2015年4月19日日曜日
漫画 「ぴんとこな」1-13巻
漫画:「ぴんとこな」1巻ー13巻 作 嶋あこ 小学館
キャスト
河村恭之介(本名 河村猛)
澤村一弥 (本名 本郷弘樹)
千葉あやめ
田辺梢六
ストーリー
「ぴんとこな」とは、歌舞伎の言葉で、凛とした美しい役者を指す。
歌舞伎の名門中の名門:木嶋屋の御曹司、「河村恭之介」は、声よし、顔よし、家柄よし、3歳の時から歌舞伎が好きで努力してきたため、人気も申し分ない歌舞伎の申し子ともいうべき存在だ。だが高校生になって、いつまでも自分を褒めてくれない父親への反感から、急に練習に身が入らなくなって、いい加減に歌舞伎のスケジュールをこなすようになってしまった。周りは心配しているが、きちんと練習しなくてもファンは相変わらず、彼を持てはやす。彼の存在そのものが、「空かから宝石が落ちてきたのか」と思われるくらいに輝いている。「どこに紛れていようと、光は真っ先に君を照らすんだ。」などと学友に言われている。
一方、彼と同い年の「澤村一弥」は、歌舞伎界で最近急に人気が出てきた実力ナンバーワンで、歌舞伎のバックグランドがないのに、小学校5年の時から、弟子入りして役者になろうとして努力してきた。それほど歌舞伎に入れ込むことになった理由は、小学校4年のときに出会って恋をした、「千葉あやめ」にある。歌舞伎が好きな女の子、あやめは、一弥を歌舞伎を見に誘い、そこで一緒に河村恭之介が「鏡獅子」を踊るのを観た。同い年なのに、舞台では他のおとなの歌舞伎出演者たちよりもずっと芝居も舞いも上手で輝いている。目を輝かして河村恭之介を見つめるあやめを見て、澤村一弥は激しく嫉妬し、あやめのために立派な歌舞伎役者になりたいと願う。あやめのために、歌舞伎役者のナンバーワンになると誓ったが、間もなくしてあやめの家が破産して彼女は一弥の前から姿を消す。一弥とあやめを結びつけるものは歌舞伎だけになった。一弥は努力を重ね、再びあやめに会うために一日でも早く舞台に立ち、あやめの目に止まるように願ってきた。しかし彼は弟子入りした轟屋の一人娘に愛され、のちには養子として轟屋の後継者になることを求められる。
というお話。
この漫画の面白さは、たくさんの歌舞伎が出てくるところだ。それぞれの歌舞伎のストーリー、役者の見どころ、演技の難しさなどが次々と登場人物たちによって語られる。役をもらい、その役を自分なりにどう解釈して演じるか、役柄を自分のものにするために四苦八苦する若い恭之介と一弥の姿が興味深い。大人に見えるが、二人ともまだ15歳なのだ。
1巻であやめと一弥を感激させた恭之介が踊る、「春興鏡獅子」では、いかに女役と、激しい獅子を踊る二役が、演じるのに難かしく体力も集中力も要る激務であるかがわかる。そんな舞台で、大人顔負けに踊る10歳の恭之介は、まことに天才的な役者なのだ。
1巻で一弥は「恋飛脚大和往来」(こいのたよりやまとおうらい)で、遊女梅川の役を演じる。主人公の忠兵衛は、飛脚問屋の子で梅川を身請けする約束をしたが、身請け金の全額を出せず手付金しか用意できない。そこで遂に公金3百両に手を付けてしまい、結果として梅川と死出の旅に出る。哀しい運命の梅川が、あやめに会うために歌舞伎に精進してきたのに、自分の意のままにならず師匠の娘と関係を持ってしまう一弥の哀しさに通じて、観客の涙を誘う。一弥の表現力と演技力に観客は夢中だ。
第2巻では、今では努力することを放棄したぐうたら恭之介と、一弥が初めて「松葉目物舞踊劇、棒しばり」(まつばめもの)を共演する。日々努力する一弥と恭之介との体力や演技力の差は一目瞭然だ。一弥は恭之介を憎みながらも放っておけず、つききりでスパルタ教育を施し体力をつける運動を強いて練習に励み、二人は大名の家来、太郎冠者と次郎冠者を演じる。舞台で、両手を棒に縛られてしまった二人は、好きな酒を飲むために協力して互いの口に器を運んでやらなければならない。後半一歩遅れる恭之介は、舞台でも遅れた。しかし一弥の機転で一弥は恭之介に合わせてやることができる。その瞬間舞台に出ている他の役者たちも恭之介に合わせていた。初めて舞台の上でそれに気がついた恭之介は、努力してこなかった自分の愚かさに愕然とする。舞台は主役だけでするものでなく控えのたくさんの役者や音楽に支えられている。舞台で一歩遅れる恭之介に合わせて舞台を進められる人々の独白、、、「みんな子供のころからこの世界にいる恭之介がかわいいんですね。」「だめでなまいきな御曹司をそれでも愛しているんです。」という台詞が感動的だ。これを契機に歌舞伎一直線に突っ走る恭之介が、本当に可愛い。
