2009年11月28日土曜日

ベートーヴェン 3曲


今年最後のオーストラリア チェンバー オーケストラ(ACO)公演を聴いた。
エンジェルプレイス、11月26日まで。プレミア席$120。
年7回の定期公演の 年初めのコンサートと最終コンサートは 毎年、内容が 特に充実している。今回は ベートーヴェンばかりを3曲。

団長のリチャード トンゲテイが指揮をしながら コンサートマスターも務める。彼のバイオリンは 1743年のグルネリだ。第二バイオリン コンサートマスターのヘレナ ラスボーンも、1759年のガダニーニ また チェロのコンサートマスターも1729年のグルネリを 篤志家から貸与されている。
リチャード トンゲテイは1999年に オーストラリアの人間国宝(ナショナル リビングトレジャー)に指定された。

今回のコンサートは
1)BRETT DEAN 作曲「TESTEMENT」
2)べートーヴェン作曲 「ピアノコンチェルト 第4番」
3)ベートーヴェン作曲 「交響曲第4番」

最初の曲は ブリズベン生まれのオーストラリア人の現代作曲家 ブレット デーンによる「遺言」。彼は 15年間 ベルリンフィルでビオラを弾いていたビオラ奏者で、指揮者で また作曲家でもある人。
べートーヴェンは 自分の難聴を恥じていた。誰よりも感覚が鋭敏で完璧でなければならない聴覚が人よりも劣っていることを、恥じ、憎くみ、扱いかねていた。長い鬱状態の末 難聴を苦にして いつでも死ねるように遺言を作っていた。音が聴こえなくなるだけでなく、頭の中で ブザーが始終鳴っているような状態で雑音や騒音が頭の中に入り込んできて絶え間ない頭痛が押し寄せてくる。そうした状態を経て、ベートーヴェンは物理的な音を否定して、精神の中で音を聴くようになる。内なる音楽、音がのない 想像による音だ。

物理的な音が聴こえないベートーヴェンの頭の中の状態を曲にしたのが、この作品「遺言」だそうだ。22人の弦楽器奏者が 弦楽器の弓に松脂を塗らないで 弦をこすって音を出すものだから、聴こえてくるのは シャカシャカという摩擦の音だ。不協和音の連続の末に、突然 べート-ヴェン弦楽四重奏曲ナンバー1作品59の豊穣なメロデイー、、、そして又、弓を松脂なしの弓に持ち替えて 摩擦音の連続、、、と言うわけで、現代音楽に悪酔いしそうな曲だった。実験的現代音楽は疲れる。

エントリーが終わり、やっとベートーヴェンピアノコンチェルト。彼が37歳のときの作品。とてもロマン派の香りする 静かで技巧的なコンチェルトだった。コンサートピアニストは、クロアチアで生まれ、ザウスブルグで育ったピアニスト デジャン ラズィック(DEJAN LAZIC)。この人、日本でも招かれてN饗と公演している。
ベートーヴェンは 自分が優れたピアニストだったから 自分にしか弾けない様な技巧的な難曲を沢山つくったが、これも本当に弾くのが大変な難曲。どなるでもなく、語りかけるでもなく、静かに ひたむきに心に訴えかけるように演奏していた。音のひとつひとつが きれいで 静かだが 力のこもった演奏だった。アンコールに応えて ラフマニノフを弾いた。難曲を得意とする人なのだろう。

休憩をはさんで、最後はベートーヴェンの交響曲第4番。へえーと思われるかもしれない。ほとんど聴かれることのない第4番だからだ。「英雄」の第3番、「運命」の第5番、「田園」の第6番、「合唱」の第9番など、有名な曲に埋もれてきた交響曲。

フルトベングラーや、バーンスタインや カラヤンに指揮されて 重厚でゆったり 蒸気機関車DC1が単線を走るように演奏されてきた。そんなだから 特別なベートーヴェンマニア以外は 眠くなって仕方がなかったけど この4番に命を吹き込んだには、カルロス クライバー。彼が指揮してやっと、なんだ、結構良い曲じゃん、と評価され出した。カルロス クライバーの第4番に 今回のリチャード トンゲテイが さらに磨きをかけて躍動感あふれる演奏をしてみせた。重い重い蒸気機関車でなくて、ジャガーが走る、疾走感あふれる演奏だ。

