2017年12月23日土曜日

2017年に観た映画ベストテン

第1位:私はダニエルブレイク 「I、DANIEL BLAKE」
第2位:ホークシャーリッジ  「HACKSAW RIDGE」」
第3位:ヒットラーの忘れ物  「LAND OF MINE」
第4位:ゴッホ最期の手紙   「LOVING VINCENT」
第5位:言の葉の庭      「GARDEN OF WORDS」
第6位:沈黙         「SILENCE」
第7位:モヒカン故郷に帰る  「THE MOHICAN COMES HOME」
第8位:軍艦島        「BATTLE ISLAND」
第9位:WHERE TO INVADE NEXT
第10位:オリエント急行殺人事件 「MURDER ON THE ORIENT EXPRESS」


第1位:「私はダニエルブレイク」

この作品の紹介と評価を述べたブログ日記は、10月28日に書いた。イタリアネオリアリズム手法を取る労働者の味方、ケン ローチが、81歳になって、とっくに引退宣言をしたはずなのに、政府の福祉制度が本当に保護されるべき弱者のために機能していない現状に怒り心頭に達して、やむにやまれず制作した作品。テーマは何と、50年前に彼が作った映画「キャシー故郷に帰る」と全く同じ。最低限政府は国民の命を保障し、福祉を必要とする人の生活を保障しなければならないのに、50年前と同様それができておらず、事態は悪くなる一方である現状を、激しく告発している。 「人を人として扱わない。人を辱め罰することを平気でやる。まじめに働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやり方に憤っている。」と彼は述べている。

イギリスに限らず市場原理による高度に発達した自由経済をとる先進国にとって、福祉は、実際には飾り物に過ぎない。肥えるものはますます富に太り、まじめに働き真面目に税金を納めて来た者たちは、必要な時に福祉が受けられないで飢えている。誰もが自分だけは大丈夫、いまは健康で働いているし、仮に事故で障害者になったり、破産して収入が無くなっても保険や政府の生活保護で何とか生活していけるはずだと思い込んでいる。政府の広報は美辞麗句が連ねられて、あたかも困った人は、誰でも福祉が簡単に受けられるかのように宣伝している。

恐ろしいことは、実際自分がその立場になってみないと、実際に福祉が受けられるかどうか、まったくわからないことだ。自分の経験から言うと、80を越えるまでオットは政府から年金も恩給も何も受け取らずに、まじめに働き、まじめに税金を納めて来たが、病気になり障害者となって仕事ができなくなったので、老人年金を申請した。しかし政府の年金審査官は様々な理由をつけて申請を却下、最低限の年金を政府から出させるのに、2年半の時間を要した。その間無収入で24時間介護の必要なオットをかかえて、私はフルタイムで働きながら障害者を介助し、1日おきに腎臓透析に連れて行くことに、体力の限界まで自身を酷使したが、年寄りに年金を出すという当たり前のことを簡単に認めない役所との交渉に疲れ果て、ぼろぼろになった。

現状でさえ貧しい福祉政策下で、老齢人口は増大する一方だ。やがて街は年寄りのホームレスで膨れ上がるだろう。米国も日本もオーストラリアも法人税を控除し、個人の税金を重くする予算を通過させた。これから福祉はますます悪くなる。ケン ローチの怒りは切実な私達の怒りでもある。人が人としての尊厳をもって生きられないような社会は、一体誰のものなのか。


第2位:ホークシャーリッジ 
 
このオーストラリア人監督、メル ギブソンによって製作された映画の詳しい解説と評価は、2016年11月7日のブログに書いた。シドニーでは11月に封切られたが、日本では今年2月に公開された。第2次世界大戦の中でも、最も激しい戦闘が行われた沖縄戦で、良心的兵役拒否の思想から武器を持たずに参戦した青年デスモンド ドスが戦闘の最前線からたくさんの傷病兵を救い出したという実話を映画化した作品。
これほど戦場場面のリアリティを映像化した作品は他に無い。「プライベートライアンを探せ」のノルマンディ―上陸シーンもすごかったが、これをはるかに超える。シュッと手留弾が飛び地面に穴が開きその上をバラバラになった体の部分が落ちてくる。ブスッと撃ち込まれた銃弾によって腹に穴が開きみるみる銃創が開いて血が噴き出る。砲撃を受けて土が跳ね上がり体が宙に浮いて地面にたたきつけられたバラバラの手足。雨のように降って来る銃弾を避け仲間の死体の山を見るとネズミが肉を歯み、体中蛆で真っ白。メル ギブソンのリアリズムが半端でなく炸裂している。

良心的兵役拒否という思想は、日本社会では最も理解されにくい思想ではないか。社会の中で個人の存在が認められ、個人の思想信条が尊重されている成熟社会でなければ、起こり得ない。赤紙一枚で戦争に駆り立てられて、上官に従わなければ厳罰処理される。縦割り、垂直型の日本軍組織では、個人の思想信条の自由などという思想など全くあり得なかった。日本社会は、いつ成熟できるのか。日本の組織は、いつ民主化され、個人の人権を守るような組織に変われるのか。国際社会の中で日本はいつ大人になれるのか。

米軍の沖縄上陸後の地上戦で、連合国軍上陸部隊は7個師団、18万3000人。後方の兵を加えると54万8000人の大軍が沖縄を取り囲んでいた。一方日本軍は総勢11万6400人、沖縄出身の軍関係の死者2万8222人。一般住民の死者9万4000人。本土から来た軍関係者死者は、6万6000人足らず。記録されているだけでも800人もの非武装の沖縄住民が、「日本軍」によって殺されている。住民は自分たちの生活の場を奪われて、連合軍に包囲されたあと、戦闘の盾にされ、白旗を掲げて投降した婦女子は日本軍によって、後ろから撃たれて死んでいった。県民の4人に一人は沖縄戦の犠牲者だ。
生きて辱めを受けるなと、集団自決を強いた日本軍人達の非人間性は、どんなに糾弾してもし足りない。日本軍司令官牛島の腹切場面も映画に出てくるが、一般市民を守らない軍人のトップが卑怯にも一番先に死んで責任逃れをするとは何事か。こうした優れた反戦映画を見ると、いかに日本の組織には人権思想が欠如しているか、を思い知らされる。


第3位:ヒットラーの忘れもの  

4月16日にこの映画の解説と映評を書いた。デンマーク、ドイツ合作映画。1945年5月。終戦とともにデンマークに駐留していたドイツ軍兵は、敗戦とともに捕虜となり、ドイツ軍が埋めて行った200万個の地雷を撤去する作業を強制された.。その兵士たちの数、2000人。戦争末期に徴兵されたばかりの10代の子供の様なドイツ新兵14人が、サデイステイクなデンマーク軍軍曹に預けられて、地雷撤去作業に従事する。軍曹にとって14人の少年たちは母国を蹂躙した憎い敵だ。だが日が経つうちにいつしか軍曹と少年たちとの間には、父と子のような心の交流が生まれる。次々と少年たちが誤って地雷の爆発で死んでいく。ヒューマンで、強力な反戦映画。地雷を撤去し終わった砂浜を、思わずはしゃいで走り回る少年たちの姿が、空を舞う天使のように美しい。

第4位:ゴッホ最期の手紙  

11月25日にこの映画について詳しく書いた。世界中から立候補してきた5000人のプロの油絵画家から選ばれた、125人の画家が、ゴッホの色使いや筆のタッチを真似て、キャンバスに描いた6万5000枚の絵を、実際の役者の動きにあわせてモーションピクチャーとしてフイルム化した映画。とても美術的で、ゴッホの絵が沢山出て来て、その肖像画から人物が出てきて動き出す不思議な体験ができる。新しい映画の技法で、見ていて面白く興味が尽きない。ゴッホを堪能できて嬉しかった。


第5位:言の葉の庭    
今年の1月3日のブログで、この映画について書いた。これほど美しいアニメーションを他に観たことがない。新海誠による監督、制作された初期の彼のフイルムで、才能がほとばしっている。彼の作品「君の名は」が劇場で人気を呼んで注目されるようになったそうだが、この人の描くアニメーションの美しさは、ジブリにもデイズ二―にもピクサーにも他の誰にもまねできない。情感豊かで、自然を見る目が他の人にない繊細さで みごとに捕えられている。
この人が雨を描くと、自然描写が例えようもなく美しい。観ていて雨が匂ってくる。全身が雨を感じることができる。空が曇り、雨が落ちてくる。水滴が土に吸い込まれ土の香りが立ち込める。やがて水たまりが出来、その水面に鮮やかな緑が映える。雨が緑を生き返らせて草の匂いが立ち上って来る。天から次々と落ちてくる水滴が、街の騒音を消し、草や木の喜びの歌を奏でる。生き物すべてに命を与えるように雨に濡れて木々が息を吹き返すように、若い男女の傷ついた魂が再生する。これほど5感が呼び覚まされる映像は魔術を見るようだ。本当に本当に美しいアニメーション。忘れられない。

2017年に観た映画ベストテン

第6位:沈黙

2月24日に詳しい映画の解説と映評を書いた。 豊臣秀吉は1587年50万人の大軍を率いて九州に侵攻し島津義久の島津藩を降伏させキリスト教信者を迫害した。その前までは、九州から仙台まで、沢山の教会が建ち有馬、安土には神学校が建ち40万人ものクリスチャンの数を誇っていた。キリシタン禁令下ポルトガル人フェレラ司祭は、他の司祭らとともに日本に密航し、20年余りスペリオという最高の重職について布教を続けていた。その彼が捉えられ棄教したという知らせがローマ教会に伝えられる。フェレラを恩師として慕っていたロドリゴ司祭が、他の2人の司祭とともに日本に渡航する決意をするシーンから、この映画が始まる。

カメラが純白で巨大な大理石のローマ教会に居る、3人の黒服の司祭達を映し出す。何も遮る物のない権威の象徴である教会の巨大な建物と、小さい小さい司祭たちの存在。やがて彼らは、教会を出るために降りる長い階段を、今度はカメラが教会の塔、頭上高いところから見下ろす。アリの様に小さな人間の姿。黒衣を風に翻し、死を決意した司祭たちが静か音もなく足早に歩み去る。
今度はカメラが美しい海岸線を映し出す。広がる空、荒い大波が打ち寄せる。美しい太陽の輝きの中で何かが不協和音を奏でている。波打ち際に3本の柱にズームしていく。何とそれは、3日3晩磔の刑にあって苦しみながら殉死していく信者たちの呻吟する音だった。巨大で荒々しい自然の中で、小さな小さな存在としての人間。こうしたカメラワークが例えようもなく美しく素晴らしい。自然と人、権威と弱き者、こうしたコントラストを映像で表現するマーチン スコセッシ監督の手腕が冴えている。


第7位:モヒカン故郷に帰る  

日本映画はこちらでは手に入らないが、コンピューターエキスパートの義理の息子の努力によっていくつかの日本映画を手に入れることが出来た。観た映画は、「怒り:レイジ」、「新深夜食堂」、「深夜食堂」、「FOUJITA」、「桐島部活やめるってよ」、「ヒミズ」、「くちびるに歌を」、「世界の片隅に」、「南極料理人」、「世界から猫が消えたなら」、「イニシエーションラブ」、「孤独のグルメ」セッション1から5まで、などなど。私小説的、4畳半的で楽しいが小津の世界をさらに小さい規模にしたような。でも日本映画はそれで良いのかもしれない。

「モヒカン故郷に帰る」は、沖田修一監督。がなりたてるばかりのデスメタルバンドのボーカル永吉が妊娠した恋人を連れて7年ぶりに故郷に帰る。両親と弟に歓待されるが、父親が突然倒れ癌で余命わずかなことを知らされる。モヒカン頭に松田龍平、父親に柄本明、母にもたいまさこ、恋人に前田敦子。この家族のやりとり、どこか間の抜けたゆるさと言い、昭和的セピアカラーといい、本音で怒鳴り合える家族喧嘩といい、笑いが止まらない。はじめから終りまで笑って笑って、最後のころには気が付いたら涙を流しながら笑っていた。人情にやられた。個性と個性がぶつかり合える、温かい家庭を心から良いなあと思う。うらやましい。こんな家庭で育ってみたかった。日本の良さがいっぱい詰まっている。芸達者な柄本明の演技が秀逸。


第8位:軍艦島

8月18日にこの映画について映評を書いた。すぐれた反戦映画。戦時下、長崎県端島の石炭採掘現場は地下1000メートルの深さにある海底。95%の湿度、30度の暑さという過酷な環境で、沢山の中国人、韓国人が強制労働させられていた。敗戦まじかに鉱夫たちは反乱を起こし、多くの犠牲者を出しながらも島を脱出する。暴力シーンが多い分、感傷もロマンスもあって、見ていて情に流されそう。韓国映画独特の、自分の身を挺して悪と戦い死んでいくヒーロー達、強くて優しい女と子供を守る男達、どの男たちも身長180センチ以上ある引き締まったみごとな身体を持っていて、裸が絵になっている。歴史的事実を描いた映画だが、エンタテイメントとしても成功している。


第9位:

WHERE TO INVADE NEXT   

マイケル モアによるドキュメンタリ―フイルム。イタリア、フランス、フィンランド、チュニジア、スロベニア、ドイツ、ポルトガルを旅行して現在米国では深刻な問題になっている事柄を、他の国ではどのように対処してきたかを取材している。人がより幸せに生きるには、どういった国の対策が必要なのか、何をは国から学び持ち込むべきなのかを問う。
ダニエル トランプが大統領選に出馬しても、女性差別発言や、下卑た立ち振る舞いにジャーナリズムをはじめとして誰もが次期大統領に選出されるはずがないと予測していた時に、ずっと早いうちからマイケル モアは、トランプが選出されることを予測していた。徹底的に取材をする人。人の話をきちんと聞いて回る。彼のジャーナリストとしての確かな目で、アメリカ社会の底辺で暮らす人々に何が起きているのかを早くから予測していた。

労働団体の力が歴史的に強いイタリアでは、労働環境が良い。2時間の昼休み、産休、年6-8週間の有給休暇、有給ハネムーン、年13か月分の給与など。それらによって逆に生産性が向上している。
フランスでは学校給食がフルコースで質の高い食事が提供されている。また性教育も早いうちから行われている。
フィンランドの学校では、子供達は遊ぶことで、より多く学ぶという思想から、授業時間が短く、宿題がない上、学校ごとの標準値を設けない。それでいて世界一学力がある子供達を輩出している。
スロベニアでは大学では、奨学金も学費もない。それでいて学力レベルは大変高い。
ドイツでは労働者の権利が高く、生活と仕事とのバランスが取れた生活スタイルを選ぶことができる。
ポルトガルではドラッグが自由に手に入り、健康保険が充実しているため、薬物中毒者はドラッグが自由化されたあと減少している。
ノルウェーでは死刑制度が廃止され、監獄がない。犯罪者が普通の人と同じように自立して生活できるように配慮されていて、犯罪率が下がっている。
チュニジアでは女性が妊娠中絶を自由にでき、出産も自分で管理できるように女性の権利を守ることに配慮している。
アイスランドは世界で初めて民主的に女性大統領を選出した国。2008-2011年の財政危機をもたらせた銀行に厳しく責任を追及する女性大統領が活躍している。

こういったすべての政策アイデアはもともとは米国のものだった。余裕ある労働環境を得るためにイタリアを侵略する必要も、子供達が自由に遊ぶ時間を作るためにフィンランドに移住したり、産前産後の女性の健康を得るためにチュニジアに侵攻する必要もない。アイデアだけは持っていて、実行できなかった米国の政治に問題があったのだ。という結論に同感。

第10位:オリエント急行殺人事件

アガサ クリステイが1932年に発表した推理小説で、エルキュール ポアロシリーズのひとつ。リンドバーグの息子が誘拐されて殺された事件にヒントを得て書かれた小説。何度も映画化されているが、今回のはアメリカ映画。監督と主演に ケネス ブラナー。

1974年の英国版が、とても1939年代のオリエント急行列車や時代背景が原作に近く、よくできていて、おまけにキャストが豪華絢爛でアカデミー賞も獲ったし、文句なしだったので、今回のアメリカ版はちょっとがっかり。
でも、ジョニーデップの悪漢ぶりが、とても良かった。これじゃ殺されても仕方ないよね、というようなワルが狡猾な弁舌をふるい、女性には冷淡、差別的で、ポアロに命を狙われているからと警護を依頼する小心もの。悪い奴だが人間的に描かれているところが良かった。ドラゴミロフ侯爵夫人のジョデイ デインチも良かった。この人は何を演じても可愛い。
イギリス版1974年では、59歳になってもなお美しいイングリッド バーグマンが、グレタ オルソン役を演じてアカデミー賞を取ったが、今回の映画でこの役はペネロペ クルーズ。英国版で、あの下から男を見上げる悩殺美人のローレン バコールが、ハバード夫人役だったが、今回の映画ではミッシェル ハイファ―がこの役をやっていた。英国版ではアーバスノット大佐役を、ショーン コネリーが演じたが、今回の映画では全然知らない人。ラチェットの秘書役も今回は知らない人だったが、前回の英国版では、あの「サイコ」の美青年アンソニー パーキンスだ。英国版で前回アンドレ伯爵はマイケル ヨークが演じたが、今回はセルゲイ ポル二ンで、バレエダンサーだそうだ。登場したときから只者ではない殺気と狂気をもちあわせた、異様な緊張を醸し出していて、推理小説にもってこいの役柄を好演していた。

ただこの映画、殺人者が多いので一人ひとりの殺人動機や役割を描き切れず、どうしても消化不良になっている。長編小説を2-3時間の映画にするのは容易ではないだろうが、推理物は小説の魅力には勝てない。推理は頭の体操だから活字によってよりイメージを広げていくことに醍醐味がある。やはり推理物は読むに限るって、、、映画評になってない。

2017年12月16日土曜日

映画 「否定と肯定」

英米合作映画
監督:ミック ジャクソン      
原題:「DINIAL」
原作:デボラ リープスタッツ
   「HISTORY ON TRIAL:MY DAY IN COURT WITH A HOLOCAUST DENIER」ホロコースト否定論者との法廷での日々
キャスト:
レイチェル ワイズ:デボラ リープスタッツ教授
トム ウィルキンソン:リチャード ランプトン弁護士
テイモシー スパル :デヴィッド アービング教授
アンドリュー スコット:アンソニー ジュリウス弁護士

ストーリーは
1994年 アメリカ ジョージア州アトランタのエモリ―大学で、ホロコースト研究者として教鞭をとる歴史学者デボラ リープスタット教授は、自著の「ホロコーストの真実」を出版記念公演をする場で、沢山の学生たちの前で、ホロコースト否定論者のデヴィッド アービング教授から侮辱される。その上、このナチスドイツ学者から、デボラ リープスタットが著書の中で、アービングをホロコースト否定論者と断定していることで、彼から名誉棄損で訴えられる。訴訟を起こされたのは、リップスタットと彼女の論文を出版した出版社だった。イギリスの訴訟では、被告側が立証責任を負うため、リップスタットは、ホロコーストが歴史的事実であることを法廷で証明しなければならなくなった。アービングにとっては、豊富な財源をもとに、自分が活躍するイギリスで、若いアメリカ人の女性教授をやりこめることで、自説を大々的に宣伝することが目的だった。

弁護士チームに会うために、リップスタットは英国に渡る。リップスタットは、アービングに沢山の学生たちの前で侮辱され、自分が書いた論文が事実に反すると言われ、訴訟まで起こされて、怒り心頭に達している。法廷の場で、アービングと直接議論をもちかけて、ホロコーストが実際にあった事実を認めさせ、ケチョンケチョンに論破して恥をかかせてやらなければ気が済まない。ホロコーストが事実であることは疑いようのない事実であり、ユダヤ人に偏見を持つアービングなど、学者の資格はない。怒りと苛立ちで一杯の被告、リップスタットに対して、彼女の弁護団は、冷たい。
ロンドンのユダヤ人団体に会いに行くが、彼らはリップスタットを擁護するどころか、裁判がアービングのホロコースト否定論の宣伝に使われていることで、リップスタットが裁判を受けて立つことを迷惑がっている。ユダヤ人団体は注目されることを望んでいない。

