2006年11月30日木曜日
映画「デイーセント」
映画「DESCENT」を観た。 ホイッツ各映画館で、上映中の、イギリス映画。 DESCENT は降りるとか下降するという意味。逆はASCENT。 「エイリアン」以来の 恐怖映画の再来と言われている。分類では、スリラーホラー映画ということになっている。
6人の仲良し女性グループがアメリカのなんとかいう山脈にある洞窟に探検に入る。
ちょうど1年前にこの冒険仲間は カヌーで河くだりを楽しんでいた。その帰途に、そのうちの一人、サラは、交通事故に会い、夫と娘を同時に亡くした。彼女は 一年たっても そのショックから なかなか立ち直れない。こんなサラを元気つけるためにも、仲間同士6人で、冒険旅行を誘い合ったわけだ。 女の子達はみな、ロッククライミングの技術を見につけていて、洞窟の中にどんどん降りていくテンポも早くて、小気味良い。チームワークも良く、そろって洞窟の奥深く 入っていく。
そのうちに、洞窟のずっと奥深くから、サラは亡くした子供が 自分を呼ぶ声を聞く。声に従って 奥へ奥へと入って行ったサラは、地図にない道を見つけて、皆を呼ぶ。それを、図に乗っておもしろがって行ってみようとする 一人のお調子者が先へ先へといってしまい、穴に落ちて膝のところで、上腿骨が飛び出す様なひどい複雑骨折をするのだけど、5人でそれを元に戻してしまうような荒治療で 添え木で歩けるようにしてしまうところがすごい。
でもそのころには、来た道が崩れて、元にもどれなくなっていることに、皆 気がついてパニック状態になる。と同時に どこからともなく現れたエイリアンに一人一人と襲われていく。エイリアンがどんな姿をしているのか 暗い洞窟のなかで よく見えないのに、ギャーという音がすると、一人また一人と 仲間が血だらけになって、食べられていく。音響効果と、洞窟の中にとじこめらて逃げ場がない映像効果で、ものすごい恐怖感!!
次々に仲間が襲われて、生き残ったのは、瀕死のサラの親友を含めて3人だけになってしまった。そんななかで、サラは 死ぬ寸前の親友から、残った仲間を信頼してはいけない、彼女はサラの夫と愛し合っていた、と知らされる。仲良しだった仲間が、次々と、ひどい殺され方をしていって、たった2人、生き残ったのに、一人がサラを裏切って夫の愛人だったと、こんな生死のギリギリのところで、知ることになるなんて、、、DESCENT していった6人がASCENT を夢みながら、夢尽きて、死んでゆく残酷さ。この映画はホラーといわれながら、優れて、人間ドラマになっている。そこが、ばかみたいな思想のないハリウッド映画と違うイギリス映画のゆえんだろう。
むかし、冒険家といわれる、オウダンさんという若者がよく家にきて、家族と食事しながらいろいろな話をしてくれた。日大の探検部を主催していた。彼は常にサバイバルテクニックを磨いていて、自衛隊の潜水班で、活躍したあと、海外建設プロジェクトに関わって東南アジア国々に飛んでいった。彼は、山に篭り、洞窟に一人、潜入して、光のはいらない奥深くの滝の底を潜っていくような、ゾクゾクするような 冒険話をよく聞かせてくれた。洞窟奥深くでは、視力が役立たないので、生物はみな 目が退化して、目のない魚や 目のない蛇や、えたいのしれない生き物が沢山いるんだよ。といっていた。
それで、この映画の予告編を観たとき、わー!! これは、みなくちゃあと思っていた。私は泳ぎも、潜るのも、岩のぼりもできないけれど、その臨場感だけでも、映画を通して、味わってみたかったからだ。
それで、映画を観て感じたことは、、、怖いのは、化け物ではなくて、人間自身だということだ。スリラーとかホラーとか、エイリアンとか、お化けとかいうけれど、人間はそれ以上に充分怖い存在だ。人は平気で信頼している人を裏切り、それを隠し続けて、平然としていることもできる 化け物以上の怖くて悲しい存在だ。
それと、サラを地中の奥へ奥へと呼び込んでいった死んだはずの子供の声、あれはなんだったんだろう。子供を亡くした母親の潜在的な自殺願望ではなかったのか?なぜなら、自分の子供を亡くす事以上の 耐え難い悲しみは 他にはないだろうから。