リチャード トンゲテイは べートーヴェンがいた時代どうりの正しいキー、正しいテンポにもどって演奏しただけだ と言う。べートーヴェン作品は技術的に演奏するのが困難であったことと、大規模オーケストラ(55人規模)で演奏するために どうしてもテンポが遅くなり、重厚さが協調されてきた。一方ベートーヴェンの難聴が進行して 彼が想像上 曲を作ったため、現実には不可能なほどテンポの速い曲が作曲されていた。従って彼が指示したテンポ、彼が望んだキーで演奏できる奏者がいなかったのだそうだ。そんなことから、べートーヴェンの交響曲は 重い、のろい、暗い 退屈な演奏になってしまった。

リチャード トンゲテイは 技術的な難しさはテクニックの研鑽を重ねることでクリアし、室内楽の少人数で演奏することによって 本来のベートーヴェンの思い描いていた交響曲の演奏を可能にした。この曲の初演1804年、ベートーヴェンが指揮したのは たった6人のバイオリン奏者 総数24人のオーケストラだった。ACOも22人の弦楽奏者にクラリネット、フルート、フレンチホーン、バスーン、オーボエが加わっただけだ。それでいて、すごい迫力。これがACOの実力だ。
ベートーヴェンが 躍動感あふれ、ジャガーのように疾走する。ダイナミックに走り続ける第4番を聴きながら、ベートーヴェンのリベラルな 過激といってよい新しさが香り立ってくる。日本にいたとき 「スプリング」などバイオリンコンチェルト以外のベートーヴェン交響曲が ひとつとして好きでなかった。いま、彼の交響曲が少しも重くも退屈でもない。 聞いた後は さわやかな満足感でいっぱいになる。そうか、ベートーヴェンは 吉野家の牛丼じゃないけど 速い うまいに越したことはないのか。ベートーヴェンを聞かせるか、否か 要は演奏家達の心意気なのだ。
とても満足したコンサートだった。

2009年11月14日土曜日

映画 「おくりびと」


今年2月のアカデミー外国映画最優秀賞作品。「おくりびと」英題「DEPARTURES」を観た。
日本では今年の初めに公開されていたから 今頃、と思われるかもしれないが オーストラリアでは この10月後半から劇場公開されて、世界65カ国でも公開されている。

原作:青木新門「納棺夫日記」
監督:滝田洋一郎
出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努、吉行和子

スタジオジブリ以外の邦画が オーストラリアで一般の劇場で公開されることはめったにない。どうしても、英語圏の人にとって字幕入りの映画が高い評判を得ることは難しい。
年に一度、ジャパンファンデーションが 日本領事館と共催で 日本で評判の高かった邦画を 公開する日本映画祭というのがある。今年末から1週間、シドニー、メルボルン、キャンベラ、タスマニアのホバートで21作品が公開される。
ちょっと興味があるのは、
沖田修一監督、堺雅人主演「南極料理人」
マキノ雅彦監督、西田敏行「旭山動物園物語」
橋口亮輔監督、リリーフランキー主演「ぐるりのこと」
雀洋一監督、松山ケンイチ主演「カムイ外伝」
紀里谷和明監督、江口洋介主演「GOEMON」などだ。

日本映画の良さは 日本という国の自然や風景の良さといっても良い。四季の移り変わりの美しさ、人々の律儀で礼儀正しく、謙虚でひたむきな生き方、日本の土壌が長いことかけて はぐくんできた独特の文化の美しさだ。「おくりびと」を観ながら、この叙情的な日本の美を 外国人がどれだけ理解するだろうか、と考えてながら観ていた。
鮭が川を登っていく秋、冬の風吹きすさぶ土手、花祭りの雛の真紅、桜の満開と花吹雪、、、季節ごとの美しさを上手に切り取った映像はみごとだ。

