2014年11月27日木曜日

敗戦国からきて戦勝国で戦勝記念日を迎える


        

11月11日は、第一次世界大戦が終結した記念日だった。
敗戦国から来て、戦勝国オーストラリアで暮らしていて、戦勝記念日を迎えることほど嫌なことはない。国中が、勝った勝ったと大騒ぎする日。侵略者ニッポンを懲らしめて、こてんぱんにやっつけてやった正義の連合軍オーストラリア。オーストラリアという国は、欧米から地理的に離れた南半球にあって、コアラが昼寝している木々の下をカンガルーが飛び回り、人々はフレンドリーで、フットボールに、浜辺のバーベキューで飲んだくれる姿しか思い浮かばない人は、この11月11日に、オーストラリアの大きな街で過ごしてみたら良い。オーストラリアのイメージが一変するに違いない。

早朝、日の出とともに、あちこちの記念碑の前で、軍による国旗掲揚と式典があり、小中学校、高校生たちは誓いの言葉を述べ、一般の人々も参加する。マーチを演奏し、元兵士や現役の兵士、警察、学校の子供達などが行進をする。元兵士は国じゅうのヒーローだ。生きて帰ってきた元兵士たちは、胸にバッジをつけて誇らしげに行進の先頭を歩く。それを人々は、国旗を振りながら拍手と声援を送る。どこを見渡しても制服ばかりだ。

メディアも一斉に、戦勝国側が「正しい戦争」をやったという’キャンペーンに明け暮れる。第一次世界大戦で、日本は連合国側で戦ったにも関わらず、いつの間にか第二次世界大戦で日本軍がアジア諸国で行った攻撃、残虐な侵略、捕虜の虐待などに話題が移っていて、メディアによる日本たたきが行われる。彼らにとって日本への原子爆弾投下は、日本軍によるアジア侵略を食い止め、侵略を悪いことだと思い知らせるための必要不可欠の処置だ。原爆は誤った国への「制裁」であり、自分たち連合軍は正しい道を教えてやった良き指導者であり、正しい先導者だと信じて疑わない。戦勝国がそんなに偉いのか。何という奢り。

1942年2月パールハーバーの直後、オーストラリアの北端ダーウィンは、日本軍によって空襲を受け、湾内にいた6艘の大型船を沈没し、人口5千人のダーウィンで243人が死亡、この日以来ダーウィンは計64回空襲を受けた。また、西オーストラリアのブルームでは空爆で民間人が70人死亡。シドニー湾にも3艘の潜水艦が侵入し、魚雷でフェリーを攻撃、21人が死亡している。また、シンガポール陥落のあと日本軍は、捕虜となったオーストラリア兵を、3年半に渡ってビルマ鉄道建設の強制労働をさせて多数の捕虜を脱水、栄養失調などで死なせた。オーストラリア軍の太平洋戦争での戦死者17000人に対して、捕虜で死亡した兵士は8000人に達する。サンフランシスコ条約に違反しながら日本軍がいかに人権意識をもたずに捕虜を取り扱ったかがわかる。 その日本軍が降伏文書に調印した1945年9月2日は、オーストラリアでは、「VICTORY  OVER JAPAN DAY」: (VJ DAY)と呼ばれる。ジャパンを打ちのめした記念日。正義の戦いに勝ち抜いた日だ。

「ジャパンは本当に悪い悪いことをした。」面と向かって言ってきた一見物わかりのよさそうな教育者と話をしたことがある。当時日本軍と日本政府が侵略戦争を行ったのは事実だ。しかしすべての人が、それを支持していたわけではない。多くのキリスト者や、自由主義者や共産主義者は迎合しなかった。私の祖父の弟に当たる、大叔父の大内兵衛は、学者だったが1938年から2年余り公安警察に逮捕され拘禁されていた。母方の伯父、宇佐美誠次郎も活動家ではなくリベラリストで学者だったが長く獄中に引き立てられて言論弾圧された。それを言ったら、「え、日本にも侵略戦争に反対した人がいたのか。」と大仰にびっくりされて、こちらが驚いた。戦勝国のみなさんは、自画自賛をやめて少しは歴史の本など読んだら良い。二つの大戦で、一般の人々がどれほど苦しんだか、赤紙で徴兵された若者たちが、戦場でどんな酷い殺され方をしていったか、人類初の人体実験であった原爆投下で罪のない子供達がどんな殺され方をしたのか。60年余りたった今も苦しんでいる原爆病患者の存在を知ったら良い。

