2009年10月3日土曜日

オペラ 「ザ ミカド」




オペラ オーストラリア 今年後期オペラの最後の出し物のひとつ、「ザ ミカド」を観た。
アーサー サリバンによって二幕もののオペラとして作曲され、W S ギルバートによって 脚本 劇化された作品。英語で歌われて、英語の字幕がつく。オペラハウスにて、A席 $180。10月31日まで。
19世紀にロンドンで開催された万国博覧会を契機に日本ブームが起きた その勢いに乗って生まれたオペラ。登場人物がみんな 日本の着物らしきものをまとい、天皇が登場、皇太子のお妃選びをめぐる おもしろおかしい喜劇だ。

これをむかし、娘達がインターナショナルスクールの中学生だったときに 上演したことがある。舞台の下で オーケストラに駆り出されたので忘れられない。学校では年に一度のミュージカルは、学校を挙げての大きなイベントだった。本格的オーデイションで 配役を生徒、教職員、父兄のなかから選び、数ヶ月かけて舞台を作り上げる。仕上がりは本格的。今思うと、芸達者ばかりが そろった学校だったと思う。

インターナショナルスクールの教職員は 毎年アイオワで、大規模なマンハンテイングが行われる。世界中のインターナショナルスクールの校長たちが より良い先生を求めて これまた世界中から応募してきた先生達を審査し、面接をして雇用契約を結ぶ。
このときに、歌って踊って楽器を演奏するテストでもあるのではないかと思うほど インターナショナルスクールの先生方はバラエテイーに富んだ タレンテイッブな人が多かった。ウェストサイドストーリーのマリアが歌う歌を全曲 歌って踊れるアメリカからきた理科の先生、プロ並みのヴァイオリン奏者のインド人社会学の先生、だいたいアメリカ人の校長が「屋根の上のバイオリン弾き」のテビオの役、「オペラ座の怪人」などミュージカルなら何でもござれの 玄人はだし、この「ザ ミカド」のココの役などお手の物だった。
インターナショナルスクールの敷地は いわば「租界」で、どんな低開発国でも回教国でも この学校の中だけは 治外法権といってよい、いわば「ちいさなアメリカ」だった。各国の大使 領事館の子弟、世界銀行やアジア銀行の職員の子供達は、ここに通って来ざる終えない。マニラでは、ビレッジの中の敷地には、幼稚園児から高校3年生までの合わせて2000人たらずの子供達が通ってきていた。

ミュージカル出演者のオーデイションは厳格な審査のもとに行われる。生徒達は 主役が欲しくて授業のあと プロの声楽家についてヴォイストレーニングに通ったり、ダンスクラスで練習に励んだりしていた。興味深いことに、このような学校をあげてのミュージカルで主役や、準主役や 常連役者になる子供達は 舞台稽古が始まると 毎日学校の授業後 3時間も4時間もリハーサルが続くにも関わらず、勉強もよくできる子供達だったことだ。勉強も課外活動もスポーツもできて、おまけにボランテイア活動もしているというような子がアメリカで一番とか2番とか、高く評価されていた大学に そろって推薦入学していた。アメリカが欲しがる子供というのが おのずと理解できる。勉強が好きで、チームスポーツを楽しみ、舞台で踊ったり歌ったり楽器をひいたり表現力の豊かな、ついでにボランテイアに時間を割くことも出来る そんな子供ならば将来法曹界にはいっても、実業界に入っても立派なリーダーになれるからだ。
学校で演った「ザ ミカド」は大成功だった。

ストーリーは
ミカドの国の都 ティティプーで、旅芸人のナンキンプーは、美しい娘ヤムヤムに恋をする。しかし、ヤムヤムには、ココという婚約者がいた。ココはミカドのお気に入りの死刑執行大臣だ。気まぐれなミカドのいうまま、ミカドが好きなときに 好きな方法で 人を死刑にするのが仕事だ。ミカドは しばらく死刑がなかったので、来月までに一人死刑囚を連れてくるように とココに命令する。
そこで、ココは 自分のフィアンセを夢中にさせてしまった ナンキンプーが、ヤムヤムと結婚できなければ死んだ方がましだ、と言った言葉尻をとらえて、1ヶ月だけ ヤムヤムと結婚させてやるといって、1ヶ月後にナンキンプーが死刑にされることを納得させてしまう。
一方、ミカドと その息子の婚約者、カテイシャは、行方不明の皇太子を探している。年上で醜いカテイシャが嫌で、皇太子は逃げ出して行方をくらませていたのだった。
1ヵ月後に、ミカドと カテイシャが天皇の御所で待ち受ける中を 約束どうりに死刑囚が引き立てられてくる。それは、ミカドが探していた息子の皇太子ナンキンプーだった。
怒ったミカドは、ココがナンキンプーの代わりに死刑にされるべきだという。ココは死に物狂いで、ナンキンプーに捨てられた婚約者カテイシャに命乞いをして求婚する。カテイシャも 逃げ出した皇太子より男前の ココに求婚されて悪い気はしない。そこで、ヤムヤムとの結婚を許された皇太子ナンキンプーはヤムヤムと愛を誓って、ハッピーエンドとなる。
という たわいのない喜劇だ。

オペラオーストラリアの配役は
ミカド:リチャード アレクサンダー
ナンキンプー:カネン ブリーン
ココ:アンソニー ワーロウ
ヤムヤム:ターリン フィービグ

今年一番印象深かった映画「グラントリノ」で、クリント イーストウッドが、どうしてもモン族の女の子の名前を覚えられなくて、ヤムヤムと 勝手な名前で呼んでいたのを思い出す。イーストウッドが ヤムヤムと発音すると、なんで、あんなに優しげに聞こえるんだろう。

ナンキンプーこと、カネン ブーリンのテナーが とてもとても良かった。ソフトで無理のない のびのびとした テナーで聞いていてとても気持ちが良い。こんなに、柔らかい 優しいテナーを聞くのは 久しぶりだ。ヤムヤムの、ソプラノも悪くなかった。
ミカドのバリトンも良いし、ココのバリトンも悪くない。ココが、舞台回しで、死刑に使う斧を持ち歩いて笑わせる。アドリブで、あいつもこいつも死刑にせにゃあならん。という中で、4輪駆動車で街を我が物顔で走り回る若者とか、息子ほどの若い男を追い回している大型女優を揶揄してみたり、とある政治家たちも 死刑のリストに出てきて、皆を大笑いさせていた。

ところでこのオペラが作られて 100年もたっている。クラシックと言って良い程のオペラなのだ。
戦前 天皇をからかっているということで、在連合王国日本国大使が英国外務省に抗議して、上演を差し止めるように要請した、という話もある。真偽さだかではない。しかし、このオペラは日本人の間では 評判が悪い。あまり日本では 上演されていないみたい。

日本人にとっては 天皇を笑うことはタブーになっている。しかし、天皇が 現人神ではなくなって65年たつ。いつまで笑わないでいるつもりなのだろう。
エリザベス女王や、彼女のロイヤルファミリーなどいつもジョークの種になっているし、シニカルな例えなどで、ケチョンケチョンに言われたり、映画では 女王のそっくりさんが おばかをやって笑わせている。ヒットラーなど、喜劇の定番登場人物だし、毛沢東や、サダム フセインも。
むかしむかし、日本に気まぐれで冷酷無常なミカドがいましたってサ、、、 と言うお話に 日本人が怒る必要はない。大いに、ミカドを笑ってよいのだ。人々の笑いが文化を造り 継続させていく原動力になるのだから。