2008年12月31日水曜日

映画「数奇な人生」




映画「THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON」邦題「数奇な人生」を観た。
「華麗なるギャッピー」を残した現代アメリカ文学の F.S.フィッツジェラルドが、書いた小説を 映画化したもの。
自分が監督する映画には必ず ブラッド ピットを起用する「セブン」や「ファイトクラブ」のデビッド フィンチャーが監督。
早くも、主演のブラッド ピットが オスカー主演男優賞のノミネートされると、予想されている。 とにかく ハリウッドで一番セクシーな男優 ブラッド ピットと、世界で一番美しい女優、ケイト ブランシェットの組み合わせだから、配役に もんくはない。

80歳で、生まれて 年を重ねるごとに 若返る男の数奇な一生を描いた作品。この男、ベンジャミンが 生まれてくる前に あるできごとが、あった。 あるところで、時計職人が幸せな結婚をした。息子が生まれ、家族仲良く暮らていたが、息子が大人になった頃 戦争に駆り出され、遺体になって帰ってくる。時計職人は息子の死を嘆いて、市から依頼されていた 中央駅に掲げる大時計を、時間が反対に過去にむかって進むように作って、駅におさめる。人々は 驚きあきれるが、息子を失い その死を嘆き 時間を逆にもどしてしまいたい父親の気持ちを理解してやる。

そんなときに、ある職人の家で 赤ちゃんが生まれる。 母親は難産にために、亡くなる。生まれてきた赤ちゃんは しわだらけ、目は白内障だし、体中の関節は関節炎で腫れている。小さな醜い 気味の悪い老人にしか見えない赤ちゃんの出現に動転した父親は、赤ちゃんを養老院に捨てて、立ち去る。養老院で働く若夫婦は、信心深い 人格者で、赤ちゃんを 自分達で育てることにする。アフリカンアメリカンの母は、赤ちゃんをベンジャミンと名付けて、実子同様に可愛がって育てる。

ベンジャミンは やがて、養老院におばあさんを訪ねてやってくる ひとりの美少女 デイジーに恋をする。少女も、ベンジャミンおじいさんが 大好き。二人は、とても気があって、一緒にテーブルの下で、本を読んだり、仲良く遊んで過ごす。  やがてベンジャミンは、歩行器がなければ歩けなかった おじいさん時代から、壮年時代に入り、船員として職を得る。デイジーは、プロのバレリーナとして成功していく。舞台裏にデイジーの花束を届けに 会いにくるベンジャミンを 会うごとに若くなっていく姿に驚きながらも、デイジーはいつまでも心の交流を続ける。

その後、交通事故でプロのバレリーナの道を閉ざされたデイジーにとって、帰ってこられるのはベンジャミンのところしかなかった。ともに、30代のころの二人は、愛し合い、一緒に暮らして 幸せのいっときを共に過ごす。
デイジーが40代にはいって、子供向けのバレエ教室が軌道にのって、ますます幸せな生活に満ちているなかで、デイジーは 赤ちゃんを産む。ベンジャミンは、子供が育っていくに従って、自分が益々若くなっていくことに、不安でしかたがない。いつか、子供のために、身をかくし、父親らしい父親を見つけてこないとならないと、考えている。 そして遂に ベンジャミンは財産も何もかも デイジーに残して、消息不明になる。それから、また10年たって、、、、そのまた10ねんごには、、、というふうに、お話は続く。

時計職人が 時間が逆にまわる時計を作ったことがきっかけで、年とともに若返ってしまう一人の男の悲劇的な一生を、描いた作品。ありえないお話ではあるけれど、それを良い役者が演じていて、なかなか見ごたえのある映画だった。出てくるごとに 若くなるブラッド ピットが、スリルだ。テイーンのころもブラッド ピットの しわひとつない 可愛い顔、うーん、負けそう。本当に40代ですか?

