2009年11月28日土曜日

ベートーヴェン 3曲


今年最後のオーストラリア チェンバー オーケストラ(ACO)公演を聴いた。
エンジェルプレイス、11月26日まで。プレミア席$120。
年7回の定期公演の 年初めのコンサートと最終コンサートは 毎年、内容が 特に充実している。今回は ベートーヴェンばかりを3曲。

団長のリチャード トンゲテイが指揮をしながら コンサートマスターも務める。彼のバイオリンは 1743年のグルネリだ。第二バイオリン コンサートマスターのヘレナ ラスボーンも、1759年のガダニーニ また チェロのコンサートマスターも1729年のグルネリを 篤志家から貸与されている。
リチャード トンゲテイは1999年に オーストラリアの人間国宝(ナショナル リビングトレジャー)に指定された。

今回のコンサートは
1)BRETT DEAN 作曲「TESTEMENT」
2)べートーヴェン作曲 「ピアノコンチェルト 第4番」
3)ベートーヴェン作曲 「交響曲第4番」

最初の曲は ブリズベン生まれのオーストラリア人の現代作曲家 ブレット デーンによる「遺言」。彼は 15年間 ベルリンフィルでビオラを弾いていたビオラ奏者で、指揮者で また作曲家でもある人。
べートーヴェンは 自分の難聴を恥じていた。誰よりも感覚が鋭敏で完璧でなければならない聴覚が人よりも劣っていることを、恥じ、憎くみ、扱いかねていた。長い鬱状態の末 難聴を苦にして いつでも死ねるように遺言を作っていた。音が聴こえなくなるだけでなく、頭の中で ブザーが始終鳴っているような状態で雑音や騒音が頭の中に入り込んできて絶え間ない頭痛が押し寄せてくる。そうした状態を経て、ベートーヴェンは物理的な音を否定して、精神の中で音を聴くようになる。内なる音楽、音がのない 想像による音だ。

物理的な音が聴こえないベートーヴェンの頭の中の状態を曲にしたのが、この作品「遺言」だそうだ。22人の弦楽器奏者が 弦楽器の弓に松脂を塗らないで 弦をこすって音を出すものだから、聴こえてくるのは シャカシャカという摩擦の音だ。不協和音の連続の末に、突然 べート-ヴェン弦楽四重奏曲ナンバー1作品59の豊穣なメロデイー、、、そして又、弓を松脂なしの弓に持ち替えて 摩擦音の連続、、、と言うわけで、現代音楽に悪酔いしそうな曲だった。実験的現代音楽は疲れる。

エントリーが終わり、やっとベートーヴェンピアノコンチェルト。彼が37歳のときの作品。とてもロマン派の香りする 静かで技巧的なコンチェルトだった。コンサートピアニストは、クロアチアで生まれ、ザウスブルグで育ったピアニスト デジャン ラズィック(DEJAN LAZIC)。この人、日本でも招かれてN饗と公演している。
ベートーヴェンは 自分が優れたピアニストだったから 自分にしか弾けない様な技巧的な難曲を沢山つくったが、これも本当に弾くのが大変な難曲。どなるでもなく、語りかけるでもなく、静かに ひたむきに心に訴えかけるように演奏していた。音のひとつひとつが きれいで 静かだが 力のこもった演奏だった。アンコールに応えて ラフマニノフを弾いた。難曲を得意とする人なのだろう。

休憩をはさんで、最後はベートーヴェンの交響曲第4番。へえーと思われるかもしれない。ほとんど聴かれることのない第4番だからだ。「英雄」の第3番、「運命」の第5番、「田園」の第6番、「合唱」の第9番など、有名な曲に埋もれてきた交響曲。

フルトベングラーや、バーンスタインや カラヤンに指揮されて 重厚でゆったり 蒸気機関車DC1が単線を走るように演奏されてきた。そんなだから 特別なベートーヴェンマニア以外は 眠くなって仕方がなかったけど この4番に命を吹き込んだには、カルロス クライバー。彼が指揮してやっと、なんだ、結構良い曲じゃん、と評価され出した。カルロス クライバーの第4番に 今回のリチャード トンゲテイが さらに磨きをかけて躍動感あふれる演奏をしてみせた。重い重い蒸気機関車でなくて、ジャガーが走る、疾走感あふれる演奏だ。

リチャード トンゲテイは べートーヴェンがいた時代どうりの正しいキー、正しいテンポにもどって演奏しただけだ と言う。べートーヴェン作品は技術的に演奏するのが困難であったことと、大規模オーケストラ(55人規模)で演奏するために どうしてもテンポが遅くなり、重厚さが協調されてきた。一方ベートーヴェンの難聴が進行して 彼が想像上 曲を作ったため、現実には不可能なほどテンポの速い曲が作曲されていた。従って彼が指示したテンポ、彼が望んだキーで演奏できる奏者がいなかったのだそうだ。そんなことから、べートーヴェンの交響曲は 重い、のろい、暗い 退屈な演奏になってしまった。

リチャード トンゲテイは 技術的な難しさはテクニックの研鑽を重ねることでクリアし、室内楽の少人数で演奏することによって 本来のベートーヴェンの思い描いていた交響曲の演奏を可能にした。この曲の初演1804年、ベートーヴェンが指揮したのは たった6人のバイオリン奏者 総数24人のオーケストラだった。ACOも22人の弦楽奏者にクラリネット、フルート、フレンチホーン、バスーン、オーボエが加わっただけだ。それでいて、すごい迫力。これがACOの実力だ。
ベートーヴェンが 躍動感あふれ、ジャガーのように疾走する。ダイナミックに走り続ける第4番を聴きながら、ベートーヴェンのリベラルな 過激といってよい新しさが香り立ってくる。日本にいたとき 「スプリング」などバイオリンコンチェルト以外のベートーヴェン交響曲が ひとつとして好きでなかった。いま、彼の交響曲が少しも重くも退屈でもない。 聞いた後は さわやかな満足感でいっぱいになる。そうか、ベートーヴェンは 吉野家の牛丼じゃないけど 速い うまいに越したことはないのか。ベートーヴェンを聞かせるか、否か 要は演奏家達の心意気なのだ。
とても満足したコンサートだった。