2011年10月4日火曜日
映画 「借り暮らしのアリエッテイ」
「借り暮らしのアリエッテイ」のヴィデオがやっと手に入って 観る事が出来た。世界中に感動のメッセージを送り続けているスタジオ ジブリの作品。日本では昨年公開されてヴィデオも出ており もう話題にもなっていないかもしれない。
たくさんのジブリの作品を観てきた。
一番好きなのは、「となりのトトロ」と、「風のナウシカ」。
二番目に好きなのが「耳を澄ませば」と「魔女の宅急便」。
どの作品も、登場する女の子が その年齢に関係なく親から精神面で自立している。決断するのは いつも自分自身の判断だ。勇気があって潔い。
原作:メアリー ノートン 1952年出版「床下の小人たち」
企画 脚本:宮崎駿
音楽:セシル コルベル
監督:米林宏昌
40年前から 宮崎駿と高畑勲によって企画されていたそうだ。
公開にむけて 東京都現代美術館と、兵庫県立美術館で、種田陽平展が開催され 身長わずか10センチの小人の世界を体験できる、巨大なセットが組まれジブリの世界が体現されたそうだ。
映画は、全国447のスクリーンで公開され 初日2日で興行収入9億円 68万人の動員、映画観客動員ランキング1位を記録。2010年度の邦画の興行収入第1位、92,5億円を記録した。韓国、台湾、フランスでは公開されたらしいが、オーストラリアには来なかった。
ストーリーは
翔の両親は離婚していて、母親は翔を 自分が育った祖母の古い屋敷に預けて海外出張している。思い心臓病の翔は これまでに何度か心臓手術をしていて、再び 一週間後に手術を受けることになっていた。
おばあさんの家には 長いこと小人が住んでいる。
かつておばあさんの父親は 屋敷で小人を見たことがある。そんな小人達が快適に暮らせるように夢みて、小人の家を作らせた。家具や日用品、電化製品まで本物とそっくりに 専門職人に作らせたものだった。寝室、応接間にリビング、台所は電気をつければ本当に調理もできるオーブンや食器まですっかりそろっていた。
そのおじいさんが亡くなったあと、小人の家は娘に引き継がれ、彼女が小人が現れるのを ずっと待って すっかりおばあさんになってしまっても小人を見ることがなかった。そして、小人の家は翔に引き渡された。
翔は おばあさんの家に着いた その日に庭で元気な小人が 草の間をすり抜けて行く姿を見ていた。そして、その夜 14歳になった小人のアリエッテイは、父親とともに翔の寝室を探索にきて 再び翔に見られる。小人は人間の家の床下に済み衣食住に必要なものは 「借りて」くることで生きてきた。人に見られてはいけない という掟を持っていた。今まで 人や鼠やカエルなどの小動物に見つかって命を奪われた小人が 沢山居たのだ。
孤独な翔は アリエッテイと友達になりたい。しかしアリエッテイが 人と関わりを持つことは小人の世界全体を危険にさらすことだった。
翔の様子を見ていた家政婦のハルさんは 翔が小人と関わりをもっていることに 気がついていた。家の管理をまかされている家政婦にとって 台所から食物を「借りて」いく小人は泥棒だ。捕まえて ねずみ駆除業者に引き渡さなければならない。そう考えてアリエッテイの母親 ホミリーをつまみ出して ねずみ駆除業者に渡そうとする。家政婦ハルさんと、アリエッテイと翔との戦いが始まる。
アリエッテイは 翔の機転と活躍のおかげで 家族を取り戻し 安全な場所に移動していく。翔との別れが迫っていた。
というおはなし。
「12歳の心臓病の男の子」が とてもよく描かれている。他の子供と同じことが出来ない、待つことに慣れ、受動的で一種のニヒリズムのような諦念に居る子供の様子が とてもリアルに書かれている。
むかし、心臓病の子に たった一人の親友と言われていた時期がある。小学校、中学とラジオ体操や体育はいつも見学、遠足に参加したことがない、いつも気難しい顔をして ひとりきり。話しかけると 思い切り皮肉めいた言葉で傷つけられる。裕福な家庭の子で、下手に出て ふざけてみると、思い切り高みから残酷で軽蔑のこもった悪意と嘲笑で、攻撃してくる。たまにしか学校にこれないのに 思いカバンを持ってやるどころか、一緒に横に歩いてやる子など 全く居なかった。わたしは普通に話しかけていたが あとでその母親から「たったひとりの親友になってくれて ありがとう。」と言われた時はめんくらった。
だから、翔が 初めてアリエッテイを見たとき、「本当に居たんだね。」とさして 驚いた風もなく言う様子や、アリエッテイに再び会って、君達一体何人いるの?人間は68億人も居るんだよ。 小人は やがて絶滅する存在なんだよ と 平気で言える。子供らしくない翔の諦念と、多少投げやりな様子や倦怠感の漂う身のこなしなどが、とてもよくわかった。
その翔が 「見てもいい?」と問い、アリエッテイをみた瞬間に 恋をする。大きく目を見開き 思わず「きれいだね。」と。今までの口調や表情と打って変わって 恋する男の子の顔になる。
その瞬間がとても良い。
受動的に生きてきて 何時までも自分は寝たきりで友達もできない、一週間後の手術など成功しようがしまいが どうでも良い と思ってきたが、翔に大切なものができた瞬間の 大きな変化。何が何でも生きていきたい。恋を知らなかった翔から 恋を知った翔への変貌。
一方のアリエッテイは すでに翔を初めて見たときから恋をしていた。初めて父親と探索に出たときに 翔の顔をまともに正面から見てしまい その瞬間に、恋をしていた。だから 翔からの角砂糖を返しに行く時の懸命さも、「私達にもう構わないで。」と言ってみせる強がりも、際立っている。
そんな惹かれあった少女と少年が 小人を泥棒としか捉えられない家政婦の悪意に立ち向かう。アリエッテイは 母親をつれ戻しに行くことに一瞬の迷いも 躊躇もない。翔は そのアリエッテイの姿に感動しながら 家族の結束、生きる力、愛する人を失なうまいとする懸命さを学ぶ。
最後、アリエッテイは心を込めて 翔の指を抱きながら涙を落とし、自分の髪留めを翔に差し出す。翔は 君は僕の心臓の一部だ といって それを受け取る。なんと言う心と心の 強い結びつきだろう。
アリエッテイの気持ちを思えば、翔は自分の手術が成功しようがどうでも良いとは、断じて言えない。彼は一人ではないのだ。アリエッテイのために 生きなければならない。
人は誰でも 自分の心にアリエッテイの髪留めを持っていたならば、どうでも良い生き方など できない。自殺などできるわけもない。道を誤ることもない。他人を傷つけることもないだろう。
自分の心に アリエッテイの髪留めをもち、君は私の心臓の一部だ といえるような人を探し続行けたい、誰もが 観ていて そう思ったのではないだろうか。見終わって、深い感動が染み渡ってくるような、良い作品だった。