第3巻と4巻では、一弥は、「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)で、加茂堤の刈谷姫を演じる。好きな男の前で恥じらう16歳のお嬢様の役を演じる。役つくりで悩む一弥は恭之介と同級生だったあやめに、恭之介のはからいで再会し、あやめの表情から刈谷姫の役どころや表現を学ぶ。あやめにたくさんのインスピレーションを得て、舞台に立つが、あやめに師匠の娘との関係を知られて拒否されたことで立ち直れなくなってしまう。
第5巻では、「狂言三人吉三巴白波」(さんにんきちさともえのしらなみ)を、西田屋の御曹司西田完二郎と、一弥と恭之介の3人で演じることになる。3人の吉三と言う名のお坊と和尚とお嬢が泥棒になるお話。女装のお嬢役の一弥と、恋仲のお坊を演じる恭之介は、役作りに苦しむ。あやめを愛し、あやめのために歌舞伎に生きると決めた恭之介は、一弥のライバルだったが、一弥と別れたあやめは自分の思い通りになるような女の子ではない。役作りにのめりこんで恭之介は、一弥にまといつき、どうして二人は愛し合い、一緒に死の旅に出るのか理解しようと四苦八苦する。あげくに恭之介は一弥に会うと胸が高鳴るようになり、一弥に「僕に惚れていませんか」と言われる始末。しかし苦しんだ末に役に息を吹き込んだ舞台を上演できた恭之介は、「あいつは俺の片割れよ。生きるの死ぬもこいつが居なけりゃツマラねえのさ。」ということになって、二人は互いになくてはならないライバルとして互いに技を磨きあう友情が芽生える。
第6巻では、「野崎村」が出てくる。恭之介は ライバルを得て絶好調、もっと一弥を理解したくて初めて女形を演じる。彼は久松を愛するお光の役を演じて人気沸騰の絶好調。あやめは役つくりに力になるが思い通りになるわけではない。しかし本気で舞台に精進する恭之介を心の中では愛し始めていた。この舞台は、ご贔屓さん小向ミネの要請によるものだった。彼女は恭之介の祖父、人間国宝の河村樹藤の秘密の恋人だった。樹藤がお光を演じた舞台が忘れられない彼女は、恭之介が演じるお光を、樹藤との思い出に重ねて、心から満足する。
第7巻では恭之介に負けず、一弥が今度は男役に挑戦。「女殺油地獄」の与兵衛を演じ、恭之介を感激の涙で溺れさせる。
第8巻で、「桜姫東文章」(さくらひめあずまぶんしょう)で、恭之介と一弥の二人は再び共演する。恭之介な清玄と権助、一弥は白菊丸と桜姫だ。権助と桜姫との濃厚な濡れ場が見せ所の舞台で、女を知らない恭之介は役つくりに苦しむ。一弥のプレッシャーとあやめの上向き加減の態度でやっと自信をつけた恭之介は立派な舞台を仕上げて、一弥に向かって「俺たちコンビだもんな。次も一緒に演って、その次もまた次もずーっと演ろうぜ。」と言い、一弥も同意する。
第9巻では父親の意向で恭之介は、修行のため歌舞伎界の大御所、高村恵利左エ門の家に預けられる。この大御所は、怒り肩をしているが、女形としての体型を作るために生涯努力をしている。そんな歌舞伎魂に恭之介はすっかり魅せられて、恵利左エ門と意気投合し、また可愛がられる。恵利左エ門は、定例の舞台で、「藤娘」を踊る予定だった。しかし、一弥が見せしめのように、年老いた恵伊左衛門の前で、若く美しい「藤娘」を踊って見せたため、恵利左エ門は自信を失って舞台をキャンセルしてしまう。恭之介は生涯の片割れ、ライバルと信じていた一弥よりも恵利左エ門を励ます。また恭之介は、「白波五人男極楽寺」で、主役でなく、捕手役をやって屋根からトンボ返りをして見せて、主役をなおざりにして舞台を沸かせてみたりもする。
