2017年8月29日火曜日

映画「タクシー運転手」とTK生からの通信


                          


岩波書店が出版発行している「世界」は、私が生まれる前から続いている優れた月刊誌だ。これを親しくしている山田修氏が毎月郵送してくださっている。親兄弟もしてくれなかったことを、いつもして頂いて親族以上の親近感をもってお付き合いして頂いてきた。有難いことだ。

「世界」創刊号は昭和21年(1946年)1月。美濃部達吉が「民主主義とわが議会制度」、大内兵衛が「直面するインフレーション」、和辻哲郎が「封建思想と神道の教義」、東畑精一「日本農政の岐路」、横山喜三郎が「国際民主生活の原理」という戦後日本の舵取りとなる そうそうたるメンバーが論説を書いている。連載小説は志賀直哉と、里見弴だ。1946年1月、新たな時代を迎えた岩波書店の、戦後民主主義社会に向けた意気込みが伺える。

この雑誌をわたしが真面目に読み始めたのは、1970年代ベトナム戦争が終結に向かう頃からで、契機は「韓国からの通信」-TK生の記事からだ。当時の学生らはみな読んでいたと思う。TK生は 独裁者朴大統領の維新体制から、朴の暗殺、それに続く新たな戒厳令下での、厳しい韓国の民主化運動の様子を、その月ごとに報告していた。いかに戒厳令下で出版や言論が圧殺され、活動家たちが虫のように殺され、人権が封殺されているのか、そこに居なければわからない人の血の滲む筆跡で記されていた。何時この筆者が逮捕、拷問の末に処分されるか、身の細る思いで毎月雑誌を手にして、祈るような思いで「ああ、TK生は無事だった。」と胸を撫で下す。弾圧の様子を読みながら、TK生の無事をいつも祈っていた。彼の書く文章は淡々としていて決して感情に流されない。冷静さと底に秘めた強さを持っていて、いつも圧倒された。

隣の国のことは、まさに自分達のことでもあった。当時親しかった友人たちは、ほぼ例外なく獄中にいた。権力による弾圧は隣の国の物語ではなかった。裁判なしの長期拘留で小菅の東京拘置所は不法逮捕された学生で一杯だった。
後にTK生は1924年生まれ、クリスチャンの政治学者、ジ ミョン クワン(池明観)教授だったとわかった。彼が「世界」編集長の安江良助の協力を得て書いたものだという。彼の書いた通信が、当時の民主化を求める人々に与えた勇気と感動の大きさはどんなに表現してもし尽せない。
1980年5月広州で大変なことが起こっている、軍に包囲された市民が無差別に一斉射撃で殺されている、そんな巨大な暗雲が立ち込めるような情報が広がっていき嘘であって欲しいと、すがる思いでTK生の通信を待った時のことが昨日のように思い出される。

1979年12月、クーデターで軍の実権を握った全斗換は、翌年全国を戒厳令下に置き執権の可能性のある金泳三と金大中を逮捕、監禁した。(金大中に死刑判決が下りたのが、1980年9月。)金大中は全羅南道出身で、全羅南道の道庁が広州だった。広州の人々の怒りは大きく、反軍民主化運動のデモが学生、知識人のみでなく10万人の市民が立ち上がり、軍部に反旗を翻した。
1980年5月20日。広州市の全南大学と朝鮮大学を封鎖した陸軍空挺部隊は、抗議に集まった人々と衝突。市民は郷土予備隊から奪った武器や角材、火炎瓶などで対抗した。翌21日には戒厳令軍が広州市を包囲、外部の鉄道、道路、通信回線を遮断した。そのため 広州市で何が起きているのか、全国の人々は知ることができなかった。
一方、軍による市民への無差別一斉射撃に怒り、立ち上がった怒れる市民の数は、日に日に膨れ上がり、金大中の釈放、戒厳令撤廃を要求した。5月26日には、陸軍部隊が戦車で市内を制圧。市民に対して無差別の逮捕、拘留 暴力がふるわれ軍の一斉射撃により多数の死傷者を出した。実際に亡くなった市民の数はわかっていない。公式発表では、死者行方不明者は、649人、負傷者5019人。戒厳司令部発表によると死亡者は170人、負傷者380人と食い違っている。
まことしやかに政府は広州暴動は北朝鮮によって工作され、金大中が内乱を起こした、と宣伝したが一笑に付された。いまは広州事件ではなく「5.18民主化運動」と規定されている。

唯一外国人による報道では、ドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員だったドイツ人ユルゲンヒンツ ピーター記者が、広州に潜入して軍による民主化を求める市民虐殺の現場を撮影するのに成功した。彼は韓国から日本に帰ってから、事実を世界に向けて発信した。
映画「タクシー運転手」は、このドイツ人記者の話だ。

原題:「A TAXI DRIVER」
監督: JANG HOON
キャスト SONG KANG -HO ドライバー
     THOMASKRETSHMANN ドイツ公共放送特派員ピーター
     YOO HAE-JIN    広州のタクシードライバー
     RYUJUN-YEOL      広州の大学生

ストーリーは
タクシー運転手、ソン カンホーは妻に先立たれ、11歳の娘と二人で暮らしている。妻の病気を治療するために蓄えをすべて使い果たしてしまい、今は日々の暮らしに汲々としている。個人タクシーで使っている車も、もう60万キロ走っていて、かなりガタがきている。娘の履き古した運動靴も、小さくなって履けなくなっているが、新しい靴を買ってやることもできない。