他に誰も友人や親しい人も英国にはいないリップスタットは、肌寒く毎日雨ばかり降るロンドンで、孤独を噛みしめる。
アービングは自分の主張を宣伝するために陪審に訴える発言を繰り返し、自分の思い通りの裁判をしようとしていたが、弁護団は裁判官による決着を要求する。リップスタットと弁護団長のランプトンは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に、地元の学者の案内で訪れる。裁判で、ホロコーストが本当にあったことだということを証明しなければならない。

アービングは強制収容所のガス室を設計した技師を法廷に出廷させ、ガス室の天井に張り巡らされたチューブには、ガスを放出させる穴がないので、ガスによる大量殺人などなかったことだと主張する。この主張はマスコミにも大々的に取り上げられて、ノーホール、ノーホロコーストとセンセーショナルに報道される。
怒ったリップスタットは、かつてガス室から生還した生存者を証言台に呼ぶことを求めるが、弁護団はそれに同意せず、生存者の証言などアービングの巧な弁論によって侮辱されるだけなので、証言もリップスタットの発言も必要ないと、主張する。納得できないリップスタットは、法廷で発言を封じられたままで、不満は募る一方だ。弁護団はアービングの著作が、偏見に満ちたもので、事実の歪曲があることを、ひとつひとつ辛抱強く証明していく。そして、徐々にアービングの主張が論理的でなく不条理であることが明らかになる。論理によって追い詰められたアービングは、ユダヤ人に対する強い偏見と差別意識を法廷で露わにする。アービングの主張がいかに事実からかけ離れているか、差別主義者による思いこみに過ぎないか、いかに論理性のないユダヤ人を忌み嫌う感情論に偏っているかが、法廷で証明されていく。

2000年1月、裁判が始まって5年、1600万ドルという、とてつもない裁判費用をかけた裁判の判決はアービングの敗訴に終わった。リップスタットは、自分の名誉を守るために、常に冷静沈着に法廷闘争を戦ってくれた弁護士団に心から感謝した。
という事実に基ずいたお話。

アトランタに住むアメリカ人女性が訴えられて、自分の無実を証明するために、ロンドンの法廷に立つ。ロンドンは今日も雨で寒い。弁護士と訪れたアウシュビッツも冷たくて雨。デボラ リップスタットの心の中を映し出すような、寒々とした雨。裁判制度も気候も人々も全く異なるアメリカ人の目に映るイギリスを、雨で表現するカメラワークが実に上手い。アメリカ人とイギリス人の違いも、見ていて興味深い。

ことほどさように歴史修正主義者、ホロコースト否定論者、ネオナチ民族差別主義者、レイシストとの論戦は消耗戦だ。
この裁判の結審前に、チャールズ グレイ裁判長は、人が純粋信じていることを、嘘と断言して良いのかと、問いかける。虚偽を信ずる者は嘘つきか。それが歴史的事実のねつ造ならば、イエスと言えるだろう。明解な偏見による事実の否定ならば、イエスだ。かくしてアービングは敗訴したが、これはが正しい。転じて、日本の国民会議の面々を法廷に立たせて、彼らの歴史認識に誤りがあることを証明するためには、どれだけの労力と資金が必要だろうか。

訴えられたデボラ リップスタットを演じたレイチェル ワイズは、ル カレの書いた「ナイロビの蜂」の主人公を好演してアカデミー助演女優賞を獲った。とても心に残る良い映画だった。ル カレは、自身も英国のスパイでもあった興味深い作家だ。

法廷の争いを映画化すると劇的にも、退屈にもなるが、名画がいくつかある。代表は何といっても「12人の怒れる男」だろう。1957年アメリカ映画。原作レジナルド ローズ。主演はヘンリー フォンダだ。父親殺しで逮捕された17歳の息子の、法廷証拠も証言もすべて少年に不利。11人の陪審が少年の有罪を確信していたが、たった一人の陪審が無罪を主張し、証拠を一つ一つ再検討して他の陪審を説得していく姿は、感動的だ。娘たちは、インターナショナルスクールの授業でこれを観た。人が人を裁くことができるのか、こうした命題を考えるために、最良の教育材料だと思う。

1962年「アラバマ物語」「TO KILL MOCKINGBIRD」は、1932年人種差別の強いアメリカ南部を舞台とした映画。ピューリッツアー賞を受賞した小説の映画化で、監督ロバート マリガッツ、主演はグレゴリー ペックだ。白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の弁護をするフィンチ弁護士の活躍には目を奪われる。この映画でグレゴリー ペックはアメリカのヒーローになった。

最後に、2014年「ジャッジ裁かれる判事」原題「THE JUDGE」も良かった。監督、デヴィッド ドプキン、アイアンマンのロバートダウニージュニア主演。彼の老いた父の判事を演じたロバート デュヴアルが好演していて、アカデミー助演男優賞を獲った。ロバート ダウニージュニアは、不良中年の代表。8歳のころからマリファナを吸引していた本当の不良なのに、切れ者の弁護士を演じている。

法廷を題材にした良質な映画がいくつもあるが、この映画の邦題「否定と肯定」が、原題の「否定」を意図的に弱めるようで、意訳がちがうのではないか、という論争があるようだ。原題はなるべく触らないで、そのまま「デナイアル」とか、原作の「ホロコースト否定論者との法廷での日々」が良いかもしれない。

2017年11月25日土曜日

映画「ゴッホ最期の手紙」

とてつもなくアーテイーな映画。
世界中のプロの油絵画家125人が、ゴッホの色使いや筆のタッチを真似てキャンバスに描いた、65000コマの油絵が、実際の役者の動きに乗せられて、モーションキャプチャーとしてフイルム化された作品。油絵アニメーションとでも言ったら良いのか。ゴッホの伝記を、ゴッホの絵のタッチで描いた動画ドラマ。でも役者が演技しているし、アニメのジャンルを超え、今までのモーションキャプチャーやCG技術のレベルを超えているので、何と言ったら良いのかわからないけれど、画期的な技術ということだけはわかる。

映画化するに当たって、たくさんの油絵画家が必要だとわかると、ネットを通じて5000人の応募者があった、という。選ばれた125人の画家が、それぞれゴッホになりきって65000枚の絵を描いている。もう ゴッホの「てんこもり」。ゴッホ100%の映画の中で溺れそうです。ゴッホの世界、ゴッホがいっぱいで幸せだ。
原題:「LOVING VINCENT」
イギリス ポーランド合作映画
監督:ドロタ コビエラ 
   ハー ウェルクマン    
キャスト
ロベルト グラチェク:ヴィンセント ファン ゴッホ
ジェローム フリン :ドクター ガシェット
ダグラス ブース  :息子アルマンド ロラン
クリス オダウド  :郵便配達ジョセフ ロラン
サオライズ ロ―ナン:マーガレット ガシェット
アイドリアン ターナー:ボートマン

ストーリーは
ヴィンセント ファン ゴッホが亡くなって1年経った。
郵便配達のジョセフ ロランは、ヴィンセントの数少ない友人の一人で、彼のことを心から敬愛していた。肖像画のモデルを引き受けたこともある。生前ヴィンセントは頻繁に手紙を書いて、友人や家族に送り、その分返事の手紙を受け取る事も多かった。ジョセフはいつもそれを配達するのが仕事だった。ジョセフは息子のアルマンドに、ヴィンセントが弟のテオに書いた最後の手紙を託す。それはテオに手渡すことができなかった手紙だった。

ジョセフは以前、自分の耳を切り取り、封筒に入れて親しくしていた娼婦に手渡した事件をよく覚えている。芸術家の気まぐれや狂気に近い奇行にも関わらず。息子のアルマンドには、父親がどれだけヴィンセントのことを好きだったかよくわかっている。父親の気持ちを汲んで、1年前に住所がわからず配達されなかった手紙をもって、アルマンドはヴィンセント終焉の土地に向かう。

パリから30キロ、ヴィンセントは人生最後の2か月を、オーヴェル(AUVERS-SUR-OISE)で過ごした。アルマンドは ヴィンセントの最後を看取ったピエール タンガイに遭って、手紙の受け取人のテオは、ヴィンセントが亡くなって後を追うように、半年後に亡くなっていたことを知らされる。テオは梅毒を患い、鬱状態だったがヴィンセントの死後、状態が悪化して病死したのだった。パリでヴィンセントとテオは、決定的な仲たがいをして、ヴィンセントはパリを出走し、オーヴェルでドクターガシェットの世話になっていた。
ドクターガシェットは、マネ、ルノワール、セザンヌ、ピサロなどと親しくし、自分でも油絵を描く美術愛好家だった。ヴィンセントは、ドクターガシェットから家族のように扱われて、制作に励んでいた、という。

ヴィンセントの最期の手紙には、体調も良く、環境の良いところで精神状態もとても安定している旨が書かれていた。とても自殺するような状態ではない。どうしてヴィンセントは自死しなければならなかったのか。
アルマンはドクターガシェットに会いに行くが、彼は商用で出かけている。仕方なくアルマンは、かつてヴィンセントが泊っていて、やがて亡くなったその部屋に、滞在することにした。宿屋主の勧めに従って、ヴィンセントが親しかったというボートマンに会いに行く。彼は気さくな男で、ヴィンセントはドクターガシェットの娘と親しかった。きっとそれが原因でヴィンセントはドクターガシェットと衝突し、失意に陥ったのだろうと言う。しかしドクターガシェットの美しい娘マーガレットはそれを否定する。

村の人々にとってヴィンセントは厄介な存在だった。子供達は平気でヴィンセントが写生しているのを邪魔したし、夜は夜で、酒場で若者たちは村の部外者で変わり者のヴィンセントを嫌った。知恵おくれの若者は、ヴィンセントのあとを執拗について回った。アルマンは自分が村の宿屋に滞在していて、どうしてヴィンセントが死ななければならなかったのか、疑問が湧いてきて仕方がなかった。アルマンはヴィンセントを死後検死した医師に会いに行く。医師はビンセントは、腹部を銃で撃って2日間苦しんだ末、亡くなった。ドクターガシェットがなぜ、銃で撃たれた傷口から弾を摘出する手術をしなかったのか、わからないと言う。また、もし自殺したかったら人は胸か頭部を撃って死ぬ。胃を撃って自殺する人は居ない。ヴィンセントの銃創は、離れたところからしかも地面に伏せた姿勢から狙って撃たれたものだ。と医師は言う。

ヴィンセントは地元の若者達と争いの巻き込まれて撃ち殺されたのではないか。教養のない村のごろつきの様な粗雑な若者達が犯人ではないか。そのうえドクターガシェットは、ヴィンセントの傷を治療しなかった。ドクターの愛娘をヴィンセントに取られたくなかったからではないのか。最後のヴィンセントの手紙では、体調も良く制作が進んでいて快適な暮らしをしている様子が描かれている。自殺する理由がない、ではないか。

ドクターガシェットが帰って来た。ドクターは自分も一流の画家になることを夢見て生きて来た。しかしヴィンセントの才能は疑いようもなかった。自分と比べることができないほどヴィンセントの絵は素晴らしかった。自分は嫉妬に狂ってそのあまり、悔しくてヴィンセントを死に追いやるほど激しくヴィンセントを告発してしまった。いつもヴィンセントは金策に困り果てて、弟のテオに迷惑をかけている。ヴィンセントは迷惑者以外の何物でもないと言って、ヴィンセントを責めたのだった。自分がヴィンセントを自死に追いやった。死ぬべきだったのは才能のない自分だった、と言ってドクターは泣きむせぶ。

アルマンは家に帰って来る。すべてを父親のジョセフに伝える。配達されなかった手紙はドクターガシェットを通じてテオの未亡人に手渡された。しばらくしてテオの妻からお礼の手紙が届く。そこには「愛するヴィンセント」(LOVING VINCENT)と書かれていた。
というお話。

ヴィンセント ゴッホは近代絵画の父と呼ばれ、28歳から36歳で死ぬまでの8年間に800点の作品を残した。生きていた時には才能を評価されることなく、たった1枚の絵が売れただけだった。セザンヌ、ゴーギャン、スーラ、ゴッホの4人はポスト印象派と呼ばれている。オランダ生まれのゴッホの多くの作品は、アムステルダムのファン ゴッホ美術館に展示されている。1800年開館という歴史的なアムステルダム国立美術館(ライクスミュージアム)のとなりに建っていて、対照的に近代的建築を誇る。1973年開設で、別館は黒川紀章が設計し1999年に開館した。本館にはゴッホの200点の油絵、500点の素描、700点の書簡、それとゴッホとテオが収集した500点の浮世絵が収蔵されている。
油絵で特に有名なものは、「ジャガイモを食べる人々」1885年、「パイプをくわえた自画像」1886年、「黄色い家」1888年、「星月夜」1889年、「ひまわり」1889年、「ひまわりを描くファンゴッホ」1888年などなど。

印象画家展が何年か前にキャンベラの国立美術館で開催されたとき、真夜中3時間運転して娘と展覧会を見に行ったことがある。予想にたがわずゴッホの「星月夜」は、それはそれは美しい絵で、「一生に一度は見なきゃだめだよカテゴリー」に入る絵だった。どうやったらこれだけいくつも絵具を重ねて塗って、美しい「紺青」の空と光る星を描けるのか、触って確かめたい誘惑にかられる。「じゃがいもを食べる人々」も、働く農夫たちを描いた絵も好きだ。でも、ニューサウスウェルス州立美術館にある「ペザント」(農夫)の絵が一番好きだ。暗い色調、男のひしゃげた鼻、暗い瞳、しかし力強い生命力に圧倒される。

この映画を観て「あ、やっぱりゴッホは自殺じゃなかったんだ。」と解釈した。彼を理解しようとしない人々の無理解が彼を殺した。狂人のレッテルを貼りたがる村人達、ゴシップ好きな女たち、嫉妬に狂う芸術家たち、変人を排除しようとするコミュニテイー、不寛容な社会、みんなが殺人者だ。
芸術家は、多くがその前衛性によって、人々から理解も受容もされずに薄幸な人生を送る。それが哀しい。ショパンのピアノ曲を聴くといつも泣きたくなる。モーツアルトの明るい空を突きぬけるような快い響きを耳にすると、いつもそれを作曲していたころ空腹と寒さと死の恐怖に苛まれながら作曲していた彼を思って泣きたくなる。
ゴッホの絵もそうだ。残された手紙の数々は、食べていくため、画材を買う為にお金を無心する手紙ばかりだ。
どうしてわたしたちは芸術に、これほど不寛容なのだろう。過去だけでなく今もまた、どうしてわたしたちは新しい芸術の創出に、これほどにも不寛容なのだろう。


2017年11月20日月曜日

レンブラントとオランダ黄金時代作品展

                                                                     
アムステルダム国立美術館:ライクスミュージアムから、レンブラントなどの作品がシドニー州立美術館にやってきて展示されているので行ってみた。

父がレンブラントの絵が好きだった。どうしてだかわからない。
英国に留学する途中で立ち寄ったオランダで、チューリップの愛らしさと、レンブラントの光と影に心を奪われたのかもしれない。1ドル360円の時代、海外に持ち出せる円が極端に制限されていた。私大の教授ごときに航空券など買える訳がない。貨物船に乗せてもらって何週間もかけて欧州に渡ったのだ。欧米人は、日本人を見かけると唾を吐きかけたりジャップとかチンクなどと呼び、白人社会の差別が残っていてアジア人にも人権があるなどと大声で言う人も居なかった。
父は明治生まれ、旧武家の長男で頑固者。「女はみんな馬鹿だ。」などと平気で言い、私生活では、家族には抑圧者以外の何物でもなかった。戦後民主主義の思想家、経済学者だった大内兵衛が育ての親で、甥だったとはとても思えない。ひとつだけ庭いじりが好きだったところは似ていた。兵衛の鎌倉の家に至る斜面には、数えきれないチュ-リップが植えられていて見事だった。父も阿佐ヶ谷の家でチュ-リップを育てた。兵衛の采配で、一番弟子だった宇佐美誠次郎の妹ふみと、父とが結婚することになったとき、母が阿佐ヶ谷の屋敷を訪れて帰る時に、父が庭に出てチューリップを切って母に渡したが、手が大きく震えていた、という。もったいなくて。
という話を母が言うごとに大笑いしたが、当の父は「あたりまえだ。せっかく大事に育てた大輪の花だったのに。」と弁解(?)した。
外国でどの国が好き?と父に聞くと、迷わずオランダと答えた。長い船旅の途中で立ち寄ったオランダでみごとなチューリップを見て感激し、自然光だけのほの暗い建物の中でレンブラントを見て深く感動したのだろう。

オランダは、1600年初めに何万人もの国民を溺死させた、低い(ネーデル)土地(ランド)に住む人々の国だ。自分達の住む土地よりも高いところにある北海に対して堤防を作ることが全国民の悲願だった。そのために国民が一丸になって堅実、着実、倹約、質素、忍耐、質実な生活をすることが求められていた。ダッチアカウントは、そのための必要性から生まれた文化のひとつだ。そうして低地の特質を生かし、運河で物資を輸送し、風車や泥炭など’安価なエネルギーを使って貿易、産業を振興した。

スペインから独立してからの17世紀のオランダは、黄金時代と呼ばれ貿易では東インド会社が世界初の多国籍企業として、株式を財源としてアジア貿易を独占、香辛料で世界経済を制した。そして1世紀以上の間、貿易、産業、科学、芸術の中心となった。
ローマンカトリックによる偶像崇拝を嫌い、プロテスタントとして簡素な教会を持つ一方、豊かな商人達は芸術を愛し、絵画を教会にっではなく自分たちの屋敷に飾った。このころオランダでは、彫刻家が出なかったことと、教会に飾る宗教画が描かれなかったことは、特筆に値する。当時、オランダを訪れたイギリス人が、「オランダではどの家の壁にも絵が飾ってある。」と言って驚いたという。

今回ニューサウスウェルス州立美術館に、アムステルダム国立美術館(ライクス ミュージアム)から貸与された絵画の作品展が開催された。わたしには、レンブラントとフェルメール以外の画家の名は、知らない人ばかり。勿論作品を観るのも初めてだ。

ヤコブ ファン ロイスダール(JACOB VAN RUISDAEL)の風景画が青い空、のどかな農家を描いていて美しい。低地国なので風景画に山や岩壁や滝がない。どこまでも平面で、青い空には入道雲がモクモクと昇り広がっている。夏の青い空と入道雲。そんな空のことを「ロイスダールの空」というのだそうだ。ちょうど偶然、犬養道子の評論を読んでいたら、オランダの風景を「どこを見ても起伏のないまったいらな緑かかった土地、広すぎる上空はあわただしい雲をあとからあとから流していた。オランダ派画人の好んで描くあの独特の空。」と書いていて、ロイスダールの空に触れている文章があって、なんかとても嬉しかった。

ヤン ステーン(JAN STEEN)の描いた絵が興味深い。「陽気な家族」、「聖ニコラスの祝日」の2作で、男も女も子供達も大いに寛いでいる。贅沢な食べ物、酒、酔っぱらった大人たちの自堕落で醜悪な姿。足温器に足をつっこんでぐうたらしている。怠け者を扱った寓意画。こういった怠け者のことを、「ヤン ステーンの絵みたいな奴。」とか「ヤン ステーンの絵みたいなことは止めよう。」とか表現に使うそうだ。国民の命を守る堤防を強化するために質素、倹約、堅実、忍耐を目標とする国民性ゆえ、浪費や怠惰は半倫理、反社会的なのだろう。働いた後はぐうたらして何が悪いか、絵のように楽しくやればいいじゃないかと思うけど。

