2013年12月24日火曜日

ダン ブラウンの 「インフェルノ」

            


ダン ブラウンが大好き。
彼の書くロバート ラングルトンが大好き。
ラングルトンほど素敵で、優れた観光ガイドは他に居ない。尽きることのない豊富な知識、過去の歴史をそらんじていて、ラテンを含む数か国語に通じていて、難解な暗号を読み解く。ハーバード大学教授だが、象牙の塔にじっとしていることなく行動派で、気が付くとインデイアナ ジョーンズなみに冒険の旅に出ている。フェミニストだが、女たらしではなく謙虚で紳士。いつもイニシャル入りの特注手縫いのハリス ツイードを着ている。男の魅力の塊みたいなロバート ラングルトンを生み出した作家、ダン ブラウンは1961年生まれのアメリカ人。父は数学者、母は宗教音楽家、妻は美術史研究者という。

2003年に「ダ ヴィンチ コード」の出版を機会に、世界的なベストセラー作家となり、その前に出版していたが売れていなかった、2000年「天使と悪魔」も 一挙にベストセラー入りした。ロバート ラングルトンシリーズ第一弾の、「天使と悪魔」は、キリスト教のイルミナリティ組織と、聞いたこともなかった科学技術の「反物質」が出てきたし、「ダ ヴィンチコード」では、レオナルド ダ ヴィンチの絵に隠された暗号を読み、イエス キリストの今まであまり語られることのなかった挿話が描かれた。2009年の「ロスト シンボル」では、フリーメイソン組織の秘密性を暴き出した。出版されたばかりの2013年「インフェルノ」は、ラングルトンシリーズの第4作目となる。10月に出版され、11月末に日本語訳で出版された。11月初めに予約してあったが、遅れて手元に着いたのは12月半ばになった。待ちに待った本だ。

2015年には映画化が決まっている。またラングルトンをトム ハンクスが演じるらしいが、原作に描かれているラングルトンは トム ハンクスよりもずっと魅力的な男で、作者ダン ブラウンの姿に近い。作者はハンサムで実にチャーミングな人だ。だから熱狂的なラングルトンファンはそのまま ダン ブラウンファンになって、両者を常に混同する。彼はインタビューで私生活を一切語らないマスコミ嫌いなので、ファンは一層 想像力をかきたてられてダン ブラウンをラングルトン以上のスーパーマンかバットマンのように思いがちだ。実際には、毎朝4時にはキーボードに向かい、お昼まで執筆を365日するし、10ページ書いては、1ページを除いて捨てるような地味な作家だそうだ。
今回の「インフェルノ」は、ダンテの叙事詩「神曲」第一部の「地獄篇(インフェルノ)」が、謎解きになって、地球の人口増加現象が語られる。ラングルトンは殺人者に追われながら フィレンツェ、ベネチア、イスタンブールを駆け回る。いつもの通り、美人の協力者と一緒だ。おもしろくてドキドキしながら650ページを一気に読める。

ストーリーは
ハーバード大学宗教象徴学教授ラングルトンは、目が覚めると頭に包帯、点滴でつながれてフィレンツエの病院に居る。どうして自分がイタリアに居るのか全く記憶がない。頭にぐるぐる巻かれた包帯は一体何だ。シエナ ブルックスと名乗る金髪の美しい女医に、自分に何があったのか、事情を聞いている内に、突然外が騒がしくなり病室のドアが開くと、シエナの同僚のマルコーニ医師が、突然闖入者によって撃ち殺される。とっさのシエナの機転で、ラングルトンはシエナのあとについて逃亡。バイクに乗った黒ずくめのプロの殺し屋の追跡をかわしながらラングルトンは、どうして自分が追われなければならないのか理由を考える。ラングルトンが何をしたというのだ。

シエナがラングルトンのハリスツイードのジャケットの裏地に縫い込まれた円筒を見つける。ダンテの「神曲」を描いたボッチチェリの「地獄の見取り図」だ。しかし、おかしなことに、この見取り図は、原画にない暗号がついていた。ラングルトンとシエナは暗号が何を指示しているのか、知るためにヴェッキオ宮殿に侵入、ダンテのデスマスクを盗み出す。シエナは驚くべき高い知能を持った女性で、何度も彼女の知恵と機転に助けられながら逃亡、銃口から逃れながら、なぜ自分の命が狙われるのか必死で考える。デスマスクにはさらに謎の暗号が仕組まれていた。それを解くために二人はサンタマリア デルフォーレ大聖堂、ベネチアに飛んでサン マルコ大聖堂を彷徨った末、目的地が、意外にもイタリアではなく、イスタンブールだったことに気が付く。しかし、追っ手によって二人は分断されてしまい辛うじてシエナを逃がしたラングルトンは、敵に捕獲されてしまう。シエナは、先にイスタンブールに向かう。しかし、殺し屋と思っていたラングルトンの追っ手は、実は国際機関WHO議長ドクター エリザベス シンスキーとそのチームだった。シンスキーは説明する。

