世界各国から来ている大使や領事の子供や、アジア銀行、世界銀行、国連、大手商社やADOで働く家族の子供たちが、通ってくる幼稚園から高校までの学校だ。本拠はボストンにあり、教科書や教材はみな米軍経由で運ばれてきて、教師もみなボストンで面接を受けて選ばれた先生方だった。
子供たちは大抵、米国の大学に進学するが大学入試はなく、3年間の高校の成績と課外活動、社会活動を評価され、大学側がその子供の希望に合ったコースをオファーできるかどうか審査して、大学入学が許可されていた。 優秀な子供はIB:インターナショナルバカロレアという、ワンランクレベルの高いコースを高2と高3で学び、終了すると世界のどの大学でも直接大学2年生に飛び級出来て、直接大学の専門課程に入ることができた。
娘たちが中学生で取り組んだ「国連」の課題では1人が1国の国連代表者となって、ランダムに与えられた自分の国の経済、社会の現状を説明し、何が国の問題か、どうすべきか、それを国連としてどうとらえるべきなのかを討論する。みんなよく勉強してきて、問題の解決法が甘いと、どんどん質問でやり込められる。
長女はドミニカ共和国の国連代表を担当することになって、貧困対策が、論争タネになり、次女のときはインドだったので、女性の地位向上で議論、喧々諤々だった。彼女は沖縄にある「模合」と呼ばれる金融システムで、地域の女性の経済的自立をはかるといった提案をして議論を導いていた。
国境問題、宗教対立、差別問題、など深刻な問題を世界基準に合わせてどう対応すべきか、まじめに討論する13,14の子供たちの姿は、実に印象的だった。
G20 が開催され、ふやけた顔の日本の首相まで何故か代表者に混じっていて、お祭りを終えたが、「金融と世界経済に関する首脳会合」にゼレンスキーがまた特別招待されて「金をくれ、武器をくれ」と言わせなかったことだけが良かったし「国際社会はロシアを非難する」という合意書にいたらなかったことは、めでたい。戦後一貫して戦争を続けてきた米国覇権に、人々は嫌気がさしている。米国がベトナム、セルビア、イラク、アフガニスタン、シリア、リビア、イエメン、イラン経済封鎖、ウクライナの代理戦争をしている間に、かつて世界のGDPの60%を占めていた米国西側勢力は、いまやGDP 40%となり少数派となった。
その中でG77 の動きが見逃せない。BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の結束、GDP31.5%もパワー全開だ。G77は当初77か国であったものが、135か国になり、今年9月15日からキューバのハバナで会議が行われた。
彼らは世界人口の80%、世界のGDP49%を持つ。電気自動車や携帯などになくてはならない世界のリソースは、これらの国が持っている。同盟間での経済協力、「非武装」、「非戦」を提唱し、気候変動への対策では、発展途上国に押し付けられた先進国からの差別、不平等に共に戦うと言う同意をした。
今後世界経済は米国の覇権システムを拒否していくだろう。国際的にノンアメリカ、ノンドルの世界がくる。
そんな中で、人口の半分が50歳以上という日本は、どう生き延びていくのか、それが問われる。
「グリーングリーングラス オブホーム」を歌ってみた。死刑宣告を受けて、朝になったら処刑される男の、故郷を夢見る歌。カーリープットマン作曲、ジョニーダレル歌、1965年
意訳してみると
汽車から降りたら 昔の古い家はむかしのまんま パパとママが迎えてくれて マリーまで飛んできてくれた 金色に光る髪とサクランボみたいなやわらかいくちびる 緑の草原に建つ我が古い家 ペンキは剥げてぼろくなってるけど 古い樫の樹がまだ立っていて 木に登って遊んだものさ マリーは金色の髪をゆらして サクランボのような唇で みんな会いに来てくれる なんてやさしい だけど、夢だったんだ 周りを見てみると ぼくは暗い壁に囲まれていて 警備も牧師も暗い顔をして みどりの草原に建つ我が家 大きな樫の樹のかげで みんな僕に会いにきてくれるだろう
I am singing [ Green Green Grass of my home ] written by Curly Putman and first recorded by Johnny Darrell in 1965.
A man in prison, is walking on the day of his scheduled execution. Dreaming his childhood home surround green green grass.