2025年7月30日水曜日

山本満喜子さんとカストロ

1949年に生まれたが、私の時代に中国では毛沢東が居て、ベトナムにはホー叔父さんことベトナム革命の父、ホーチミンが居て、キューバには、ゲバラとカストロが居て、リビアにはカダフィ大佐が生きていた。
ジャイアントな革命家たちが生きて活躍していた時代に、同じ空気を吸っていたことが光栄なことだったと今にしてみれば思える。

キューバでは、カストロが米国を後ろ盾にしたバテイスタ政権を倒し、圧倒的な農民の支持を得て、米国農園主たちを追放し、小作農をなくし農地改革を行い、キューバを独立させた。
何度も執拗にCIAが反独立分子を送り込み、政権を転覆させようとしたが、チェ ゲバラとフィデロ カストロは独立を守った。
のちに、ゲバラはキューバのみならず、ラテンアメリカすべての国を、米国、スペイン、ポストガルなどの植民から解放しようとして、ボリビアに向かって発ち、そこでCIAに暗殺された。

大学1年のとき、キューバのカストロ大統領の事実上の「妻」であった山本満喜子さんにお会いする機会があった。75年間生きてきたが、この方ほど素晴らしく魅力のある女性に会ったことがない。日焼けした健康的な輝く肌、漆黒の良く動く大きな目、宝石一つ身に着けていないのにエレガントで、フラットな靴で足を組む姿は、ほれぼれする美しさだった。指の動き、しぐさの一つ一つが気品に満ちていて、その場にいた学生たちみんなが魅了された。
大学は、幼稚園から大学まで当時2,000人足らずの小さな学園で大学は、経済学部と文学部だけ。私はマスコミを学んでいた。1年上に青木書店の青木富貴子さん、円谷プロダクションの息子さん、4年生には役者の田村亮、万年留年の田村正和なんかがいて、同級に桐島洋子と結婚して離婚した勝見洋一がいて彼とは仲が良かった。
山本満喜子さんはたまたま日本に来ていて、日本の企業とキューバのウナギの稚魚を輸入する交渉のために来日していたのだった。それを機会に「日本キューバ文化交流研究所」を設立された満喜子さんに「キューバの文化」をタイトルにレクチャーを依頼したのだった。レクチャーを聞きに来ていたのは、多くは南米の音楽に関心のある学生たちだったと思う。

2時間のレクチャーが終わっても、私を含む6,7人の仲間は満喜子さんが名残惜しくて、離れがたかった。心臓の強い奴がいて、図々しく「お茶でも、、」と声をかけて、成城パン喫茶室にお誘いして、、ところが空き席がなく、喫茶室はでかいソファーをレジ横に持ち出してくれて、学生たちに小さな折り畳み椅子を用意した。私たちは白雪姫を囲む7人の小人達のように、満喜子さんを取り囲んで、美しく足を組んでソファーに座った満喜子さんからお話を伺った。暗くなるまでたくさんの質問をした。
キューバ革命戦士たちの暮らしぶり、それを支える女たちのたくましさ、カストロの願望など、革命までの道のりやゲバラとの友情。刑務所に収監されている活動家たちは、1キロも先から自分の妻が会いにやってくるのが臭いでわかるという。乾いた砂塵が渦巻き、熱い太陽が照り付ける中を、鈴を鳴らしながら裸足で夫に会いに来る女たちの姿が目に浮かぶようだった。
自分の夫を「フイデロがね、、」と愛情をこめて語る口調は柔らかく、満喜子さんの語りは自分の弟や妹の語って聞かせるように親愛に満ちていた
もう50数年前のことだが、いまだに満喜子さんが親しげにフィデロの話をしてくれた姿が忘れられない。立派な革命家とそれを支える女性の姿に限りない憧憬の念を覚えた。
それから何年もして、満喜子さんはフィデロカストロの死後、メキシコで亡くなったそうだ。
キューバは、いまも米国による経済封鎖にもかかわらず、カストロの遺志を継いで、独自の道を歩んでいる。いま、キューバの若い人々は、満喜子さんのことなど興味も関心もないだろう。
ついでにこのころ大学で一緒だった人たちがどうしているか、グーグルってみたら、ほとんどの人が,もう亡くなっていた。時の経つのが早い。



