その象徴とも言われるヴィクトリア女王は、64年間という歴代イギリス国王の中でエリザベス2世に次ぐ長期に渡って治世を行った。この時代は特別に「ヴィクトリア朝」呼ばれ、英国帝国主義が最も華々しい勢力と栄光を世界に見せつけた時期に重なる。実に、ヴィクトリア朝の64年間で、英国は領土を10倍に拡大、地球上の全陸土面積の4分の1、世界人口の4分の1を支配する史上最大の帝国を誇った。
19世紀半ばの英国王は巨大な国王大権を有しており、首相を含めた大臣の任命と罷免、議会の招集と解散、国教会の聖職者と判事の任命と罷免、宣戦布告まで国王の大権だった。ヴィクトリアは若干18歳で、英国王を継承する。
彼女に言わせると、「帝国主義とは平和を維持し現地民を教化し飢餓から救い、世界各地の臣民を忠誠心もって結びつけ、世界から尊敬されること。」で、「領土の拡大は英国の諸制度を健全な影響を、必要とあれば武力をもって世界に広げるもの。」であった。彼女は9人の子供を産み、女子それぞれを各国の国王に嫁がせてヨーロッパ中に自分の影響力を広げることも忘れなかった。
現在でも、英国女王はオーストラリアの国家元首でもある。シドニー市の中心、市庁舎横のクイーンヴィクトリアビルの入り口に何トンもの重さの、どでかい彼女の像がそびえ立っている。
数年前、国民投票で、英国から離反して独自の大統領をもった政権に変革するかどうかを問われて、あっさりと女王維持を決めたオージーの国だ。ヴィクトリア女王って、どんな人、と問うと、年齢に関係なく誰でも、嬉しそうに2つのエピソードを話してくれる。
一つ目は、ヴィクトリアが狙撃された時、夫のアルバートが身をもって女王を庇い、自分は深い傷を負って死線を彷徨った出来事。二つ目は、22年間の幸せな結婚生活の後アルバートが亡くなると、ヴィクトリア女王は愛する夫のために自分が死ぬまで黒い喪服を通したことだ。二つとも美談として語り継がれている。
この映画「ヴィクトリアとアブドー」は、女王の晩年の恋物語。アブドーについて英国皇室は長年秘密にしてきたが、後に事実が明らかにされた。
タイトル:「VICTORIA AND ABDUL」
74回ヴェニス映画祭で初上映された。英米合作映画。BBCフイルム
監督: ステファン フレアーズ
キャスト
アリ ファイサル: アブドー カリ―ム
エデイ イザード :エドワード皇太子
テイム ピゴット スミス: サー ポンソンビ
サイモン カロウ ;プッチーニ
オリビア ウィリアムズ:ジェーンスペンサーチャーチル
ストーリーは
1887年。 アブドー カリ―ムは、インド、タジマハールのあるアクラの街で生まれて育った。英国進駐軍で働いているが、父親は刑務所の囚人だ。ある日、長身で美男であることを見込まれて、女王の50年周年祝祭典を準備中の英国から、栄誉のコインを受け取る役を仰せつかって、渡英することになった。さんざん女王からコインを受け取る時に女王の顔を見てはならない、下がる時には背中を見せずに後ずさってくるように、と言われていたに関わらず、アブドーは生まれて初めて公式な食事の席で女王を見て、その威厳に思わずひざまずいて女王の靴にキスをする。そのことで、アブドーは強く叱責されるが、当の女王はアブドーが気に入ってしまった。
翌日、女王に呼ばれたアブドーは、女王に聞かれるまま自分の故郷の絨毯造りの話や、タジマハールについての話を聞かせる。すっかりアブドの話に興味をひかれた女王は、アブドーからウルドウー語を習い始める。
この日からアブドーは、女王の「エキゾチック ペット」となった。言葉を変えると、68歳の女王は29歳の植民地からきた青年に恋をしたのだ。首相をはじめ、国王の執事、秘書たちの猛反対を退けて、ヴィクトリアはアブドーに次々と美しい民族服をあつらえさせ、サーの称号を与え、自分の散歩のときも、公式の行事にも彼を傍に置いた。やがて、独身と思い込んでいた女王はアブドに妻と息子が居たことに衝撃をうけるが、家族を招いて宮廷に住まわせる。女王は、ウルドウー語を上達し簡単なスピーチをしたり、日記をウルドウーで書いたり出来るようになった。
