2009年7月7日火曜日

映画 「ラスト ライド」


オーストラリア映画「LAST RIDE 」を観た。
タイトルの「ラスト ライド」は 最後の乗車とか、最後の旅とかの意味。殺人を犯した 根からの極悪 粗暴な男の、破滅に向かって、地獄への逃避行 といえば、一言で この映画を 説明できてしまう。

映画のはじめでは それがわからない。序じょにゆっくり 真実がわかっていって、一挙に破滅にむかっていく。
こんな風に 映画の結末の二分の一ほどを明かしてしまっても、これから観る人が怒る必要はない。結末がどうあれ、映画の良さは その過程にあるので 最後に男が死のうが死ぬまいが 観るだけの価値がある。

日本人のやっている映画評でよくわからないのは、ネタバレ とかここからネタバレなので映画をもう観た人だけ読んで とかいった扱いがあることだ。そんなことを言えば、カルメンといえば 三角関係の末 殺される女の話だし、椿姫は 好きな男がいるが 病死する女の話だ。だれもがストーリーの結末を知っているが、もう筋がわかっているという理由で、これらの不朽の名作オペラを観にいくことを止める愚か者はいない。

長い 抒情詩のような 本当に美しい映画だ。

監督 :グレンデイン アイビン (GLENDYN IVIN)
カメラ:グレイグ フレーザー (GREIG FRASER)
キャスト
トム ラッセル(TOM RUSSEL)CHOOK役
ヒューゴ ウィービング(HUGO WEIVING)KEV役

ストーリーは
ケヴ(KEV ケビンの愛称)は、10歳の息子 チョック(CHOOK 雛鳥とかヒヨコの愛称)を連れて オーストラリア中央部の小さな町から 南オーストラリアに向かって旅をしている。
寡黙な父親は 何故、そしてどこに向かって旅をしているのか 息子に言わない。息子も もうそれが長年の習慣ででもあるかのように 何も聞かず 従順に父親のあとを付いて行き あるときは公園のベンチで眠り 長距離バスを乗り継ぎ 町をでてからは、野宿をして 火をおこし、撃った野うさぎを食べる。砂漠では野生のラクダに起こされて、ラクダに飲み水のありかを教わる。セントラル オーストラリアの広大な荒野と、どこまでも広がる砂漠。

砂漠に突然 出現する塩湖 レイク エイラ どこまでもどこまでも続いている浅い湖を彼らは車で横断する。9500平方キロの大きさの湖のその美しさは 例えようもない。
ケヴは 車を奪い 金を盗み、飲んだくれて喧嘩をしてパブから放り出され、ガソリンスタンドで強盗をして、罪を重ねていく。そうしながらも、ケヴは息子チョックには男親らしく、湖で泳ぎを教え、キャンプの仕方を教え、遊びに付き合い 冗談を言い、息子の良い父親 保護者であろうとする。わずかな親子の会話から、ケヴが子供だったころ 荒っぽい父親に連れられて やはり同じようにして父親から育てられたこと、チョックの母親は チョックがまだ赤ちゃんだったときに 刑務所行きを繰り返すケヴを捨てて出て行ったが、アデレードに住んでいるらしいこと がわかる。父と子の心の交流 逆らうことの出来ない 絶対的な存在としての父に対する 息子のひたむきな心が しみいるようだ。

しかし旅が、湖の只中に達したときに 突然 チョックは 残酷な事実を知る。心から慕っていたマックを 父は殺してきたのだった。チョックは渾身の憤怒をこめて 父親を罵倒して父を憎む。

マックは、たったひとりの父ケヴの親友だった。ケヴが刑務所にいたときは マックが父親代わりだった。マックがくれた車の玩具は チョックのたったひとつの宝物だ。短気ですぐに暴力をふるう父親とちがって マックはいつも優しくしてくれた。マックは天涯孤独なチョックにとっては母親のような存在だったのだ。そのマックを父は殺して、金と車を奪って逃亡してきたのだった。
チョックのベッドに下着姿で入っていたマックを 父親はぺデファイルと勘違いして酔った勢いで殺してしまった。チョックは マックが何も悪いことをしていないのに殺した父親を 許すことができなくて、警察に通報して、父から離れていく。それを知った父ケヴは、息子に、正しいことをした、と褒めて 息子が一人去っていく姿を見送る。
というお話。