フランス ハルスの「陽気な酒飲み」も楽しい絵だ。ウィレム カルフの「銀の水差しのある静物」は美しく、 ヘンドリック アーフェル カンプの「スケートをする人のいる冬景色」では低地国の寒い寒い冬が想像できる。 ピーテル デ ホーホ「家の裏庭にいる3人野女性と1人の男性」など、普通の人々の何でもない日常が絵の題材になっている。
ヤン ダヴィス デ ヘームの静物画「ガラスの花瓶に生けた花」は、今回の絵画展の作品のなかで一番色彩が豊かで、精密な描写でだんとつに美しい。花びらの筋、葉についた青虫、蜘蛛までよく見ると居る。ガラスの花瓶には張ってある水だけでなく、そこに映った後の窓まで描いてある。1665年作と思えない花の配置や描き方も現代に通じる。観て描くということが今も昔も何一つ変わりはしない絵の基本だということが良くわかる。色の使い方が秀逸だ。

レンブラントはイタリアのカラバッジョ、フランデルのルーベンス、スペインのベラスケスとともにバロック期を代表する画家だが、若くして肖像画家として成功し、20歳前にすでに弟子を何人も持っていたという。エッチングでも優れた技術を持ち、印刷機を自分で所有してたくさんの作品を残した。レンブラントは、常に新しい技術を絵画で試して挑戦してみることを厭わなかった。その練習のためにお金にならない、売り物にならない「自画像」を75点も残した。

この絵画展での目玉は、レンブラントの自画像のひとつで、55歳の時の作品、「聖パウロの姿をした自画像」。1661年作。質感を出すために、重ねて重ねて塗って塗り重ねてあるので、窓からわずかに差し込む光で顔が立体的で生き生きして、いま生きてここにいる人のように見える。これが光と影の魔術師と呼ばれるレンブラントの絵だったのか。レンブラントは暗い、沈鬱、レンブラントなんて昔の人でしょう。生命がない、色がない、明るくない、と思い込んでいただけに、実物を初めて見てジワジワと胸に迫り溢れてくるものがあった。見て良かった。生命も色も明るさもある。父もそう思っただろうか。父も光と影、光に当たった部分の輝きに心躍る躍動感と生命力を見ただろうか。

もうひとつの今回の絵画展での注目は、ヨハネス フェルメールの「手紙を読む青衣を着た女」1663年作。ライクスミュージアムは、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」、「小路」、「恋文」を所有するが、今回シドニーに来たのは、この1点のみだった。
フェルメールは生涯で35点の作品しか残さなかった。彼の絵にはよく手紙と地図が出てくる。35作品のうち、手紙が絵の中にあるのが6点、地図が7点。この作品には手紙も地図も両方描かれている。
朝の光の中で、とても大切ななにかが書かれた手紙を女が立ったまま一心に読んでいる。女はブルーの絹のジャケットを着て、後ろにはスペイン椅子があり、椅子の背もたれにはライオンの彫刻が施してある。壁には世界地図が貼ってあって、机には宝石とスカーフが無造作に置かれている。女の着ているブルーのジャケットは朝の光に当たっている部分は薄いブルー、そうでない部分は深くて濃いブルーだ。当時の裕福な商人の若い妻だろうか。貿易商人の夫は植民地ジャカルタに行っていて、妻は、心のこもった夫から手紙を何度も何度も繰り返し読んでいるのだろうか。
青色はアフガニスタンでしか採れない宝石、ラピス アズーリを砕いたものだ。この青が素晴らしい。どんなに高価でも、この色を使いたかったフェルメールの気持ちがわかるような気がする。
どんな絵も先入観にとらわれず、見てみるものだ。17世紀の絵も今の絵も新しい。良いものはいつまでたっても生命力溢れて、人々にエネルギーをもたらしてくれる。良い週末を過ごした。
写真は、
レンブラント
ロイスダール
ヤン ステイン 
フェルメール

2017年11月12日日曜日

オージー議会:二重国籍てんやわんや

オーストラリアでは国民の26%が海外で生まれ、49%が自分自身または親が海外生まれだ。そして二重国籍者は記録では全人口の6分の1ほどだが、実際にはもっと多いだろう。
4人に1人以上の割で外国生まれだから、日本でいう国際結婚は当たり前だ。オーストラリア生まれの日本人夫婦の子供は、二つのパスポートを持ち二重国籍で育つが、日本は例外なしに二重国籍を認めない珍しい国なので、21歳になると、どちらかの国籍を選び、どちらかのパスポートを返さなければならない。しかし今後は日本も、国籍に関しての鎖国政策を止めて徐々に様々な例外を認めて行くようにならなければならないと思う。

オーストラリアは、18世紀にイギリスとアイルランドから送られた囚人によって国の基礎が作られ、その後ドイツ、デンマーク、北欧、イタリア、ギリシャなどの移民を受け入れた。1930年代にはユダヤ人、東欧の国々が入国、ベトナム戦争ではボートピープルが難民として、また天安門事件のあとでは数万人の中国人を難民として受け入れて来た。移民によって形造られてきた国という意味ではアメリカやカナダに似た多様な文化を持つ。しかし、3国ともに、移民が始まる前に住んでいた先住民族を、極めて残酷な武力によって迫害してきた醜悪な歴史を持つ。

オーストラリアでは二重国籍は違法ではないことは勿論のことだ。49%の外国生まれの
国民の国籍を、いちいち審査し規制することなどできない。
しかし、国会の連邦議員は、憲法によって違法とされていて、二重国籍者は、排除される。憲法第44条第1項では、「外国に忠誠を尽くし、服従もしくは加担すると認められる者、外国の臣民もしくは市民であるもの、または外国の臣民、もしくは市民の権利や特権を有するもの」は、議員資格がない、と明記されている。
二重国籍を持った議員が悪いことをするとしたら、選挙で選出され連邦議員でいる最中に、不正取引や収賄でスキャンダルを起こし追放されたあと、別の国に行ってまた議員になって居座る、とか、国家の重大秘密情報を議員でいる間に収集して他国のスパイ活動をする、とかだろうか。

しかしこれほど外国生まれが多いオーストラリアで、寝た子を起こす、とはこういうことか。今年の7月に突然、グリーン党の連邦上院議員スコット ラドラムと、ラリッサ ウオーターズが、自分は二重国籍者だったと表明して辞任した。ラドラムは10代のときに親がオーストラリアに帰化したがニュージーランド国籍がいまだに残っていたという。ウオーターズは、出生日の1週間後にカナダ国籍法が改正されたため自分にカナダ国籍が残っていたことを知らなかったと表明。どちらも精錬潔癖なグリーン党の若い議員で、彼らの潔癖な人柄を思わせたが、自由党党首マルコム ターンブル首相は彼らのことをケチョンケチョンにけなし、労働党も口をとんがらかして批判、二人はこれまで受けた議員報酬もすべて返却して辞任した。

これで済めば良かったものの、マルコム ターンブル首相の閣僚で資源相マット カナバツが、本人の承諾なしに母親がイタリア国籍を申請していて、本人はそれを知らず、イタリアに行ったこともなかったのに国籍があった、ということで現職閣僚が辞任。
続いて極右政党のワンネーション党、マルコム ロバーツと、ジャステイン キーの二人が英国国籍を持っていて、英国国籍を放棄したのが選挙の5か月後だったことがバレて辞任。

その後、誰もがあっけにとられたのが、副首相バーナビー ジョイスで、彼はニュージーランド生まれの父親を持ったため、自動的に二重国籍を持っていた。ターンブル首相より人気のある、「できる男」。副首相でいわば国の顔、現職の農業水資源大臣だ。ターンブル保守連合政権は、自由党と国民党の連合政権だが、バーナビー ジョイスは上院議員でなく、下院議員なので、150議席の76席が保守連合、バーナビー ジョイスが抜けるとターンブル首相は議会で過半数を取れなくなる。首相は右腕を失い、議会では多数派でなくなった。 上院議員の場合、議員が辞めても同じ政党の次の候補者が繰り上げ当選して後を継ぐので党派を確保できるが、ジョイスの場合下院議員なので国民党議員が後を継ぐことはできないのだ。

バーナビー ジョイスは彼の地元、ニューサウスウェルス州ニューイングランドに戻って連邦下院選挙区で補欠選挙が行われることになった。もちろん彼は立候補したし、再選が確実視されている。ここでもうターンブル政権の傷に塩を擦り込むのは止めればいいのに、バーナビー ジョイスと同じ国民党副党首、ナッシュが英国国籍を持っていたことが分かり、辞任した。それにしてもオーストラリアのファーマー達からオーストラリアの歴史以来代々と信頼を受け支持されてきた頑固者、保守政党国民党の党首と副党首が外国人(半分)だったとは何という皮肉。

止めればいいのにブルータスお前もか。ニック ゼネフォン党のニック ゼネフォンが、父親はキプロス生まれのギリシャ人だったと名乗り出て大騒ぎ。彼はサッサと辞職して、故郷のアデレードに帰ってしまった。そして南オーストラリアの州選挙に出馬すると言っている。優秀な弁護士出身で、ポーカーマシン賭博規制を公約し、出馬して行動力と力量と、独特のカリスマ性をもって連邦議員になり、マスコミに顔が出ない日はないほど活躍中の58歳。人権問題に真摯に向かい合い、マレーシアで反政府団体を支援してマレーシアから強制国外退去処分にあったこともある。自分の名前を党名に着けて、3人の上院議員を送り込んだ。国籍問題ばかりに大騒ぎして政治上の重要項目をまったく審議さえしていない現在の中央政府を早々と見限って、州政府に自分の場を作るということだろう。

このように多国籍国家、移民国家のオーストラリアであるのも関わらず、二重国籍ということで役職を辞任した連邦議員が今のところ8人、灰色議員と言われる議員が3-4人まだいて、追及が留まるところを知らない。たまたま自分の党に該当する議員が居なかった労働党の党首ビル ショーテンは有頂天で嬉しそうに厳しく政府を追及している。
「この国の法を作る議会で、議員が法を違反していることを赦してはいけない。」たしかにそうだろう。だが、もういい加減にしたら良い。
この争いは何も生まない。

二重国籍者、多重国籍者が何をしたというのだ。何を壊し、何を傷付けたというのだ。
一方、多国籍企業の方はどうだ。
世界中の富を奪い、圧倒的多数の人々から、石油を奪い、水を奪い、食糧を独占し苦しめている。怒りの矛先を向けるべきなのは、そっちだ。

(写真はニック ゼネフォン)

2017年11月4日土曜日

映画「ルート アイリッシュ」と軍需産業と傭兵と

映画:「RUTE  IRISH」
監督:ケン ローチ
キャスト               
マーク ウォーマーク:ファーガス
アンドレア ロウ  :レイチェル
ジョン フォーチュン:フランキー
トレバー ウィリアムズ:ネルソン

ストーリーは,
英国 リバプール。
ファーガスは子供の時からフランキ―と仲の良い双子のように親友同士で、いつも一緒だった。フランキーの妻、レイチェルは夫が妻の自分よりもファーガスを大事にしていることに、いつも不満を感じている。そのフランキーがテロにあってバグダッドで死んだ。ファーガスの憤りと悲しみは尋常ではない。
ファーガスは、英国軍特殊部隊SASに属してイラク戦争に関わり、退役してからも民間会社の傭兵として、フランキーと一緒にイラクにとどまっていた。帰国しても仕事はなかなか見つけられない。1カ月1万ポンドという破格の給料に魅かれて、傭兵になった。ファーガスは、自分がフランキ―を誘って現地に留まった結果事故に遭った、フランキ―の死に責任を感じている。

フランキーは、バグダッド空港と市内の米軍管轄地(安全地帯)とを結ぶ全長12キロのルート アイリッシュと呼ばれる、世界一危険な道路で乗っていたトラックごと爆破されたのだった。テロリストによる攻撃は毎日のように起きた。しかし、フランキーが死ぬ直前、ファーガスに「話がある」とメッセージをよこしていたことが気にかかっていた。フランキーは、何を伝えたかったのだろうか。
ファーガスはフランキーの葬儀の場で、自分にあてて送られた小包みを受け取る。中身はフランキーの携帯電話だった。中にはヴィデオが写されている。そこには、傭兵が、タクシーに銃撃を浴びせて乗っていた子供を含む4人の家族を撃ち殺すシーンが収められていた。ビデオでは、銃撃のあとタクシーに駆け寄ってドアを開けるフランキーの姿も映っていた。軍人による一般市民への殺人は赦されない。フランキーはテロリストに攻撃されたのではなくて、傭兵仲間によって、自分の犯した犯罪を隠蔽するために殺されたのではないか。フランキーがテロリストによって爆破された車は、普段傭兵が使う軍用ジープではなく、簡単に銃が貫通するような、普通車だったのもおかしな話だ。

そんな疑問を持ち始めた矢先、アフガ二スタンからネルソンという傭兵の中でも粗暴で暴力的な男が帰国してきた。そして彼はいきなりファーガスの家を襲い、フランキーがファーガスに送った小包みに入った携帯電話を取り返していった。怒ったファーガスはネルソンが、親友フランキーを殺したに違いないと確信して、彼を拉致して、CIAお得意の水攻めの拷問で殺す。しかし、そのあとでネルソンはフランキーが死んだときには、すでにイラクからアフガニスタンに移っていたことを知らされる。では、誰がフランキーを殺したのか。

ファーガスやフランキーを雇っていたコントラクター(会社)は売却されて新たなオーナーを迎えるところだった。会社はフランキーが握っている、傭兵の市民虐殺というスキャンダルを、隠して無かったことにしたい。それで会社は故意にフランキーをルート アイリッシュを通過する仕事ばかりを任せて、テロに遭って死ぬように仕向けたのだった。事情がわかったファーガスは、コントラクターの雇い主2人が乗った車を爆破する。親友フランキーのかたきは取った。しかし、仕返しをするために巻き添えに何人もの人も殺してしまった。もうファーガスは、フランキーが居た頃のようなもとには戻れない。
ファーガスは子供の時からフランキーといつも乗っていたフェリーに乗って、フランキーの骨を抱いて、河に身を投げた。
というお話。

親友に死なれた男が、捨身で親友の仇を取る、復讐 アクション映画。
テーマは、米英を始めとする大国による不理屈な戦争介入によって、軍人が市民を守るどころか現地の人々を蹂躙する現状を、激しく批判している。傭兵という戦争のプロが、戦場では大きな役割を任されていて、軍人のように軍規に縛られない分だけ、勝手気ままに現地の人々の生活を破壊している。また英国の失業率の高さ。兵役を終えて、故郷リバプールに帰国しても、ブルーカラーの自分達には就職できる当てがないため、戦地に留まり傭兵になって、命を引き換えに稼がなくてはならない現状も描いている。
映画の登場人物が、みな粗暴で暴力的だ。「ファッキンなにがし、ファッキンどうした。」ばかりで、放送禁止用語が2時間の映画の中で1000回くらい出てくる。

ケン ローチの映画はいつも労働者階級の人物が描かれるので、舞台はリバプールとか、グラスゴーとかで、なまりが強い。この映画も登場人物全員が、たった一人を除いて強いなまりで話す。ただ一人のきれいな英語を使う人物がイングリッシュ出身のコントラクターの持ち主、ファーガスたちの雇い主でフランキーを死に追いやった悪い奴だ。英国は階級社会だから話す言葉で、出身も属する階級も教育レベルもわかるところが興味深い。キングスイングリッシュやクイーンイングリッシュをしゃべる奴は悪い奴!! ケン ローチの映画に出てくる人々は、イエス、ノーではなくてナインだし、DOWNはドゥーン、HEADはアイド、NIGHTはニート、RIGHTはリート、TAKEはテク、MAKEはメク、MONDAYはモンデイ、NOWはヌー、ABSOLUTEはアプソリュ―ト、などなど聞き辛く、イングリッシュの字幕が必要だ。

いまや戦争は完全にビジネスになっている。戦争を始めるのは金のため。続けるにも、勝つのも金次第。かつて第二次世界大戦前には武器産業は無かった。戦争中は自動車会社や石油会社が国策として武器を作った。しかし、戦後、米国を中心に新しい武器開発が盛んにおこなわれるようになり、できるだけ自分達の国民の血を流さずに相手国に多くの血を流させる、最小の犠牲で最大効果を出すための兵器研究、開発が促進されてきた。大学では国防総省からの豊富な資金をもとに産学協同で武器を開発し、政情不安定な国々に武器輸出を推進する。

米国の軍需産業では、ロッキード マーチン、ボーイング、ジェネラル ダイナミックス、ノースロープ グラマン、の5つの企業が武器生産に関わる無数の関連企業を牛耳っていて、全米の国防費の40%を占めている。おとなしく飛行機を作っていれば良いのに。 武器輸入最大国アラブ首長国連邦、サウジアラビア、カタール、イラク、中国などが上得意先だ。軍需産業は売れるから、生産を止められない。武器の開発費は、輸出して得られる資金に依存しているから、沢山一度に人を殺せる武器を開発するために、今すでのある製品を売りつくさなければならない。作るだけ売れるから戦争を温存して続消させなければならない、という循環を無限に繰り返している。企業論理では、国籍よりも利益が優先だから、敵国であろうが同盟国であろうが、かまわず武器を売る。
かつて’戦争は国の独立のため、正義のため、自由のため、他国からの侵略から自国を守るためにあった。しかし今、起きているすべての戦争に正義もなければ、自由を求めて戦う人々も無い。軍需産業を太らせるために、終わりのない戦争を続けるだけだ。

戦争をしている兵士たちも国から派遣される軍人でなく、民間会社に雇われた傭兵だ。傭兵をかかえるコントラクターは、用心警備、施設、警備、現地向けの軍事教育、兵站等、軍の任務のすべてをカバーする。軍の強化、増大化には政治問題化しやすいが、民間に雇われている傭兵の数は表には出ないので、トラブルにならない。傭兵の死は公式な戦死者として扱われない。そのため、国民から戦争批判を浴びなくて済む。
そのかわり軍のような厳しい軍規がないので派遣される現地で問題を起こすことも多い。2007年米国ブラックウオーター社に雇われた傭兵が、17人の女子供を含む家族を虐殺した事件や、2004年、ファルージャで民衆によって殺された3人の傭兵が橋に吊るされた事件も記憶に新しい。いかに傭兵が地元の人々から憎まれているかよくわかる。
1991年湾岸戦争では全兵士の内、傭兵は100分の1に過ぎなかったのが、2003年イラク戦争では10分の1になった。兵士の10人に一人は傭兵であって、死んでも戦死者として扱われず、軍人恩給も出ない。イラクでは多い時で、後方支援や警備活動を含め26万人の傭兵が米国政府のために働いていたという。

死の商人は武器を作って売るだけでなく、傭兵も売りに出しているのだ。1991年ソ連崩壊と冷戦終結によって、軍縮が叫ばれるようになり優秀な失職した兵士に就職先が必要だった。またネパールのグルカ兵など植民地時代の遺産的、よく訓練された兵もコントラクターにとっては重宝された。しかし傭兵の需要が増してくると、アフリカのシオラレオーネのような貧しく失業率の高い国から子供を含めた傭兵を集めて来て低賃金で戦争に駆り立てるようになった。戦死してもニュースにならず、戦死者としてカウントされない。人の目に触れない。
武器商人が国の経済を牛耳り、敵味方に関係なく、売れる国に売れるだけ武器を売りつけ、戦争は始まりも終わりもなく、戦っているのは民間の傭兵で、雇い主コントラクターの命令通りに給料をもらって人を殺す。何のための戦争であろうが、誰のための戦争であろうが、傭兵は給料のために待遇の良い会社の側に立って相手を殺す。
どこにも正義はない。
哀しい映画だ。

2017年10月28日土曜日

映画「私はダニエル ブレイク」と福祉社会の崩壊

原題:「I;DANIEL BLAKE」
監督: ケン ローチ                     

キャスト
デイブ ジョンズ :ダニエル ブレイク
ヘイレイ スクアーズ:ケイテイー
2016年カンヌ映画祭パルムドール賞、2017年英国アカデミー最優秀映画賞、最優秀主演男優賞、ロカルノ国際映画祭、デンバー映画祭、シーザーアワード、エンパイヤ―アワード、ヨーロッパ映画アワードなど受賞。