スイスの大富豪で生化学者ベルトラン ゾブリストは地球上の人類から人口爆発を食い止めるために、生物化学兵器ともいえる病原菌を仕掛けた。ダンテの熱狂的ファンでもあるゾブリストは暗号で病原菌を隠した場所を暗示するだけで、自から死んでしまった。彼は1300年代にペストがヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやったことで、生き残った人々が豊富な食料を得てルネッサンスの原動力になった歴史的事実を、高く評価していた。そして世界人口がこのまま増加すれば 資源も枯れ葉てて世界は滅亡するの違いないので、世界人口を3分の2に間引くため病原菌を仕掛けたという。この科学者の残したダンテにまつわる暗号を読み解いて一刻も早く病原菌を回収しなければ人類の危機に陥る。3日前にWHOからラングルトンは、病原菌を隠した場所を示す暗号を解くように要請されていたが、事故で記憶を失っていたのだった。

ラングルトンらの一行はイスタンブールに飛ぶ。ラングルトンの協力者だと思われたシエナは ゾブリストの恋人だった女で、ラングルトンが解いた暗号をさらに読んで、病原菌の隠された場所にすでに向かっている。ようやくのことで、ラングルトンが突き止めた病原菌の場所は、観光客に人気のスポットで、その夜はイスタンブール国立交響楽団がコンサートを開いていた。演奏曲目は、フランツ リストの「ダンテ交響曲」。病原菌がばらまかれるまで数時間しか残っていない。ラングルトンは、、、。
というお話。

ダン ブラウンを読ませる力は「知」への欲求だ。彼の本は、知の集積というか、ハーバード大学の講義を聴いているようなものだ。ラングルトンはいつも追われながら、世界各地にある建造物や美術品の歴史的価値や構造や特徴や現代における価値を説明してくれて、さらに今まで誰も述べてくれなかったような不可解な古代の象徴に秘められた暗号や、本当の意味や価値を読み解いてくれる。旅行者には興味があっても行ったり、触れたりすることができない奥の部屋や、地下や、からくりのあるドアや、天井の作りまで、ラングルトンが逃亡しながら足を踏み入れてくれるので、知ることができて、自分が前に訪れて、見て聞いた観光名所に さらに愛着が増す。
例えば、ミケランジェロのフィレンツエ、ヴェツキオ宮殿のミケランジェロの傑作「勝利」の像は、ローマ教皇ユリウス2世の墓を飾る為に作られたが、同性愛を憎んだユリウスの心情に反して、像のモデルはミケランジェロが長年愛したカヴァエーリという青年だった。ミケランジェロは彼のためにいくつものソネットを書いている。というエピソード。
またヴェネチアのサン マルコ大聖堂を飾る4頭の馬は、漆黒のオランダ馬フリーシアン種がモデルで歴史上最も盗難にあった美術品といわれる。無名のギリシャ人によって製作されたがビザンチン帝国皇帝によってコンスタンチノーブルに持ち出された。その後十字軍がコンスタンチノーブルを陥落させるとヴェネチアに運ばれて、1254年にサン マルコ大聖堂に設置される。そして500年後にナポレオンがヴェネチアを征服すると、4頭の馬はパリに運ばれて凱旋門を飾り、ナポレオンが破られると再び、ヴェネチアに運ばれた、というようなエピソードは、実際、この巨大な4頭の馬を観たことのある人には、たまらなく興味がわく。