2025年7月23日水曜日

BRICSに期待


戦後、地上戦を経験することのなかった米国は、世界中の金の80%を所有し、世界のGSTの半分を占める経済力を持っていた。そのため戦後の経済は米国による主導で、米国ドルを基準に動いてきた。1971年米国は、金本位制を放棄してもなお、ドルを主要通貨として世界経済を思うように動かしてきた。

また、豊かな米国とEUは、IMFを使って経済的に困窮した国にドルを貸し、利子を奪い取ることにより、貧しい国の富を奪ってきた。おまけに民主主義国家ではないからと、理由をつけては南米各国、リビア、イラク、アフガニスタン、イエメン、シリアなど多数の国に軍事介入までしてきた。
このように戦後一貫して、米国は世界の警察、世界の暴力団として思うまま陸、空、海、宇宙全域にわたる支配を維持してきた。ついでに日本は米国の思惑通りに、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東、北アフリカの戦争に米国の兵站として協力してきた。現在米国は、国際法を無視して、恥じらいもなくイスラエルとウクライナに武器を送り、ジェノサイトを続けている。

このように米国ドルとドルに連動するEUが、弱小国から植民地的搾取をしてきたことに対して、「脱米ドル」の動きが出てきたのは、当然だ。
今週、BRICSの国々が、リオ二ジャネイロで、年次首脳会談を行った。BRICSは、16年前ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの国々で発足したが、その後イラン、インドネシア、エジプト、エチオピア、アルジェリア、マレーシア、アラブ首長国連邦が加盟し、サウジアラビアが加盟申請中だ。これらの国々は世界経済の3分の1にあたる。彼ら連合体は、「脱ドル化」を進めようとしている。
これに対してトランプ米国大統領は「脱ドル」だけは許さないとして、BRICSの国々には関税を 100%掛けると恫喝している。トランプは前ブラジル大統領だったボルセナロが、トランプの信奉者だったこともあり、以前彼を使ってクーデターを起こさせようとして失敗している。そして、現ブラジル大統領、ルラ ダシルバにゆさぶりをかけるため, 50%関税をかけるとずっと攻撃してきた。それがいま100%にすると言い出した。
トランプによる圧力にもかかわらず、BRICS首脳会議は、独自の「脱ドル化」経済を模索する。
今まで、幾度もリビアやマレーシアなど、「脱ドル化」と、「独自通貨」を持った国々の連帯を目指した指導者がいたが、ことごとく潰されてきた。BRICSの動きを、今後も注目していきたい。

2025年7月16日水曜日

参議院議員選挙に投票

日本領事館に行って第27回参議院議員選挙の投票をしてきた。

領事館のあるシテイまでは、車で10分、駅に車を置いて電車で30分ほど。平日の午前中、領事館には他の人はおらず、4人の担当者がひとつひとつ記入する用紙の説明をしてくれて、8つの目に注視されながらの記入であったから、間違えようがない。
東京を離れて沖縄に3年,フイリピンに9年、オーストラリアに30年経っていて、むかし私が育った日本では自民党と社会党と共産党しかなかった。いま投票用紙を見て、見たこともない聞いたこともない政党がたくさん並んでいて驚いた。
日本は戦後80年のうち、そのほとんどを自民党1党独裁国家だったのであり、それは日米安保条約と日米地位協定を背景に米国属国に甘んじてきたがゆえだ。戦後の朝鮮人学友らの運動も、60年代安保条約反対運動も60、70年代の三里塚、ベトナム反戦運動も、その後の気候変動に抗する市民運動なども広がりを見せているが、反対に欧州と米国の極右化に押されて「いま極右がトレンド!」とばかり日本でもトランプの真似をする輩が出てきたのは驚きだ。