オックスフォード大学を出てBBCに入社したエリートなのに、一貫して労働者階級の視点に立って社会批判をしてきたケン ローチ監督。イタリアリアリズム手法で、素晴らしい映画ばかりを作って来た名匠も、81歳になって、もう引退宣言をしたはずだけれど、政府の福祉政策が機能していない現状に怒り狂って、この映画を製作した。監督の憤怒の結晶だ。
テーマは、彼が50年前(1966年)に製作した映画「CATHY CANE HOME」(キャシー故郷に帰る)と全く同じ。福祉とは誰のために、何のためにあるのかを鋭く問いかけている。この映画では、キャシーが幸せな結婚をして、新築の素敵なアパートに入居するが、子供禁止で子持ちは入居できないアパートだったので仕方なく引っ越しするが、夫が運悪く大怪我をして収入を絶たれ、赤ちゃんを抱えて夫婦はホームレスとなった末、子供をソーシャルサービスに奪われてしまう。そんな不条理な社会に翻弄される若い夫婦を描いた作品。
あれから50年経ったが、社会福祉政策は一向に良くならないで、悪くなるばかり。福祉制度そのものが形骸化しており、人間味のないものとなり、救われなければならない人々が、年齢や性別の関係なく取り残されている。一部の富裕層ばかりが肥え太り、大多数の真面目に働いて、社会を支えてきた善意の人々が報われない社会になっている。

ケン ローチは言う。政府の福祉関係者は、「人を人として扱わない。人を辱め、罰することを平気でやる。真面目に働く人々の人生を翻弄し、人を飢えさせることを武器のように使う政府の冷酷なやりかたに憤る。」と、政府の援助を受けるための複雑で官僚的なシステムと、それに関わる職員達を激しく批判している。

ストーリーは
英国、ニューカッスル。
59歳の大工、ダニエル ブレイクは職場で心臓発作を起こして倒れ、医師に仕事を続けることを止められたため失業する。病気が良くなるまで政府の福祉を受けなければならなくなって、失業手当を申請するため福祉事務所に行ってヘルスケアプロフェッショナルの審査を受ける。審査官に医師の診断書を渡してあるのに、50メートル歩けるか、電話のダイヤルが回せるか、自力で排便することができるか、などという馬鹿げた52問の質問に答えさせられた挙句の末に、ダニエルには失業手当が出ないと言い渡される。

納得のいかないダニエルは、審議不服申し立てをするために福祉事務所に電話するが、1時間48分間も待たされた後で、不服申し立てと、新たな手当受給申請をするには、すべてがオンラインサービスなので、オンラインで申請するように指示される。パソコンを使えないダニエルには手も足も出ない。
職安の待合室で職員の説明を聞くために列に並んでいたダニエルは、子連れのケイティという女性が、約束の時間に遅れたという理由で、係員との面接を拒否されて、言い争いをしている現場に立ち会う。遅刻しただけなのに聞く耳を持たない係員は、警備員を呼んで彼女を排除しようとする。その横暴さにに怒ったダニエルも、ケイテイと一緒に役所から排除、追い出されてしまった。

彼女は、ロンドンの低所得者向けの住宅に住んでいたが、役所の命令で300マイルも離れたニューカッスルの公営アパートに強制移住させられたばかりだった。慣れない土地で係官との約束時間に遅れただけで、話を聞いてもらおうとしたケイテイに対して面接官は警備員を呼んで建物から追い出した。ケイテイの落胆と怒りに、ダニエルは心から同情する。他人ごとではない。公営アパートは古く不備なままで、あちこち修繕しなければ住めない状態だった。電気代を払えないケイテイに、ダニエルは自分が軍隊に居たときに得た知識でロウソクで部屋を暖める方法を教え、壊れた水洗便所を修理し、子供たちのために木工オブジェを作ってやったり、力になってやる。ケイテイは掃除夫として雇ってもらうために職探しに奔走し、ダニエルもまた失業年金を得るためには仕事を探しているという証明が必要なため、職探しに足を棒にしていた。そんなときに、やっと役所から届いたメッセージは、「申請却下」の知らせだった。就職するための努力をしていないから失業手当が出ない。心臓病で働けないのに仕事を探している証明が必要だという矛盾に、ダニエルは怒りで一杯だ。

ダニエルは食べて行くために家財道具や家具の一切を売り払った。そんな折、ケイテイはスーパーで万引きをして注意勧告を受けた後、親切(?)な警備員からエスコート職を勧められ遂に売春宿で働く。それだけはやめてくれとダニエルは懇願するが、政府から援助を受けられないでいる二人にとって現状を打開する方法はない。
ダニエルは役所の壁に「私、ダニエルブレイクが飢え死にする前に不服申し立てを受け入れろ」とスプレーで書いて、警察に逮捕される。釈放後すっかり落ち込んでいるダニエルの、申し立て審査の日、ケイテイはダニエルに同行する。ダニエルは審査官の前でアピールする原稿を準備していた。しかしその直前に役所の洗面所でダニエルは、力尽き心臓発作を起こして倒れ、死ぬ。役所が準備した公営葬儀場で葬儀が行われ、ケイテイはダニエルが準備していた供述書を読み上げる。「わたしは今まで真面目に働き、一日として遅れることなく税金を払い、社会の一員として、市民として誇りをもって生きて来た。しかし政府は私を犬のように扱った。私は人間なのだ。」 それは人としての尊厳を踏みにじった政府と福祉関係者に対する強烈な抗議だった。
というお話。

映画の中でケイテイが子供に食べさせるために自分は極度の飢餓を我慢してきたため、フードサービスで缶詰めをもらった時、思わずその場で缶を開けて手掴みで中の豆を食べてしまい、職員に責められ泣き崩れるシーンがある。すかさずダニエルが、「大丈夫、君が悪いんじゃない。気にするな。」と言い聞かせる。哀しいシーンだ。
売春宿に入って来たダニエルが、ケイテイに大泣きしながら「こんなこと止めてくれ、止めてくれ。」と叫ぶシーンも悲しい。
ケン ローチの作品にはいつも体に障害を持った人々が出てくる。盲目のサッカーチームが、目を塞いだ健常者チームとゲームに興じる。ダニエルのアパートの隣の住人が盲目で、彼と一同居しているのはアフリカ系イギリス人だ。ケイテイの5歳くらいの息子も自閉症と思われる。一部の富裕層ではない、普通の市井の人々は、障害者とともに生きている。ケン ローチの「普通の人々」への温かい眼差しにはいつも好感を覚える。

それにしても福祉制度に携わる職員の横暴さはどうだ。政府の援助を必要としている人々のプライバシーを平気で晒しものにして、審査と称して自分が神にでもなったように、あなたには手当を出しましょう、あなたのは却下です、と自分たちの物差しで配分する。

オーストラリアも同じだ。福祉国家オーストラリア。鉱物資源に恵まれ農業、牧畜産業も盛んで輸出大国のラッキーカントリー。ネットでサーチしてみると良い事ばかり。高校まで教育は無料。大学も申請しさえすれば、誰でも政府から返却型の奨学金が得られて進学することができる。医療費も100%国民保健が適用され、70になれば国民老齢年金が出る。働いている間は給料の9.5%は雇用者が年金として積み立てててくれているので、退職後それを受け取ることができる。老人ホームは公営、私立、教会系と沢山あって、年金受給者は動けなくなれば一定の収入のある人以外は自己負担なしで面倒を見てくれる。何て素晴らしい国だ。

恐ろしいことは、こういった素晴らしいシステムが、果たして自分に当てはまるのかどうか自分がその年齢、そういった状況に陥るまでまったくわからないことだ。こういった福祉制度は手続きが煩雑で、官僚的で不親切で、非人間的。コンピューターの達人でも簡単には申請できないようになっている。
私は、年を取り腎臓透析が必要な身体障碍者になったオットを抱えて、彼の老齢年金を申請するのに役所に提出しなければならなかった書類の数々を積み重ねたら電話帳2冊分の厚さになる。オージ生まれ育ちのオットは80歳を超えるまで、毎日真面目に働き63年間に渡って税金を払い続け、健康保険を支払い、政府からは年金など一切の手当を受けたことがなかった。年を取り病気になっていよいよ働けなくなって、年金を申請するのには、夫婦一世帯が審査の対象になるため、必要書類と言われて出したものは膨大な量だった。

私とオットの出生証明、学歴、職歴証明、オーストラリアに上陸した正確な日時とその証明書、住居歴と現住所、婚姻証明書、収入、税金支払い証明、所得税報告書、銀行口座番号、残高証明、収入支出データ、給料以外の収入報告、金、宝石などの所有物の報告、所有する車名、走行距離、財産報告、病歴、投薬歴、専門医の診断書、罹った医療費の合計、二人以上の老人専門医によるアセスメント、オットが所有していたペーパーカンパニーの過去5年間の収支決算、会社の税申告、去年私が購入したアパートの契約書、資金調達報告、財産目録。などなど思い出せるだけでもこれだけの書類を提出させられた。

もともとオーストラリアは、税務署と銀行や証券会社と連絡を取り合っているので、隠し銀行口座を持つことも、お金を隠して持つこともできないシステムになっている。役所にこれだけの書類を出して、足の裏からヘソのなかのゴマの数まで調べられ、もう1セントもかくしてませーん、これが私達のすべてです、と「お上」に見せないと年金受給審査をしてもらえない。個人のプライバシーとか尊厳とか言っていたら相手にしてもらいない。私はオットの老齢年金が出るまでに2年半の時を要した。その間オットは病状が不安定で何度も入院と退院を繰り返し、無収入で24時間介護を必要とした。投薬だけで、月に600ドル。病気で働けなくなった80歳の身体障碍者に老齢年金という出て当たり前の年金が、申請しても却下され、また申請しても却下される。私が居なかったらオットはとうにホームレスになって飢え死にしていた。経済的にも物理的にもオットの介護と役所との交渉に身を減らして、悪夢のような2年半だった。フルタイムで働く自分の仕事をもって、障害者を介護して食べさせ、一日おきに腎臓透析に連れて行くだけで、体力の限界なのに役所の年金申請審査を待たされていることのプレッシャーで潰れそうだった。

何が辛いかというと、年金申請審査官の顔が見えないことだ。相手は姿を現さない。名前のない、顔を見せない審査官という目の前に立ちふさがる大きな壁は、傷ついた年寄りを見る目も聴く耳を持たない。いつまで待たされるのかわからない。誰が審査して、それがどこまで進んでいるのか、ただ膨大な書類の束が埃を被っているだけなのか、何もわからない。そんな暗礁に乗り上げて、将来への不安と怒りと哀しみの2年半で文字通りぼろぼろになった。

ひとりで戦ったダニエル ブレイクは、やっと障害年金が出る直前に、力尽きて心臓発作を起こして死んだ。ダニエル ブレイクの怒りは私の怒りだ。資本主義社会では、福祉制度そのものが機能しない。飾りなのだ。真面目に体が動けなくなるまで働いて、税金を払い続けている労働者の蓄積を、ほんの一部の富裕層がかっさらっていく。
これほど貧富の差が広がった爛熟期にある資本主義社会で、福祉とは欺瞞以外の何物でもない。それがよくわかる映画。見る価値がある。

2017年10月14日土曜日

映画:ジャコメテイの「ファイナルポートレイト」


初めて入った美術館で、遠目に見ても誰の作品かわかる展示物があると一挙に、その美術館が親しみを覚える。ニューサウスウェルス州立美術館には、入ってすぐ正面の展示室の真ん中にアルベルト ジャコメテイの女の立像がある。「ヴェニスの女Ⅶ」。初めて見る作品でも独特の、細長く引き伸ばされた人物像でジャコメテイの作品であることがわかる。背が高い。沈痛な顔、にも拘わらずどこかユーモラスな存在感。その横にはジャコメテイが残した3枚のデッサン画もある。

同じ展示室にフランシス ベーコンの絵、そのとなりの部屋に移るとピカソの大作「ロッキングチェアの裸婦」がある。以前はこれが地下の現代美術の展示室にあった。だから以前はピカソに会うためには、レンブラントや、オージーが大好きなターナーや、セザンヌやローレックを観て、それからたくさんの作品を通って、いい加減足が痛くなった頃にやっと地下にたどり着いてピカソに会えるという順路になっていた。ところが嬉しいことに、どうしてか知らないが最近ピカソの作品が全部出入り口の近くに展示室に移された。入口から入って、ジャコメテイの彫刻を通り過ぎて、ゴッホの「自画像」に挨拶して、隣の部屋でピカソのロッキングチェアの女が見られる。これだけ見ればもう用事が済んだようなものなので、サッサと帰ってくることもある。知っている人の、好きな絵じゃないと余り観たくない素人にとって、ここはとても足を運びやすい美術館になった。

そんなアルベルト ジャコメテイを描いた新作映画が公開された。ニューヨーク生まれのイタリア人、スタンレー トゥチ監督はジャコメテイが好きで、画家と親しかった作家ジェームス ロードが書いた「ジャコメテイの肖像」という本を読んで、いつか映画化すると心に決めて自分で脚本を書いて大切に20年も温めていたそうだ。ジャコメテイの作品が好きで好きで仕方のない監督が、彼のことを書いた本を愛読書にしていて、ジャコメテイにそっくりな役者をみつけて映画化したわけだ。
監督スタンレー トゥチは役者もしていて、大好きな役者さん。数えきれないほどの映画に出ている。「ベートーベン」1992年、「キス イン デス」1992年、「ペリカン文書」1993年、「真夏の夜の夢」パック役1999年、「ターミナル」2004年、「ラブリーボーンズ」2009年、「プラダを着た悪魔」2006年、「ハンガーゲーム」2013年、「スポットライト」2015年、「トランスフォーマーズ最後の騎士」2016年、「美女と野獣」2017年などなど私が観ただけでもこんなに沢山。いつもわき役としてとても良い味をだしていて、この人が画面に出てくると、馬鹿っぽいハリウッド映画が一挙に知的になるから不思議だ。

映画「ファイナルポートレート」は英米合作映画。今年のベルリン国際映画祭で初めて上映された。
監督:スタンレー トゥッチ
キャスト
ジェフリー ラッシュ:アルベルト ジャコメテイ
アーミー ハーマー :ジェームス ロード
トニー シャルブ  :アルベルトの弟
シルビー テステユー:妻 アネット
クレマンス ポエジー:愛人カトリーヌ

ストーリーは
1964年 作家で美術愛好家のアメリカ人、ジェームス ロードは訪れたジャコメテイの作品展示会で本人に会って友人となり、親しい交流をするようになった。ジェームスの肖像画を描きたいというジャコメテイの申し出に、ジェームスは願ってもないことと、喜んでアメリカからパリに飛んでくる。しかし実際、モデルになってみると画家は気分屋でわがまま。妻と愛人がいつも自由に出入りするアトリエは混沌としていて、やっと描きはじめても中断を繰り返してばかり、、、肖像も描いては灰色の筆で塗りつぶし、また描いては塗りつぶすばかりで、いつになっても先に進めない。2,3日で終わってアメリカに帰るつもりでいたジェームスは幾度も幾度も帰国の飛行機をキャンセルしなければならなかった。

金銭感覚のない画家は愛人に絵のモデルをさせ、車を買い与えたり贅沢をさせているが、愛人を維持するために、ヤクザに莫大な金を支払い続けている。このために妻の怒りも悲しみも大変なものだった。しかしジャコメテイにとっては、妻も居てくれなければ1日として生きていられない大切な同志。そんなジャコメテイの苦悩も喜びも知って、弟デイエゴはジャコメテイを後ろから、しっかり支えているのだった。
画家仲間と議論をして、かんしゃくを起こし帰るなり今までの作品に火をつけて燃やしてしまったり、芸術家の理解者だったジェームスもジャコメテイの感情の起伏にはついていけない。一向に肖像画が完成しない日々、パリ滞在が3週間に至る所で、ジェームスはジャコメテイにストップをかける。描いては塗りつぶすことを繰り返してきた肖像画を未完成のままいったん引き取り、アメリカでの展示を済ませた後また描きなおす、という約束でジェームスは肖像画を持って帰国する。しかしそのあとジャコメテイは亡くなり、肖像画は完成をみることはなかった。
このあとジェームスは心からの尊敬と愛情をこめてジャコメテイの回想録を書き出版する。
というお話。

スイスのイタリア国境に近いボルコツーヴォで生まれたジャコメテイの顔は、スイスフランの紙幣に印刷されている。紙幣の裏は彼の作品「歩く男」だ。ジャコメテイはジュネーブ美術学校で絵画を学び、後にパリでロダンの弟子だったアントワーヌ ブールデルに彫刻を学んだ。彼の彫刻は写実ではなく、キュービズム、シュールリアリズムなどの影響を受けている。パリでピカソ、エンルスト、ミロやジャン ポール サルトルやポール エリュアール、矢内原伊作などと親しく交流した。サルトルはジャコメテイの彫刻した人物像は現代に観る人間の実存を表していると言って高く評価した。

このジャコメテイの顔が映画を主演したジェフリー ラッシュにそっくりだ。縮毛からワシ鼻までそっくり。ジェフリー ラッシュはオーストラリアが誇る役者だ。クイーンズランド生まれ、66歳。クイーンズランドで演劇を学び、パリのレコールインターナショナル デ シアターで2年間学んだあと、メル ギブソンを同居して二人してパントマイムとシェイクスピア芝居にうち込んだ。30歳を過ぎて初めてフイルム界に入り、1996年「シャイン」で実在の自閉症で天才ピアニスト、デヴィッド ヘルフゴットの半生を演じてアカデミー賞主演賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などその年の賞という賞すべてを獲得、一つの映画作品でこれだけの沢山の賞を獲得した作品は前後に無く、未だに記録が破られていないそうだ。本当に心にいつまでも残る名作だった。
彼は1998年に「シェイクスピア イン ラブ」で再びアカデミー賞を獲得、「ハウス オン ホーンデッドヒル」1999年、「パイレーツ オブ カリビアン」3作2001年-2003年でキャプテン バルボッサを演じ、「キングス スピーチ」2010年、「やさしい本泥棒」2013年などで主演している。オーストラリアの演劇文化を代表する名役者。

一方のジャコメテイに肖像画を描かれる側のジェームスを演じたアーミー ハーマーはロスアンデルス生まれの31歳。「ソーシャルネットワーク」2010年で、フェイスブックの創始者マーク ザッカ―バーグの友人、ケンブリッジ大学で一緒だったウィンクルボス双子兄弟を好演して注目を浴びた役者。「ローンレンジャー」2013年でジョニー デップの相手役を演じ、クリント イーストウッド監督の「Jエドガー」2011年で、エドガー フーバーCIA局長の相手役を演じた。フーバー扮するデ カプリオの同性愛相手役という難しい役を好演したときは、まだこの役者さん、たった24歳だったことを思うと、でかいのは2メートルの図体だけではない。才能に満ちている。大男だが鼻筋の通った完璧型の美しい顔をしている。

映画の中でジャコメテイに連れられてカフェに入ったジェームスが、ワインとコーヒーを水の様にがぶ飲みするジャコメテイを前に、ウェイターに問われてフランス語でコカ・コーラを注文するシーンが笑えた。やっぱりアメリカ人はどこでもアメリカ人なのか。
パリのアトリエで気難しいスイス人画家がアメリカ人をキャンバスに描いている間、妻と愛人が、いかにもパリジェンヌらしい自由奔放な蝶々のようにヒラヒラ舞って男達を翻弄する姿が面白い。パリです。パリ。

この映画はジェフリー ラッシュとアーミー ハーマーの二人芝居と言って良い。名人芸の粋に達しているジャコメテイ役のジェフリーに振り回される芸術愛好家で人の良い青年作家の話。ジャコメテイが好きで好きで仕方がない映画監督が、ジャコメテイにそっくりな役者を連れて来て、ジャコメテイが当時使っていたアトリエをそっくりに再現して映画を作った。ジャコメテイが大好きな人にとっては、見ていて感動すること間違いなしだ。そうでない人でもアーミー ハーマーの美青年ぶりに心を躍らせるかもしれない。
しかし画家に興味に無い人にとっては、この映画はたいくつでたいくつで耐え難い。うますぎる演技は時として鼻につく。

