2011年8月23日火曜日

優しくなった父


8月12日
「土建屋に箪笥を持たせるな」という言葉がある。土木建築設計技師だった夫は 地下鉄、道路、橋、公園などのプロジェクトが始まると 最初から関わり現場を指揮し、完成するころには もうそこからは離れて別の仕事にとりかかっていた。一箇所に長く留まっていることはない。文字通り、家族を連れて 家から家へ引越しの連続で 立派な箪笥など買う余裕がなかった。

沖縄に3年、レイテ島に2年、マニラに7年、そして 夫を失ってからは オーストラリアに移って15年。随分長いこと外国暮らしをしてきたが 二人の娘をつれて 年に一度正月に帰国するのが楽しみだった。2週間ほど、父のところに 滞在する。着けば、父はさっそく二人の孫に お小使いを渡し、私たちが嬉々としてデパートに買い物に行くのを見送ってくれた。ロクに本など買わず 服や装身具ばかり、買ってきては 広げて父に見せる私たちの姿に「おお すごいの買ってきたな」「うん とても似合う服だよ。」と、大げさに一緒になって喜んでくれた。教壇に立っていたころの俗物嫌いの父からは想像できない変化だった。

庭で たくさんの花を育て、池の金魚の世話をしていた父が 突然家を売り、原書や貴重本など すべての本を 淡路の図書館に寄付したり処分して母と二人きり身軽になって有料老人ホームに入居したときは みながびっくりした。父としては 子供たちが巣立ち 孫も大きくなって 老夫婦二人になったので、いつまでも母に買い物や食事の支度をさせず 楽をさせようと思ってのことだった。と思うが、母はホームに入って 翌年亡くなった。一人きりになった父のために 子供達もお弟子さん達も 頻繁に訪ねたが、13年間、一人きりで暮らした父の日々は辛かった と思う。

エックスレイ写真を見ると右肺の全域が 炎症で完全につぶれているのに 父は 右側にいる私のために 体ごと顔を右に向けて眠っている。抹消血管の酸素血流量は 80%前後。痰がつまるとすぐに60%くらいに落ちる。気が気ではない。
夜11時、呼吸の状態が良くないので 兄と姉に電話をする。たいしたことではないのかもしれないけれど、、、と言ってどもる私に それで良いと兄が言ってくれる。兄は練馬から車で飛ばして、1持間で到着。姉は父のホームから ただちに来る。皆が到着してみると 父の呼吸は安定していた。
深夜になって、兄姉はホームに引き上げる。

写真は娘が描いた父