2023年9月28日木曜日

G77に期待する

娘たちがマニラのインターナショナルスクールで学んでいた頃、社会科では「国連」について学ぶ時間がたくさん取られていた。
世界各国から来ている大使や領事の子供や、アジア銀行、世界銀行、国連、大手商社やADOで働く家族の子供たちが、通ってくる幼稚園から高校までの学校だ。本拠はボストンにあり、教科書や教材はみな米軍経由で運ばれてきて、教師もみなボストンで面接を受けて選ばれた先生方だった。
子供たちは大抵、米国の大学に進学するが大学入試はなく、3年間の高校の成績と課外活動、社会活動を評価され、大学側がその子供の希望に合ったコースをオファーできるかどうか審査して、大学入学が許可されていた。 優秀な子供はIB:インターナショナルバカロレアという、ワンランクレベルの高いコースを高2と高3で学び、終了すると世界のどの大学でも直接大学2年生に飛び級出来て、直接大学の専門課程に入ることができた。

娘たちが中学生で取り組んだ「国連」の課題では1人が1国の国連代表者となって、ランダムに与えられた自分の国の経済、社会の現状を説明し、何が国の問題か、どうすべきか、それを国連としてどうとらえるべきなのかを討論する。みんなよく勉強してきて、問題の解決法が甘いと、どんどん質問でやり込められる。
長女はドミニカ共和国の国連代表を担当することになって、貧困対策が、論争タネになり、次女のときはインドだったので、女性の地位向上で議論、喧々諤々だった。彼女は沖縄にある「模合」と呼ばれる金融システムで、地域の女性の経済的自立をはかるといった提案をして議論を導いていた。
国境問題、宗教対立、差別問題、など深刻な問題を世界基準に合わせてどう対応すべきか、まじめに討論する13,14の子供たちの姿は、実に印象的だった。

G20 が開催され、ふやけた顔の日本の首相まで何故か代表者に混じっていて、お祭りを終えたが、「金融と世界経済に関する首脳会合」にゼレンスキーがまた特別招待されて「金をくれ、武器をくれ」と言わせなかったことだけが良かったし「国際社会はロシアを非難する」という合意書にいたらなかったことは、めでたい。戦後一貫して戦争を続けてきた米国覇権に、人々は嫌気がさしている。米国がベトナム、セルビア、イラク、アフガニスタン、シリア、リビア、イエメン、イラン経済封鎖、ウクライナの代理戦争をしている間に、かつて世界のGDPの60%を占めていた米国西側勢力は、いまやGDP 40%となり少数派となった。
その中でG77 の動きが見逃せない。BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の結束、GDP31.5%もパワー全開だ。G77は当初77か国であったものが、135か国になり、今年9月15日からキューバのハバナで会議が行われた。

彼らは世界人口の80%、世界のGDP49%を持つ。電気自動車や携帯などになくてはならない世界のリソースは、これらの国が持っている。同盟間での経済協力、「非武装」、「非戦」を提唱し、気候変動への対策では、発展途上国に押し付けられた先進国からの差別、不平等に共に戦うと言う同意をした。
今後世界経済は米国の覇権システムを拒否していくだろう。国際的にノンアメリカ、ノンドルの世界がくる。
そんな中で、人口の半分が50歳以上という日本は、どう生き延びていくのか、それが問われる。

「グリーングリーングラス オブホーム」を歌ってみた。死刑宣告を受けて、朝になったら処刑される男の、故郷を夢見る歌。カーリープットマン作曲、ジョニーダレル歌、1965年
意訳してみると
汽車から降りたら  昔の古い家はむかしのまんま   パパとママが迎えてくれて  マリーまで飛んできてくれた 金色に光る髪とサクランボみたいなやわらかいくちびる  緑の草原に建つ我が古い家   ペンキは剥げてぼろくなってるけど   古い樫の樹がまだ立っていて  木に登って遊んだものさ   マリーは金色の髪をゆらして   サクランボのような唇で  みんな会いに来てくれる   なんてやさしい  だけど、夢だったんだ   周りを見てみると  ぼくは暗い壁に囲まれていて  警備も牧師も暗い顔をして   みどりの草原に建つ我が家   大きな樫の樹のかげで   みんな僕に会いにきてくれるだろう 
I am singing [ Green Green Grass of my home ] written by Curly Putman and first recorded by Johnny Darrell in 1965.
A man in prison, is walking on the day of his scheduled execution. Dreaming his childhood home surround green green grass.