ラングルトンが説明してくれたイスタンブールの「沈んだ宮殿」に上下さかさまに置かれているメヂューサの巨大な大理石でできた頭を一度見てみたい。360年に建造されて、東方教会となりモスクに変わり、いまはキリストも、アラーも、モハメドもいるという「アヤソフィア」も、是非訪れてみたい。こうして、ラングルトンが解説してくれる名所や建物は、本の出版後必ず人気の観光名所になるそうで、各国の観光相からどんなに感謝されてもしきれないだろう。
この本に出てくる、フィレンツエのサンタ マリアデルフォーレ大聖堂、天国の門、サン ジョバンニ洗礼堂、ダンテの家、サンタ マルゲリータ デイ チェルキ教会、ヴァザーリ回廊、、ヴェッキオ宮殿の五百人広間、ポルタロマーノ美術学校、ボーボリ庭園、ヴェキオ橋、ヴェネチアのムラノ島、サンタルチア駅、大運河、水上バス、などなどラングルトンの解説は 月並みな旅行解説本と違っていつも興味を倍増させてくれる。ラングルトンを、「走り回る旅行ガイド」と言った人が居たが、的を得ている。
とにかく面白い。
「ダヴィンチコード」に比べると、驚きは少ないが、充分満足だ。

2013年12月19日木曜日

映画 「リスボン行き夜行列車」

                            


原題:「NIGHT TRAIN TO LISBON」
監督:ビル オーガスト
原作:パスカル メルシェル
キャスト
レイモンド  : ジェレミー アイアンズ
ステファ二ア:メラニー ローレント
アマデウ  :ジャック ハストン
アドリアナ :シャーロット ランプリング

ストーリーは
舞台はスイスの美しい街 ベルン。
ラテン語学者の高校教師レイモンドは、何年も前に妻が出て行ってから、毎日判で押したように平凡で何の変化もない生活をしてきた。朝起きて、高校で講義をして、帰宅してから眠るまでの間、ひとりチェスを楽しみ、毎晩決まった時間に床に就く。何の変化もないひとりの生活に、何の不満もない。

ある雨の降る朝、いつものように高校に向かう途中の橋の上で、赤いコートを着た若い女が橋の欄干に立ち、いまにも身を投げようとしているところに出くわした。レイモンドは夢中で走っていき、女を抱きかかえて急場を救う。放心したままの女は、そのままレイモンドの後をついてきて、彼が講義をする教室に入ってきて、レイモンドに言われるまま席に着く。しかし、女は、しばらくすると脱いだ赤いコートを置いたまま無言で教室を出て、姿を消す。慌てて、レイモンドはコートを掴んで、あとを追うが女の姿を失ってしまう。コートのポケットには、一冊の本が入っていた。ポルトガルの哲学者で詩人だったアマデウ ド プラドの本だった。そして、その本にはリスボン行の汽車の切符が挟まれていた。期日を見ると、あと15分で出発する切符だった。レイモンドは、そのままプラットホームに向かう。しかし、切符を買った主はやってこない。川に飛び下りて死のうとしていた女は現れない。レイモンドは迷った末、そのまま汽車に乗り込んでしまう。

アマデウ ド プラドは医者だったが、彼が書いた本は、きわめて哲学的な深い思索に富んだ内容で魅力に満ちていた。美しい詩的な文体で自己哲学を語っている。レイモンドは、本に引き込まれるようにして読んだ。読めば読むほど、アマデウの生涯に興味がわいてくる。この作者と身投げしようとしていた女とは、どう関係があるのだろうか。本の出版先はアマデウの自宅になっている。レイモンドはリスボンに着くと、宿をとり、さっそくアマデウの家を訪ねる。出てきたのは、アマデウの姉だった。アマデウは生涯でたった1冊、この本を書き、それを100部しか出版しなかったという。しかしアマデウのことを語る姉の口は重い。あたかも、アマデウの生涯が秘密だとでも言っているようだ。結局大した情報を得られないままホテルの帰る途中、レイモンドは自転車に衝突して眼鏡を割ってしまう。眼鏡屋で、新しい眼鏡をあつらえるあいだ、検眼士のマリアに、アマデウについて語る。するとマリアが意外なことに自分の叔父がアマデウと親しかった、という。