ケイト ブランシェットの神々しいまでの、美しさ。透き通るような肌に、完璧なプロポーション。舞台でバレエを踊る姿も、レオタードの練習風景も、どの本物のバレリーナよりも、美しい。5年とか10年とかバレエを習っていただけでは、あれだけのテクニックを踊れない。この女優、なんでも、本物だ。3人の男の子のお母さんだなんて、誰が信じるだろうか。改めて、女優って すごい、、、と思う。うっとりケイトの姿ばかり、見ていた。

子供は親より早くは 死なないでいるということが、何よりの親孝行だ。どんなことがあっても、先に死ぬことは、許されない。この映画の時計職人が息子を戦争で亡くして 時間を止めて、過去にさかのぼる時計を作った気持ちがよくわかる気がする。

クリストファー リーのスーパーマンも、悪と戦っているうちに、恋人が事故死することを食い止められなかったが、そんな自分の非力を悔いて、地球を反対に回して、時間を過去にもどして、恋人を助ける。そんなことができたら良い。過去に帰って 謝りたい人や、やり直したいことがたくさんある。そういうスーパーマンも、続編を編集中だと聞く。楽しみだ。

2008年12月30日火曜日

映画「フォーホリデイ」




オーストラリアの人口は 2100万人。
日本の6分の1、アメリカの15分の1、EUの24分の1だ。

英国からの移民で成立して以来 積極的に移民を勧めてきたこの国では、クリスマスシーズンになると 国の半分ほどの人々が それぞれの国に帰国、帰郷してしまうので、街も道路もガラガラになる。

わたしは、クリスマスイブも、クリスマスデイも 大晦日も元旦も 仕事だ。職場まで10分位、普段は最も交通量の多いパシフィックハイウェイを走るが、このところ、車でヒップホップを踊り運転しながら走れるほど、道路は私だけのもの、行きも帰りも ひとつの車にも会わなかった。

文京区千駄木に住んでいた頃も、家の屋根に物干し台がこしらえてあって、東京のど真ん中のそこから 正月には雪を頂いた富士山が くっきりと見えた。通勤通学の車がなくなるだけで、東京の空気がきれいになったのだ。 クリスマス 年末に故郷に帰る習慣は、世界中 鮭が産卵のために川を登るように、自然なことなのかもしれない。

ハリウッド映画「フォーホリデイ」原題「FOUR CHRISTMAS」を見た。 リース ウィザースプーンと、ヴィンス ボーンのラブコメデイー。 心理療法士のケイトと、技師のブラッドは、恋人同士。愛し合っているが、結婚など、まっぴらごめん。二人が仕事をして、楽しく暮らせればそれが一番と思っている。ニューヨークに暮らすヤングセレブの典型的なカップルだ。

クリスマスホリデイには、みんなのように、「クリスマスは帰郷して親と過ごす」ということだけは、絶対にしたくない。南海の島に遊びにいこうと それぞれの親たちには 嘘の言い訳を作って、クリスマスに帰郷できないことにして、勇んで家を出る。ところが飛行場が深い霧に包まれて、すべてのフライトはキャンセル。飛行場で その姿をテレビニュースで、インタビューされて、全国にニュースで流されてしまったので、家族に嘘がばれてしまう。 仕方なくふたりは それぞれが離婚している両親4人を訪ねてクリスマスを過ごすことになる。

訪ねていった、ブラッドの父親の家では、ブラッドの二人の兄も来ていて、その兄達はブラッドを見れば すぐに蹴り上げ 羽交い絞めにして子供時代に いじめ遊んでいたままのことを いまだにする能しかない。散々、痛い思いをして、今度は、ケイトの母の家へ。
彼女はカルト宗教に凝っていて、祖母、母、姉の女ばかりの家庭に迎え入れられて 二人とも奇妙な宗教体験をさせられる。 次に訪れた ブラッドの母の家では、ブラッドの同級生で親友だった男が 母の愛人として暮らしている。クリスマス定例の食事やゲーム遊びの最中にも 二人ののろけ話を聞かされてブラッドの頭には血がのぼる。ケイトの父は孤独に、暮らしているが、ケイトの悩みを聞いてくれるほどの包容力はもうない。