1980年5月20日早朝、彼は金浦空港で外人客を拾う。東京から来たドイツ人記者ピーターだ。彼は東京で、ソウルから到着したばかりの記者仲間が、反政府民主化運動が高まりを見せている、広州でひどいことが起こっているようだ、というのを聞いて、飛んできたのだった。
ソン カンホーはピーターを乗せて広州に向かう。
政治に関心の全くないソンは、昔、彼が兵役についていた時、軍人はみな規律正しい良い人達ばかりだった、と言い、反軍反政府の民主化運動を標ぼうするのはコミュニストだけだと確信している。ピーターはのんきで人の良い運転手との会話にイラつきながら乗車している。広州に向かう主要道路はみな封鎖されていた。それでは仕方がないから、とソウルに帰ろうとするソンに向かって、ピーターは「ノー広州、ノーペイ」と言い、広州に連れて行かないと代金は払わないと言い張る。慌てたのはソンだ。どうしても代金をもらわないと困るソンは、農家から聞き出した山道の迂回路を通って広州に入る。

街は騒然としていた。軍は市民に家に留まるよう、ビラをヘリコプターで撒いている。しかし人々は街に出て集会に参加していた。街のどこにも反軍反政府のプラカードが立っている。病院は軍との衝突で怪我をした人々で溢れかえっている。ピーターはヴィデオを回す。運転手ソンは、こんなに危険な所には居られないと、ピーターを置いてソウルに帰ろうとするが、怪我をした老婆に呼び止められ、彼女を病院に運んたところで人々の惨状を目にする。夜になって軍の攻撃も激しくなった。ピーターが撮影しているところを、戒厳軍にキャッチされた。ピーターとソンは、軍人に追われる中、学生のひとりリュ― ジーヨルの手引きで逃げ切ることができた。一刻も早く撮影したヴィデオをもってソウルに帰りたい。しかしタクシーはエンコして動かない。学生の兄、広州のタクシー運転手のヨー ハエジンの家の泊めてもらい、車の修理をしなければならない。

翌日から軍とデモ隊との対立は激しさを増す。街は陸軍が戦車で街を走り回る戦場だった。運転手ソンは車の修理を終えると、ピーターを置いて一人でソウルに向かう。11歳の娘が心配で仕方がないのだ。広州を脱出し、近くの街で娘のために靴を買う。昼食を食べるうち、街の人々のうわさ話が耳に入る。広州では学生たちが戦車に包囲されて殺されているらしい。しかし人々は、かつてのソンのように、「それはコミュニストが殺されただけだろう」、と人々は取り合わない。「そうではない。」年を取った老婆が、女子学生が、市民が無差別に射撃されているのに。
ソンは広州からひとり逃げようとしている自分を恥じ、ピーターのところに戻る。ピーターは、自分を追手から逃がしてくれた学生リュ― ジーヨルが捕えられ拷問の末、殺された遺体の横に居た。ピーターは死体で溢れる病院を撮影し、治安軍に追われ何度も危険な目に会いながら撮影を続けたすえ、ソンのタクシーでソウルに戻る。無事ピーターを金浦空港に送り東京行きの飛行機を見送った後、ソンは家に戻る。11歳の娘が待っている。
というお話。

深刻な歴史を扱っているが、笑いもあり、涙もあるヒューマンドラマに仕上がっている。
運転手役を演じた、SONG KANG-HOの演技力が冴えている。彼は妻を亡くしたシングルファーザーだが、飲んべいで人が良く、あまり物事を深く考えないごくごく普通の市井の人だ。だからこそ彼が、軍の横暴を目撃して、民主化運動は軍がいう北朝鮮コミュニストのスパイによって起こされたようなものではなくて、「人が人であるために当たり前のことを要求しているに過ぎない、」ということが分かった。思い込みが間違っていたら、人は考えを改める。人は変わることができる。

悲惨な、昔あったことを忘れないために私達は、こうした映画を観ることは価値のあることだ。日曜日の午後、歩いて行ける近くの映画館でこれを観た。若いカップルで映画館は一杯だった。多国籍国家オーストラリアで、若い人達がこうした映画を観て、自分たちや自分達の親が生まれ育った様々な国が、それぞれ持っている歴史的なできごとを映画を通して知る。民主化運動とは何だったのか。そして反芻して理解する。それはとても意味のあることだ。

写真は広州事件:5.18民主化運動で亡くなった方々の墓

2017年8月22日火曜日

ACOコンサート「山」







久しぶりにオペラハウスで、ACO(オーストラリアチャンバーオーケストラ)のコンサートを聴いた。
舞台いっぱいに大きなスクリーンが出ていて、そこに山の映像が写され、それに合わせて舞台でオーケストラが演奏する。音楽監督リチャード トゲンテイと映画監督ジェニファー ピードンとのコラボレーション。二人は3年前から音楽と映像とを同時に満足できる作品を作りたいと話し合ってきた。そこからジェニファーが映像を作り始め、フイルムにリチャードが音を作っていく作業が始まり、遂に完成してコンサートが開催された。

タイトル:「山」
監督:ジェニファー ピードン ( Jennifer peedom)   
音楽監督:リチャード トゲンテイ ( Richard Tognetti)
カメラ:レナン オズダーク  ( Renan Oztuk)
脚本:ロバート マクファラン  (Robert Macfarlane)
ナレーター:ウィレン ダフォー  ( Wielem Dafoe)

