親戚も親しい友達も何のつてもない国に、シングルマザーが子連れで来るなんて、何というクレイジーと言われたが、全然心配などしていなかった。生活できなくなったら道端でバイオリンを1日弾いていたら、その日に食べるくらい稼げるだろうと思っていたし。
娘たちはインターナショナルスクールで育っていたから、オーストラリアの学級を1級飛び級して大学に入り、それぞれ専門の学問に突き進み専門職に就いてくれて、親として何の杞憂もなくこれまでやってきたが、やはりこれは娘たちの努力の結果だったと思う。ありがたいことだ。
大昔の話だが、日本で看護師の資格を取って都立駒込病院に勤めたのは、1977年。給料は1か月9万5千円だった。少したって10万円になったときは嬉しかった。その前、大学の文芸課マスコミを卒業し、業界新聞社で働いていた時の給料は8万円だった。
今オーストラリアの最低賃金は、時間給$23.23(2100円)で、月32万4千円が最低保証される。最低32万円というと高収入みたいに聞こえるかもしれないが、ここから25%税金と、9%健康保険代を差し引かれてみると全然生活は楽ではない。
オーストラリアは移民でできた国で、移民は毎年その数を更新しているが、それに伴う住宅の数が追い付いていない。そのため借家とアパート賃貸が、取り合いの競争になっていて、2ベッドルームのアパートを誰かとシェアしても月に$2800くらいかかる。来豪して働くビザを得ても、家賃、健康保険、電気ガス水道電話代を払ったら、さてどれだけ残るか。
日本では平均サラリーマンの収入が月35万円、手取り27万円だそうで、税金が23%なところは、最低賃金のオーストラリアで25%とあまり変わらない。給料から健康保険、年金保険、住民税などが引かれるそうだが、経済と数字に100%音痴の私が、収入と税金を日豪単純比較してみるとあまり差はないように思われる。生活は楽ではない所が共通している。
しかし、オーストラリアで暮らして良いところは、人は皆イコール、平等意識が高く、差別(人種、性別、LGBTIQ 出身地、宗教、言語、年齢)などで人を差別してはいけないという法律とそれに伴う倫理感が徹底しているところだ。ワーキングホリデイや旅行でこの国に来て過ごした女性が、日本に帰りたがらないのは、若い女ばかりチヤホヤして若くない女をゴミのように扱う浅薄な日本の男尊女卑文化に嫌気を感じてのことだろう。
日本は、つくずく差別社会だと思う。戦争に敗れてやっと米国の助言で女性に参政権が与えられ民主社会になったはずだが、民主主義の根幹の議会が機能していない。議員は事前にわかっている質問に対して官僚の作った作文を読むだけ、最低限の多数決評議さえも必要とせず、長期政権与党は、自分たちの決議案だけを法にしてきた。そんな与党では世襲議員が多く、国民の税金でパーテイーをやって裏金を作り、私腹を肥やしている。アフリカや東南アジアの国の独裁政権や不正選挙を批判する資格など日本にはない。
国会議員は政治資金造りのためにパーテイーなどしてはならないし、議員としての特権をすべてはく奪すべきだし、世襲を禁止すべきだし、政治家の財産を公表すべきだし、富裕層と議員には年金など支給すべきではない。
議会が機能していないことに加えて、マスメデイアが機能していない。まず記者クラブを廃止し、いつでもどこでも報道陣が直接国会議員や閣僚にインタビューできるようにすべきだ。
議員を含め政治家というものが私財をため込むこともできず、特権も与えられず、いつカメラ実況中でマスコミに追及されるかわからない状態で仕事をしていて、全く楽な稼業じゃない、という民主国家では当たり前のことを、オーストラリアに来て知った。カルチェの時計一つで郵政局の座を追われたCEOや、高級ワイン1本でNSW州の知事を奪われた人を見てきた。
勿論オーストラリアには日本に比べて悪いところも沢山ある。差別禁止法があっても、差別する人は居る。富裕層に年金を渡さなくても、上手に脱税して富を蓄える人も後を絶たない。
しかし日本の長期保守政権の腐敗ぶりは世界の恥じだ。「上に立つものは特権を持ってはいけない。長期にわたって権力をもってはいけない。指導者を常に変えていかなければ。」と言ったのはボルシェビキ革命を指導したレーニン。
格差社会を少しでも民主社会にしていくために、腐敗した長期保守政権を倒さなければ、と思うのは私だけではないだろう。
I STILL CALL AUSTRALIA HOME を歌ってみた。空飛ぶカンガルーといわれるカンタス航空のコマーシャルソング。意訳してみると:
24時間眠ることのない街に行く ニューヨークからリオ、そしてロンドンの古い街へ どんなに遠くても どんなに大きな街に行っても やっぱり オーストラリアがわたしのホーム いつも旅行している 自由を感じることができるから 太陽にも海にも別れを告げて行く でもやっぱり オーストラリアが私のホーム 息子たち 娘たち 世界中を駆け回り 親や友達と遠く離れ だけど寂しくなったら 旅を終えよう いつかまた 懐かしい人と会って 船が港に帰るように やっぱり オーストラリアが私のホーム