2008年5月9日金曜日

映画「壊れた太陽」



映画、「BROKEN SUN 」、邦題「壊れた太陽」を観た。
監督:BRAD HAYNES
出演:JAI KAUTRAE、宇佐美慎吾、原健太郎、橋本邦彦


オーストラリア、NSW州のカウラというシドニーから西の内陸に向かって250キロほど行った田舎町に、第2次世界大戦中は捕虜収容所があった。 カウラは今でこそ、小さな町が中心にあり、そこから一面の麦畑と、牧草地が広がって、牧畜農家が点在している のどかな田舎だが、収容所があったころは、まだ本当に僻地のようなところだったのだろう。

戦争が始まって、フィリピンなどで戦争中に捕虜となった日本人が、イタリア人捕虜や、ドイツ人捕虜と一緒に、この収容所に収容されていた。  当時の日本人軍人は生きて捕虜となるよりは、天皇のために戦って潔く死ぬことを望んで、食事のとき用に与えられていたフォークやスプーンや石で武装して、看守を襲い、集団脱走をした。

1944年8月5日のことだ。1104人脱走、死者234人、負傷者108人、脱走に成功したもの ゼロという記録を残した。生き残って、収容所にもどされた捕虜達は戦後 日本に帰国したが、捕虜を恥と考える日本人捕虜達は、自分の本名を隠し通したため、実際の脱走の首謀者などは、わかっていない。

死者のうち、4人はオーストラリア人看守だった。僅かな数の看守に対して、圧倒的多数の日本人が襲ったため、看守は無残に殺された。脱走を計画したものは、恐らく 誤った情報によって、カウラから脱走して汽車に乗り 港までたどり着ければあわよくば母国に帰れると、思い込んでいたものもいたと思われる。当時、南方戦線に駆り出されていた島国日本の若者に、日本とオーストラリアがどれほど離れているのか、NSW州が地図の どのあたりに自分がいるのかといった知識を まともに持っていた人はわずかだったろう。汽車などなく、港まで何百キロ、カウラから歩いてでは、どこにも逃げる所などない。日本の22倍、このオーストラリア大陸の大きさを正確に知っていれば脱走に異を唱えるものも多かったはずだ。無知を、教条的な精神主義で乗り切った当時の軍国日本の、無謀な集団脱走だった。一部の軍人に踊らされて起きた 集団自決事件ともいえる。

今、カウラには沢山の桜が植えられて、当時の戦死者達の日本人墓を取り囲んでいる。近くには、日本庭園が造られ、池には大きな錦鯉が泳いでいる。日本軍は大東亜共栄圏とかいって、アジアの国々を侵略し、捕虜になった兵士達は オーストラリアでサンフランシスコ条約に即して人道的な捕虜の扱いを受けていたにも関わらず、オーストラリア人の警備員を殺害し、集団脱走して 結果として、沢山の集団自決とも言ってよい死者をだした。毎年、桜の時期には、大使、領事や、日本人会によって、法事が行われている。

この映画は、このカウラ事件を扱った インデイペンデント フィルム。
主人公、ジャックは 若いときに第1次世界大戦でヨーロッパ戦線に送られて帰還した元軍人。結核でひとり、わびしい恩給暮らしをしている。戦場で負傷して、連れて行ってくれと、懇願する親友を無残に見捨ててきた過去から逃げられず、親友がいつも夢に現れて、自分を苦しめる。 そんな時に カウラ収容所から脱走してきた日本人捕虜マサルが、とびこんでくる。ジャックは 素足でボロボロの服を着たマサルに 食べ物を分けてやり、服をやり、足の怪我の手当てまでしてやる。戦争で心の傷を負っているジャックと、絶望的な脱走をはかりうとしているマサルとの間に、いつしか心が通い合う。

しかし、その夜 もう一人の脱走犯がやってきて、自殺をはかるが死に切れなくて苦しむ友人のために首をしめて楽にしてやるマサルをみて、ジャックは 許せない殺人だといって激しく怒る。しかし、朝には、追っ手がやってきて、、、というお話。

この映画は 歴史的に無視することができないような 深刻な出来事を扱っているはずだが、映画としては失敗作、ものすごくつまらない。冗漫で、詩情に流れて、テーマが失われている。安っぽいセンチメンタル。
この監督の日本びいきには頭が下がるが、マサルの友達が 脱走したあと生き残ってマサルと合流できた そのすぐ後に切腹自殺するのは、実情にそぐわない。オー!ニポンジンー、ハラキリ、ゲイシャ、フジー、といった外人さんのイメージには苦笑するしかない。脱走した捕虜がハラキリできるような短刀を持っているのも、謎だ。

脱走の前、一番強硬に看守を殺して潔く死ぬと、アジっていた男が逃げ延びて、女子供しかいない農家に逃れて、食べ物を恵んでもらったあと、主婦に、どっかに早く行ってくれ、と言われて、あわてて、主婦の家事の手伝いに、シーツを干そうとするところは、笑える。当時の日本軍強硬派がこんなことをするだろうか。

初めの脱走シーンも、突然、画面が真っ暗になって、声だけ、ワーとか、ガッシャン,ドタン、グシャ、バンバン、ドッドッドッ、などと、音だけで脱走を仕上げてしまったのも、予算がないのは、わかるけど、もっと、何とかならなかったのかしら。だいたい、せりふあり日本人4人、せいふなし日本人が4人くらいの出演者では、戦闘場面は描けなかったのも無理はないけれど。でも、本当は、二人だけの出演者でも優れた映画を作ることもできる。

ジャックとマサルとの間に国境をこえた友情がめばえるといった テーマを描きたかったのだと思うけれど、そんなに 数時間の間に、簡単にめばえる友情って、何だろう。1944年 オ-ストラリアと日本は 敵味方で戦争をしてた真っ最中のできごとだ。オーストラリアのおとなりさんのインドネシア、シンガポール、フィリピンと、日本軍は侵略の食指をのばし、オーストラリアのダーウィンを爆撃し、シドニー湾にも潜水艦をおくって、人口の少ないオーストラリア人を震え上がらせていた敵だ。そんな日本人に出会って すぐ食べ物を分けてやり、自分の持っている一番上等な服をやれるだろうか。

カウラ脱走事件の当時に関する書物を、随分読んできたが、確かに 腹を空かせ、青白い思いつめた顔の脱走犯をみたカウラの人々の中には、田舎者の人の良さでもって、食物を与えた農家もあったようだ。でも、それは友情ではなくて、同情だ。決して、友情ではない。

インデイペンデントフィルムというのは、スポンサーもなく、限られた予算で どうしてもいいたかったことを、魂をこめて作るフィルムではないだろうか。

こんな程度のセンチメンタルな奇妙な日本びいきのテイスト映画を、男の友情物語とか 戦争悲話とか、ヒューマンドラマなんて、言ってくれるなよ。ムシズが はしるぜい。