演奏された曲
リチャード  トゲンテイ作曲:「プレリュード」、「マジェステイー」、「サブライン」、「ゴッズ アンド モンスター」、「フライイング」、「マッドネス ハイツ」、「オン ハイ」、「ファイナル ブリッジ」
エドワルド グリーグ:「Praludium from Holberg 」suite Op40
フレデリック ショパン:「ノクターン D フラットメジャー」Op27
アントニオ ヴィバルデイ:「四季」から冬 第3楽章と、夏 第3楽章
アントニオ ヴィバルデイ:「4つのヴァイオリンとチェロのためのコンチェルト」
              ラルゲットBマイナー RV580
ジョセフ ナイゼッテイ:「GRIEF」
ルドヴィック バンベートーベン:「ピアノコンチェルト第5番」Eフラットメジャ
                Op73「皇帝」

ヴァイオリン10、ビオラ3、チェロ3、コントラバス1、それにピアノ、パーカッション、フレンチホルン、フルート、バスーン、クラリネットが加わっていた。
ACOはいつも 立ったまま演奏する。練習もリハーサルも立ったまま、3時間の舞台演奏も立ったままで全然平気。コンサートでアンコールには答えないで、演奏で全力を出し切った後はサッサと舞台を後にする。コンサートの後、私が帰る時カーパークで彼らが建物から立ち去る後ろ姿を見送ることもたびたび。この爽やかさ、若さいっぱいで、しかし音の妥協は一切しない彼らをこの20年余り見て来た。寄付金も定期的に送ってきた。

国や自治体からは、資金援助をもらわない、この独立したオーケストラには、熱烈なファンが、沢山いてスポンサーをしている。団長のリチャード トゲンテイに、1743年のグルネリのヴァイオリンを寄付したのも、ザトウ バンスカに1728年のストラデイバリウスを貸与したのもオージーの個人の篤志家。第2ヴァイオリンコンサートマスターのヘレナ ラスボーンに1759年のガダニーニを貸与しているのはコモンウェルス銀行。チェロのテイモ ヴィツコに1729年のグルネリを、イケ シーに1790年のヨハネス クーパスのヴァイオリンを、貸与しているのも篤志家。コントラバスのマクシム ビボウは、16世紀のガスパロ ダサオという楽器を、彼のために再生した篤志家によって貸与されている。良い音を作っている芸術家には必ず地元の良いサポーターが付くという証だ。

映像に使われた山々は、ヒマラヤ山脈、ヨーロッパアルプス、日本の山々。衛星から画像を撮影することができるようになり、ドローンを飛ばすこともできるようになり、山々を撮ることで、今まで見ることができなかった山々の細部まで観ることができるようになった。
また地球上の山はすでに、未踏峰の山は無くなって全部登頂を極められてしまったので、今は、それらの山をどう登るか という段階に入った。エベレストを無酸素で登る。重装備なしに登る。ヘリコプターで頂上まで行き、急斜面をスキーやスノーボードで滑走下山する。パラシュートをもって登り、岩から飛び降りて飛んで帰って来る。ウィンドスーツを着て、山のてっ辺から飛び降りてモモンガ―のように手足をひろげて風に乗って帰って来る。すべて命がけだ。
それでも人は挑戦することを止めない。

山は良い。わたしに青春と呼べるような時期があったとしたら、それは間違いなく山だった。ベトナム戦争が終結して、何か物に取り憑かれたように山に登った。山から帰ると地上の汚れに耐え切れず、すぐに山に戻りたくなった。3000メートル級の岩壁を這いずり回っているから直射日光で山焼けして、顔が腫れて埴輪の様な顔になっても、顔の皮が2枚も3枚も剥がれて来ても、全然気にならなかった。穂高、槍ヶ岳、常念岳、蝶が岳、立山、剣岳、白馬3山、八ヶ岳、谷川岳、丹沢の山々。ひとつひとつの山の姿が目に焼ついていて思い出すだけで夢みたいだ。

「私たちが登る山は岩と氷だけでできている訳ではなく、夢と望みで形造られている。私たちは山を登る。それは私たちの心の山を超えるためであるからだ。」と、この作品を脚本したロバート マクファーレンは言っている。

ACOが演奏したのは、団長でこの作品を監督したリチャード トゲンテイが作曲した作品が多かったが、バロックのヴィバルデイ、クラシックのベートーベン、ロマン派のグリーグとショパン。 ヴィバルデイ「四季」の冬と春の第3楽章は、神々しい切り立った岩壁、氷の岩、人を寄せ付けないヒマラヤのフイルムにぴったりマッチした。ショパンの「ノクターン」は雪に覆われたアルプスの山々の乾いた風、山の空気、雪嵐、厳しい雪山に生きる野生動物たちの姿によく似合う。そしてベートーベンの「皇帝」では圧倒的な山々の力強さを表現する映像で完結する。 山と音楽が好きな人には、どんな映像が流れたか想像することができるだろう。

編集時にサウンド デザイナーとしてこの作品をまとめたデヴィッド ホワイトは「ジェニファーのカメラとリチャードのヴァイオリンとで 美しい詩が作られたんだよ。」と言っていた。本当に映像と音楽とで「詩」になっている。

久しぶりオペラハウスで日曜日の午後を過ごした。チケットはすべてソルドアウトで1席の空きもなかったのには驚いた。でも良い日曜日だった。今夜は山の夢を見よう。


2017年8月18日金曜日

映画「軍艦島」

監督:リュ スン ワン(RYOO SEUNGーWAN)          
キャスト
ファン ジョンミン:バンドマスターのイ カン オク
ソ ジ ソブ(SO JI-SUB):ストリートファイター、チェ チルソン
ソン ジュンギ(SONG JOONGーKI):挑戦独立活動家パク ムヨン
リイ ジョン ヒュン(LEE JUNGーHYUN):従軍慰安婦、オー マルニョン
キム スーアン(KIM SU-AN) :バンドマスターの娘、リー ソーヘイ

