2012年8月16日木曜日
映画 「ザ サファイヤズ」
オーストラリアの先住民アボリジニーの人々は 独自の優れた文化と芸術を持っていることで知られている。人類のうちで最も古い歴史をもった狩猟民族で 4万年前にすでにオーストラリア大陸で、岩に動物の姿や狩りをする人の姿などを描いている。シロアリで空洞になった樹でできたデイジュリトウという楽器を吹きながら、踊る、音楽家達でもある。
いまは、ギターをもって、カントリー調のソウルを歌う人が多く、アイドルになっている人も多いが、もって生まれた音感の良さと、リズムを打つ正確さには真に驚かされる。シンガーソングライテイングでは、独特の哀調を帯びた作風、また自由自在に転調に転調を重ねて音をつないでいく巧みさは、全くまねができない。
アボリジニー出身の映画監督も、みな若いが、ブレンダン フレッチャー、イワン セン、ワーリック トーントンなど優れた映画作りをする人が出てきた、。この映画「ザ サファイヤズ」も、アボリジニー出身の監督、ウェイン ブランによって作られ、今年のカンヌ映画祭で、初めて上映されて、高く評価された。
映画は、1950年末から1960年代に、実際あった、リアルストーリー。全米で黒人解放、公民権獲得運動が、ベトナム戦争を背景に嵐のように広がった、その時期のお話だ。同じ頃、オーストラリアでは まだアボリジニーに選挙権もなく、対等な人間として扱われていなかったが、アボリジニの女性歌手のグループが ベトナムに送られて、戦闘の最前線を慰問してまわったという あまり知られていない事実を映画化したもの。脚本家のトニー ブリッグは、自分の母親と叔母さんが、実際に、映画に出てくる歌手だったそうだ。コミカルなラブロマンス。笑わせてくれるが 作り手のメッセージは、強くて確かだ。
監督:ウェイン ブラン
脚本;トニー ブリッグ
キャスト
デイブ:クリス オドウ
ゲイル:デボラ メイルマン
ジュリー:ジェシカ マウボーイ
シンシア:ミランダ タペル
ケイ :シャリ セベン
ストーリーは
1958年 ヴィクトリア州の田舎町で婦人会主催の歌のコンテストが行われることになった。そこに審査員としてメルボルンから、スカウトマンのデイブが招待されてきた。審査員といっても、アイルランド人のデイブは、ポンコツ車で寝泊りして移動しながら、地方回りをしてきた、歌手になりそこねたアルコール中毒のうらぶれた男だ。歌のコンテストが始まってみると、着飾った婦人会の面々を前に、音の外れた歌手や、間の抜けた腹話術氏など、この田舎町ではとてもスカウトの対象になるような技能をもったものは見当たらない。いい加減、デイブがあくびをかみ殺すのも面倒になった頃、コンテストが終わる寸前に、駆けつけてきた3人のアボリジニー達に 婦人会一同は、ざわめきだす。アボリジニーと同じ部屋にいることを拒否して、部屋を猛然と出て行く人、舞台に背を向けて大声で話し出して コンテストを妨害する人々。一様に、無視しながらも、ちらりと彼女たちを見る時は、汚物でも見るような険しい顔だ。
3人は厳しい視線や、気まずい空気を気にせずに、美声で歌い始める。やっと音楽らしい音楽を耳にすることができて、スカウトマンのデイブが嬉しくなって、つい、ピアノ伴奏を始める。さて、今日のコンテストの優勝者は、と、デイブが記念の盾を彼女達に渡そうとすると 婦人会は怒り狂う。「アボリジニーは、森で狩りでもしていたらいいでしょ。」と。婦人会によって、3人のアボリジニーとデイブは、会場からたたき出されてしまった。
ゲイルとジュリーとシンシアは、3人姉妹だ。いつも歌が好きで歌ってばかりいる母親に育てられた。姉妹喧嘩をしても、母親が歌いだすと、自然といつの間にか、そろって声を合わせていて、いつの間にか喧嘩していたことが忘れられてしまう。家族は町から離れたアボリジニーのコミュニテイーで暮らしている。3姉妹は、仕事が欲しかった。しかし、街で白人に混じって働ける職場など 探してもみつかる訳がない。スカウトマンに出会った3人は、「米軍 歌手を求む」という新聞広告をデイブに手渡して、自分達をプロモートして、米軍に売り込んで欲しいと頼み込む。それは、ベトナムの戦場にいる兵士達を慰問する仕事だった。
