2011年11月30日水曜日

ロイヤルオペラ 「アドリアナ ルクブルール」



ロイヤルオペラ 「アドリアナ ルクブルール」のハイデフィニションフイルムを映画館で観た。
http://www.roh.org.uk/whatson/production.aspx?pid=13793&claim_session=1

1902年 フランシスコ チレーナ作曲
イタリア語 4幕 2時間30分
初演:1902年 ミラノ テアトロリリコ

アドリアナ ルクブルール :アンジェラ ゲオルギュー(ソプラノ)
マウリッオ        :ヨナス カーフマン (テナー)
公爵夫人         :オルガ ボロデイナ  (メゾソプラノ)
侯爵           :デヴィッド ソール (バス)

ストーリーは
ルイ14世統治時代のパリの社交界。
実在したコメデイーフランセーズの花形女優アドリアーナ ルクブルールと 公爵夫人が 同時に愛したザクセン伯爵との間に起った、ラブ トライアングルを基にして作られたオペラ。
女優のアドリアナ(アンジェラ ゲオルギュー)は 若き伯爵マウりッオ(ヨナス カーフマン)と愛し合っていて いつか結婚できる日を待ちわびている。一方、ミショネ舞台監督は、アドリアナを娘のように女優になった今までの彼女を育ててきたが、実は愛していて いつか胸の内を伝えたいと思っている。しかしそれは かなわない片思いだ。
ブイヨン侯爵は コメデイフランセーズのパトロンで、女優を愛人に持っている。妻との間はすっかり冷め切っている。
マウリッオは 長いこと公爵夫人と愛人関係にあったが、女優アドリアナと出会ってからは 何とか 公爵夫人と別れたいと思っている。しかし、自分の政治的立場から 侯爵夫人を怒らせると 謀反人として逮捕される可能性があるため、夫人を邪険にすることができない。

ある夜、ブイヨン侯爵の別荘で マウリッオと公爵夫人が逢引しているところを 突然、夫の侯爵が帰宅した。マウリッオは あわてて夫人を小部屋に隠す。そこに、女優のアドリアナまで 夕食に招待されて やって来た。偶然にマウリッオに会えて、アドリアナは驚き、喜ぶ。しかし、マウリッオは、アドリアナに 小部屋に隠れている女を逃がしてやってくれ と頼みこむ。夫人が隠れていた暗闇の小部屋のなかで、アドリアナと夫人は初めて出会う。そこで、二人は互いに恋敵であることを知ってしまう。自分だけがマウツオに愛されていると信じてきた二人は、互いに気が狂わんばかりに、嫉妬する。

後日 ブイヨン侯爵家のパーテイーで アドリアナは再び夫人に会う。楽しいパーティーの出し物のあと、夫人から余興を求められたアドリアナは 夫人へのあてつけから 夫を裏切って浮気をする淫らな女のせりふを 舞台で熱演して 夫人を侮辱する。
その数日後、アドリアナのもとにマウリッオから贈物が届いた。喜々として開けた その箱の中にあったのは 以前アドリアナがマウリッオにあげたスミレの花束だった。スミレは色を失い、すっかり枯れていた。アドリアナは驚き悲しむ。悲嘆にくれる彼女を慰めようと 舞台監督や陽気な役者仲間が来て、つかの間の楽しい時を過ごしている時に、マウリッオがやってくる。公爵夫人と別れてきたところだ と言い、彼はアドリア名に求婚する。夢にまで見た求婚、、。
しかし、アドリアナは「いいえ、私は結婚しない。役者として演技に生きるの。」といって断る。そうしているうちに、アドリアナの意識が混濁してきた。公爵夫人から贈られた枯れたスミレには 毒が仕込まれていたのだった。アドリアナはマウリッオの腕のなかで 息絶える。
というおはなし。

第一幕のアドリアナのアリアは マリア カラスが最も愛したアリアだ。カラスのCDを買うと 必ずこの曲が入っている。「わたしは舞台女優なの。芸術の神のしもべです。」という とても堂々とした素晴らしい曲だ。カラスの突き抜けるような 激しい強靭さはないが、ルーマニア出身の個性派、アンジェラ ゲオルギューが歌うと 優雅で鞭のようにしなやかなアリアで 聴いているだけで胸がいっぱいになってくる。
ミッショネ舞台監督の 片思いもせつない。
ミッショネに対するときは、アンジェラは 子供のような表情と幼女のようなあどけない仕草を見せるが、マウリッオを相手にしている時には 炎のように燃える女に変わる。その変化がみごとだ。役者としてもソプラノ歌手としても超一流ということだろう。素晴らしい。

そして、カーフマン。日本でも一番の人気。今や世界でトップのスターテナー歌手だ。ハンサムで背が高く、姿良し、歌良し、芝居良し、何でも100点満点の歌手。豊かな声量は プラセタ ドミンゴを上回るほどだ。
彼のオペラを観るのは2度目。初めは、ニューヨークメトロポリタンオペラのニーベルングの指環から、「ワルキューレ」で、ジークムントを演じた。歌うだけでなく 演技の冴えに目を瞠った。高音が気持ちよく伸びて あふれるほどの声量で歌い上げる。まったく ただものではない。今回のロイヤルぺラでも、自己保身のために昔の女を捨てることができず、優柔不断な色男の難しい役を 実に リアルに演じていた。
オペラみたいな愛に身を任せてみたいとか、オペラのような恋をしたい という言い方があるが、文字通り舞台の上のカーフマンのように激しく求愛されてみたい と誰もが思うことだろう。

