2017年4月9日日曜日

映画「鷹狩の少女」イーグル ハントレス

                         

原題:「EAGLE HUNTRESS」
イギリス、モンゴル、アメリカ合作ドキュメンタリーフイルム
言語:カザフ語
監督:オット― ベル
アカデミー賞ベストドキュメンタリー賞ノミネート作品

モンゴル国、カザフ族
12世代に渡って鷹狩の名人と言われてきた家系に生まれた13歳の少女、アイショルパンが鷹狩のハンターになるまでのドキュメンタリーフイルム。

鷹狩は紀元前3000年のころから中央アジア、モンゴル高原で行われていた。厳冬期に必要な蛋白源である小動物を取るための生活の知恵だったものが、中国、ヨーロッパに伝えられると、それが全く異なる目的に使われた。神聖ローマ帝国では、鷹を持つことが権威の象徴になって、皇帝たちに愛された。
日本ではすでに古墳時代の埴輪に、手に鷹を乗せた埴輪が発掘されている。日本書紀では、仁徳天皇が鷹狩に興じている記録もある。鷹狩には資金も広い土地も人材も必要なため、天皇を中心としたわずかな特権階級の贅沢な遊びとして広まった。鷹を訓練するための広大な土地に、一般人は出入りを禁じられていた。織田信長や、徳川家康が大の鷹狩愛好家で、諸国の武将らが競って鷹を献上した話は有名だ。鷹は朝鮮半島で捕獲されたものが一番上等な鷹と認定されて高額で取引されていた。

明治維新後にも鷹狩は天皇家の娯楽として継承されてきた。第二次世界大戦後になって、ようやく宮内庁によって実猟は中止されるようになった。敗戦後の国民生活の惨状を思えば、当然のことだが、昭和天皇の時代まで鷹狩が皇室の特権的娯楽だったとは、驚きだ。しかし現在もまだイギリス皇室では、伝統的「キツネ狩り」が、様々な動物保護組織からどんなに批判されても、平気で毎年続行されていることを思えば、皇室の常識外れは世界でも普通のことなのかもしれない。

ところで、本場の本当の鷹狩の話だ。
モンゴルは国土の80%は草原地、そこで遊牧と畜産が行われている。鷹狩は、標高4300メートルのアルタイ山脈、モンゴルとカザフスタンとキリギス共和国の国境地帯に伝わる伝統的な狩猟だ。共産主義時代に多くのカザフスタン人がモンゴルに逃げて来てアルタイ山脈のふもとに定住した。カザフ族はモンゴル国民の4%を占める少数民族で、多くはイスラム教徒だ。これらの人々は、厳冬期マイナス40度にも気温が下がり、土地が雪に覆われる間、タンパク質源となる小動物を狩り、栄養補給しなければならなかった。その方法として鷹を飼い慣らし鷹を使って狩りをする伝統、習慣が継承されてきた。羽を広げると2メートルを超える雌のゴールデンイーグル(イヌワシ)を使い、ウサギやオオカミを捕獲する。

ドキュメンタリーは、男が片手に大きな鷹を止まらせて、残った手で器用に馬を繰りながら黙々と山を登っていくシーンで始まる。馬の背には生きた子羊が括り付けられている。小高い山の頂上に着くと、男は山の神々に祈りをささげ、子羊を殺して皮を剥ぐ。一頭の子羊が丸ごと鷹に与えられる。鷹を山に帰すのだ。長年、家族の一員だった鷹を、男は愛情をこめて撫でさすり、紐を解く。鷹は空高く舞い上がり、羊の肉をついばんでは、羽ばたいて空を飛ぶ。男は再び馬に乗り、振り返り振り返りしながら山を下りて行く。鷹が空に円を描いて、するどくケックエと短く鳴く。情景が詩になっている。美しいシーンだ。

13歳のアイショルパンは長女で、父親の手伝いをするうち、自分でも自分の鷹をもって、狩りに行きたいと願うようになり、父親から鷹の扱い方の手ほどきを受ける。伝統的に鷹狩は男の世界だったから、少女が鷹を持つことに反対する長老たちは多かった。女にできるわけがない、と言われていることごとを彼女は実際にやってみて、自分の可能性を証明しなければならない。
まず鷹を捕獲する。父親の体を結わえてあるロープの片端を腰につけ、山の頂上からザイルで崖を下りていく。崖の中腹に鷹の巣がある。生後数か月で、まだ飛べない鷹の子供を捕獲し、家で寝食を共にして、鷹との信頼関係が培う。鷹は、どこにでも付いてきて、馬上のアイショルパンの腕に安定して乗っていられるようになった。父親は年に一度の鷹祭りに、アイショルパンを出場させることを決意する。

