2013年1月30日水曜日
映画 「インポッシブル」
スペイン アメリカ合作映画
原題:「IMPOSSIBLE」
邦題:「インポッシブル」
監督: J A バヨナ
キャスト
マリア:ナオミ ワッツ
ヘンリー:ユアン マクレガー
ルカス:トム ホーランド
2004年12月26日に起きたスマトラ島沖地震と それに続いて起きた津波の被害にあった、スペイン人家族のお話。あの23万人の死亡者、行方不明者を出した津波だ。
これは実話です、という断り書きで映画が始まり、最後に実際に被害にあった家族写真が出てくる。主演したナオミ ワッツが、今年のアカデミー賞、主演女優賞にノミネートされている。監督は、サイコホラー映画「永遠のこどもたち」を製作したJ A バヨナ。
ストーリーは
クリスマスイヴ。2004年のクリスマスホリデーを 家族そろって過ごそうと、3人の子供達を連れたスペイン人一家が、タイのリゾートにやってくる。日本に派遣されて働いている父親ヘンリーと、医師の妻、マリアと、5歳、7歳、と15歳の3人の男の子たちだ。 寒い冬から一足飛びで真夏のリゾートに来て、クリスマスには、子供達はクリスマスプレゼントを受け取る。幸せ一杯だ。翌朝 家族は、早くから南国の強い光をあびて、ホテルのプールで遊んでいた。その時、未曾有の規模のスマトラ島沖地震が起き、近辺の海岸だけでなくアメリカやアフリカにまで波及して犠牲者が出るほど大規模の津波が押し寄せる。不気味な轟音と共に、ホテルの塀を越えて、巨大な波が押し寄せてきたとき、家族全員が あっという間に大波に流される。
波が来た時に、初めに遠くに流されていった長男のルカスを マリアは追う。名前を呼びながら、漂流物にぶつかり、傷だらけになって、マリアはルカスと一緒になると、長い漂流の末、やっとのことでマングローブの茂る浜に泳ぎ着く。マリアは肺に達する大きな傷を胸に受け、ガラスで切った片足も出血が止まらない。そんな母親を励まし、自分も傷だらけになりながらルカスは、救出されるまで 母親を気丈に支える。
ヘンリーは、波が押し寄せてきた時、幼い二人の息子を抱きかかえていた。肋骨骨折や無数の傷を受けながらも運良くホテルに近い椰子の木にひっかかり無事息子の命を守ることができた。二人の息子達を避難所に向かうトラックに載せると、ヘンリーは、7才のトマスに、5歳の弟の面倒を見るように言って聞かせ二人の見送ると、自分は長男とマリアを探し始める。おびただしい数の死体。混乱を極める仮設病院。
マリアはルカスの機転で、病院に運ばれ、胸の手術を受けるが、傷は深く衰弱が激しい。やがて沢山の人の助けや偶然が重なり、家族5人が再び会うことが出来、マリアは気力を取り戻し、、、。というお話。
2011年3月11日に、東日本大震災と、それに伴う大津波と原発事故を体験している日本人には、この2004年の大津波の映像を見るのは過酷過ぎる。と思っていたが、この映画、日本でも、じきに公開されるという。主演女優ナオミ ワッツがアカデミー賞にノミネートされたからかもしれない。確かに子供の為なら何が何でもやってのけることができる母親の姿を熱演していて、あつい涙を誘う。とても良い役者だ。
ナオミ ワッツ、44歳イギリス生まれのオージー女優。高校では二コル キッドマンと同級生だったそうだが、ニコルのように恵まれた家庭で育った女王様ではなくて、働く為に卒業もしていない苦労人。テレビ俳優だったがデビッド リンチに認められて、2001年「マルホランド ドライブ」を主演して実力を見せた。