しかし極右を批判する左翼陣営が「移民」は日本の漁業、農業、医療などで日本人より安い賃金で働いてくれて、なくてはならない存在なので移民を排除するな、人種差別反対、と主張する人の言い分にもあきれる。
オーストラリアに来てみれば、働く人の最低賃金は、時間最低$24、10ドル(2506円】週給915、90ドルだ。移民であろうがなかろうが、ワーキングホリデイの学生であろうが、パートのおばさんであろうが、民間企業や公務員であろうが、労働者はすべて同じ最低賃金以下で働かされたら雇用主が罰せられる。性別、年齢、国籍に関係ない。
そのうえ給料の12%分のお金を雇用主は、その人の年金として積み立てておく義務がある。仕事をやめて他に移ったりオーストラリアを去るとき、人は働いた分の積み立てられたお金を受け取って自分の国に帰ったり、他国に移動したりする。最低時給と積立貯金は、すべての労働者の権利だ。
そういったスタンダードを持った人が、日本に来て働くことになって、最低時給も定まっておらず、日本人より安い賃金で働かされて、右翼からは「移民反対、自分の国に帰れ」と叫ばれて、左翼からは「移民は安くてきつい仕事をしてくれてありがとう。人種差別反対」などと言われたら面食らう。何が差別反対か!移民は安くてきつい仕事をする労働力ではない。ほかの日本人と何ら変わりのない人間で、あなたもあなたも同じ労働者なのだ。移民の待遇の悪さや低賃金を、まず怒らなければいけない。

投票の後、シテイの紀伊国屋で頼んであった本が届いていて、とてもうれしかった。
チョンヒョンジョンさんの、「木下直江その生涯と思想」平凡社、出版されたばかりの、ほやほや。
木下尚江の少年時代からのエピソードが語られるごとに終わりに彼の詩歌がしたためてあって、イマジネーションが広がる。あたかもそこに彼が居るかのようだ。文章が木下尚江への敬愛に満ちていて、読むとあたたかい気持ちがじんわりと、染みわたっていく。美しい日本語だ。まだ25ページしか読んでいないが、感動している。



2025年7月3日木曜日

ゲイの輸血解禁

この7月14日から世界で初めてオーストラリアで、ゲイが献血できることになった。

へえ、だから何?と言われそうだが、長年ゲイ差別と闘ってきたLGBTQにとっては朗報だ。
この決定によってこの国では、約62万6500人の人が新たに献血リストに加えられる。献血による血液の確保は、近代医療にとって無くてはならないものだ。献血の事前検査で、献血できるという証明書をもらうことを、自分の健康診断の代わりにしている人も多いことだろう。オーストラリアでは大きな事故や災害が起こるたびに、献血場に列ができる。さすがクリスチャンバックグランドがある国だ。
献血ができるためには、たくさんの条件がある。16歳以上、体重50キロ以上、糖尿病、貧血,高血圧、性病にかかっていないこと以外に、タットーを入れて3か月以内の人や、ドッグや売春を3か月以内にした人は除かれる。それに加えて、今までは男のパートナーを持つ男は献血できなかった。
大学のクラブ活動や、職場からボランテイアで献血しようという言うとき自分だけが拒否されるのは辛いものだ。自分の親や、愛する人が事故で瀕死状態、一刻も早く血液が必要な時に自分の血液を使ってもらえないというような事態ほど悲しいことはない。

これからは献血するにあたって、ゲイもバイセクシュアルも差別なく献血できる。HIVエイズの予防薬を飲んでいる人でもプラズマを献血できる。精密なリサーチと実験、研究の結果、ゲイが献血できないのは「科学的ではない」という根拠が証明された。
LGBTQではない人にとっては、関係ないことのように思うかもしれないが、そうではない。「科学的根拠のない差別」が今まであったことを、私たちは怒らなければいけない。
人は生まれながらにして男が好きな人も女に惹かれる人も、どちらにも魅力を感じる人もいる。生まれて持ってきた性器が、両性具の人もいれば、大きなクリトリスを持った人も、小さなクリトリスとペニスを両方持った人も居る。みなそれぞれ、人は人柄に惹かれ合い、それぞれの愛の形を作っていく。そこに異常とか、普通じゃないとか,マイノリテイといった価値観は通用しない。人みな異なり、「普通」も「標準」などないのだ。

そして、
LGBTQ で’あろううが、そうでなかろうが、男であろうが女であろうが、どちらの性も認めない人であろうが、どのような愛の形であっても、それぞれの人が愛の前では平等であることが大切だ。
小さな差別を見逃さないで、それを自分のこととして捉えるべきなのだ。そうしないと差別は強いものに定規を合わせて他を差別するように、様々な局面で増殖していく。

だから、
今回の決定をたくさんの人たちと一緒に喜びたい。