2017年11月20日月曜日

レンブラントとオランダ黄金時代作品展

                                                                     
アムステルダム国立美術館:ライクスミュージアムから、レンブラントなどの作品がシドニー州立美術館にやってきて展示されているので行ってみた。

父がレンブラントの絵が好きだった。どうしてだかわからない。
英国に留学する途中で立ち寄ったオランダで、チューリップの愛らしさと、レンブラントの光と影に心を奪われたのかもしれない。1ドル360円の時代、海外に持ち出せる円が極端に制限されていた。私大の教授ごときに航空券など買える訳がない。貨物船に乗せてもらって何週間もかけて欧州に渡ったのだ。欧米人は、日本人を見かけると唾を吐きかけたりジャップとかチンクなどと呼び、白人社会の差別が残っていてアジア人にも人権があるなどと大声で言う人も居なかった。
父は明治生まれ、旧武家の長男で頑固者。「女はみんな馬鹿だ。」などと平気で言い、私生活では、家族には抑圧者以外の何物でもなかった。戦後民主主義の思想家、経済学者だった大内兵衛が育ての親で、甥だったとはとても思えない。ひとつだけ庭いじりが好きだったところは似ていた。兵衛の鎌倉の家に至る斜面には、数えきれないチュ-リップが植えられていて見事だった。父も阿佐ヶ谷の家でチュ-リップを育てた。兵衛の采配で、一番弟子だった宇佐美誠次郎の妹ふみと、父とが結婚することになったとき、母が阿佐ヶ谷の屋敷を訪れて帰る時に、父が庭に出てチューリップを切って母に渡したが、手が大きく震えていた、という。もったいなくて。
という話を母が言うごとに大笑いしたが、当の父は「あたりまえだ。せっかく大事に育てた大輪の花だったのに。」と弁解(?)した。
外国でどの国が好き?と父に聞くと、迷わずオランダと答えた。長い船旅の途中で立ち寄ったオランダでみごとなチューリップを見て感激し、自然光だけのほの暗い建物の中でレンブラントを見て深く感動したのだろう。

オランダは、1600年初めに何万人もの国民を溺死させた、低い(ネーデル)土地(ランド)に住む人々の国だ。自分達の住む土地よりも高いところにある北海に対して堤防を作ることが全国民の悲願だった。そのために国民が一丸になって堅実、着実、倹約、質素、忍耐、質実な生活をすることが求められていた。ダッチアカウントは、そのための必要性から生まれた文化のひとつだ。そうして低地の特質を生かし、運河で物資を輸送し、風車や泥炭など’安価なエネルギーを使って貿易、産業を振興した。

スペインから独立してからの17世紀のオランダは、黄金時代と呼ばれ貿易では東インド会社が世界初の多国籍企業として、株式を財源としてアジア貿易を独占、香辛料で世界経済を制した。そして1世紀以上の間、貿易、産業、科学、芸術の中心となった。
ローマンカトリックによる偶像崇拝を嫌い、プロテスタントとして簡素な教会を持つ一方、豊かな商人達は芸術を愛し、絵画を教会にっではなく自分たちの屋敷に飾った。このころオランダでは、彫刻家が出なかったことと、教会に飾る宗教画が描かれなかったことは、特筆に値する。当時、オランダを訪れたイギリス人が、「オランダではどの家の壁にも絵が飾ってある。」と言って驚いたという。

今回ニューサウスウェルス州立美術館に、アムステルダム国立美術館(ライクス ミュージアム)から貸与された絵画の作品展が開催された。わたしには、レンブラントとフェルメール以外の画家の名は、知らない人ばかり。勿論作品を観るのも初めてだ。

ヤコブ ファン ロイスダール(JACOB VAN RUISDAEL)の風景画が青い空、のどかな農家を描いていて美しい。低地国なので風景画に山や岩壁や滝がない。どこまでも平面で、青い空には入道雲がモクモクと昇り広がっている。夏の青い空と入道雲。そんな空のことを「ロイスダールの空」というのだそうだ。ちょうど偶然、犬養道子の評論を読んでいたら、オランダの風景を「どこを見ても起伏のないまったいらな緑かかった土地、広すぎる上空はあわただしい雲をあとからあとから流していた。オランダ派画人の好んで描くあの独特の空。」と書いていて、ロイスダールの空に触れている文章があって、なんかとても嬉しかった。