藤田嗣二の半生を描いた映画「FOUJITA」では、はじめに絵筆を持ったフジタが女性モデルを前にして白いキャンバスに1本の線を入れるシーンから映画が始まる。それを役者ではなく、手はプロの画家、長友薫堂が描いている。この画家がこのシーンのために自分の絵を描くよりもずっと1本のフジタの線を描くことが難しかった、と回想している。

このジャコメテイの映画では、ずっと大きな100号の油絵の白いキャンバスに、本当に本当のジェフリー ラッシュが肖像を描き始めるための筆を入れる。描き直しのきかない大事なシーン。最初に1本の線を入れるとき、息が止まって、時も止まってしまったかと思った。緊張の一瞬。それでもジェフリー ラッシュは一気に描き始めた。度胸が据わっている。ジェフリー ラッシュという役者、一筋縄ではいかない。さすがだ。

2017年9月26日火曜日

映画「ヴィクトリアとアブドー」

19世紀、七つの海を我が物ととした大植民所有時代の大英帝国。
その象徴とも言われるヴィクトリア女王は、64年間という歴代イギリス国王の中でエリザベス2世に次ぐ長期に渡って治世を行った。この時代は特別に「ヴィクトリア朝」呼ばれ、英国帝国主義が最も華々しい勢力と栄光を世界に見せつけた時期に重なる。実に、ヴィクトリア朝の64年間で、英国は領土を10倍に拡大、地球上の全陸土面積の4分の1、世界人口の4分の1を支配する史上最大の帝国を誇った。

19世紀半ばの英国王は巨大な国王大権を有しており、首相を含めた大臣の任命と罷免、議会の招集と解散、国教会の聖職者と判事の任命と罷免、宣戦布告まで国王の大権だった。ヴィクトリアは若干18歳で、英国王を継承する。
彼女に言わせると、「帝国主義とは平和を維持し現地民を教化し飢餓から救い、世界各地の臣民を忠誠心もって結びつけ、世界から尊敬されること。」で、「領土の拡大は英国の諸制度を健全な影響を、必要とあれば武力をもって世界に広げるもの。」であった。彼女は9人の子供を産み、女子それぞれを各国の国王に嫁がせてヨーロッパ中に自分の影響力を広げることも忘れなかった。

現在でも、英国女王はオーストラリアの国家元首でもある。シドニー市の中心、市庁舎横のクイーンヴィクトリアビルの入り口に何トンもの重さの、どでかい彼女の像がそびえ立っている。
数年前、国民投票で、英国から離反して独自の大統領をもった政権に変革するかどうかを問われて、あっさりと女王維持を決めたオージーの国だ。ヴィクトリア女王って、どんな人、と問うと、年齢に関係なく誰でも、嬉しそうに2つのエピソードを話してくれる。
一つ目は、ヴィクトリアが狙撃された時、夫のアルバートが身をもって女王を庇い、自分は深い傷を負って死線を彷徨った出来事。二つ目は、22年間の幸せな結婚生活の後アルバートが亡くなると、ヴィクトリア女王は愛する夫のために自分が死ぬまで黒い喪服を通したことだ。二つとも美談として語り継がれている。

この映画「ヴィクトリアとアブドー」は、女王の晩年の恋物語。アブドーについて英国皇室は長年秘密にしてきたが、後に事実が明らかにされた。

タイトル:「VICTORIA AND ABDUL」
74回ヴェニス映画祭で初上映された。英米合作映画。BBCフイルム
監督: ステファン フレアーズ
キャスト
ジュデイ デインチ:ヴィクトリア女王            
アリ ファイサル: アブドー カリ―ム
エデイ イザード :エドワード皇太子
テイム ピゴット スミス: サー ポンソンビ
サイモン カロウ ;プッチーニ
オリビア ウィリアムズ:ジェーンスペンサーチャーチル

ストーリーは
1887年。 アブドー カリ―ムは、インド、タジマハールのあるアクラの街で生まれて育った。英国進駐軍で働いているが、父親は刑務所の囚人だ。ある日、長身で美男であることを見込まれて、女王の50年周年祝祭典を準備中の英国から、栄誉のコインを受け取る役を仰せつかって、渡英することになった。さんざん女王からコインを受け取る時に女王の顔を見てはならない、下がる時には背中を見せずに後ずさってくるように、と言われていたに関わらず、アブドーは生まれて初めて公式な食事の席で女王を見て、その威厳に思わずひざまずいて女王の靴にキスをする。そのことで、アブドーは強く叱責されるが、当の女王はアブドーが気に入ってしまった。
翌日、女王に呼ばれたアブドーは、女王に聞かれるまま自分の故郷の絨毯造りの話や、タジマハールについての話を聞かせる。すっかりアブドの話に興味をひかれた女王は、アブドーからウルドウー語を習い始める。

この日からアブドーは、女王の「エキゾチック ペット」となった。言葉を変えると、68歳の女王は29歳の植民地からきた青年に恋をしたのだ。首相をはじめ、国王の執事、秘書たちの猛反対を退けて、ヴィクトリアはアブドーに次々と美しい民族服をあつらえさせ、サーの称号を与え、自分の散歩のときも、公式の行事にも彼を傍に置いた。やがて、独身と思い込んでいた女王はアブドに妻と息子が居たことに衝撃をうけるが、家族を招いて宮廷に住まわせる。女王は、ウルドウー語を上達し簡単なスピーチをしたり、日記をウルドウーで書いたり出来るようになった。

一方、キッチンウェイターとして雇う予定だったインド人が、サーの称号を与えられ女王の側近になっている異常事態を何とか平常に戻したい閣僚たちは、アブドーが貧しい家の出身で、父親が囚人であることを報告したり、アブドーが梅毒を患っているに違いないと忠告したりするが女王に一笑に付される。
しかし女王もいつまでも元気では居られない。1901年女王は病に倒れる。最後に彼女は人払いをして、14年間寵愛したアブドーに別れを告げる。
アブドは女王を失って哀しみに沈む間もなく、女王の息子ヘンリー次期国王の命令で、アブドーの住居に押し寄せた警護官によって女王がアブドーに与えた手紙やご褒美の品々を、すべて跡形もなく焼却された。アブドー家族はイギリスを追われ、アグラの街に戻った。ほどなくしてアブドは46歳で亡くなる。
というお話。

この映画の魅力は、82歳で女王を演じた女優ジュデイ デインチにある。立派な役者だ。両目の黄変部変性で、ほとんど失明状態。台本が読めないので人に読んでもらって記憶し、人に手を取られ位置感覚を覚えてから、役柄を演じている。役者根性の塊のような女優。彼女の演じる女王がとても可愛らしい。背の高いハンサムな青年に手をとられ散歩する姿は、恋に浮き足たった少女のようだ。閣僚たちに見せる威厳ある女王の顔が、アブドーと二人きりになると、あどけない娘の’顔になる。

女王と貴族たちとの食事風景がたくさん出てくるが、彼女の食べ方が漫画のよう。可愛くて面白い。女王は旺盛な生命力を見せるかのように、品もなくむしゃむしゃ食べる。女王がズーズーとスープをすすり終わるやいなや、参列していた沢山のお客たちが気取ってスープに口を付けようとした瞬間にボーイ達がスープ皿を片付けてしまう。貴族たちは女王が次の皿に手を付けるまでは、自分達は手を付けられないし、女王が食べ終わったら、自分たちの皿も下げられてしまう。貴族同士で優雅な会話をするどころか、女王のむしゃむしゃペースで食べなければならないのだ。ジュデイ デインチの豪快な食べ方といったら、、。映画では女王の人間らしさをこんなところで表現したかったのだろう。

アブドーを演じたアリ ファサルも魅力的だ。インド人独特の超、聞き取りにくい英語で語る好青年。目の前で14年にわたる女王に寵愛された証拠の品々をことごとく燃やされて涙にくれる姿が印象的だ。彼は始めて女王に会った時に、思わずひれ伏して女王の靴にキスをした。そして映画の最後、タジマハールを背景に建つ女王の像に歩み寄り、足元にキスするシーンで映画が終わる。美しい終わり方だ。

この映画の前に「女王の最後の愛人」というBBCのドキュメンタリーフイルムを見ていたので、ヴィクトリアとアブドーのことは知っていた。英国皇室がいくら証拠を隠滅しても、事実は永遠には隠せない。女王は愛する夫アルバートとの間に9人の子供を持ち、愛に満ちた結婚生活を送ったが、夫の死後1年もするとアルバートの馬係りだったジョン ブラウンを恋人に持ち、彼の死後は、大蔵大臣のベンジャミン デイズレーを愛し二人三脚で政権を維持した。ベンジャミンが亡くなって悲嘆にくれていたときに、アブドーが現れたわけだ。恋する男達に次々と死なれて、自分は82歳まで生きた。

映画の中でヴィクトリアがアブドーを連れてイタリアを旅行する。フロレンスでプッチーニ本人が作曲したオペラ「マノンレスコー」を、女王の前で歌う。テナーだが、お世辞にも良い声と言えない。でもヴィクトリアも、アブドーも夢中になって、ブラボーブラボーを叫ぶ。何て優雅な女性の唄なの?というようなことをヴィクトリアが言うと、プッチーニが申し訳なさそうに、「マノンは娼婦なんです。」と言う。えーがっかり、、でも気を取り直してヴィクトリアがまた、でも二人は結ばれて幸せになるのね?と言うと、またまたプッチーニが、「いやマノンは砂漠で行き倒れて死ぬんです。」と言う。そんなやりとりのときのジュデイ とアブドの驚いて口を開けたままの顔がおかしくて、笑える。楽しい映画だ。

英国紳士たち。閣僚たちの貴族趣味、服装、立ち振る舞いも美しい。
しかし、この映画はジュデイ デインチの天才的な演技力なしに語れない。歴史的に大きな役割を果たしたヴィクトリア女王に、あたたかい人間の命を吹き込んでみせた役者の力量にただただ感動する。

興味深かったのは、この映画を当の英国人がどんな評価をしているかだ。映画評やツイッターを見てみた。賛否両論というか、批判派が多いことに驚いた。批判派いわく
英国帝国主義が1876年から1900年までに20ミリオンのインド人を殺しまくったし、インド植民地化によってインドのGDPは23%から4%の貧国に貶めた。英国による人種差別と奴隷化は、国家犯罪であり、そういった英国の歴史的犯罪を映画化したこの映画は、白人のノスタルジー、むかしは良かった式の日和見主義だ。という意見。
これに対して反論は、昔は昔、自虐史観は自己憐憫に過ぎない。むかしの帝国覇権主義が間違っていたからって、今を生きる自分が攻められるなんてフェアじゃない。というような意見。

おもしろかったのは、「英国がインドを植民地化したのは間違いで、責任を持てというのなら、すべてのイタリア人がローマ帝国が侵略した国々に謝罪して責任もたなくちゃならないのかよ?」というツイッター。また、「英国はアルジェリアを植民しなくて運が良かったよ。」とツイッターするフランス人にも笑わせられた。

どの国に自分が属しているかに関係なく、過去の歴史をよく知り、正しく評価して、未来につなげるのが、今を生きる私たちの使命だ。帝国主義がその時代の必然だったにせよ、覇権主義は誤りであって同じことが起こらないように努めなければならない。
過去を礼賛して、帝国主義によるジェノサイトを美化したり隠したり、無かったと偽ったりして過去を美化してノスタルジーに陥るかどうかは、その映画を観る人による。女王を悪者と観るか善人とみるかに関わらず、映画は人を血の通った人として見るための切っ掛けになる。繰り返すがヴィクトリアに人間としてのあたたかい命を吹き込んだ役者の力量に心から感動した。



2017年8月29日火曜日

映画「タクシー運転手」とTK生からの通信


                          


岩波書店が出版発行している「世界」は、私が生まれる前から続いている優れた月刊誌だ。これを親しくしている山田修氏が毎月郵送してくださっている。親兄弟もしてくれなかったことを、いつもして頂いて親族以上の親近感をもってお付き合いして頂いてきた。有難いことだ。

「世界」創刊号は昭和21年(1946年)1月。美濃部達吉が「民主主義とわが議会制度」、大内兵衛が「直面するインフレーション」、和辻哲郎が「封建思想と神道の教義」、東畑精一「日本農政の岐路」、横山喜三郎が「国際民主生活の原理」という戦後日本の舵取りとなる そうそうたるメンバーが論説を書いている。連載小説は志賀直哉と、里見弴だ。1946年1月、新たな時代を迎えた岩波書店の、戦後民主主義社会に向けた意気込みが伺える。

この雑誌をわたしが真面目に読み始めたのは、1970年代ベトナム戦争が終結に向かう頃からで、契機は「韓国からの通信」-TK生の記事からだ。当時の学生らはみな読んでいたと思う。TK生は 独裁者朴大統領の維新体制から、朴の暗殺、それに続く新たな戒厳令下での、厳しい韓国の民主化運動の様子を、その月ごとに報告していた。いかに戒厳令下で出版や言論が圧殺され、活動家たちが虫のように殺され、人権が封殺されているのか、そこに居なければわからない人の血の滲む筆跡で記されていた。何時この筆者が逮捕、拷問の末に処分されるか、身の細る思いで毎月雑誌を手にして、祈るような思いで「ああ、TK生は無事だった。」と胸を撫で下す。弾圧の様子を読みながら、TK生の無事をいつも祈っていた。彼の書く文章は淡々としていて決して感情に流されない。冷静さと底に秘めた強さを持っていて、いつも圧倒された。

隣の国のことは、まさに自分達のことでもあった。当時親しかった友人たちは、ほぼ例外なく獄中にいた。権力による弾圧は隣の国の物語ではなかった。裁判なしの長期拘留で小菅の東京拘置所は不法逮捕された学生で一杯だった。
後にTK生は1924年生まれ、クリスチャンの政治学者、ジ ミョン クワン(池明観)教授だったとわかった。彼が「世界」編集長の安江良助の協力を得て書いたものだという。彼の書いた通信が、当時の民主化を求める人々に与えた勇気と感動の大きさはどんなに表現してもし尽せない。
1980年5月広州で大変なことが起こっている、軍に包囲された市民が無差別に一斉射撃で殺されている、そんな巨大な暗雲が立ち込めるような情報が広がっていき嘘であって欲しいと、すがる思いでTK生の通信を待った時のことが昨日のように思い出される。

1979年12月、クーデターで軍の実権を握った全斗換は、翌年全国を戒厳令下に置き執権の可能性のある金泳三と金大中を逮捕、監禁した。(金大中に死刑判決が下りたのが、1980年9月。)金大中は全羅南道出身で、全羅南道の道庁が広州だった。広州の人々の怒りは大きく、反軍民主化運動のデモが学生、知識人のみでなく10万人の市民が立ち上がり、軍部に反旗を翻した。
1980年5月20日。広州市の全南大学と朝鮮大学を封鎖した陸軍空挺部隊は、抗議に集まった人々と衝突。市民は郷土予備隊から奪った武器や角材、火炎瓶などで対抗した。翌21日には戒厳令軍が広州市を包囲、外部の鉄道、道路、通信回線を遮断した。そのため 広州市で何が起きているのか、全国の人々は知ることができなかった。
一方、軍による市民への無差別一斉射撃に怒り、立ち上がった怒れる市民の数は、日に日に膨れ上がり、金大中の釈放、戒厳令撤廃を要求した。5月26日には、陸軍部隊が戦車で市内を制圧。市民に対して無差別の逮捕、拘留 暴力がふるわれ軍の一斉射撃により多数の死傷者を出した。実際に亡くなった市民の数はわかっていない。公式発表では、死者行方不明者は、649人、負傷者5019人。戒厳司令部発表によると死亡者は170人、負傷者380人と食い違っている。
まことしやかに政府は広州暴動は北朝鮮によって工作され、金大中が内乱を起こした、と宣伝したが一笑に付された。いまは広州事件ではなく「5.18民主化運動」と規定されている。

唯一外国人による報道では、ドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員だったドイツ人ユルゲンヒンツ ピーター記者が、広州に潜入して軍による民主化を求める市民虐殺の現場を撮影するのに成功した。彼は韓国から日本に帰ってから、事実を世界に向けて発信した。
映画「タクシー運転手」は、このドイツ人記者の話だ。

原題:「A TAXI DRIVER」
監督: JANG HOON
キャスト SONG KANG -HO ドライバー
     THOMASKRETSHMANN ドイツ公共放送特派員ピーター
     YOO HAE-JIN    広州のタクシードライバー
     RYUJUN-YEOL      広州の大学生

ストーリーは
タクシー運転手、ソン カンホーは妻に先立たれ、11歳の娘と二人で暮らしている。妻の病気を治療するために蓄えをすべて使い果たしてしまい、今は日々の暮らしに汲々としている。個人タクシーで使っている車も、もう60万キロ走っていて、かなりガタがきている。娘の履き古した運動靴も、小さくなって履けなくなっているが、新しい靴を買ってやることもできない。

1980年5月20日早朝、彼は金浦空港で外人客を拾う。東京から来たドイツ人記者ピーターだ。彼は東京で、ソウルから到着したばかりの記者仲間が、反政府民主化運動が高まりを見せている、広州でひどいことが起こっているようだ、というのを聞いて、飛んできたのだった。
ソン カンホーはピーターを乗せて広州に向かう。
政治に関心の全くないソンは、昔、彼が兵役についていた時、軍人はみな規律正しい良い人達ばかりだった、と言い、反軍反政府の民主化運動を標ぼうするのはコミュニストだけだと確信している。ピーターはのんきで人の良い運転手との会話にイラつきながら乗車している。広州に向かう主要道路はみな封鎖されていた。それでは仕方がないから、とソウルに帰ろうとするソンに向かって、ピーターは「ノー広州、ノーペイ」と言い、広州に連れて行かないと代金は払わないと言い張る。慌てたのはソンだ。どうしても代金をもらわないと困るソンは、農家から聞き出した山道の迂回路を通って広州に入る。

街は騒然としていた。軍は市民に家に留まるよう、ビラをヘリコプターで撒いている。しかし人々は街に出て集会に参加していた。街のどこにも反軍反政府のプラカードが立っている。病院は軍との衝突で怪我をした人々で溢れかえっている。ピーターはヴィデオを回す。運転手ソンは、こんなに危険な所には居られないと、ピーターを置いてソウルに帰ろうとするが、怪我をした老婆に呼び止められ、彼女を病院に運んたところで人々の惨状を目にする。夜になって軍の攻撃も激しくなった。ピーターが撮影しているところを、戒厳軍にキャッチされた。ピーターとソンは、軍人に追われる中、学生のひとりリュ― ジーヨルの手引きで逃げ切ることができた。一刻も早く撮影したヴィデオをもってソウルに帰りたい。しかしタクシーはエンコして動かない。学生の兄、広州のタクシー運転手のヨー ハエジンの家の泊めてもらい、車の修理をしなければならない。

翌日から軍とデモ隊との対立は激しさを増す。街は陸軍が戦車で街を走り回る戦場だった。運転手ソンは車の修理を終えると、ピーターを置いて一人でソウルに向かう。11歳の娘が心配で仕方がないのだ。広州を脱出し、近くの街で娘のために靴を買う。昼食を食べるうち、街の人々のうわさ話が耳に入る。広州では学生たちが戦車に包囲されて殺されているらしい。しかし人々は、かつてのソンのように、「それはコミュニストが殺されただけだろう」、と人々は取り合わない。「そうではない。」年を取った老婆が、女子学生が、市民が無差別に射撃されているのに。
ソンは広州からひとり逃げようとしている自分を恥じ、ピーターのところに戻る。ピーターは、自分を追手から逃がしてくれた学生リュ― ジーヨルが捕えられ拷問の末、殺された遺体の横に居た。ピーターは死体で溢れる病院を撮影し、治安軍に追われ何度も危険な目に会いながら撮影を続けたすえ、ソンのタクシーでソウルに戻る。無事ピーターを金浦空港に送り東京行きの飛行機を見送った後、ソンは家に戻る。11歳の娘が待っている。
というお話。