チレアのオペラは 初めて観たが、筋が単純で曲がすべて美しい。アドリアナが求婚を断るところが良い。愛してきて求婚されることを望んできたのに 相手の不実を知って、優柔不断な姿を見てしまったあとでは、謝られても求められても 簡単には受けない女性としての誇りがある。女には純真な思いを傷つけられ、男には悪かったという心の負債があるから、どうあがいても 関係はもとには戻れない。愛した男に求婚されてNONと言える 自立した誇り高い女がここに居る。
チレアのオペラが素晴らしく、歌手たちも申し分なく すばらしい。とても満足した。

2011年11月22日火曜日

映画「作者不詳:シェイクスピアの匿名作家」


映画「ANONYMOUS」を観た。邦題がどうなるか まだわからないので 仮に「シェイクスピアの匿名作家」、または「作者不詳」、「筆者不明」などという仮題にしておく。
http://www.imdb.com/title/tt1521197/

シェイクスピアが謎の人物であることは周知の事実だ。
ウィリアム シェイクスピアは、英文学の最高峰、英国を代表する劇作家で詩人。
記録によると、1564年に生まれて1616年に亡くなったことになっている。出身はイングランド地方ストラトフィールド アポン エイボン。父は町長に選出されたこともある皮手袋商人、母は裕福な家庭出身で、3番目の子供として生まれ、ストラトフィールドにグラマースクールで学んだ。
その後、高等教育を受けたかどうか、全くわかっていない。18歳で26歳の女性と結婚したあと どんな職業についていたか、など何の記録もない。28歳くらいでロンドンに姿を現し 劇場で役者として演じたり、脚本を書くようになった記録がある。

この16世紀という時代には一握りの人間しか物を書くことが出来なかった。田舎で生まれ育ち、結婚し、高等教育を受けたかどうかわからない人間が 人間への観察と人生に深い洞察をもった膨大な量の文学作品を書くことが出来るだろうか。ヨーロッパ各地の気候や風土にも詳しく、外国を舞台に悲劇や喜劇を書き残し、舞台でも成功させた。仮に天才だったにせよ、たった一人でできる仕事量だったろうか。シェイクスピアは生前、自作の信頼できる出版を ひとつとして刊行しなかった。シェイクスピアは、本当に数々の作品を書き残した人物と 同じ人物だろうか。

この問いの一つの答えを映画監督、ローランド エメリッチが映画で描いてくれた。
エリザベス一世の時代。スコットランド、イングランド、アイルランド全土を エリザベス女王が治めていて、政治的に安定していた時期だ。エリザベスは芸術を愛し、詩や物語を愛したが とりわけ劇に興味を持っていた。ロンドンではエリザベス朝演劇の興隆にともなって劇場活動が盛んになった。オックスフォードの最も古い歴史を持つ貴族、エドワード デ べラ(伯爵1550-1604)は 幼い時から自分で脚本を書いて芝居を作る才能に恵まれていたことから エリザベスは 彼を子供のときから寵愛した。そして親が亡くなると、エドワード デ べラはエリザベスの宮廷に迎え入れられ、秘書官のウィリアム セシルによって、ラテン語、フランス語、ダンス、乗馬、射撃などのスポーツにいたるまで王室教育を受け 世界各国を旅行し軍隊経験もして育った。美しい少年から立派な青年に成長したエドワードが 文学だけでなく武道にもスポーツにも才能をみせるに伴い エリザベスは 彼をはるかに年下でありながら 男として愛情を持つに至る。

エリザベス女王の秘書官として政権を補佐をしてきたウィリアム セシルはエリザベスの義母の結婚相手でもあったが 詩や文学を学問の中では一番卑俗なものととらえ、エドワードの文学的才能を嫌っていた。セシルはエリザベスが子供のときから その教育係であったが、エリザベスが政権を継いでからは 政務全てにわたる補佐官として絶大な影響力をもち、息子ロバート セシルにも同じようにエリザベスに仕えさせていた。ロバート セシルは脊椎湾曲症の障害を持っていて、エリザベスの秘書官として終生を忠実に仕えている。

エリザベスとエドワードとの熱愛関係が 目に余るようになると、セシル父子は 政治的な計略を仕掛けて エドワードを謀反人として隔離し、女王から遠ざける。しかし、実はエリザベスは エドワードの子供を妊娠していて、秘密裏に男子を出産していたのだった。
エドワードは セシルの計略どおりに セシルの娘と結婚を強いられ、セシルの屋敷に住むことを強要される。愛人を奪われ、望みを失い、エドワードはセシルの屋敷で、書斎に篭ってばかりいる生活を送るようになった。

一方、街では演劇が盛んで 劇場が次々と出来て、市民も貴族もみな芝居を楽しんでいた。ベン ジョンソンという劇作家が 芝居の中で政治批判をした罪で逮捕された。罰を受ける寸手のところで エドワード デ べラが救いの手を差し出す。ベン ジョンソンを自分の書斎に招いて、エドワードは自分が書いた戯曲を ベンの名前で発表して上演して欲しいと頼み込む。セシルも妻も エドワードが戯曲を書くことを 禁じていたが、エドワードは書くことを止めることが出来なかったのだった。渡された芝居はどれも上演されて 市民の間で大好評だった。エドワードも芝居を見に来て、自分が書いて 演じられている芝居を観て楽しんでいた。以来、べンは定期的に エドワードの屋敷に行き、脚本を受け取り、それを上演するようになっていた。

劇場でシェイクスピアの名が もてはやされるようになって、観客達はシェイクスピアを見たがった。そこで大人気を良いことに 俳優の一人が自分がウィリアム シェイクスピアだと名乗りを上げた。この役者は ろくに文字も書けない男だった。これにはエドワードもベンも驚いたが シェイクスピアがこの役者と結びついて 人々の人気者になっていくことをとめることはできなかった。

