2015年12月12日土曜日
マキシム ヴァンゲロフ シドニー公演を聴く
ヴァイオリニストのマキシム ヴァンゲロフが、初めてオーストラリアに来た。メルボルンで1度、シドニーでたった一度だけの公演。もちろん仕事を放り出して公演を聴いてきた。ヴァンゲロフは、わたしにとって神様みたいな存在。ヨーロッパから20時間以上の飛行で、シドニーまで足を伸ばしてくれて、涙が出るほど嬉しい。
シドニーオペラハウス
プログラム
1)ジョナサン セバスチャン バッハ
シャコンヌ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルテイータ2番D マイナー(1720)
2)ルドウイグ バン ベートーヴェン
ヴァイオリン ソナタ 7番 C マイナー作品30(1802年)
3)モーリス ラベル
ヴァイオリン ソナタ 2番 Gメジャー(1927年)
4)ユージン イザイ
ヴァイオリン ソナタ 6番 Eメジャー 作品27(1923年)
5)ハインリッヒ ウィルヘルム エルンスト
エチュード6番 ヴァイオリン独奏のための「庭の千草」変奏曲(1864年)
6)二ッコロ パガニーニ
ヴァイオリンとピアノのためのカンタービレ 作品17 Dメジャー(1823年)
作品13 クライスラーによる変奏曲(1905年)
アンコール
1)ブラームス 「ハンガリアンダンス 第2番」
2)マスネ 「タイスの瞑想曲」
3)ブラームス 「ハンガリアンダンス 第5番」
マキシム ヴァンゲロフはシベリア ノヴォシビルスク出身のユダヤ系ロシア人。40歳。5歳でヴァイオリンをガリーナ トウルチヤニノーヴァに師事、10才でポーランドのリピンスキーヴィエ二ヤスキ国際コンクールで優勝した後、モスクワ、ぺテルスブルグで活躍し、1995年にはプロコフィエフとショスタコヴィチ協奏曲のCDでグラモフォン賞を与えられグラミー賞にノミネートされた。1997年以降アメリカで大ブレイクし、各国で演奏活動を続けるが、2007年の肩を痛め演奏活動を休止。ユニセフ親善大使として若い音楽家への教育に力を入れ、指揮者としても活躍する。2011年から再び精力的に演奏活動を再開して、現在に至っている。ベルリンフィルハーモニック、ロンドンシンフォニーオーケストラ、BBCシンフォニーオーケストラなどで指揮をし、2013年からは日本ではヴァンゲロフフェステイバルが毎年開催されるようになり、今年で4年目になる。昨年は上海シンフォニーホールのオープニングで、ロン ユーやピアノのランランと共演した。現在はスイスのインターナショナルメニューヒン音楽アカデミーと、ロンドンロイヤルアカデミーオブミュージックの教授。
ヴァンゲロフは、世界各国でソロのヴァイオリニストとして公演する先々で、マスタークラスを開催して、若い生徒の教育に積極的に取り組んでいる。マスタークラスでは希望者に個人レッスンをして、一般に公開している。生徒の演奏を聴いて、矢継ぎ早に問題点を指摘しては技術的なアドバイスや的確な指示をする。そんな彼の教師としてのあたたかい人柄と包容力には定評がある。
わたしが初めてヴァンゲロフを知ったのはテレビでBBCのドキュメンタリーを放送した時だ。家でニュースのあと、片付けをしていて消し忘れていたテレビから、今まで聞いたことのなかった「深い溢れるような豊かな音」が聞こえて来て思わず息を止めた。今までどんなヴァイオリンからも、そのような深い音を聞いたことがなかったので、ヴァイオリンでこんな音が出せるものなのか、と心底驚いて、心惹かれた。それは、ユニセフ親善大使ヴァンゲロフが、アフリカの子供たちと音遊びしたり、一緒に歌を歌ったりしているレポートのバックグランドに流れる彼の演奏によるものだった。若いヴァイオリニストが、子供達のちょっと兄貴分といった風に子供に混じって無邪気に遊んでいる。その人のヴァイオリンは深い深い人の心が満ち溢れてくるような豊かな音色に激しく心を奪われた。