デイブは、すっかり本気になって、彼女達3人に従姉妹を加えた4人のグループに、歌の振り付けやコーラスの技術を教え込む。グループの名前は「ザ サファイヤズ」だ。そして、無事オーデイションに受かって一行はハノイに向かう。
デイブに引き連れられて、彼女達が着いたところはベトナムの戦火の中だった。娘達はオーストラリア社会で存在を認められず、どこに行っても鼻つまみにされることに慣れてきたから、黒人兵の多い米兵達から歓迎され、仲間として大切に扱われて、嬉しかった。米兵達は明日の命の保障もない戦場で 戦闘の合間には 酒とドラッグとセックスに溺れた。そんななかで、4人の女の子たちは 兵士達のマスコットガールとして、もてはやされた。
ザ サファイヤズは米軍の拠点から拠点へと移動しながら歌い続ける。しかし、戦況が厳しくなり、前線基地で激しい爆撃にあい、デイブは銃弾に倒れる。4人はサイゴンに戻ることになり、やがて戦況悪化とともに、オーストラリアに帰国することになって、、、。
というお話。
ひょろひょろして、頼りないデイブが 4人の元気なアボリジニーの女の子の勢いに押されてばかりいる、掛け合いがコミカルで笑える。4人のしっかり者に、どやされたり、たしなめられたり、懇願されたり、泣きつかれたりしながら あたふたと4人をプロモートして売り出して成功させるデイブの姿が おかしいが憎めない。差別に正面からぶつかっていく4人の足を地に付けた確かさに感動する。
初めの頃の、母親が「イエローバード」を歌いだすと、娘達がひとり、またひとりと歌に加わって、美しいハーモニーになるところが印象的だ。
時代背景を説明する目的だろうが、アボリジニーコミュニテイーのみんながテレビの前に居て、マルチン ルーサー キングが暗殺されたニュースが流れるシーンがある。キング牧師の演説に聞き入るアボリジニーの人々、、、感動的なシーンだが、このころ1960年末から1979年代のかけて、コミュニテイーに電気はなかったと思う。一般のオーストラリアの間でも 1950年代にテレビはあまり普及していなかった。
だいたい、アボリジニーに選挙権が与えられたのが、1963年のことだ。ヨーロッパやアメリカの先駆けて、世界で初めて女性に選挙権を認めたオーストラリアにして、自分達の先輩たちである先住民を公式に国民として認めたのは、それほど遅い時期だった。
日本では、アイヌの土地没収、アイヌへの日本語使用義務、改名による戸籍への編入を強制した「北海道旧土人保護法」が 廃止されたのが1997年。「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で採択されたのが2008年のことだ。 ことほどさように どの国でも先住民は 奪われ、虐げられ、その人間としての権利が認められ、尊厳が回復されるには、長い長い時間が必要だったのだ。
私がオーストラリアに来た16年前には、一般オーストラリア人とアボリジニーの平均寿命に、20年の差があった。アボリジニーは20年も早く糖尿病やアルコール中毒による腎不全、肝不全で亡くなっていた。それが、教育や住宅、保険医療の改善などの成果で、17年となり、さらに差が少しずつ縮まてきている。
大きな病院の心臓外科病棟に勤めていたとき、ひとりのアボリジニーの患者が亡くなった。事態を知らされて待機していた患者の家族たちが 亡くなった患者を取り囲み、悲しい哀調のこもった歌を歌いだして、まわりを祈りながら、歌いながら舞った。その美しい歌を聴きながら、亡くなった患者の魂が 仲間にしっかりと抱かれている姿が、見えるような気がした。良い経験だったと思う。
この映画は楽しい映画だ。アボリジニー出身監督のメッセージは、受け止めた上で、楽しい音楽映画、ラブコメとして観るのが良い。