エッセックスのリチャード デべラクス伯爵が セシルの命令によって謀反人として逮捕された。そのとき、一緒に逮捕された伯爵の親友が じつはエドワードとエリザベス女王との間に生まれて 密かに育てられていた息子だった とセシルから知らされて、エドワードは慟哭する。すぐに、エリザベス女王に膝をついて、息子の恩赦を乞う。女王は怒り狂う。しかし女王は、エドワードとの愛情の結晶だった息子に 恩赦を与える。そのかわり、エドワードの名を消し去るように、どんな記録からも消して、追放する と宣言する。

エドワードと息子とは 初めて出会い 親子として、しっかり抱きあう。
こうしてエドワードは 晩年、宮殿を追われ、貧しい暮らしの中で執筆を続け、死んでいった。死の直前、ベン ジョンソンが呼ばれ すべての著作がベンに手渡される。セシルはエドワードが書いたものをすべて葬り去ろうと火を放つが、ベンの機転で、著作の数々は守られ 後世に伝えられていく。
というおはなし。

2011年 トロント国際映画祭の開会式で初めて上映された新作映画。
1550年から1604年までのロンドンを背景に、VFX CGテクニックを使って シェイクスピアの謎に迫ったフィクションミステリーだ。
シェイクスピアは 数々の作品を書いた人物ではなく、実際の作者はオックスフォードのエドワード デ べラ伯爵ではないか、という説は 昔から根強くあった。この伯爵が 文芸にすぐれた知識人で、エリザベスと親しく、宮廷で音楽会や芝居を催して 女王や貴族達を喜ばせたことは事実とされていて、謎の多い人物でもある。たしかにシェイクスピアの作品をみれば エドワード伯爵のように、特別な英才教育を受け、ヨーロッパ各地を自由に旅行するだけの資格と資金を持った人間でないと書けなかっただろうと思われる。

「ヘンリー4世」、「リチャード3世」、「ヴェニスの商人」、「ロメオとジュリエット」、「リア王」、「ジュリアス シーザー」、「アントニオとクレオパトラ」、「真夏の夜の夢」、「マクベス」、「お気に召すまま」、「じゃじゃうまならし」、「テンペスト」などなど。美しいソネットの数々、、、。
多様で、膨大な著作の数々。シェイクスピアが誰なのか、、、一人ではなく、複数の作者が居るのではないか、エドワードではないか、フランシス ベーコンか、クリストファー マーロウかも知れない、、、いまはもう誰にもわからない。
しかし、彼の作品が ほかの誰にも書けなかった 素晴らしいものであることは、誰にも否定できない。

バネッサ レッドグレープが演じる、エリザベス女王がすごい迫力だ。いまだに健在でうれしい。
エドワード デ べラを演じた ライ インファンズと、若い頃のエドワードのジェイミー キャンベルが とても魅力的。素晴らしい演技をみせてくれた。
エリザベス一世の時代、セシルとの関係など、また諸外国との関係など、いろいろ出てきて、英国史のおさらいで勉強になる。当時の豪華な衣装や 儀式などの時代背景や ロンドンの市民の姿なども とてもよくわかって興味深い。
とても良い映画だ。

2011年11月18日金曜日

ピカソ展ーパリピカソ美術館から




パブロ ピカソは生前 何度も結婚したり 愛人をたくさん持ったが、愛人のフランソワーズ ジローに、こう言ったそうだ。「女というものは苦痛ばかりを作り出す機械のようなものだ。自分にとっては女は二種類しかいない。女神か、あるいはドアマットだ。」
また、ピカソは どうして子供のような絵を描くのか、と問われて「私が子供のときはラファエロのような絵を描く事が出来た。しかし一生と言ってよいほどの時間をかけて、やっと子供のような絵が描けるようになったのだよ。」と。
たくさんのピカソの言葉が残っている。しかし、私が一番好きな 彼の言葉は、この言葉だ。「明日 描く絵が一番 素晴らしい。」疑いようのない自信と楽天性に満ち溢れている。なんて 素敵な言葉だろう。

パリ国立ピカソ美術館から、150点のピカソの作品が海を越えて、シドニーにやってきた。NSW州アートギャラリーで 11月12日から来年3月25日まで展示される。入場料$25、学生と60歳以上は、$18。
パリのピカソ美術館は 1973年に ピカソが死んだ後 遺族が遺産相続税を支払う代わりにフランス政府に寄付された作品を収容、一般公開するために開設された美術館だ。200点余りの絵画、彫刻、3000点のデッサン、88点の陶器を所蔵している。今回は この中から、150点の絵画とブロンズが シドニーにやってきた。
さっそく行って見た。
ピカソが描いた年代順に 10の部屋に分かれている。

第1室
1895-1905:「青の時代」
スペインからパリへ。
ピカソは 幼いときから美術教師だった父親から、絵画の才能を見出されていた。13歳で描いたデッサンなど、とてもその年齢の子供が描いたものとは思えない熟達した筆だ。19歳でパリに行き、印象派後期の画家達と交流し、多くのものを学ぶ。この頃は、暗いブルーとグレーを背景に、乞食、売春婦、ホームレスなど 社会から疎外された人々を描く。1904年になってモンマルトルに居を構え、ヘンリー マチス、アンドレ デライン、ガートルード ステインなどと親交を結び 赤の時代を迎える。
ここで、本物の「セレステイーナ」1904の絵をを初めて観た。青の時代の代表作だ。子供の頃 父の書斎で画集を見ていて、この暗い暗い、片目の怖い顔の中年女性の絵を見てしまって、恐怖に慄いて その夜はうなされたことを思い出した。ほかには、インクによるエッチングで、「断頭台の処刑人」1901などが印象的だった。