ストーリーは
ダイゴは 東京で、オーケストラのチェロ奏者。しかしある日突然 財政難を理由にオーケストラが解散されてしまう。失職したダイゴは 妻の同意を得て 故郷の生家に帰ることになった。家は母が亡くなった後も そのままにしてあった。ダイゴが6歳のときに 父親は若い女と家を出たまま消息不明だった。ダイゴは そんな父親の顔を覚えていない。

いったん家に落ち着くと ダイゴはさっそく仕事を探し始める。求人広告で目を引いたのは、「旅のお手伝い」をしてください という広告だ。その会社を旅行代理店と思い込んだまま ダイゴは面接に行って 社長に会い その場で採用される。仕事内容を聞きそびれ 前渡し金を受け取ってしまった後で、仕事は 死者の「旅立ち」のお手伝いであったことを知らされる。
社長は口数少ない 謎めいた人柄、とらえどころがない と思えば 葬儀を前にした家族には慇懃無礼にふるまう。ダイゴに初めて 舞い込んで来た仕事は 死後2週間たって 発見された老人の入棺だった。腐乱した死体処理を社長に怒鳴られながら やりおおせたダイゴは身も心も 傷だらけになって、帰宅する。ダイゴは妻に自分が何の仕事をしているのか どうしても言うことが出来ない。細々と 女手ひとつで風呂屋を経営する女将は 高校時代の同級生の母親だ。彼らは ダイゴのことを東京で大学を出てチェロを弾いていた、と、自分達のことのように 誇りにしていてくれる。そんな人たちにもダイゴは 今の仕事のことを話せないでいる。

落ち込むダイゴを社長は見て見ぬふりをしながら 独特の懐柔の仕方でダイゴに仕事に復帰させる。社長は心を込めて 死者の体を清め 美しい化粧を施して人の尊厳をもって世話をする。それを見ている家族達は 心を慰められ、死者を見送る心のくぎりをつける事が出来る。儀式が終わって 心の平静と 安心を得られる家族の姿を見てダイゴは 序序に その納棺師という仕事が死者とその家族にとって無くては ならない大切な仕事であることに気付いて行く。
しかし、いつまでも隠しておくことはできない。妻はある日、事実を つきとめて 死者に関わるような 汚らわしい仕事をしている夫を許せずに、実家に帰ってしまう。

妻が去っても ダイゴは納棺師の仕事にやりがいを見出していく。季節が変わり 妻が妊娠を知らせに戻ってくる。再び妻は 夫に子供に誇って言えるような職業に就いて欲しいと、懇願する。進退窮まったダイゴに 風呂屋の女将が亡くなったという 知らせが入る。ダイゴは 妻や元同級生の家族が見守る中 死者を清め、生前の姿を彷彿させる化粧を施し、家族とのお別れを演出する。居合わせた人々は一様に、死者を見送る儀式に 心打たれるのだった。
そこに、突然ダイゴの父の死が知らされる。6歳で自分を捨てて消息を絶った父を恨んでいるダイゴは 父の遺体の引き取りを拒否する。そんなダイゴを、社長は 立派な棺を持たせて ダイゴを妻とともに送りだす。

むかし、文字の無かった時代に 人々は好きな人に自分の気持ちを伝えるために、自分の気持ちに一番近い石を相手にあげて 気持ちを伝えたという。父は、ダイゴが昔 父にあげた石を 握り締めて死んでいた。記憶になかった父の顔が にわかに よみがえり、父を慕う気持ちが 再び帰ってきた。 ダイゴは 父を 愛を込めて清めて 納棺したのだった。
というおはなし。

映画のなかに、たくさんの笑いがあり、たくさん物を食べる場面があり、別れと出会いがある。とても良い映画だ。世界で注目され、アカデミー賞受賞しただけの価値がある。何年も前に 捨てた息子のもらった石を握って父が死んでいるところは ウソくさいが、、。

この映画、かけだしの納棺師が 落胆し、絶望し脱力し、模索しながら仕事に誇りをもち一人前のプロフェショナルに目覚めていく成長史であり、また、親に捨てられた子供が 親を許してやることで 自分も親離れすることができた過程を描いた映画でもある。悩み、苦しみ、叫び、むせび泣く主演の本木雅弘が 秀逸。