映画の背景
長崎県、端島は、形が軍艦の様に見えることから俗称「軍艦島」と呼ばれてきた。かつては石炭が採掘され、明治期からの製鉄、製鋼など基幹産業を支えてきた。島は三菱鉱業が所有していたが採掘のために島は拡張されて、当時は珍しい最新式の9階建てのアパートが建てられ、病院、学校、プール、映画館、パチンコ屋まであり、最盛期には5千人を超える炭鉱関係者が住んでいた。1960年代になると、需要が石炭から石油に取って代わられた為、1974年に炭鉱は閉鎖され、現在は無人島になっている。
その島の独特の成り立ちと歴史を評価され、ユネスコから世界遺産に指定された。2009年からツーリストを受け入れ、現在は船で上陸することができるが、崩壊する危険のある住居跡など島の95%は立ち入り禁止となっている。 2013年、007ジェームスボンドシリーズの「スカイ フォール」では、この島を使って映画が撮影された事も記憶に新しい。

当時、石炭の採掘現場は、地下1000メートルの深さにある海底で石炭を砕石するため、95%の湿度、30度の暑さという過酷な環境で採掘しなければならなかった。
1937年に日中戦争が始まると、1938年には国家総動員法、翌年には国民徴用令が施行され、1942年には 朝鮮総督は朝鮮労務教会によって、鉱夫が徴用された。次第に、戦争が長期化すると、日本の労働力不足を補うため、採掘のための労務者募集と言っても、実際には強制連行が行われ、日本警察が朝鮮の一般人を拉致に近い方法で徴用することも多かった。強制連行された韓国人、中国人などの労務者は、貧しい食事や乏しい道具で、地下深い現場で過酷な採掘に従事し、事故も多く、1300人の死者が記録されている。そのためにこの島は「地獄島」とも呼ばれた。

映画のストーリー
1945年2月 日本帝国主義による植民地朝鮮の京城(現在のソウル)。
ホテルのバンドマスター、カン オクは、ジャズバンドを持っていてホテルでショーを興業している。10歳になる娘のソー ヘイは、父親と一緒にタップダンスを踊り歌を歌ってショーの人気者だ。酒とショーを楽しみにやってくる日本兵は上客でもある。ある日、親しくしている日本人の親方から日本に出稼ぎに行ったらどうか、と勧められる。もっと稼げると聞いて、彼は娘を連れて、船で長崎に向かう。同じ船には沢山の出稼ぎのために来日する朝鮮人労務者が乗船していた。

しかし到着したところは軍艦島だった。待ち構える日本兵に囲まれて、数百人の朝鮮人らは裸にされて、時計や金製のアクセサリーなど、すべてを取り上げられて、男女は別々に分けられる。カン オクは、娘を取り上げられるのに抗して、ローレックスの時計を差し出すが無視されて、娘と離れ離れにされてしまった。
女たちは一様に着物を着せられて、慰安婦として島崎隊長ら日本軍将兵の相手を務めることになった。10歳のソーヘイまで化粧を施され、上官の酒の席に差し出される。女たちは言われるまま座敷に出るが、涙が止まらない。そこで島崎隊長は座敷の空気を明るくすべく、レコードをかける。それはソーヘイが父親と歌っているジャズだった。ソーヘイは、わたしは歌手です、歌手なのです、と叫ぶように言って彼女が踊ってみせる。そして慰安婦にされる危機局面を脱したソーヘイは、その後島崎隊長の住む家の女中として働くようになり、時々父親とも会えるようになる。

バンドマスターでショーマンのカン オクは、兵隊たちの前で「同期の桜」や軍歌を次々と演奏して気に入られ、過酷な鉱夫の労働から逃れることができた。以降日本語が流暢な彼は朝鮮人仲間のために、様々な便を図る。
地底深く劣悪な環境で採鉱する現場では事故が多発し、怪我人や病人も沢山出た。海底で突然噴き出るガスや炭塵で失明する鉱夫も出た。何百人もの朝鮮人鉱夫を牛耳っている朝鮮人ボスの非人間的な扱いに怒った、ストリートファイターのチル ソンは、壮絶な喧嘩の末に新しいボスになった。また、鉱夫に中には朝鮮独立活動家のム ヨンが居た。ム ヨンは京城大学学生らと結束して、島から脱出する計画を立てていた。ム ヨンは 日本軍が隠している内部資料を見て、日本兵と朝鮮人労務者との間の橋渡しをしている朝鮮人の組織委員長は、朝鮮人の信頼を得ていたが実は 日本側に身売りしたスパイであることを見抜く。この男は同胞の賃金の上前を撥ね、鉱夫たちに集団脱走を勧めておびき出し、その全員を鉱内の閉じ込めて殺害する計画を立てていた。ム ヨンは事実を鉱夫たちの前で暴く。

軍艦島の上空を、B29が飛んでいく。ム ヨンは日本の敗戦は目に見えていると読んだ。広島に新型爆弾が落とされたらしい。そして、遂に軍艦島もB29によって爆撃された。炭鉱は火の海。混乱に乗じて集団脱走が始まった。
島崎隊長は大火傷を負い、部下の山田副隊長に殺害される。日本兵らは軍の秘密書類を処分する。軍は朝鮮人らを強制労働させていた一切の証拠を焼却しなければならない。集団脱走の混乱のなかで独立闘士ム ヨンは山田副隊長の首をはね、奪った船に鉱夫たちや病人、怪我人や女たちを誘導する。船に乗り込むための鉄橋が破壊されたが、カン オクらの犠牲的な働きで再建され400人の朝鮮人たちは島を後にする。故郷を夢みる人々が長崎に向かう航路で見たものは、新型爆弾が落された瞬間だった。
というおはなし。