第2室
1906-1909:「赤の時代」
この頃描かれた「アビヨンの娘達」1907は、ニューヨーク近代美術館所蔵なので 今回は観られないが、アバンギャルドの先がけとなりピカソの赤の時代の代表作となる。「自画像」1906を観ることができた。白の壁に ほとんど白と言って良い肌色の自分の姿だ。「木の下の3人」1907が とても印象的だった。

第3室
1910-1915:「キュービズム」
最も尊敬していたに、セザンヌの死後、ピカソはジョージ ブラックと親交を結び、実験的にブロックを積み重ねたような抽象画に、鮮やかな色彩を塗り重ねる 彼独特のキュービズムの世界を切り開く。キャンバスを切り刻み 木を貼り付け、鉄の断片をキャンバスに取り付ける。実物を見てみたかった「ギターを持った男」1911を 観ることが出来た。

第4室
1916-1924:「古典主義への回帰」
第1世界大戦を前後して ローマやポンペイを旅行した影響もあって、古典主義にもどり、独自のシュールリアリズムと 古典とを融合させていく。またジャン コクトーと親交をもち、一緒にバレエの演出や衣装に参加する。その縁で、ロシア貴族出身のバレリーナだったオルガ コクローバと結婚。裕福なオルガは ピカソをパリの上流階級の人々に紹介し、ピカソの世界を広げることに力を貸した。「オルガのポートレイト」1918を 観ることが出来た。
「すわる女」1920、「村のダンス」1922など、太い手足、大きな指、柔らかな体の線、暖かい血が通った男女達の姿、、、。
このころのピカソの絵が一番好きだ。中でも 「海辺を走るふたりのおんな」1922が、際立っている。海の鮮やかなブルーが他の作品にない美しさで、海辺を走る女達の純真さと 歓びを全身で表しながら走る姿がなんとも言えない、魅力のある作品だ。この絵を見るために、この展覧会に行ったようなものなのに、思ったよりも小さくて、もう少しのところで見落とすところだった。あぶないあぶない。

第5室
1925-1935:シュール リアリズム
この時期になると 人は人の形をしていない。より抽象的になり より実験的な作品が増えてくる。
「女の頭」1931、という題の大きなブロンズが 5つほど並んでいた。どれも丸みを帯びて 優しく、ブロンズなのに柔らかさが感じられる。デフォルメされた女、ブロンズの「石を投げる女」1931も良い。「赤い椅子にすわる女」1932、「キス」1925、「本を読む人」1932、「休む裸婦」1932、「パレットとイーゼルを持つ画家」1932も 好きだ。

第6室
1936-1939:「愛と戦争」
スペイン市民戦争の勃発によって「ゲルニカ」1937 を製作し始め、写真家ドラ マールと同棲を始める。彼女は、ゲルニカが出来上がるまでのピカソの姿をフイルムで記録する。
「ドラ マールの肖像画」1937は、ロボットのような女の横顔と正面の見た顔とを張り付けたような絵だ。「泣いている女」1937、「父の妻」1938、「青い帽子の女」1939、が印象的だった。

第7室
1949-1951
1949年にナチスがパリを侵略、占領していた間 ピカソの多くの友人達はパリを離れたが フランコ政権のスペインを捨ててきたピカソはそのままパリに留まり製作を続ける。多くの作家達、芸術家達が 志願して戦ったスペイン市民戦争にも、ピカソは志願しなかった。自分を共産党員だといいながら、何一つ政治的な動きに関与していない。
巨大な作品「韓国の大虐殺」1951は、無防備な女子供達が完全装備の武器を持った男達に蹂躙されている作品だ。このころのピカソはアメリカで高く評価され、21歳の画学生 フランソワーズ ジローと出会い、二人の間にクラウド(1947)とパロマ(1949)の二人の子供をもつ。

第8、9室
1952-1959:「生の歓び」
ピカソは ジャクリーヌ ロークに出会い 二人して南仏に移る。「腕を組むジャクリーヌ」1954は 鮮やかな色彩で 人生を謳歌しているようだ。また、巨大な白と黒だけで描いた「枕を持った女」1969が印象的だ。「やぎ」1969という実物大のやぎのブロンズも美しい。

第10室
1961-1971:「晩年期」
最後のころのピカソは 現代美術の先駆者として描き続ける。「わたしは呼吸するのと同じに描いている。」と言っているが、彼にとって、描くことは 息をするのと同じに自然なことだった。1973年4月 91歳で亡くなるまで製作を止めなかった。最後の日、ジャクリーヌは 親しい友人達を晩餐に呼び、皆で彼を見送った。最後の言葉は、「僕のために飲んでくれ、僕の健康のために飲んでくれ。僕はもう飲めないよ。」

今回の展示では、総じて、絵画も良いが ブロンズがたくさん来ていて、それらがとても良かった。その重量感、存在感の確かさに圧倒される。
一度に150のピカソの作品を観られる機会は、一生にそう何度もないだろう。4ヶ月もの間 シドニーで展示してくれるのは ありがたいとしか言いようがない。
展示が終了する3月まで、何度か また足を運んで見ることになると思う。行くたびに きっと新しい発見があることだろう。

