鹿島茂がこの雑誌「菊池寛アンドカンパニー」創刊100周年記念企画を書いている。いわく、「文芸春秋にとって、ポイントノーリターンとなったのは昭和13年、1938年2月1日に、大内兵衛、有澤廣己、脇坂義太郎をはじめとする教授、評論家13名が逮捕された教授グループ事件であったと、つくずく思う。」と言い、それは戦後、文芸春秋の社長となる池島新平が「これからくる怖ろしい時代の予感に暗澹たる思いがした。」と言う言葉でも表される。
しかし続いて彼は、「私の同僚などでも、これで新しい時代が来たよ。と公言する人を見て愕然とした。いままで自分と同じような考えをもち、同じようなコースにあるものと思っていた人が、ある瞬間からガラリと変わる。昨日まで仲間と思っていた者が突如として敵に回るわけであった。」「自由主義は敵だよ。古いぞ。」という一言で片付けられてし、新しい時代が強引に是認されてしまう。」
1)官民ともに政治上の恩讐を忘れる事。
2)日本臣民は事の終局に至るまで謹んで政府の政略を非難すべからざること。
3)人民相互に報国の義を奨励して、その挙を称賛し、銘々に堪忍すべきこと。
菊池寛はさらに文士を特派員として戦場に送り出すことで戦争協力し、戦意高揚させるため岸田国士、小林秀雄、中野実、林芙美子、久米正雄、川口正太郎、佐藤春夫、吉川英治らを中国各地に送り出しルポルタージュを書かせ、その費用を全部個人負担した。
時代と共にその時代の熱に浮かされて熱狂し、アジテーターとしてさらに神が乗り移ったように高揚していく菊池寛のすがたは今思えば哀しい。文士もジャーナリストも時代の先駆者であるべきだが、時代を分析する科学の目を持たないでいると、時代に翻弄される。