その後、2004年に日本のホラー鈴木光司原作、中田秀夫監督による「リング」のアメリカ版リメイク「リング1」と「リング2」を主演した。日本のホラー、怪談の怖さを世界中の人々に紹介して震え上がらせてくれた功績者でもある。2005年の「キングコング」では、網タイツで踊って手品をみせてキングコングを面白がらせて辛うじて殺されずに済んだ女を演じ、2010年「フェアゲーム」では CIA職員でありながら「イラクに 核兵器どころか大量殺人兵器も無い」と本当のことを言ってしまって、CIAから命を狙われた役をショーン ペンとともに演じ、また、2011年には「「J エドガー」では、一生独身で、エドガーが死ぬまで支えて生きる地味で寡黙な秘書の役を演じた。美人なのに、総じて金髪美人の可愛い子ちゃんが良い男に会ってハッピーエンド、、というような作品に全然出ていない。「マルホランド ドライブ」でデビューということからしてメインストリームではない。頭が良すぎるのかもしれない。
映画でナオミ ワッツの夫役をやったユアン マクレガーは、41歳、スコットランド人の舞台俳優だ。この人も過酷な状況で傷だらけになりながら苦労する役が多い。2012年の「イエメンでサーモンフィッシング」は、彼にしては珍しい恋愛ものだ。彼の2011年「ゴースト ライター」が良かった。ここでも彼はCIAに最後にあっけなく殺されてしまう。
今回の映画でナオミ ワッツ以上に大活躍して「悲嘆」「絶望」そして再会後には「歓喜」をたっぷり見せてくれて泣かせてくれたのは 長男ルカス役のトム ホーランドだ。16歳のバレエダンサーということだが、華奢でずっと若く14歳くらいに見える。ジブリ作品「アリエッテイ」の主役、心臓病のショウの役を 英語版で声役を務めた。舞台「エリオット」で注目されてエリザベス女王の前でも演じたそうだ。バレエを踊る舞台俳優。将来を期待されている。
津波で人々が流されるシーンは クリント イーストウッド監督の映画、「ヒア アフター」に出てくる津波のシーンに、とてもとても似ている。透明な水の中で人々が溺れ、激しい勢いで突進してくる車や柱にぶつかり傷だらけになる。衝撃音がすごい。
でも本当の津波は、透明な波ではなくて、海底地震によって覆された海底の真っ黒い土砂の波が 暴力的にぶつかってくるのだ。この波に沈められると、海の中は何も見えないし、衝撃で多量に飲んでしまう土砂はヘドロや石油を含んでいるため急性中毒を起こして、救出されたあとで 人々は亡くなることが多い。泥が咽喉に詰まって呼吸ができなくなったり、急性肺炎も併発する。これほどの大規模の大災害にあって 混乱のなかで家族5人が再会できたことは、この映画のタイトルが言うように ほとんどインポッシブル(ありえない、不可能)なことだったろう。奇跡に近い再会だった。映画はハッピーエンドだが、現実は 23万人の死であり、とてつもない「悲惨」と「無残」な別離だった。
ヒトは、2004年にスマトラ島沖地震と津波を体験し、2011年3月に東日本大震災と大津波を経験した。ヒトは二本足で立ち、道具を自在に使えるようになると、ほかの動物も植物もすべて人が生存する為に利用し、自然を破壊してきた。自然から逆襲されても仕方の無いほどに、罪を犯してきた。いずれヒトは滅亡し、地球は無くなる。無限の宇宙の歴史から見たら、地球上で繰り返される自然災害など ちっぽけな出来事でしかないのかもしれない。
それでも私達は、こうした映画を通して 災害に出くわしたひとつの家族の喜怒哀楽に、少しでも共感したくて、映画を見る。
絶対、忘れない為に。
2013年1月22日火曜日
7人の邦人犠牲者を悼む、仏はマリ介入を止めよ
アルジェリア南部イナメナスの天然ガスプラントで起きた、イスラム武装勢力による人質事件で、軍が介入したため、日本人7人の犠牲者が出た。ロイター共同によると人質48人が殺害された と伝えられている。詳細がわかってくれば、もっと犠牲者が出る可能性もある。