それはシドニーにきたばかりのころの話だ。その前まで10年間フィリピンに滞在していて、娘たちがマニラのインターナショナルスクールに通っていた間、半ばボランテイアのような形でヴァイオリン教師をしていた。毎日4クラスのジュニアスクールのヴァイオリンの授業と、課外活動の弦楽オーケストラ指導と、年4回の定期コンサートの準備と、自宅にやってくる生徒の個人レッスンとで目が回るほど忙しく、ヴァイオリンの「本当の音」など聴く暇がないような状態だった。ヴァンゲロフの名前も知らなかったし、彼が、華麗な技術と豊かな表現力とで、日本で最も人気のあるヴァイオリニストだというのも知らなかった。日本にヴァンゲロフフェステイバルというのがあって、毎年彼の訪日を待って音楽祭が行われるというのも全然知らなかった。
ヴァンゲロフは、マスタークラスに来る若い生徒達に向かって、もっともっと表現をして、ヴァイオリンでオペラを歌うように歌いなさいと、繰り返し言っている。オペラのようによく訓練された音でしっかり表現する、、まさに初めて聴いて心から感動した時の、彼の深みのある音だ。音楽はその人の心の表れだから、その人の心に音楽がなければ表現できない。ヴァンゲロフの心には豊な音楽がいつも流れているから、音合わせでさえ他の人と音が全然ちがう。豊かに滔々と流れ満ち溢れるバイカル湖の水のように深い澄んだ音だ。
プログラム
1)バッハのシャコンヌ
2時間余りのコンサートでこれを最初に演奏する演奏家を初めてみた。いつもカジュアルマナーというか、クラシックを聴くためのマナーのできていないオーストラリアで、ヴァンゲロフが一人挌闘と言う感じで、すごい集中力で、力強く弾き始める。ヴァイオリンを弾く人ならば誰もが挑戦してみたい、永遠の名作で、難曲。重音奏法を多用して、重音で低音を演奏しながらメロデイーを弾く、和音が低音で響いている間にそれを伴奏に、ハイテクニックの旋律を重ねるといった高度なテクニック。ボーイング(弓使い)の力強さとしなやかさに感動する。アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーク、シャコンヌの5つの舞曲を続けて演奏する15分間の最高傑作。この曲には哀しみが満ちていて、演奏されている間中、なぜか身動き出来なくなる。ヴァンゲロフの演奏は、ただただみごとだ。
2)ベートーヴェンのソナタ 7番
ベートーヴェンはバイオリンとピアノのためのソナタを10曲作曲している。5番の「春」と、9番の「クロイツエル」が有名だが、今回演奏された7番は、ロシア皇帝アレクサンダー1世の献上されたのでアレクサンダーソナタとも呼ばれている。重厚で輝きのある曲だ。
ピアニストは、現在フランス在住のロシア人、ローステイム サイトコロフ。ベルベットのスーツに白い蝶ネクタイをつけた長髪で線の細い華奢な人。そんなショパンみたいなピアニストが、彼を10才若くしたようなもっと線の細い感じの譜めくりの少年をつれてきていた。ヴァイオリンとピアノの掛け合いの楽しい曲目だ。ヴァンゲロフはパワフルに演奏する。弓使いの美しさに見とれる。
3)ラベル ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
これほど自由にジャズやブルースを組み入れた曲を楽々と演奏されると、もううれしくなる。クラシック音楽なんて、どこかにふっとばされていく。むかしはラベルもドビッシーも苦手で、フランス人って何を考えているんだろう、と不思議に思っていた。だって、リズムが刻めない。何分の何拍子なの?と聞いてもわからない。そんな訳の分からないラベルやドビッシーが、フェイスブックで知り合ったフランス在住のピアニスト、バルボット成江さんの演奏ヴィデオを聴き、彼女の穏やかで優しい人柄に惹かれるうちに好きになって来た。聴くのは良いが演奏するのは、とても難しいことも分かってきた。高度な技術を駆使してヴァンゲロフはラベルを聴かせてくれた。
4)ユージン イザイのヴァイオリンソナタ
ベルギーの作曲家でヴァイオリニストの作品は初めて聴いた。ヴァンゲロフの独奏。ロマン派の作曲家だが、とても斬新な曲だった。
5)「庭の千草」とその変奏曲
