世界最大の哺乳類で野生動物クジラは、あたたかい南太平洋で、赤ちゃんを産み、子連れで、餌を求めて、南極海まで回遊する。空腹の赤ちゃんを連れて、グループで襲ってくるシャチによる攻撃をかわし、何千何万キロを移動しなければならないクジラの旅が、楽ではないことを、BBC撮影チームが追跡撮影に成功して デビットアッテンボロウも紹介している。
このザトウクジラを、シドニーで観るための、ホエールウォッチングは、観光の目玉になって、世界から観光客が押し寄せる。シドニーから1時間ほど走った、ネルソンベイなどがホエールウォッチングの名所で観光客を満載した船が次々とッ出航する。そんなところまで行かずとも、まだ水が冷たい時期には シドニー湾の中にクジラが親子で迷いこんできたり、ボンダイや、ダブルベイといった高台から、クジラが勢いよく水を噴き上げる姿がよく観られる。それほどオーストラリアでは人とクジラとの関係が密だ。
12月21日、日本政府は今季、南氷洋での調査捕鯨でザトウクジラを捕獲しないことにした。50頭 殺される運命だったザトウクジラが12月19日の時点でアメリカの説得工作を続けていたトーマスシーファー駐日大使によって、2008年6月のIWC会議まで捕鯨中止を合意させた、というニュースが流れ、直後にあわてて日本政府がそれを否定するといったドタバタがあったのち、ともかく、ザトウクジラ捕獲中止が決定されたのは、当然とはいえ、朗報だった。
しかし、この12月に、日本の調査捕鯨が開始され、とりあえずザトウクジラは難を逃れたが、依然として、南氷洋ではナガスクジラ50頭、ミンククジラ950頭の捕殺が始まっている。
ザトウクジラとナガスクジラは、CITES(絶命の恐れのある野生動物の国際敵商取引に関わる条約、通称ワシントン条約)で、絶滅危惧種に指定されている。 また、ナガスクジラ捕獲は南半球では1976年に禁止されている。
オーストラリアのケビン ラッド首相は ザトウクジラ、ナガスクジラなど絶滅危惧種の殺害と肉の輸入はCITES違反であるとして、日本政府に抗議をした。東京在住のマレー マクリーンオーストラリア大使も政府の公式抗議を日本政府に手渡した。 スミス外相と、ピーターギャレット環境相は 外交手段で、抗議するだけでなくオーストラリア政府として、国際裁判に、提訴するため、国際法違反の証拠を収集するため、ビデオカメラを搭載した船舶、オーシャニックバイキング号と、航空機を、現地に派遣した。
ピーターギャレット環境相は現労働党政権の閣僚でありながら、元はグリーンの活動家だった。ちょっと前までミッドナイトオイルという名のロックバンドのリーダーでボーカル、保守政権批判、政府の白豪主義を揶揄し、人々の物欲主義を罵倒し続けた正統派活動家。この彼が 環境相では 日本の調査捕鯨という名の商業捕鯨が ケチョンケチョンに批判されるのが当然、このまま外交問題に、発展していくだろう。
捕鯨反対というとグリーンピースのレインボー号や、小さなボートで命がけの体当たりでクジラの殺生をくい止めようとする実力行使を思い浮かべるが グリーンピースや動物福祉基金や、RSPCAなどの民間ばかりでなく 今やオーストラリア政府が日本政府に対して抗議、船舶や航空機を使って行動に出ていることについて、事態を甘く見るべきではない。
世界で限りのある野生動物を、ひとつの国の国民だけが 殺して食べ続けていて良いわけがない。世界中から、ノンを言われている立場を はっきりと認識すべきだ。
クジラを殺して資源にしたり食料にする時代は終わった。世界の流れに日本だけが逆らって食べ続け、「野蛮人=日本人」のレッテルを貼られている現実から目をそむけてはならない。他に、食べ物が何でもある繁栄の極にある日本人がどうして、クジラを食べ続けるのか。
