2018年3月22日木曜日

半世紀ぶりの再会:その2

    
   
三潴さんはかつて、中央線の新宿から立川までの間のすべての中高校の間では名を知らぬ者のいない強い喧嘩番長だった。
大学に入ってからはアジテーターで、他大学の行動隊長は、安保が悪い、米軍が悪い、を繰り返すだけだったが、彼のアジにはレーニンも、クレプスカヤも、サルトルもバクーニンも出て来て、内容が深かった。トルストイに傾倒していた私には彼のアジテーションは一遍の詩を聴くようでもあった。
学生大会で、全学ストライキを決行するかどうかの討議が夜まで長引いた。大学側はこのままではストライキが決行され前代未聞の不測の事態になるとして、会場を閉めて学生を解散させようともくろみ、体育会系学生を動員した。ホッケーのステイックや野球のバットを持った体育系学生が来て、時間切れで決議案が流れた。そのとき三潴さんは階段の踊り場に駆け上がり、「この大学には自由がないのか。」という後々まで伝説として語り継がれる演説をして、学生会館に残った学生たちを大泣きさせてくれた。

1967年8月米軍輸送車事故が起こった。新宿駅構内で、米軍燃料輸送列車に貨物列車が衝突、脱線、転覆してダンク車から漏れた燃料が引火して爆発した。現場周辺300メートルは火の海と化し炎は30メートルの高さまで上り、国電1100本、200万人の影響が出た。燃料はベトナム戦争でベトナム人を殺傷する航空機に使われていて、日本がベトナム戦争の兵站になっている事実を市民に知らしめた。翌年1968年、騒乱罪が発動されたが、新宿駅で米軍輸送車を止めようと、学生、労働者、市民が集まりデモをしたのは、自然の流れだった。
その翌月にデモで逮捕された。米軍が毎日北爆で同じアジア人のベトナムの婦女子を殺している最中、アメリカ大使館に石を投げたくらいのことで、18歳の女の子をしょっぴくとは、と今でも腹立たしい。菊谷橋警察署に留置されている間、警棒で殴られ足を骨折していたので歩けなかったが、雑居房にいた美少年が、いつも横についてくれて、毎朝の点呼で立てない時に肩を貸して支えてくれた。「どうして留置されているの」、と聞くと、「俺の女房に手出した奴をぶん殴ったから。」と言っていた。後で考えたら美少年って、変だよね。女子房なのに。あの美しい少年はレズビアンだったんだ。雑居房の他のおばさんたちは、売春で留置されていたらしい。というのは私もピーと、警官から面と向かって呼ばれていた。黙秘して名前がないから番号で呼ばれているのかと思っていたけど、ずっとあとで気が付いたのは、ピーとはプロステイチュート(売春婦)のことで、マルクス主義の女子学生は「人のものは自分のもの、自分のものは人のもの」と考える共産主義者で、誰とでも関係を持つからピーだ、という彼らの理論からくるものだったらしい。

そんなこんなで、いろいろあって、赤ヘルのブンドは、分派に分派を重ねて空中分解した。それでも三潴さんは、いつもお腹をすかしてやって来る私達に、しっかり飲ませ食べさせてくれる心強い先輩だった。可愛い後輩だったのは、彼の結婚までだ。そこから長い事、不通になっていた糸が、いま再びつながったことが嬉しい。

ところでビエンナーレだ。
忘れてしまわないうちに、忘備録として、ビエンナーレで印象的だった作品を書いておかないと。
ヤナギ ユキノリ
1)ICARUS CONTAINER (イカロスの器)2018年作
 巨大な貨物船に使う船荷に乗せるコンテナを何台も組み合わせて、長い迷路を作り、ところどころ鏡を使ってオブジェを置いたもの。三潴さんによると、この人はこのシリーズでデビューして高く評価されたのだそうだ。迷路は物質主義と、それを取り巻くネットワーク社会を示している。そこから飛び立って太陽に近ずき過ぎて海に落ちて死ぬイカロスとように、原子力技術を発展させた人類は、もう燃え尽きて滅びて行くことしかできない。

2)ABSOLUTE DUD 2016年作
鉄で作られた、ヒロシマに1945年8月6日に落とされたのと同じサイズの原子爆弾が天井からつるされている。
3)EYE 2018年作
薄暗い倉庫の中央に大きな目が吊るされていて、その目玉にヴィデオで原爆実験の様子画写る。裸眼で原爆が大きなキノコ雲になって、やがて水しぶきが上がる様子が捉えられる。

