2013年7月9日火曜日

映画「マン オブ スチール」 スーパーマン

   
    




脊損と呼ばれる脊髄損傷は、数ある病気や怪我の中で 最も患者にとって過酷な疾患と言える。
脊髄を含む中枢神経は、損傷を受けると二度と再生しない。どんなにリハビリテーションをしても回復することはないので、残った機能を最大限に使って日常生活ができるように指導されるだけだ。井上雄彦の漫画「リアル」を読んでいる人は もうみんな知っていると思うけど、患者にとって過酷なのは、頭は頭脳明晰なのに、体が動かないこと。バイク乗りやスポーツで事故にあうことが多く、患者が若い活発な人が中心だという意味でも 患者にとって過酷な疾患だ。
脊髄を包んでいる脊椎骨は、7つの頸椎(C1-7)、12の胸椎(TH1-12)、5つの腰椎(L1-5)と、仙椎、尾椎からなっている。腰椎を痛めると下肢麻痺になり下半身の感覚が失われ、歩くことも排尿、排便も自分でできなくなる。損傷が椎骨の上に行くほど、麻痺する範囲も広くなり障害も深刻になる。一般に、C2を損傷すると即死、C3を損傷すると呼吸するための横隔膜筋が麻痺するため自発呼吸ができなくなり、人工呼吸器装着なしに生存することができなくなる。

世界でたったひとり、C3から上を損傷したにもかかわらず、奇跡的に人工呼吸器なしに自発呼吸できるようにまでなり、特殊装置で話ができるようになって、映画に主演し、最後まで社会活動を続けた立派な人がいる。クリストファー リーブ。スーパーマンを主演した役者だ。
彼は、1995年に落馬事故に合って以降、四肢麻痺で、人工呼吸器に縛り付けられる寝たきりの苦しい状況を、懸命に支える妻子の期待に答えて、何度も感染症になりながらも、障害を一つ一つ克服してきた。呼吸をして、話ができるまでになり、映画「裏窓」を主演し、電動車椅子で自分で移動できるようになった。しかし、2004年10月、重度の感染症をおこして遂に 52歳で亡くなった。彼を支えてきた妻ダイアナも、肺癌で、44歳で夫の後を追うようにして亡くなった。

短い間だったが公立病院のスパイナル ユニット(脊損病棟)に居たことがある。婦長も年長の人格者だったが 独特の家庭的なあたたかい空気の病棟で、アンという60過ぎたナースが居た。3人の男の子の母親で、長身、がっしりした体格。「わたし、この職場が大好きで、離れられないわ。とても引退なんて考えられない。だって患者たちはいつも私のところに帰ってくるんだもの。」と言っていた。事実、患者たちは重度障害者として自宅に帰って生活しているが、感染症を起こしやすいので、頻繁に病院にもどってくる。高熱でふうふう言いながら「ママー また帰ってきちゃったよー。」と、救急車で搬送されてくる患者をいつもアンはしっかり抱きしめていた。おじさんもおばさんもテイーンの男の子も、みんなアンに抱きしめられて、幼児のように嬉しそうな顔で身を任せている姿が、忘れられない。

クリストファー リーブはコーネル大学を卒業し、ニューヨークジュリアードで演劇を学び、ロンドンに留学した末、パリでコメデイフランセーズに籍を置いていたこともある。1978年に映画「スーパーマン」に抜擢されて、4本のスーパーマンシリーズを主演した。
1995年の事故で脊髄損傷をしてからの9年間は、文字通りのスーパーマンとして世界中の脊髄損傷患者や家族たちの希望の星として生きた。彼の主演作は、

「スーパーマン」1978年
「スーパーマン2冒険篇」1981年
「ス―パーマン3電子の要塞」1983年
「スーパーマン4最強の敵」1987年

クリストファー リーブの「スーパーマン」1-4シリーズが終了して、彼の死後、2006年に「スーパーマン リターンズ」が公開された。新人ブランドン ルースがスーパーマン役で、ケイト ボスワースが相手役のルイス レーン記者になって、1から4までの前作のストーリーをそのまま継承し進展させた。すなわち、ルイス レーン記者が結婚して、喘息持ちのひ弱な息子を持っている。実は、その息子は、スーパーマンとの間にできた息子で、悪役レックス ルーサーに襲われたとき、危機一髪のところを潜在的パワーをもつ息子が 母親を守る。それなりに、良い映画だったが続編は作られなかった。

