2006年10月24日火曜日

ネロ

夏が来ると思い出す詩がある。

私が18のときにであった谷川俊太郎の詩、以来ずっと最も好きな詩のひとつ。
俊太郎が可愛がっていた犬が死んでしまったときに作った詩だ。18才の私と18のときにこの詩を書いた俊太郎の気持ちが みごとに一つになって深く心の奥で共鳴した。

この詩の中にメゾンラフィットの夏 という言葉がでてくるが、これは、作家マルタン デュ ガールの小説「チボー家の人々」という、全5巻の長編大河小説に出てくる フランスの避暑地。そこで、チボー家のジャックはジェニーと出逢って、初めて、お互いに心を躍らせるという物語の中で、大事な場所。その後、フランスはドイツと戦争を初め、反戦活動家のジャックは戦争をやめさせようと、 兵士たちは、戦うのを止めて、国に帰れ、というビラを飛行機から撒こうとして、撃ち落とされて、殺される。

この部分が、当時の軍国日本の最中、若者に影響を与えるということで、当時、日本では出版が禁止された。私の父を含めて、当時の若い人たちは、ジャックの行く末を自分達の生き方と重ね合わせながら、出版を待ったが、敗戦後になってやっと、物語の結末を知ることになる。父が愛着をもっていたこの小説が、俊太郎の詩にもでてくるということで、私には、二重に 特別な詩になった。


ネロ             谷川俊太郎

ネロ
もうじき又 夏がやってくる
お前の舌
お前の目
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる

お前はたった二回ほど夏を知っただけだった
僕はもう18回の夏を知っている
そして今僕は自分のや 又自分のでないいろいろな夏を思い出している
メゾンラフィットの夏
淀の夏
ウィリアムズバーグの夏
オランの夏そして僕は考える
人間はいったいもう何回くらいの夏を知っているのだろうと

ネロ
もうじきまた夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
また別の夏全く別の夏なのだ
新しい夏がやってくるそして新しいいろいろのことを僕は知っていく
美しいこと みにくいこと 僕を元気ずけてくれるようなこと
僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろう

ネロお前は死んだ
誰にも知られないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持ちまでもが
今はっきりと僕の前によみがえる

しかしネロ
もうじき又 夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春を向かえ さらに新しい夏を期待してすべて新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために

2006年10月16日月曜日

映画「デビル ウェア プラダ」


映画「DEVIL WEARS PRADA」は、とてもおもしろい、よくできた映画だ。
邦題はなんと言うのだろう?「プラダを着た悪魔」か、「悪魔プラダを着る」か、「悪女はプラダが好き」か? メリル ストリープの名演にはいつも感心する。 

彼女、ロバート レッドフォードと「アウト オブ アフリカ」を演じたときは、デンマークアクセントで、「ソフィの選択」のソフィを演じたときはイングリシュアクセントで、今回は、ニューヨークアクセントで、役柄を徹底していた。彼女はカメレオンか??美しい顔と醜い顔の使い分けも秀逸。他の女優には、絶対 まねできない。
この映画では、とっかえつっかえ、ブランド服に身を包み、つま先から頭のてっぺんまでスキのないオシャレ、服にあわせた、化粧のオンパレード。 ニューヨークをベースにするファッション雑誌編集長の彼女はデザイナー達に コレクション発表の内容を変えさせてしまう程のパワーを持っている。。またワーカホリックであり、雑誌のスポンサーからは絶大の信頼を得て、第一線で、20年も働いてきた。 彼女の右腕、ダイレクターが、ゲイのスタンレイ トツチ。

そのファッション雑誌編集長の秘書に仕事さがしで、応募してきたのがアン ハスウェイ。大学でジャーナリズムを勉強してきた新卒で、キャリアが欲しくて面接にくる。ファッション雑誌の会社の面接なのに、彼女のダサい服装に職場の人々はあっけにとられる。 メリル ストリープとスタンレイ トツチとアン ハスウェイ、3人のうまい役者達のやりとりだけで、すごく面白い。それぞれが役にはまっていて、実に生き生きとして役を演じている。 くわえて、名前を覚えておこうとおもってて、忘れちゃったんだけど、メリルの第一秘書の若い女の子の演技がすごく光っていた。メリルのお気に入り秘書であるために、トップファッションに身を包み、サラダしか食べない やせっぽちの美人で、次から次へとかわる衣装に合わせてアイラインの引き方から、髪型までかえて自由自在に オシャレを徹底するコーデイネーションには脱帽。(あとで、名前はエミリーブラントとわかった。「IRRESISTIBLE」に出ている。)

アンは、初めは おばあちゃんから借りてきたようなスカートに、カカトの低いドタ靴はいていたのだけど、サンプルの服や靴をもらう内、ブランドを着こなして、きれいにストレートパーマをかけて、念入りに化粧もするようになって、みるみるうちに きれいになっていく。そんな過程を見ていて とっても楽しめる。 本当にオシャレって素敵。女の子に生まれて幸せ!って、みんな 感じたのではないかしら。 