この映画の発案は この役者、本木雅弘によるものだそうだ。インタビューで 彼はインドを旅行してヒンズー教の聖地で 老婆の死体が公衆の面前で焼かれるのを間近に見た。そこで親族達が和やかに語らい、火の回りでは 子供達が遊んでいる そんなごく自然に日常の中で生と死が共存している姿を見て死も生と同様に価値があるのではないかと考えた と語っている。映画のために実際に納棺の現場にも立会い、納棺師としての訓練を積んだそうだ。私はチェロを弾く姿を見て、好感を持った。弾いたことがない役者が 一夜漬で みようみまねでチェロを弾いてみせるのが いかにみっともないか、他の映画などで見ているから、役をこなす為に どれだけこの役者が本気でチェロを習ったかが、わかったからだ。

また、社長の山崎努が 光っている。彼の人を食ったような とぼけた古たぬきぶり、彼にしかできない味だろう。秘書のいわくありげな 吉行和子も良い。どことなく人生にくたびれた中年女、背中に哀愁が漂っている。このふたりの熟練俳優が 渋く固めていて映画に良い味がついている。妻役の広末涼子 初めて見たが 本当にあれで、役者かよ?何か いつも無意味な笑顔ばかりで馬鹿みたいに見えたのは 私だけだろうか。

いまではもう 葬儀屋の前に納棺師が きちんとした納棺の儀式を行うことは少なくなってきているのだろう。田舎に行っても 人は病院で死ぬ。病院から直接 葬儀屋が遺体を引き取り いっさいを取り仕切る。葬儀屋に引き渡す前に、体に詰め物をして、遺体を清め、清潔な服を着せるのは 看護士の仕事だ。知らない人が多いけれど、看護士もまた、遺体を生前と同じように大切に扱って 心をこめて見送る。

わたしも数え切れないほど「おくりびと」をした。
初めて妊娠したとき、当時勤めていた癌病棟の患者さんたちが、とても喜んで祝福してくれた。これから産休に入るので、しばらく会えないけど 赤ちゃんが生まれたら見せにくるから、と約束して産休に入った。6ヶ月たって、仕事を再開する前に 病棟に赤ちゃんを見せに行ったら、もうみな 亡くなっていて誰ひとりとして 知っている患者が残っていなかった。でも あのとき妊娠を自分のことのように喜んでくれた患者 ひtりひとりの顔は 忘れられなくて、克明に覚えている。もう31年前も話だ。

2009年11月8日日曜日

映画「ドクター パルナサスの鏡」



映画「THE IMAGINATION OF DR PARNASSUS」邦題「ドクター パルナサスの鏡」を観た。

これが本当に本当のヒース レジャーの最後の映画。この映画を撮影中だった昨年1月に、彼はたった28歳で亡くなってしまった。役柄に熱中するあまり頭が冴えてしまって そんなにも眠れない日々が続いていたのか。ヒースは眠る為に 睡眠薬と鎮静剤と鎮痛薬を服用したために、呼吸が抑制されて 深い眠りに落ちたまま彼は死んでしまった。役者として大輪の花が開花する間際だったのに。本当に突然の事故死が惜しまれる。
死後、「バットマン ダークナイト」のジョーカーの役でアカデミー助演男優賞を授与された。遅すぎた受賞。どうして「ブロークバック マウンテン」でアカデミー賞をあげなかったのだろう。

ヒースの死後、主役のいなくなった この映画を完成させるために ヒースの親友だった3人の俳優が彼の代役を演じてヒースの念願だった映画を完成させた。その3人の親友の名を聞いて 驚かない人はいないだろう。ジョニー デップと、ジュード ロウと、コリン フェレルの3人。なんという 潔い男気。なんと気持ちの良い男の友情だろう。ヒースよりも、知名度の高い、ヒースよりも年長で 映画経験の長い 多忙を極めている役者達が ヒースの代役を演じて映画を完成させた。
映画は今年のカンヌ映画祭で好評を得たそうだ。 それだけでも、監督は喜ばなければならないだろう。