パガニー二と同時代を生きたチェコ生まれの作曲家でバイオリニストだったエルンストの作品。この人はパガニーニが大好きで彼がパリにいる間は、自分もパリで競って演奏活動し、技巧的な難曲を好んで演奏したという。アイルランド民謡の「庭の千草」の単純なメロデイーが、いろいろなバリエーションで演奏される。ものすごい重奏の連続で、ダブル、トリプル重奏が続く。とくに左手で重奏を弓でメロデイーを演奏しながら、同じ左手でピッチカートで伴奏を入れる、というテクニックには、聴いていたシドニーっ子達が夢中になって、曲の途中なのに拍手したりワーワー言いながら興奮していた。こういう風景は、お行儀の良い日本のクラシックコンサート会場では絶対みられない。オージーはクラシックコンサートで、第1楽章が終わって拍手してはならないところでも、自分が感動したら大拍手するし、驚くようなテクニックに出会えば曲の途中でも大声を出す。足もガタガタ踏み鳴らす。
この変奏曲の、ヴァンゲロフが弾いたのではなくて、もっとずっと簡単な変奏曲を中学生の時、発表会で演奏した。今度のコンサートで何を弾くの、と聞かれて、アイルランド民謡のこの曲の名を言うのが恥ずかしくて、とても嫌だった。簡単な曲しか弾けない初心者に思われると思ったのだろう。今になって、そうじゃない、難曲だったんだと、わかった。選曲が悪いと思い込んで恨んだ小野アンナ先生、村山雄二郎先生ごめんなさい。
6)パガニーニのヴァイオリンとピアノのためのカンタービレ
情感豊かな静かで美しい曲。表現者のヴァンゲロフは、本当にヴァイオリンで声高らかに歌っていた。オペラ歌手の様に。
アンコールで演奏されたブラームスのハンガリアンダンスでは、ヴァンゲロフは、きわめて早いパッセージをダブルストップさせる奏法や、観客が大喜びして騒いだ左手のピッチカートを多用して何度も観客を夢中にさせてくれた。ピッチカートが出るたびに観客が沸く。ハーモニックスの重音を繰り返すなんて、すごいテクニックだ。彼はサービス精神のかたまりのような人。これほど自由自在に高度なテクニックを使えるようにするためには、どれだけの練習と苦労があるのか、聴衆には決してわからない。
アンコールの2番目に演奏されたマスネの「タイスの瞑想曲」は、自分が2週間前の友人達とのクリスマスパーテイーで演奏したばかり。ああ、わたしの為に弾いてくれたんだ、と勝手に思い込みながら、心に染み入る美しいひとつひとつの音を受け止めた。美しくて泣けてくる。
最後にヴァンゲロフは、ビバ、ムジカプロジェクトの招待で、初めてオーストラリアに初めて来られて嬉しいと挨拶し、じゃあビバ ムジカのテーマソング(?)を最後に演奏します、と言って「ハンガリアンダンス第5番」を、すごいスピードで弾き始めて皆を笑わせてくれた。何て素敵な演奏家なんだ。
プログラムは、古典の古典:バッハに始まって、ロマン派、そしてラベルのジャズやブルースに触発されて作曲されたラベルと、パガニーニのヴァイオリン曲、それにアイルランド民謡、アンコールで弾かれたハンガリア民謡という風に、すべての時代と曲想をカバーしている。
コンサートでは、楽章ごとに拍手したり、ひとつの楽章が終わると咳ばらいする人も多く、演奏中でも自分が好きなところでワーワー声を出したり、お行儀の悪いオージー観客だったが、ヴァンゲロフの高度な演奏テクニックにみな魅せられて拍手、足踏みブラボーの連呼で終了した。わたしは念願の彼の生の演奏を聴くことができて、本当に嬉しかった。
シドニー公演の翌日、彼は日本に向かった。日本で、今度はお行儀の良い観客を前に、すばらしい演奏を見せていることだろう。
2015年12月11日金曜日
映画「007スペクター」
監督:サム メンデス
キャスト
ダニエル クレイグ:ジェームス ボンド
フランツ オベル ハウザー:クリストフ ウオルツ
マンデリン スワン:レア セドウ
M :ラルフ フィネス
Q: ベン ウイシャウ
ミスターヒンクス :デイブ バウテイシャ
ジェームスボンドシリーズ24作目。ダニエル クレイグにとってはボンド役4作目。撮影は、メキシコシテイー、ローマ、ロンドン、ウィーン、モロッコのタンジール、エルファドなど。製作費用$245ミリオンで、今まで製作された、他のどの映画よりも高い費用をかけて製作された。