写真は
「海辺を走る二人の女」1922
「本を読む人」1932
「韓国の大虐殺」1951

2011年11月14日月曜日

映画 「ドライブ」



監督:ニコラス ウィンデイング レフィン
キャスト
ドライバー  :ライアン ゴスリング
アイリーン  :カーレー ムリガン
雇い主シャノン:ブライアン クラストン
アイリンの夫 :オスカー アイザック
バーニーローズ:アルバート ブロックス
二ノ     :ロン パールマン

http://www.imdb.com/title/tt0780504/
ストーリー
カルフォルニア。名もない映画のスタントマン(ライアン ゴスリング)は 運転にかけては誰にも負けない。プロのレーサー並みの速さでスポーツカーを乗りこなし スタンドマンとして、どんな危険な運転でも怪我一つせずに 冷静にやってのける。その腕を買われて 時には強盗や犯罪者の逃亡を助けて そのアガリを受け取ったりもする。どこの誰なのか、何をしてきた男なのか、彼の素性については誰も知らない。ある日 ふらりと自動車修理工場シャノン(ブライアン クラストン)の店にやってきて、修理の腕前を見込まれて、そのまま働くようになった。いつも無表情で 極端に口数が少ない。しかし、よく働いて、まじめな男として、シャノンとの信頼関係はしっかり築かれていた。

ある日 このスタントマンは 自分のアパートに引っ越してきた 子連れの若いシングルマザー(カーレー ムリガン)に目を留める。数日後 彼女が路上で 車をオーバーヒートさせて困っていたところを助けたことが契機で 母子と親しくなる。5歳の男の子は 運転が上手で、もの静かな このスタントマンのことを大好きになる。スタントマンは男の子に請われるまま運転してやったり 遊んでやるようになっていく。
しかし、アイリーンの夫(オスカー アイザック)が 刑務所から刑期を終えて 帰ってくる。帰ってきた夫を見ても 若い妻の心はすでにスタントマンに移っていて、妻はもとの夫に 自分の心をもどすことができない。

夫の存在ゆえに、スタントマンもアイリーンも互いの気持ちを伝えることが出来なくて、苦しむ。そんなある日、アイリーンの夫が 襲われて半死状態に遭った。襲ったのは、スタントマンに 強盗や犯罪人の逃亡を助ける仕事をいつも依頼してくるイタリアマフィアたちだ。話を聞いてみると、アイリーンの夫は イタリアギャングに利用されて 他人の代わりに刑務所に入って代償金をもらっていた。アイリーンは何も知らない。

スタントマンはまた 質屋に強盗に入った犯人の逃亡を助ける仕事を依頼される。今回の強盗は、アイリーンの夫と ブランコという名の女性の二人だ。スタントマンは二人の強盗が金を持って出てくるのを店の前で待っている。女が奪った大金の入ったバッグを持って 車に乗り込む。次いでアイリーンの夫が質屋から出てきたところで、予想外のことが起る。彼はあっけなく撃ち殺され、それと同時に他の車がスタントマンたちの車を追ってきたのだ。逃げ切って スタントマンは金の入ったバッグを信頼できる 雇い主のシャノンに預ける。しかし女は襲われて撃ち殺され、スタントマンは ギャング達に執拗に追われる。

スタントマンはアイリーンに事情を話し、一緒に来てもらいたい、一生母子を守って暮らしたい と申し出るがアイリーンにはどうしてよいのか わからない。そうするうちにも追ってが迫る。金を預けたシャノンが殺された。シャノンはイタリアギャング達も、スタントマンをも欺いて 金を独り占めしようとしていたのだった。スタントマンは シャノンを襲ったイタリアギャングに復讐する。
しかし、自分も致死的な怪我を負う。アイリーンはスタントマンについて来ない。ひとりきりになってしまったスタントマンに もう金など意味がない。ひとりきり、また どこかに運転していくだけだ。
というお話。

テイストが 懐かしのカウボーイ映画「シェーン」、、、あのシェーン カムバックに似ている。クールなハードボイルドだ。男は愛してしまった女と ベッドを共にしない。だからこそ、最後に一緒に付いてきてくれ と女に言う言葉が際立って生きてくる。決断できないでいながら、愛している女の純真が痛々しい。
ストーリーをみると、ハードボイルドの男の姿が浮かび上がってくるが この映画のおもしろさは、主役をライアン ゴスリングにしたところにある。優しい顔、およそ暴力をふるう姿が想像できない良い人の典型みたいな役者だ。痩せ型で胸の筋肉が ついているわけではない。ニコラス スパークス作、ラッセ ハルトレム監督の「きみに読む物語」で、アルツハイマーで夫や子供もわからなくなった妻のために毎日物語りを読んで聞かせる夫を演じて、世界中の女達を泣かせて味方にしてしまった。彼が哀しそうな顔をしていると飛んでいって 抱きしめてやりたくなる。そんな男がクールに 悪者をやっつけて女と子供を守る。

作品がデンマーク人の監督によるものなので、ちょっとハリウッドのハードボイルドとはテイストが異なる。
音楽は ダイナモフォンとエレキギターを使ったエレクトリック ポップだ。そんな音楽をバックに、夜のロスをひとりきり運転するライアン ゴスリングは ひどく孤独にみえる。
ハッピーエンドじゃないところも クールだ。