彼は、福岡生まれで広島で活動している1959年生まれの作家。
原子力のパワーによって生活を成り立たせてきた戦後日本の存在そのものを問いかけている。「EYE」がとても印象的で一度見ると忘れられない。原子爆弾は作られてからほとんど実験なしで日本で使われて、ヒロシマ、ナガサキが人体実験の場となった。その後も米国、ロシア、フランスなど各地で水爆実験が続けられ、人々は爆発する様子を裸眼で見せられて失明し、白血病で血を吐いて死んできた。大きく目開いた瞳に映る爆発のもようは、いま毎日この死の灰を含んだ雨に濡れ、飛散したストロンチウムを吸い込んで、セシウム入りの水を飲むわたしたちに通じる。ヒロシマが日本人の原点であること。ヒロシマなしに核問題は語れないことを強く再認識させられる。

もうひとつ印象的だったのは、サムソン ヤング 1979年生まれホンコン出身の人。
この人は絵描きでもなければ、写真家でもない。大学で哲学と作曲を学んだ人。「MUTED SITUATION」2014年作のシリーズもので、今回は「MUTED SITUATION TCHAIKOVSKY 5TH 2018作。三潴さんによると、このシリーズは日本の森美術館でも展示されていて、前に観たことがあるそうだ。ドイツ、ケルンのフローラシンフォニーオーケストラが、チャイコフスキー交響曲第5番を演奏しているフイルム。オーケストラメンバーは旋律を音を出して演奏することを止められている。それでいて熱演していて、演奏者は呼吸し、譜面をめくり、楽器が奏でる旋律ではない音、雑音を捕える。辛うじてどこを演奏しているかはパーカッションでわかる。
メロデイーがなくなり、人は45分間の交響曲で何を聴くのか。オーケストラメンバーは、何もなかったかのように指揮者をみながら演奏している。極限まで音を落とした状態で人が聞き取る雑音と呼ばれる音は一体何なのか。おもしろい。
とても哲学的な課題だ。

ヴァイオリンを子供の時から弾いてきた。ヴァイオリンが弦に弓が当たる時のカシャカシャいう雑音が、ものすごく気になった時期がある。オーケストラで弾いていて、チェロの弓を弾き返すとき、チェロ本体に弓の先が当たって不快音がでることがある。クラリネットやフレンチホーンが音を出す直前に、息が漏れる雑音も気になる。指揮者の呼吸音まで聞こえれば、腕を振り上げて動かす衣類がこすれる音まで聞き取れる。とくに、舞台では最初の一音が命だ。指揮者が指揮棒を振り上げて吸った息をちょっと止める、一瞬の呼吸音を、50人なら50人、100人近いときもあるオーケストラ団員全員が聴き分けて曲が始まる。一瞬の緊張の極、全員の集中力がオーケストラでは勝負となる。
若い作曲を勉強したアーチストが、これから音のないオーケストラ、楽譜のない交響曲をかかえて、これから何を見せてくれるのか、とても楽しみだ。

現代アートには説明が要するものが多い。ヤナギ ユキノリの「EYE] が、日本人の作品でなかったら感動しなかったかもしれない。サムソン ヤングが画家でなく、作曲家でなかったら心を動かされなかったかもしれない。どんな時代に生まれ、どんな生い立ちをして、何を学び、どんなメッセージを発して作品を創作したのか、説明なしで理解するのが難しい。
でも本当に心を奪われる感動というものは、どんな時代に生まれても、作家が有名であろうがなかろうが、何国人でどんな肌の色をしていようが、本人が何を言いたいのか、などなどといったものは、知る必要などなくて、ただ見て心が震えるものだ。

子供の時、母がカレンダーについてきたモジリアニの絵を額に入れて、居間に飾った。絵画の名も何も知らなかったが、いつまで見ていても見飽きない感動があった。
いやいやヴァイオリンを弾いていた子供だったとき、作曲家の名前も演奏家も知らないまま、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトを何度も繰り返し聴いていると、心が解放された。
初めてNSW州立美術館に行って、ゴッホの「ペザント」(百姓)を見て、何か溢れる気持ちが湧いてきてしばらく身動きができなかった。説明を要さない感動は時代や環境や国や文化を越えて心に訴える。
いずれ現代美術も、淘汰されて、良いものは古くなっていく。前衛は次の世代に乗り越えられていく。時を経て、選ばれた現代美術は古典美術と融合一体化していくのだろうか。