イギリス映画。2時間20分。
監督:テリー ギリアム
出演
トニー:ヒース レジャー
    ジョニー デップ
    ジュード ロウ
    コリン フェレル
パルマサス博士:クリストファー パルマー
バレンシア:リリー コール

監督は、もとモンテイ パイソンというコメデイーシリーズで、名をあげた人だ。この監督、一時「ハリーポッター」の監督候補だったそうだが、ワーナーブラザーズが 大金をかけた大作を監督させるには 危険すぎる、彼がやれば大成功か世紀の大失敗に分かれるだろう という理由で下されたという。もともとアナーキーなユーモアをみせる過激派監督なのだ。

この映画の設定は 現在のロンドンで、繰り広げられる空想上のお話だ。不死身のパルナサス博士は1000歳。ロンドンの街を芝居小屋で見世物をしながら旅をしている。美しい15歳の娘バレンシア(リリー コール)と、役者アントンと 小人のパーシーの4人の一行だ。アントンが古代ローマ兵の姿で観客を集めて回る。移動舞台の中央には巨大な鏡がある。魔法のマジックミラーだ。パルナサス博士が 半覚醒状態になると お金を払って この鏡を通ったお客は その人が一番夢見ていた世界に入ることが出来る。パルナサス博士は魔法の力があるので 人の夢を読んで その夢をマジックミラーのなかで体験させてあげることが出来るのだ。
うさんくさいが 商売はまずまず。

ある夜 一行は橋のしたで首をつって殺された男を その縄を引き上げて救命する。生き返った男の名は トニー(ヒース レジャー)。15歳の美少女、パルナサス博士の娘は 1000歳の父、アントンと小人のパーシーとの狭い小屋での窮屈な生活に飽き飽きしていたから すぐにハンサムなトニーに興味を示す。
トニーは 子供のための募金事業家だと言っているが 実は募金をだまし取る詐欺師だった。行き場のないトニーは 命を助けてくれた博士たちを手伝うことになる。弁舌巧みに、仮面を被って 沢山の女客を獲得してはマジックミラーのなかに、送り出していく。  

パルナサス博士は 実は娘が生まれる前に、悪魔と賭けをした。女というものは欲望の塊だ。もし5人の女から欲望を取り去って無欲にさせることができたら 賭けは博士の勝ち。しかし、できなかったら娘が16歳になったときに 悪魔にくれてやる、という賭けだ。もうじき16歳の誕生日を迎える娘を 引き止めておくために、博士は必死で女客をマジックミラーに送り込んでいた。

トニーは有閑マダムを鏡のなかに送り込んで 自分も請われて同行する。すると顔が変わってしまって、ジョニー デップになっている。有閑マダムはマジックミラーの中で トニーと素晴らしい体験をして無欲になって帰ってくる。

次に博士の娘バレンシアを鑑の送り込んだトニーは 今度ジュード ロウの顔になっている。鏡の中で トニーとバレンシアは恋に陥り 美しい湖畔のボートで愛し合う。

その次にトニーは自分を殺そうとした男達に会って追われマジックミラーの中に 入っていく。ここで彼はコリン フェレルになっている。何度も男達から逃れたと思っていたが 結局は捉えられて再び首を吊られて死んでしまう。

悪魔が 16歳になったバレンシアを 迎えに来る。しかし彼女はすでに処女ではないので 悪魔には手がつけられないのだった。
時がたち、娘もアントンもパーシーも去り、一人寂しくパルナサス博士は街をさすらい歩いている。石畳をさっそうと歩いていく娘バレンシアをみかけた博士は必死で後をつけていく。娘が入っていった家でバレンシアが夫と子供の囲まれて幸せそうにしている姿を 窓越しに見て 博士は うっとりし合わせな気持ちに浸るのだった。
というお話。なんだかよくわからないが、解釈はどうぞご自由に というわけだ。人気のファッションモデル リリー コールがバレンシアを演じていて、彼女がものすごく美しい。