イスラム武装勢力が、外国人人質を取って世界に対して「マリへのフランス軍攻撃を止めるように」訴え、要求したにも拘らず、アルジェリア政府軍が聴く耳をもたず、強硬手段に出たために、犠牲者が出た。多数の犠牲者が出たのは、勿論イスラム武装勢力のテロリズムによるが、人質交渉も、フランス政府やイギリス政府などと話し合いも一切せずに、武力で一挙に解決をはかったアルジェリア政府の責任だ。
人質をとった武装勢力は、隣国マリへのフランス軍攻撃の停止を要求していた。マリで、北部のトゥアレグ人がアルカイダの支援をうけて、勢力を拡大してきたことを憂慮するフランス軍は、マリ政府軍の要請を受けて トゥアレグ勢力を攻撃している。マリ政府軍の後にフランス軍が居て、それをイギリス、アメリカ、ドイツ、ガーナ、アルジェリアが後押しをしている。マリ国内民族問題に、フランスは口出しをすべきではない。
アルジェリアは人口のほとんどがアラブ人で 90%以上がスンニ派のイスラム教徒。天然ガスの生産量、世界第9位。今回 武装勢力に占拠された天然ガス施設は イギリスの石油最大企業BPのものだ。人質になって犠牲になった日本人は 天然ガスプラント日揮の技術者だった。国境の囲いに関わらず、企業は国境を超えて共同で利益を追う。世界が今、豊富な資源を求めてアフリカや中東の国々で勢力をのばそうとしている。資源の奪い合いだ。マリへのフランス軍介入も、豊富な資源を確保し続けることが、目的だ。
改めて7人の邦人の犠牲を悼む。フランス軍は、これ以上の犠牲者を出さない為に、マリへの介入を止めるべきだ。
イスラム武装勢力が、外国人人質を取って世界に対して「マリへのフランス軍攻撃を止めるように」訴え、要求したにも拘らず、アルジェリア政府軍が聴く耳をもたず、強硬手段に出たために、犠牲者が出た。多数の犠牲者が出たのは、勿論イスラム武装勢力のテロリズムによるが、人質交渉も、フランス政府やイギリス政府などと話し合いも一切せずに、武力で一挙に解決をはかったアルジェリア政府の責任だ。
人質をとった武装勢力は、隣国マリへのフランス軍攻撃の停止を要求していた。マリで、北部のトゥアレグ人がアルカイダの支援をうけて、勢力を拡大してきたことを憂慮するフランス軍は、マリ政府軍の要請を受けて トゥアレグ勢力を攻撃している。マリ政府軍の後にフランス軍が居て、それをイギリス、アメリカ、ドイツ、ガーナ、アルジェリアが後押しをしている。マリ国内民族問題に、フランスは口出しをすべきではない。
アルジェリアは人口のほとんどがアラブ人で 90%以上がスンニ派のイスラム教徒。天然ガスの生産量、世界第9位。今回 武装勢力に占拠された天然ガス施設は イギリスの石油最大企業BPのものだ。人質になって犠牲になった日本人は 天然ガスプラント日揮の技術者だった。国境の囲いに関わらず、企業は国境を超えて共同で利益を追う。世界が今、豊富な資源を求めてアフリカや中東の国々で勢力をのばそうとしている。資源の奪い合いだ。マリへのフランス軍介入も、豊富な資源を確保し続けることが、目的だ。
改めて7人の邦人の犠牲を悼む。フランス軍は、これ以上の犠牲者を出さない為に、マリへの介入を止めるべきだ。
2013年1月19日土曜日
映画 「ヒッチコック」
原題「HITCHICOCK」
監督:サーシャ ガヴァン
キャスト
アルフレッド ヒッチコック:アンソニー ホプキンス
アルマ レヴィル:ヘレン ミレン
ジャネット リー:スカーレト ヨハンソン
アンソニーパーキンス:ジェームス ダーシー