2023年9月21日木曜日

リビアの人々を地獄に突き落としたのは誰か?


今月9月10日リビア北西部では、大雨と洪水によって2つのダムが決壊して、約2万人の人々が亡くなった。一昨日は被害救済に後れをとる政府に業を煮やした人々が暴動を起こし、市長宅が放火されるなど暴力行為が横行している。

私が学生だったころ、1960年代終わり頃から70年代にかけては、キューバではフィデロ カストロ首相(1926-2016)が、リビアではムアンマル カダフィ大佐(1942-2011)が国政を掌握していた。
カストロもカダフィも国の「英雄」だった。カストロはキューバを植民地の圧政から独立を勝ち取り、カダフィは27歳で王政を倒した。どちらも、政権を取った後、国民に納税の義務はなく、無料の義務教育と、無料の医療制度を提供する国を作った。2人とも今までになかった真に民主的で平等な新しい国作りをする熱意を持った革命家たちだった。 リビアには豊富で高品質の油田と、天然ガスがある。カダフィはその後、42年間、直接民主主義のアフリカで一番安定した国を築いていた。

リビアでは、もともと首都トリポリのある西部と、ベンガジ東部地域の間には部族間の対立があった。しかしカダフィはアラブ系の西部とアフリカ系の東部を統合し、部族間の差別を解消し、過激派イスラムのシャイアローを否定して、女性の権利を保護し、アフリカでは最も民主的な国家として安定させた。
リビアは国の90%は砂漠だが、カダフィは大規模な灌漑、治水事業を展開、砂漠式農業、河川事業によって砂漠の緑化を成功させ、自国民の食料が安価で自給できるシステムを作り出した。人々が革命後、飢えなかったのはカダフィのおかげだ。リビアはアフリカで幼児死亡率が最も低く、平均寿命は一番高く、国民の25%が大学の学位を持つ誇り高い人々の国だった。

そのリビアに欧米諸国が侵略を始めたのが、2011年3月。
カダフィに不満を持つ反政府グループが、ベンガジに集結すると、旧植民国イタリアとフランスに押された国連安全保障理事会はリビア軍が反政府グループを攻撃できないように飛行禁止区域の指定し、フランス軍が戦闘機でリビア軍を攻撃始めた。ドイツ、ロシア、中国、インドなどの反対を押し切って、フランス、英国、米国が駆逐艦でミサイル攻撃をして本格的な戦争を始めた。そしてカダフィ大佐は敗れ、殺害される。

リビアのベンガジ周辺に埋まっている油田と天然ガスの利権を奪うことが目的だった。またリビアの英雄カダフィを自由にしておくと、彼の大きな構想:アフリカを一つの連合体としてまとめ、金本位制の世界経済を作る計画を、欧米諸国は潰してしまう必要だあったからだ。
カダフィが殺害されたとき、手をたたいて無邪気に喜び合うヒラリー クリントン国務長官(当時)と、バラク オバマ大統領の様子がフイルムに収められ、ジュリアン アサンジのウィキリークスから提供されている。

まず42年間リビアに安定した国家を築いていたカダフィを2011年に殺害すべきではなかった。世界一の油田と天然ガスを持ち、ダムで砂漠を緑化し、アフリカ全体の自立を夢見たカダフィが作った社会主義国を、欧米は侵略すべきではなかった。
露骨な欧米によるリビアの国の分割支配がなかったら、このような災害は起きなかった。ダムを作り人々を飢餓から救ったカダフィが居たら、ダムも補修され洪水で簡単に決壊するようなことはなかった。これはリビアを侵略し、分割し、2つの政府を作り上げ、オイルの利権を奪った欧米諸国による人災だ。
殺害しておいて、奪っておいて、いまになって「2万人の命が失われたので、募金しましょうという」などという欧米諸国、ヒラリー、オバマ、国連、慈善団体、、、。どの口が言うか!