レイモンドはマリアについて、老人ホームにいる叔父に会いに行く。しかし、叔父はアマデウの名前を聴いただけで 怒り狂って二人をホームから追い出す。レイモンドはアマデウを生涯を調べるために、アマデウのかつての教師でその葬式を行った神父に会い、その糸口から彼の親友だった薬剤師を訪ねる。しかし、みんな一様にアマデウと聞くと、口を閉ざし、何も語ってくれない。過去に何があったのか。
徐々にわかってきたことは、レイモンドが会って話を聴こうとした人々がみな、アマデウも含めて、むかしのアントニオ サラザール独裁政権のときの地下活動家だったことだ。そして、ついにレイモンドは一人の女を同時に愛した活動家たちの、語りようもない苦い経験に、たどり着いたのだった。レイモンドの前に赤いレインコートで身投げしようとした女が現れる。彼女はアマデウの孫だった。
事情がすべて解明できて、レイモンドはやっと 重い荷物を下ろしたような気持ちになって、スイスに戻るために準備をする。アマデウの謎ときに、ずっと付き添って、道案内やレイモンドの力になって支えてくれたマリアとも別れの日が来た。リスボン駅で、汽車に乗る前、マリアに何と言ってよいかわからず言葉が出ないレイモンドに向かって、マリアは言う。「あなたはここまで来たのよ。今度は私のために、どうしてここに留まってくれないの。」
というお話。

映画ははじめ、初老の男の退屈な日常を延々と映し出す。そして、画面が突然、橋から飛び降りようとしている真っ赤なコートを着た女に変わる。ここから急に、画面のテンポが速くなり、ミステリーのはじまり、はじまり、、、という流れが出てきて見ているのが嬉しくなる。レイモンドが慣れない外国で地図を見ながら探し当てる人々が、みんな影のある人たちで、多くを語らない。そこに観客は引きずり込まれてしまう。なぞがいっぱいで、おもしろくてわくわくする。出だしも、ストーリーの広がり方も良い。
ところが期待させてくれた割に、結論が貧弱でがっかり。作者は飽きっぽい人なのではないだろうか。次々に登場人物を出してきて話が広がっていくあいだは、興味津々だが、あと200ページくらいで徐々に結論に導いていかなければならないところを、だんだん面倒になってしまい20ページで終わりにしてしまった という印象なのだ。とても残念。
推理小説も読んでいるときが一番幸せだ。犯人はあれでもない、これでもない、事件をこうしてみるのがよいのかどうなのか、と、考えながら注意深く読み進めるときの嬉しさ、わくわく感に比べたら、結論が出てしまったあとの推理小説ほどばかばかしいものはない。この映画がまさに、それだ。ミステリーぽいのに、ただのメロドラマだった、というがっかり感は大きい。ミステリーとしてもロマンティックストーリーとしても、中途半端で成功していない。

リスボンの街がとても素敵だ。石畳の狭い道路。石造りの家々。重い木の扉。清楚な教会。こんな素敵なところで、ひと夏過ごしてみたい。

この映画に登場する役者が良い。ヨーロッパでむかし活躍した役者たちが良い年を取っていて次々と出てくる。トム コートナイ、ブルーノ ガンズ、クリストファー リー、ジョージ オークレー、シャルロット ランブリング、みんなすっかり年を取った名優だ。この映画の良さはストーリーや映像の出来上がりよりも役者の良さでもっている。
主演のジェレミー アイアンズがとても良い。66歳、シェイクスピア舞台俳優出身。端正な顔が年を重ねて、より知的で思慮深い顔になっている。学者で、ひとつわからないことが出てくると解明できるまでとことん追う、追っている間はそのことしか頭にない。まわりのことに一切お構いなしといった学者肌の、常識外れでどうしようもない男を上手に演じている。そんな無防備で子供みたいな男に魅かれるポルトガルの女も良い。
ジェレミー アイアンズは、アムネステイーインターナショナルの活動家でもある。いくつかの映画の音楽を作曲したり、監督したりもしていて、ピア二ストでもある。66歳のいま、47年間獄中で死刑囚として収監されている被告の再審要求と、死刑制度廃止を訴えてメッセージを世界中に送っている。
http://www.youtube.com/watch?v=35Jp03rm2KY&feature=share

2013年12月12日木曜日

映画 「木洩れ日の家で」

                                                             

ポーランド映画
原題:「TIME  TO  DIE」
監督: ドロタ ケンジェジェアフスカ
キャスト
アニエラ :ダヌダ シャフラルスカ
息子   :クシシュトフ グロビシュ
孫娘   :バトルイツィヤ シェフチク
ドストエフスキー:カミル ビタオ
公証人 :ヴィトルト カチャノフスキー
犬    :フラデルフィア (フィル)