どの家も、まともな家族など一人も居ない。楽しいクリスマスとは程遠いが、なんとか、ふたりとも 親のてまえ、社交上手にその場を切り抜けては、二人きりになったとき 大喧嘩になって、傷付け合う。 この映画のおもしろさは、初めは 親兄弟のことを忘れて、南海の小島に遊びに行くと、宣言して、職場の人からあきれられたり、うらやましがられたりしながら、完全に人々の流れから浮き上がっていた二人が、 ニュースキャスターにつかまって、嘘がばれたために、地獄に突き落とされる思いをするところにある。それだけはしたくなかった「クリスマスは両親と過ごす」 ということが、現実になってしまって、本当に地獄のようなクリスマスを過ごすわけだ。

帰ってみれば、故郷、年を取った親や、兄弟姉妹たちが、昔のままの姿で 心優しく 待っていてくれるわけもない。処は変わり 人は老いる。3組に1組は 確実に離婚するアメリカの「現在」は、こんなものなのだろう。 ラブコメデイーとして、単純で、ひねりも知性も品格もない。人を泣かせることは簡単だが、人を笑わせるには、哲学、知性、品格を備えていないとできない。帰って、新聞の映画評価を見たら、10分の4という最低の点数をもらっていた。

救いは、アカデミー主演女優賞を数年前にとった、リース ウィザースプーンが、とってもかわいい。相手役が、この暑苦しいヴィンス ボーンなどではなく、ジェイク ジーレンハッドとか、ロバート ダウニージュニアなんかだったら、素敵だっただろう。

2008年12月29日月曜日

OFFな私


DINTAI FUNG ディンタイフォンという台湾で有名なレストランが シドニーシテイーの中心 ワールドスクエアにオープンしたのが この5月。ニューヨークタイムズで絶賛されて 広まって日本にもチェーン店ができているらしい。 ジューシーな小龍包が、売りで 本当に美味しい。椅子に座ってから 結構待たされるのは、注文を聞いてから コックさんが具を丸めて包んで蒸すので、時間がかかるからだそうだ。ウェイターでなく、白い服を着たコックが、熱々の蒸篭をテーブルまで持ってきてくれる。

この店が出来た頃、同じ系列の経営の、ケーキ屋「85度」も開店した。
日本のケーキ屋さんにとても近い。きれいなケーキがずらりと並んだウィンドーを見ているだけで、幸せな気分だ。買わずに いつまでも嬉しそうに 見ているだけのわたしを いつも店の人は 変に思うだろうが、かまわない。 何故って 家に持って帰ることが出来ない。生クリームをふんだんに使ったババロア、プデイングなどは、日持ちしないので その日のうちに食べなければならない。10個以上買わないと 箱に入れてくれないので、それ以下では、持ち運ぶことができない。店のなかに、腰掛けて、食べて行けるスペースもない。
それに、夫は、伝統的な 固いパンのようなケーキしか食べないので、家に持って帰っても私しか食べる人がいない。大体、私が シテイーの人ごみに出かけていくのは 2ヶ月に一度くらい 古本屋「ほんだらけ」に行くときくらい。おのぼりさんのように シテイーに出れば 古本で重くなったバッグを抱えて 電車の乗り降りだけで ふうふう言って ケーキ持ち帰り どころではない。

その憧れのケーキ屋さん「85度」が、近所のチャッツウッドに 昨日オープンした。わーい、ばんざい。チャッツウッドの一番人通りの多いビクトリア通りの真ん中。昨日は すごい人だった。85%OF という 赤い広告の紙を 30人くらいの赤いシャツのお兄さんが 駅の前から配っている。85%OFって!!! 私はといえば、夢にまで出てきたケーキ屋さん、幻のババロア、コーヒーゼリー、憧れのクリームブリュレ、100%栗でできたモンブラン。それが85%のお値段ですか? 夢ではないかしら。
人ごみをかき分けて中に入るとパンも売っている。まあ、パンならば 生クリームやババロアが苦手な夫でも食べるし、冷凍保存しておくことも出来ると思い、トレイいっぱいのパンを持って、長い列のレジに。で、支払いのほうは、普通??? え? え?「85%OFF」ではなくて、「85%OF THE PRICE」だったのです。ということは、85%割引ではなくて、15%割引だったのでした。 当たり前か。考えてみれば。
見ていると、英語に弱い私だけでなく、買っている人 みんなみんな、支払いの段で、え? という顔になって、レシートを見ている。「OFF」と、「OF」を間違えるなんて。なんだ、赤ちゃんのころから英語で育った皆さん、あなた方が、夢中になってお店に押しかけて 狂ったように買いあさっているものだから、私まで、、、。
おい、オージー、 君の英語は大丈夫か? しっかりしろ。