オーストラリアでは今、毎日のように日本の捕鯨船がクジラを捕らえ、甲板で切り刻んでいるフィルムがニュースで流れている。日本人と わかると、すれちがいざま唾と吐き掛けられたり、「クジラ食うなよ」と、脅かされたりする在外日本人の身を想像してみてくれないか。それを知らずにいる君に ビートルズのイマジンを送りたい。
ザトウクジラ50頭の捕殺は 一時中止されたが依然として ナガスクジラ50頭、ミンククジラ950頭は 今現在、日本の捕鯨船によって、捕殺され続けている。南氷洋はいまごろ、野生動物の赤い血で染まっていることだろう。
2007年12月26日水曜日
2007年12月4日火曜日
映画 「INTO THE WILD」
映画「イントゥー ザ ワイルド」ショーン ペン監督のアメリカ映画を観た。
1990年に大学を卒業したばかりの クリストファー マキャンドレス22歳は、約束された有望な将来に見向きもせず、自分を育ててくれた家族、友人すべてを残して 一人で旅立つ。技術者として優秀な父親、一人息子に盲目的な愛を注ぎ込む母親、中産階級のぬくもりすべてを捨てて、学生時代に稼いだ240万円全財産をOXFUN(児童育成基金)に寄付して、自分の身分証明書も、運転免許証も破り捨て、持っていた現金を焼き払い、無一文になって、旅を始める。
南ダゴダから、コロラド川をカヌーでくだり、アリゾナへと下って カルフォルニア、メキシコへと旅をする。心配した両親が警察ばかりでなく探偵まで雇って追跡調査しようとするけれど、身を隠すようにして姿をくらませる。沢山の人々との出会い、人助け、身を粉にして働いて得る食べ物、孤独な老人の心の友になったりしながら彼は旅を続ける。そして最後にはアラスカをめざす。しかし、悪天候と、大自然の猛威なさらされて 遂に生きて帰ることが出来なかった青年の冒険物語、権力とマネーパワーのアメリカに対する反逆児、自然と人との共生をあくまでも追求した理想主義者 ということもできる。
この実在した青年が死ぬ瞬間まで書き続けた日記と友人達からのインタビューをもとにして書かれた、作家ジョン クラクアー(JON KRAKAUER)による同名の本を映画化したもの。ベストセラーの この本を映画化したのがショーン ペンというだけで、注目に値するから、日本ではまだ公開されてないようだが そのうちに出てくるだろう。ショーン ペンは あのマドンナのもと旦那 と説明する必要のない立派な俳優兼映画監督。2003年「ミステイックリバー」でアカデミー主演男優賞、2001年「アイアムサム」で 6歳の娘より知能が低い父親の役を好演した。
この映画で、実在したクリストファー マキャンドレスを演じたのは、エミール ヒルク(EMILE HIRSCH)。彼は「THE EMPERORES CLUB」、「THE GIRL NEXT DOOR」という映画に出ているそうだが私は知らない。私が彼に注目したのは2年前の映画「ROADS OF DOG TOWN」という映画。これはカルフォルニアで1970年代に初めて スケートボードが作られて、これに夢中になった少年達がスポーツとしてスケボーを普及させるという痛快な映画だったが、美少年ばかりが5人も6人も出てきて大いに楽しんだ。中でもこのエミール ヒルクがとても冴えていたので、注目していた。今、この映画で、140分間、彼の冒険物語を見て、改めてショーンペンが抜擢した俳優だけのことはあると思った。コロラド川を警備隊の目を盗んでカヌーで川下り、砂漠を歩き、アラスカの山々を登山、鳥を撃ち半生の肉に食らいつく。「ROADS OF DOG TOWN 」ではぽっちゃりした可愛い少年だったのに、この映画の最後の方 飢えで死ぬ直前などあばら骨浮く姿で、すごく迫力ある演技だった。