アルフレッド ヒッチコックは「サスペンスの神」と言われて、後続の映画人に多大の影響を与えた。ジャン リュック ゴダールや、フランソワ トリュフォーなど、ヌーベルバーグの旗手達からは、神様のように崇拝された。(今になって思えば 神はヒッチコックではなくて ドナルド チャップリンの方だったと思うけど。)彼は、ロンドン生まれのアイルランド人。27歳で、監督で脚本家だったアルマ レヴィルと結婚。二人してハリウッドに移ってから、サスペンス、犯罪物の白黒映画で大成功した。
自分が映画好きになったのは 多分にヒッチコックの影響による。小学生高学年から中学生のころ、テレビで1時間物のヒッチコックシリーズが放映されていて、ヒッチコックが番組の後に登場して、解説をする。物語のなかに、ヒッチコック本人がさりげなく通行人や 特徴のある体形の本人の「影」などになって出演していて、それを探すのも面白かった。
普通の人が、とんでもない人違いで事件に巻き込まれたり、二重人格の人の恐ろしい犯罪が起きたり、善良そうな夫に保険金を掛けられて 妻が殺されそうになったり、効果音を使って、恐怖心が煽り立てられる。ドキドキ、ハラハラ 怖がりながらも画面から目を離せない。事件のキーになる物、電話とか鍵とか色とか音を、実に上手にハイライトさせて、あとで「ああ そうだった。なるほど。」と、納得させて事件の解決をみる。観ている時は気がつかないが、「ダイヤルMを廻せ」では撮影に 普通の電話の倍も大きな電話を使って「事件のキー」を暗示していた。さりげない会話が 後で重要な事件解決の鍵を暗示していたりもする。
サスペンスは いわば作り手と観客の頭脳ゲームのようなものだから、画面ひとつ見逃せない。そんな映画の面白さを教えてくれたのが ヒッチコックだった。
ハリウッド パラマウントも、当時の最高の男優、女優を彼の映画のために提供したと思う。
1940年の「レベッカ」では、ローレンス オリビエと、ジョーン フォンテイーン。1945年の「白い恐怖」では グレゴリー ペックとイングリッド バーグマン。1946年「汚名」では、ケイリー グラントとイングリッド バーグマン。1954年の「ダイヤルMを廻せ」では、レイ ミランドとグレース ケリー。54年の「裏窓」では、ジェームス スチュワートとグレース ケリー。「泥棒成金」では、ケイリー グランドとグレース ケリー。1958年「めまい」では、ジェームス スチュワートとキム ノヴァック。1959年の「北北西に進路をとれ」では、ケイリーグランドと エバマリー セイント。1960年の「サイコ」では アンソニー パーキンスとジャネット リー。1963年の「鳥」では ロッド テイラーと、テイッピ ヘドレン。1964年の「マーニー」では ショーン コネリーとテイッピ ヘドレン。1966年の「引き裂かれたカーテン」では、ポール ニューマンとジュリー アンドリュース、、、などなど、これだけ豪華な役者達を自由自在に使って自分の映画を作った。すごいなー。彼の映画をほぼ全部みている自分にも 少しあきれる。
彼の映画の中で、一番好きな作品は、「レベッカ」1940年作だ。年の離れた男の屋敷に、後妻として迎えられた幼妻ショーン フォンテイーンを震え上がらせる前妻レベッカの影、、。ラストシーンで、レベッカの付き添い女中が屋敷に火を放ちレベッカの影とともに、炎に焼かれて狂い死んでいくシーンなど、怖くて怖くて映画を観たのは10歳前後だったのに、昨日見た映画のように克明に記憶している。
1969年作の「サイコ」はやはり、映画史上に残る名作だろう。映画「ヒッチコック」は、この「サイコ」を作る過程を描いた作品だ。
ストーリーは