一方の一弥は、西田屋の娘と婚約して西田屋の後継者の地位を約束される。しかしあやめを未だに心の中では忘れられず、あやめとの中を裏で田辺梢六という下端の役者を使って引き裂いた師匠の娘を許す気になれない。娘は婚約中の一弥に疎まれているうちに、田辺梢六の子供を妊娠してしまう。西田屋の師匠は一弥の子供ができ、孫が生まれると勘違いして一弥を混乱させる。じつは、相手の田辺梢六は、恭之介の祖父河村樹藤と愛人小向ミキとの間にできた子の息子だった。誰からも見向きされない下端役者の梢六は、実は歌舞伎界の人間国宝の孫だった。西田屋の師匠の娘は人間国宝の孫の子を身籠ったのだった。
というところで13巻。
魅力は、主人公の恭之介にある。御曹司で苦労知らず、まっすぐで繊細で、人が好い。あやめのために生きると決めるもう何があっても変更できない。一弥に、「生まれ変わったら何になりたい? 僕はもう一度河村恭之介になりたい。」とすらりと言う。一弥は、口には出さないが、生まれ変わったら自分も河村恭之介になりたい、と思っている。誰でも、太陽のように明るくて、どこに紛れていても必ず恭之介から陽が射す宝石のようにキラキラ輝いている存在になりたい。それができない一弥が哀しい。また、恭之介は高校の親友、春彦に「お守り役はヤダ。」と 突き放されて仲たがいするが、「おまえ、何怒ってるのか知らねえがお守り役はいやだって言ったけどいいじゃねえか。俺にはまだまだお守り役が必要なんだよ。」「春彦はいねえとさびしいだろ。」と蹴りを入れて、仲直りだ。魅力的で可愛い。
まだまだ話は続く。歌舞伎は次々と紹介されて、二人の15歳高16歳の役者が、苦しみながら、悩みながら、与えられた役に命を吹き込もうとして努力を重ねる。彼らの成長を、歌舞伎の役を演じるごとに見ることができる。
おもしろい。
作者には、今後もたくさんの歌舞伎を紹介してもらいたい。
2015年4月18日土曜日
映画 「サンバ」と移民
フランス映画 原題:「SAMBA」
監督:オリバー ナカシュ、エリック トレダン
キャスト
サンバ:オマール シー
アリス:シャルロッテ ゲインズブール
ストーリー
セネガルから不法移民としてパリに渡って来たサンバは、シェフを目指してレストランで10年もの間皿洗いをしてきた。パリで叔父と暮らしている。しかし、ある日不法移民狩りにあって出入国管理局に拘束され移民審査所に送られる。そこで移民審査を待つ間、弁護士のアリスに出会う。アリスは大きなファームで責任の重い仕事を請け負い、一日12時間も仕事を任されて完全に燃え尽き症候群状態となって、休職中だった。ボランテイアで移民審査事務所の仕事を手伝っていたのは、友達がやっているから、という単純な理由だった。しかしアリスはサンバの率直な姿に惹かれて、サンバの弁護について、難民として合法的にフランスに滞在できるよう手を尽くす。しかし審査はうまくいかない。結果は滞在許可が下りず、彼はセネガルに即刻帰国しなければならないと命令される。
サンバは再び警察や入管の目を盗んで、見つからないように隠れて仕事を続けるしか生きる道はない。一方、アリスはサンバを助けることが、仕事への自信を失い生きる希望をなくしていた自分自身の再生につながっていることに気がつく。やがて、アリスはサンバへの恋心をバネにして、職場復帰する決意をする。というお話。
もう若くない女性弁護士が、生きる力に満ちた若い不法移民の青年の心惹かれ、閉ざしていた心を徐々に開き、人間らしさを取り戻していくプロセスを描いた映画だ。オマール シーの躍動感いっぱいの若々しく美しい肢体、包容力に満ち溢れた物腰、目の前に座られたら今まで自分が犯してきた罪を何もかもスラスラを話してしまいたくなるような深い瞳、、、この人は、いまフランスで一番輝いている役者ではないだろうか。
一方、終始やぼったい男物の古着みたいな服ばかり身に着けて、知的だが全然冴えない女性弁護士を、シャルロット ゲインズブールが好演している。この人、父親(セルジュ ゲインズブール)にも、母親(ジェーン パーキン)にも似ていなくて、とても地味な人だ。繊細で知性的だが、明るくない。彼女が、お陽様の様に明るいオマール シーに出合い、彼の裸を偶然目にして、思わずごくりと唾を飲み込むシーンは笑えるけど、とてもよくわかる。