新しくクリストファー ノーランの発案で製作された「マン オブ スチール」3Dは、1978年以来の今までのスーパーマンのストーリーを 一切継承しない。全く初めから原作に立ち返って作られた。だから、あの有名な輝かしい曲、ジョン ウィリアムズの「スーパーマンのテーマ」音楽は 聞くことができない。
原作:ジョー シャスターと、ジョリー シーゲル
製作:クリストファー ノーラン
監督:ザック スナイダー
キャスト
クラーク ケント(スーパーマン):ヘンリー カヴィエル
実父ジョー エル         :ラッセル クロウ
養父 ジョナサン         :ケビン コスナー
養母 マーサ           :ダイアナ レーン
ルイス レ-ン記者       :エイミー アダムス
ゾッド将軍             :マイケル シャノン
ストーリーは
地球から離れた惑星クリプトンは、優れた文明と科学を持った社会だったがクリプトンの太陽は恒星としての寿命が近ついていた。クリプトンの科学者ジョー エル(ラッセル クロウ)は 危機が迫っていることを警告するが、軍を掌握するゾッド将軍に、政府に謀反を起こすために危機をあおって入ると疑われて、殺される。その前にジョー エルと妻によって生まれたばかりの赤子 カル エルは宇宙船に乗せられて超高速で地球に向かい、不時着する。カンザスの農地に激突して大破した宇宙船は、通りかかった老夫婦ジョナサン(ケビン コスナー)とマーサ(ダイアン レーン)に回収され、赤子は夫婦の養子として、クラーク ケントという名前を付けられて、大事に育てられる。しかし成長とともに、クラークは他の子供と違うことに気が付いて、悩みの多い学校時代を過ごす。養父が亡くなった後、ケントは、自分の居場所を探そうと家を出てひとり放浪する。

しかしジョー エルを殺したことで罪に問われて他の惑星に拘禁されていたゾッド将軍一味は、地球に送り出されたカル エルを探し出して地球を乗っ取ろうと画策する。宇宙船でやってきたゾッド将軍に対抗して、地球を救うためにスーパーマンは、、、。
というお話。

すさまじい破壊の連続にびっくりした。スーパーマンとゾッド将軍が一発殴り合っただけで 六本木ビルが20個くらいぶっつぶれて火に包まれる。殴られれば殴り返す。延々と破壊が続けられる。デスマッチをするなら ユタとかイエローストーンとか砂漠でやれよ、と言いたくなる。地球存亡の危機に、こんなことを言って申し訳ありませんけど、でもスーパーマンが投げ飛ばされるだけで高層ビルがいくつもいくつも潰れて壊されるって、何だろう。ビルの中にも下にも何百人何千人もの人が生活しているわけでしょう。スーパーマンもゾッド将軍もエイリアンなんだから 成層圏を超えた宇宙空間で殴り合って決着をつけてもらいたい。
アメリカ人は派手に ビルが壊れたりパトカーがひっくり返って火を噴いたり、橋が壊れて沢山の車が川に落ちたり、飛行機が不時着して火達磨になったりするのを見るのが好きかもも知れないけれど、度が過ぎる破壊を見るのが耐え難い。人間の英知の結晶のような文化が 一瞬のうちに破壊されるのをみて、すっきりした気分になれる人々って、かなり病気ではないだろうか。

新しいスーパーマンは、かなり個性派のハンサム。表情によって美男にみえたり醜く見えたりする。好き嫌いがはっきり分かれるだろう。
デイリープラネット紙のルイス レーン記者をエイミー アダムスが演じていたが これも原作のイメージとずいぶん離れる。この記者は仕事はできるが、おっちょこちょいで単語のスペルを間違えてばかりいる。ちょっと抜けているところが可愛い記者なのだが、今回のルイスはちっとも可愛くない、気が強いだけの女だ。
ラッセル クロウの実父、アイレット ゾラ ララローの実母、ケビン コスナーの養父、ダイアン レインの養母、デイリープラネット紙編集長のローレンス フィッシュバーン、ゾッドのマイケル シャノンの配役は良かった。ケビン コスナーの実直な農夫のお父さんぶりには感服。

総じてクリストファー リーブのスーパーマンを知らない世代の若い人たちにとっては 3Dだし、充分楽しい娯楽映画だ。

しかし脊損になっても戦い続け、戦いの末、力尽きて若くして死んでいった 永遠のスーパーマン、クリストファー リーブを知っている人にとっては、新スーパーマンは ごみ箱行きかもしれない。


2013年7月6日土曜日

映画 「ワールドウオーZ]

          
        


