2015年1月24日土曜日

映画 「アンブロークン」

             

監督: アンジェリーナ ジョリー
原作: ローラ ヒレンブランド 「UNBROKEN」
キャスト
ジャック オコーネル:ルイ ザンペリーニ
ドンバレ グリーソン:フィル ラッセル
MIYAVI       :渡邊睦祐伍長
(撮影がシドニーで行われた為、沢山のシドニー在住日本人がエキストラで出演している。)

ストーリーは
ルイ ザンペリー二は、イタリア移民一家の末息子として生まれた。敬虔なクリスチャンで教育に熱心な父親、料理上手で優しい母親、優秀な兄といった家族の中で、ルイは学校をさぼり、盗みやタバコや酒に手を出して、コソ泥と喧嘩しかできない自分にすっかり自信を失っていた。そんな時に、早くからルイの足の速さに注目していた兄は、弟にランニングを手ほどきする。負けず嫌いなルイは、来る日も来る日も兄に従い、訓練を続けた努力が実り、全国の高校で最速記録を作る。自信をつけたルイは、勢いに乗って19歳で1936年のベルリンオリンピックに出場、新記録を更新する。その後、彼は開戦とともに、空軍に志願して爆撃機の搭乗員となる。交戦中に、乗っていた爆撃機が銃撃を受けて、太平洋に墜落するが、生き残った二人の仲間とともに47日間漂流したあげく、日本軍の軍艦に発見されて、捕虜となる。

連行された東京の大森捕虜収容所では、渡辺睦祐伍長(のち軍曹)が、責任者で、その冷酷非道ぶりは捕虜たちの間で恐れられていた。特にルイは、オリンピック代表選手として、どんなときでも顔を上げ相手の顔を正面から見る態度が身についていたため、この伍長から徹底的に嫌われて一方的に暴力を振るわれることになる。一方、ルイの乗った戦闘機が墜落したことから、米国ではもはや生存者はないと判断されて、家族はルイが戦死したものと思っていた。ルイは大使館に連れられて行き、自分が生きていることを、米国向けのラジオで伝えるように言われる。しかし日本軍は、その代わり米国に向かって日本軍の宣伝のメッセージを読み上げるように要求する。それを断ったルイは、捕虜収容所に戻されて、前にも増して激しい虐待を受けるようになる。戦況が悪化し、東京が空襲を受けるようになると、捕虜たちは石炭採掘場から石炭を積み出す作業所に送られる。激しい肉体の酷使の中で、ザンペリーニはどんな虐待にも屈せずに生き残り終戦を迎えたというお話。
映画の後、スライド写真が写されて説明が続く。この渡邊という人は、戦争が終了するといち早く、B級戦犯となったが、GHQに捕獲される前に逃亡し1953年まで身を隠し、戦犯裁判の追及から逃げ切った。ザンペリーニは、その後来日して渡邊に赦しを与える、として面会を求めたが,渡邊は拒否し、2003年に亡くなった。ザンペリーニは1998年の長野冬季オリンピックの聖火リレーに招待されて、80歳で聖火を持って走ったが、その彼は2014年7月に高齢で亡くなった。アンジェリーナ ジョリーは、彼の実話を映画化している最中に本人が亡くなって、作品を本人に観てもらえることができなくなって、とても悲しんだそうだ。

日本ではこの映画、日本軍による捕虜虐待が問題になって上映する、しないで論議されているらしい。日本軍による捕虜虐待は現実にあったことなので、どうして今それが問題になるのかわからない。映画作品を、どんな見方をするかは、人によって興味が異なるから、違ってくるだろうが、わたしには、この映画、米軍爆撃機が墜落して、太平洋で47日間漂流する場面のほうが、捕虜時代の場面よりも印象が深かった。ゼロ戦との交戦、戦闘機の破損と墜落までは、息もつけない緊張の連続シーンだ。それからゴムボートで漂流する3人の男達の落胆と絶望。
太平洋戦争末期には、日本軍のゼロ戦戦闘機は、帰還するための燃料を積まずに、片道突撃攻撃を命じられた。しかし米軍戦闘機には、大きなゴムボート、非常用食料や水だけでなく、ゴムボートを修理するための接着剤までついている。墜落しても隊員が生きていけるように配慮してあるのだ。ベトナム戦争でも、兵士がたった一人戦闘機から墜落しても生き延びていけるように、非常食や衣類だけでなく、魚を釣って食べるように釣り糸と針まで入った非常用バッグを持たされていた、と、「開高健」が、ベトナム従軍記で書いていた。戦闘で失敗しても兵士を生かすか、死なせるか、それほど国によって命の価値が違っていたのだ。