シドニーヘラルドお映画評では14歳から104歳までの女性が楽しめる映画だと描かれていた。 そんな風にして編集長の秘書として、パリファッションウィークでパリの一流でデザイナーたちと交流したり、有名なジャーナリストとラブアフェアがあったりするんだけど、雑誌の編集権をめぐるパワーゲームや、20年右腕だった仕事仲間を平気で、切り捨てたりする裏駆け引きに嫌気がさして、一人で、仕事をやめて、アンは ニューヨークに帰って来てしまうのね。

で、メリルににらまれたら、どの新聞社でも出版社でも雇ってもらえないと脅かされていたけど、ローカル新聞社に面接に行ってみると、その編集長は、メリルから、「あなたがこの子を雇わなかったら大バカよ。」といわれていて、採用が決まるところで、映画が終わる。  メリルは ただ残酷にアンをこき使って、使い捨てにしたわけじゃなくて、この新卒を それなりきちんと評価して 育てたわけね。文字どうりデビルなわけ。

役者としては メリル ストリープが勿論一番、二番が スタンレイ トッチとエミリーブラント、三番がアン。4人とも本当に演技がうまい。 アンは「プリンセス ダイアリー」でデビューして、「ブローク バック マウンテン」で、二人のゲイのうちの、片方の男の妻の役に出て、アカデミー女優助演賞をノミネイトされた。 この時ヒース レジャーの妻役をやった女優は、初々しい新妻から、やがて、お母さんになり、幸せな家庭を築いていたのに、夫が男の恋人と逢引するのをみて、狂ったように嫉妬する役を やってとてもよかったのに。この女優の20分の一くらいしか出番のなかったアンが助演賞にノミネイトされたので、びっくりした。確かに彼女にはすごくしっかりした存在感があって、夫がゲイだと認めることは 自分のプライドが許さないという 毅然とした姿が痛々しくも美しかった。良い女優になるだろう。先が楽しみだ。

そういえば このごろじっくり鏡をみてないな、とか、このところ新しい服も靴も半年くらい買ってないなあ、とかいう人は、この映画を観て、ちょっと刺激を受けたほうが良い。女の子同士で観て、すごく楽しめる映画だ。 これを 一緒にみて、一緒に楽しんでくれるような、男の子って私は好きだな。映画にでてくるような、19万円のプラダのバッグを買ってくれなくってもね!

2006年10月2日月曜日

映画「麦の穂ゆらす風」



ケン ローチ監督の映画、「THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY」を観た。邦題「麦の穂ゆらす風」。
現在、クレモン オピアム、一時資金繰りが苦しくて閉鎖したが、熱烈なファンの要望にこたえて復活したパデントンのシェベルで、上映中。

2006年カンヌ映画際の平和賞受賞作。ケン ローチと言えば、「マイ ネイム イズ ジョー」、「スイート シックステイーン」など 一貫して人間の良心を描いてきた、今、最も優れたスコットランドの映画監督。作品を見渡してみて、社会派というべきか。

タイトルのBERLEYは大麦、大麦畑を揺り動かす風、とも、大地ゆさぶる風、とも訳せる。 風とはイギリスの圧制から自由を求めるアイルランドの人々の動きを言う。
1920年、一人の青年医師はイギリス軍による暴政をまじかに見て、アイルランド独立運動のゲリラ部隊に入隊、何度も死線をかいくぐりながら、ゲリラ活動を継続する。しかしイギリスとアイルランド間の合意協定で、南アイルランドの独立が認められると、仲間の一部は、それでよしと政府の懐柔策に妥協して、IRAアイルランド共和国軍に合流する。
しかし 青年医師は北アイルランドの独立なくして勝利はないとして、これらと対立、ゲリラを続ける。が、ついに捕らえられ、銃殺処刑される。

実に800年にわたるアイルランド独立の戦いの歴史のひとコマだ。1920年のドキュメンタリータッチの映画だが そのまま現在にいたる北アイルランドの状況を見れば、この映画はそのまま今の話である。
独立獲得の戦いが本当の敵、イギリスよりも、内部の敵、妥協の産物、との戦いになり、路線の違いで、同じ独立運動の同士が殺し合わなければならない青年達の苦渋、愛憎をケンローチは淡々と映像化していく。

オーストラリアはイギリスからの、移民でできた国なので、アイルランド人が多い。上映中、逮捕されたゲリラの隊長がイギリス軍に拷問にかけられ、生爪をはがされるシーンがあったが、隣で映画をみていた老夫婦がたまらず席を立ち、出て行った。アイルランドの苦渋に満ちた歴史の痛みを自分の痛みのように感じている人も この国では多いのではないか。
銃殺される青年医師 CILLUAN MURPHY は優れた俳優だ。別のケイト ブランシェットの映画でもレジスタンス役をやっていた。

ケンローチはプロの俳優を使わず、自分のイメージに合う素人を 町で拾って、映画を作るという 手法で有名だが、今回はみなプロを使っており それが皆、すごく良い味を出していた。地味な映画だけれども、いつもケンローチの映画には、「ほんもの」」 がある。
惜しいのは、アイリッシュアクセントが強くて、劇中、会話を聞き取るのが至難の業だったこと。彼は、スコットランドのグラスゴウを舞台にした作品を多く作っているが、スコットランドなまりがつよくて、イギリス人に理解できないため、字幕がついている。この映画にも英語の映画だが、英語の字幕をつけて欲しかった。