映画史に残る、優れた反戦映画だ。
反戦映画というだけでなく、エンタテイメントとして、実によくできている。忘れられないシーンが沢山ある。

男気のかたまりのような元ストリートファイターのチル ソンが、慰安婦のマル ニョンの哀しい話を聞かされて、必ず故郷に連れて帰ると約束するが、集団脱走の最中、マル ニョンは銃で撃たれて動けなくなる。彼は傷を負った女のために脱走を諦めて、仇を取った末、満身創痍の状態で虫の息の女を抱きしめて共に死ぬ。二人の純愛シーンにすすり泣く観客の声があちこちで聞こえた。

脱走する400人の朝鮮人をすべて鉱路に閉じ込めてダイナマイトで殺すように命令しながら自分は上官を殺して逃亡を図る山田副隊長に火炎瓶を投げる10歳のソー ヘイ。その忌まわしい敵の首を一刀両断で撥ねるム ヨンのその歌舞伎役者のような身のこなしに胸のすく思い。

島と舟とを結ぶ鉄橋が破壊され、乗船できなくなった。落ちた橋を再び起こすために日章旗を真ん中から引き裂き、2本の紐を作り、銃弾が飛び交う中を身を挺して、鉄橋を持ち上げるカン オクと慰安婦たちの英雄的な行為。

脱走した人々を乗せた船が下関に向かうときに落とされた原子爆弾、そのまばゆい光に照らされた人々の赤い頬。立ち尽くす人々。

10歳の女の子、キム スーアンの演技が秀逸。タップダンスしながらジャズを歌う、マルチタレントの子役女優。彼女の感情表現の豊さには目を見張る。2016年の「TRAIN TO BUSAN」でも彼女を見て立派な役者だと思っていた。ゾンビ映画だが、愛も人情も正義も描かれた映画。銃を構える兵士たちに「OVER THE RAINBOW」を歌いながら向かって行くシーンで映画が終わったが、今回の映画も彼女の唄で映画が終わる。

ストリートファイターのチル ソンと日本兵のお気に入りボスのミン ジョウとの乱闘場面が凄い。風呂場で互いに裸で、どちらかが生き残るか。殺気と活劇の激しさは本当に死者が何人か出ても不思議でないほどで、これまで他で観たことがない激しさだった。頭蓋骨陥没、大腿骨骨折、肋骨8本くらい折れていて不思議はない。こんな乱闘場面に比べたら、ランボーもジェームスボンドも軽い、軽い、話になりませんな。
そんな強くて優しい男、チル ソンにめろめろです。本名ソウ ジーソブ39歳、水泳の韓国代表選手だった人で、今はヒップホップラッパーで自作のCDをいくつも出している人だそうだ。
彼に限らず出演している男達、プロフィルをみると、みんなそろって身長180センチあって、引き締まった体で、裸の姿が絵になっている。素晴らしい。

韓国映画はドラマ造りのチャンピオンだ。ストーリーが良くできていて、おもしろい。わかりやすいが少しひねりもある。情があり情緒豊かで純愛を描いたら超一流。他にはかなわない。
どうしてか。

監督は、若干43歳、1973年生まれの、リュ スン ワン。彼が子供だった時は、表現の自由は制限されていて、映画と言えば、「プロパガンダ」ばかりだった。自由な表現にあこがれて、3年間中学生のとき昼食を食べないで我慢して貯めたお金で、8ミリカメラを買ったそうだ。同じころに両親を亡くして高校進学はあきらめたが、カメラを使って自由な表現を追及してきた、という根からの映画人だ。だからこの映画でもたくさんの登場人物が出てくるが、「ひとりひとりが豊かな感情をもった人」として描かれている。英雄的な人も何人も出てくるが、たった一人の英雄を描いた映画ではない。鉱夫たち、海底1000メートルの灼熱地獄で石炭を掘る、ひとりひとりが英雄だ。鉱道の先端で狭いところには大人が入れない。若くまだ子供の様な少年が最も危険な先端で採掘をする。トロッコの暴走で片足を失う男が居る。無言で死者を弔う男達、そういったわき役を演じる人々が圧倒的なパワーを持っている。「カメラで表現する」そうした動機をもって監督になった人だから、登場人物のひとりひとりが豊かな感情を持った「人」として描かれている。どのような環境にあっても人であろうとする400人の魂が、みんなみんな英雄として描かれている。

旧日本軍の残虐さが映画の背景にあるので日本の歴史の負の面を描いた映画という理由で日本での上映が懸念されている。世界中113か国で上映されている。日本での上映を心から望む。
アンジェリーナ ジョリイが監督した映画「アン ブロークン」では、日本軍が外国人捕虜を虐待するシーンがあったという理由で、日本で上映されなかった。この映画の映画評は2015年1月24日のこのブログで書いた。
チャン イーモー監督で、クリスチャン ベイル主演の映画「FLOWER OF THE WAR」は、南京虐殺を背景にしているので、これまた日本で公開されなかった。この映画評は2014年8月2日のブログで書いた。どちらも素晴らしい作品だった。

芸術に反日も好日もないのではないか。2本とも日本で一般公開されなかったことは残念でならない。過去の間違いは反省して正す努力をすればよい。旧日本軍を描いた映画を避けて正面から観ようとしない日本人に、「KKKにも言論の自由があるから、取り締まらない。」と言ったダニエル トランプ大統領を笑う資格はない。
世界中で公開されている映画をに日本だけでは公開しない、権力者にとって都合の悪い映画は封印する、というのではこれは「思想統制」ではないか。日本の誤った歴史から目を背けて無かったことにするのでは、画家アン ウェイウェイを弾圧し、ノーベル賞受賞者の詩人、劉暁波リウ シャオボーを獄死させた中国政府を批判する資格はない。
「軍艦島」の日本公開を切に願う。

