに残された怪獣を兵士たちは生け捕りにして柵に入れ、首都の朝廷に運ぶことにした。怪獣は磁石を近くに置くとおとなしくなることがわかった。
怪獣は鎧を着たサイのような体形をしていて、文字通り無数に押し寄せてくるので人の力ではなかなか殺せない。リン隊長の指揮する女性兵士たちは、足に縄をつけ、砦の壁からバンジージャンプで、下から襲ってくる怪獣たちと勇敢に戦う。次々と殺されて血塗られた縄に、また次の兵士たちが結ばれて、ジャンプしていく。女性兵士たちは自分が死んでも、同じ志を持った同志たちが必ず後を追ってくることを確信している。リン隊長は、「わたしたちは信頼で結ばれているの。」とウィリアムに言う。それを聞いて、ウィリアムは、自分には信頼して命を預けられるような人が居ただろうか、と自分に問う。一方、トヴァルとバラードは、この時ばかりと隠していた火薬を盗んで二人で砦から逃亡する。ウィリアムは同行することを拒否する。
2度目の怪獣による襲撃が始まった。火薬を使って兵士たちは、ウィリアムとともに怪獣と戦う。一方、生け捕りにした怪獣は、首都に運ばれて朝廷に献上されたが、若い天皇は「馬鹿殿様」で、柵の中の怪獣をからかって玩んだので、怒った怪獣は檻を破り暴れまわって仲間を呼び寄せる。呼ばれた怪獣たちは砦を後にして、首都に向かった。首都は大混乱、人々は次々と襲われて命を失う。リン隊長は熱気球に乗って首都に天皇を助けに行く。ウィリアムも熱気球に乗って後を追う。リン隊長の乗った気球が割れて、怪獣に囲まれ絶体絶命のところを、約束通りにちゃんとウィリアムに救われる。そこで、ウィリアム達は、怪獣の群れの中に女王を発見。火薬を女王に向けて何度も何度も爆発させて、遂に女王を殺すことに成功し、怪獣たちは退却。再び平和が戻って来た。
ウィリアムは、リン隊長に、「火薬か自由か」ひとつを選ぶように言われ、リンに心を残しながらも去っていく。
というおはなし。
目もと涼しい美青年が次々と出て来て、「おお君が映画の主人公か!」と思って観ていると、また次の美青年が出て来て「そうか、キミが本当の主人公だったのか!」と納得していたら、次にはもっと可愛いヤツが出てくる、という訳でもう 何が何だかわからない。話の筋などどうでも良くなってきて画面を見ているだけで楽しい。もう中年のマット デイモンなど目じゃないです。これは、「美青年見放題のおばさん用の映画か」、と思っていたら、いやいや、、美顔美形の少女達はもっとすごくて、バンジージャンプで空を飛び、城壁から突き出た踏み台を蹴って、さかさになったまま剣と盾で怪獣と戦う。勇ましく、強く、美しい。その少女達がさんざん怪獣と戦った末、単なる肉片となって、つるされていたロープだけが帰って来る。ひるまずに次の美少女が壁を蹴って去っていく。美しいものたちが正義で、この世のものと思えない醜い怪獣が悪だから、もう死に物狂いでやっつけるしかない。
ウィリアムは中国から火薬を盗み出して密輸入しようとした無法者だったが、互いに信頼関係で結ばれ強固な意志をもって生きている兵士たちをみて自分も出来る限りのことを人の為にしたいと思うようになる。チャンイーモー監督は、この映画に中国の「心」が込められていると言っているが「信頼」が彼のテーマなのだろうか。よくわからない。チャンイーモーはただ「でかい映画作品」を作りたかっただけではないか。
2000年、チャンイーモーは中国で初めて、プッチーニ作曲のオペラ「トランドット」を演出した。初めて西洋歌劇の公演を中国で行うに当たって、チャンイーモーは何百人もの大人数の出演者で、どでかい舞台を作った。普通プッチーニのオペラ「トランドット」の舞台は男女合唱団を入れても50人以下。だがチャンイーモーは、数百人の出演者で舞台を埋めた。「スぺキュタクラー!」「豪華絢爛」ド派手というわけだ。この北京の紫禁城での公演が、舞台造りからリハーサルを含めて、「チャンイーモーのオペラ:トランドット」というフイルムに納められた。これを映画館で観た。準備が大変だったのは、フイルムを観なくても想像できる。1公演に10万人だったかの観客のために、イタリアから監督を呼んで、舞台造りから始めて、合唱団の組織化、舞踏団の協力、何もかも初めてで大変だったと思う。
出来上がったオペラを観ていて、落胆したのは、トランドット姫に心奪われた王子が胸をかきむしって恋する苦しさを吐露してアリアを歌っているその後で、ポーズを取っている兵士たちが「チェ!やってられないよなー。もうゲッソリよ。」「全くねー。」という感じでおしゃべりしている姿がはっきり写っている。10万人が見守る舞台の上でダレ切っている役者達。フイルムを編集するときだって、おかしな背景が写らないように普通は編集するだろ。フイルム編集者は何を見ていたのか。そりゃ舞台の上に200人もの役者たちが居れば、いろいろあるだろうし疲れるだろうが、舞台の上の出演者なのだからその自覚があって良い。プッチーニのオペラ トランドットを侮辱しないで。彼の演出した「でかいオペラ」は成功したと言えるのだろうか。
2008年 北京オリンピック 世紀の大事業五輪の開会式、閉会式の演出をチャンイーモーは任された。期待された割には、ふたを開けてみると、開会式の派手な花火はCGだったり、会場で独唱した可愛い女の子は「くちパク」で他の子供が歌っていたり、少数民族服に身を包んで踊って歌った青年少女達は、少数民族どころか北京の踊り子たちだったなどなど、スキャンダルばかりで酷評された。オリンピックそのものに反対だから競技をテレビで全く見なかったが、開会式の模様がニュースで流れたとき、数百人の若い少年少女が会場に輪になって手をつないで踊りながら歌っていた。ちょうど「オーストラリア選手たちの入場です!」とアナウンサーが興奮している後で少女達がくたびれた顔で「全く嫌になるねー。」という感じでおしゃべりしながら体を動かしていた。またか。数分の映像でさえ、そんなシーンを目撃して、苦笑するしかない。ただ人を沢山使った「でかいオリンピック」を、彼は演出したくて演出したのか。
チャンイーモーは、中国で初めてのオペラを演出し、北京オリンピックの開会式と閉会式を演出し、そして、中国が誇る万里の長城の映画を監督し、中国の国宝みたいな存在になった。けれど、結果は、どれも「雑で、ただでかいだけ」。人を沢山使えば良いという訳ではないだろう。お金をたくさんつぎ込めば良い作品ができるわけでもない。でも彼の場合、人を多く使って大規模な作品になりすぎたために、内容が雑になったという訳ではないような気がする。雑で、でかいだけの作品を何度も何度も繰り返して作る人は、かりに僅かな資金で限られた人数で小さな作品を作ってみても、もう心に響くものは作れないのではないか。
かつて、自由に物が言えず、自由に作品を作ることが出来なかった弾圧下で、本当に魂のある作品を作った監督だっただけに、残念だ。そう、チャンイーモーはアンウェイウェイではない。わかっている。でもそれが哀しい。