私は豪国ではその人口の3%に満たないアジア人、マイノリテイ―であり、女性で、数か月後に74歳になる。関節変形症で手指は曲がり、眼鏡をかけてもさらに虫眼鏡がないと読めない字もある。しかし現職のナースとして働いていて、毎年僅かながら昇給があり、年に6週間の有給休暇があり、2か月の長期雇用者の有給休暇も取っている。雇用主としては大学を出たばかりの若くて肉体剣豪、意気軒高の男子の方がずっと安く雇用できるから、私と交代させたいかもしれないけど、誰もそろそろ引退したら、とか、辞めろとか言わないし、そんなことを考えもしない。包括的差別禁止法があるからだ。
就職の面接で豪国には馴染みのない名前だから、とか結婚適齢期の女性だからとか、年寄りだからという理由で雇用を拒否することは違法行為だ。もし自分が人種や年齢などへの差別が原因で雇用が見送られたのではないかと思ったら、第3機関であるフェアワーク委員会に相談して間に入ってもらったり、法に訴えることができる。
私は豪国でナースの資格を取り、公立病院で働き始めた時、ナース1年目の給料だったが、日本で3年の経験があったので、ナースアソシエーションに相談したら、電話1本で、すぐに病院側は4年目ナースを給与に替えてくれた。そのことで誰も不快に思わないし迷惑もかけていない。システムとして決められているからだ。自分が不当に扱われている、差別されていると感じた時に相談できる機関があり、システムが機能していることは心強い。
人には俗性がある。無宗教の私にはムスリムの友達もヒンズーの友達も多いが、ある日迷い込んだ道で、6-7人の若い男たちから、歩いている私の上から下までなめまわすように文字通り目で犯されるような衝撃的な経験をしたことがある。内心火のように怒ったが、彼らの伝統的文化では女は男と一緒でないと外出しないし、1人で出歩く女は売春婦だけという認識がある。花嫁を家具のように2人も3人も買う昔の伝統もあっただろう。彼らの俗性を非難しても始まらない。豪国は4人に1人は移民の国、移民が徐々に豪国の習慣や社会的なルールを身に着けるまで待つしかない。世界は一つ、みんな同じ地球人、というが人はみんな異なる。好き嫌いもある。嫌いな感情という自分自身の俗性も否定できない。
だからこそ「法」なのだ。社会規範を法に求め、それを逸脱しないで生きられるシステムが必要なのだ。差別を禁止するということは人として人権を守り、人の尊厳を取り戻すことだが、それは法としてシステムを機能させないと実現できない。包括的な差別禁止法の実現を日本に!!
作詞作曲 スーマ―の「道路」を歌ってみた。意訳は以下の通り。
I am singing [ MICHI ] written by Japanese singer song writer SUEMMAR :Sudo Masaaki.
[ROAD]
Driving a car at midnight. Feel uneasy looking at the right scene. Shining town with lights. Where you are? As if nothing happened. Didn't we have any stories? Are we?
Driving a car before dawn. Feel uneasy looking at right scene. Dark forest continues. Your car had gone. As if nothing happened. Our stories reached to the end? In my left side it's dark forest.