家に帰って、顛末を話したら、「同じような 失敗をしたことがあるじゃない。」と夫に言われてしまって、思い出した。
毎週土曜日に 一週間分の食料を買いにショッピングセンターに行くが、その途中、ペルシャンカーペット屋さんがある。機械織りの大量生産した絨毯から、本物の手織りの家宝にするような 芸術品というようなじゅうたんまで、いろんなものを置いている。とても車の行き来の多い場所で駐車場がない。その店に行くためには 横に路上駐車するしかないが、2台分しかスペースがなく、いつもそこには車が駐車している。2台停まっている内 どれかが出て行きそうなとき、停まって それが出て行くまで待つと、両車線の沢山の車の流れを止めてしまうことになるので、心臓の弱い私には なかなかできない。

車の中からいつも 店先につるしてある絨毯をながめていた。ひとつは赤い機械織りの絨毯で、$50と大きく値札がついている。家では、同じような絨毯を テレビとソファーの間に敷いている。ねこが遊ぶので、端がほつれてきている。
すると、そのとなりに同じサイズで、白地にくすんだブルーと灰色の上品な とても手の込んだ模様の絨毯が70という値札をつけている。初めて店の前をと通ったときは、え? $70、、、と通りすがりに見て驚いた。次の週に前を通る時は、ゆっくり運転して 値段を確かめる。欲しい。どうしても買いたい。でも、車を停めることができない。ショッピングセンターに車を停めて 歩くには遠すぎる。 家に帰ると リビングルームに そのブルーの絨毯が広がっている様子が目に浮かぶ。来週こそは、どうしても、買わなければ、と心に決める。

そして、遂に その日がきた。テクテク歩いて、息をきらして、$70握り締め、とうとうやってきましたペルシャン絨毯屋さん。腹の出た店主、ニコニコして「マダム、あなたはラッキーね。70%OFFだから、たった$890だよ」と。 返す言葉もない。
となりの赤い絨毯は50の札がついて、$50だけれども、ブルーの絨毯は70の札がついて、70%値引きしても$890の代物だったのだ。

「OFF」 と「OF 」との歴然たる違い!
何度失敗したら、賢くなれるのかしら。 

2008年12月15日月曜日

映画 「オーストラリア」




オーストアリア国民の悲願で、完成させることが国家的大事業だった、映画「オーストラリア」が、遂に この12月に完成して劇場公開された。 2年前に、撮影のために アウトバックにあった本当の農場を借り切って映画作りが行われている ということで、国民は その仕上がりを今か今かと期待に胸を膨らませて 待っていたわけだ。1億3000万ドルかけて作られた 超大作、3時間の映画だ。いわば、オーストラリア版「風と共に去りぬ」。この映画を完成させることが国家的事業であったから、公開されて、観にいかないのは、国賊扱い、と言うわけだから観に行った。

監督:バズ ラーマン
俳優:ニコル キッドマン    
   ヒュー ジャックマン
ストーリーは 英国貴族アシュレイ サラ(ニコル キッドマン)は、新開拓地オーストラリア北部に 広大な牧場を所有していた。
その牧場は ベルギー一国ほどの大きさで、夫が管理している。しかし、サラは 夫がこの未開地に長らく留まったまま 帰ってこないので 業を煮やしている。彼女は、オーストラリアに行って、牧場など、処分して 夫を連れ戻してくるつもりでイギリスを発つ。