今年の11月11日、戦勝記念日(終戦記念日)は第一次世界大戦終戦から96年目に当たる(開戦から100年)が、終戦100年記念が近いので毎年徐々に、記念ムードを盛り上げて、規模も大きくしキャンペーンも広げていくようだ。英国ではロンドン塔のまわりを、真っ赤なセラミックでできたケシの花で埋めた。ケシの花は88万8246本、英国人犠牲者の数だけあって、ロンドン塔を埋め尽くした。ケシの花は、ベルギー、フランダース地方などの激戦地に咲く花で、花言葉は「眠り」、「いたわり」だそうだ。記念日の参列者だけでなく、沢山の人がこのケシの花を見にやってきていた。ニュースのインタビューに答えて、英国のために命を落とした方々を忘れない、と涙ながらに言う人が多かった。
そうだろうか。英国国旗を掲げて前線に行った者たちは、人を殺しに行ったのではなかったか。

戦争は一部の者の利権のために引き起こされる。悲しいのは、それに賛成する人も反対する人もひとリ残らずすべて国民が巻き込まれることだ。そして本当に、ごくごく一部の人に利益をもたらすだけで、一般の人は財産を失い、人間性を忘れ、良心を麻痺させ、希望を無くし、命まで失う。そんな戦争に良い戦争も悪い戦争もない。正しい戦争も間違った戦争もない。人を殺してそれが
正しい戦争だった、正義のための良い戦争だったなどと、誰に向かって言えるのか。戦勝記念日という言葉をもう使うのを止めるべきだ。人の命をもてあそび、勝ち負けにこだわるような戦勝記念日という日を祝うのは、いいかげんもう止めた方が良い。人として恥ずべきではないか、と思う。


2014年11月23日日曜日

映画 「ゴーン ガール」

                        

監督: デビッド フィンチャー
キャスト
夫 サム  :ベン アフレック
妻 エイミー:ロザムンド パイク
妻の昔の恋人:ネイル パトリック
弁護士   :テイラー ペリー
ボニー警部:キム デイケンズ

ストーリーは
ニックとエイミーとの結婚5周年記念日だ。二人はニューヨークで出会い、二人ともキャリアを積み、スノッビーな生活をしてきたが、ニックの母親が癌を患ったのを機会に ミズリーの小さな街に引っ越してきた。でも母親は早々と亡くなってしまい、小さな街では仕事もなく、ニックは失業状態、裕福な家庭出身のエイミーの蓄えに頼っているような状態だ。今日も、ニックは妹が経営しているバーで、昼間からウィスキーを飲みながらグダグダしている。

ニックが家に戻ってみると、居間のガラステーブルが割られ、妻のエイミーが居なくなっている。あわてたニックは妻が何かの犯罪に巻き込まれたのではないかと疑い警察を呼ぶ。警察は捜査を始める。ニックと、ニューヨークから飛んでやってきたエイミーの両親は、一般から情報を集めるために、メデイアを呼んで記者会見をする。エイミーは両親が書いた人気の子供用の本「アメイジング エイミー」で誰一人知らない人はないほど有名な子供だった。人気作家の一人娘として、することなすこといつも注目を浴びて育った。マスコミはエイミーの失踪を放っては置かない。
やがて警察は、台所から多量の血痕を発見する。警部たちの前で、近所の女からニックは、人殺しとののしられる。ニックが見たこともない女だ。夫には全く理解できない事態だったが、警察は早くからニックを殺人容疑で調べていた。エイミーの貯金通帳には、ニックがゴルフやゲームなどの贅沢品を買って使い込んでいる事実があがった。警察としては、あとは死体を探すだけだ。

ニックは妻が行方不明になった可哀想な男から一転、家庭内暴力で妻をいたぶり、妻の貯金をせびって、あげくの果てに妻を殺した犯罪者扱いされるようになった。そこに、ニックの若い愛人が現れる。最低の筋書だ。ニックは人々から厳しく監視される。
それは、妻の思うつぼだった。妻は長いこと、愛人を作ったニックを罠にはめるために、復讐のチャンスを待っていた。夫が欲しがってもいない高価なプレゼントを買い与え、近所におせっかいな女友達を作り夫の悪口を吹き込む。髪を染め、顔に傷を作って、田舎に潜伏をする。昔捨てた男を呼び出して、保護を求め、うるさくなったら男を始末する。そして、マスコミの注目の最中に、血まみれの姿でニックのもとに帰る。マスコミは大興奮。昔の男に誘拐されて、虐待されていた可哀想な「アメイジング エイミー」が、サイコパスの誘拐犯人を殺して、やっとのことで夫のもとに戻ってきた。マスコミの注目する中、ニックは自作自演で芝居をやって人殺しまでしてきた妻を受け入れなければならない。妻は戻ってきたのだ。