いろいろな意味で、この映画は、怖いけど、ホラーではなく、正しくヒューマン映画だった。
2006年11月9日木曜日
映画「父親達の掲げた星条旗」
昨年、「ミリオンダラーベイビー」でアカデミー映画監督賞を受賞した、クリント イーストウッド監督の映画、「FLAGS OF OUR FATHERS」を観た。各地 ホイッツで上映中。
この映画は、1945年日米太平洋戦争の、硫黄島が舞台。
血を血で洗うような激戦の後に、若い兵士達が、硫黄島中央の茶臼岳の頂上にアメリカ国旗を立てたのは、ヒロイズムとちょっとした 茶目っ気の兵士達がやったことだった。それを見た軍の上層部が これはアメリカの良いプロパガンダに使えると考えて、カメラマンを連れて、別の兵士達に、最初に立てた旗より大きな旗を立てさせて、写真を撮る。
このときに撮影された、、6人の兵が山の頂上に国旗を掲げる写真は後にピュリツアー賞を受賞し、アメリカ中の 愛国心を燃え立たせ、破産しかけた軍に資金を提供することになった。 その後も厳しい戦闘が続き、このときの仲間は次々と死んでいく。 国の軍資金が欠乏する局面になって、生き残りの3人は、属していた隊からはずされ、故国に戦争のヒーローとして、帰還して、全国を講演してまわり、軍資金を集めることに利用される。 しかし、この3人は、仲間の屍を踏み越えて山頂に到達し、最初に旗を立てた仲間は その後の戦闘で死んでしまっていることや、自分達が写真撮影用の役者でしかなかった にも関わらず、全国どこに行っても、ヒーローとして熱烈に受け入れられるといった、ギャップに苦しむことになる。
とくに3人のうち、ひとりは、先住民族インデアン出身で、人々からヒーローとして、歓迎されながらも、先住民族の誇りと、アメリカ軍人としての相反する誇り、国を代表して英雄になった喜びと、本当は旗を立てて、死んでいった人々が英雄で、自分ではないという罪悪感から、逃れることができずに、酒びたりになってしまう。
戦争が終わって、彼は農場で、雇われて働らき始めるが、ある日 突然 銃の暴発で死ぬ。事故だったのか自殺だったのか、誰にもわからない。
もう一人のヒーローは、英雄視されていた間は、調子に乗って有頂天になっていたが、人々の熱が冷めて、忘れられてしまうと、ただの、時代の波に乗り遅れた 無学無能の男にすぎなかったことを知らされる。昔、出会った人をつてに、職を探すが、なんの特技も才能もないまま、掃除夫として生きていく。
3人のうち、最後のヒーローは、誰にも戦争のことは、いっさい 語らず、家庭をもち、平凡な人生を終えようとする。しかし、心臓発作をおこし、死ぬ直前に息子に この戦争で、自分が体験したことを、語って聞かせる。 彼は言う、「戦争に英雄なんて、いやしないんだ。それを必要とする人が勝手に作り出しているだけなんだよ。」と。
戦争に良い戦争の悪い戦争もない。正義の戦争も誤った戦争もない。ただ、大量兵器の消耗と人命損失があるだけだ。
ビュンビュン弾丸が飛び交い、大砲が鳴り、激しい戦闘で、手足や首が ちぎれて、飛んできたり、腸がはみ出したり、残酷なシーンが続くが、どこかで、こんなシーンみたような、、、そう、「SAVING PRIVATE RYAN」にとてもよく似ている。 あの ノルマンジー上陸シーンを見たとき、戦争のリアリズムを極限まで、追求している と思った。以来、この映画を超える戦争映画はなかった。クリント イーストウッドも同じこと考えたんだ。
イーストウッドは良い俳優だったが監督としても良い。私が子供の時は、毎週日曜日テレビの「ローハイドー」で、カウボーイ姿のイーストウッドを見て育った。青春時代は、ダーテイーハリーのキャラハン警部。彼の映画史は私の歴史でもある。
この映画はアメリカ側から見た硫黄島の激戦史の一コマだが、今度は、日本側からみた物語を「硫黄島からの手紙」という題で、映画を制作発表するそうだ。現在、編集中。 二つの映画を総合して歴史を検証しようという試み。と、言うから、こちらも観なければならない。宿題がまだ残っている。
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