2015年5月6日水曜日
バリナインの処刑について
2005年に、インドネシアのバリで起きた、9人のオージーによるヘロイン密輸事件で、首謀者と認定されたアンドリュー チャン(31歳)と、ミュラン スクマラン(34歳)の二人が、この4月29日に処刑された。犯行当時二人は、21歳と24歳、チャンはシドニー生まれ、スクマランはロンドン生まれのオージーだった。9人の若者達は10年前、自分たちの体にヘロインをガムテープで巻きつけて、インドネシアに入国しようとして、バリの空港で逮捕された。これを「バリ ナイン」と言っていた。
チャンとスクマラン二人のついて、最高裁で死刑が確定してからのオーストラリアのマスコミの過熱ぶりは目に余るものがある。二人の家族への密着報道、銃殺刑が執行される島の紹介、処刑後の棺から、墓に立てる十字架まで国営放送だけでなく、すべてのマスメデイアが、狂ったように現地報道合戦を続けた。本人たちや家族のプライバシーなど、この数か月間無きに等しかった。
これに輪をかけたように、オーストラリアのトニー アボット首相と、ジュリー ビショップ外相は、インドネシア大統領に「恩赦」を繰り返し、繰り返し願い出ていた。グリーン党まで死刑反対の見地から、インドネシアに圧力をかけていた。「恩赦」も「嘆願」も「懇願」もここまでくると「押しつけ」、「強要」、「脅迫」に近かったと思う。死刑が決行されたことで、インドネシア大使は、さっさとオーストラリアに帰ってきてしまい、大使館を留守にしている。大使の引き上げだけでなく、国交断絶までにおわせるような勢いだが、これは、常軌を逸している。
死刑と言う懲罰は、何も生まない。死刑制度には反対だ。たかが14キロのヘロインのために二人の若者の命を断ち切る必要も価値もない。そういった見せしめによって、ヒロインの密輸が無くなるとは思えない。だから二人の死刑には反対だった。
しかし、インドネシアとしては法に従い、最高裁の決定した刑を執行したに過ぎない。ジョコ ウィドト大統領は、ジャカルタ市長だったときから、市民の味方として汚職を追放し最低賃金を上げて市民の生活を守る努力をして人気を獲得し、大統領の座に就いた。彼は従来の大統領のような軍出身者でも、官僚エリ―ト出身でもないから、政敵に囲まれている。いま司法が決定した刑を大統領一人の恩赦で覆したりしたら、国内の反対勢力が黙っていない。手ぐすねを引いてジョコ ウィドトを大統領の座から引きずり下ろそうとしている、汚職まみれの官僚と手を血で汚した軍人が待ち構えている。どんなにオーストラリア政府関係者や、ヒューマンライツや、宗教関係者が「恩赦」を願っても、大統領としてはそれを聞きいれる選択肢はなかった。
インドネシア政府は、法に従い、正しいことをした。大統領が「恩赦」に応じなかったからと言って、怒って大使を引き揚げたりして、子供じみたヒステリーを起こすのは止めた方が良い。子供が親に無理難題を押し付けて、親が応じないと怒って床に転がって駄々をこねる幼児を思い起こさせる。
それよりも、なぜ、これほどオーストラリア政府がインドネシア政府を露骨にたたくのか、そして、なぜ「今」なのかを、冷静に考えた方が良い。
数か月、人々が「死刑だ、銃殺だ」とマスコミに踊らされていた間、すっかり忘れ去られていた人々が居る。インドネシアの小さな港から、壊れかけたボートに乗ってオーストラリアを目指してやってきていた、シリア、イラク、などの国から戦火を逃れてきた亡命者、避難民だ。トニー アボット首相は、これらの人々を海上で見つけて、コーストガードを使ってインドネシアに送り返している。舟が途中で沈もうが、火災を起こして乗っている人々が海の藻屑をなろうが、知らぬふりだ。
5月2日、3日の週末2日間だけでイタリアのコーストガードが救出、保護したアフリカからの難民の数は、6000人に上ったと報道された。国内経済よりも、人命救助人命尊重を第一としているイタリア政府の爪の垢でも、トニー アボットに飲ませたい。
バリナインの人命救助ばかりに人々の目を向けさせて、何百人何千人の難民から目をそむけさせているオーストラリア政府の右傾化には注意が必要だ。インドネシアは、人口2億3000万人、世界第4位の大国だ。世界最大のイスラム人口を持つ国でもある。オーストラリアは、いまアイシスと戦うために、まっさきにイラクに軍を送りだし、米軍との共同軍事演習を繰り返し、高価な戦闘機を購入し、着々と戦時体制を整えている。難民をシャットアウトして、国民意識を高め、愛国心を強調している。10年前のオーストラリアの空気と今の空気は、全く異なる。日本もそうだが、世界中一体、どこに行こうとしているのか。国境線が高くなってきている。危険な兆候だと思う。