 ストーリー
ワルシャワ郊外。大きなアカシアの木々に囲まれた広い庭を持つ木造の屋敷がある。戦前から建つ大きな二階家だ。1915年生まれのアニエラは、この屋敷で生まれ育ち、結婚し、息子を育て、夫に死なれ、息子が巣立っていくのを見送った。そして今は、一人で、愛犬フィルと暮らしている。共産主義の時代には、国から強制的に屋敷の一部を取り上げられて、別の家族に家を提供しなければならないこともあったが、今は一人きり、フィルを相手に、静かな余生を過ごしている。家を改造して息子の家族と住むことを申し出たが、嫁が嫌がるという理由で、すげなく断られている。隣の家では、成金の男が愛人を囲っていて、家が狭いので、アニエラの家を買い取りたいと、不動産屋を通して圧力をかけてくる。礼儀を知らない下品な人達で、若い女はお化けのようなグレートハウンドを飼っている。

自分は90を超えて老い、息子は自分を疎んじて訪ねてこないし、健康に不安もある。しかし、2階のサンルームで、フィルを相手に話をしたり、双眼鏡で隣近所の出来事を覗き見したり、思い出に浸ったりして、退屈することはない。ただ、唯一の望みは そのサンルームで淹れたての熱いお茶を飲むことだ。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームまで運んできて飲もうとすると、すっかりぬるくなっていて香りもなくなっている。仕方なく、アニエラは、リキュールに手を伸ばす。

もう一方の隣の家では、若い夫婦が、貧しい子供たちを集めて音楽学校を開いている。朝から下手なトランペットの合奏などを聴かされて、そのやかましいこと。でも子供たちがショパンのワルツに合わせて、ダンスをしているところなど、双眼鏡で覗き見れば、自分が若いころに夫と踊った思い出に浸ることもできる。悪戯さかりの子供たちが 壁を伝って、ア二エラを覗きに来たり、むかし息子が遊んだ庭のブランコに乗りに来たりする。

ある夜、ベッドの横で眠っていたフィルが、異様な吠え方をするので、アニエラが起きてみると、息子夫婦が隣の成金の家を訪ねていて、4人が談笑しているではないか。息子は訪問を終え家の前に停めていた車まで歩いてきて、嫁と話をしている。息子は母親の家を無断で、隣の人に売り飛ばそうとしていたのだった。たった一人の愛する息子が、内密に、アニエラの家を横領しようとしている。同居を拒否しながら、家を売って、金もうけをしようとしている息子。小さい時から、欲の深い、思いやりのない子供だった。たった一人の孫まで、アニエラのつけている、指輪を欲しがるばかりの可愛げのない孫だった。

アニエラは怒りに震え、悲しみ、そして絶望する。喪服に身を包み、死を迎えるためにベッドに横になる。でも、期待通りに死は訪れない。そして、アニエラは自分が人生の終末期にいる自分に、何ができるだろうか、と考えて、ある決意をする。公証人を呼び、貧しい子供たちを集めて音楽教室を開いている若い夫婦に家を譲る契約をする。家を貧しい子供たちのために解放するのだ。アニエラの望んだとうり、子供たちが引っ越してきた。やかましいが、活発な子供たちによって、再び古い屋敷は活気を取り戻す。アニエラは満足して、サンルームでフィルと、何事もなかったように寛いで、、、。
というお話。

2007年に、ポーランドで活躍する女性監督 ドロタ ケンジェジャフスカによって製作され、2011年に日本の小劇場でも公開された作品。オーストラリアでは公開されなかったので、ヴィデオを日本で買ってきて観た。当時91歳だったダフタ シャフラルスカが主演して、話題になった。
この気品ある女性に美しいこと。小柄で華奢だが、姿勢が良くてローヒールの靴を履いて、柔らかなワンピースを着ている姿など、ほれぼれする。単調なひとりきりの生活のなかでも、双眼鏡で世間の動きをしっかり見ていて、好奇心を失わないでいる。訪ねて来た息子には、つい小言ばかり言ってしまうが、心ではとても息子を愛している。太って大柄になった無口な息子の後ろ姿に、一番可愛いかったころ自分をいつも頼ってくれた幼い日々の息子の姿を、重ねて見ている。憎まれ口しか言わない孫娘にも、深い愛情を抱いている。
そうした愛がすべて裏切られたと、知った時の衝撃は、まさに自分を死に追い込むしかないような耐え難いことだったに違いない。しかし、まだ自分に人のために役立つことができる、と思い至ってからのアニエラの別人のような生き生きとした姿に変わる。二つの大戦を経て、ポーランドの過酷な歴史を見て来たアニエラには、不屈の魂が宿っているのだ。
アニエラは欲深い息子家族を見限ることによって、将来のある子供たちの笑顔と喧噪と活気そして生きる活力を得た。品のない。思いやりのない肥満体の孫よりも、年寄りを大切にする貧しい子供たちという大きな家族を迎える、というか賢い選択をした。立派な決断。

