歌は「おじいさんの時計」(MY GRANDFATHER'S CLOCK)
オーストラリアでは昨年2019年10月から全国各地でブッシュファイヤーが燃え広がり、33人死亡、4.3万平方キロメートル、2500件の家屋が焼失、その間の煙による被害で、400人が喘息発作などで亡くなった。火災はその後、今年の2月に集中豪雨が襲い、ブッシュファイヤーは鎮火したが、焼けつくされた土地が、過去30年来の最大豪雨を吸収できず大規模な洪水が起きた。
シドニー中心地から電車で15分の所に住んでいるが、ブッシュファイヤーが続いた5か月間、煙りがシテイーを覆いつくしている中で呼吸障害で苦しんだし、その後の洪水ではアパートの駐車場が浸水して被害を受けた。
そしていまコビッドだ。メルボルンでは、1000人以上のヘルスワーカーがコビッドに感染した。ヘルスワーカーとして、ものすごいプレッシャーのなかでアップアップしながら働いている。オーストラリア全体で、昨日までに353人が亡くなった。ほとんど全部が70代以上の老人だ。
死者が老人ホームでで多発していることで、マスコミもビクトリア州政府も、鬼の首を取ったように老人ホームの管理責任を追及していて、老人ホームの職員は「人殺し」扱いだ。一方、病院に勤めるナースは、自分や家族を犠牲にしてコビッド患者のために働いているので「ヒーロー」だそうだ。わたしは医療通訳もしてきたが、一方公立病院で5年間勤めた後、今の老人ホームに移って15年経つ。公立病院でやってきたことと今やっていることと同じなのに。「ヒーロー」から「人殺し」になったらしい。
ともかく人々があまり語りたがらなかった「老人」の扱いについて人々が活発に論議するようになったことは良いことだ。オーストラリアはイギリスから放逐された犯罪者たちによって建国され、移民によって形作られてきた国だ。大きな土地、青い海と太陽、若い人々が希望をもって生き、子供を2人も3人も当たり前に生む社会だ。活力があるのは良いことだ。しかしイギリス人特有の「死」や「老い」などマイナスイメージのある事柄への話題が極力避けられる気質がある。若い人々は年を取った親の世話をしないし、年寄りも強い個性を持って個人主義を厳守するから独立した子供のやっかいにはならない。しかしコビッドは年寄りを殺す。やっとコビッドで老人ホーム死が増えて人々が「年寄り」を社会の中で、どうしたらよいのか、話し合うようになったことは、とても良いことだ。
老人ホーム死は、オーストラリアの雇用システムの問題だと思う。
ベビーブーマーとしては日本が高度成長期にあった時、1960年から80年くらいまで、その恩恵にあずかって、女子が4年制大学を出ても就職先には困らなかった。労働組合が力を持っていて、働く者が組合に入って雇用者から毎年給料を上げさせることが当たり前だった。しかし産業別組合への切り崩しや組合そのものが力を失った。オーストラリアでも、ナースの組合の組織率は20%弱だろう。組合費が高すぎて、末端労働者、パート、カジュアルワーカーには払えない。
オーストラリアに来たばかりのころ、一緒に働いているナースらが、シングルマザーで双子のお母さんだったり、出産2か月後のお母さんだったり、俳優になりたくて昼間学校に通っているので夜勤だけする人がいたり、歌が好きで夜はバンドを組んでバーでジャズを歌っているので午後の勤務だけ引き受けたり、多種多様なナースたちの活躍ぶりに驚かされた。中でも一番私を感動させたのは、何でも教えてくれて親切で何人分もの仕事をやってのける「できるナース」が、片目義眼だったことだ。日本では考えられないことだった。60歳代、70歳代で生き生きと働いているナースも多くて感動した。
週末しか働かない人、一つの病院だけでなく2,3か所の病院をかけ持ちして働いている人、こうした多種多様な人々をナースとして受け入れている病院システムの柔軟さに心から感動したものだ。職場は一つだけでなくてよい。雇用者に言われた日だけ働くのではなく、自分の生活に会った、曜日と時間帯を選んで自分で納得のいく働き方をする。何て自由なんだ。
しかしそれが良いことか、悪いことか。彼らは正職員ではなくカジュアルワーカーという時間給で働く人々だ。正職員に与えられる1年に6週間の有給休暇も、病気の時の有給病欠ももらえない。働けば働くほどお金にはなるが、有給休暇のないカジュアルは病気になったり、経済事情が悪くなって雇用にだぶつきが来ると仕事が十分得られない。
現在すべての公立、私立病院、施設は正職員とカジュアルを、半分ずつ抱えている。そこが問題だ。病院でカジュアルとして働くには、少なくても2年間大学で学び、准看護師の資格を得るか、3年間ナーシングを学んで看護師資格を取らなければならない。しかし老人ホームでカジュアルの、アシスタントナースとして働くには、6か月の職業訓練校に通うだけでよい。老人ホームの経営は、カジュアルで成り立っていると言って良い。中国人や、南アメリカやアフリカやアジアから彼らは留学生としてやってきて、、資格を取ってがむしゃらに働いて、永住権を取って、家族を呼ぼうとする若い人々が沢山、数えきれないほどいる。彼らは何か所かの老人ホームを掛け持ちして、昼夜、働く。こうして複数の老人ホームでコビッドの感染が広がった。
老人ホームの経営者は、このような最低賃金で働くアシスタントナースを最少限の数だけそろえ、正規職員を最低限に抑えて収益を上げようとする。その結果が、「老人ホーム職員人殺し説」だ。カジュアルワーカーを多数、抱える限り老人ホームは、死者を増やすだけだ。コビッドを機会に老人ホームは、カジュアルワーカーを減らさなければならない。職員全員に正職員としての権利を。
オーストラリアの失業率は長いこと5%前後だった。いまは7.2%だと言っている。
しかし7.2%の実態は、週に1日しか仕事をもらえないカジュアルワーカーは、失業していないからその中に入らない。だから失業率をいうときは、カジュアルワーカーに雇用を頼って居るオーストラリアでは、実際の失業率はその5倍はあると認識すべきだ。
それが働く者の「自由」の実態だ。自由に働ける時だけ、赤ちゃんを産んだばかりでも、日曜日だけでも、働ける時に、働けるところで、十分働けるはずだった「自由」は、飢える自由でもある。多種多様な働き方があっても良い。しかし、補償がなければ「自由」は自由とは言えない。補償なく働く人々、カジュアルを根こそぎなくす方法を考え、カジュアルと正規職員との差をなくす方法を考えなければならない。