2018年7月2日月曜日

映画「ロングロングバケーション」

原題:THE LEISURE SEEKER
   (LONG LONG VACATION)
監督:パオロ ヴィルッ
                     
キャスト
ドナルド サザーランド:ジョン スペンサー
ヘレン ミレン    :エラ スペンサー

年寄りの、年寄りによる、年寄りのための映画を観てしまった。
主演は1960年代は美男だったドナルド サザーランドと、1990年代までは美人だったヘレン ミレン。
シドニーでは中流階級の年寄りが多く住む、高級住宅地,クレモンの映画館で観たが、見に来ていた人々が、後から見ると、みごと全員が白髪だった。私は3週間に一度美容院でヘナで髪を染めているから白髪でなくて茶髪だったけど、、。話は飛ぶが、この20年余りの間、きっかり3週間ごとに私の髪を切り、ヘナで染めてくれていた私と同い年のヘアスタイリストが、何を血迷ったか、早すぎる引退をして日本に帰国してしまった。3週間に一度の彼女とにおしゃべりは、20年余り続いたが良い気晴らしだった。彼女は、アレルギー体質の私のために、インドから様々なヘナ染色粉を50キロずつ輸入して、それを上手に混ぜ合わせ、私に会う色を作って染めてくれていた。彼女はシドニーを去る時、3-4回分の染粉を、別の遠くにある日本人ヘアスタイリストに託して去っていった。その分の染粉を使い果たした、新しい若いスタイリストには、その後の染粉をインドから輸入する手立てを持たない。日本製のヘナも、シドニーのほかの美容室のヘナも、私に使われていたヘナとは全然違う色しか出ないそうで、彼女は困り果てている。私はただ座っているだけで、やってもらうだけなので、全く困っていないし、仮に髪が緑色になっても、紫やオレンジ色になっても青になっても全くかまわないのだけれども。
話を映画に戻す。

ストーリーは
2017年 米国、マサチューセッツ
ジョン スペンサー(ドナルド サザーランド)は、かつては高校で文学を教えていた。妻のエラ(ヘレン ミレン)との間には、二人の子供が居る。すでに子供達は成長して家を出て家庭を持っている。ジョンは、70代になりアルツハイマー病と罹患して、記憶力は衰えるばかりで、妻を認識できないこともある。ジョンを介護してきたエラは、癌の末期を迎えており、強力な鎮痛剤なしでは生活できない状態に陥っている。

彼らのガレージには,もう何十年も使っていなかったキャンピングカーがある。それはレジャーシーカー(お楽しみ号)という愛称をもっていて、子供達が小さかった時には、休暇に家族でキャンプに出かけるために活躍した車だった。
エラは誕生日に、このレジャーシーカーをジョンに運転させて、二人して家を出る。向かう先は、フロリダ、アーネスト ヘミングウェイのキーハウスだ。ジョンにとって、ヘミングウェイはヒーローだ。ヘミングウェイのことを話し出したら、聴き手が居ようが居まいが、相手が閉口しようがしまいが、一向にかまわずに講義を始めてしまう。二人とも、年を取り、深刻な病気をもっているが、病人扱いする家族や友人たちにはうんざりだ。二人して、フロリダまで行ってみたい。何日かかろうが構わない。旅を楽しもう。

父親の誕生日にケーキをもって訪ねて来た息子は、両親が何も告げずに無謀な冒険旅行に発ってしまったことで心配で、気も狂わんばかりだ。姉も飛んできて、携帯電話を持つ習慣のない両親を責めて見たり、何もできない自分達に腹を立てたりして大騒ぎだ。
一方のジョンとエラは、夏休みに入ったばかりの子供のように、嬉しそうにフロリダに向かう。ジョンは危なっかしい運転で、途中センターラインを無視して運転して警官に止められたり、どこにいるのかわからなくなって、困惑したりもするが、何とか運転してキャラバンを続ける。
記憶力がなく、思い違いも多いジョンは、ガソリンスタンドでエラを置いて車を発車させていってしまったり、車の外に出て行方不明になったりを繰り返すが、何とかフロリダに到着する。しかしへキングウェイの家で、エラは過労で倒れる。救急車で運ばれた先の病院で、ドクターたちはエラが癌の末期でもう時間がないことを告げるが、ジョンには何も理解できない。ジョンは病室でエラを見つけると、嬉しそうに彼女を起こしてキャンピングカーに連れて帰る。その夜、エラはジョンにたっぷり睡眠剤を飲ませ、エラも同じものを飲み,閉め切った車に排気ガス管をひいてエンジンをオンする。
というお話。