最後にしっかり抱き合う父子を見て、映画のはじめから チョックが 誰からもしっかり抱きしめられるシーンがなかったことに気付いた。10歳の子供にとって 大人にしっかり抱きしめられて育つことが どんなに大切な 必要なことだっただろうか。しかしそうした経験のない父親には息子の抱き方がわからない。

マックが チョックのベッドに忍び込んだことで 父親はマックを殺したが 母親代わりのマックに抱かれたチョックは それを不思議に思い 心休まるような感触を感じていた。チョックには 思いもかけない父親の怒りが理解できない。チョックには優しいスキンシップが 必要だったのだ。マックが殺された後となっては マックの不思議な行動は誰にも説明できない。マックは 可愛さの余り チョックを抱いて眠りたかったのかも知れないし、それが序序に発展していって性行為に結びついていったかもしれない。まあ確実に そうなっていただろう。その意味で父親の行為は正しい。(殺すことはなかったが。)レイプは 必ずしも 暴力を伴わない。もともと性行為は慰めであり、優しさの交歓でもあるからだ。
母と交わり、父を憎む ギリシャのオイディップス王が、ここにも居る という言い方もできる。

悲しい 本当に悲しい映画だ。
父親のケヴは 本来悪い人間ではない。自分は幼い時から 暴力的な父親に育てられ 何度も刑務所暮らしを繰り返しながら生きてきた。息子のベッドにマックが居るのを見て逆上したのを見てもわかるように、自分が幼いときに ぺデファイルの被害者だったこを如実に語っている。チョックが母親恋しさに、盗んだ車にあった口紅をつけて化粧してみたときも 父は怒り狂って息子に暴力を振るう。それが昔の自分の屈辱の過去の姿でもあったからだ。

そんな父親ケヴが 自分の息子だけは 自分が育ってきたよりは良い環境で育てたいと願い 息子を不器用ながら 守ろうと必死でいる。暴力のなかで生きてきたが、自分と息子を捨てていった 妻をいまだに愛していて 成長した息子を対面させたいと願って 旅をしている。
息子が何よりも大切だ。しかし、不器用で どのように息子のやわらかい心に触れて良いのかわからない。自分が親からも 人からも 優しくされたことがないからだ。

しかし、息子が父を見限るとき、それが息子の 自立の瞬間だ。
この映画は それを みごとに表した。
10才の子供が 父のライフルを奪い、唯一の宝物だった車の玩具を捨てるとき チョックは もうチョック(雛鳥)ではない。父を許さない、誰にも依存しない たった一人で生きていく心の決意が見えている。
その息子の決意を読み取ったうえで、父は息子を心から愛していると言って硬く抱きしめる。息子も心から愛しているといって、去っていく。
すごい男のハードボイルドの世界だ。 なんという孤独。
こんなふうにして、男は男になっていくのだろう。
現実には きっと、10歳のチョックは警察に保護され、母親のところに引き取られるか、施設に送られるのだろうが、彼の父親からの 心の自立の仕方が、本当に無残で悲しい。


長い抒情詩のような、美しい映像と言ったが、荒野で 月も星もない夜に チョックが、無心に 花火を持って踊って遊ぶ場面がある。漆黒になかで、花火の火の美しさと、はかなさには、息をするのもためらわれる。
また、湖の中ほどで、360度見渡す限り 水だけという 静けさのなかで、チョックが 一人しゃがみこんで 声なく泣く姿も、どんなに言葉をつくした詩よりも美しく悲しい。映画にはこんなふうに人に訴える力があったのか。

悲しい男の話を、ものすごく美しい雄大なオーストラリアの自然のなかで 映し出している。カメラワークが素晴らしい。オーストラリアがどんなに大きな大陸だったが 実感できる。