ストーリーは
爆弾を使ったテロが世界各地で頻発している。英国女王陛下機密機関では、主要国9か国の間で共通の情報システムを作り情報を共有することを、各国の秘密機関に提案していた。この案を進めるために、新しく「C」が仲間として、派遣されてきた。
一方、ジェームス ボンドは、殺された前任者の「M」(ジュデイー デインチ)が、亡くなる前に送ったと思われるメッセージを受け取る。「マルコ シエラを殺してその葬儀に参加せよ」、という短いメッセージだ。ボンドはメキシコシテイーに飛び、街が「死者の祭り」で、ごったがえす中、ギャングの親玉マルコ シエラを殺す。ロンドンに戻ったボンドは、上司「M」(ラルフ フィネス)に呼び出されて命令もしていないのに、勝手にギャングを殺し、メキシコシテイーを大混乱に陥らせ、祭りを楽しんでいた数千人の観衆を危険な目に合わせ、巨大ビルデイングを爆破で崩壊させたことで、厳しく叱咤される。しかしボンドは、懲りず上司Mの命令に背いて、ローマに向かいマルコ シエラの葬儀に参加する。そこで、ボンドはマルコの妻(モニカ ベルッチ)を通じて、マルコが世界規模の犯罪組織スぺクターにかかわっていたことを知る。
組織の詳細を調べるために、まずボンドはオーストリアに飛ぶ。しかし組織のカギを握るホワイト氏は、ボンドに向かって、娘だけは守って欲しいと言い残して目の前で自殺してしまう。ボンドが訪ねて行ったホワイト氏の娘マデリン(レア セドウ)は、彼を信用せず全く相手にしないでいたが、犯罪組織スペクターによって拉致され、ボンドが決死の争奪戦ののちマデリンを助け出したことで、やっと信頼するようになり、組織を解明するためにモロッコにいくことを提案する。マデリンが子供の時に組織の幹部だった父親と過ごした小屋に滞在して調べるうちに、二人はやっとスペクター組織の本部を突き止めることができた。そこは、モロッコから東に向かうサハラ砂漠にあった。
スペクターの秘密基地は驚くべきハイテクニックな組織を持ち、全世界の動きがモニターで手に取るようにわかる機能を持っていた。そこでボンドは自分の属していたイギリスの国家安全秘密組織が提案していた9か国共通のプログラムは、このスペクターが操作することを知らされる。今や世界の情報網のプログラムをスペクターが握ろうとしていたのだった。ボンドの新しい仲間「C」は、スペクターから送られてきたスパイだった。
おまけにスペクターのリーダー、フランツ オベル ハウザーは、ジェームス ボンドにとっては兄のような存在の男だった。幼いうちに両親を失ったボンドは、フランツ オベル ハウザーの父親に引き取られて、二人は兄弟として育った。父親は孤児のボンドを可愛がり、実子の兄はボンドを憎むようになっていった。
スペクターに捕らわれたボンドとマデリンは、逃亡に成功し、基地を爆破する。しかし辛くも生きて基地から脱出したハウザーは、ロンドンでマデリンを再び誘拐する。ボンドは決死の覚悟でマデリンを救い出しに向かうが、、、。
というお話。
ボンドシリーズ24作目で初めて、孤児だったというボンドの過去が一部明らかにされる。養子ボンドと実子フランツとの宿命の確執だ。
シリーズの始めから一貫して変わらないのは、「M」と「Q」の存在だ。「M」の初代はジュデイ デインチで、いまはラルフ フィネスが引き継いだ。いつも勝手なことばかりしているボンドに怒って、叱咤してばかりいる。ジュデイ デインチが怒ると怖いが、ラルフ フィネスが怒って見せても、彼は顔に気品があって上品で、声が優しいので全然怖くない。
「Q」は、天才的にコンピューターのソフトを開発したり、腕時計時限爆弾とか、空飛ぶ車とか、水陸両用スポーツカーとか、ボールペン銃とかを発明する。いかにもオツムが良いですという顔に眼鏡をつけてベン ウィシャウが演じているが、彼はシェイクスピアをやれる舞台俳優出身の良い役者だ。第一かわいい。毎回まばゆいばかりの新車をQが作ってくれて、今回はアストンマーチンDB10で、心臓が早鳴りするくらい素敵だが、ボンドがやっぱり一番好きなのはボンド始まって以来の愛車アストンマーチンDB5だ。