47日間の漂流で示されたザンパリー二の不屈の精神は、捕虜になっても続く。日本軍が米国向けの放送に彼を利用しようとしたとき、事実ではないことは言えないと拒否し、返された収容所で待っていた激しい拷問にあうところが、映画の山場だろう。スポーツによって培われた不屈の精神が描写される。この映画は、一人の男の不屈の記録映画だ。
映画ではMIYAVIという役者でロッカーなイケメンが、ネチネチ迫ってくるかと思うと、突然爆発する渡邊伍長を、とても上手に演じていて、渡邊をサデイストのサイコパスみたいに扱っている。終戦となり、米軍捕虜収容所に米軍物資の果物の缶詰やコンビーフなどが投下されるようになったとき、ルイが缶詰を持って、渡邊の部屋に行くシーンがあるが、これは非現実的。何度も銃をつきつけられて、なぶり殺されそうになったルイが、立場が変わったからと言って、昨日の今日に渡邊を許して食糧を分け与えるとは思えない。ルイが渡邊の部屋に残された,子供のころの渡邊とその母親らしい人の写真を見ることで、片親ーマザコンー人格欠損症、といった渡邊がサデイストに至る過程を想像することはできるが、事実は、渡邊だけが日本軍の中で精神のおかしな男だった訳ではない。日本軍は、「もともと捕虜を認めない」といった、「軍の教育」が誤っていたのだ。日本軍は、捕虜にならないという教育をしており、捕虜の扱い方にも統一した指針がなかった。そんな日本軍のシステムそのものに問題があったのだ、と私は思う。

太平洋戦争の当時、捕虜に関する国際条約には、1907年10月にオランダのハーグで調印された条約と、1929年7月にスイスのジュネーブで調印された条約がある。前者は交戦者とは何か、捕虜とは何かについて明らかにしている。後者では、具体的に捕虜の扱い方について定められている。日本は両条約に署名しているが、比準したのは前者だけ。ジュネーブ条約は日本海軍の反対によって調印されなかった。理由は、
1)日本軍では捕虜にならないように教育が行われ、日本人捕虜はありえないため、日本だけが欧米人捕虜を待遇するための負担を負うことはできない。
2)捕虜を通じてて敵国に軍事秘密情報が漏れる恐れがある。
3)捕虜待遇、懲罰規定よりも日本軍の懲罰規定のほうが厳格なので、条約に従うと、軍規がゆるんでしまう。などの理由からだった。また中国人捕虜については、「中国人は捕虜ではない。シナ事変は戦争ではないからである。」 したがって「中国人捕虜を捕虜として収容する必要はない。」という日本軍の方針だった。まことに日本軍は国際感覚に欠ける戦争をして、国際社会に受け入れられないような捕虜の扱いをしたことになる。

よく日本軍が捕虜としてソ連に連行されシベリアで強制労働を強要された事実が論議されるが、シベリア抑留日本軍捕虜、64万人に対して、捕虜の死亡者は6万人、死亡率は約10%。しかし日本軍によって捕虜となった英米軍人の死亡率は27%。100人の捕虜のうち27人もの捕虜が過酷な強制労働、疾病、栄養失調などで死亡させられた。この数字に中国人や韓国人の捕虜死亡率は入っていない。これも入れたら大変な数字になる。いかに日本軍が人権感覚に欠如していたかがわかる。

日本軍の指導によって従軍慰安婦は軍とともに「従軍」した。連れ去られた人も、誘いに乗ってきた人も、娼婦だった人も、一様に軍人のために性行為を強制され自由がなかった点では同じ日本軍による戦争被害者だ。南京虐殺も実際にあった歴史的事実だし、たくさんの中国人を現地や日本で人体実験に活用した731部隊も実際にあった。カニバリズムも極端な飢餓の中で起こった。日本軍は武器しか兵士に持たせずに外国に派兵して、外国を侵略して、攻略した土地で食糧も、住宅も奪い、現地の人々を殺し、侵し、犯した。人民からは針一本奪わないといった厳しい軍の規律をもった軍もあったのだ。何という倫理観の違い。

今年2015年は戦後70周年を迎える。わたしたちはこの70年の間に、残されたおびただしい数の戦争被害者たちの声を聞き、彼らが残したものを読み、何が間違っていたのかを考え直さなければならない。他国を侵略することが、どれだけ間違ったことだったのか、事実を事実として認識しなければならない。この映画を観て、この機にたくさんのことが論議されるのは良いことだ。早く日本での公開されたら良いと思う。