原題:「WORLD WAR Z]
原作:2006年に出版された、マックス ブルックスによる同名の小説
監督:マーク フォースター
キャスト
ゲーリー レーン:ブラッド ピット
妻、カレンレーン:ミレイユ イーノス
スピーク隊長  :ジェームス バッジデール
ネイビーSEALS隊長:マシュー フォックス
イスラエル女兵士 :ルーシー アハリシュ
ブラッ ドピットの映画製作会社、プランBエンタテ―メント製作
日本では8月10日に公開予定

映画の話から逸れるが、ブラッド ピットのパートナー、37歳のアンジェリーナ ジョリーが乳癌予防のために両乳房切除と乳房再建手術をしたと、発表をした。彼女のようなビッグネームの女性が、このような形で勇気ある発言をしたことによって、人々に乳癌予防や啓蒙をし、乳癌患者に勇気を与えることになった。とても立派なことだと思う。日本は先進国の中で、最も乳癌罹患率の低い国だが、アメリカでは昨年1年で、23万人の人が新たに乳癌の診断を宣告され、4万人が亡くなった。乳癌は、癌のなかで最も遺伝性が証明されており、遺伝子に「BRCA1」と「BRCA2」を持つ人は、乳癌に罹患する確率が87%。2等身以内の親族に50歳以下で乳癌に懸った人が多い場合は、確率はもっと高くなる。BRCA遺伝子を持つ人は、一般の人の10-19倍 乳癌に罹りやすい。私の仲の良い看護婦も BRCAを持っていて、いつかは必ず乳癌を発病すると分かっているので、結婚も子作りもしないと、決意している。でも、そんな人ほど、子供好きで、どこに行っても子供から好かれて、まつわりつかれたりしていて、見ていて悲しくなる。
このような人の場合、両乳房切除によって、乳癌罹患率を5%に下げることができる。欧米では、すでにたくさんの人が、アンジェリーナのように、切除にあたって、両乳頭も 乳輪も、乳房の皮膚も温存したまま切除して、乳房再建をしている。乳房のわきに切れ目が入るが、術創は前から見えないし、胸の開いた服を着ることもできる。アンジェリーナは、「子供たちの為に長く生きたい」と、手術を決断したそうだが、本当に勇気ある決断と、勇気ある発表だった。こういう人を、心から応援したいと思う。

さて、映画だが、ブラッド ピット主演、製作のゾンビ映画。
ストーリーは
国連の調査官、ゲイリー レーンには妻と二人の小学生の女の子が居る。ある朝、フィラデルフィアの自宅から、いつものように車で子供たちを学校に送る途中で、ひどい渋滞に巻き込まれる。車ごと身動きできなくなっていると、突然、人々が車を捨てて逃げ出し始める。凶暴なゾンビ集団が襲ってきて、次々と車が破壊され、人々が噛みつかれる。ゾンビに噛まれた人は いったん死んで12秒すると生き返り、凶暴なゾンビとなって人を襲い始める。ゲイリーは機転をきかせてトラックで 家族を連れて逃亡するが、途中、軍のヘリコプターに拾われて、海上に停泊する米軍の航空母艦に収容される。アメリカ大統領は、すでにゾンビに襲われて死亡、米国全土は ほぼゾンビに占領されていた。逃げ切ることができた人だけが海に浮かんだ航空母艦に居住する状態になった。

国連の特殊機関で働いているゲイリーは、軍の司令官から、ゾンビを放逐するために原因を探り対策をたてるように命令される。ゾンビは ウィルスが原因で、咬み傷から感染して、発病するらしい。最初にゾンビが発生した土地に行きゾンビに対抗できるワクチンを探さなければならない。ゲイリーは、まず海軍SEALSの担当官と一緒に、韓国に飛ぶ。どこに行っても、ゾンビが待ち構えている。危険に身をさらしながら、わかったことは、北朝鮮に武器を売り込もうとして入国した元CIAのアメリカ人が最初にゾンビに接触したことだった。より詳しい情報を得るために、ゲイリーは、次にエルサレムに飛ぶ。エルサレムでは、高いコンクリートの壁に囲まれた安全圏が建設されており、様々な宗教や異なる国の人々が収容されていた。しかし、安全圏の中の人々が一斉にお祈りを上げ始めると、急に安全圏外にいる何万人ものゾンビが凶暴化して、壁を破り安全圏になだれ込んできた。ゲイリーは イスラエル女兵士ひとりだけを連れて辛くも脱出、しかし 安全なはずの飛行機にも、新たにゾンビになった乗客がいて、みるみるうちにコックピット以外は、すべてゾンビに支配されてしまう。ゲイリーは機長とともに、ゾンビに破壊された飛行機を不時着させる。しかし、失敗して航空機は爆発する。

