歌は、詩は浅川マキ、かまやすひろし作曲の「にぎわい」
一方で直接貨幣や金を扱うことなく「情報」という形のないものの売り買いで世界の富を、グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル(GAFA)は稼ぎ出し、彼らの富は増大するばかりだ。
ウバは気軽に安くタクシーが使えて、クレジットカード決済なので便利だし、ピザや有名レストランの食事まで運んでくれるので、市民生活にすっかり定着したが、今後はタクシーと言わず小型飛行機サービスでさらに利用者を広げていくそうだ。また、スペースシャトルが月に飛び、ついに私企業が月旅行を成功させたが、これからは月旅行がリッチのステイタスシンボルになるそうだ。
トマ ピケデイは2014年に、過去200年の資本主義が格差を拡大してきたことをデータで実証した。景気のよい時は、賃金労働者の報酬も上がり貧富の差が解消したような幻想を持つが、実は富裕層はもっと富を蓄積していた。貧富の差をなくすには、国家が「資本課税」を資本家から強制的に徴収するしかない、と彼は言う。しかし富裕層の存在に立脚して形成されている国の構造からして「資本課税」を取ることなどできるわけがない。力による転覆、暴力的な奪取なしに格差はなくならない。当分いま暴力革命は起きないし、貧富格差は広がり、それを支える国家の暴力装置は増大するばかりだ。
日本と違ってほとんどの国では、コビッドPCR検査は無料で、広範に行われている。オーストラリアでも国民健康保険を持つ人は、無料でいつでも、どこでも、何回でも、風邪症状があっても、なくても検査を無料で受けられる。
ただ検査で陽性反応が出ても発症しない人、発病しない人が多いことを考えると、今後も国の税金から健康保険でこのまま、毎日数千人、数百人と検査を続けていくだけでよいのか、疑問に思える。7月末になって外国帰りの人から感染が広がり、メルボルンの老人ホームではたくさんの人が亡くなり、ヴィクトリア州の州境は封鎖され、自宅待機でまた失業者が増えたが、オーストラリア全体でのコビッドによる死者の合計は、8月19日現在で363人。死者のほとんどが70歳以上の老人で、90歳代が一番多い。30代が一人、子供は皆無。(注:オーストラリア人の平均寿命は男子:79.4、女子:84.9歳)
ロンドンでは住民の13%が、コビッドの免疫があるそうだ。
何故PCR検査をやめて、代わりにコビッド免疫検査を大規模にしないのか。
コビッドは免疫がつきにくいというが、検査反応が陽性でも無症状なら免疫がつかないのが当然だろう。免疫値がどの程度の値だと免疫が付いたと言えるのか、またその免疫がどのくらいの期間有効なのか、試してみないとわからない。いま世界中が毎日PCR検査の結果、何人が陽性で何人が死んだかが報道されていて、ワクチンの完成に希望をつないでいる。ワクチンができるまで、このままPCRテストをずっと続けていくのだろうか。ワクチンが出来ても、それは大きな薬品会社の利益になるだけで、副作用は当然起きるだろうし、それを拒否する人の数は莫大な数になるだろうし、また混乱も避けられないだろう。
いま免疫検査を広げて、検査結果で免疫値の高い人からこれまで通りに通学、通勤させ、店もショッピングセンターも、劇場、映画館、エンタテイメントもすべて開けて経済活動をもとに戻すことはできないのだろうか。経済活動を再開させ、失業対策をするべきではないだろうか。70歳以上で免疫値が低い人だけ自宅待機する、ということができないのだろうか。ワクチン開発についても、PCR検査の精査度は70%ともいわれているが、情報は十分でないような気がする。コビッド禍では、わからないこと、腑に落ちないことが多い。