2010年11月26日金曜日
2010 今年最後のACOコンサート
オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)の定期コンサートを 今年も全部聴いた。全部で7公演。
もう10年も リチャード トンゲッティ率いるこの室内楽団をサポートして、寄付金を送り、公演を聴き続けてきた。リチャード トンゲテイは、ヴァイオリンソロイストとして 他のヴァイオリニストの追従を許さない。完全に卓越して優れている。資金不足に喘ぎ、スポンサー獲得に苦労しながらも 決して室内楽団としての質を落とさない。必ず毎年 全員で海外公演に出かけ、国外の若いミュージシャンと共演して新しい空気を取り入れてくる。団員も全員若い。
自由でフレキシブルな、組織の中で一人一人の楽団員が 生き生きと喜んで音楽を表現している。どんなに長いシンフォニーでも 大曲ばかりを並べたコンサートでも 全員立ったまま演奏する。決してアンコールに応えず、演奏で力を出し切ったら サッサと退場して帰る。そういったスタイルも大好きだ。
遂に 眼鏡をかけるようになったリチャード トンゲッテイの、いくつになっても少年のような顔と体つき。新しいロシア人のコンサートマスター サツ バンスカを迎えて一層 技術的に高度で難解な弦楽曲を 当たり前のようにサラリと弾く。そんなACOが 大好きだ。
毎年 定期コンサートの最初と最後のコンサートは 内容が濃い。去年の最後のコンサートは素晴らしかった。いつもはアンコールに応えないが このときだけは いくつもいくつもアンコールに応えて、果てしもない終わりのないコンサートになった。団員と聴衆とが 文字通り一体化したこのときの感動がまだ忘れられない。
というわけで、今年最後のコンサートに、期待して行ったが からぶりして帰ってきた。といっても、ACOが悪かったのではなく、好みに問題だ。演奏はいつも最高だが、演出が良くなかった。嗜好の問題だから、仕方がないけど。
コンサート プログラムは
べートーヴェン ヴァイオリンソナタ「クロイツエル」
ヤナチェック 弦楽四重奏 「クロイツエルのソナタ」
「クロイツエル」という題名の トルストイの短編小説がある。1899年の作品。ベートーヴェンの「クロイツエル」(1803年)を聴いて 感銘を受けたトルストイが 同名の小説を書き、有名になって、映画にもバレエにもなった。
汽車の中で、ボズドヌイシェフ侯爵が、自分の妻が 友人トルハチェフスキーと浮気をしているのを知って、激情にかられて妻を殺してしまったことを、告白するという小説だ。
小説のもとになったベートーヴェンの「クロイツエル」は、「春」とともにベートーヴェンのソナタに代表作だ。初演は1803年のウィーン。
ベートーヴェン自身がピアノを弾き、彼と親しかったジョージ ブリジットタワーがヴァイオリンを弾いた。題名のクロイツエルは、フランス人ヴァイオリニスト ロドルフ クロイツエルに、捧げられた曲だからだ。
実際はベートーヴェンは 初めから これを共演したジョージ ブリジットタワーのために作曲したが、ある女のことで諍いがあり 不仲になったので腹を立てたベートーヴェンが 勝手に曲名を 「クロイツエル」に変えた と言われている。「クロイツエル」で有名な曲が 実は「ブリジットタワー」という曲になっていたかもしれない ということだ。にも関わらず クロイツエルは このソナタを一度も演奏しなかった。女のことで、不仲同士になったベートーヴェンと ブリジットタワーとが共演して、人々の心を揺り動かして、感動させ、トルストイはこれによって 小説のインスピレーションを湧かせたのだから、皮肉だ。
「クロイツエル」も、「春」もヴァイオリンソナタだが、ピアノも同格で対等に弾いて聞かせるソロが多く、高度の技術と音楽性を要求される。
私はどちらも大好き。それぞれに 思い出が深い。嘘みたいな体験がある。
かつて、沖縄にいた時 若きヴァイオリニストが「春」を弾く為に 本土からプロのピアニストを呼んだ。当時このヴァイオリニストは 沖縄で一番の奏者で独身、ハンサム。細身の彼の輝かしいデビューコンサートだったが、呼ばれて東京から来たピアニストは、これまた細身で美人の独身者だった。二人でリハーサルを繰り返すうち、当然のことながら 誰の目から見ても 二人は 恋愛中。ヴァイオリンもピアノもソロがあり 伴奏があり、それはそれは よく調和していて、コンサート大成功の予兆に、お世話する私たちもウキウキしていた。
それが壊れた。どうしてか知らない。コンサートの当日、二人とも目は三角に吊りあがり、口はへの字。二人が憎み会っているのは一目瞭然。
その二人のベートーヴェン「春」は すごかった。ヴァイオリンは 激怒のほとばしり。ピアノは 指も折れよ とばかり鍵盤たたきつけて、わめきたてる。怒涛の春嵐、、、。もう、とても迫力のある「春」でしたね。コンサートの後のうちあげもなく、彼女は 蹴飛ばすようにハイヒールの音高々に去り その足で東京に帰りました とさ。あれはすごい「春」だった。
ヤナチェックの「クロイツエルのソナタ」は、ベートーヴェンの「クロイツエル」からではなくて、トルストイの短編小説をもとに作曲されたもの。1923年にプラハで初演された主人公ボズトヌイシェフが悩みぬいて苦しむシーンが第1章節、妻と愛人が語り合うシーンに続いて、最終楽章で 妻が夫に殺されて 終わる。
今回のコンサートでは 二人の男女の役者が舞台の全面に座り、これを演じた。妻とその愛人だ。二人の対話があって、ベートーヴェン「クロイツエル」が演奏され、二人の演技と対話があって、ヤナチェックの「クロイツエル」が演奏された。
楽章ごとに 役者によって曲が中断される。これに、私は曲を楽しめなかった。曲の解釈は人によって異なる。わたしには私の「クロイツエル」がある。それは人殺しでもなければ、愛でも憎しみ合いでもない。だから、曲を他人に解釈されて、それを押しつけられるのは嫌だ。
そんな意味で 今回のコンサートは全く楽しめなかった。今年最後のコンサートだったのに残念だ。