映画のロケーションがどこも素晴らしい。ボンドの映画を見ると世界中が旅行できる。メキシコシテイーの祭りに集まった人々の美しい衣装、祭りの絢爛豪華なこと。ローマでは、コロシアム、ポンテシスト、ローマンフォーラム、ドームが出て来て、バチカンを正面に見ながらのカーチェイスが、すごい迫力。静まり返ったローマの夜の街を、ハイスピードで車が走り抜ける。あー!!!世界遺産が、、、と心配で、カーチェイスのドキドキハラハラも倍増だ。そして、オーストリアの美しい山々の景観には溜息がでる。雪に覆われたアルプスの荘厳さ。そうかと思うと、今度はモロッコに飛んで、美しい砂漠をコーランを読む心地良い響きに合わせるように、ラクダが優雅な姿で歩く。砂漠の真ん中に建てられたプールがあって、ふんだんに水を使った豪勢な館。画面の景色を見るだけで楽しい。
筋書はめちゃくちゃだ。どうしてさ?のつっこみどころ満載。完全武装のガードマン達が守備を固め、世界を乗っ取ろうとしている悪い組織の秘密基地に、丸腰でハイヒールを履いた彼女を連れて正面から堂々と入っていき、片手で女性の手を引きながら敵を全部やっつけて、基地を爆破して無傷で二人して逃げてこられるって、、、何てボンドは強いんだ。何百人ものガードマンは紙ででも出来ているんですか。手錠をかけられたボンドが、エイヤと両腕を広げると手錠の鎖が切れて両手自由になれるって、北斗の拳じゃあるまいし非現実的。
それにしてもよくいろんなものが壊れた。今までに作られた映画になかで一番製作費にお金をかけた映画だそうだが、ボンドは、爆弾でメキシコでひとつ、ロンドンでひとつ、サハラ砂漠の真ん中でもうひとつ大きな建物を完全崩壊させた。007の「殺しのライセンス」は、最悪のテロリストか? 小型飛行機で拉致された彼女を救うため、飛行機を操縦しながらオーストリアの森で、両翼もぎ取られ道路に緊急着陸して飛行機を完全に破壊。メキシコで1台、ロンドンウェストミニスター橋で、もう1台ヘリコプターをずたずたにぶっ壊して燃やし、ローマで2台の新車をカーチェイスの末ぼろぼろにして川に沈めてしまった。他にも何台の車が破壊されたのか、乱闘で壊れた家具とか特急列車の内部とか、すさまじい破壊と暴力。
殺人の仕方も残酷だ。大男が両手で無抵抗の男の両目をつぶして殺したり、葬儀から帰った未亡人を後ろから撃ったり、一人の男を殺すために建物全部を爆破して崩壊させたり。人を虫のように簡単に殺しまくってくれる。こういうのを見て、「スカッとしたぜい」、とか、「胸がすくような気持ちです」とコメントできる人達って、精神的にかなりヤバいのではないか。
イヤンフレミングのボンドを読むと、ボンドは女王陛下お抱えのスパイ組織の一員だが、確かオックスフォードを出ていたような、、ブランデーを口にすると、何年作でどこの畑で作られたか直ちに理解し、話題によどみなく絵画にも音楽にも古典にも精通し、社交的で、知的な趣味人の紳士だったはず。そこが、アメリカのCIAスパイとは違って、成熟したヨーロッパの文化を身に着けたスパイだったと思うが、今回の映画でボンドは一挙に孤児にされてしまった。何だか、話に兄弟との近親憎悪がとびだすと三流ストーリーになってしまう。イアンフレミングだったら、こんな筋書にはしなかっただろう。
トム クルーズの「ミッションインポッシブル ローグネーション」では、アメリカCIAスパイのトムが、モロッコの水力発電所に潜ったり、ウィーン国立オペラ劇場で「トランドット」を見ながら乱闘したり、カーチェイスや、飛行機チェイスや、バイクチェイスでドキドキハラハラさせてくれたが、ひどい人の殺し方をしたり、世界各国の観光名所を破壊したり、血が流れたり、手足がもぎれたり、首が飛んだりしなかった。珍しく血の流れない大型アクション映画に仕上がっていて、とても好感がもてた。そしてこれからは、これが新しいアクション映画の流れになっていくのだと思っていた。ところが、007の方は、依然として残酷無比な殺人、暴力のてんこ盛り、暴力に満ちた映画だった。運転中に襲われて生きるか死ぬかと言うときに、新車の秘密兵器ボタンを押すと、バックグランドミュージックの選択ボタンだったり、といった英国風のユーモアもあったが、まだウィットが足りない。ボンドシリーズ、ボンドを、ちがう役者に替えればいいと言うもんじゃない。全然斬新さがない。