映画「三銃士 王妃の首飾りとダヴィンチの飛行船」



原作 アレクサンドル デユマ
監督 ポール W S アンダソン

ストーリーは
17世紀 フランス。
田舎からパリにやってきたダルタニアンは 剣はたつが 無鉄砲で負けん気の強い青年。成り行きで 国王の近衛隊と敵対したため、親衛隊に追われた三銃士の仲間になる。ルイ13世はフランス国土を統治していたが、国政に関わっているフランス宰相リシュリューは ハプスブルグ家出身の王妃とは敵対し、バッキンガム侯爵のスパイでもあった。彼は配下に ミレデイというスパイを 自由に使って国王を操っていた。
イギリスのバッキンガム侯爵とフランス国王は、ダ ヴィンチが設計した飛行船の設計図をめぐって争奪戦を起こしていた。飛行船はドーバー海峡を容易に越えて、相手国に侵略するための兵器になる。表では優雅で儀礼的な外交を行っているが 英仏両国は 一触触発の状況にあった。

リシュリュー宰相は国王に 王妃との関係にヒビを入れるため、国王が贈ったダイヤの首飾りを バッキンガム侯爵が訪問する日に身に着けないと 女王の国王への忠誠が疑われる、と、そそのかす。一方でダイヤの首飾りを 首尾よくミレデイに盗ませる。首飾りが盗まれたことを知った女王は、三銃士とダルタニアンに助けを求める。フランス国王と女王に忠誠を誓う三銃士とダルタニアンは 即座にイギリスに向かい 首飾りを取り返して 無事国王と女王の仲を取り持つことが出来た。
というお話。

アレクサンドル デュマによるクラシカルな少年少女冒険物語だ。何回映画化されたか 数え切れない。ハリウッドに新人でハンサムな役者が出るごとに アラミスやダルタニアンを演じさせて、映画化されているような気がする。
記憶を遡ってみると、1973年の「三銃士」が一番良かった。ダルタニアンにマイケル ヨーク、アラミスにリチャード チェンバレン、リシュリューにチャールトン ヘストン、コンスタンスにラクウェル ウェルチ、ミレデイーにフェイ ダナウェイだ。これで つまらない映画になるわけがない。
1994年には フランス映画「ソフィーマルソーの三銃士」で、マルソーが ダルタニアンの娘役で活躍した。1998年「仮面の男」というタイトルで、ルイ14世にレオナルド カプリオが、アトスにはジョン マルコビッチという興味深い配役の三銃士が作られている。また、この有名なお話は、ミュージカルにも バレエにもなっている。

今回の映画では 3Dフイルムで飛行船が出てくるところが新しい。レオナルド ダヴィンチが 飛行船の設計図を残していたことは事実だ。この飛行船が 英仏戦争に活躍して、あり得ないような活劇が展開される。三銃士が空を飛んだり跳ねたり 一人の銃士が何十人もの敵兵を 簡単にやっつける。ダルタニアンは恋した女性のために 何が何でもがんばる。何十人もやっつけて 自分は怪我ひとつしない。フランス国王は 宰相に操られて いかにも愚かだ。すべて単純化されて、漫画化されている。
ちょっと前だったらダルタニアン役にふさわしいオーランド ブルームが 悪役バッキンガム侯爵になっている。ミレデイは 美しく着飾り つっかえとっかえ豪華な服をまとって出てきて、時として必要もないのにタイツ姿になって見せてくれたりするが、魅惑的なスパイとして役になりきっている。のびのび演じている と思ったら監督の奥さんだそうだ。二時間の映画、無駄に長い。3Dフイルムが 余り効果を発揮していない。話が単純化されすぎていて、実際のアレクサンドラ デュマの原作の奥の深さが失われている。

このお話を胸躍らせて 読み進んだのは小学校3年くらいのころだっただろうか。「三銃士」、「岩窟王」、「マルコポーロの冒険」、「15少年漂流記」、「ハックルベリーフィン」、など冒険物語が大好きだった。この頃読んで想像力を膨らませる歓びに比べると 映画で筋を追う楽しさは はるかに劣る。やはり、冒険物語やスリラーやミステリーは読むに限る。読んでしまってから、映画で楽しむのが正しい順番というべきか。

このことば、カール マルクスの言葉かと思っていたけれど、デュマの言葉だったのね。「一人は皆のために、皆は一人のために」。この台詞で 4人が剣をかざすシーンが良い。
「UN POUR TOUR、TOUS POUR UN」

2011年11月10日木曜日

映画 「ミッドナイト イン パリ」




ウッデイ アレンの新作映画 「ミッドナイト イン パリ」を観た。アレンの41番目の作品だ。

フランスのサルコジ大統領がモデルだったカルラ ブルニと結婚したとき、カルラのほとんど裸と言って良いモデル時代に撮られた写真を 世界中の新聞社が トップページに でかでかと掲載されたことは 記憶に新しい。その彼女も 一児の母になった。出産のその日 サルコジは ギリシャの経済破綻をいかに救うかで、ドイツのメリケル首相と会談していて、妻の出産に立ち会うことが出来なかった。夫の立会いが当たり前の社会で、出産は夫婦で一緒に経験する試練の機会だというのに 夫はチャンスを逃した。ギリシャをユーロ圏に留めて置くことを優先した結果 夫婦の間にヒビでも入ったら、サルコジは泣くにも泣けないだろう。

そのカルラ ブリニ サルコジが 清楚で知的な美術館のガイド役で この映画に出演している。カメラの接写や キャッツウォークを楽々こなし、フランス語の本を即興の英語で語って聞かせる。知的で 小粋で、ファッションセンス抜群で とても美しい。感心してしまった。

1920年代のパリで活躍していた アーネスト ヘミングウェイも、スコットとゼルダ フイッツジェラルド夫婦も、T S エリオットも、マン レイも 出てくる。おまけにパリのベルエポックの時代にまで遡ってくれて、モジリアニ、ロートレック、ゴーガン、ゴヤ、セザンヌ、ダリ マテイスまで出てくる。過去の栄光パリ、輝けるパリ、芸術のパリ、印象画のパリ、ムーランルージュのパリ、マキシムのパリ、シャンソンのパリ、、、。
ニューヨーク、ブロンクス生まれのユダヤ人のウッデイ アレンがいかに、パリに魅惑されたかが わかる。この映画は彼自身の最初のパリ体験とパリカルチャーショックを映像化したものだ。