美しく年をとった昔の美男次女が、仲の良い夫婦を演じていて、彼らが若かったころを知っている人にとっては嬉しい映画だ。
82歳のカナダ人、ドナルド サザーランドは、本当に背が高くて美男で良い役者だった。60年代ベトナム戦争に反対する活動家でもあって、ジェーン フォンダと共に逮捕覚悟で戦闘的なデモに参加するなどして、発言も勇敢だった。すっかり年をとって、アルツハイマー病の老人を上手に演じている。
72歳のヘレン ミレンの全く化粧をせずに、ウィグも被らずにいるときの、皺だらけの素顔がとても美しい。文字通りの体当たりの演技だ。そしてこの人の発音する英語が本当のクイーンイングリッシュで美しい。

映画は、泣き笑いの場面の多いロードムービイだが、本質的には悲しい悲しい物語だ。映画でこの仲の良い夫婦は安楽死を選んで、満足して死んでいく。やっぱり安楽死でしか老人は幸せに死ねないのか、という結論にはうなだれるしかない。死んでそれを惜しんでくれる人々が居るあいだは幸いだ。アルツハイマー病の終末期や、鎮痛剤も効かない癌の終末期の死は、誰にとっても苦痛なだけだ。現実社会では死にそびれた老人たち、年を取って体が動けなくなったら死にたいと思っていたけれどタイミングを外して自分から安楽死しそびれた老人たちで溢れている。映画では、安楽死を推薦しているようにも取れるが、現実社会でもいずれ、条件つきで老人の安楽死を認めざるを得なくなるだろう。健康保険が老人を支えきれなくなるからだ。

私はこの映画に出てくるジョンのような脳が委縮したアルツハイマー病患者に食事、排泄、睡眠をとらせて肺炎など二次感染を予防し事故が起こらないように管理し、エラのような末期がん患者にモルヒネを投与して終末医療を提供することを職業としている。毎日毎日、ジョンとエラを、自分の職場でみている。
脳が委縮した患者は、家族のことも、自分の名前もわからなくなる、この疾病患者を介護する家族の苦労は並大抵のものではない。多くの女性患者はドアを開ければ徘徊して行方不明になったり、猜疑心や嫉妬心から自分の持ち物を人に取られたと思って家族でも盗人扱いしたり、中傷したりする。男性患者の多くは思い通りにいかないことで腹を立て暴力的になる。まともに思考することができないから、感情のまま行動して人を傷つける。大小便を垂れ流しながら、頑固に自分の主張を言い張ったり、無理な命令を人にしたりする。次に何をし出すか予想できない。多くの患者は、アルツハイマー病だけでなく、老人性認識障害も、てんかんも、躁うつ病も精神分裂症も、パーキンソン氏病も同時に発病していることが多い。年を取ればほとんどの人が、このうちの病気のひとつに罹患して死んでいくことになる。

年寄りは思い違いをしたり、奇妙な行動をして人々を笑わせるが、これは老人が笑わせようとしている訳では決してない。この映画の紹介で、「ロード トリップ コメデイ―」と紹介している新聞があって、衝撃を受けた。ジョンとエラの会話は、滑稽で、時として大笑いするが、これは現実であって笑い話ではないのだ。

じきに日本では人口の3分の1が65歳以上になる。2018年現在、80歳以上の人口が1000万人、100歳以上の人口が7万人いて、日本は完全なる老人国家になった。そのような国は世界でまだ他にない。先進国で65歳以上の人口割合は、ドイツで21%、英国18.1%、米国14.6%、韓国13%、中国9.7%。日本にくらべて、まだまだ余裕がある。
この映画は老人人口がまだ14%のアメリカの話だ。3人に1人が老人の日本の映画ではない。日本だったら、もっとずっと深刻な話なのだ。アルツハイマー病は、癌の死亡率を抑えることに成功した現在の医療にとって、完治することも、予防することも出来ないでいる最大最悪の疾患だ。

国と政府はそういった疾病対策のために税金を使わなければならない。3人に1人が老人の国、何の資源もない国、人口が速いスピードで減少するばかりの国。それが日本だ。2018年の日本総人口は1.26憶人。2008年に比べてすでに160万人の人口が減少している。若い夫婦は子育ての環境が整っていない政府のもとで子供を産まない。このような、老人ばかりの国に軍事力が必要だろうか。
国の力とは人の力のことだ。国力とは国民の生産力を言う。国に生産力を持った人が居ない国など、近隣諸国に侵略されるほどの魅力もない。侵略を怖れて軍事強化するなど、あきれる。一体誰が銃を取るのか。誰に向けて銃を取るのか。戦争などやっている場合ではないはずだ。
年寄りの年寄りによる、年寄りのための映画を、私は政府が今何をすべきなのかを問いただすための、政府への警告として捉えて観たい。