一方、キッチンウェイターとして雇う予定だったインド人が、サーの称号を与えられ女王の側近になっている異常事態を何とか平常に戻したい閣僚たちは、アブドーが貧しい家の出身で、父親が囚人であることを報告したり、アブドーが梅毒を患っているに違いないと忠告したりするが女王に一笑に付される。
しかし女王もいつまでも元気では居られない。1901年女王は病に倒れる。最後に彼女は人払いをして、14年間寵愛したアブドーに別れを告げる。
アブドは女王を失って哀しみに沈む間もなく、女王の息子ヘンリー次期国王の命令で、アブドーの住居に押し寄せた警護官によって女王がアブドーに与えた手紙やご褒美の品々を、すべて跡形もなく焼却された。アブドー家族はイギリスを追われ、アグラの街に戻った。ほどなくしてアブドは46歳で亡くなる。
アブドは女王を失って哀しみに沈む間もなく、女王の息子ヘンリー次期国王の命令で、アブドーの住居に押し寄せた警護官によって女王がアブドーに与えた手紙やご褒美の品々を、すべて跡形もなく焼却された。アブドー家族はイギリスを追われ、アグラの街に戻った。ほどなくしてアブドは46歳で亡くなる。
というお話。
この映画の魅力は、82歳で女王を演じた女優ジュデイ デインチにある。立派な役者だ。両目の黄変部変性で、ほとんど失明状態。台本が読めないので人に読んでもらって記憶し、人に手を取られ位置感覚を覚えてから、役柄を演じている。役者根性の塊のような女優。彼女の演じる女王がとても可愛らしい。背の高いハンサムな青年に手をとられ散歩する姿は、恋に浮き足たった少女のようだ。閣僚たちに見せる威厳ある女王の顔が、アブドーと二人きりになると、あどけない娘の’顔になる。
女王と貴族たちとの食事風景がたくさん出てくるが、彼女の食べ方が漫画のよう。可愛くて面白い。女王は旺盛な生命力を見せるかのように、品もなくむしゃむしゃ食べる。女王がズーズーとスープをすすり終わるやいなや、参列していた沢山のお客たちが気取ってスープに口を付けようとした瞬間にボーイ達がスープ皿を片付けてしまう。貴族たちは女王が次の皿に手を付けるまでは、自分達は手を付けられないし、女王が食べ終わったら、自分たちの皿も下げられてしまう。貴族同士で優雅な会話をするどころか、女王のむしゃむしゃペースで食べなければならないのだ。ジュデイ デインチの豪快な食べ方といったら、、。映画では女王の人間らしさをこんなところで表現したかったのだろう。
アブドーを演じたアリ ファサルも魅力的だ。インド人独特の超、聞き取りにくい英語で語る好青年。目の前で14年にわたる女王に寵愛された証拠の品々をことごとく燃やされて涙にくれる姿が印象的だ。彼は始めて女王に会った時に、思わずひれ伏して女王の靴にキスをした。そして映画の最後、タジマハールを背景に建つ女王の像に歩み寄り、足元にキスするシーンで映画が終わる。美しい終わり方だ。
この映画の前に「女王の最後の愛人」というBBCのドキュメンタリーフイルムを見ていたので、ヴィクトリアとアブドーのことは知っていた。英国皇室がいくら証拠を隠滅しても、事実は永遠には隠せない。女王は愛する夫アルバートとの間に9人の子供を持ち、愛に満ちた結婚生活を送ったが、夫の死後1年もするとアルバートの馬係りだったジョン ブラウンを恋人に持ち、彼の死後は、大蔵大臣のベンジャミン デイズレーを愛し二人三脚で政権を維持した。ベンジャミンが亡くなって悲嘆にくれていたときに、アブドーが現れたわけだ。恋する男達に次々と死なれて、自分は82歳まで生きた。