着いたところは、オーストラリア最北の港町 ダーウィン。ここで、サラは イギリス政府から派遣されている官庁の役人達の丁寧な歓迎など 素通りして、荒くれカウボーイのドローバー(ヒュー ジャックマン)の運転する車で 牧場に向かう。 しかし着いた屋敷でサラを待っていたのは 槍で襲撃されて死亡したばかりの 夫の横たわる姿だった。家には 年をとった会計士と、中国人の料理番とアボリジニーの家政婦がいるだけ。サラは 家政婦の息子ヌラ(ブランドン ウオルター)と友達になる。
会計士と話していて、わかったことは、牧場のマネージヤーは、ダーウィンの牛肉業界のボスの婿養子で、不正を働き、牧場の牛を計画的に盗んでいたことだった。サラはただちに マネージャーを首にする。しかし、それは、ダーウィンから遠く離れた牧場で サラが たったひとり孤立してしまうことを意味していた。 それを知ったサラは、カウボーイのドローバーに、すがって、1500頭の 牛をダーウィンに売却するため移動させて欲しいと、懇願する。20人のカウボーイが必要な牛の移動を 3,4人で、できるわけがない。彼は いったん断るが サラの窮状を見ぬふりで去ることができない。 また、アボリジニーの子供ヌラが 当時の白人同化政策のため、ミッションスクールに強制収用するため、連れ去られそうになっているところを 自分の子供として育てる決意をするサラを見て、ドローバーは、サラのために、人肌脱ぐことにする。

カウボーイのドローバーと、サラと、アボリジニーのヌラと 年老いた会計士、数人の身の回りの世話をするアボリジニー家族だけで、1,500頭の牛を移動させる過酷な旅は、苦渋を極める旅となる。不正をして解雇されたマネージャーは、執拗に追ってきて サラとドローバーの牛の移動を妨害する。何度も 死線をかいくぐりながら 少年ヌラと、それを遠くから見守るアボリジニー長老のキングジョージの不思議な 自然と一体化したようなパワーに助けられながら、遂に一行は、ダーウィンに到着する。 初めは、サラはイギリスから持ってきた絹のドレスや帽子などまでを持たせて移動していたが、荒々しい砂漠で、何度も命に関わる経験を経て自分がどんなに 世間知らずだったかを 思い知る。その過程で、不可能な旅を可能にしてくれた ドローバーのカウボーイとしての能力や 人間としての幅の広さを認識して サラはドローバーを愛するようになる。同時に子供が苦手だった自分が、孤児になったヌラを引き取ることによって 人間としても成長する。
サラはダーウィンに着いて 牛を売り払い、牧場を処分してイギリスに帰る予定だったが それを取りやめて ドローバーと二人で牧場を経営して ヌラを引き取って暮らしていくことを決意する。しかし幸せは長く続かない。日本軍が、パールハーバーを攻撃して戦争が始まった。ヌラは、警察に拘束され、ミッションスクールのある島に送られてしまう。サラが ダーウィンの市庁舎で、通信業務を手伝っているときに、日本軍の攻撃にあい、沢山の死傷者をだして、街は混乱し、人々はパニックに襲われて、あわただしく避難を開始する。サラも、死んだと、伝えられる。 混乱のなかで、ドローバーは 船に乗って ヌラが連れ去られたミッションスクールのある島に行き 爆撃から生き残ったヌラと他の子供達を 連れ帰ってくる。その途中で、日本軍兵士と銃撃戦になって、ドローバーは 自分の弟を亡くす。 ダーウィンに子供達を連れ帰ったドローバーとヌラの目の前に 市庁舎の崩壊とともに焼死したはずのサラが 立っていて、、、。というお話。

アメリカ ハワイのパールハーバー(1941年12月7日)では、日本軍によって 殺された人:2403人。171機の飛行機、21艘の船が破壊された。
1942年2月19日のオーストラリアへの攻撃では、たった5000人の人口のダーウィンで、243人が死亡、350人の負傷者が出た。