映画の主役は91歳のアニエラと愛犬フィルだが、このフィルが素晴らしい。黒と白のボーダーコリーで、本当にアニエラの飼い犬としか思えない名優ぶり。いやな不動産屋が家に入り込んで来れば、猛然とほえたてて家から追い出すし、電話が鳴っていて足取りの遅いアニエラが間に合わないとわかると、走って行って飛び上って受話器を外すことができる。アニエラが話しかけると、耳を立てて、しっかり聞いてくれる。ベッドからアニエラが話しかけると、体を床に伏せたまま、目をアニエラに向けて、しっぽだけで返事をして振って見せる。アニエラを注意深く見つめて話を聴こうとしているフィルは、主人の飼い犬というよりも人生のすぐれた伴侶だ。犬の良さをすべて兼ね備えたフィルの表情の豊かさ。素晴らしい犬。

映画が始まったばかりの時に アニエラの独白がある。「ああ、いま熱いお茶があったらば、もう他に何も要らないのだけど、、。」という。自分が台所で淹れたお茶は、二階のサンルームに運んできたころには、すっかり冷めて香りもなくなってしまう。誰かがここに居て、アニエラのために熱いお茶を淹れて持ってきてくれたら何にも代えがたい、と自分の孤独を嘆くシーンがある。これが映画の終末のシーンを暗示している。アニエラの屋敷が、貧しい子供たちの音楽教室になってから、一人の男の子が、不注意でアニエラのお気に入りのテイーカップを、落として割ってしまう。この男の子は、アニエラに叱られるのを承知で 別のカップに熱いお茶を淹れてサンルームに持ってくる。ガラス窓を通して安楽椅子に座るアニエラの腕が見える。呼びかけても返事がない。足元にいたフィルがアニエラを眠っていると思って揺り動かす。そしてフィルは何が起こったのかを知る。フィルはガラス窓ごしに、男の子に向かってじっと目を合わせる。その目は何が起こったのか 男の子に伝わった。フィルと男の子とが見つめ合うことろで映画が終わる。

犬の目がすべてを語り告げているところも、感動的だが、それを受け止める無垢な子供のやわらかい心の痛みが表情からしっかりと伝わってくる。これほど優れた終わり方をする映画、他になかったように思う。この最後のシーンだけのために、この映画を観る価値がある。犬をよく知っている人には、号泣ものだ。子供好きの人にも胸をかきむしられることだろう。素晴らしい映画。犬と子供とおばあさんが好きな人には必見の名作だ。
黒白の画面なので、光と影のコントラストが明確で、色彩がないゆえに実際よりも豊な色彩を感じられる美しい映画だ。


2013年12月7日土曜日

2013年に観た映画 ベストテン

                     

第一位:「華麗なるギャツビー」
第2位:「ザ ロケット」
第3位:「舟を編む」
第4位:「シルク ド ソレイユ彼方からの物語」
第5位:「ライフ オブ パイ」
第6位:「コンチキ」
第7位:「キャプテン フィリップス」
第8位:「アンナ カレ二ナ」
第9位:「リンカーン」
第10位:「アイアンマン 3」

今年は映画の不作年だった。新作映画を50本ほど観たが、印象に残る作品が少ない。2012年に観た映画ベストテンと比べてみると それがよくわかる。
 

       第1位:「HUGOの不思議な発明」
       第2位:「最強の二人」
       第3位:「J エドガー」
       第4位:「レ ミゼラブル」
       第5位:「ル オーブルの靴磨き」
       第6位:「アウンサンスーチー引き裂かれた愛」
       第7位:「人生の特等席」
       第8位:「ぼくらのラザール先生」
       第9位:「アメイジング スパイダーマン」
       第10位:「バットマン ダークナイトライジング」
これらの2012年に観た、どの作品もいまだに記憶に新しい。マーチン スコセッシ監督の「HUGOの不思議な発明」は、映画史上に語り残される記念的な作品だったし、フランス映画の「最強の二人」も、クリント イーストウッド監督の「J エドガー」も、大型ミュージカル「レ ミゼラブル」も、昨日観たように、記憶に深く残されて、忘れられない。アキ カウリスマキのフランス映画も、「ぼくらのラザール先生」も、会話を最小限に削り取って、映像ですべてを語りつくした素晴らしい作品だった。また大型娯楽作品の「スパイダーマン」も、「バットマン」も、より良き人として生きたいと願う青年が正義のあり方に苦悩する姿が描かれていて、共鳴し共感することができた。
同じく、大型娯楽作品だが、今年のブラッド ピットの「ワールド ウオーZ」、トム クルーズの「オブリビオン」、「マン オブ スチール、スーパーマン」、マット デーモンの「エリジウム」、、、これらは一体何だろう。ヒーローでもなければ、ただの破壊者ではなかったか。正義も信義も人としての苦悩もない ただぶち壊して暴れまわる娯楽作品ばかり。派手に壊して痛快がる、というハリウッド映画がどうしても娯楽と思えない。精神の荒廃ではないか。心のどこかが病んでいる。観客のほとんどの人は、真面目に働いて、真面目に人を愛し、真面目に暮らしているのだから 真面目に良い映画を作って欲しい。