ヒースの親友が友情出演して、ヒースが望んだだろう映画の完成が果たせたというだけで、胸があつくなる。映画の出来は クエスチョンマークだが、ヒースの最後の仕事が見られて 良かった。
これで彼の出演した映画はみんな見たことになる。
そして、この先はもう何もない。本当に、本当に これが最後の映画だったんだ。なんか かなしくなる。

2009年11月4日水曜日

映画 「ベートーベンを求めて」




映画「IN SEARCH OF BEETHOVEN」、邦題「ベートーヴェンを求めて」を観た。
英国ドキュメンタリーフィルム。2時間40分。
監督:フィル グラビスキー(PHIL GRABSKY) 

日本ではクラシックといえば、何といってもべートーヴェンが一番人気があるが、これは、ベトーヴェンの生涯を映像で追ったドキュメンタリーフィルム。彼が作曲した作品を 若いときから作られた順に ベートーヴェンの奏者として名高い演奏家に演奏させながら ナレーターが 曲のいわくや そのときのベートーベンの心象風景を浮き彫りにしていく。そして時代背景、家族間の軋轢、深刻な貧困、難聴や体調不全などのなかで 彼が どんな状態で 何を考えて作曲したのかを読み解いていく。フィルムは ベートーヴェンの生まれたボンから ヨーロッパ各地、米国まで歴史家や音楽家のインタビューをする為に旅をしながら ベートーヴェンの真の姿を追う。

映画のなかで演奏される曲は、55曲。
演奏者や指揮者は「ベートーベンならば この人」という定評のある演奏家ばかりだ。それらすべてのCDを買って聴くことはできない。そんな演奏家達が、リハーサル風景を見せてくれて 生き生きとベートーヴェンを語って、そして演奏してくれる。こんな贅沢なフィルムは他にない。音楽家達のエッセンスを詰めた 貴重なフィルムだ。

ベートーヴェンは1770年12月にドイツのボンで ケルンの宮廷歌手であった父ヨハンと母マリアの間に生まれた。長男だったルドウィク バン ベートーヴェンは、アルコール中毒で、収入の少ないの父親代わりに 早いうちから音楽的才能で家計を助けることを期待された。7歳でピアニストとして舞台デビュー。16歳で 心酔していたモーツアルトの弟子入りを許され ウィーンに行くが、母親の死によって呼び戻されて父や幼い兄弟の世話を強いられる。
22歳でハイドンの弟子となり ピアノ奏者として生計を立てながら作曲をした。20歳代後半から 早くも難聴となり 絶望し自殺を思いつめたが、強靭な意志の力で 作曲を続ける。このころの ピアノコンチェルトや弦楽四重奏曲の強固な構造、古典的音楽様式を明確に構築してのちのワーグナー、ブラームス、ドボルザーク、チャイコフスキーに影響を与えることになる。

このドキュメンタリーフィルムで検証された証言によると、彼は実にたくさんの恋をした。若く、美しい貴族の娘に結婚を申し込んでは 身分の違いゆえに恋を成就することができない。それでも晩年まで恋を繰り返すところが、頑固で自由な彼らしい。

カトリックだったが、教会の権威主義を憎み、熱心な信徒ではなかった。ゲーテと親交を結び、ゲーテ、シラーの文学を愛した。リベラルな自由主義で 「神は死んだ」の哲学者カントの思想に深く理解を示していた。

