2011年9月17日土曜日

エフゲニー キッシンのピアノリサイタル



ロシアからエフゲニー キッシンが来て 3夜だけオペラハウスでピアノを弾いてくれた。
第1夜は キッシン一人だけのリサイタル。第2夜は アシュケナージが指揮するシドニー シンフォニー オーケストラをバックに グリーグのピアノコンチェルト Aマイナー、第3夜は ショパンのピアノコンチェルト 第1番Eマイナーを シドニーシンフォニーと共に演奏する。

6月に やはりランランがシドニーに来た時も 彼は3夜だけ演奏した。第1夜が ランランの独奏のリサイタルで ベートーベンのソナタなどを弾き、第2夜は ラフマニノフピアノコンチェルトを、第3夜は チャイコフスキーのピアノコンチェルトを シドニー シンフォニーと共演した。ラフマニノフのピアノコンチェルトを聴きに行ったが、シドニー シンフォニーに落胆、、、今回も同じ事を繰り返したくないので、第2夜と第3夜を避けて、第1夜の彼の独奏を聴きに行った。全曲 フランツ リストだ。

プログラムは
1)超絶技巧エチュード リコルダンザ 作品139
2)ピアノソナタ Bマイナー 作品178
休憩
3)詩的で宗教的な調べ 作品173
4)巡礼の年 スイス一年目 作品160
5)巡礼の年 ベニスとナポリニ年目 作品162
アンコールに リストの「愛の夢」

シドニーオペラハウス コンサートホールの2500席が ひとつの隙間もなく埋まった。2時間の彼の演奏の間、2500人が静まり返り、息をするのも躊躇われるような時もあった。
もともと形にこだわらないオージーは 楽章ごとに拍手するし 演奏中でも気に入ればブラボーを叫ぶし、クラシックファンでも行儀が良いとはいえないが それでも今回は程よい緊張が見られた。詰め掛けた人々は、若い人が多く ピアノを勉強している生徒達の熱をもった目で キッシンの一挙一頭を追っている姿が 印象的だった。やっぱり、ピアノがとても好きな人って、居るんだなあ。

エフゲイ キッシンは 1971年生まれ。ユダヤ系のロシア人。2歳でピアノ教師だった母親の目を盗んでピアノを弾き始めた という。10歳でピアノ協奏曲を演奏して世に認められ、12歳で モスクワ フィルハーモニーオーケストラをバックに ショパンのピアノコンチェルトを弾く姿がフイルムで発売されて、世界の注目の的になった。
カラヤン、アバド 小沢などの指揮で ベルリンフィルハーモニーオーケストラや、ロンドン交響楽団と共演している。
ショパン、リスト、ベートーベン、チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフなど、超技巧的な曲でも、世界各国の民謡でも 何でも弾く。

http://www.evgenykissinfansite.co.uk/id12.html
今年40歳とは思えない 少年のような姿。憂いを含んだ目ざしで、ただ一心に弾く。全然笑わない。ものすごい集中力で鍵盤に向かい、細心の気使いで 計算しつくされた完璧な音を出す。一音一音が すっきり空気を通して立ち上がってくる。ものすごいスピードの中でも 音に一点の曇りもない 明快な音。

オペラハウスの空気を凍らせて断ち割るようなフォルテシモ、 そして、胸が締め付けられるようなピアニシモの対照の美しさ。音のひとつひとつが 宝石のように輝いている。
となりに座っていたオージーの青年が ピアノが強音を奏でている時は 身を乗り出して 弱音になると胸をかきむしって音に没頭していた。わかる。 同感だ。
ピアニシモに胸をかきむしられる思い、、、本当に このピアニストは何という表現力を持って居るのだろう。この人は10本の指で 人間の情感の全ての喜怒哀楽を表現する力を持っている。こういうひとを天才をいうのだろう。ピアノが弾けるということと、ピアノで弾いてみせるということが全然ちがうということが しみじみとわかる。

彼のリサイタルが終わり オペラハウスを出ようとすると、若い人たちが彼のCDを握りしめ、並んで彼が楽屋から出てくるところを待っていた。その列の長いこと長いこと、数百人。
エネルギーを使いきっただろうキッシンに サイン攻めは とても気の毒だと思いつつ 平日の夜なので 家路を急いだ。ピアノを勉強している若い人々に サインという宝物が欲しい気持ちはわかる。しかし、それをもらうために長く並んで待つのだったら、時間を惜しんで 真剣に鍵盤に向かい、しっかり練習しなさい と言いたくなる。

オットは 翌日起きてきて、一晩中 頭のなかでキッシンのピアノが鳴り響いていたよ、、、と言っていた。わかる。わかる。同感。いまでもわたしの頭の中で 宝石のような音が響いている。