ハイデフィニションフイルムに収められたオペラを5本ほど 今年は映画館で観たが どれも良かった。ニューヨークメトロポリタンオペラも、ロンドンロイヤルオペラも、国立パリオペラも、資金繰りが大変だろうに、本当に良い舞台を続けている。ヨーロッパを起源にもつ600年の伝統をもつオペラを、私たちの次の世代に伝えていくことが、文化人の使命と考える人々の熱意と誇りが支えているのだろう。

第1位:「華麗なるギャツビー」
映画の説明と詳しい内容は、6月12日の日記に書いた。
村上春樹が そのアメリカンな文体の影響を受けた作家、F スコット フイッツジェラルドによる1925年の作品を映画化したもの。原作がよくできていて、感動的なので映画も素晴らしい。豪華絢爛 キラキラ輝いて贅沢で美しい映画だ。

第2位:「ザ ロケット」
映画の紹介は、11月14日の日記に詳しく書いた。
今年のベルリン国際映画祭、最優秀賞、アムネステイインターナショナルフイルム賞、シドニーフイルムフェステイバル オーデイエンス賞受賞。キム モルダウト監督のラオス映画。ラオスという世界で一番激しい爆撃を受けた国では、今も約50トンの不発弾が埋まっている。命の危険を顧みず不発弾から金属を抜き出して生計を立てている人が絶えない。そんな環境にもかかわらず、子供たちは一日一日を全身で喜びあい、笑い合い、悲しみを分け合って明日を強く信じて生きている。子供たちの前に進もうとする姿をして、戦争の愚かさを訴えた、優れた反戦映画。

第3位:「舟を編む」
11月23日に作品の紹介文を書いた。
日本の良さをギュッと缶詰に詰めたような映画。日本人独特の優しさ、労わり合い、あうんの呼吸で仲間が育つ環境、謙虚さ、職場のボスの部下に対する父親のような愛情、仕事への情熱、苦労を共にすることで育つ連帯と愛着、仲間のために無言で犠牲になる潔さ、新人が気が付かぬうちに職場の空気に染まっていく環境、夫を思いやり自分を決して主張しない妻、愛情の示し方が下手だが、心から妻を愛する夫、個を超えて共同体の中でこそ、自分たちの達成感、満足感を充足させる日本人の特性。熱すぎず、ぬる過ぎず、ぬくくて心地よい、温泉みたいな映画だ。そんな日本人であることが嬉しくなる映画。

第4位:「シルクドソレイユ 彼方からの物語」
2月26日に映画批評を書いた。
1958年からカナダを本拠に活躍するサーカス集団シルク ド ソレイユによる7つのラスベガス公演をカメラに収めて編集したもの。カメラに拘るジェームス キャメロン監督が自ら3Dのカメラを抱えて高所に登ったり、水に潜ったりして、動きの速いアクロバットを撮影した。素晴らしいおとぎ話に仕上がっている。人間にはこんなことまでできるのかという新鮮な驚きと感動の連続。本当に夢みたいに美しい舞台だ。

第5位:「ライフ オブ パイ」
1月4日に映画の紹介文を書いた。
これほど豊な色彩の美しい映像を観せてくれるとは、さすがに色彩の天才アング リーだけのことはある。16歳の少年パイが 海難事故に会い救命ボートに、生き残ったトラを一緒に227日間 漂流するお話。インドのまばゆいばかりの色彩のあでやかさと多様さ、色とりどりの花々、美しい動物たち、娘たちの匂い立つようなみずみずしさ、輝く海、大海の日の出と日没、果てしない海原、クジラやクラゲの美しさ、、、。ストーリーなどなくて良い。画面の美しさに目を奪われるばかりだった。