ボンドガールは相変わらず胸の大きく開いたドレスにハイヒールで、男の腕に捕まって逃げ回る。男は強くて無敵、どんな拷問を受けても死なないで女を守る。どうなってるんだよ。キミは何世紀もの間、男が強くてか弱い女を守って来たとでも、まだ信じていたいのか。現実世界の日常では、暴力があふれている。人々は怒りと憎しみでいっぱいだ。時として女はハイヒールと胸の開いたドレスで、少しでもまともな男、強く賢く少々たりともマシな男を捕まえようとするが、普段は男と並んでしっかり学び、しっかり働いて社会を形造っているのだ。
雌のシジミチョウはいったん卵を抱えると、あの小さな羽で、空高く舞い上がる。それを待ち構えていた何百羽の雄のシジミチョウはそれを捕えようと、雌を追って空に向かって飛び上る。そして一番高くまで飛んで、雌に追いついた一羽の雄だけが生殖行為を許される。強い遺伝子の子孫を残すための雌の本能だ。高く飛べなかったけど、それなり良い相手だからとか、体は弱いけど心が優しいからとかの妥協なんて期待しないで。
アクション映画では、ヒーローが派手に車や飛行機や建物を破壊し、残酷な殺しがライセンスでまかり通り、着飾ったセクシーな女がしなだれかかるというパターンは、もう時代遅れだ。いつまでも男女差別の激しかった時代に始まった007シリーズにこだわっていると、ジェームスボンドは時代に取り残されて、誰にも見向きされなくなる。
キャスト
ダニエル クレイグ:ジェームス ボンド
フランツ オベル ハウザー:クリストフ ウオルツ
マンデリン スワン:レア セドウ
M :ラルフ フィネス
Q: ベン ウイシャウ
ミスターヒンクス :デイブ バウテイシャ
ジェームスボンドシリーズ24作目。ダニエル クレイグにとってはボンド役4作目。撮影は、メキシコシテイー、ローマ、ロンドン、ウィーン、モロッコのタンジール、エルファドなど。製作費用$245ミリオンで、今まで製作された、他のどの映画よりも高い費用をかけて製作された。
ストーリーは
爆弾を使ったテロが世界各地で頻発している。英国女王陛下機密機関では、主要国9か国の間で共通の情報システムを作り情報を共有することを、各国の秘密機関に提案していた。この案を進めるために、新しく「C」が仲間として、派遣されてきた。
一方、ジェームス ボンドは、殺された前任者の「M」(ジュデイー デインチ)が、亡くなる前に送ったと思われるメッセージを受け取る。「マルコ シエラを殺してその葬儀に参加せよ」、という短いメッセージだ。ボンドはメキシコシテイーに飛び、街が「死者の祭り」で、ごったがえす中、ギャングの親玉マルコ シエラを殺す。ロンドンに戻ったボンドは、上司「M」(ラルフ フィネス)に呼び出されて命令もしていないのに、勝手にギャングを殺し、メキシコシテイーを大混乱に陥らせ、祭りを楽しんでいた数千人の観衆を危険な目に合わせ、巨大ビルデイングを爆破で崩壊させたことで、厳しく叱咤される。しかしボンドは、懲りず上司Mの命令に背いて、ローマに向かいマルコ シエラの葬儀に参加する。そこで、ボンドはマルコの妻(モニカ ベルッチ)を通じて、マルコが世界規模の犯罪組織スぺクターにかかわっていたことを知る。
組織の詳細を調べるために、まずボンドはオーストリアに飛ぶ。しかし組織のカギを握るホワイト氏は、ボンドに向かって、娘だけは守って欲しいと言い残して目の前で自殺してしまう。ボンドが訪ねて行ったホワイト氏の娘マデリン(レア セドウ)は、彼を信用せず全く相手にしないでいたが、犯罪組織スペクターによって拉致され、ボンドが決死の争奪戦ののちマデリンを助け出したことで、やっと信頼するようになり、組織を解明するためにモロッコにいくことを提案する。マデリンが子供の時に組織の幹部だった父親と過ごした小屋に滞在して調べるうちに、二人はやっとスペクター組織の本部を突き止めることができた。そこは、モロッコから東に向かうサハラ砂漠にあった。