「北北西に進路を取れ」が 思いのほか製作費がかかったためパラマウントには予算がない。ヒッチコックは、実際に起った女性大量殺人のノーマンべイツ事件をもとに人格障害でサイコパスの男による残酷殺人事件の映画を作ることに決めていた。犯人は母親しか愛せない男で、母親がすでに死んでいるのにミイラ状態になった母親を抱いて眠る。歪んだ性衝動は若く美しい女性を殺して切り裂くことで解消していた。映画のタイトルは「サイコ」。
当時、「サイコパス」(精神病質)という医学用語が一般に知れ渡っていなかったし、女性大量殺人のような「きわもの」を扱うのは、B級のグロテスクえいがと決まっていたので、ヒッチコックのアイデアは パラマウントに受け入れてもらえなかった。そのためヒッチコックは 自宅を抵当に入れて、自分で資金を作り、低予算の白黒映画「サイコ」に取り掛かった。
自分も監督だった妻のアルマは、おもしろくない。主役になるジャネット リーを、初対面ですぐに気に入ってしまったヒッチコックを見ていて、「あ、またか。」と夫の悪い女癖に腹が立つ。アルマは脚本家のウィッドフィールド クックと共に、ヒッチコックの次の作品の脚本をすでに用意してあった。にも拘らず夫はそれを読もうともしない。夫に愛想がつく。一方、ウィッドフィールドはアルマを女王様のように扱ってくれて優しい。女心がなびかないわけが無い。彼はアルマのために海沿いに家を借りた。子供のようなヒッチコックの世話に疲れると、アルマはその海の家でウィッドフィールドと肩を並べてタイプライターをたたく。
それに気がついたヒッチコックは アルマとぶつかり合い、怒鳴りあい、責め合う。しかし、ヒッチコックが過労で倒れたのを機に、アルマは自分を必要とする夫のもとに帰る。以降、二人三脚で作り上げた低予算映画「サイコ」は、大成功する。というお話。
太って特殊メイクを施したアンソニー ホプキンスより、妻役のヘレン ミレンの演技が素晴らしい。夫への「嫉妬」と「諦念」。若い男への少女のような「憧憬」と「落胆」を、みごとに表現している。
エドガー フーバーを演じたデカプリオ、マーガレット サッチャーを演じたメリル ストリープ、マリリン モンローを演じたミッシェル ウィリアムズ、アウンサン スーチーを演じたミッシェル ヤオ、、、ここでヒッチコックを演じたアンソニー ホプキンスが加わると、比較してちょっと、がっかり。本物のヒッチコックのかもし出す、おっとりしたユーモラスな姿の印象が強すぎて ホプキンスがヒッチコックに見えない。
「サイコ」の主人公はアンソニー パーキンスなのに パーキンスのそっくりさんジェームス ダーシーなど、2時間余りの映画のうちの数分しか出番がなくて、これではあんまりじゃないか。でもそれは、「サイコ」でパーキンスに殺されるジャネット リーのシャワーシーンが有名になりすぎたからかもしれない。特殊効果音とともに サイコパスに襲われるシーンの怖さは本当に並外れて怖い。
映画の中でヒッチコックが、ジャネット リーの気を引こうとして、アルマが妊娠してしまったので僕達は結婚せざるを得なかったんだ と言うシーンがある。また、アルマはアルマで 若い脚本家に 私が先に映画監督だったのよ。ヒッチは助監督だったんだから、、、と言うシーンもある。浮気は後ろめたい。だから浮気に走る口実が要る。
ヒッチコックは もう30年あまり結婚生活をしているのに むかしむかし妻が妊娠してしまったからやむなく結婚したという口実で 若い女性との浮気の口実にしてきた。アルマは自分も才能があったのに ヒッチだけが脚光をあびて有名になり自分は裏方役に押し留められている不満を隠せない。
