2024年5月22日水曜日

文芸春秋創刊100年記念

今年は「文芸春秋」が創刊されて100年目になるそうだ。家には毎月、菊池寛が創刊したこの雑誌が届けられていたから、小さな子供の時から見ていて馴染み深い。

鹿島茂がこの雑誌「菊池寛アンドカンパニー」創刊100周年記念企画を書いている。いわく、「文芸春秋にとって、ポイントノーリターンとなったのは昭和13年、1938年2月1日に、大内兵衛、有澤廣己、脇坂義太郎をはじめとする教授、評論家13名が逮捕された教授グループ事件であったと、つくずく思う。」と言い、それは戦後、文芸春秋の社長となる池島新平が「これからくる怖ろしい時代の予感に暗澹たる思いがした。」と言う言葉でも表される。
しかし続いて彼は、「私の同僚などでも、これで新しい時代が来たよ。と公言する人を見て愕然とした。いままで自分と同じような考えをもち、同じようなコースにあるものと思っていた人が、ある瞬間からガラリと変わる。昨日まで仲間と思っていた者が突如として敵に回るわけであった。」「自由主義は敵だよ。古いぞ。」という一言で片付けられてし、新しい❓時代が強引に是認されてしまう。」

その後同じ年に、菊池寛は日清戦争当時、福沢諭吉が戦時下の国民の心得として挙げた3か条を引き合いに出して、改めて国論の統一を訴えている。
1)官民ともに政治上の恩讐を忘れる事。
2)日本臣民は事の終局に至るまで謹んで政府の政略を非難すべからざること。
3)人民相互に報国の義を奨励して、その挙を称賛し、銘々に堪忍すべきこと。
菊池寛はさらに文士を特派員として戦場に送り出すことで戦争協力し、戦意高揚させるため岸田国士、小林秀雄、中野実、林芙美子、久米正雄、川口正太郎、佐藤春夫、吉川英治らを中国各地に送り出しルポルタージュを書かせ、その費用を全部個人負担した。

時代と共にその時代の熱に浮かされて熱狂し、アジテーターとしてさらに神が乗り移ったように高揚していく菊池寛のすがたは今思えば哀しい。文士もジャーナリストも時代の先駆者であるべきだが、時代を分析する科学の目を持たないでいると、時代に翻弄される。

ロゴスは単純なほど、人のパトスに響き、人々はなびく。熱狂は国によって作られ、ジャーナリズムによって扇動される。
日本は今、もうすでに「ポイントノーリターン」の状態になっているのではないか。変化はゆっくりは来ない。1938年2月1日に大叔父、大内兵衛が拘禁されたとき、人は寝耳に水だったと言う。しかしそうした変化はいつでも人々の目には「突然」のようにしてやってくる。状況の変化に敏感でなければいけない。
自衛隊が今何をしているのか。着々と日米豪国で軍事基地を整えている。
18歳から60歳までの男は出国禁止、徴兵強制、をやった国がすでにいる。ことが起きてからでは遅いのだ。