演奏された55曲のうち、有名な曲だけをあげてみる。

ピアノコンチェルト4番
  ピアノ:ロナルド ブラウテイガン(RONALD BRAUTIGAM)
  ノルコピン シンフォニーオーケストラ
  指揮:アンドリューパロット
ピアノコンチェルト2番
  ピアノ:ジョナサン ビス(JONATHAN BISS)
  ザウスブルグ カメラッタ
  指揮:サー ロジャー ノーリントン
ピアノコンチェルト
  ピアノ:ラス ヴォグト(LARS VOGT)
  バーミンガム シテイー オーケストラ
  指揮:サー、サイモン ラットル
チェロ ソナタ
  チェロ:アルバン ゲルハート(ALBAN GERHART)
  ピアノ:セシル リカド(CECILE LICAD)
「春」バイオリン ソナタ5番
  バイオリン:アレクサンダー シコブスキー(SITKOVETSKY)
  ピアノ:ジュリア フェドスイーバ(FEDOSEEVA)
「月光」ピアノソナタ14番
  ピアノ:ラアーズ ボグト(LARS VOGT)
「クロイツエル」バイオリン ソナタ作品47
  バイオリン:ジャニン ジャンセン(JANINE JANSEN )
「英雄」交響曲第3番 エロイカ
  フィルハモニカ デラ スカラ
  指揮;ギアナンドレア ノセダ(GIANANDREA NOSEDA)
「フェデリオ」オペラ
  マーラー チェンバー オ-ケストラ
  指揮:クラウデイオ アバド (CLAUDIO ABBADO)
「エリーザのために」ピアノ曲
  ピアノ:ロナルド ブラデイガン
交響曲第8番
  イル オーケストラ ナショナル デ フランス
  指揮:カート マスール (KURT MASUR)
ピアノ ソナタ28番
  ピアノ:ヘレン グリモー(HELENE GRIMOUD)
「合唱」交響曲第9番
  18センチュリー オーケストラ
  指揮:フラン ブリューゲン(FRANS BRUGGEN)
弦楽四重奏 グロッソ フーガ 作品133番
  エンデリオン弦楽四重奏団

ピアニスト ロナルド ブラデイガンは べートーヴェンが13歳のときに作曲したピアノコンチェルトが、いかに技術的に難しい曲であるかをを ベートーヴェンが使っていた古楽器のピアノを使って 自分が1音落としたり何度も失敗して、弾いて見せてくれる。他の作曲家ならば「ターララー」で澄む所を、ベートーヴェンは「タリレリラルトル タリレリラルトル タタリ タララ ルララ ツララ リラルラレルー」という具合に弾かせるわけだ。音符の多いこと! 弾き手は極度の集中力と技術と、音楽の総合的な理解力をもっていなければこなせない。
彼、ブラデイガンだけでなく 他の多くのピアニストも 「ベートーヴェンは 難曲をたくさん作曲して自ら演奏してみせてくれた。それはその時代ほかの誰にもまねて演奏することができなかったからだ。」と言っていた。「どうだ、まねできないだろう。くやしかったらやってみろー」と胸を張ってみせる おちゃめなベートーヴェンが目に浮かぶようではないか。

エンデリオン弦楽四重奏団はイギリスで活躍しているグループで結成25年という歴史を持つ人々だ。リラックスした雰囲気のなかで ものすごく難解で重い四重奏曲を統制のとれた実にシャープな音で演奏している。すごい実力だ。

ヘレン グリモーは稀に見る美女で日本でも人気のあるピアニストだ。美しい彼女が 目をつぶって 完全にベートーヴェンに浸りきって弾いている姿など神々しいほどだ。

ベートーヴェンの作品のなかで 一番すきなのは「春」バイオリンソナタ5番だ。それと「クロイチェル」バイオリンソナタ。ピアノでは、「舞踏会への誘い」。交響曲では「田園」第5番だ。
2時間40分 とても長いフィルムだけれど 仮に ベートーヴェンが嫌いな人でも 観れば好きになると思う。
でも、肩がこらないように カウチでポテチ 家でヴィデオで見ることを お勧めする。
  

2009年11月1日日曜日

映画 「THIS IS IT」




今年の6月25日に急逝したマイケル ジャクソンの予定していたロンドン ツアーのリハーサルの様子を収めたドキュメンタリーフィルム。10月28日に 世界中で同時公開された。
2週間だけの期限付き上映、と言われているので、見ずに逃して 後で悔いることがないように見てきた。リハーサルといえども、本当のコンサートの迫力 会場にいるような臨場感あふれるフィルムだった。