ストーリーは
カルフォルニア生まれのジル ペンダー(オーウェン ウィルソン)は作家で ハリウッド映画の脚本を書いている。今執筆しているのは、ノスタルジーという名の店の骨董屋をやっている男の話だ。しかし、婚約者のインツ(レイチェル マクアダムス)は 全然彼の作品を理解しようとしないし、脚本が退屈だと言う。インツは裕福な家庭の娘だ。インツの父親は、パリに商用ができた。これを機会に彼は 妻と娘と その婚約者ジルをパリに伴っていき、パリで休暇を過ごすことになった。

ジルは 初めてのパリに有頂天になる。何もかもが輝いて、芸術の香りがする。過去と現在が混在していて、見るもの聴くものすべてが刺激的だ。ジルはパリを じっくり探索したいのに、婚約者のジルは母親と買い物、夜は商談相手の接待のデイナーなどで、スケジュールは一杯だ。ある夜、友達と出かける婚約者を見送り、ジルは やっとひとり夜の街をぶらつくことになった。歩き歩いて 迷子になることさえもパリでは 心踊る体験だ。そんなジルの前に 深夜の鐘が鳴ると同時に、黄色のプジョークラシックが走ってきて停車する。

誘われるまま乗り込んだ車の中に居たのは 陽気な飲んべい達、スコットとゼルダ フイッツジェラルド夫婦だった。行った先はジャン コクトウの家。ピアノの前には コール ポーターが居て、ピアノの弾き語りをしている。活発な文学談義のあとは、そのままの流れで、意気投合した皆と ガードルード ステインのサロンに出かける。アーノルド ヘミングウェイや、ジョセフィン バーカーにも会って 文学論争を楽しむ。おまけに 自分が書いた脚本を ガードルード ステインに見てもらうことになってジルの心は躍った。酔って帰ったホテルで 婚約者と過ごしても 真夜中に作家達に出合った歓びが大きすぎて 昼間は退屈で仕方がない。

次の夜も次の夜も、ジルは 自分の原稿を抱えて街角に立ち 真夜中にやってくる黄色いプジョーを待つ。乗り込んでしまうともう、夢のような素晴らしい世界だ。モジリアニの元愛人で、ピカソの愛人、アドリーナが ジルの作品を高く評価してくれる。それが嬉しくて ジルは美しいアドリーナの恋をする。アドリーナと一緒に、サロンに集う作家や画家達と刺激的な会話を楽しむ。パリではどんな魔法も望めば実現するのだ。

とうとうジルは婚約者インツに愛想をつかされ 彼女の家族が滞在していたホテルから追い出される。ジルは自由になって、ひとり雨の中をそぞろ歩きする。パリでは雨に濡れることさえ 素晴らしい。
というお話。

これは全く ウッデイ アレンの青春時代に起ったこと そっくりに違いない。1920年代と、ベルエポックの二つの輝ける時代のパリに 焦がれる余り パリを彷徨う若い作家の魂が描かれている。実際、書きかけの脚本が パリで完成することが出来た というような体験もあったのだろう。若い日々の自分を笑ってみせているが、本心は真剣そのものだ。新しいものばかり追い求めてきたニューヨーカーが ノスタルジアという店をやる男の話を書き、タイムスリップしたパリで 自分は2010年から来た旅人だ と言っても誰も驚かない。なぜなら アドリーナもヘミングウェイもフイッツジェラルドも画家たちも皆シュールリアリズムの芸術家だからだ。そこが面白い。

配役では ジルにオーウェン ウィルソンという どちらかというと醜い顔のもっさりしているが知性のある役者を使ったのは、気が利いている。アレン自身が 自分が醜いことをよく知っている。
芸達者な役者たちが 次々とピカソになったり、ロートレックになったり、マチスやゴーギャンになったりして それらしく演じている。フイッツジェラルド夫婦が本当の本人達のようだった。また アドリアン ブロデイ演じるダリも本物みたいだった。すごく素敵だ。
ウッデイ アレン、、、さすが。よく考えて 実によく作られている。90年前のパリのサロンに集まる芸術家達の会話を聞いてみたい人、ベルエポックの頃の画家達に会ってみたい人にとって、この映画は得がたい作品といえる。ウッデイ アレンが嫌いな人でも、この映画なら好きになれる。

芸術家でなくても 深夜の鐘が鳴ったら 角で黄色のプジョーがやってくるのを待ってみたくなるに違いない。

キャスト
ジル ペンダー :オーウェン ウィルソン
婚約者 インツ ;レイチェル マクアダムス
コール ポーター :イブス へック
アーネスト ヘミングウェイ:コリー ストール
ゲートルード ステイン:キャッシー べイツ
アドリアーナ:マリオン コテイラルド
パブロ ピカソ:マルセル デイ フォンゾ ボー
サルバドール ダリ:アドリアン ブロデイ
マン レイ    :トム コルデール
ルイス ブニュエル:アドリアン デ ヴァン
T S エリット   :デヴッド ロウ
エドガー ドガ  :フランコス ロステイン
ヘンリ ロートレック:ヴィンセント メンジョウ コルテス 
ポール ゴーガン :オリバー ラボーデン
ヘンリー マチス :イブス アントワヌ スポト
レオ ステイン  :ローレント クラレット

