私のたっての願いで新宿の長崎ちゃんぽん皿うどんで、家族全員と会って、旧交を温めた。彼とのなれそめは、とマゴに聞かれて35年前のこと、すっかり忘れていたがようやく思い出した。娘たちがマニラインターナショナルスクールで学んでいた頃、そこでわたしは午前中は中学生、午後は高校生にバイオリンを教えていた。マニラで日本語の新聞を発行して編集記者だった彼が、音楽室にインタビューに来たのだった。音楽の話をロクにせず、「なぜ塩見孝也がブンドを割って赤軍を作ったことが間違いだったのか。」とか「新左翼がコケたのは当時の党派が子細な戦術の違いで分裂したことに全責任がある。」とか、しっぽり2-3時間話した記憶がうっすら。彼は何でも知っている。わからないことがあって調べるのがめんどくさかったり難しい時、聞くと何でも教えてくれる。わたしの百科事典だ。
翌日は6人で明治神宮におまいりした。神道と仏教の違いが良くわからない義理の息子スコットに、神道がいかにかつての大戦で現人神天皇が300万の国民の命を奪ったかを言及し、神宮の森は残すべきだが、神道は過去の遺産でお伽話にすぎないと説明。その足で原宿、竹下通りに出て、ドーナッツを買って公園で食べ、古着など見た。15歳のマゴが気に入ったジーンズをみつけられて良かった。女子組が買い物にうつつを抜かしている間、男子組は自転車を借りて代々木公園を走り回り、それでもエネルギー持ち甘してバッテイングセンターで大汗をかいていた。スコットは毎朝みんなが寝ている間、退屈しのぎにひとりで遠出の散歩で新宿御苑を何周もしている。
次の日、次女家族は新宿からバスで富士急ハイランドで1日中遊んできた。天気に恵まれ富士山がよく見えたようだ。遊び疲れて夜暗くなってやっと帰ってきた。私と長女は新宿散策、紀伊国屋、世界堂、伊勢丹、追分団子,高野フルーツパーラー、カフェでカニの身が沢山入ったパスタをやっつけた。
翌日は銀座に出て、新しいビルのGSIX, ソニービル、和光、三越、よしのやの靴、MUJIホテルなどなど見たのあと、銀座4丁目の「ライオン」でビールとジャーマンソーセージを食べた。むかし大学でマスコミを学び、当時銀座5丁目にあった新聞社に勤めた。昼飯はいつもライオン、仕事帰りには一緒に採用された5人の新人仲間で上司の悪口を肴に飲んで食べた。1年後セクシャルハラスメントを会長から受けて退職し、女性がずっと働ける職業を、と思って大内兵衛のアドバイスに従って美濃部都政が作ったばかりの看護学校に行きナースになった。今も75歳現役ナース。人生わからないものだ。
娘たちはマゴ達をホテルに残して夜、西口夜店通りからゴールデン街まで足を伸ばして焼き鳥とビールを楽しんでいた。
最後の夜は都庁のビルのゴジラ放映を見て、寿司よねがみでコース料理を食べ、翌朝ホテルにスーツケースを預けて「渋谷スカイ」に行った。素晴らしい眺め。しかし、東京を上から眺め、これから大地震や原子力発電所の事故が起きたら人々はどこに逃げたら良いのだろう、東京の緑の少なさに唖然とした。
空港行のバスを待つ間、吟遊詩人スーマ―さん(Masaaki Sudo)さんがわざわざ横浜から飛んで会いに来てくれた。自分の作った歌をマイクを通さずに伝えられる距離で語り弾きをしている稀有で貴重な人。「寒弾」というエッセイを毎月書いて印刷して全国、全世界の根強いファンに郵送している。画家たちとも交流があって「寒弾」の表紙はいつも斬新な絵だ。彼と話していると、声そのものに優しさと思いやりが籠っていて、心地よい。以前は帰国ごとに彼のライブで、他の友人達を集めて会っていたが、今回はスケジュールが合わなかった。
会いたくて会えなかった方々、Green Design Work の平山さん、村松ゴン、父のお弟子さんたちなど会えなくて残念だったけど、こんどまた。
写真は渋谷スカイ