2017年8月14日月曜日

RSPCAと猫の話

                     

手のかかるオットを施設に入れて、セイセイしたでしょう、と誰からも言われるが、そのへんのところは微妙なので、うんとも、いいやとも即答しないようにしている。
わたしはそれで良いが、愛猫クロエは、わたしのように、毎日ルンルンとはいかないらしく不安神経症を発病して、家じゅうの家具や絨毯をひっかいて駄目にしてくれた。

オットが居た頃は大きなアパートに住んでいて、いくらでも猫の隠れ場があり、昼間は家にわたしが、夜はオットが家に居て、いつも誰かが横に居た。わたしが夜勤をしていたのは、給与が高いこともあるが、夜の仕事中は静かで、結構本がじっくり読めるし勉強もできたからだ。また急に飛び込んでくる医療通訳の仕事は昼間なので、病院勤務は夜の方が都合が良かった。年中家に誰かが居て、いつもベランダは開け放ち、下界が見下ろせて、良い風が入って来る。そんな環境に クロエは満足していた。引っ越したくはないが、オットが居なくなり、月に3000ドルの家賃を払って大きなアパートを借りる必要がなくなったので、郊外に小さなアパートを買った。「家や土地など個人が所有するものではない。人は永遠に生きられない。家や土地を所有して、なんぼのものか。」と考えていたが、年を取り動けなくなって、年金暮らしになったら、家賃は年金で払えない。オーストラリアの年金など食費の半分にしかならない、ということが分かって、やむなくアパートを買った。日本の年金はどうなのだろう。

クロエはオットが居なくなり、小さなアパートに引っ越したことが気に入らない。出かけて行くと、仕事から長い事帰ってこない人を待つ生活も気に入らない。まず、レザーのソファを4面とも爪とぎ場にしてボロボロにしてくれたのを手始めに、ベッド、絨毯と、次々に見るも無残な姿にしてくれた。

獣医の娘がアメリカ製の立派な「爪とぎ柱」を取り寄せてくれたが、そんなもの見向きもしない。ソファをガリガリ始めると、飛んでいって新しい爪とぎ柱で爪を研ぐ真似をして「こうやるんだよ」とレクチャーするが、教育指導効果は全くなし。猫になったつもりで爪とぎ柱をひっかいている姿を軽蔑の目差しで見ている。ソファやベッドは襤褸になれば買い替えればよい。しかしアパートに床にはめ込んである絨毯の角から端を引っ張り出してボロボロにされたので、これは修理不可能。すべての家具を引っ越しさせて家じゅうの絨毯を張り替えるしかない。レザーのソファを買い替えるような値段では済まない。
全財産はたいて買った小さなアパートは、たった1年で襤褸屋、廃屋になりつつある。

クロエが来る前の、オーストラリアで初めて家にきてくれた猫オスカーは、素晴らしい猫だった。猫の大学があったとしたら、再優秀の成績で卒業したような立派な猫だった。猫をもらいにRSPCA(ROYAL SOCIETY FOR THE PREVENTION OF CURELTY TO ANIMALS) に行った時のことを忘れられない。

RSPCAは全国にあり保護を必要とする野生動物を引き取り治療し野生に帰したり、主人に死なれたペットを次の希望者に引き渡したりするシェルターで、各6州ごとに代表連絡先があって、センターに電話をすると自宅に近いシェルターを紹介してくれる。昨年保護して自然に返した野生動物が701、943頭、新しい飼い主に引き取られた犬、382、951匹、猫が246,928匹という。人口2千400万人の国で、これだけの動物が、一年間に保護されているというのは、記録的な事業と言える。

RSPCAシドニーは、ヤゴナという郊外にある。広い敷地には犬やポニーが散歩できるほどの広場があり、犬、猫、山羊、羊、ポニー、ウサギ、フェレルなどがいた。大多数の犬は一匹ずつコンクリート床の個室に収容されていて、入口にそれぞれ名前と年齢を書いた札が付いている。犬の中で一番大きなニューフオンテインランド犬まで居た。一人の青年がこの犬を欲しがっていて、職員に彼がどんな家に住んでいるのか、庭がどれくらい広いのかなどと質問されていた。片耳だけ大きくして盗み聴きしていると、結局自分の家の庭が何平方メートルあるのか答えられなかった青年の家に職員が訪ねて行き、この犬の飼い主として合格かどうかを判定することになって、そに日時について話し合うことになった。

また小部屋があって、生まれたばかりの子犬が数匹いた。見学に来た人はみんな子犬を抱いてみたくて、ちょっとした列ができていた。施設に来た人はみんな自分の犬や猫が欲しくて見学に来ているわけだから、それを知っている犬達は、「連れて行って、連れて行って」と尻尾を振り、柵まですり寄って来る。どの目も必死だ。本当にどの子も連れて帰りたい。みな棄てられた子たち。こんな良い子達が待っているというのに、ショッピングセンターのペットショップで今日もペットを気軽に買っていく人々、クリスマスプレゼントに子犬をプレゼントする馬鹿者たち、子犬が大きくなったらRSPCAに引き取ってもらいにつれてくる愚か者達が、本当に憎くなる。