深刻な歴史を扱っているが、笑いもあり、涙もあるヒューマンドラマに仕上がっている。
運転手役を演じた、SONG KANG-HOの演技力が冴えている。彼は妻を亡くしたシングルファーザーだが、飲んべいで人が良く、あまり物事を深く考えないごくごく普通の市井の人だ。だからこそ彼が、軍の横暴を目撃して、民主化運動は軍がいう北朝鮮コミュニストのスパイによって起こされたようなものではなくて、「人が人であるために当たり前のことを要求しているに過ぎない、」ということが分かった。思い込みが間違っていたら、人は考えを改める。人は変わることができる。

悲惨な、昔あったことを忘れないために私達は、こうした映画を観ることは価値のあることだ。日曜日の午後、歩いて行ける近くの映画館でこれを観た。若いカップルで映画館は一杯だった。多国籍国家オーストラリアで、若い人達がこうした映画を観て、自分たちや自分達の親が生まれ育った様々な国が、それぞれ持っている歴史的なできごとを映画を通して知る。民主化運動とは何だったのか。そして反芻して理解する。それはとても意味のあることだ。

写真は広州事件:5.18民主化運動で亡くなった方々の墓

2017年8月22日火曜日

ACOコンサート「山」







久しぶりにオペラハウスで、ACO(オーストラリアチャンバーオーケストラ)のコンサートを聴いた。
舞台いっぱいに大きなスクリーンが出ていて、そこに山の映像が写され、それに合わせて舞台でオーケストラが演奏する。音楽監督リチャード トゲンテイと映画監督ジェニファー ピードンとのコラボレーション。二人は3年前から音楽と映像とを同時に満足できる作品を作りたいと話し合ってきた。そこからジェニファーが映像を作り始め、フイルムにリチャードが音を作っていく作業が始まり、遂に完成してコンサートが開催された。

タイトル:「山」
監督:ジェニファー ピードン ( Jennifer peedom)   
音楽監督:リチャード トゲンテイ ( Richard Tognetti)
カメラ:レナン オズダーク  ( Renan Oztuk)
脚本:ロバート マクファラン  (Robert Macfarlane)
ナレーター:ウィレン ダフォー  ( Wielem Dafoe)

演奏された曲
リチャード  トゲンテイ作曲:「プレリュード」、「マジェステイー」、「サブライン」、「ゴッズ アンド モンスター」、「フライイング」、「マッドネス ハイツ」、「オン ハイ」、「ファイナル ブリッジ」
エドワルド グリーグ:「Praludium from Holberg 」suite Op40
フレデリック ショパン:「ノクターン D フラットメジャー」Op27
アントニオ ヴィバルデイ:「四季」から冬 第3楽章と、夏 第3楽章
アントニオ ヴィバルデイ:「4つのヴァイオリンとチェロのためのコンチェルト」
              ラルゲットBマイナー RV580
ジョセフ ナイゼッテイ:「GRIEF」
ルドヴィック バンベートーベン:「ピアノコンチェルト第5番」Eフラットメジャ
                Op73「皇帝」

ヴァイオリン10、ビオラ3、チェロ3、コントラバス1、それにピアノ、パーカッション、フレンチホルン、フルート、バスーン、クラリネットが加わっていた。
ACOはいつも 立ったまま演奏する。練習もリハーサルも立ったまま、3時間の舞台演奏も立ったままで全然平気。コンサートでアンコールには答えないで、演奏で全力を出し切った後はサッサと舞台を後にする。コンサートの後、私が帰る時カーパークで彼らが建物から立ち去る後ろ姿を見送ることもたびたび。この爽やかさ、若さいっぱいで、しかし音の妥協は一切しない彼らをこの20年余り見て来た。寄付金も定期的に送ってきた。

国や自治体からは、資金援助をもらわない、この独立したオーケストラには、熱烈なファンが、沢山いてスポンサーをしている。団長のリチャード トゲンテイに、1743年のグルネリのヴァイオリンを寄付したのも、ザトウ バンスカに1728年のストラデイバリウスを貸与したのもオージーの個人の篤志家。第2ヴァイオリンコンサートマスターのヘレナ ラスボーンに1759年のガダニーニを貸与しているのはコモンウェルス銀行。チェロのテイモ ヴィツコに1729年のグルネリを、イケ シーに1790年のヨハネス クーパスのヴァイオリンを、貸与しているのも篤志家。コントラバスのマクシム ビボウは、16世紀のガスパロ ダサオという楽器を、彼のために再生した篤志家によって貸与されている。良い音を作っている芸術家には必ず地元の良いサポーターが付くという証だ。

映像に使われた山々は、ヒマラヤ山脈、ヨーロッパアルプス、日本の山々。衛星から画像を撮影することができるようになり、ドローンを飛ばすこともできるようになり、山々を撮ることで、今まで見ることができなかった山々の細部まで観ることができるようになった。
また地球上の山はすでに、未踏峰の山は無くなって全部登頂を極められてしまったので、今は、それらの山をどう登るか という段階に入った。エベレストを無酸素で登る。重装備なしに登る。ヘリコプターで頂上まで行き、急斜面をスキーやスノーボードで滑走下山する。パラシュートをもって登り、岩から飛び降りて飛んで帰って来る。ウィンドスーツを着て、山のてっ辺から飛び降りてモモンガ―のように手足をひろげて風に乗って帰って来る。すべて命がけだ。
それでも人は挑戦することを止めない。

山は良い。わたしに青春と呼べるような時期があったとしたら、それは間違いなく山だった。ベトナム戦争が終結して、何か物に取り憑かれたように山に登った。山から帰ると地上の汚れに耐え切れず、すぐに山に戻りたくなった。3000メートル級の岩壁を這いずり回っているから直射日光で山焼けして、顔が腫れて埴輪の様な顔になっても、顔の皮が2枚も3枚も剥がれて来ても、全然気にならなかった。穂高、槍ヶ岳、常念岳、蝶が岳、立山、剣岳、白馬3山、八ヶ岳、谷川岳、丹沢の山々。ひとつひとつの山の姿が目に焼ついていて思い出すだけで夢みたいだ。

「私たちが登る山は岩と氷だけでできている訳ではなく、夢と望みで形造られている。私たちは山を登る。それは私たちの心の山を超えるためであるからだ。」と、この作品を脚本したロバート マクファーレンは言っている。

ACOが演奏したのは、団長でこの作品を監督したリチャード トゲンテイが作曲した作品が多かったが、バロックのヴィバルデイ、クラシックのベートーベン、ロマン派のグリーグとショパン。 ヴィバルデイ「四季」の冬と春の第3楽章は、神々しい切り立った岩壁、氷の岩、人を寄せ付けないヒマラヤのフイルムにぴったりマッチした。ショパンの「ノクターン」は雪に覆われたアルプスの山々の乾いた風、山の空気、雪嵐、厳しい雪山に生きる野生動物たちの姿によく似合う。そしてベートーベンの「皇帝」では圧倒的な山々の力強さを表現する映像で完結する。 山と音楽が好きな人には、どんな映像が流れたか想像することができるだろう。

編集時にサウンド デザイナーとしてこの作品をまとめたデヴィッド ホワイトは「ジェニファーのカメラとリチャードのヴァイオリンとで 美しい詩が作られたんだよ。」と言っていた。本当に映像と音楽とで「詩」になっている。

久しぶりオペラハウスで日曜日の午後を過ごした。チケットはすべてソルドアウトで1席の空きもなかったのには驚いた。でも良い日曜日だった。今夜は山の夢を見よう。


2017年8月18日金曜日

映画「軍艦島」

監督:リュ スン ワン(RYOO SEUNGーWAN)          
キャスト
ファン ジョンミン:バンドマスターのイ カン オク
ソ ジ ソブ(SO JI-SUB):ストリートファイター、チェ チルソン
ソン ジュンギ(SONG JOONGーKI):挑戦独立活動家パク ムヨン
リイ ジョン ヒュン(LEE JUNGーHYUN):従軍慰安婦、オー マルニョン
キム スーアン(KIM SU-AN) :バンドマスターの娘、リー ソーヘイ

映画の背景
長崎県、端島は、形が軍艦の様に見えることから俗称「軍艦島」と呼ばれてきた。かつては石炭が採掘され、明治期からの製鉄、製鋼など基幹産業を支えてきた。島は三菱鉱業が所有していたが採掘のために島は拡張されて、当時は珍しい最新式の9階建てのアパートが建てられ、病院、学校、プール、映画館、パチンコ屋まであり、最盛期には5千人を超える炭鉱関係者が住んでいた。1960年代になると、需要が石炭から石油に取って代わられた為、1974年に炭鉱は閉鎖され、現在は無人島になっている。
その島の独特の成り立ちと歴史を評価され、ユネスコから世界遺産に指定された。2009年からツーリストを受け入れ、現在は船で上陸することができるが、崩壊する危険のある住居跡など島の95%は立ち入り禁止となっている。 2013年、007ジェームスボンドシリーズの「スカイ フォール」では、この島を使って映画が撮影された事も記憶に新しい。

当時、石炭の採掘現場は、地下1000メートルの深さにある海底で石炭を砕石するため、95%の湿度、30度の暑さという過酷な環境で採掘しなければならなかった。
1937年に日中戦争が始まると、1938年には国家総動員法、翌年には国民徴用令が施行され、1942年には 朝鮮総督は朝鮮労務教会によって、鉱夫が徴用された。次第に、戦争が長期化すると、日本の労働力不足を補うため、採掘のための労務者募集と言っても、実際には強制連行が行われ、日本警察が朝鮮の一般人を拉致に近い方法で徴用することも多かった。強制連行された韓国人、中国人などの労務者は、貧しい食事や乏しい道具で、地下深い現場で過酷な採掘に従事し、事故も多く、1300人の死者が記録されている。そのためにこの島は「地獄島」とも呼ばれた。

映画のストーリー
1945年2月 日本帝国主義による植民地朝鮮の京城(現在のソウル)。
ホテルのバンドマスター、カン オクは、ジャズバンドを持っていてホテルでショーを興業している。10歳になる娘のソー ヘイは、父親と一緒にタップダンスを踊り歌を歌ってショーの人気者だ。酒とショーを楽しみにやってくる日本兵は上客でもある。ある日、親しくしている日本人の親方から日本に出稼ぎに行ったらどうか、と勧められる。もっと稼げると聞いて、彼は娘を連れて、船で長崎に向かう。同じ船には沢山の出稼ぎのために来日する朝鮮人労務者が乗船していた。

しかし到着したところは軍艦島だった。待ち構える日本兵に囲まれて、数百人の朝鮮人らは裸にされて、時計や金製のアクセサリーなど、すべてを取り上げられて、男女は別々に分けられる。カン オクは、娘を取り上げられるのに抗して、ローレックスの時計を差し出すが無視されて、娘と離れ離れにされてしまった。
女たちは一様に着物を着せられて、慰安婦として島崎隊長ら日本軍将兵の相手を務めることになった。10歳のソーヘイまで化粧を施され、上官の酒の席に差し出される。女たちは言われるまま座敷に出るが、涙が止まらない。そこで島崎隊長は座敷の空気を明るくすべく、レコードをかける。それはソーヘイが父親と歌っているジャズだった。ソーヘイは、わたしは歌手です、歌手なのです、と叫ぶように言って彼女が踊ってみせる。そして慰安婦にされる危機局面を脱したソーヘイは、その後島崎隊長の住む家の女中として働くようになり、時々父親とも会えるようになる。

バンドマスターでショーマンのカン オクは、兵隊たちの前で「同期の桜」や軍歌を次々と演奏して気に入られ、過酷な鉱夫の労働から逃れることができた。以降日本語が流暢な彼は朝鮮人仲間のために、様々な便を図る。
地底深く劣悪な環境で採鉱する現場では事故が多発し、怪我人や病人も沢山出た。海底で突然噴き出るガスや炭塵で失明する鉱夫も出た。何百人もの朝鮮人鉱夫を牛耳っている朝鮮人ボスの非人間的な扱いに怒った、ストリートファイターのチル ソンは、壮絶な喧嘩の末に新しいボスになった。また、鉱夫に中には朝鮮独立活動家のム ヨンが居た。ム ヨンは京城大学学生らと結束して、島から脱出する計画を立てていた。ム ヨンは 日本軍が隠している内部資料を見て、日本兵と朝鮮人労務者との間の橋渡しをしている朝鮮人の組織委員長は、朝鮮人の信頼を得ていたが実は 日本側に身売りしたスパイであることを見抜く。この男は同胞の賃金の上前を撥ね、鉱夫たちに集団脱走を勧めておびき出し、その全員を鉱内の閉じ込めて殺害する計画を立てていた。ム ヨンは事実を鉱夫たちの前で暴く。

軍艦島の上空を、B29が飛んでいく。ム ヨンは日本の敗戦は目に見えていると読んだ。広島に新型爆弾が落とされたらしい。そして、遂に軍艦島もB29によって爆撃された。炭鉱は火の海。混乱に乗じて集団脱走が始まった。
島崎隊長は大火傷を負い、部下の山田副隊長に殺害される。日本兵らは軍の秘密書類を処分する。軍は朝鮮人らを強制労働させていた一切の証拠を焼却しなければならない。集団脱走の混乱のなかで独立闘士ム ヨンは山田副隊長の首をはね、奪った船に鉱夫たちや病人、怪我人や女たちを誘導する。船に乗り込むための鉄橋が破壊されたが、カン オクらの犠牲的な働きで再建され400人の朝鮮人たちは島を後にする。故郷を夢みる人々が長崎に向かう航路で見たものは、新型爆弾が落された瞬間だった。
というおはなし。

映画史に残る、優れた反戦映画だ。
反戦映画というだけでなく、エンタテイメントとして、実によくできている。忘れられないシーンが沢山ある。

男気のかたまりのような元ストリートファイターのチル ソンが、慰安婦のマル ニョンの哀しい話を聞かされて、必ず故郷に連れて帰ると約束するが、集団脱走の最中、マル ニョンは銃で撃たれて動けなくなる。彼は傷を負った女のために脱走を諦めて、仇を取った末、満身創痍の状態で虫の息の女を抱きしめて共に死ぬ。二人の純愛シーンにすすり泣く観客の声があちこちで聞こえた。

脱走する400人の朝鮮人をすべて鉱路に閉じ込めてダイナマイトで殺すように命令しながら自分は上官を殺して逃亡を図る山田副隊長に火炎瓶を投げる10歳のソー ヘイ。その忌まわしい敵の首を一刀両断で撥ねるム ヨンのその歌舞伎役者のような身のこなしに胸のすく思い。

島と舟とを結ぶ鉄橋が破壊され、乗船できなくなった。落ちた橋を再び起こすために日章旗を真ん中から引き裂き、2本の紐を作り、銃弾が飛び交う中を身を挺して、鉄橋を持ち上げるカン オクと慰安婦たちの英雄的な行為。

脱走した人々を乗せた船が下関に向かうときに落とされた原子爆弾、そのまばゆい光に照らされた人々の赤い頬。立ち尽くす人々。

10歳の女の子、キム スーアンの演技が秀逸。タップダンスしながらジャズを歌う、マルチタレントの子役女優。彼女の感情表現の豊さには目を見張る。2016年の「TRAIN TO BUSAN」でも彼女を見て立派な役者だと思っていた。ゾンビ映画だが、愛も人情も正義も描かれた映画。銃を構える兵士たちに「OVER THE RAINBOW」を歌いながら向かって行くシーンで映画が終わったが、今回の映画も彼女の唄で映画が終わる。

ストリートファイターのチル ソンと日本兵のお気に入りボスのミン ジョウとの乱闘場面が凄い。風呂場で互いに裸で、どちらかが生き残るか。殺気と活劇の激しさは本当に死者が何人か出ても不思議でないほどで、これまで他で観たことがない激しさだった。頭蓋骨陥没、大腿骨骨折、肋骨8本くらい折れていて不思議はない。こんな乱闘場面に比べたら、ランボーもジェームスボンドも軽い、軽い、話になりませんな。
そんな強くて優しい男、チル ソンにめろめろです。本名ソウ ジーソブ39歳、水泳の韓国代表選手だった人で、今はヒップホップラッパーで自作のCDをいくつも出している人だそうだ。
彼に限らず出演している男達、プロフィルをみると、みんなそろって身長180センチあって、引き締まった体で、裸の姿が絵になっている。素晴らしい。

韓国映画はドラマ造りのチャンピオンだ。ストーリーが良くできていて、おもしろい。わかりやすいが少しひねりもある。情があり情緒豊かで純愛を描いたら超一流。他にはかなわない。
どうしてか。

監督は、若干43歳、1973年生まれの、リュ スン ワン。彼が子供だった時は、表現の自由は制限されていて、映画と言えば、「プロパガンダ」ばかりだった。自由な表現にあこがれて、3年間中学生のとき昼食を食べないで我慢して貯めたお金で、8ミリカメラを買ったそうだ。同じころに両親を亡くして高校進学はあきらめたが、カメラを使って自由な表現を追及してきた、という根からの映画人だ。だからこの映画でもたくさんの登場人物が出てくるが、「ひとりひとりが豊かな感情をもった人」として描かれている。英雄的な人も何人も出てくるが、たった一人の英雄を描いた映画ではない。鉱夫たち、海底1000メートルの灼熱地獄で石炭を掘る、ひとりひとりが英雄だ。鉱道の先端で狭いところには大人が入れない。若くまだ子供の様な少年が最も危険な先端で採掘をする。トロッコの暴走で片足を失う男が居る。無言で死者を弔う男達、そういったわき役を演じる人々が圧倒的なパワーを持っている。「カメラで表現する」そうした動機をもって監督になった人だから、登場人物のひとりひとりが豊かな感情を持った「人」として描かれている。どのような環境にあっても人であろうとする400人の魂が、みんなみんな英雄として描かれている。

旧日本軍の残虐さが映画の背景にあるので日本の歴史の負の面を描いた映画という理由で日本での上映が懸念されている。世界中113か国で上映されている。日本での上映を心から望む。
アンジェリーナ ジョリイが監督した映画「アン ブロークン」では、日本軍が外国人捕虜を虐待するシーンがあったという理由で、日本で上映されなかった。この映画の映画評は2015年1月24日のこのブログで書いた。
チャン イーモー監督で、クリスチャン ベイル主演の映画「FLOWER OF THE WAR」は、南京虐殺を背景にしているので、これまた日本で公開されなかった。この映画評は2014年8月2日のブログで書いた。どちらも素晴らしい作品だった。

芸術に反日も好日もないのではないか。2本とも日本で一般公開されなかったことは残念でならない。過去の間違いは反省して正す努力をすればよい。旧日本軍を描いた映画を避けて正面から観ようとしない日本人に、「KKKにも言論の自由があるから、取り締まらない。」と言ったダニエル トランプ大統領を笑う資格はない。
世界中で公開されている映画をに日本だけでは公開しない、権力者にとって都合の悪い映画は封印する、というのではこれは「思想統制」ではないか。日本の誤った歴史から目を背けて無かったことにするのでは、画家アン ウェイウェイを弾圧し、ノーベル賞受賞者の詩人、劉暁波リウ シャオボーを獄死させた中国政府を批判する資格はない。
「軍艦島」の日本公開を切に願う。

2017年8月14日月曜日

RSPCAと猫の話

                     

手のかかるオットを施設に入れて、セイセイしたでしょう、と誰からも言われるが、そのへんのところは微妙なので、うんとも、いいやとも即答しないようにしている。
わたしはそれで良いが、愛猫クロエは、わたしのように、毎日ルンルンとはいかないらしく不安神経症を発病して、家じゅうの家具や絨毯をひっかいて駄目にしてくれた。