シャルロット ゲインズブールは、60年70年代のフランスポップミュージックを代表する歌手セルジュ ゲインズブールと、イギリス人女優ジェーン パーキンとの間に生まれた娘だ。セルジュは女殺し、当時のセックスシンボルで、ジュリエット グレコ、フランスギャル、ブリジット バルドーなど美女を軒並み愛人にして、この世を駆け抜けて去って行った。このプレイボーイの短い生涯で、唯一妻の座についたジェーン パーキンは、ストレートの長髪に、でかいバッグを持って、ショッキングなショートショートスカートで走り回る元気な姿が当時のファッションの先端を走っていた。カルチェ ラタン、パリの道路封鎖、ベトナム反戦といった当時の気風と、若者の反骨姿勢を彼女ほど、ストレートに行動やファッションで見せてくれた女優は他にいない。娘のシャルロット ゲインズブールはその両親のどちらにも似ていないが、独特の存在感のある女優だ。
監督の二人は、彼らの初めての作品「最強のふたり」で、デビューした。このとき主役に抜擢したオマール シーを余程気に入ったらしく、今回の映画は彼のために作られた映画のように思える。「最強のふたり」で彼は、半身麻痺の車椅子の人をケアする青年役を演じた。素晴らしいヒューマンストーリーで、実話なので、原作も脚本もしっかりしていて、完成度の高い映画だった。この映画の中で、車いすの男を浜辺にある美しいレストランに連れていき、会いたいが会う勇気がなかった女性を呼び寄せて、自分はアバヨと姿を消す気の利いた青年は、今回の映画では疲れた女性弁護士の肩を揉む。実に自然体で役を演じている。気の利いたフランス映画の小作品。
それにしても、アフリカからの移民で対策に汲々としているフランスの現状をよく映し出している。毎日100人単位で戦火を逃れてイタリアに流れ着く人々、命の危険を重々承知の上ボートで漂流する人々、別天地を求めてメキシコ国境を渡ってアメリカまで走破する人々、インドネシアからオーストラリアに向かって意図的に転覆寸前のボートで渡ってくる中東からの移民、、、世界中が移民で溢れかえっている。100人移民がいれば、100とうりの悲しい残酷な話を聞くことができる。
オーストラリアは、ベトナム戦争によって戦火から逃れて来たベトナム人ボートピープルを救助するまで白豪主義により、アジアからの移民を拒否して成り立ってきた。シドニーから車で3時間、ヤングの町は、いまはブドウやサクランボなどの耕作地で豊かな自然に恵まれた地域だが、1860年代には金が採掘された。14600キロの金が取れたという。にわかにゴールドラッシュがおきて、各地から金の採掘夫が集まって来た。時に中国からも数千人の採掘夫が流れ込み、彼らは安い賃金で働き、地元の採掘夫の仕事を奪ってしまった。そこで1861年から数か月にわたって武装した3000人の鉱夫が中国人を金を掘るナタやシャベルで殺しまくった歴史がある。クリスチャンで殺戮に反対していた夫婦が1276人の中国人を数か月間かくまって命を守ったという記録があるから、実際殺された中国人の被害者数は、大変な数だろう。
世界史は移民の歴史でもある。すべての国で移民が認められれば、国境は意味を持たなくなる。
国というものは難民、移民を持たないことを、前提に作られている。人は国境という囲いの中で、生きて税金を納め、税金は国民の経済活動を支え、教育、福祉、外交、医療などを保障する。越境は違法行為だ。しかし、それでも人々は国境を超える。国にとっての移民をどう捉えるか、という極めて政治的で今日的な課題を、この映画は扱っているが踏み込みが浅い。違法移民を認めるのか、認めないのか。国境を越えて生きるのか、移民を認めず排除して国境は守るものとして考えるのか。本当は二つの一つだ。中間はない。移民を受け入れるからには、自分の持っているものを分け与えなければならない。仕事を失うかもしれないし、税金の負担が大きくなるかもしれない。それでも移民という手段を取らなければならなかった人々、、、戦火を逃れ、暴力から逃げ、貧しさから救いを求めてやってきた人々を受けいるかどうかは、その人それぞれのヒューマニテイーに関わってくる。
この映画では移民の取り扱い方に、確固たる思想がないので、単なる年増女の小さな恋を描いた小さな作品になってしまっている。残念だ。