猫は大きな室内のガラス張りのケージに、グループごとに収容されていた。中は猫たちが遊べるように階段や、木の上に小さな小屋が作られていて工夫が凝らしてある。
階段の頂上にオスカーが 悠然と下々のもの達を見下ろしていた。この猫を観たら、他の猫など目に入らない。決めた。茶色の縞模様。毛が長くふさふさ。長い毛がライオンのたてがみのようになって威厳がある。オスカーという名で8歳です、と言われて信じられない。美しい毛並みで3歳くらいにしか見えない。前の主人はイタリア人家族で、故郷に帰ることになって、仕方なくシェルターに連れて来たということだった。アントニオという名前だったそうだ。

予防注射やワクチンに要した費用を払って段ボールに入れて家に連れて帰った。オスカーは、優秀でアパートにもすぐ慣れた。トイレも失敗したことがない。一緒に住んでいた娘たちが大学を終え、専門職に就き、それぞれ独立して家を出て行くのを見送り、沢山の友人たちが訪ねて来て、誰からも愛された。
10年間わたしたちと一緒に暮らして18歳で老衰死した。彼の骨がきれいな箱に入って、居間のテレビの横の飾り棚に置かれている。

その飾り棚の足元を不安神経症を抱える今の飼い猫クロエが、またガリガリと爪を立てている。オスカーは死んでしまったし、オットは歩けなくなって、盲目になって、うちには、もう帰って来ないんだよ、クロエ。
                      
写真は黒猫クロエと、オスカー。

2017年8月5日土曜日

映画 「ベイビードライバー」

映画「ベイビードライバー」
日本公開: 8月19日             
監督:エドガー ライト
キャスト
アンセル エルゴード :ベイビー
ケビン スペイシー  :ドック ギャングのボス
リリー ジェイムズ  :デボラ
ジェイミー フォックス:バッツ 
エイザ ゴンザレス  :ダーリン
ジョン ハム     :バデイ

クールでスタイリッシュで、スピーデイーでビートが効いている映画。ものすごく音楽が好きな人は、観なくちゃダメだよ。
銀行強盗やって罪のない人々を傷つけたり殺して、何十台もの車を燃やし、建物や橋や高速道路を破壊して極悪ギャングの逃走用運転手をやっているベイビーと呼ばれる少年が、クール、、というのもおかいけど。
ものすごく沢山の血が流れ、現金が飛ぶ犯罪の数々が、スタイリッシュで素敵、、、というのも変だけど。
八重歯以外にこれといった特徴のない、特別ハンサムでもないベビーフェイスの少年が、いつも耳から離さないイヤホンから聞こえる音が、ビートが効いていて、スピーデイーなアクションに合ってイケてる、、というのも妙、、、だけど。
少ない予算で若い監督が作った映画が、予想外にたくさんの批評家から絶賛されて、制作費用の何倍もの興行成績をあげてしまって、誰よりも驚いているのが、監督さん、という微笑ましい結果になった。ミュージックヴィデオを作っていた人が、3千400万ドルで作った作品が、この商業映画不振の時期に、公開直後にすでに1億800万ドル興行成績を上げたとなると、驚くのも無理はない。

ストーリーは
ジョージア州アトランタ
ベイビーは、卓越した運転技術をもった、心の優しい少年だ。黒人で聾唖者で車椅子で生活する養父と二人で仲良く暮らしている。ベイビーは幼い時、母親の運転する車に乗っていて事故に遭い、前部座席にいた両親を同時に失った。母親は歌手だった。ベイビーは事故の後遺症で、聴覚に異常をきたし、いつも激しい耳鳴りがある。執拗な耳鳴りから逃れるにはイヤホンを通して音楽を聴いているしかない。自分で古いレコーダーやカセットデッキを使って音楽を編集して、アイポッドに入れて、それを耳から離さない。イヤホンを通して音楽に身を任せることによって、集中力が増して反射神経が研ぎ澄まされる。

善良な養父は、ベイビーが良からぬ仕事に関わって、時々札束を持って帰るのが心配で、いつも人を喜ばせる仕事に就きなさい、とベイビーに言い聞かせている。ベイビーはたまたまギャングの親玉ドックの車を盗んだことから、弱みを握られて、銀行強盗の逃走用の車の運転をやらされている。大金がもらえるが、決して好きでやっているわけではない。ただ、ベイビーは自分が運転すれば警察に捕まることなく逃げ切れる、運転技術に自信をもっていた。
ドックに依頼された最後の仕事は、現金輸送車を襲うことだった。激しいカーチェイスを重ねて警察の追手から逃げ切ったあと、ベイビーはもうこれで自由になった、とドックに放免されて、ほっとする。ベイビーは喜び勇んで、一目惚れしたカフェのウェイトレス、デボラをデートに誘う。

しかし撚りにもよってデートの真っ最中、再び親玉ドックに捕まり、もう一件だけ仕事に加わるように言われ、拒否したらデボラの命もない、と脅される。その仕事は郵便局襲撃だった。メンバーは、いつものバデイと、彼の妻ダーリン、それに加えてバッツ(ジェイミーフォックス)が加わった。4人は襲撃のための武器を手に入れるために地下組織に接触する。しかし待っていたのは、覆面警察だった。いち早くそれを察知したバットは、その場にいた警察官たちを一人残らず殺害、ベイビーたちは、這う這うの体で帰って来る。
ベイビーは目の前で人が殺されるのが耐えられず、デボラを連れて逃亡しようとするが、自宅を襲われ、大事にしていたミュージックテープを奪われ、養父を傷つけられて、ギャングたちの仕事に最後まで付き合わされることになった。