生き残ったゲイリーとイスラエル女兵士は、怪我をかばい合いながら、WHOにたどり着く。WHOの建物も、ゾンビに占領されており、ほんの数人の研究者が、一室に閉じ込められていた。WHOの生き残り研究者の話から、研究者が開発したゾンビウィルスを不活性化するワクチンが、開発中であることを ゲイリーは知らされる。しかし、ワクチンは 安全圏である部屋からは、遠い冷蔵庫に保管してある。どんなことをしても、ワクチンを保管庫から出して、ゾンビウィルスに対する免疫を作らないと人類は生存できない。このままでは、人類は滅亡してしまう。ゲイリーは、意を決して保管庫に向かう。しかし、凶暴なゾンビに囲まれてしまって、、、ゲイリーは、、、。
というお話。

世界中にゾンビウィルスが広がってしまって、非感染のまともな人間がほんのわずかしか居なくなってしまう。咬み傷によって感染し発病したゾンビは 凶暴化してあっという間に人々を襲ってゾンビウィルスをまき散らす。救命方法はワクチンだけ、という設定でストーリーが進行していって、ハラハラするが、どんどん人が死んでいく中、ブラッド ピットだけは、絶対死なない。さすがだ。
最後のほうになって、生き残ってワクチンを打った人々が、反撃に出て、何十万人、何百万人というゾンビをフィットボールスタジアムに追い込んでミサイルか原爆か、水爆化、化学兵器かなんかで ドキューンと皆殺しにするシーンがある。強力マシーンでバリバリとゾンビを殺すシーンも延々と続く。とても暴力的な映画だ。ゾンビは強力兵器で、完全に破壊殺害しないとね、、、。と、しかし、ゾンビはふつうの人間だった人たちでしょう。昨日まで、自分たちの親であり、兄弟だった人たちでしょう。それを球場に追い込んで一人残らず皆殺しにするって、どうなんだ。なんてことをするんだろう。仮に凶暴で襲ってくるにしても、ウィルスが原因で凶暴化した人を こんな風に処分してしまって良いのだろうか。見ていて、つらくなる。

余りに科学的でない、非現実的なストーリーなので 批判するよりもあきれてしまう。疑問点。
1)  病原菌が同じでも、人はそれぞれが異なるように、症状も異なって現れる。この映画のように咬まれて12秒後に 同じパターンで誰もが発病して凶暴化するという設定には無理がある。
2)  ゾンビに手を噛まれたイスラエルの女兵士を ブラッド ピットは その場で手を叩き切って命を救うが、咬まれた傷口から 感染ウィルスが血液を通して心臓や脳に行くのに1秒かからない。手を切り落とす前に すでに感染しているはずなので救えるとは思えない。また手を叩き切って、動脈を切っているから、映画でピットがちょいちょいと包帯したくらいでは、止血できると思えない。
3  )これほど情報化が進んだ社会で、世界中一つのウィルスで同時多発的に、ある日、突然社会がゾンビに乗っ取られることはあり得ない。地球には時差もあるんだし、、。映画ではいつものように家族が学校に行く途中ゾンビが降ってわいたように世界を制覇してしまい、その前に何の情報も前兆もない。あり得ない。
4)  ひとりが10人の人を噛んだとしても 世界中には68億人の人がいる。突然ゾンビが世界を乗っ取ることは、できなくて、もっと時間をかけてゆっくり感染、発病、波及していくはず。

似たような「宇宙戦争」原題「WAR OF THE WORLD」という2005年のトム クルーズ主演、ステーブ スピルバーグ監督の映画もあった。あれも、これも十分馬鹿っぽかった、B級映画だ。トム クルーズが、走らせればトムよりは 速く走れそうな7歳くらいの ダコダ ファニングをしっかり抱いて遅くなった足で エイリアンから逃げ惑う姿には笑ったが、今回も、ピットが大きな娘を抱いて逃げ回る。子供は抱かないで、走らせなさい、、、というか、自分が3歳の孫の世話を1日しただけで腰が痛くなってふらふらしているだけに、誰かが子供を抱いて逃げるシーンを見ただけで腰骨がきしみ出す。