ヒッチコックは 大きな子供のように、短気で感情を抑制できない。怒ると馬鹿食い、がぶ飲みを止められなくなって、ほとんどアル中。おまけに映画に出演した女優に次から次へと手を出す。そんな 現実のヒッチコックが、自分がイメージしていた上質のユーモアを持った紳士のイメージに そぐわない。イメージが重ならない という違和感が映画が始まって終わるまで消えなかった。「サスペンスの神様」も 所詮俗人です、と言われて なんか、ちょっと、しょげてしまった。
2013年1月14日月曜日
映画 「ライフ オブ パイ」
原題:「LIFE OF PI」
邦題:「ライフ オブ パイ、トラと漂流した227日」
原作:「パイの物語」ヤン マーテル
監督:アング リー
題名の通り16歳の少年がインドからカナダに渡航する途中で 海難事故に遭いトラと救命ボートで漂流した末に救助される冒険物語。
ストーリーは
パイは動物園を経営する父親と教養ある母親とに間に生まれ育った。数学に出てくる、割っても割っても割り切れない円周率のパイにちなんで名前をつけられた。幼い内から よく勉強が出来て、パイがスペルが「PI」で発音するとピー(おしっこ)とも読めるために、小学校で虐めにもあうが 逆に秀でた知識で生徒ばかりか先生方からも尊重させるようになる子供だった。ヒンズー教だけでなく、イスラムにも仏教のもキリスト教にもユダヤ教にまで 改心し、すべての宗教と自分は協調して生きていけると信じていた。そんな一風変わり者のパイも16歳になり、美しい少女に恋をする。 しかし家族はカナダに動物園ごと移住することに決めていた。
大型貨物船に沢山の動物達や彼らの食料を乗せ、家族の旅が始まる。しかし、出航してしばらくすると嵐に遭い船は沈没、パイは傷ついたシマウマとともに救命ボートで脱出する。嵐が過ぎ去り、パイは両親も兄弟も失ったことを知る。
運良く生き残ったオランウータンを海上から拾い上げ、ボートに積まれた非常食を探索していると、救命ボートの船底から獰猛なハイエナが飛び出してくる。ハイエナは傷ついて動けないシマウマとオランウータンを襲う。パイの素手では、小さなボート上の殺戮を止めることができない。しかし、船底には、ハイエナをも簡単に食い殺すトラが潜んでいたのだった。トラは次々と動物を餌食にする。パイは寸でのところで、いかだを作ってボートから乗り移り、トラの攻撃から逃げ延びる。
救命ボートのトラと、それにくくりつけられた、いかだに乗るパイとの生存をかけた闘いと漂流が始まる。 パイは、いかだで雨をためて、魚を釣って生き延びる。そしてボートに移って、トラと水と食料を分け与える。トラが空腹に耐えかねて飛び魚を追って、海中に飛び込むと、その隙にボートに乗り移って、救命ボートの船底から水や非常食を取り出す。パイとトラは、何十日も漂流し、いくつもの嵐を乗り越えるうち、互いに生き残り同志の共存関係が出来てくる。パイは、トラが生きているからこそ自分も生きる意味を持つことができるのだということを知る。
227日たった。とうとう、島にたどり着き、ボートが砂浜に打ち上げられるが、パイにはもう砂地を立って歩く力がない。トラはボートから飛び下り、林に入って行って姿を消した。林に姿を消す前に 一度だけ振り返ってトラはパイを見つめた。
というお話。
冒険小説でお伽噺だが、とても映像が美しい。3Dの必要はない。3Dでなくても充分過ぎるくらい自然が美しく描かれている。大海の日の出と日没。輝く果てしない海の大きさ。くらげが漂い、鮫が回遊し、巨大な鯨がボートをかすって行く。荒れる海、なぎの梅。海の表情を映しだすカメラワークが秀逸だ。
映画のはじめのころに、出てきて、回想の形で繰り返されるインドのまばゆいばかりの色彩の多様さ。色とりどりの花々、インド舞踊の衣装の美しさ、香りたつようなインドの少女たちの美しさにも心奪われる。