彼の冒険物語をみながら、映画「グリズビー マン」が思い出されてならなかった。ショーン ペンは明らかに、この映画というか、ドキュメンタリーフィルムに影響をうけている。青年が山を歩いているときにかかる音楽なんか、ギターかかえて、ひとり男が歌うカントリー調のロックで、とても効果的。この映画ではエデイー べダー(EDDIE VEDDER)が 映画のために曲を作って歌っている。 「グリズビーマン」では、リチャード トンプソンという人が音楽監督、なかでボブ ミッチェルが,「コヨーテ」を歌っていて、とても、印象的で忘れられなくて、あとでCDを探したけど、見つからなかった。
「グリズビーマン」はテイモシー トレッドウェルという、アラスカでグリズビー灰色熊に、人間で一番近くまで行った人の、ドキュメンタリー映画。野生の熊との交流を 何年も、自分でカメラのフィルム回して撮影していて、ガールフレンドと一緒に年老いた熊に襲われ 食われてしまった。熊に襲われる直前まで本人が回していたフィルムだから、それはそれは迫力があった。好きなことをして その結果 命を落とした本人は それで満足だろうが ガールフレンドが彼を助けようとして自分も食われてしまった現実について、現地のインデアンの人は、「認識が甘すぎた。熊との共生は 距離をおいて、互いに尊重しあわなければ誤りだ。」と言っていた。正論だ。
「INTO THE WILD 」でも、グリズビーが出てくる。 この映画、「グリズビーマン」同様、好きな人と嫌いな人がいるだろう。親の立場からみたら、自分の子供にこんな無茶なことをやられた末に 死なれてしまったら、かなわないと思うかもしれない。彼の両親に対する憎しみ、何と自分勝手な、、と、彼に共感できない人も多いだろう。でも子供から大人になる為に、人は一度は親を切り捨てる必要がある。その捨て方は、人が100人いれば100様だ。クリストファーの生きかた、人生をロマンと捉えるか、現実を先に見るか、人は一様ではない。
私は100の説教より行動する青年が好き。一歩踏み出して失敗したら反省すれば良い。この映画、私はこの青年にとても共感できた。身分証明書も運転免許証も焼き捨てて、現金も焼き捨てて、ただただ、自然と一体になりたくて旅に出る青年に 潔い美しさを認める。こんな青年が私達のまわりにたくさんたくさん居てくれても良いのだと思う。
1990年に大学を卒業したばかりの クリストファー マキャンドレス22歳は、約束された有望な将来に見向きもせず、自分を育ててくれた家族、友人すべてを残して 一人で旅立つ。技術者として優秀な父親、一人息子に盲目的な愛を注ぎ込む母親、中産階級のぬくもりすべてを捨てて、学生時代に稼いだ240万円全財産をOXFUN(児童育成基金)に寄付して、自分の身分証明書も、運転免許証も破り捨て、持っていた現金を焼き払い、無一文になって、旅を始める。
南ダゴダから、コロラド川をカヌーでくだり、アリゾナへと下って カルフォルニア、メキシコへと旅をする。心配した両親が警察ばかりでなく探偵まで雇って追跡調査しようとするけれど、身を隠すようにして姿をくらませる。沢山の人々との出会い、人助け、身を粉にして働いて得る食べ物、孤独な老人の心の友になったりしながら彼は旅を続ける。そして最後にはアラスカをめざす。しかし、悪天候と、大自然の猛威なさらされて 遂に生きて帰ることが出来なかった青年の冒険物語、権力とマネーパワーのアメリカに対する反逆児、自然と人との共生をあくまでも追求した理想主義者 ということもできる。
この実在した青年が死ぬ瞬間まで書き続けた日記と友人達からのインタビューをもとにして書かれた、作家ジョン クラクアー(JON KRAKAUER)による同名の本を映画化したもの。ベストセラーの この本を映画化したのがショーン ペンというだけで、注目に値するから、日本ではまだ公開されてないようだが そのうちに出てくるだろう。ショーン ペンは あのマドンナのもと旦那 と説明する必要のない立派な俳優兼映画監督。2003年「ミステイックリバー」でアカデミー主演男優賞、2001年「アイアムサム」で 6歳の娘より知能が低い父親の役を好演した。