「浜辺の歌」を歌ってみた。林古渓作詞、成田為三作曲
I am singing [ HAMABENOUTA] ](Song of Sea Shore) Lyric by Kokei Hayashi, composed by Tamezo Narita.
In the early morning. Wandering on the sea shore. Remind my memory of old people. Sound of wind. Clouds gather and lift. Waves are surfing and breaking.
In the evening. Walking at the sea shore. Recall my memory of the old days. Waves are surfing and breaking. Repeatedly and endlessly. the moon is shining. The stars are twinkling.



2023年9月14日木曜日

包括的差別禁止法を!

人は人種、民族、言語、宗教、信条、年齢、障害、性別、LGBTQIの性的指向などで社会的差別を受けてはならない。そのための処罰を伴った包括的な差別禁止法が,日本には必要だ。どうして包括的かというと、差別要因が重複している場合が多いから。どんな差別も許さないと言うシステムが必要だ。

私は豪国ではその人口の3%に満たないアジア人、マイノリテイ―であり、女性で、数か月後に74歳になる。関節変形症で手指は曲がり、眼鏡をかけてもさらに虫眼鏡がないと読めない字もある。しかし現職のナースとして働いていて、毎年僅かながら昇給があり、年に6週間の有給休暇があり、2か月の長期雇用者の有給休暇も取っている。雇用主としては大学を出たばかりの若くて肉体剣豪、意気軒高の男子の方がずっと安く雇用できるから、私と交代させたいかもしれないけど、誰もそろそろ引退したら、とか、辞めろとか言わないし、そんなことを考えもしない。包括的差別禁止法があるからだ。

就職の面接で豪国には馴染みのない名前だから、とか結婚適齢期の女性だからとか、年寄りだからという理由で雇用を拒否することは違法行為だ。もし自分が人種や年齢などへの差別が原因で雇用が見送られたのではないかと思ったら、第3機関であるフェアワーク委員会に相談して間に入ってもらったり、法に訴えることができる。

私は豪国でナースの資格を取り、公立病院で働き始めた時、ナース1年目の給料だったが、日本で3年の経験があったので、ナースアソシエーションに相談したら、電話1本で、すぐに病院側は4年目ナースを給与に替えてくれた。そのことで誰も不快に思わないし迷惑もかけていない。システムとして決められているからだ。自分が不当に扱われている、差別されていると感じた時に相談できる機関があり、システムが機能していることは心強い。

人には俗性がある。無宗教の私にはムスリムの友達もヒンズーの友達も多いが、ある日迷い込んだ道で、6-7人の若い男たちから、歩いている私の上から下までなめまわすように文字通り目で犯されるような衝撃的な経験をしたことがある。内心火のように怒ったが、彼らの伝統的文化では女は男と一緒でないと外出しないし、1人で出歩く女は売春婦だけという認識がある。花嫁を家具のように2人も3人も買う昔の伝統もあっただろう。彼らの俗性を非難しても始まらない。豪国は4人に1人は移民の国、移民が徐々に豪国の習慣や社会的なルールを身に着けるまで待つしかない。世界は一つ、みんな同じ地球人、というが人はみんな異なる。好き嫌いもある。嫌いな感情という自分自身の俗性も否定できない。
だからこそ「法」なのだ。社会規範を法に求め、それを逸脱しないで生きられるシステムが必要なのだ。差別を禁止するということは人として人権を守り、人の尊厳を取り戻すことだが、それは法としてシステムを機能させないと実現できない。包括的な差別禁止法の実現を日本に!!

作詞作曲 スーマ―の「道路」を歌ってみた。意訳は以下の通り。
I am singing [ MICHI ] written by Japanese singer song writer SUEMMAR :Sudo Masaaki.
[ROAD]
Driving a car at midnight. Feel uneasy looking at the right scene. Shining town with lights. Where you are? As if nothing happened. Didn't we have any stories? Are we?
Driving a car before dawn. Feel uneasy looking at right scene. Dark forest continues. Your car had gone. As if nothing happened. Our stories reached to the end? In my left side it's dark forest.