オットが居た頃は大きなアパートに住んでいて、いくらでも猫の隠れ場があり、昼間は家にわたしが、夜はオットが家に居て、いつも誰かが横に居た。わたしが夜勤をしていたのは、給与が高いこともあるが、夜の仕事中は静かで、結構本がじっくり読めるし勉強もできたからだ。また急に飛び込んでくる医療通訳の仕事は昼間なので、病院勤務は夜の方が都合が良かった。年中家に誰かが居て、いつもベランダは開け放ち、下界が見下ろせて、良い風が入って来る。そんな環境に クロエは満足していた。引っ越したくはないが、オットが居なくなり、月に3000ドルの家賃を払って大きなアパートを借りる必要がなくなったので、郊外に小さなアパートを買った。「家や土地など個人が所有するものではない。人は永遠に生きられない。家や土地を所有して、なんぼのものか。」と考えていたが、年を取り動けなくなって、年金暮らしになったら、家賃は年金で払えない。オーストラリアの年金など食費の半分にしかならない、ということが分かって、やむなくアパートを買った。日本の年金はどうなのだろう。

クロエはオットが居なくなり、小さなアパートに引っ越したことが気に入らない。出かけて行くと、仕事から長い事帰ってこない人を待つ生活も気に入らない。まず、レザーのソファを4面とも爪とぎ場にしてボロボロにしてくれたのを手始めに、ベッド、絨毯と、次々に見るも無残な姿にしてくれた。

獣医の娘がアメリカ製の立派な「爪とぎ柱」を取り寄せてくれたが、そんなもの見向きもしない。ソファをガリガリ始めると、飛んでいって新しい爪とぎ柱で爪を研ぐ真似をして「こうやるんだよ」とレクチャーするが、教育指導効果は全くなし。猫になったつもりで爪とぎ柱をひっかいている姿を軽蔑の目差しで見ている。ソファやベッドは襤褸になれば買い替えればよい。しかしアパートに床にはめ込んである絨毯の角から端を引っ張り出してボロボロにされたので、これは修理不可能。すべての家具を引っ越しさせて家じゅうの絨毯を張り替えるしかない。レザーのソファを買い替えるような値段では済まない。
全財産はたいて買った小さなアパートは、たった1年で襤褸屋、廃屋になりつつある。

クロエが来る前の、オーストラリアで初めて家にきてくれた猫オスカーは、素晴らしい猫だった。猫の大学があったとしたら、再優秀の成績で卒業したような立派な猫だった。猫をもらいにRSPCA(ROYAL SOCIETY FOR THE PREVENTION OF CURELTY TO ANIMALS) に行った時のことを忘れられない。

RSPCAは全国にあり保護を必要とする野生動物を引き取り治療し野生に帰したり、主人に死なれたペットを次の希望者に引き渡したりするシェルターで、各6州ごとに代表連絡先があって、センターに電話をすると自宅に近いシェルターを紹介してくれる。昨年保護して自然に返した野生動物が701、943頭、新しい飼い主に引き取られた犬、382、951匹、猫が246,928匹という。人口2千400万人の国で、これだけの動物が、一年間に保護されているというのは、記録的な事業と言える。

RSPCAシドニーは、ヤゴナという郊外にある。広い敷地には犬やポニーが散歩できるほどの広場があり、犬、猫、山羊、羊、ポニー、ウサギ、フェレルなどがいた。大多数の犬は一匹ずつコンクリート床の個室に収容されていて、入口にそれぞれ名前と年齢を書いた札が付いている。犬の中で一番大きなニューフオンテインランド犬まで居た。一人の青年がこの犬を欲しがっていて、職員に彼がどんな家に住んでいるのか、庭がどれくらい広いのかなどと質問されていた。片耳だけ大きくして盗み聴きしていると、結局自分の家の庭が何平方メートルあるのか答えられなかった青年の家に職員が訪ねて行き、この犬の飼い主として合格かどうかを判定することになって、そに日時について話し合うことになった。

また小部屋があって、生まれたばかりの子犬が数匹いた。見学に来た人はみんな子犬を抱いてみたくて、ちょっとした列ができていた。施設に来た人はみんな自分の犬や猫が欲しくて見学に来ているわけだから、それを知っている犬達は、「連れて行って、連れて行って」と尻尾を振り、柵まですり寄って来る。どの目も必死だ。本当にどの子も連れて帰りたい。みな棄てられた子たち。こんな良い子達が待っているというのに、ショッピングセンターのペットショップで今日もペットを気軽に買っていく人々、クリスマスプレゼントに子犬をプレゼントする馬鹿者たち、子犬が大きくなったらRSPCAに引き取ってもらいにつれてくる愚か者達が、本当に憎くなる。

猫は大きな室内のガラス張りのケージに、グループごとに収容されていた。中は猫たちが遊べるように階段や、木の上に小さな小屋が作られていて工夫が凝らしてある。
階段の頂上にオスカーが 悠然と下々のもの達を見下ろしていた。この猫を観たら、他の猫など目に入らない。決めた。茶色の縞模様。毛が長くふさふさ。長い毛がライオンのたてがみのようになって威厳がある。オスカーという名で8歳です、と言われて信じられない。美しい毛並みで3歳くらいにしか見えない。前の主人はイタリア人家族で、故郷に帰ることになって、仕方なくシェルターに連れて来たということだった。アントニオという名前だったそうだ。

予防注射やワクチンに要した費用を払って段ボールに入れて家に連れて帰った。オスカーは、優秀でアパートにもすぐ慣れた。トイレも失敗したことがない。一緒に住んでいた娘たちが大学を終え、専門職に就き、それぞれ独立して家を出て行くのを見送り、沢山の友人たちが訪ねて来て、誰からも愛された。
10年間わたしたちと一緒に暮らして18歳で老衰死した。彼の骨がきれいな箱に入って、居間のテレビの横の飾り棚に置かれている。

その飾り棚の足元を不安神経症を抱える今の飼い猫クロエが、またガリガリと爪を立てている。オスカーは死んでしまったし、オットは歩けなくなって、盲目になって、うちには、もう帰って来ないんだよ、クロエ。
                      
写真は黒猫クロエと、オスカー。

2017年8月5日土曜日

映画 「ベイビードライバー」

映画「ベイビードライバー」
日本公開: 8月19日             
監督:エドガー ライト
キャスト
アンセル エルゴード :ベイビー
ケビン スペイシー  :ドック ギャングのボス
リリー ジェイムズ  :デボラ
ジェイミー フォックス:バッツ 
エイザ ゴンザレス  :ダーリン
ジョン ハム     :バデイ

クールでスタイリッシュで、スピーデイーでビートが効いている映画。ものすごく音楽が好きな人は、観なくちゃダメだよ。
銀行強盗やって罪のない人々を傷つけたり殺して、何十台もの車を燃やし、建物や橋や高速道路を破壊して極悪ギャングの逃走用運転手をやっているベイビーと呼ばれる少年が、クール、、というのもおかいけど。
ものすごく沢山の血が流れ、現金が飛ぶ犯罪の数々が、スタイリッシュで素敵、、、というのも変だけど。
八重歯以外にこれといった特徴のない、特別ハンサムでもないベビーフェイスの少年が、いつも耳から離さないイヤホンから聞こえる音が、ビートが効いていて、スピーデイーなアクションに合ってイケてる、、というのも妙、、、だけど。
少ない予算で若い監督が作った映画が、予想外にたくさんの批評家から絶賛されて、制作費用の何倍もの興行成績をあげてしまって、誰よりも驚いているのが、監督さん、という微笑ましい結果になった。ミュージックヴィデオを作っていた人が、3千400万ドルで作った作品が、この商業映画不振の時期に、公開直後にすでに1億800万ドル興行成績を上げたとなると、驚くのも無理はない。

ストーリーは
ジョージア州アトランタ
ベイビーは、卓越した運転技術をもった、心の優しい少年だ。黒人で聾唖者で車椅子で生活する養父と二人で仲良く暮らしている。ベイビーは幼い時、母親の運転する車に乗っていて事故に遭い、前部座席にいた両親を同時に失った。母親は歌手だった。ベイビーは事故の後遺症で、聴覚に異常をきたし、いつも激しい耳鳴りがある。執拗な耳鳴りから逃れるにはイヤホンを通して音楽を聴いているしかない。自分で古いレコーダーやカセットデッキを使って音楽を編集して、アイポッドに入れて、それを耳から離さない。イヤホンを通して音楽に身を任せることによって、集中力が増して反射神経が研ぎ澄まされる。

善良な養父は、ベイビーが良からぬ仕事に関わって、時々札束を持って帰るのが心配で、いつも人を喜ばせる仕事に就きなさい、とベイビーに言い聞かせている。ベイビーはたまたまギャングの親玉ドックの車を盗んだことから、弱みを握られて、銀行強盗の逃走用の車の運転をやらされている。大金がもらえるが、決して好きでやっているわけではない。ただ、ベイビーは自分が運転すれば警察に捕まることなく逃げ切れる、運転技術に自信をもっていた。
ドックに依頼された最後の仕事は、現金輸送車を襲うことだった。激しいカーチェイスを重ねて警察の追手から逃げ切ったあと、ベイビーはもうこれで自由になった、とドックに放免されて、ほっとする。ベイビーは喜び勇んで、一目惚れしたカフェのウェイトレス、デボラをデートに誘う。

しかし撚りにもよってデートの真っ最中、再び親玉ドックに捕まり、もう一件だけ仕事に加わるように言われ、拒否したらデボラの命もない、と脅される。その仕事は郵便局襲撃だった。メンバーは、いつものバデイと、彼の妻ダーリン、それに加えてバッツ(ジェイミーフォックス)が加わった。4人は襲撃のための武器を手に入れるために地下組織に接触する。しかし待っていたのは、覆面警察だった。いち早くそれを察知したバットは、その場にいた警察官たちを一人残らず殺害、ベイビーたちは、這う這うの体で帰って来る。
ベイビーは目の前で人が殺されるのが耐えられず、デボラを連れて逃亡しようとするが、自宅を襲われ、大事にしていたミュージックテープを奪われ、養父を傷つけられて、ギャングたちの仕事に最後まで付き合わされることになった。

郵便局襲撃でドライバーとして待っていたベイビーは、現金袋を抱えて車に乗り込んできたバットらが、必要もないのにガードマンを目の前で殺す様子を見て腹を立て、車を発車しない。追われている3人が車を動かせ、と怒鳴ると前に駐車していたトラックにむけて思い切り急発進させて、飛び出ていた鉄骨でバットを殺す。バデイとダーリンは徒歩で現金を抱えたまま逃走、ベイビーも後を追う。しかし、警官たちの包囲されてダーリンは射殺され、バデイとベイビーは別々に逃走する。

ベイビーはアパートに戻り、養父に今まで稼いだすべての現金を持たせて、老人ホームに運び込む。そして大事なミュージックテープを取り戻すために、ギャングの親玉ドックに会いに行く。ドックはベイビーが、ガールフレンドのデボラを連れているのを見て、二人で逃げるようにミュージックテープも現金も渡す。そのあとドックは追ってきたバデイに殺される。ベイビーはバデイからなんとか逃げ切るが、警察の包囲される。デボラはなお逃げようとするが、ベイビーはデボラに別れを告げて自首する。

ベイビーは25年禁固刑を言い渡されるが、数々の人々の嘆願書が功を奏して5年の後、出所する。刑期を終え、刑務所の門を出たベイビーを待っていたのは、オープンカーで待っていたデボラだった。
というお話。

映画が始まった時から終りまで音楽がいつも鳴っている。
1950年代のスローダンスミュージックからヘビメタからヒップホップまで何でもありだ。その音楽は、イヤホンで聞いているベイビーのアイポッドから流れてくる音楽だ。
最初の激しいカーチェイスとともにベイビーが聴いているのが、ジョンスペンサーブルース エクスプロージョンの、「ベルボトム」。次に、ベイビーが歩きながらテイクアウェイコーヒーを買いにいくところの長い踊りのシーンが、ボブ アンド アールの「ハ―レム シャッフル」で、このベイビーの軽い身のこなし、ぴったり音楽に合ったステップを見て、誰もが映画に引き込まれてしまう。テンポの速いアクション映画に、ロックとヒップホップが完全融合している。音楽の良さというものが、身に染みて良くわかる映画だ。

タイトルはサイモンとガーファンクルの「ベイビードライバー」という曲からとられている(と思う)。
他に、ゴーギー レネの「スモーキー ジョー ララ」、カルラ トーマスの「ベイビー」、JONATHAN RICHMAN&THE MODERM LOVERS の「EGYPTIAN REGGAE」、TーREXの「デボラ」、BECKの「デボラ」、インクレデイブル ボンゴ バンドの「ボンゴリア」、ザボトム ダウン ブラスの「テキーラ」、BLURの「インターミッション」、クイーンの「ブライトン ロック」、SKY  FERREIRAの「EASY」、キッド コアラの「WAS HE SLOW?」などなど、合計35曲の音楽が流れる。

サイモンとガーファンクルの「ベイビー ドライバー」は

My daddy was the family bassman
My mamma was an engineer
And I was born one dark mom
with music coming in my ears
in my ears

They call me Baby driver
And once upon a pair of wheel
I hit the road and I'm gone
What's my number
I wonder how your engines feel
Ba ba ba

というような歌詞で始まる、1950年代のチューン、ビーチボーイズを聴いているみたいで、ちょっとサイモンとガーファンクルらしくない曲。「明日に架ける橋」のアルバムの中にある。車好きな子供が玩具の車に乗って歌っているような楽しい曲だ。インタビューでこの曲についてサイモンは、あまり意味はないから歌詞をみて考え込まないでね、と言っている。
ポール サイモンの両親はユダヤ系でハンガリアからの移民だ。父親はプロのバイオリン奏者だったそうで、コントラバスの奏者でもあったという。この曲の始めのBASSMANのことだ。「僕のお父さんはバス奏者で、お母さんはエンジニア、、、」
この曲をLPからテープに移してイヤホンで、この映画に出てくるベイビーみたいにして聴いてみた人の体験談を読んでみると、すごく音が良くて、曲の背景にカーレースの車の轟音まではっきりと聴こえてきて、F1レース会場で音楽を聴いているみたいに興奮したと、言っている。なるほど、映画からインスパイヤされて、色んな事をやってみるものだな。

主演のベイビーことアンセル エルゴートはニューヨーク生まれの23歳。父親はファッション誌ヴォーグのカメラマン、母親はオペラの舞台演出家で、子供の時から芝居好きで、演劇を習っていた、という。2013年、ホラー映画「キャリー」で映画デビュー。2014年「きっと星のせいじゃない」原題「THE FAULT IN AN STARS」で、癌で早死する青年を主演して話題になった。人を泣かせるために作られた、このテイーン同士の純愛ものよりは、彼にはベイビー役のほうが似合っている。ベビーフェイスだが怒ると怖い。悪に利用されているが人殺しだけは許せないという筋を通す強さを持っている。クールだが優しい、そんな役。はじめ、ジェイミーフォックスや、ケビン スペイシーをわきに置いて、この子が主役?と思ったが、堂々としてとても良かった。

映画の最後、ベイビーが出所したとき、デボラが刑務所の門で待っているシーンが、黒白フイルムに突然変わったが、これは彼らの純愛が「タイムレス」時間を超えて、色あせることのない白黒にしたのだそうだ。手が込んでいる。
この映画を観て、「ぼくもこんな映画つくってみたくなった。」と感想を述べている子がいたが、まったく同感。
サウンドトラックが秀逸。
大きな感動ではなく、土曜の午後音楽に身を任せて、スタイリッシュなアクションで、ゆるりとしたいときに観る映画。お勧めだ。

2017年7月1日土曜日

小児性的虐待でジョージペル枢機卿起訴される

                                                                     




今年2017年6月29日 オーストラリア ビクトリア警察が、ジョージ ペル枢機卿を性的小児虐待の容疑で起訴した。
ジョージペルは、ヴァチカンのナンバー3と言われ、ローマ法王フランシスの個人的アドバアイザーでもあり、彼のあと次期ローマ法王の候補にも挙がっている。現在、ヴァチカンで最も高い地位の財政長官を務めている。警察発表のあと、ジョージ ペルは直ちに記者会見して、法廷で自分の無罪を証明してみせる、と息巻いた。
彼は1996年から2001年までメルボルンで準大司教、2001年から2014年までは、シドニーの大司教を勤め、2014年からはヴァチカンで現職についている。76歳、長身でオーストラリア ルール フットボールで鍛えた体は、健康そうでがっしりしている。メルボルン警察による起訴に伴い、7月6日には予審がはじまり、7月18日には、ジョージ ペルが召還される。彼が何を発言し、何を発言しないでいるか、注目したい。

ジョージ ペルは昨年2月、ロイヤルコミッションから召還され、審議中の小児虐待の証人として証言を求められていたが、健康上の理由でバチカンからオーストラリアに来ることを拒否した。15人のレイプ被害者たちは、彼がフランス旅行から帰ったばかりなのを知って、なぜフランスには飛べてオーストラリアには来られないのか、と怒った。このとき被害者たち15人は、ビデオでロイヤルコミッションの問いに証言する彼の姿を見守るため、自費でバチカンに飛んだ。バチカンに着いた被害者たちは、記者会見にも一切応じないジョージ ペルの態度に業を煮やし、ローマ法王に会見を申し込んだが会見は実現しなかった。
ロイヤルコミッションの審議は メルボルンで彼が準大司教だったときに、ペデファイル牧師ジェラルド リズデイルが、少年達をレイプしていたことを知っていて、黙認しただけでなく教会全体で犯罪をカバーアップしたというものだった。彼の証言なしに、ジェラルド リズデイルは、今年実刑判決が出て、現在懲役に服している。

ジェラルド リズデイル牧師は、1993年から2013年までのあいだに4歳の子供を含む54人の少年をレイプしていた。当時ジェラルドと同じ家に住んでいたジョージ ペルは、彼が次々と連れてくる少年を自分の部屋に連れて行く姿を見ていないわけがない。証言によると、同じ部屋のとなりのベッドでジェラルドが14歳の少年がレイプしているのを「気が付かないで」いた、という報告もある。ジョージ ペルが被害者の家族からの報告を無視し、書類を焼却し、加害者をかばっていた罪は重い。
またジョージ ペルは自身も、ぺデファイルでいったん起訴されている。1961年にサマーキャンプで12歳の少年をレイプ、2002年に起訴され審議が始まったが、なぜか審議中に訴えが取り下げられた。様々な圧力や、被害者の自殺などが考えられるが理由はわからない。

ビクトリア警察は、2012年、カトリック教会による小児性的虐待が原因で、被害者のうち40人が自殺したと発表した。当時首相は、オーストラリアで初めての女性首相ジュリア ギラーだった。彼女はただちにロイヤルコミッションとともに、実情調査をすると宣言した。2017年のロイヤルコミッションは、1950年から2009年までのあいだ、牧師の7%が小児性的虐待をしていた、と報告。4千444件の被害報告書を提出した。被害の報告があると、教会ではその牧師を他の教区に移動させて、スキャンダルを封じており、教会ぐるみで証拠を隠滅していたことも明らかになった。

1997年、26人のレイプ被害者に対して50件の罪状をもって服役したビンセント ライアン牧師。2004年、4人の被害者、24件の罪状で服役中、余罪を審議している最中獄死したジェームス フレッチャー牧師。2009年、39人の被害者に対して135件の罪を犯したジョン デンハム牧師。まだ審議中の5人をレイプし22件の罪状を持つデビッド オハーン牧師。審議中病死した、8歳と10歳の少女をレイプしたデニス マクアリデン牧師。などなど、例を挙げるときりがない。

以前同じようなことを書いたので、繰り返しになるが、この世で最も罪が重いのは、無垢な心を裏切ることだ。子供達は牧師を信頼し教えを乞う。その師たる牧師が自分の性的満足のために子供を虐待することは、人として最も深い罪を犯すことになる。信頼を裏切られた子供は、精神的にも物理的にも傷を負い、成長過程で自分に自信を失ったり、他人との協調性が培われなくなったり、自殺や薬物依存症に走りやすい。理解者は容易に得られず、一生傷が癒えることはない。