2015年4月8日水曜日
オーストラリアで老人介護
日本では世界に先駆けて2013年に65歳以上の老人が3186万人、人口の4人に一人が高齢者となった。出生率低下、少子化、高齢者人口の急増などにより健康保険制度や年金制度の見直しが急務となった。日本だけでなく先進国では、高齢化社会が急速に進行しており、2050年には、世界人口の18%が65歳以上となり、一人の老人を3人以下の生産人口が支えることになる。
オーストラリアではまだ出生率が上昇しており、日本の直面する人口減はここでは当面ない。アジアや中東からの移民も増加する一方だ。しかし平均寿命の延長、高齢者人口の増加と、医療費の高額化によって、日本同様、国民健康保険制度をこのまま維持していくことは 難しくなってきた。国民健康保険(メデイケア)の自己負担率や、一般医による診療費の自己負担など、毎回国会で論議されている。
オーストラリアはイギリスからの移民によって開拓された国なので、個人主義が徹底していて、一般に日本のように子供が年老いた親を世話する習慣はない。年を取り自分の健康に自信がなくなった人には、2つの選択肢がある。
1) リタイヤメントハウスと呼ばれるケアつきの集合住宅(日本の有料老人ホーム)に入居する。
2) 自宅にケアしてくれる人を派遣してもらって、掃除、洗濯、買い物の代行や、お風呂に入れてもらったり(ホームケア)、食事届けてもらったり(ミールアンドウィール)するサービスをコミュニテイーから受ける。
しかし、認知症が出てきたり、排せつ障害が出てくると、最終的にはリタイヤメントハウスや、ホームケアだけでは安全ではないので、老人ホームに入居して24時間のサービスを受けることになる。公立の老人ホームも、有料の老人ホームも年よりにとって人生の終着駅だ。
自宅でホームケアを受けるか、老人ホームに入るかは、二人以上の医師と、老人病専門家による老人審査の判断によって決まる。審査の結果が出ると、そのあとは、その個人が持っている財産、年金、貯金高、恩給、株、金や宝石、美術品から所持する車まで、資産を全部審査される。これは強制だ。オーストラリアでは、銀行貯金を始めるとき、厳しい身分証明が必要で、銀行と税務署とは密接に連絡を取り合っていて、まったく秘密の隠し財産っを作ることができないシステムになっている。厳しい財産、資産の審査が終わると、ホームケアを受けたり、老人ホームに入居するのに、どれだけ自己負担しなければならないかが決まる。基本的に、老人ホームの自己負担金は、1日48ドル程度だ。土地も家も何も持っていない年寄りは、無料でホームケアを受け、老人ホームに行くことができる。お金持ちは、その財産の程度によって異なった自己負担額を支払わなければならない。
オットは半年前に喘息発作と肺炎と心筋梗塞と急性腎不全と尿毒症を起こして以来障害者となった。老人審査の結果では、希望すれば24時間ケアの老人ホームに入居することもできるし、好きな時に施設で短期(1年に84日間)療養することもできるし、自宅でホームケアを受けることもできるレベル、と診断された。
病院からは、これまで歩けなくなったオットのために、スポーツ物理療法士が20回余り、ソーシャルワーカーが2回、オキュペーションセラピストが2回、訪問看護士が4回自宅に来てくれて
様々な相談に乗ってくれたり、オットをよく動かして力になってくれた。オットの長期の入院と、その後の訪問医療は、すべて国民健康保険(メデイケア)と医療保険で賄われ、一銭も自己負担はない。また私にケアラーとして,月に50ドルほどの援助金が出るようになった。わずかだが、無いよりは良い。オーストラリアの保健医療制度に感謝している。
現在オットについて、良い事は、以下3点。
1) ウォーキングステイックがあれば10メートルくらいは歩けるようになった。
2) 一時、記憶喪失が激しく認知能力も落ちたが、徐々に記憶が戻ってきた。
3) 精神的に健全で、ウツ状態には陥っていない。
しかしオットについて悪いことは、、、無限にある。
1) 週2-3回、一回5時間の腎臓透析を受けなければならなくなった。透析中、血圧の上下が激しいので、5時間のうち前後1時間ずつは、付き添ってやらなければならない。
