ジャイアントな革命家たちが生きて活躍していた時代に、同じ空気を吸っていたことが光栄なことだったと今にしてみれば思える。
キューバでは、カストロが米国を後ろ盾にしたバテイスタ政権を倒し、圧倒的な農民の支持を得て、米国農園主たちを追放し、小作農をなくし農地改革を行い、キューバを独立させた。
何度も執拗にCIAが反独立分子を送り込み、政権を転覆させようとしたが、チェ ゲバラとフィデロ カストロは独立を守った。
大学1年のとき、キューバのカストロ大統領の事実上の「妻」であった山本満喜子さんにお会いする機会があった。75年間生きてきたが、この方ほど素晴らしく魅力のある女性に会ったことがない。日焼けした健康的な輝く肌、漆黒の良く動く大きな目、宝石一つ身に着けていないのにエレガントで、フラットな靴で足を組む姿は、ほれぼれする美しさだった。指の動き、しぐさの一つ一つが気品に満ちていて、その場にいた学生たちみんなが魅了された。
大学は、幼稚園から大学まで当時2,000人足らずの小さな学園で大学は、経済学部と文学部だけ。私はマスコミを学んでいた。1年上に青木書店の青木富貴子さん、円谷プロダクションの息子さん、4年生には役者の田村亮、万年留年の田村正和なんかがいて、同級に桐島洋子と結婚して離婚した勝見洋一がいて彼とは仲が良かった。
山本満喜子さんはたまたま日本に来ていて、日本の企業とキューバのウナギの稚魚を輸入する交渉のために来日していたのだった。それを機会に「日本キューバ文化交流研究所」を設立された満喜子さんに「キューバの文化」をタイトルにレクチャーを依頼したのだった。レクチャーを聞きに来ていたのは、多くは南米の音楽に関心のある学生たちだったと思う。
2時間のレクチャーが終わっても、私を含む6,7人の仲間は満喜子さんが名残惜しくて、離れがたかった。心臓の強い奴がいて、図々しく「お茶でも、、」と声をかけて、成城パン喫茶室にお誘いして、、ところが空き席がなく、喫茶室はでかいソファーをレジ横に持ち出してくれて、学生たちに小さな折り畳み椅子を用意した。私たちは白雪姫を囲む7人の小人達のように、満喜子さんを取り囲んで、美しく足を組んでソファーに座った満喜子さんからお話を伺った。暗くなるまでたくさんの質問をした。
キューバ革命戦士たちの暮らしぶり、それを支える女たちのたくましさ、カストロの願望など、革命までの道のりやゲバラとの友情。刑務所に収監されている活動家たちは、1キロも先から自分の妻が会いにやってくるのが臭いでわかるという。乾いた砂塵が渦巻き、熱い太陽が照り付ける中を、鈴を鳴らしながら裸足で夫に会いに来る女たちの姿が目に浮かぶようだった。
自分の夫を「フイデロがね、、」と愛情をこめて語る口調は柔らかく、満喜子さんの語りは自分の弟や妹の語って聞かせるように親愛に満ちていた
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