2010年4月24日土曜日
映画 「剣岳 点の記」
原作:新田次郎
監督:木村大作
音楽:仙台フィルハーモニー管弦楽団
キャスト
陸軍測量部測量士 柴崎芳太郎:浅野忠信
山岳ガイド 宇治長次郎 :香川照之
測量士 生田信 :松田龍平
日本山岳会 小島鳥水 :仲村トオル
ストーリーは
明治39年(1906年)、日清戦争に勝利した日本軍は勢いをもっていた。当時、陸軍は 防衛上の観点から、日本全土の正確な地図を製作する必要があった。剣岳は前人未到の山であったため 地図の空白を埋めるために、早急に剣岳を中心とした正確な測量と地図を作ることが必要とされていた。そこで、陸軍測量部は、測量士の柴田芳太郎に、一刻も早く剣岳に登頂することを厳命し、その為の調査と準備をするように 彼を送り出す。
明治39年10月、柴田は山岳ガイド 宇治長太郎と共に、室堂から入山、様々なルートから剣岳をアプローチを試みるが 聳え立って取り付きようのない岩壁に阻まれて 登頂路さえ発見できないまま 一足早い冬を迎えた剣立山連峰から 吹雪の中を下山する。
立山は、信仰の山で、剣岳は弘法大師が3千足のわらじを無駄にしても登頂できなかった死の山とされ、登ってはいけない山だと信じられていた。そのため 剣岳登頂のための案内人 長次郎に当たる地元の風は、冷たいものだった。
一方、陸軍測量部に提出した柴崎芳太郎の「登頂不可能」の報告は全く陸軍からは受け入れられず 翌年春に測量チームを派遣することが決定していた。何が何でも剣岳登頂を成功させなければならない。
翌年明治40年3月 柴崎芳太郎ら3人の測量士と、宇治長次郎をリーダーとする山岳ガイド4人の一行は再び剣岳を目指す。「剣岳は誰かが登らなければならない。登らなければ道はできない。」という長次郎の強い信念のもとにチームは再び剣岳の頂上をめざす。
一方、日本山岳会も、同時に入山しており、測量隊よりも早く 初登頂を成功させようと目論んでいた。彼らは外国製の近代装備と、豊富な資金を使って 剣岳一番乗りの記録争いに挑戦していたのだった。
測量隊が剣沢 池の平、雪渓を通り絶壁を越えて頂上に立ったのは 明治40年7月。遂に 山岳会に一足早く登頂に成功した。
しかし、頂上には 錆び付いた鉄剣と、銅製の杖があった。彼らが初登頂したのではなかったのだ。知らせは直ちに 陸軍に報告される。陸軍の威信にかけて征服したはずだった剣岳登頂の筋書きが狂う。剣岳初登頂の記録は全く無視され、測量部と山岳部との記録争いを 追っていた新聞社だけが、柴崎、宇治らの成功を報道した。
頂上で発見された鉄剣などは、奈良時代後半から平安時代初期の求道僧によって残されたものと考えられている。
柴崎らは 登頂を成功させたが 険しい岩場に阻まれて 測量のための三角点標石を頂上に担ぎ上げることが出来なかった。そのため、三角点設置場所、地図上の「点の記」を記録することができなかった。剣岳の標高は 周辺の山々から測量して 2998Mと計測された。
というお話。
余談だが、剣岳に三等三角点が設置されたのは 2004年だそうだ。GPS測量によって 剣岳最高標高は2999Mと、観測された。
この映画は 日本で2009年6月に公開された。監督、撮影はカメラマンの木村大作、彼にとって初めての監督作品。撮影に 2年間、延べ200日余りの時間をかけて撮ったそうだ。明治時代の柴崎 宇治らが登ったように、季節も史実に合わせて登って、撮影したそうだ。登頂に成功した日も 事実に合わせて7月13日に撮影しようとしたが、天候不順で、17日に延びた。が、服装も装備も当時と同じものを使い 極力 史実通りに再現させたという。
監督に言われたとおりに 山を登ったり下ったり、凍ったり、吹雪にあったり、強風に飛ばされたり 豪雨にあったり、雪渓で滑ったり転んだりした 役者さんたちは大変だったろう。
山に魅せられていた時期がある。
「穂高 槍ヶ岳」と、「立山 剣岳」に魅せられる。これほど美しい山々は世界でも他にない。これらの山々の写真やフィルムを見ると 清涼な山の風、乾いた山の匂い、突き抜ける高い空、心地よい日差し、湧き水の冷たさ、唐松の匂い、這い上がってくる真っ白なガス、ライチョウの姿などがよみがえってくる。柴崎芳太郎、宇治長次郎が登った道を それとは知らず 歩いたことがある。
1971年。 室堂から剣沢小屋、みくりが池、雷鳥沢、剣御前、前剣岳に至り 遂に剣岳。360度のパノラマ。くさり場を、カニのように横ばいで進みながら 岩場を通り、垂直に伸びるハシゴを上り下りする。クサリやハシゴがなかった時代、命綱をつけてどんなに、大変な思いで人々は登ったのだろう。
翌年は室堂から浄土山、一の越山荘を経て 雄山(3003M)。そこから剣岳まで縦走するはずが、雄山頂上で凍死しそうになって 目前の剣岳の勇壮な姿を 目に焼き付けて すごすご下山。その後 二度と登る機会がなかった。夏山だけで、春の山も秋の山も 増して冬山を知らない。だから、映画の中で、秋の雪渓を渡る浅野忠信や、すっぽり雪に覆われた山を歩く香川照之を見ながら 山行を疑似体験したのが嬉しかった。
芝居とはいえ、ザイルのまま岩壁から転げ落ち 雪渓の下まで滑り落ちた松田龍平も大変だっただろう。へたをすれば 頭を岩にぶつけて死んでいる。彼を助けようとして、二人の山岳ガイドが 雪渓をグリセードして滑り下りていたが、これも下手をすると二人ともオジャンではないか。わらじで本当にグリセードやったんだろうか。傾斜のある雪渓の壁に90度の角度をつけて靴の踵で滑って下りてくるグリセードは とっても かっこいいが、とても危ない。二人の山岳ガイドが素敵。
音楽 ヴィバルデイが剣岳にとても似合っていて良かった。
バイオリン弾きにとって、というか、私にとってヴィバルデイの「四季」を好きな室内合奏団をバックにソロでやるのは夢の夢だ。映画が始まって いきなりヴィバルデイの「夏」のソロで、浅野忠信が 夏の剣岳を歩くシーンになったので、思わずワーッと うなってしまった。とってもマッチ。冬山シーンでは「冬」が演奏される。岩壁の険しさ、聳え立つ絶壁のシーンでは シャープな弓さばきのソロパートがたくさん出てくる。演奏がシーンに とてもよく合っていた。
ヴバルデイと剣岳とは相性が良い。とすると、穂高 槍ヶ岳には、モーツァルトの「ジュピター」だろうか。うん、そうに違いない。とすると、アイガー北壁には?
役者では、浅野忠信より、香川照之が良かった。浅野が、どんなに軍から強い圧力を受けても 山でふぶきにあって死にかけても、若い妻に甘えられても いつも同じ顔をしているのには なんか乗っていけなかった。こういう無表情で動じない顔で売っている俳優さんなんだろうか?
香川照之の素朴で謙虚な役柄が好ましく共感できた。
まあ、誰にしても、ヒラリー卿よりも、テンジンに見方したくなるものなんだろうけどね。