ぺデファイルは「嗜好」であって、病気ではないから治癒することはない。被害者に追及されても、実刑に服しても、教育を受けてみても、「嗜好」を変えることはできないのだ。ぺデファイルに限らず、レイプによってしか快感を感じられない加害者は、必ず再犯を侵す。残念ながら、そういった犯罪者の存在を許さない社会を作るしかない。
オーストラリアにきて、レイプ犯罪は女性問題だと思ってきたのが、全然違って、男の子のレイプ被害の多いのに驚いた。レイプを性犯罪ではなくて、人権問題として扱わなければいけないのだと思う。

バチカンのナンバー3、ジョージ ペル枢機卿が起訴されたことは、実に喜ばしい。審議の経過を注目していきたい。

写真はサングラスのジェラルド リズデイル牧師と、ジョージ ペル枢機卿

映画「プロミス」とアルメニア人大虐殺

原題;「THE PROMISE」アメリカ映画       
監督: テリージョージ
キャスト
オスカー アイザック :アルメニア人医学生ミカエル
シャルロッテ レ ボン:アルメニア人画家 アナ
クリスチャン ベイル :アメリカ人ジャーナリスト クリス

ストーリーは
1914年 オスマン帝国の南端の街、シランに住むミカエルは、貧しいながら学業優秀で人助けのために奔走する好青年。街の有力者に気に入られ、400金貨を与えられ、首都コンスタンチノーブルにある医学校に通わせてもらえることになった。3年の学業を修めて医師になって帰り、学費提供者の美しい娘と結婚する「約束」だった。ミカエルは、婚約者を残し、喜び勇んでロバに乗って首都に向かった。
コンスタンチノーブルは、何もかも洗練された都会で、大学は素晴らしい設備を誇っていた。ミカエルは、叔父の屋敷に滞在する。大学ではエミールという学生と親しくなる。彼は、政府高官の息子で立派な屋敷に住んでいて、プレイボーイで有名だった。ある日、ミカエルは美しい画家志望の娘、アナを紹介される。彼女の知性溢れる魅力に、ミカエルは強い憧憬を抱くが、彼女にはアメリカ人のジャーナリスト、クリスという恋人がいた。毎日が、刺激に富み、希望に満ちた、日々だった。

しかし突然、第1次世界大戦が勃発し、オスマン帝国は参戦する。
同時に今まで仲良く暮らしてきたオスマン帝国のアルメニア人に対して、トルコ人が迫害を始める。あちこちでアルメニア人が経営する店や事務所が、襲撃にあって暴力を受けることになった。ミカエルは、大学から軍に引き立てられて、徴兵に応じるか、刑務所に行くかと、問われ窮地に立っていたところを、政府高官の息子で親友のエミールの助けで、医学生として特別待遇で徴兵を逃れることができた。しかし、街ではアルメニア人への迫害が激しさを増し、街を歩くことさえ危険になってしまった。

ある夜、ミカエルとアナは、教会のミサの帰り、トルコ人愛国者たちに襲われて怪我をするが、小さな宿屋の主人に助けられる。その宿で、アナとミカエルは同じアルメニア人同士の心と心が結びついて、愛し合う。翌朝、アナとミカエルが家に帰ってみると叔父が憲兵に連れ去られていた。ミカエルは婚約者の父親から受け取った400金貨を掴んで、叔父を連れ戻しに軍隊本拠地に行く。ところが叔父の救出どころか、叔父は銃殺、ミカエルは拘束されて、労働キャンプに送られる。オスマン帝国南部の鉄道施設に駆り出され、わずかな食料で重労働に従事させられた。怪我人や病人は、虫のように殺されていく。いつまでもそこに居たら酷使された末、殺されることが分かっている。ミカエルは工事現場のダイナマイトを爆破させて、逃亡する。

ミカエルは、何日も何日も素足で歩いて、遂に生まれ育った故郷の村に帰って来る。村ではアルメニア人の若い男達はみな連れ去られた後だった。かつて裕福だった婚約者の両親は、火のない家に隠れ住んでいた。両親はミカエルを喜んで迎え、娘と結婚させて、山間の小屋で新婚生活をするように段取りをしてくれた。人里離れた小さな山小屋で、二人は野菜を育て、つかの間の静かで幸せな生活を送る。しかし妻が妊娠すると栄養不足から病気になり、村に住む母親のところに預けなければならなくなった。
ミカエルはアナとクリスが近くの赤十字病院にいると知って、彼らに妻たち家族を安全なところに連れて行ってもらうように頼んだ。
アナとクリスは避難民と孤児たちを馬車に乗せて赤十字から出発し、ミカエルの家族を連れ出そうとして、村に着いたが、時すでに遅く、村はトルコ軍に襲われて妊娠中の妻も父親も誰もかも惨殺されていた。

軍人たちに追われて、クリスは逮捕されコンスタンチノーブルに戻される。罪状はスパイ罪。ジャーナリストとしてオスマン帝国軍が、国内のアルメニア人を虐殺していることを世界に発信していたことを追及される。スパイとして処刑されるところを、軍人になっていたミカエルの親友エミールが救いの手を差し伸べる。エミールはクリスを逃して、ミカエルを安全なところに逃がしてやりたかったのだ。エミールの連絡を受けて、オスマン帝国駐在アメリカ大使がやってくる。大使はクリスを釈放させて、マルタに脱出する手はずを整える。クリスは大使に伴われ、フランス軍の軍艦が停泊する海岸に向かう。しかし、エミールはオスマン帝国軍人として、あるまじきことをした、とされて銃殺される。

沢山の孤児や怪我人を保護しながら軍から逃げて来たミカエルとアナは、さらに大きなアルメニア人やクルト人難民と合流し、海岸線に達する。海には、クリスを乗せたフランス軍の軍艦が停泊していた。軍艦が難民を収容するためにボートを出し、海岸までたどり着いた難民からボートで救出する。ここでクリスとミカエルとアナは感動的な再会を喜び合う。オスマン帝国軍は、ついそこまで迫っていて砲弾を開始する。アナは孤児たちとボートに乗り込み、同じ船にミカエルも乗る。しかしそのボートは砲弾を受けて沈没。ミカエルは沈んでいく孤児たちを救出することができたが、すでに海底を深く沈んでいくアナを救うことができなかった。

アナを愛した二人の男は永遠にアナを失った。その後、クリスはミカエルにアメリカのビザ発給に力を貸し、アメリカでの生活を援助した。ジャーナリストとして活躍しその後スペイン戦争で取材中、命を失った。
というお話。

15世紀に東ローマ帝国を亡ぼして、世界にその繁栄を誇ったオスマン帝国の終焉を背景にした物語。メロドラマだが、ナチによるユダヤ人迫害と同様に語られるオスマン帝国によるアルメニア人大虐殺という歴史がテーマになっている。150万人のアルメニア人が虐殺された。いまナチによるユダヤ人ホロコーストを否定する人はいないが、いまだアルメニア人大虐殺をトルコ政府は公式に認めも、謝罪も補償もしていない。
はじめは、イスラム教のオスマン帝国で、少数民族のアルメニア人やクルト人はトルコ人と仲良く共存共栄していた。しかしイスタンブールなどの大きな都市で貿易や金融業で成功した裕福なアルメニア人商人らはカトリックを信奉。西欧との交流を通じて、アルメニア民族意識に目覚め、民族独立を願うようになってきた。一方のトルコ人のなかで、ロシアに占領されて難民となってオスマン帝国に逃れてきたモスリム難民たちは、クリスチャンのアルメニア人を憎悪した。アルメニア民族独立派と、トルコ愛国青年派は、互いに急進化し、過激化していった。

第一次世界大戦でオスマン帝国が同盟国側に付くと、ロシアは連合国側で参戦しているため、アルメニア人とトルコ人の対立は決定的になる。第一次世界大戦に敗れたオスマン帝国は崩壊し、トルコ共和国となり、1991年、アルメニアはトルコから独立した。いまだにトルコ政府はアルメニア人大虐殺は、オスマン帝国政府の計画的で組織的に行われたという、アルメニア側の主張を認めていない。アルメニアは独立したが、クルド民族はいまだにトルコでは迫害されており、ISISやシリア内戦の問題解決を、より複雑で困難なものにしている。

映画の中で、アナはパリで教育を受けたヨーロッパ人で、芸術を愛する知的な女性。クリスは世界の紛争地を取材するジャーナリストで、オスマン帝国軍によるアルメニア人虐殺を世界に向けて報道する。アナとクリスの信じる自由、平等、正義を語る結びつきは強い。そのアナの自由でしなやかな強さや、孤児たちへの献身的な態度に魅かれる、田舎出の医学生ミカエルが、アルメニア人迫害の嵐の中でアナと結ばれる。しかしアナを愛しながらも、義父との「約束」のために約束通りに結婚をし、子供をもうける。彼はアナと再会したときに偽らずに事実を伝える。隠れて、ひとりきりで悲嘆にくれるアナを見つめるクリスの苦渋にみちた姿。哀しい三角関係だ。ドラマテイックな背景に、もがき苦しむ3人の男女、、、これこそがメロドラマの骨頂です。それを美形のクリスチャン ベイルが演じるので、観ないわけにはいかない。いつも戦争映画を観るときは、このような状況に自分が居たら、自分に何ができるかと、考える。そのために観る。

昨日まで仲の良かったお隣さんが、戦争が勃発したとたんに敵となり、憎みながら殺し合うようになる、偽政者による民心操作の恐ろしさ。多民族への敵対心をあおることによって、愛国心を培養しようとする。時の権力者が、敵でもなかった人々を敵であるかのように発言し始めるとき。注意しなければならない。本当は敵なのか。他民族同士が憎しみ合い戦争が起こると、誰が得をするのか。権力者のうしろに誰がかくれているのか。目をそらしてはいけない、と改めて思う。

なお主題歌をシンガーソングライターのクリス コーネルが作詞作曲し、本人が歌っている。素晴らしい曲で、彼は、思いを込めて歌い上げているがこの曲を吹き込んですぐ彼はオーバードーズで亡くなった。若すぎる死を心から残念に思う。

2017年6月28日水曜日

映画「ドッグ パーパス」と犬の話

自分がもっていた犬の話を始めたら止まらない。
沖縄で生まれ我が家に来て、フィリピンで9年一緒に暮らした犬のことだ。ボーダーコリーとジャーマンセパードのミックスだったと思う。
救急車がサイレンを鳴らしながら走ってくると、急に真面目な顔つきになって、前足をそろえ姿勢を正して、空に向かってアオーンと共鳴して鳴く。大真面目な顔で、サイレンが聴こえなくなるまで それを繰り返す。子供達と真似をして月に向かってアオーンと吠えて面白がったものだ。音感に優れた犬だった。

雷が大嫌いで、ある日家のすぐ近くに雷が落ちた。その日は娘たちの通うインターナショナルスクールで演奏会があり演奏したので、ジョーゼットのドレスにピンヒール。帰ってみると犬が居ない。真夜中、大雨のなかをずぶ濡れで狂ったように走り回って犬を探した。やっと見つけたのが、引っ越し前に住んでいた家の玄関先で、震えている姿だった。門から玄関まで10メートル。呼んでも走ってこない。仕方がないので門をよじ登って、腰が抜けて立てなくなっている大型犬を抱きかかえ、また門をよじ登って帰って来た。自然の神秘を畏怖する、気持ちの優しい犬だった。

石造りの床は冷たくて、夏は腹這いになって玄関で寝そべっていると、半開きのドアから涼風が入ってきて気持ちが良い。犬がウトウトしていたところ、6歳になったばかりのバイオリンの生徒が威勢よくドアをバシンと広げて入って来た。ドアが眠っていた犬の頭にぶつかり犬は寝込みを襲われて、思わず女の子の腹を噛んだ。女の子の悲鳴で大騒ぎ。彼女は米国大使館に勤務するの軍人の一人娘。制服に制帽をかぶった運転手つき黒塗りのベンツで、家にバイオリンを習いに来ていた。やわらかいおなかにしっかり噛み跡がついている。生徒の両親に電話をして急遽家に帰す。私は家じゅうの書類をひっくり返して狂犬病予防注射の証明書やワクチン証明書をつかんで別の車で後を追う。彼女のでかい屋敷に着いたとき、軍服姿の父親と、手術着を着た医師の怖い顔が待ち受けていた。日米開戦か。
私の命も犬の命もこれまでか、と覚悟した。女の子を母親に、「犬って野獣なんですね。ライオンと同じにまずオナカを裂いて内臓から食べて殺すんですね。」などと言われて身の置き所もない。これほど恐縮したことはない。幸い、日米開戦は避けられて、傷に深い皮膚の裂傷はなく、氷で冷やしただけで良くなって、しばらくすると女の子は何事もなかったようにレッスンに来るようになった。犬はジャーマンセパードの血が入っているから見事な歯並びをしている。前の2本の牙はほれぼれするほど長く、奥歯はギザギザで、本気で噛んだら腕の一本位簡単に食いちぎることができる。勇敢で美しい犬だった。
犬の話になると、すべてのエピソードが自慢話になってしまって、止められない。
と いうわけで、犬の映画を観た。

原題:「DOG PURPOSE」
監督:ラッセ ハルストン             
原作:ブルース カメロンの同名の小説
キャスト
ジョシュ ガッド : ベイリーの声
デニス クエイド : イーサン
ジュリエット ライランス: イーサンの母
ペギー リプトン : ハンナ
ルーク キーブイ : イーサンの父

ストーリーは
アメリカ東部の小さな街。1960年代
この映画のナレーターは、ベイリー。ゴールデンレトリバーの子犬で、彼の独り言がナレーションになって物語が展開する。「吾輩は猫である」の犬版だ。
野犬狩りから逃れてきた子犬のベイリーは、ごみ収集車の男に捕えられ、暑い夏の車の中に放置されて脱水で死にかけていた。そこを通りかかった少年に救命される。少年イーサンは、一人っ子。夫婦仲のあまり良くない両親に間で、イーサンとベイリーは喜怒哀楽を共にしながら、一緒に成長する。やがて父親は母親に暴力を奮うようになり、家を出て行き、イーサンにはガールフレンドができる。彼はアメリカンフットボールで花形選手となり、あこがれのミシガン州立大学に奨学金つき特待生として進学できることになった。ガールフレンドのハンナも奨学金を得て、一緒に進学できる。沢山の街の人に祝福されて幸せいっぱいの夜、それを羨んだ同級生に、花火を家に放り込まれて、家が全焼してしまった。ベイリーの大活躍によって家族の命は助かるが、イーサンは、崩れ落ちてきた屋根で足に大怪我を負う。イーサンは、家も、スポーツ特待生の資格も、大学進学の夢も、ガールフレンドも失った。

イーサンと母親は、祖父母の住む田舎の農場に身を寄せた。そしてイーサンは足の傷が癒えると地元の農業学校に行くことになった。肩を落として寄宿舎に向かうイーサンを、ベイリーはどこまでも追っていき、見送った。イーサンの居ない静かな農場でベイリーは年をとり亡くなる。

ベイリーの好奇心旺盛で、主人の為に役立ちたいという気持ちが強いため、ベイリーはその後4回も生まれ変わって、この世に帰って来る。
次のベイリーは、ジャーマンセパードとして生まれて来て、プエルトリコの警察官を主人に、k-ナインとして活躍する。何度も表彰されて活躍するが、誘拐犯にあっけなく撃ち殺される。

次の生まれ変わりは、コーギー犬で、飼い主は陽気なアフリカンアメリカンの女子大学生。一緒にピザとアイスクリームを分け合い、彼女が結婚したあとは、たくさんの子供達と愉快で賑やかな生活を楽しみ命を全うする。

最後はセントバーナード犬のミックス。貧しい夫婦に引き取られ、ずっと子犬時代は鎖につながれて運動もできない惨めな生活だったが、棄てられて放浪するうちに、ある日懐かしい匂いをかぐ。そう、それはイーサンが身を寄せていたおじいさんの農場だった。イーサンが居る。ベイリーは、年を取ったイーサンの胸にむかって飛んでいった。イーサンは、肩を落として放火で何もかも失ったときのままだ。わびしい一人暮らし。いつまでも鬱病じゃないだろう。ベイリーには、しなければならないことがある。農場に来る途中、公園でイーサンの恋人だったハンナの匂いをかいだのだ。迷わずベイリーはハンナを探し出して近付いて行く。すっかり年を取ったハンナは、ベイリーの名札を見て驚く。ハンナは半信半疑でベイリーを連れてイーサンの住む農場を訪ねて行く。 二人は数十年ぶりに再会する。嫌いで別れたわけではない。二人は再会して未だに、互いに魅かれ合っていることに気がつく。ベイリーの引き合わせによって、二人は結婚する。
やっと戻るべきところに、すべてが戻ってほっとするベイリー。イーサンは姿かたちも違う、この犬がベイリーの生まれ変わりだったのだということに気付くのだった。
という心温まるお話。

人と犬との結びつきが、よく表現されていて誰もが自分の犬を思い出して、ホロリとする様な映画。だからかもう4か月も劇場公開が続いている。見ようと思っていて見逃して諦めていたが、まだやっていて子供連れの家族やカップルで劇場がいっぱいだったので驚いた。

犬が動物の中で特別なのは、人の喜びを犬が自分の喜びとして捉え共感できる唯一の動物だからだ。嬉しい時、犬も一緒に飛び跳ねてくれて、悲しいときは一緒に嘆いてくれる。これは科学で証明されている。飼い主と犬が、同じ画面を見ながら脳波や断層撮影で脳の動きを調べてみると飼い主が嬉しくて活発な反応を示す脳の場所と同じ脳の反応を犬も見せる。犬はいつも飼い主の気持ちを知りたいと望み、飼い主の一番の理解者でありたいと思っているのだ。

癌末期の痛みの緩和にも犬の存在が効果をみせる。モルヒネで鎮痛効果の見られなくなった患者が犬が横にいてくれるだけで痛みが緩和された報告が沢山出ていて、実験的にホスピスなどで使われている。
痛みは科学的に計測することができない。どこか痛くて医者に行くと我慢できない痛みを10とすると、いまの痛みはいくつくらいですか、とよく聞かれるだろう。たいがいの患者は5か、6くらい、と答える。このような曖昧な痛みは、多分に心理的な影響によるもので、将来への不安や金銭的な心配がなくなり、検査で痛みの原因と解決方法がわかると、それだけで痛みが消失することが多い。一方、癌末期の痛みは、その進行によって鎮痛剤を増していくことになる。多くの場合モルヒネを連用して人は眠りながら死ぬ。しかし愛犬の鎮痛効果が効けば眠ってしまわずに最後まで自分を失わずに死ねる。犬は主人が辛い時共に痛みに共感を示すことができる。言葉をもたない犬だからこそ人に痛みを理論や科学や社会状況や財政状況や様々な問題を越えて、自分のものとして感じてくれる犬の存在が痛みの緩和に効果を示す。

また犬は人間生活の中で、時として家族の家長的役割を果たそうとして、外敵から家族を守ろうとする。自分より弱いものを守ろうとして、人助けを喜んでする犬の姿は神々しい。時として家長になり、時として育児係りを務めてくれる。手加減を知らない幼児が犬を掴んだり、体の上に乗ったり、踏みつけたりしても、それが主人の子供だったら驚くほどの辛抱強さで我慢して子供たちの世話係りとしての務めを果たしてくれる。

本当のことを言えば、犬を持って良い事ばかりじゃない。子犬のときのやんちゃぶりは手加減なしだ。家具はズタズタ ボロボロになるし、他人に迷惑をかけて謝罪してばかりいなければならない。映画に出てくるほど 良い事ばかりじゃない。それでも人は犬を、犬は人を必要とする。それは「人を散歩させてやってるときの犬」の満足そうな、鷹揚で理解のある顔をみれば、よくわかることだ。