2024年3月11日月曜日

映画「君たちはどう生きるか」

3月10日に開催された2024年、第96回アカデミー賞授賞式で、長編アニメーション映画賞を、宮崎駿の「少年と鷺」(君たちはどう生きるか)が受賞した。
沢山の人が見守る中でステージに上がってオスカー像を受け取る人が、居なかった。前代未聞のことで、受賞式のオルガナイザーにも知らされていなかったらしく,オスカ―ベテラン司会者ジェンミーキンメルは、「The Boy and The Heron」の「ボーイは来れなくってもヘロン:鷺だけでも、飛んできてくれればよかったのにね。」と会場を笑わせた。

宮崎駿の作品は世界で愛されている。ジブリの名はデイズニーくらい有名だ。またアカデミー賞は映画界にとって歴史も古く、受賞歴が映画関係者のキャリアに直結する重要な賞だ。沢山の人の厳しい選考を経て選ばれた作品は、世界中で繰り返し上映される。受賞した役者は、「オスカー俳優」と呼ばれ出演契約金が跳ね上がるだけでなく、後々まで名前が尊重される。
授賞式に来られないならメッセージを送り、ステージで司会者に読んでもらえばよいし、アカデミー賞自体に批判的ならば、なおさらそれを声明で発表すべきだ。この賞も昔は、「白人だけ、男だけ、ユダヤ人サポーター向け」と批判されたが、随分と改革されてきた。受賞したのに、「黙って背を向ける日本人、何を考えているかわからない日本人」という典型的な日本人評価を上塗りした。すぐれた作品なのに、とても残念だ。

「THE BOY AND THE HERON 」(少年と鷺)
宮崎駿が引退してジブリでの活動を終えて、会社も解散してもう誰も新作を期待しなくなって数年,、、彼が最後の作品で描ききれなかった「最後の最後の作品」は、実際のところ準備に2年半、実作業に5年、合計7年半の時間をかけて制作された。
最終作品と言われた「風立ちぬ」で表現しきれなかった戦争が再び、ここで描かれる。「風立ちぬ」ではWW2で日本軍で活躍したゼロ戦の設計をした技師が主人公で、実際飛行機の設計技師だった監督の父親がモデルになっている。この技師にとって戦争による「喪失」とは、戦争で命を落とした300万人の日本人でもなければ、火炎放射器でガマに避難した沖縄の子供達が焼き殺されることでもなければ、ニューギニアのジャングルで人肉を貪り食った兵士達でもない。結核で徐々にその命の灯を消していく妻の溢れるほどの美しさだ。失われる貴族社会のお嬢様、三島由紀夫的な耽美的世界、それを技師は戦争で失った。

新作は神戸大空襲で街に入院していた母親が亡くなるシーンで始まる。少年とその父親は母の入院先に駆け付けようとするが、空襲による猛火で、街に近付くことができない。母親の手を握ることも、最後を見守ることもできずに少年は一番大切な人を失う。この世から忽然と消えてしまった母親の死を、少年は受け入れることができない。
戦争が終わり父親は再婚し、新しいお母さんとなる人を受け入れることはできるが、そうして始まった実生活と、影も残さず消えてしまった母親への喪失感は両立しない。
少年は1羽の鷺を道案内に、古い屋敷の朽ち果てた古城で、母親と邂逅する。母親は自分が思っていたような結核で弱弱しい姿ではなく、彼女が子供だった頃の元気で活発な女の子だ。そんな少女に少年は命を救われ、「サヨナラ」を言われて初めて、少年の母親がもう亡くなって、この世に居ないのだということを悟る。
この物語は、ギリシャ神話のオイデップス王の物語であり、少年も、あなたも、誰も、みんなが通過しなければならない「親殺し」物語だ。親との決別をして、関係を切って初めて独り立ちしていく成長物語だ。誰もが人は親に見切りをつけ、あきらめたり、憎んだり、尊敬したり、軽蔑したりしながら成長していく。そんな少年の沁みて痛む魂と、その歩みが美しいアニメーションで描かれている。
とても印象深い作品だ。
世界のゴールデングローブ賞、アカデミー賞に値する。