第6位:「コンチキ」
4月23日に映画評。
2013年アカデミーとゴールデングローブ賞候補作のノルウェー映画。ノルウェーの人類学者で冒険家のトール ヒェルダーの実話。彼は南太平洋のポリネシアの人々は、南米から渡ってきた民族であるという学説に至り、それを証明するために、イカダのコンチキ号で南米から南太平洋をめざした。102日かけて、海流に乗って7000キロの距離を航海し、ポリネシアのアモツ島に漂着、ポリネシア人の先祖がペルー人であることを証明した。のちに この学説はDNA検査などから後になって否定されるが、彼の行動力と、なしとげた業績が否定されたわけではない。一本気で行動派学者のヒェルダーの姿がいかにも偲ばれるバル ヘイゲンが好演している。

第7位;「キャプテン フイリップス」
ジャーナリスト出身のポール グリーングラス監督による2009年4月にソマリア沖で起きた海賊による貨物船船長人質事件をドキュイメンタリータッチで描いた作品。主演にトム ハンクスを配したところに映画として成功した鍵がある。たぶん、トム ハンクスの主演した沢山の映画の中で一番良い。100%キャプテン フイリップスに、なりきっている。幾度も生命を脅かされ、その度ごとに、これで一巻の終わりと窮地に追いやられる男の迫真の演技を見せる。最後の頃には恐怖感が最高潮までせり上がってきて見ているだけで呼吸をするのも苦しくなってくる。ドキュメンタリー監督の腕の見せ所だろう。
それにしても巨大なアメリカのタンカーを、ちっぽけなモーターボートでたった4人のソマリア人が襲撃する。そんな海賊たちが勇敢な上、物凄く頭も切れる。荒れる海を4人のソマリア人が巨大な壁のようなタンカーに向かって、少しもひるまず進んでいく姿が、すごい。4人のソマリア人の前に、大統領やペンタゴンや全米海軍、最新のヘリコプターや軍艦や大砲や重装備が何の役にも立たないで、5日間も引きずり回される姿は、痛快にも思える。訓練されたネイビーシールズ、狙撃兵たちも腰抜けにしか見えない。本当の闘いとは、莫大な資金をかけた装備や、最新の武器でもなければ、頭数でもない。信ずる者の強さではないだろうか。

第8位:「アンナ カレ二ナ」
2月18日に映画評を書いた。
ものすごくお金を使って製作された古典、1873年にトルストイによって執筆された世紀の恋の物語。たくさんの女優が演じたが、ケイラ ナイトレイのアンナは可愛らしすぎてミスキャストか。しかし、次から次へと出てくるココ シャネルの宝石も、19世紀のロシア貴族の豪華衣装も、だたそれだけ見ていて楽しい。舞踏会ダンスシーンや、ぺテルスブルグに向かうアンナを追うアーロン テイラージョンソンとの停車駅シーンも、ジュード ロウの夫役も、とても素敵。舞台の作り方が芸術的で、回り舞台をみているような新しい手法で、スピード感があって面白かった。

第9位:「リンカーン」
2月16日に批評を書いた。
リンカーンの伝記という地味で面白くもおかしくもない映画を、一級の役者で作った小品。リンカーン役のダニエル デイ ルイス、妻役にサリー フィールド、息子にジョセフ ゴードン レビット、盟友にトミー リー、、、これだけ贅沢な役者がそろえば、話の筋や内容などどうでもいい。役を演じる姿をみているだけで納得、良い芝居を観た、と感動できる。

第10位:「アイアンマン3」
5月19日に内容を書いた。
これでロバート ダウニー ジュニアのアイアンマンシリーズも終了した。彼がこれ以上アイアンマンスーツを着て、プレイボーイの億万長者を演じるのは、年齢から言っても無理がある。それにしても良い終わり方をした。有終の美というか、すべてのアイアンマンスーツを花火のように夜空に飛ばして爆発させて、彼はただの人間に戻った。「スーパーマン」とも「スパイダーマン」とも、「バットマン」とも違う、普通のオジサンっぽいメカ狂が、いちやくヒーローになってしまったが、やりすぎだったことをよく反省して、もとに人間に戻ってくれて、嬉しい。これで、安心して、ロバート ダウニー ジュニアのアイアンマンって、良かったよねーと過去のこととして話ができる。ほっとした。