ヤン ステーン(JAN STEEN)の描いた絵が興味深い。「陽気な家族」、「聖ニコラスの祝日」の2作で、男も女も子供達も大いに寛いでいる。贅沢な食べ物、酒、酔っぱらった大人たちの自堕落で醜悪な姿。足温器に足をつっこんでぐうたらしている。怠け者を扱った寓意画。こういった怠け者のことを、「ヤン ステーンの絵みたいな奴。」とか「ヤン ステーンの絵みたいなことは止めよう。」とか表現に使うそうだ。国民の命を守る堤防を強化するために質素、倹約、堅実、忍耐を目標とする国民性ゆえ、浪費や怠惰は半倫理、反社会的なのだろう。働いた後はぐうたらして何が悪いか、絵のように楽しくやればいいじゃないかと思うけど。

フランス ハルスの「陽気な酒飲み」も楽しい絵だ。ウィレム カルフの「銀の水差しのある静物」は美しく、 ヘンドリック アーフェル カンプの「スケートをする人のいる冬景色」では低地国の寒い寒い冬が想像できる。 ピーテル デ ホーホ「家の裏庭にいる3人野女性と1人の男性」など、普通の人々の何でもない日常が絵の題材になっている。
ヤン ダヴィス デ ヘームの静物画「ガラスの花瓶に生けた花」は、今回の絵画展の作品のなかで一番色彩が豊かで、精密な描写でだんとつに美しい。花びらの筋、葉についた青虫、蜘蛛までよく見ると居る。ガラスの花瓶には張ってある水だけでなく、そこに映った後の窓まで描いてある。1665年作と思えない花の配置や描き方も現代に通じる。観て描くということが今も昔も何一つ変わりはしない絵の基本だということが良くわかる。色の使い方が秀逸だ。

レンブラントはイタリアのカラバッジョ、フランデルのルーベンス、スペインのベラスケスとともにバロック期を代表する画家だが、若くして肖像画家として成功し、20歳前にすでに弟子を何人も持っていたという。エッチングでも優れた技術を持ち、印刷機を自分で所有してたくさんの作品を残した。レンブラントは、常に新しい技術を絵画で試して挑戦してみることを厭わなかった。その練習のためにお金にならない、売り物にならない「自画像」を75点も残した。

この絵画展での目玉は、レンブラントの自画像のひとつで、55歳の時の作品、「聖パウロの姿をした自画像」。1661年作。質感を出すために、重ねて重ねて塗って塗り重ねてあるので、窓からわずかに差し込む光で顔が立体的で生き生きして、いま生きてここにいる人のように見える。これが光と影の魔術師と呼ばれるレンブラントの絵だったのか。レンブラントは暗い、沈鬱、レンブラントなんて昔の人でしょう。生命がない、色がない、明るくない、と思い込んでいただけに、実物を初めて見てジワジワと胸に迫り溢れてくるものがあった。見て良かった。生命も色も明るさもある。父もそう思っただろうか。父も光と影、光に当たった部分の輝きに心躍る躍動感と生命力を見ただろうか。

もうひとつの今回の絵画展での注目は、ヨハネス フェルメールの「手紙を読む青衣を着た女」1663年作。ライクスミュージアムは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、「小路」、「恋文」を所有するが、今回シドニーに来たのは、この1点のみだった。
フェルメールは生涯で35点の作品しか残さなかった。彼の絵にはよく手紙と地図が出てくる。35作品のうち、手紙が絵の中にあるのが6点、地図が7点。この作品には手紙も地図も両方描かれている。
朝の光の中で、とても大切ななにかが書かれた手紙を女が立ったまま一心に読んでいる。女はブルーの絹のジャケットを着て、後ろにはスペイン椅子があり、椅子の背もたれにはライオンの彫刻が施してある。壁には世界地図が貼ってあって、机には宝石とスカーフが無造作に置かれている。女の着ているブルーのジャケットは朝の光に当たっている部分は薄いブルー、そうでない部分は深くて濃いブルーだ。当時の裕福な商人の若い妻だろうか。貿易商人の夫は植民地ジャカルタに行っていて、妻は、心のこもった夫から手紙を何度も何度も繰り返し読んでいるのだろうか。
青色はアフガニスタンでしか採れない宝石、ラピス アズーリを砕いたものだ。この青が素晴らしい。どんなに高価でも、この色を使いたかったフェルメールの気持ちがわかるような気がする。
どんな絵も先入観にとらわれず、見てみるものだ。17世紀の絵も今の絵も新しい。良いものはいつまでたっても生命力溢れて、人々にエネルギーをもたらしてくれる。良い週末を過ごした。
写真は、
レンブラント
ロイスダール
ヤン ステイン 
フェルメール