この映画で、実在したクリストファー マキャンドレスを演じたのは、エミール ヒルク(EMILE HIRSCH)。彼は「THE EMPERORES CLUB」、「THE GIRL NEXT DOOR」という映画に出ているそうだが私は知らない。私が彼に注目したのは2年前の映画「ROADS OF DOG TOWN」という映画。これはカルフォルニアで1970年代に初めて スケートボードが作られて、これに夢中になった少年達がスポーツとしてスケボーを普及させるという痛快な映画だったが、美少年ばかりが5人も6人も出てきて大いに楽しんだ。中でもこのエミール ヒルクがとても冴えていたので、注目していた。今、この映画で、140分間、彼の冒険物語を見て、改めてショーンペンが抜擢した俳優だけのことはあると思った。コロラド川を警備隊の目を盗んでカヌーで川下り、砂漠を歩き、アラスカの山々を登山、鳥を撃ち半生の肉に食らいつく。「ROADS OF DOG TOWN 」ではぽっちゃりした可愛い少年だったのに、この映画の最後の方 飢えで死ぬ直前などあばら骨浮く姿で、すごく迫力ある演技だった。
彼の冒険物語をみながら、映画「グリズビー マン」が思い出されてならなかった。ショーン ペンは明らかに、この映画というか、ドキュメンタリーフィルムに影響をうけている。青年が山を歩いているときにかかる音楽なんか、ギターかかえて、ひとり男が歌うカントリー調のロックで、とても効果的。この映画ではエデイー べダー(EDDIE VEDDER)が 映画のために曲を作って歌っている。 「グリズビーマン」では、リチャード トンプソンという人が音楽監督、なかでボブ ミッチェルが,「コヨーテ」を歌っていて、とても、印象的で忘れられなくて、あとでCDを探したけど、見つからなかった。
「グリズビーマン」はテイモシー トレッドウェルという、アラスカでグリズビー灰色熊に、人間で一番近くまで行った人の、ドキュメンタリー映画。野生の熊との交流を 何年も、自分でカメラのフィルム回して撮影していて、ガールフレンドと一緒に年老いた熊に襲われ 食われてしまった。熊に襲われる直前まで本人が回していたフィルムだから、それはそれは迫力があった。好きなことをして その結果 命を落とした本人は それで満足だろうが ガールフレンドが彼を助けようとして自分も食われてしまった現実について、現地のインデアンの人は、「認識が甘すぎた。熊との共生は 距離をおいて、互いに尊重しあわなければ誤りだ。」と言っていた。正論だ。
「INTO THE WILD 」でも、グリズビーが出てくる。 この映画、「グリズビーマン」同様、好きな人と嫌いな人がいるだろう。親の立場からみたら、自分の子供にこんな無茶なことをやられた末に 死なれてしまったら、かなわないと思うかもしれない。彼の両親に対する憎しみ、何と自分勝手な、、と、彼に共感できない人も多いだろう。でも子供から大人になる為に、人は一度は親を切り捨てる必要がある。その捨て方は、人が100人いれば100様だ。クリストファーの生きかた、人生をロマンと捉えるか、現実を先に見るか、人は一様ではない。
私は100の説教より行動する青年が好き。一歩踏み出して失敗したら反省すれば良い。この映画、私はこの青年にとても共感できた。身分証明書も運転免許証も焼き捨てて、現金も焼き捨てて、ただただ、自然と一体になりたくて旅に出る青年に 潔い美しさを認める。こんな青年が私達のまわりにたくさんたくさん居てくれても良いのだと思う。
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