おまけに、コンピューターグラフィックで、ここまで出来るのか、と驚くほど動物達の表情が豊かで動きがリアルだ。トラがパイと漂流するうちに段々とやせ細り、最後に林に姿を消す頃には 骨と皮になっている。とてもリアリテイがある。
トラはリチャード パーカーという名前を持っている。エドガーアラン ポーの「ナンタゲット島出身のアーサーゴードンビムの物語」という1838年に書かれた恐怖小説があって、小説の中で4人の男が海で難破した末、リチャード バーカーという男が3人に殺されて食べられる という話がある。で、実際1884年に実際に、同じ状況で、カニバリズムがおこり、偶然殺されて食べられた男がリチャード バーカーという名前だった、という記録が残っている。本当だったら、ポーの小説よりも怖い。
しかしこの映画のリチャード バーカーというトラは、むしろ、ヒンズーの輪廻思想で、トラは人の生き代わりなので、大切にしなければならないという思想からきているのだと思う。パイの動物園では このトラは始めからリチャード バーカーを呼ばれて尊重されていた。
貨物船の食堂で働く、人種差別でタチの悪いコックが出てくるが、彼はジェラール ドバルデュー。フランス人の役者だが、最近、フランスにこのまま居ると収入の65%を税金で取られるばかりなので、と、国籍を捨ててロシア人になってしまったことで話題になった。
この映画で、残念なのは、モノローグがインド人独特の強いアクセントの英語で ものすごく聞き取りにくいことだ。英語で語ってくれるが、英語の字幕をつけてもらいたかった。
でも身も心も引き込まれる冒険物語。 文句なしに映像を楽しめる。
本当に美しい映画だ。
2013年1月3日木曜日
映画 「レ ミゼラブル」
原題:「LES MISERABLES」
監督:トム フーバー
キャスト
ジャン バルジャン:ヒュー ジャックマン
コデット :アマンダ セルフライド
フォンテーヌ :アン ハサウェイ
シャベール警部 :ラッセル クロウ
マリウス :エデイ レッドメイン
エボニーヌ :サマンサ バークス
ヴイクトル ユーゴーは フランスを代表する作家で、ロマン派の詩人。ボードーレールを見出して世に紹介たことでも有名。たった23歳で詩作や小説を評価されて、レジオンドヌール勲章を受け、ルイ18世から高額の年金を受け取っていた。にも拘らず、リベラルな知識人として、コメデイフランセーズの台本で、王政を笑い上演禁止になったり 1848年にはルイ ボナパルトが政権をとると これに真っ向から反対して弾圧され、ベルギーに亡命せざるを得なくなった。以来、1870年でナポレオンが失脚するまでフランスに帰ることができなかった。 小説「レ ミゼラブル」は ベルギーで出版される。
クリスチャン精神に裏打ちされた人道主義。人としてより良き人として生きようとする男、ジャン バルジャンの半生を描いた。1本のパンを盗んだゆえに19年間投獄され、出獄後 一晩の宿を許された教会から銀食器を盗み、捉えられるが、神父から、それらは盗んだものではなく与えたものだ、と証言されて罪を逃れる。この神父に 良き人として、人の為に生きることを諭されて良心に目覚める というお話は余りにも有名。 子供の頃は 岩波少年少女文庫で読み、中学では細かい字の大人用の本で読んで、心が躍った。ジャン バルジャンと警部シャベールとの確執、どこまでも追ってくる執念の塊のようシャベールの恐ろしさ、パリの地下水道のドラマテイックな逃走、コデットを虐め抜く叔父叔母のいかさま師ぶり、せっかく安定した生活ができるようになり人々の信頼を得て市長にまで成りながら、他の男がジャン バルジャンとして逮捕されたと知ると、すべてを投げうって出頭する勇気、、、ジャン バルジャンの冒険に息もつけずに読み進んだ。人間として、良き人として生きる決意、少女を守り、幸せになるまで見届けると言う断固とした決断、自分の良心を見つめる厳しい目、本当に素晴らしい名作。感性豊かな子供のうちに 是非読んでおくべき本のひとつだ。