2018年7月1日日曜日

野良猫世話係

今年で8歳になる野良猫たちを生まれた時から世話してきた。
自分が飼っている黒猫クロエに手がかかるのに、野良猫の世話までしてきて笑われるが、放っておけない。相手はほんの少しの油断で捕まったり、保健所に送られたりして命を落とす野良猫なのだ。

事の始まりは、前に住んでいた高層アパアートの建物の下に小さなスペースがあって、そこで真っ黒な 野良猫が子供を産んだのが発端だった。父親は茶トラの野良で、傷だらけのでかい体、人を見下すような不敵な面構えだったが、じきに姿を消した。子供達は、母親似の黒猫2匹、茶トラが1匹だった。母親猫は空を飛んでいたハトを捕えて殺したり、ゴミ箱をあさって子供たちを育てていたらしい。そこに、不思議なことに1匹の黑と白の丸々した子猫が加わった。他の3匹の子猫と同じサイズだったが、母猫に体型も色も似ていないので、きっと誰かが飼おうとして育てられない事情ができた人が、野良猫家族のいるところに捨てて行ったのだと思う。心の広いビッグハートのママ猫は、自分の子供達と一緒に、この子を育てた。5匹の猫の登場に、アパート管理組合の面々は大騒ぎ、すぐに猫退治、害畜駆除を開始した。まず黒い子猫が居なくなった。次に母猫がワナにはまって連れて行かれた。

一方動物愛護協会員と私は話し合い、残った3匹の子猫たちを罠で捉えて、獣医に連れて行きワクチンを打ち、避妊手術を受けさせて養子にする計画を立てた。まず、私が黒と白の迷い子だった子を獣医に連れて行ったあと、家に連れて来て養女にした。名前はBABA。 うちにはクロエが居るので互いに慣れるまで別々の部屋に引き留めた。BABAは生後5か月くらいだったと思う。あたたかい部屋、美味しい食事、優しい保護者に引き取られても、BABAは野良猫だった。1日、2日と経つが、食べ物も飲み物も受け付けない。排便もしない。どんなに猫なで声で呼んでも手の届かないベッドの下で身を固くしている。どんなに可愛がろうとしても拒否する。3日目に空気を入れ替えようとベランダに通じるドアを開けとたん、ベランダから3階分の高さを空に向かって飛んで、地面に落ちた。地面にたたきつけられて死んでしまったかと思ったら、2,3日してBABAが生まれた軒下のスペースに他の2匹の子猫たちと一緒に出入りする姿を見て心底安心した。

野良猫は飼えない。人の手でなでられることも、膝に乗ってくることも拒否する。孤高な存在だ。BABAは黒猫と茶トラと一緒に3匹、誇り高い野良として、飼い猫になることを拒否し、母猫を亡くした孤児として一生自由でいることを選択したのだ。BABAが身をもって教えてくれたことの意味は大きい。

毎日牛肉をミンチにして3匹に食べさせた。アパート管理組合から、野良猫に餌をやらないようにという脅かしとも見える手紙を受け取ってからは、ビビりながらも隠れて3匹に食べさせた。そのうちに茶トラが居なくなった。一番人懐こい猫だったから、誰かに捕えられたのか、車の事故か。こうして残ったBABAと黒猫サンダーの2匹が6歳になるまで、毎日食べ物を食べさせて育てた。
その後、2年前に引っ越した。長年暮らしたアパートも、娘たちが大学を卒業して自立して出て行き、2つあるバスルームや予備の部屋もあるアパートは費用がかさむ。年金暮らしになったら高い借家を維持することはできない。仕方なく小さなユニットを買って、引っ越した。それでも野良猫世話係りを止められない。

軒下の野良猫たちに会いに行くのに往復1時間。缶詰めを持っていくと、私の車のエンジン音を正確に聞き分けて、BABAとサンダーは隠れていたところから出てくる。猫は我がままで自分勝手だ、という人の気が知れない。猫は犬と表現方法が違うだけで、真の人の友達なのだ。
きょうもボロ車の音で昔住んでいたアパートに着いてみると、BABAはあくびをしながら、身体をのばしながら、サンダーはあっちの方をそしらぬ顔で見ながら、めんどくさそうに出て来て、わざとお尻を向けている。大歓迎というわけだ。
何てかわゆい奴らなんだ!