アルタイ山脈のふもと、ウルギイの街では毎年鷹祭りが開催される。各地から選りすぐりの鷹狩の名手が集まってきて、沢山の見物客や観光客の前でその技術を競う。厳重な審査員の前で自分の鷹が、いかに忠実で優秀な狩猟をするか、を名手たちは見せなければならない。世界でも珍しい伝統的な鷹狩を競う祭りとあって、たくさんの人々が集まってきている。鷹の中には、いつもと違う空気のなかで、トチ狂って自分の主人でない人に腕に停まったり、空に飛んでいってそのまま帰って来なかったりする鷹も居る。100組ちかくの鷹狩が集まっていて、少女の鷹狩の登場に困惑している。様々の競技が展開されるなかで、スピード競技が始まった。アイショルパンの鷹が最短時間で彼女の呼びかけに答えて帰って来た。鷹祭り初出場で再年少、しかも女性の候補者が優勝した。女性の登場に快く思っていない候補者たちも、彼女の能力を認めないわけにいかなくなった。アイショルパンのこぼれるような笑顔。

祭りが終わり、本格的な冬が訪れる。アイショルパンは、父親について、厳冬期の山に入る。初めての狩猟だ。二人は数か月の予定で、それぞれの鷹を腕に乗せ、馬で山を越え、凍った湖を越え、獲物を追う。狩りが初めての鷹には、獲物を追い詰めても、死に物狂いで抵抗する狐を鷹は殺すことができない。幾度もの失敗を重ねて、遂にアリショルパンの鷹はキツネを仕留めることができた。アイショルパンは、もう一人前の鷹狩だ。
というお話。

アルタイ山脈とモンゴルの草原が、どこまでも広がっていて美しい。夏には、ゲルと呼ばれる移動式テントを張り、羊たちを山の緑の多い草原に移動させる。足腰の強い馬を自由に操るモンゴル遊牧民たちの、顔に刻まれた深い皺。羊たちの出産を手伝い、弱い子羊を家の中で育てる子供達。短い夏が過ぎると、テントをたたんで、山を下り、堅固に作られた石造りの家に、羊たちと共に戻って来る。家の中での調理、働き者の母親。家族の密接な結びつき、徹底した家長制度。鷹狩の名人の父親について回るアイショルパンの嬉々とした様子。ひび割れたあかぎれのある手にやっと手に入れたマヌキュアを懸命に塗るアイショルパンの表情をカメラは逃さない。

草原の騎馬民族、遊牧民族の人々の暮らしが、美しい絵のようだ。カジフスタン語による父娘の短い会話も印象的だ。馬にまたがり、片手を高く鷹のために掲げたままの姿勢で、片手だけで馬を繰る父娘の勇壮な姿は感動的だ。
椎名誠による映画「白い馬」も秀逸な映画だった。彼はモンゴルの人々が馬と共生する姿に心を奪われて、現地に何年も通い詰めた末、彼の映画を作った。全編が会話の極端に少ない抒情詩になっている。モンゴル騎馬民族の競馬競技を競う迫力あるシーン、短い夏を楽しむ人々を見ていると、広大な草原を走る風を感じることができる。

鷹狩の映画撮影チームは、数年にわたってアイショルパンの家族の生活に密着してドキュメンタリーフイルムを作成した。このフイルムはハンプトン映画祭でベストドキュメンタリー賞を獲得し、アカデミー賞でもドキュメンタリー部門にノミネートされた。賞金と映画上映で得られた収益すべては、アイショルパンの教育費となって、彼女は希望通り医者になったそうだ。

誇り高い騎馬民族、草原に生きる人々、機能的な移動式住居、足腰の強い馬による競馬競技、相撲競技に興じる若者たち、着飾った馬たち、鷹狩り、こうした美しい情景や伝統文化と生活様式は、近い将来消滅していく。いずれ鷹狩は、効率の良い銃による狩猟に、騎馬による羊の移動はモーターバイクやドローンに取って代わられる。失われる前にフイルムに残しておかないと永遠に私達は見ることができなくなる。
雄大な中国大陸の空気を呼吸し、草原の馬のひずめの音を聞き、走り抜ける馬が作る風に触れ、鷹を呼ぶアイショルパンの空を突き抜けるような声を聞き、それに応える鋭い鷹の声を聞いた。映画の作り出す美しい抒情詩を堪能した。
稀有な、貴重なドキュメンタリーだ。