2011年2月15日火曜日
イーストウッドとスピルバーグの映画「ヒア アフター」
映画「ヒア アフター」、原題「HEREAFTER」観た。
クリント イーストウッド監督。彼が作った32番目の映画。イーストウッドが監督をして、ステイーブン スピルバーグが製作、指揮をした。二人の 映画界における巨匠による作品だ。
監督: クリント イーストウッド
製作指揮:ステイーブン スピルバーグ
キャスト
マリー:セシル デ フランス
マルコス:フランキー マクレラン
ジョージ:マット デイモン
ロケーションごとの映像が美しい。イーストウッドが作る作品は いつも彼が作曲したり編曲したり選曲した音楽と、映像とが 実に巧みにマッチしている。そこに映像があるだけで 説明が要らない。字幕で「ロンドン」とか「パリ」とか「1年後」とか「半年後」とか字幕など入れない。彼はひとつひとつの画面を芸術と捉えているから野暮なことはしない。それでいて、観ているだけで そこがロンドンだ、パリだということがわかる。ロンドンの空気、ロンドンの人々の動き、ロンドンの喧騒が画面から濃厚に立ち上がってくる。パリでも サンフランシスコでも それが起こる。そんな彼の画面を見ていると魔術のようだ。
パリ、サンフランシスコ、ロンドンに住む3人の人物が それぞれ日々の生活をしていて 笑ったり 苦しんだり悩んだりしていて、一見それらが何の脈絡もないように思えるが 最後に一挙に つじつまが会うように作られている。映画作りでは完全主義者のイーストウッドの腕のみせどころだ。
そこに 「ラブリーボーン」のスピルバーグのテイストが 散りばめられている。
ストーリーは
テレビジャーナリスト マリー リレイは テレビ局のダイレクターの恋人と一緒に東南アジアの島で 休暇を過ごす。海辺の露店で買い物をしていたマリーを大津波が襲う。津波に流され沈んで いったん死ぬが 地元の人々に助けられ 息を吹き返す。そのときに体験した臨死体験を 恋人や友達に話すが 誰も信じてくれない。事故によるトラウマか 幻想にすぎないと笑われて、孤独の底なし沼に落ち込んでいく。誰の共感も得られず たどり着いたのは スイスアルプスの山麓にあるホスピスだった。そこで毎日 死に向かい合っているドクターの理解を得て、彼女は死の世界について本を書く。フランスで、出版はかなわなかったが、ロンドンの出版社からそれが出版されることになる。
ロンドンの下町に住む、マルコスとジェーソンは12歳、双子の兄弟だ。12分間先に生まれた兄、ジェーソンに、内気なマルコスは いつも頼りきっている。父は家族を捨て 母はアルコールと薬物中毒で、家庭が崩壊寸前、市の生活教育指導員の姿に脅えている。しかし、母親のお使いに街に出たジェーソンは 不良にからまれ 逃げようとして 車にはねられ死亡する。一人きりになったマルコスは 母親から引き離されて 里親に引き取られる。唯一頼りにしていた兄を失ってマルコスは立ち直ることが出来ない。兄の霊を求めて霊能力者を訪ねて回るが 皆ニセモノだ。マルコスの喪失感と孤独は深まるばかりだ。
サンフランシスコの港湾労働者ジョージは 生真面目で誠実な青年だ。偏頭痛の手術をしたことを契機に 死者を見たり話をすることが出来る能力がついてしまった。兄は 彼が心霊療法家としてビジネスをして 人助けをするべきだと信じている。しかし亡くなった人からのメッセージを身内の人に伝えることが 必ずしも生きている人の苦痛を取り去ってくれる訳ではない。頼まれても 死者に会うことを断ってきた。そんなまじめ一方のジョージが 社会人向けの料理教室で知り合った女性に恋をする。しかし、彼女に望まれて 彼女についている死者の霊を読むうち 彼女のが父親から虐待されていた過去を知ってしまう。彼女は自分の心の傷をジョージに知られて 黙って去っていく。ひとりジョージは 疲れきって、旅に出る。文学を愛するジョージは ロンドンで、ブックフェアに出かけていく。そこで パリからきたマリーと ロンドンの12歳の少年と、ジョージが、、、。
というお話。
最初の15分がすごい。
東南アジアのリゾートを津波が襲うときの 不気味な音と高波の恐怖。水が迫ってきて 人々が流される様子を撮影したシーンがとてもリアルだ。人工的に高波を作って撮影したそうだ。マリーが必死で走って 高波に追いつかれ 沈む様子、柔らかな人の体を 流されてきた車や屋根や鉄板がぶつかっていく姿は ドキュメンタリーフィルムのようだ。
サンフランシスコの港湾労働者の姿。組合との軋轢、一日として休みを取らずまじめに働き、チャールス デイッケンズが好きで 小説をテープで聞きながら眠るジョージ。ボーイスカウトをそのまま大きくしたような好青年が ひとり小さな台所で 大きな体を丸めるようにして食事をする姿で、イーストウッドは 上手にジョージの心象風景を語ってくれる。こんなジョージの人柄に、マット デイモンは適役だ。他にこの役を出来る人はいないのではないかと思う。
この映画を見ると 人はみな傷を持って生きているのだということが実感できる。子供の時に虐待されていたり、親が親としての能力を持たなかったり、学校時代に理解者がいなくて孤独な子供だったり、友達が居なかったり、信頼する人に裏切られたり、職場で自分の能力をわかってもらえなかったり、自分を利用しようとする人ばかりだったり、恋人が他の相手に走ったり つらい気持ちをわかってくれる人が居なかったり、、、本当に人は孤独で傷だらけだ。生きるだけでも大変なのに、ある日 大切な人に突然死なれてしまったら、残された人は途方に暮れるばかりだ。
悲しみを持っていく場を 持たない人にとって、死者から お別れの言葉を受け取ることができるなら それが 救いになり、許しとなって、残ってもなお、生きていける力になる。死者からのメッセージは、傷心の治癒に向かう為の過程 ヒーリングプロセスとしてなくてはならないものかもしれない。
この映画、80歳にして意気軒昂、強い男の代名詞であるイーストウッドから 弱者へのいたわりのメッセージを捉えることが出来る。