郵便局襲撃でドライバーとして待っていたベイビーは、現金袋を抱えて車に乗り込んできたバットらが、必要もないのにガードマンを目の前で殺す様子を見て腹を立て、車を発車しない。追われている3人が車を動かせ、と怒鳴ると前に駐車していたトラックにむけて思い切り急発進させて、飛び出ていた鉄骨でバットを殺す。バデイとダーリンは徒歩で現金を抱えたまま逃走、ベイビーも後を追う。しかし、警官たちの包囲されてダーリンは射殺され、バデイとベイビーは別々に逃走する。

ベイビーはアパートに戻り、養父に今まで稼いだすべての現金を持たせて、老人ホームに運び込む。そして大事なミュージックテープを取り戻すために、ギャングの親玉ドックに会いに行く。ドックはベイビーが、ガールフレンドのデボラを連れているのを見て、二人で逃げるようにミュージックテープも現金も渡す。そのあとドックは追ってきたバデイに殺される。ベイビーはバデイからなんとか逃げ切るが、警察の包囲される。デボラはなお逃げようとするが、ベイビーはデボラに別れを告げて自首する。

ベイビーは25年禁固刑を言い渡されるが、数々の人々の嘆願書が功を奏して5年の後、出所する。刑期を終え、刑務所の門を出たベイビーを待っていたのは、オープンカーで待っていたデボラだった。
というお話。

映画が始まった時から終りまで音楽がいつも鳴っている。
1950年代のスローダンスミュージックからヘビメタからヒップホップまで何でもありだ。その音楽は、イヤホンで聞いているベイビーのアイポッドから流れてくる音楽だ。
最初の激しいカーチェイスとともにベイビーが聴いているのが、ジョンスペンサーブルース エクスプロージョンの、「ベルボトム」。次に、ベイビーが歩きながらテイクアウェイコーヒーを買いにいくところの長い踊りのシーンが、ボブ アンド アールの「ハ―レム シャッフル」で、このベイビーの軽い身のこなし、ぴったり音楽に合ったステップを見て、誰もが映画に引き込まれてしまう。テンポの速いアクション映画に、ロックとヒップホップが完全融合している。音楽の良さというものが、身に染みて良くわかる映画だ。

タイトルはサイモンとガーファンクルの「ベイビードライバー」という曲からとられている(と思う)。
他に、ゴーギー レネの「スモーキー ジョー ララ」、カルラ トーマスの「ベイビー」、JONATHAN RICHMAN&THE MODERM LOVERS の「EGYPTIAN REGGAE」、TーREXの「デボラ」、BECKの「デボラ」、インクレデイブル ボンゴ バンドの「ボンゴリア」、ザボトム ダウン ブラスの「テキーラ」、BLURの「インターミッション」、クイーンの「ブライトン ロック」、SKY  FERREIRAの「EASY」、キッド コアラの「WAS HE SLOW?」などなど、合計35曲の音楽が流れる。

サイモンとガーファンクルの「ベイビー ドライバー」は

My daddy was the family bassman
My mamma was an engineer
And I was born one dark mom
with music coming in my ears
in my ears

They call me Baby driver
And once upon a pair of wheel
I hit the road and I'm gone
What's my number
I wonder how your engines feel
Ba ba ba

というような歌詞で始まる、1950年代のチューン、ビーチボーイズを聴いているみたいで、ちょっとサイモンとガーファンクルらしくない曲。「明日に架ける橋」のアルバムの中にある。車好きな子供が玩具の車に乗って歌っているような楽しい曲だ。インタビューでこの曲についてサイモンは、あまり意味はないから歌詞をみて考え込まないでね、と言っている。
ポール サイモンの両親はユダヤ系でハンガリアからの移民だ。父親はプロのバイオリン奏者だったそうで、コントラバスの奏者でもあったという。この曲の始めのBASSMANのことだ。「僕のお父さんはバス奏者で、お母さんはエンジニア、、、」
この曲をLPからテープに移してイヤホンで、この映画に出てくるベイビーみたいにして聴いてみた人の体験談を読んでみると、すごく音が良くて、曲の背景にカーレースの車の轟音まではっきりと聴こえてきて、F1レース会場で音楽を聴いているみたいに興奮したと、言っている。なるほど、映画からインスパイヤされて、色んな事をやってみるものだな。

主演のベイビーことアンセル エルゴートはニューヨーク生まれの23歳。父親はファッション誌ヴォーグのカメラマン、母親はオペラの舞台演出家で、子供の時から芝居好きで、演劇を習っていた、という。2013年、ホラー映画「キャリー」で映画デビュー。2014年「きっと星のせいじゃない」原題「THE FAULT IN AN STARS」で、癌で早死する青年を主演して話題になった。人を泣かせるために作られた、このテイーン同士の純愛ものよりは、彼にはベイビー役のほうが似合っている。ベビーフェイスだが怒ると怖い。悪に利用されているが人殺しだけは許せないという筋を通す強さを持っている。クールだが優しい、そんな役。はじめ、ジェイミーフォックスや、ケビン スペイシーをわきに置いて、この子が主役?と思ったが、堂々としてとても良かった。

映画の最後、ベイビーが出所したとき、デボラが刑務所の門で待っているシーンが、黒白フイルムに突然変わったが、これは彼らの純愛が「タイムレス」時間を超えて、色あせることのない白黒にしたのだそうだ。手が込んでいる。
この映画を観て、「ぼくもこんな映画つくってみたくなった。」と感想を述べている子がいたが、まったく同感。
サウンドトラックが秀逸。
大きな感動ではなく、土曜の午後音楽に身を任せて、スタイリッシュなアクションで、ゆるりとしたいときに観る映画。お勧めだ。