この映画、ブラッドピットのゾンビ映画だから見た。これをB級恐怖映画と評するか、コミカル喜劇として笑うか迷う。
しかし49歳になったピット、いつもとてもナイスだ。家庭想いの優しくて強いお父さんの役を演じていて、実際のピットも 家でこんな立派なお父さんなのだろう、と思わせる。こんな映画でも、絶体絶命のとき「僕が戻ってこなかったら、家族を愛してるって伝えて。」などどいうシーンがあって、思わず涙を浮かべてしまう。ハリウッドが高いお金と、一流の役者を使って作ったB級映画。
まあ、だけど、ピットが出演してたくさん稼いで、そのお金がアンジェリーナ ジョリーの勇気ある手術や予後の医療に使われたり、彼らのプロジェクト、アフリカの婦女子教育に使われるのなら それはそれで良しとしよう。

2013年7月4日木曜日

映画 「マリーアントワネットに別れをつげて」

                                    


原題:「LES ADIEUX A LA REINE」
英語版タイトル:「FAREWELL MY QUEEN]
邦題:「マリーアントワネットに別れをつげて」
原作:シャンダル トマの同名の2002年ベストセラー小説
監督: フツワ ジャコー
キャスト
マリーアントワネット:ダイアン クレイガ―
シドニー朗読係:レア セドウ
ポーリヤック夫人:ヴィルジニー ルドワイアン

本当に本当のヴェルサイユ宮殿で撮影したフランス映画 ということで、是非観なければと思って観に行った。日本では、この映画、去年の12月に公開されたらしいが、シドニーでは今になってやっと、ハリウッドものでなくマイナーな外国映画を上映する小劇場で、短い期間だけ上映された。
ヴェルサイユを管理する公団が、この映画製作に全面協力し、2か月間休館日の月曜日と平日の日暮れ以降の夜間に、撮影が行われたという。ヴェルサイユの使用料金、、、1日2万ユーロなり。
ヴェルサイユは、パリを旅行したときに訪れたが、グループ旅行の悲しさで通り一遍見て、通り過ぎただけで、ゆっくり見る余裕がなかった。ルイの寝室に飾ってあった画をもう一度 フイルムで見られるだろうか、庭園の様子を当時の人々がどんな風に楽しんでいるだろうか、もう一度じっくり見たかった。映画製作にあたって キャストなどの人件費よりも、ヴェルサイユ使用料の方が 費用が掛かったのではないだろうか。 映画には、「ヴェルサイユ最後の3日間を、マリーアントワネットの朗読係シドニーの目から見た宮廷歴史物語」という説明がついている。

スト-リーは
1789年7月14日、バスチーユ牢獄襲撃の日から、この映画が始まる。この日、パリから遠く離れたヴェルサイユでは、王侯貴族たちは普段と変わりない生活を楽しんでいる。アントワネットは、お昼寝の時間に朗読係シドニーに本を朗読させるが、移り気な王妃は すぐに飽きてファション雑誌を取り寄せて、注文するドレスの相談をしている。アントワネットを敬愛するシドニーは、王妃のためなら何でもしたいと思っている。その気持ちはほとんど恋に近い思いだ。侍女にアントワネットが注文したダリアの刺繍を自ら引き受けて、心をこめて刺繍する恋する乙女だ。
王妃はポーリヤック夫人を特別に気に入っていて、自分の思い通りにしたいと思っているが、ポーリヤックは、それほど王妃に執着していない。そういった二人のやりとりを覗きみているシドニーは、王妃に同情を、ポーリヤックには嫉妬をしていて、心穏やかではない。

やがて蜂起したパリ市民は ヴェルサイユに処刑リストを送りつける。286人のギロチンリストを見て卒倒するものが続出する。勿論国王と王妃がリストのトップに挙げられている。宮殿は急に不穏な雰囲気に包まれる。浮足立って、夜の闇にまぎれて逃げ出す貴族たちが沢山いる。それを見てわれ先にと召使や近衛兵までもが 逃亡を始める。神父やシドニーに教育を施してくれた図書係のモリエール氏や 仕事仲間も次々と立ち去った。しかし、シドニーは 王妃に忠誠を誓っている。心から恋焦がれている王妃のために最後の最後まで付き従っていきたいという気持ちに揺ぎは無い。
しかし王妃はポーリヤック夫人がギロチンリストに入っていることに心を痛め、彼女を宮殿から脱出させ、オーストリアに逃す計画を立てる。シドニーを呼びつけて、ポーリヤック夫人の身代わりとして、彼女ののドレスを着せ、ポーリヤック夫婦には使用人の服を着せ、宮殿から脱出することを命令する。シドニーは、心敗れて、貴族の服に身を包み、愛する王妃に送り出されて、恋敵のポーリヤックの身代わりとして馬車に揺られて行くのだった。というお話。