ミュージカルはロンドン コペントガーデンで上演されて大成功、ロングランで、今でも上演が続いている。ロンドンで観られると思っていたが、運悪く、丁度劇場の修理で滞在中に観られなかった。 映画化してフイルムを作ったのは トム フーバー。「英国王のスピーチ」を作った監督。 ジャン バルジャン役は オージーの、歌って踊って演じる、ヒュー ジャックマン。44歳。身長190センチの大きな体で、ミュージカル「オズから来た男」を演じて、オーストラリアよりもアメリカで先に、人気者になった。全然名前のない役者時代に テレビで共演した7才年上のオージー先輩役者デボラリー ファーネス(全然美人じゃない)と結婚して以来、ずっと離れたことが無いという仲良し夫婦だ。
このミュージカル映画は、演技を撮影した後、レコードしておいた歌を画面にくっつける従来のミュージカルの製作方法をやめて、演技と歌をライブで撮影している。そのため どの役者の歌も迫力のある臨場感に満ちている。
映画の最初のシーンに、みな度肝を抜かれるのではないだろうか。オーケストラの重厚な響きで始まる大スペクタクルだ。どでかい帆船を修理するために港のドッグに船を停留させるために何百人もの囚人たちが鎖につながれたままロープで船を牽く。ドッグの畝かと思っていたものが、船をひくロープでそこに豆粒のようにへばりついていたのは 疲れ果てた囚人たちだったのだ。 ここでヒュー ジャックマンが歌う「囚人の歌」がすごい迫力だ。彼いわく、36時間水を飲まないで居ると、顔が4.5キロ痩せることが出来る。そうして自ら激しい頭痛と戦いながら脱水し、骸骨のような形相になってこのシーンを演じたのだそうだ。恐るべき執念。本当に圧倒された。
驚いたのは、コデット役のアン ハサウェイが、とても高い綺麗な声で歌っていたこと。娘のために痩せた体で、身を持ち崩し初めて体を売ったあとに歌う「I DREAMED A DREAM」(夢やぶれて)は、可哀想で不憫で 聴いていて自然に涙が浮かんでくる。 でも、エプニーヌ役のサマンサ バークスには勝てない。彼女の歌唱力は本物だ。たった一人、片想いとわかっていて自分の愛した青年を見つめる けなげな純真さを「オン マイ オウン」で歌い上げる。その姿に胸がつまる。
ジャン バルジャンが富も名誉も地位も捨てて、身代わりに拘束された男を救うために名乗りを上げる決意を示す「WHO I AM」(おれは誰だ)も、すごく良い。もう怖いくらい。
たくさんの登場人物に繰り返し繰り返し歌われる「民衆の歌」は 本当に心に響く。貧しくて もう失うものなど何もない民衆蜂起の歌の合唱が、映画を観終わった後でもずっと頭の中で繰り返されて、忘れられない。
原作が良いので ミュージカルにしても、映画にしても人の心を打つ。古典作品だが 今でも人々は富める物と、何も持たないものとに分断され、厳しい生活の中でも、人は愛する人のために身を投じ、良心をもって良き人でありたいと念じて生きている。150年前に出版された文学作品だが、少しも古くない。今日でも全く新しい。
これだけ力の入ったミュージカルをほかに見たことが無い。2013年のアカデミー賞は、全部これにあげたら良いのではないだろうか。
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