パールハーバーに比べると、ダーウィンでは、被害の規模は 少ないが 攻撃を全く予想もしていなかったため、人々の衝撃は、小さくなかった。60年たった、今でもダーウィンの住民による反日感情は大変強い。それは、事実。また、当時の日本軍の対外政策は間違っていた。日本軍はジュネーブ協定など無視して残酷非道なことをした。日本軍は悪い。これも事実。 しかし、だからといって 歴史にないことを映画で作ってしまっては いけない。この映画には 事実義認がある。日本軍はダーウィンを空から攻撃したが、いかなるオーストラリア領地も、占領していない。攻撃の直後に、陸軍がダーウィン付近の島に上陸して、ミッションスクールを探索したり、子供を救いに来たオーストラリア人を取り囲んで殺したりはしていない。 この映画は 世界大戦という激動の時代を背景にした、人間ドラマで、歴史スペクタクルなのだから、歴史にないことを作ってはいけない。調べれば 簡単にわかるような歴史検証をせずに シナリオを作ってはいけない。3時間ちかく、ふむふむ、と気分良くみていて、ここのところで、全くしらけてしまった。わたしは、こういう小さな嘘がきらいだ。

それにしても、雄大な北部オーストラリアの山々、川 そして砂漠。広大な大地。その中で アボリジニーの長老:キングジョージ(デビッド ウェンハム)が すごく良い。この俳優、たくさんの映画に出て、活躍しすぎて 一時酒と女で、悪い男だった時期もあったそうだが、いまは、枯れて 本当にアボリジニー社会で、裸で伝統的なブッシュ生活しているようだ。 今回の映画では、アボリジニーの13歳の少年ブランデン ウオルターが、断然スーパースターだ。ものすごく可愛い。まつげの上に重い万年筆を載せても落ちない。びっしり生えて、ながーい睫毛にぱっちりした大きな目。彼らが画面に出ると、デジュリドウーが鳴り出し アボリジニー風の音楽が流れて これがオーストラリアだ という確かな感覚がある。アメリカ映画で、インデイアンが 付け足しみたいに出てくるのとは かなり違う。この映画、アメリカでも公開されて、けっこう高く評価されているらしい。大画面で、観ても損はない映画だ。

2008年12月2日火曜日

映画「ビバリーヒルズ チャウチャウ」




デイズ二ー製作の映画「BEVERLY HILLS CHIHAUーCHIHAU」(ビバリーヒルズ チャウチャウ)を観た。
監督:RAJA GOSNELL
俳優:JAMIE LEE CURTIS     
PIPER PERABO    MANUELO CARDONA
彼は、もと腕利きの刑事だった。 しかし、ギャング達を追い詰めて、銃撃戦になったとき 相棒を死なせてしまった。以来、職に復帰する気も失せ、自堕落な生活をしている。法も裁きもない無法地帯で、飲んだくれてムショに放り込まれ 死罪処分になる寸前。これで あっさりこの世ともおさらばできて 地獄で相棒に再会できる と期待していた。 半分死んだような自分だったが、自分と同じように処分される少女が ムショに ぶち込まれてきたときに、心の中の何かが 変わった。何故って、世間知らずのさらわれて来た少女がふるえながら、彼に身を寄せてきた とあっては、無視できまい。おまけに、少女の首にかかっているダイヤのネックレスを狙って 殺し屋が追っ手をさしよこし、少女のまわりは、敵だらけ。そんな状況が、彼を再び男にした。

彼とはジャーマンセパード、少女とはビバリーヒルズ生まれのチワワだ。
殺し屋とは、ドーベルマンで、これがずばぬけて大型犬で 走るのも早くて怖い。ビバリーヒルズチワワの首を チョイとくわえて ビュンビュン走り去る。

ストーリーは
億万長者を主人にもつビバリーヒルズのチワワ:クロエは 毎日お散歩、プール、ヨガ、ジムを セレブ仲間のダックスフントやプードルやブルドッグ達と楽しんでいた。 ある日 主人が急に海外出張することになり、姪に世話を頼んで あわただしく発っていく。ちょっと頭の軽い姪は 大迷惑。女友達とメキシコに遊びに行く予定だった。姪は仕方なく クロエを連れて 友達とメキシコにドライブする。予定どうりパーテイーに馬鹿騒ぎばかり、、、ホテルに残されたクロエは空腹に耐えかねて ホテルを抜け出したところを 野犬狩りに捉われてしまう。 牢獄で、ジャーマンセパードやレトリバーやコリーやダルメシアンなんかと出会って 大型犬たちは 哀れなクロエの姿に発奮、反乱を起こし、全員脱獄に成功する。