2) 10メートル以上は歩けない。バランスも悪く、転びやすい。
3) 失業した。死ぬまで働くと言い続けてきたオットを、会社はあっさり首にした。最後の頃は体調が悪く、それでも行きたがるので車で送迎したが、職場で居眠りしたり失禁したりした。職場の判断が、やむを得ないのは解るが、毎朝早起きして職場に行きたがるオットを あきらめさせるのが本当に可哀想だった。
4) オットには友達が居ない。失業して社交相手がなくなり社会との接点がなくなった。
5) 趣味がない。私が相手をしないと何もしない。
6) 無収入になった。少し前まで私もオットもフルタイムで働いていたから老齢年金が出ない。
7) 多額の税金額を前に茫然としている。税金は前の年の収入に対して掛けられるので、無収入になっても払わなければならない。
8) 貯金がない。そんな習慣がオットにはなかった。
つくずく再認識させられたことは
1) 自分よりずっと若い男と再婚すればよかった。
2) 結婚前に貯金額を確認しておけばよかった。
自分の誤った結婚については、早まったとしか言い様がない。20年前に友人や知り合い一人居ないオーストラリアに、二人の娘を連れて移住してきた無鉄砲。着いて右も左もわからないうちに、いきなり結婚した無茶も、20年経ってから、しおらしく反省してみても始まらない。
オーストラリアメンバーズイクイテイ(ME)銀行が1500世帯を対象に調査した結果、オーストラリアの世帯の3分の1は貯蓄1000ドル未満だった。また、多くの家庭では緊急時や失業時の当面必要な3000ドル程度の調達が困難だ、という。貯蓄が習慣になってさえいる日本人には、1000ドル未満の貯金しか持っていないなんて、信じられないことだろう。しかし私がもっと驚いたのは、結婚してから互いに別会計だったので、オットの収入さえ詳しく知らなかったオットは、この多くの3分の1のお気楽オージーのお仲間だったことだ。貯金がなくても、もう年なんだから恩給や年金があるだろうと思っていたが、趣味が仕事なので死ぬまで現役で働くつもりでいて、年金など積み立てても居ない。どうして収入のいくばくかを貯金に回さなかったのか、今ごろ問い詰めても仕方がない。オツムが日本式ではない。収入いっぱいの生活をして、余れば旅行して遊んで使い切るスタイルがオージースタイルだった。
私はフルタイムで働きながら、オットの世話をしながら、生活を一人で支えなければならなくなった。誰もが社会の一線から引退して年金でつつましくも心豊かな老後を楽しむ年齢に、私は知らず知らずオットという大荷物をかかえて、走り続けなければならなくなっていたのだ。
オットが何かするたびに、何か言うたびに、文句やひとりごとで悪態をつきたくなるが、介護者としてトラブルを回避する方法は、以下4つ。
1) 冷蔵庫のドアだけでなく家じゅうの壁や柱に娘たちと孫たちの写真をべたべた貼っておく。ふと顔を上げたとき、愛らしい子供達の顔が笑いかけてくれる。娘や孫の笑顔は何よりも強力な現実逃避策だ。
2) あちこちに日本製ロイスのチョコレートを、すぐ口に入れられるようにして置いておき、オットがトイレを汚したり、1日に5回も洗濯機を回さなければならなくて、げっそりな時ごとに、すかさずチョコレートを口に入れて、その味わいに集中する。
3) オットと対面しているときは、笑顔で、片耳だけ髪にかくしてイヤホンでモーツアルトを聴いている。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第1番、モーツアルトのバイオリンコンチェルト3番。自分が弾いたことのある曲を聴いているときはどんなに周りがうるさくても曲に集中できる。
4) ギターでシングアソングライター的即興で、がなりたてる。私は知る人ぞ知る(誰も知らない)作詞家で、「あなたが死んでも泣かないかもしれない」とか、「骨は青い海に沈めて」とかいう新作(珍作)を自分で歌うのだ。オットにはもちろん日本語がわからない利点がある。
以上だ。
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