監督:ケニー オルテガ
出演:マイケル ジャクソン
プロデューサー:ランデイ フリップ
音楽:マイケル ビアーデン
振り付け:トラビス べイン

1)WANNA BE STANTIN”SOMETHIN”
2)JAM
3)THEY DON’T CARE ABOUT US
4)HUMAN NATURE
5)SMOOTH CRIMINAL
6)THE WAY YOU MAKE ME FEEL
7)SHAKE YOUR BODY
8)I JUST CAN’T STOP LOVING YOU
9)THRILLER
10)BEAT IT
11)BLACK OR WHITE
12)EARTH SONG
13)BILLIE JEAN
14)MAN IN THE MILLER
15)THIS IS IT 

100時間に及ぶ舞台での歌とダンスの映像と、舞台裏でのマイケルのプロとしての顔に 改めて「ポップスの帝王」といわれるミュージシャンの実力を認識させられた。50歳のマイケルの細身でしなやかな体、折れそうに細いのにパワフルな歌唱力、そして何よりもダンスの華麗な動きに魅せられた。

ダンサーのオーデイションでは何百人もの若者がステージで 自分なりの踊りをくり広げて見せる。世界中から集まってきたダンサーたちだ。選ばれた人たちが 感極まって泣いて声にならない姿が印象的だった。そのダンスリハーサルにも マイケルは厳しい。テンポの1秒の違いも自分で指摘して思い通りの舞台を仕上げていく。
バックコーラスのシンガーや、バンドとの音あわせにもとても細かい注文をつけている。そのマイケルの驚くほどの穏やかな口調。とくにバンドのビートに納得がいくまで穏やかだが一歩も妥協を許さない完全主義で やりなおしを繰り返していた。リハーサルなのに 全く気を許さずにダンスにも歌にも完璧を求めるマイケルの芸への真摯な姿が まるで苦行僧のように見えてくる。
リハーサルを通して ダンサー、バンド、コーラスのすべてが マイケルと監督のケニーオルテガを中心に家族のような一体感がかもし出されていた。

ものすごくぜいたくに ふんだんにお金を費やしたロンドンツアーだったようだ。舞台が破格にぜいたく。舞台のバックを大きな画面にして巨大な映像を作りながら歌とダンスが繰り広げられる。
「スリラー」では3Dで お化けの役者達が墓地を走り回り マイケルは巨大な蜘蛛の中から出てくる。また、「SMOOTH CRIMINAL」では ハンフリー ボガードとリタ ヘイワーズが出てきて ボガードに追われながらマイケルが逃げ惑う。「EARTH SONG」では美しい自然と容赦ない自然破壊の映像が映し出される。

バックコーラスの女性歌手とのアドリブもすごかった。リズムに乗るといくらでも無伴奏でアドリブで音と音をつなげられるのは、音程にもリズムのもものすごく正確で絶対音、絶対リズムが身に着いているからだ。バンドもコーラスもダンスも実力のある人ばかりが選りすぐって選ばれてきているのがわかる。

ギタリストのブロンドの女性は、24歳のアデレード出身のオージーだ。厳しいオーデイションを経てきた人、オリアンテイ パナガリス(ORIANTI PANAGARIS)。マイケルに演奏中 舞台中央に引き出されて ソロで長いことアドリブを弾く。マイケルが広い舞台を 歌い踊りながら走り回るのに 必死で付いていって、いっしょに走っていたが、ハイヒールのブーツに ギターをがんがん演奏しながらだから、とても大変そうだった。けど、パワフルなギターだった。ソロでCDを出しているそうだ。

最後の「MAN IN THE MIRROR」がとても良かった。本当に マイケルは1曲1曲に全力を投入して 少しも気を抜かない。リハーサルなのに 力尽きるまで歌って踊る。これがすべてのキャスト、スタッフとの一体感ができるゆえんだったろう。

2時間のパフォーマンスのあと 「THIS IS IT」の音楽と共に最後にこのドキュメンタリーフィルムのタイトルが流れる間、映画館で映画を見ていた人々、みな、曲にあわせて指をならしたり 手で拍子をとっていた。誰一人 席を立つ人がいなかった。
これだからオージーってすぐ調子にのるんだよねーと思いながら フイルムが終わっても 音だけがなっている中で リズムに合わせて 指を鳴らし、手拍子をとっている そんな 一体感と余韻を わたしも楽しんだ。みんなマイケルに 心の中で さよなら言ってたんだよね。