程なくして冷凍していたニックの精子を使ってエイミーは妊娠する。またまたマスコミは、大ニュースに大興奮。幸せなカップルに待望の赤ちゃん。ニックは逃げも隠れもできない。妻の復讐は終わらない。昔の男ののどをかき切って殺してきた妻は、今度こそ自分ののどを狙っているかもしれない。いつ殺されるか。マスコミが作り出した幸せなカップル、優しい夫の役をニックは永遠に演じ続けなければならない。いつまでだ。死ぬまでだ。
というストーリー。

幼児的サイコパスのエイミー役に、ぴったりの女優ロザムンド パイクが好演している。頭の良い妻に自由自在繰られる、どんくさい夫役にベン アフレックもとても良く演じている。
端役だが、取り調べ警部役のキム デイケンズが、すごく素敵。昔の警部役ならトレンチコートの襟を立て、タバコのチェーンスモーカーというような渋い役柄を、女性警部が紙コップのコーヒーをいつも片手に、とぼけた姿で相手を油断させて、さりげなく犯罪を探し当てる「切れる」警部を演じている。また、凄腕の弁護士役、テイラー ペリーも、貫禄があって存在感があって映画の株を上げている。

監督のデビッド フィンチャーは52歳のアメリカ人。1995年「セブン」で、ブラッド ピットが、モーガン フリーマンの演じる警部と一緒に、サイコパスの殺人犯を追う映画で華々しくデビュー。1999年、同じブラッド ピットを使った「ファイトクラブ」で、素手で戦う男を演じさせて注目を浴びた。2002年「パニックルーム」ではジュデイ フォスターを使って、また2007年には「ゾ‐ディアック」で、ジェイク ギレンホールとロバート ダウニーjrを使ってスリルに満ちた映画を作った。2008年「ベンジャミン バトム数奇な人生」、2010年「ソーシャルネットワーク」も忘れられない作品だ。2011年には、ハリウッド版「ドラゴンタットーの女」を製作した。こうしてみると、意識していなかったが彼の作品を、ほとんど全部観ている自分に驚く。ハリウッド映画では、ミステリースリラー作品の売り込み方が上手なので、つい宣伝に乗って観に行ったのだろう。怖い場面の音響効果の出し方に長けて、観客の期待を裏切らずにしっかり怖がらせてくれる映画造りに独特の才能を持った監督なのだろう。

この映画だが、なんとも後味の悪い映画だ。愛する人が居て、真面目に学んで働いて、打ち込める趣味を持ち、自分の人生を結構楽しんで生きているといった、ごく普通の人々にこの映画を勧めたくない。自分しか愛せない女のお話だ。この映画の主人公は周りの人々に、小さなときからチヤホヤされて育ってきて、「注目を浴びている自分」しか愛せない幼児的異常人格者だ。夫と一緒に田舎町に移り、友達もチヤホヤしてくれるマスコミも追ってきてくれない。夫に愛人ができてどうやって世間の注目を取り戻すか、妻は考える。妻が自作自演の芝居をやるために自分の顔を傷つけたり、暴行を演出するためために自傷行為を繰り返すシーンなど思わず目をつぶりたくなる。それほどまでにして復讐するか。用意周到に計画を実行する姿を面白がったり、感心したりしている観客も、「ここまでやるか」とエスカレートするごとに背筋が寒くなる。賢い女が本当に怖い怖い怖い怖い女になっていく過程は無残としか言いようがない。
ここまで裏切った男を追い詰められる女って居るのだろうか。人は許し合える存在ではなかったか。復讐は何も生まない。許し合うことで、人は一歩自分を高めることもできるのに。とても後味の悪い映画。誰にもお勧めできない。
http://www.hoyts.com.au/movies/2014/gone_girl.aspx

2014年11月16日日曜日

その後と、それからのオット


                 

「このまま何もせずに今年中に死にますか。腎臓透析を週3日、5時間ずつ受けて生きますか。どちらか一つを選びなさい。」と、にこやかに笑みを浮かべる腎臓専門医に言われて、あっけにとられるオット。あの、今年中って、もうあとひと月しかないんですけど、、、。

