6レーンあるプールにジムが開く6時かっきりに来る常連が私を含めて5人居て、いつもではないが6時によく来る人が6人くらい居る。私と同じ70代のフィージー人のおじさん、50代のバングラデッシュのおばさん、40代の韓国人、2人の中国人、30代のオージーで超ハンサムと、超のつかないハンサムボーイは、水に飛び込むなり猛烈な速さで泳ぎまくったあと、ざっとシャワーを浴びてネクタイを締めながら会社に行く。みんな和気あいあいで、とても仲が良くなった。寝坊して行ったとき、もう全部のレーンがふさがっていても、みんなが僕のレーンのおいで。レーンをシェアしよう。と声をかけてくれる。オハヨウ、ボーラ、アンニョンハセヨ、サイチェン、チャオの言葉が行きかう。だれも互いの名前を知らない。でもすごく良い感じの仲間たちだ。
オーストラリアではどんな田舎に行ってもパブがあり、アルコールだけでなく食事も出して、ともすると下手なレストラン飯よりパブ飯のほうが美味しい。ポ-カーマシンがあって、その利潤が大きいのでパブ飯はボリュームがあって安い。パブは、パブリックの略語だから、人々が飲み食い、生演奏を聴き踊り、ギャンブルし、フットボールなどのスポーツ試合の観戦をする場だ。大画面での試合を、名も知らぬ隣の人々と肩を組んで応援する。すぐに仲良くなって、とても良い感じだ。
エイジケア施設でナースとして働いて17年経つ。
アルツハイマー病、精神分裂症、自閉症、四肢麻痺、胃ろうで24時間人工栄養に頼る人、癌末期の疼痛管理患者、人工肛門や尿管管理の必要な患者などなどの、58床の施設だ。ほとんどが排尿排便を自分でできないため、家族が世話しきれなくなって施設に来る。患者は朝はシャワーを介助され、パジャマから平服に替え、朝食、モーニングテイー、ランチ、アフタヌーテイー、デイナを食堂で介助してもらって合間に、その日ごとに映画鑑賞、音楽鑑賞、ゲームの日、バス旅行、バスで近くのケーキ屋さんに行く日、などの企画に参加する。入居当時は家族が会いに来るが、家族を見てもそれが誰だかわからなくなると、もう誰も会いに来なくなる。ほとんどの人は、誕生日もクリスマスも家族と祝うことはない。私たちと祝う。
人は年をとっても若くても、障害があってもなくても、人には人のつながりが必要だ。人は一人で生まれて一人で死んでいくものだけれども。しかし生まれてきたときに歓声をあげて喜んでくれた人が必ず居て、死ぬときはしっかり手を握っていてくれる人がいる。それは家族でなくてよい。名も知らぬ人で良い。
泳ぎに行けば、俺のレーンで一緒に泳ごう、と言ってくれる人の居る「プール」でありたいと思う。喉が渇いた時ちょっと寄って、喉を潤し気軽に他人とお喋りできる「パブ」でありたいと思う。
ヘンリークレイ ワーク作詞作曲の「おじいさんの時計」を歌ってみた。
I am singing [ Grandfather's clock ] written by Henry Clay Work in 1876.