スペクターの秘密基地は驚くべきハイテクニックな組織を持ち、全世界の動きがモニターで手に取るようにわかる機能を持っていた。そこでボンドは自分の属していたイギリスの国家安全秘密組織が提案していた9か国共通のプログラムは、このスペクターが操作することを知らされる。今や世界の情報網のプログラムをスペクターが握ろうとしていたのだった。ボンドの新しい仲間「C」は、スペクターから送られてきたスパイだった。
おまけにスペクターのリーダー、フランツ オベル ハウザーは、ジェームス ボンドにとっては兄のような存在の男だった。幼いうちに両親を失ったボンドは、フランツ オベル ハウザーの父親に引き取られて、二人は兄弟として育った。父親は孤児のボンドを可愛がり、実子の兄はボンドを憎むようになっていった。
スペクターに捕らわれたボンドとマデリンは、逃亡に成功し、基地を爆破する。しかし辛くも生きて基地から脱出したハウザーは、ロンドンでマデリンを再び誘拐する。ボンドは決死の覚悟でマデリンを救い出しに向かうが、、、。
というお話。
ボンドシリーズ24作目で初めて、孤児だったというボンドの過去が一部明らかにされる。養子ボンドと実子フランツとの宿命の確執だ。
シリーズの始めから一貫して変わらないのは、「M」と「Q」の存在だ。「M」の初代はジュデイ デインチで、いまはラルフ フィネスが引き継いだ。いつも勝手なことばかりしているボンドに怒って、叱咤してばかりいる。ジュデイ デインチが怒ると怖いが、ラルフ フィネスが怒って見せても、彼は顔に気品があって上品で、声が優しいので全然怖くない。
「Q」は、天才的にコンピューターのソフトを開発したり、腕時計時限爆弾とか、空飛ぶ車とか、水陸両用スポーツカーとか、ボールペン銃とかを発明する。いかにもオツムが良いですという顔に眼鏡をつけてベン ウィシャウが演じているが、彼はシェイクスピアをやれる舞台俳優出身の良い役者だ。第一かわいい。毎回まばゆいばかりの新車をQが作ってくれて、今回はアストンマーチンDB10で、心臓が早鳴りするくらい素敵だが、ボンドがやっぱり一番好きなのはボンド始まって以来の愛車アストンマーチンDB5だ。
映画のロケーションがどこも素晴らしい。ボンドの映画を見ると世界中が旅行できる。メキシコシテイーの祭りに集まった人々の美しい衣装、祭りの絢爛豪華なこと。ローマでは、コロシアム、ポンテシスト、ローマンフォーラム、ドームが出て来て、バチカンを正面に見ながらのカーチェイスが、すごい迫力。静まり返ったローマの夜の街を、ハイスピードで車が走り抜ける。あー!!!世界遺産が、、、と心配で、カーチェイスのドキドキハラハラも倍増だ。そして、オーストリアの美しい山々の景観には溜息がでる。雪に覆われたアルプスの荘厳さ。そうかと思うと、今度はモロッコに飛んで、美しい砂漠をコーランを読む心地良い響きに合わせるように、ラクダが優雅な姿で歩く。砂漠の真ん中に建てられたプールがあって、ふんだんに水を使った豪勢な館。画面の景色を見るだけで楽しい。
筋書はめちゃくちゃだ。どうしてさ?のつっこみどころ満載。完全武装のガードマン達が守備を固め、世界を乗っ取ろうとしている悪い組織の秘密基地に、丸腰でハイヒールを履いた彼女を連れて正面から堂々と入っていき、片手で女性の手を引きながら敵を全部やっつけて、基地を爆破して無傷で二人して逃げてこられるって、、、何てボンドは強いんだ。何百人ものガードマンは紙ででも出来ているんですか。手錠をかけられたボンドが、エイヤと両腕を広げると手錠の鎖が切れて両手自由になれるって、北斗の拳じゃあるまいし非現実的。