2011年11月4日金曜日

アンネ ソフィーオッターとその仲間達のコンサート



去年の9月に すでにチケットを買ってあって、もうキャンセルできないシドニーシンフォニーのコンサートに、近所に住む娘と二人で行ってきた。娘はインフルエンザに罹患して3日目、4時間ごとに強力な鎮痛剤を必要とする身。私は 長い長いインフルエンザからくる諸々の症状からようやく回復したばかり。一人で行くつもりだったが、娘がタクシーで駆けつけてきた。
家に残してきたオットは 腰痛で歩けず、どんな鎮痛剤も効果がない痛みで、とうとうモルヒネを使うことに、、。もうひとりの娘は ニューカッスルで夫と二人の赤ちゃんと全員が これまたたちの悪いインフルエンザで 嘔吐と下痢と発熱で全滅状態 という有様。

今年のシドニーの春は最低だ。桜も桃も ワトルの花も終わり ジャカランダの花が咲き始めたというのに いっこうに気温が上がらず 昼間は初夏らしく気温20度を越えるが、朝晩急激に気温が下がり、冷えるので病人が続出している。
毎年この季節には、たくさんの花が咲き、かすれ声で鳴く練習をしていた野鳥の赤ちゃん達が 飛び、さえずることができるようになって、にぎやかな季節のはずなのに、今年は全く様相が異なる。こんなに家族全員が寝込むような春も珍しい。

http://www.youtube.com/watch?v=0tJbJvKzuEo&feature=related
オペラハウスで歌ったのは、スウェーデンから来たメゾソプラノ歌手、アンネ ソフィー ボン オッター。彼女が友達のチェリスト スベンテ ヘンリソン、ピアニストのジョー チンダモ、ドラムのゴードン ライトを連れてきた。去年の段階では、彼女がフィンランド人のヴァイオリニスト ペッカ クシストを連れてくるはずだった。しかし、今や ペッカは、アンネ ソフィーよりも ずっと人気者になってしまって、たった一日のシドニーのコンサートにために来られる余裕はなかったのだろう。

ペッカの代わりに、チェロのスベンテ ヘンリソンが来た。アンネ ソフィの歌と、チェロとドラムとピアノだけのコンサートだと思っていたが、フルサイズのシドニーシンフォニーオーケストラがバックで演奏していて、若い指揮者、ニコラ カーターが全曲 指揮をした。これがとても良い指揮者で 印象に残った。アシュケナージの後に こうした地元オーストラリア出身の若い優秀な指揮者が育って居ることが、頼もしい。

プログラムは
1)ミルハウド ダルス「THE CREATION OF THE WORLD」
2)ジョセフ カンテローブ「SONG OF THE AUVERGNE」
インターバル
3)ハンズ クラウサ:プラハで生まれ45歳でアウシュビッツで亡くなった作曲家による「小さなオーケストラのための序曲」
4)スべンテ ヘンリソン「チェロ協奏曲」自作自演
5)ガーシュインなどの作品からポピュラーソングを7曲
  ジャズ、バラードなど。

ガーシュインの数曲以外 知っている曲のひとつもないコンサートだった。アンネ ソフイーのメゾソプラノが 思いのほか伸びない。声にハリとつやと輝きがない。思えば彼女の声は全盛期を過ぎている。もうオペラは無理か。フランスのフォークソングやジャズやバラードなら歌える。フルオーケストラを後ろに 気持ち良さそうにスウィングしている彼女は 美しい。絵になる。でも、それもあと10年 持つか持たないか。

チェリスト スベンテ ヘンリソンが良かった。自分が作曲したチェロ協奏曲をシドニーシンフォニーと一緒にソロでやって、素晴らしい演奏と卓越した技術をみせてくれた。彼がチェロを弾き始めると、目の前に大平原が広がり、豊かなサバンナが見えてくる。空気はあくまでも透明に乾いており、冷たい。岩塩の板を運ぶ駱駝が その優雅な足取りで砂漠を進んでいく。日が昇り、大平原の向こうに日が沈む。ゆったりしていて、大きな愛情に抱き抱えられているような安心感のある 美しい曲だった。彼の存在そのものに、才気がほとばしっている。将来のあるチェリストなのだろう。

やっぱりチェロの音は良い。不思議とヴァイオリン弾きがヴァイオリン奏者と幸せに暮らしている人が、身近にいないが、ヴァイオリン弾きとチェロ奏者の夫婦なら10組くらい知っている。ヴァイオリンはわがままな楽器だから、別の楽器奏者か、まったく楽器をやって居ない人との方が うまくいくのかもしれない。オーケストラにいたとき 一番気の合う人はコントラバス奏者だった。歌手ではソプラノよりはアルトを歌う人、テノールよりはバリトン歌手と一緒に居て 気持ちが落ち着く。
サッカーならばゴールキーパーが好き。野球ならキャッチャー、ラグビーなら断然フルバックだ。

コンサートの前、オペラハウスの横で、ハーバーブリッジや港に停泊している大型豪華船をみながら 寿司屋で握ってもらった折り詰を 娘と開けた。次の瞬間 何かの音がしたと思ったら、わさびのついたシャリだけが地面に転がっていた。何が起ったのか、皆目見当がつかない。私も娘も向かい合ってテーブルに置いた折り詰を前にして、何も見なかった。
目にも留まらぬ速さでカモメが 折り詰の中央にあった赤貝の寿司を奪っていったのだ。何も見えなかったのに。
目にも留まらぬ早さとは、こういうことだったのか。動物って すごいな。
敵ながら あっぱれ あっぱれ。