そうだったんだ。機敏な判断と、救急病院による適切な処置で命をつなげたオットに、待っていたのは完全治癒という魔法ではなかった。これからは、1日おきに病院のベッドで5時間ずつ縛られて限りある命を長らえていかなければならない。一か月前に集中治療室で治療を受けていた肺炎も完治せず、いまだに肺に水がたまっている。ハートアタックを起こして、少しだけ悪かった腎臓が一挙に悪化して腎不全となり、体から毒素を尿と一緒に排出できないので、人工の機械で血液を綺麗にする装置なしには生きられない。クレアチニン値が、400から下らない。血液成分もこわされてしまうので、ヘモグロビン値が70と低く、常に貧血状態だ。検査結果だけを見ると、顔色が悪くて青い顔をした、呼吸困難で、皮膚が極端に乾燥して食欲の全くない、いわばイワシの干物のような姿を思い浮かべるが、オットの場合なぜか、よく食べるし、顔色も良い。
家に帰ってくることができて、美味しい料理を作る、賢く聡明な妻のおかげだ。オットは太鼓腹をさして、ぼく、痩せたよ15キロも痩せたよ。痩せた、痩せた、本当だよと、しつこくのたまうが、そういう奴を見守り、管理してきた私は10キロ体重が落ちた。

朝、目が覚めてテントから這い出てみると、や、や、やられた。となりの食糧庫にしていたテントが腹を空かせた灰色熊グリズビーに襲われて見る影もなく破壊されている。食糧をやられて、準備万端に予定していた登山に暗雲がたちこめて、、、、というような毎朝だった。太鼓腹のオットが元気だったころの話だ。朝起きて台所に行くと、夜中オットが食い散らかしたブドウパン、蓋が開いたままのジャム,引き千切られたビスケットの袋、飲みかけのジュース、、、この世と思えない惨状に目を覆いたくなる。食べこぼしを拾い,片付け、ぞうきんがけをしてから、1日が始まる、という毎日だった。16年間だ。ランチボックスにもサンドイッチだけでなく、ロールケーキやカステラのようなお菓子を必ず1つ2つ持って行っていたので、冷凍庫にはいつもお菓子が山ほど凍らせていた。

そんな「グリズビー式食糧庫荒らし」がなくなったのは、いつのころだったろう。2年前に日本を旅行して帰ってきてハートアタックをやった頃だったか。今、肺炎と2度目のハートアタックと急性腎不全をやって、食事の量はごく普通になった。普通とは私が食べるくらいの量で充分になったという意味だ。それで、痩せた痩せたと騒いでいる。平均体重になっただけだ。それにしても足腰が弱った。前から運動不足と肥満で100メートル歩くのが大変だったが、今は、足をひきずり、ヨチヨチ歩きで、時速10メートルくらいの速さで歩く。

オットは、たくさん病気を抱えて体を動かすことが、辛くなった。夫婦には思いやりが大切だ。それが、思いやりでなく思い込みだったり、思い過ごしだったり、思い違いだったりすることはよくあるけれど。悲しいのは、病気になると自分のことしか考えられなくなることだ。オットは、肺炎と喘息で息をするのも大変だったから、ある程度は仕方がないが、思いやりというものがなくなった。
私はオットの入院中、朝7時から夜9時までそばに付き添い、退院後は1日おきにドクターのところに連れて行き、23種類の服用薬を管理し、腎臓専門医や心臓専門医に定期通院させ、物理療法士の訪問に対応し、そうしているうちに、限りある私の年休も、減っていくばかり、いつまでも休んでいられない。フルタイムの職場に復帰した。そうしたら、体は思うように動かないが頭はまだいかれていないオットまで、職場に戻りたいという。オットのオフィスまで車で40分、朝晩の渋滞だと1時間余りかかる。オットを職場に下ろして、1時間かけて家に戻り、洗濯、掃除、買い物、食事の支度をしているうちに、もう迎えに行かなければならない。空腹で死にそうなオットに、夕食を素早く食べさせ、寝かせて、病院夜勤に出かける。10時間の忙しい勤務を終わって帰ると、もうオットを職場に送らなければならない。いつ寝るんだよ。

気が付いたら赤信号で急発進していた。青信号になったとき停まっていたんだ。げー。これはいけない。映画館に入って気分転換する時間はない。そこで、ひとりサッサと寿司屋に入った。おなかいっぱい鮨を食べて、睡眠薬を飲んで、がーっと寝る。オットよりそれを支える自分の体が大切。目が覚めて、時計を見ずに、オットを拾いに行った。暗くなった街並み、オットのオフィス前の小さなベンチに、ちょこんと座って私を待っていたオット。1時間くらい待たせたみたい。でも、だからといって、どうだというんだ。
明日は美容院と、フェイシャルとうなぎで気分転換。オットにはもっと待ってもらうかもね。
自分を大切にして、初めてオットを大切にできる、そう自分に言いきかせている。