ジャーマンセパードのデルガードは クロエにせがまれて、メキシコの砂漠を越えてアメリカを目指すが、実は、鼻がきかない。むかし、銃撃戦で相棒(人間)を失ったショックから 匂いがわからなくなって警察犬として お払い箱になった過去をもった犬だったのだ。殺人犬のドーベルマンの執拗な追跡をかわしながら、道に迷ってジャングルに踏み込むと そこはチワワ帝国だった。マヤ帝国ならぬ、チワワ王国に居住する何百頭ものチワワは圧巻。軽いアメリアッチの音楽にのって 何百ものチワワが踊って歌って、クロエを歓待してくれる。チワワはメキシコが原産地なのだ。 いろいろな経験をしながら、貨物列車の飛び乗ったり 追ってをさけて走る列車から飛び降りたり、遂に クロエが誘拐されて、殺される危機一髪のところで 鼻のきかないデルガードの 臭覚がもどり クロエを奪還。やれやれ、大変な苦労をしながら 遂に 必死で探しにきた 庭師とその犬に出会うことができ、メキシコ警察と姪に 保護される。ジャーマンセパードのデルガードは 無事 警察に復帰できることになって、ハッピーエンドというお話。

ムツゴロウの「子ねこ物語」は、大昔 観た。畑正憲が ねこと犬の冒険映画を製作するために 何時間もねこや犬が思い通りに動いてくれるまで ねばったり、猫が川に流されるシーンではスタッフが何日もずぶぬれになりながら撮影するなど、とても大変だった という。

動物に言葉をしゃべっているように 口を動かさせて そこに せりふを入れて物語を作るのに、最初に成功したのは「ベイブ」。豚の子のお話で これはオーストラリア映画だ。1995年 アカデミー賞では このCG アニマトロ二クスの特殊効果が評価されて アカデミー視覚効果賞が贈られた。以来、本物の動物を使って それらが人間のようにしゃべって 笑わせたり泣かせたりする映画が 続々と出てきた。

この映画でも よく調教された犬達が上手に演技をしていて、口を動かして、人間みたいに話をしているように見せているが 動作、表情が 会話に合っていて 本当に犬達が英語を話しているように見える。生きている本当の犬達なので、アニメーション映画とちがった 楽しさがある。 大金持ちのブルドッグやチワワ、殺し屋のド-ベルマン、警察官のジャーマンセパードという配役が 月並みだが 実にマッチしている。なかでもジャーマンセパードのドルガードが すごく良くて泣けてくる。

ジャーマンセパードを飼っていた。犬の中で 最も表情が豊かで、ちょっと叱られたとき、寂しいとき、満足しているとき、主人のご機嫌を取りたいとき、など、顔に出て 本当にわかりやすい。 動物を主人公にしたデイズ二ーのやらせ映画で夢中になってしまう というのは、いかにも愚かしいと思うが、ジャーマンセパードの懸命な演技に すっかり引き込まれてしまった。本当のことを言うと、「ジェームスボンド」とか、「オーストラリア」とか、インデペンデント系の人の生き方を問うような こむずかしい映画よりも こんな映画が好きだ。
犬は良い。見ているだけで時間を忘れる。 犬には私心というものがない。いつも目は主人だ。主人の喜びが犬の喜び。懸命に主人の心に寄り添おうとする。人は悲しいとき、声を出さない限りだれにもわかってもらえない。しかし犬は人が悲しみをじっと耐えているとき そばに来て 懸命に悲しみを共有しようとする。

映画で 犬達は 俳優達と一緒に飛んだり跳ねたり 演技をしているが、その俳優達の背後にいる調教師がいて、その人の命令どうりに動いているだけだ。犬の目をよく見ていると カメラの後ろや、俳優達の背後から指示している調教師の姿がわかって、映画を観る楽しさにプラスの愉快さがある。ドッグラバー必見の映画だ。

しっかりした頼りがいのある肩 太い足腰、美しい緑色の目、鼻筋の通ったバランスの良い顔、美しい耳、柔らかそうな体、立派に張り出した胸、賢そうな姿、美しい毛並みのドルガードにぞっこん 惚れてしまったゼイ。