2021年6月12日土曜日

インターナショナルの歌

「インターナショナルの歌」
6月には、涙の雨が降る。この歌は唯一、歌詞を見ないでも、お終いまで歌える歌だ。私と同世代の人たちにとっては、みな同じようなものかもしれない。
1989年6月4日、37年前の北京天安門広場では、中国の民主改革を求める10万人の知識人、学生、市民が集まっていた。政府は戒厳令を発動し、戦車や重装備で武装した兵士が人々を襲って、1万人の死者が出た。この時、オーストラリアのボブホーク首相は、文字通り大粒の涙をぼたぼた落としながら、戦車が学生たちを踏み殺している、許せない、と中国政府に抗議する声明を発表し、当時滞在の中国人留学生4万2千人余りにオーストラリア滞在ビザを出し、香港から秘密裏に弾圧を逃れてきた活動家たち多数を市民として迎い入れた。しかし未だに中国政府の香港やウイグルに対する弾圧は変わっていない。
1960年6月15日、当時東大生だった樺美智子さんが日米安保条約反対デモで、全学連が衆議院南通用門から国会に突入した際、機動隊の規制にあって殺された。安保条約は今に至っても存続している。
1945年6月23日沖縄慰霊の日。沖縄では日本軍司令部が崩壊、日米戦により20万人の死者、沖縄の市民4人に一人が亡くなった。沖縄では慰霊のために学校も役所も休日となる。沖縄に家族で住んでいた時、この日は慰霊祭に参加したり、市役所主催のバスに乗って現地の方々の話に耳を傾けた。
インターの歌の作詞は、ウジーヌ ポテイエ(1816-1887)彼はフランス革命後、1871年パリコミューンの活動家だった。独仏戦争で敗れパリを占領するプロイセンに立ち向かったコミューンが崩壊した後、死刑宣告を受け英国に亡命し、この詩を書いた。のちに曲をつけたのが1888年ピエール ドシェテルだった。
1917年10月、ソビエトが革命を成功させたとき、ボルシェビキのウラジミル レーニンがこの歌をロシアの国歌として採用した。
日本では1922年「種を蒔く人」の佐々木孝丸が訳詞して歌われるようになった。