それにしてもよくいろんなものが壊れた。今までに作られた映画になかで一番製作費にお金をかけた映画だそうだが、ボンドは、爆弾でメキシコでひとつ、ロンドンでひとつ、サハラ砂漠の真ん中でもうひとつ大きな建物を完全崩壊させた。007の「殺しのライセンス」は、最悪のテロリストか? 小型飛行機で拉致された彼女を救うため、飛行機を操縦しながらオーストリアの森で、両翼もぎ取られ道路に緊急着陸して飛行機を完全に破壊。メキシコで1台、ロンドンウェストミニスター橋で、もう1台ヘリコプターをずたずたにぶっ壊して燃やし、ローマで2台の新車をカーチェイスの末ぼろぼろにして川に沈めてしまった。他にも何台の車が破壊されたのか、乱闘で壊れた家具とか特急列車の内部とか、すさまじい破壊と暴力。
殺人の仕方も残酷だ。大男が両手で無抵抗の男の両目をつぶして殺したり、葬儀から帰った未亡人を後ろから撃ったり、一人の男を殺すために建物全部を爆破して崩壊させたり。人を虫のように簡単に殺しまくってくれる。こういうのを見て、「スカッとしたぜい」、とか、「胸がすくような気持ちです」とコメントできる人達って、精神的にかなりヤバいのではないか。
イヤンフレミングのボンドを読むと、ボンドは女王陛下お抱えのスパイ組織の一員だが、確かオックスフォードを出ていたような、、ブランデーを口にすると、何年作でどこの畑で作られたか直ちに理解し、話題によどみなく絵画にも音楽にも古典にも精通し、社交的で、知的な趣味人の紳士だったはず。そこが、アメリカのCIAスパイとは違って、成熟したヨーロッパの文化を身に着けたスパイだったと思うが、今回の映画でボンドは一挙に孤児にされてしまった。何だか、話に兄弟との近親憎悪がとびだすと三流ストーリーになってしまう。イアンフレミングだったら、こんな筋書にはしなかっただろう。
トム クルーズの「ミッションインポッシブル ローグネーション」では、アメリカCIAスパイのトムが、モロッコの水力発電所に潜ったり、ウィーン国立オペラ劇場で「トランドット」を見ながら乱闘したり、カーチェイスや、飛行機チェイスや、バイクチェイスでドキドキハラハラさせてくれたが、ひどい人の殺し方をしたり、世界各国の観光名所を破壊したり、血が流れたり、手足がもぎれたり、首が飛んだりしなかった。珍しく血の流れない大型アクション映画に仕上がっていて、とても好感がもてた。そしてこれからは、これが新しいアクション映画の流れになっていくのだと思っていた。ところが、007の方は、依然として残酷無比な殺人、暴力のてんこ盛り、暴力に満ちた映画だった。運転中に襲われて生きるか死ぬかと言うときに、新車の秘密兵器ボタンを押すと、バックグランドミュージックの選択ボタンだったり、といった英国風のユーモアもあったが、まだウィットが足りない。ボンドシリーズ、ボンドを、ちがう役者に替えればいいと言うもんじゃない。全然斬新さがない。
ボンドガールは相変わらず胸の大きく開いたドレスにハイヒールで、男の腕に捕まって逃げ回る。男は強くて無敵、どんな拷問を受けても死なないで女を守る。どうなってるんだよ。キミは何世紀もの間、男が強くてか弱い女を守って来たとでも、まだ信じていたいのか。現実世界の日常では、暴力があふれている。人々は怒りと憎しみでいっぱいだ。時として女はハイヒールと胸の開いたドレスで、少しでもまともな男、強く賢く少々たりともマシな男を捕まえようとするが、普段は男と並んでしっかり学び、しっかり働いて社会を形造っているのだ。
雌のシジミチョウはいったん卵を抱えると、あの小さな羽で、空高く舞い上がる。それを待ち構えていた何百羽の雄のシジミチョウはそれを捕えようと、雌を追って空に向かって飛び上る。そして一番高くまで飛んで、雌に追いついた一羽の雄だけが生殖行為を許される。強い遺伝子の子孫を残すための雌の本能だ。高く飛べなかったけど、それなり良い相手だからとか、体は弱いけど心が優しいからとかの妥協なんて期待しないで。
アクション映画では、ヒーローが派手に車や飛行機や建物を破壊し、残酷な殺しがライセンスでまかり通り、着飾ったセクシーな女がしなだれかかるというパターンは、もう時代遅れだ。いつまでも男女差別の激しかった時代に始まった007シリーズにこだわっていると、ジェームスボンドは時代に取り残されて、誰にも見向きされなくなる。
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