ヴェルサイユ宮殿の あの豪華絢爛な鏡の間で、ルイ16世が貴族たちに危機的な現況を語る場面がある。シャンデリアが燦然を輝いている。アントワネットが自分のベッドでゴロゴロしながらシドニーに本を読ませるシーンや、暖炉のある寝室で、ギロチンリストを火に放り込むシーンもある。興味深いのは使用人たちの専用通路や、使用人部屋だ。当時は灯りが貴重だったので 廊下や調理室に窓の灯り取りがついているが、それでもとても暗い。暗い食堂に、使用人が交代でスープとパンの食事をとりにきて、情報を交換したりゴシップに明け暮れる。そんな暗いところを浮き足たった人々がごった返しててんやわんやになる雰囲気がよく伝わってくる。

ヴェルサイユ宮殿はルイ14世によって莫大な予算を使って建設された。宮殿建設に2万5千人、庭園に3万6千人の労役が投入された。どうしてそんなに大きな宮殿が必要だったかというと、ルイ14世は、10歳の時「フロンドの乱」で、貴族たちに命を脅かされた経験をもっていたので反乱を予防するために、貴族をヴェルサイユに強制的に移住させたからだった。単なる散財ではなかったのだ。しかし太陽王、ルイ14世の大盤振る舞い以降、ルイ16世即位のときにはすでに フランスは慢性財政難に陥っていた。にも拘らずルイ16世は、イギリスの勢力に対抗するためアメリカ独立戦争を支援し、財政を一層困難にする。三部会を招集し、貴族勢力に対抗する平民層に政治参加の機会を与えた結果が、市民蜂起の力を呼び起こす結果となった。

マリーアントワネットは、オーストリア大公フランツ1世とマリア テレシア皇后の娘で、当時敵対していたプロイセン王国の威勢からフランスとの同盟強化する必要があったために、人質として15歳で フランス王ルイに嫁いできた。ひとり外国に送られてきた孤独を紛らわせるためにギャンブルに興じたり散財を欲しいままにして浪費をした。お気に入りのポオーリヤック夫人に年金の下賜金として年間50万ルーブル(30億円余り)を与えていた。おまけに王権が剥奪されたあと、フランス王妃として誇りをもって市民の裁きを受けると、言っておきながら、オーストリア貴族の変装してオーストリアに逃げようとしてヴアレンスで捕まって(ヴェレンス事件)、完全に市民から憎しみを対象にされる。断頭台への道は、歴史の必然だった。

映画で、マリー アントワネットを演じたダイアン クルーガーは、クールビューテイーの役柄によく合った美人だ。2006年に ソフィア コッポラが「マリーアントワネット」という映画を作って、アントワネットにクリステイン ダンストを登用した。この品のない庶民の代表みたいな顔をした女優の登用には驚いたが、今回のクルーガーは、王妃らしくて良かった。しかし、主役の朗読係シドニーを演じたレア セドウーという17歳のフランス女優だが、なんと表現力のない大根女優であったろう。顔の表情もひとつしかなく、およそ喜怒哀楽も抑揚もない。王妃に恋をしているのに、恋敵の身代わりになって自分の身を危険にさらすことになった、恋心敗れる哀しい、絶望的な女の役だが、この女優は出てきた時から最後まで、重度のうつ病みたいな顔ひとつで通した。プラダの香水のコマーシャルに出ているらしいが、やっぱり笑っていないで 哀し気な顔をしている。一体何だ。役者としてやっていきたいならば、次回は喜劇でも演じてみて、表現するということの大切さを知って自分を磨いてもらいたい。

ヴェルサイユで撮影したフイルムということだが、本物のヴェルサイユだから一番良い映画ができるはずだと思ったら間違いだ。映画とはフェイクの世界だ。本物を使って本人が演じたら上出来かというと、そうではない。フェイクの役者が作り物のセットで演じた方が本物らしく出来上がるのはなぜか。それは、映像という手段によって、本物以上のものを効果的に見せようという監督の意思が通じるからだ。ドキュイメンタリーでない限り、映画は映像を通じて、どう表現したら人に本物以上の本物を伝えることができるか監督の手腕にかかっている。
この映画、本物のヴェルサイユで撮影したが、ヴェルサイユの豪華さや、歴史の重みを観て感じることができなかった。監督の力量不足ゆえだろう。