映画の中でヴィクトリアがアブドーを連れてイタリアを旅行する。フロレンスでプッチーニ本人が作曲したオペラ「マノンレスコー」を、女王の前で歌う。テナーだが、お世辞にも良い声と言えない。でもヴィクトリアも、アブドーも夢中になって、ブラボーブラボーを叫ぶ。何て優雅な女性の唄なの?というようなことをヴィクトリアが言うと、プッチーニが申し訳なさそうに、「マノンは娼婦なんです。」と言う。えーがっかり、、でも気を取り直してヴィクトリアがまた、でも二人は結ばれて幸せになるのね?と言うと、またまたプッチーニが、「いやマノンは砂漠で行き倒れて死ぬんです。」と言う。そんなやりとりのときのジュデイ とアブドの驚いて口を開けたままの顔がおかしくて、笑える。楽しい映画だ。
英国紳士たち。閣僚たちの貴族趣味、服装、立ち振る舞いも美しい。
しかし、この映画はジュデイ デインチの天才的な演技力なしに語れない。歴史的に大きな役割を果たしたヴィクトリア女王に、あたたかい人間の命を吹き込んでみせた役者の力量にただただ感動する。
興味深かったのは、この映画を当の英国人がどんな評価をしているかだ。映画評やツイッターを見てみた。賛否両論というか、批判派が多いことに驚いた。批判派いわく
英国帝国主義が1876年から1900年までに20ミリオンのインド人を殺しまくったし、インド植民地化によってインドのGDPは23%から4%の貧国に貶めた。英国による人種差別と奴隷化は、国家犯罪であり、そういった英国の歴史的犯罪を映画化したこの映画は、白人のノスタルジー、むかしは良かった式の日和見主義だ。という意見。
これに対して反論は、昔は昔、自虐史観は自己憐憫に過ぎない。むかしの帝国覇権主義が間違っていたからって、今を生きる自分が攻められるなんてフェアじゃない。というような意見。
おもしろかったのは、「英国がインドを植民地化したのは間違いで、責任を持てというのなら、すべてのイタリア人がローマ帝国が侵略した国々に謝罪して責任もたなくちゃならないのかよ?」というツイッター。また、「英国はアルジェリアを植民しなくて運が良かったよ。」とツイッターするフランス人にも笑わせられた。
どの国に自分が属しているかに関係なく、過去の歴史をよく知り、正しく評価して、未来につなげるのが、今を生きる私たちの使命だ。帝国主義がその時代の必然だったにせよ、覇権主義は誤りであって同じことが起こらないように努めなければならない。
過去を礼賛して、帝国主義によるジェノサイトを美化したり隠したり、無かったと偽ったりして過去を美化してノスタルジーに陥るかどうかは、その映画を観る人による。女王を悪者と観るか善人とみるかに関わらず、映画は人を血の通った人として見るための切っ掛けになる。繰り返すがヴィクトリアに人間としてのあたたかい命を吹き込んだ役者の力量に心から感動した。
興味深かったのは、この映画を当の英国人がどんな評価をしているかだ。映画評やツイッターを見てみた。賛否両論というか、批判派が多いことに驚いた。批判派いわく
英国帝国主義が1876年から1900年までに20ミリオンのインド人を殺しまくったし、インド植民地化によってインドのGDPは23%から4%の貧国に貶めた。英国による人種差別と奴隷化は、国家犯罪であり、そういった英国の歴史的犯罪を映画化したこの映画は、白人のノスタルジー、むかしは良かった式の日和見主義だ。という意見。
これに対して反論は、昔は昔、自虐史観は自己憐憫に過ぎない。むかしの帝国覇権主義が間違っていたからって、今を生きる自分が攻められるなんてフェアじゃない。というような意見。
おもしろかったのは、「英国がインドを植民地化したのは間違いで、責任を持てというのなら、すべてのイタリア人がローマ帝国が侵略した国々に謝罪して責任もたなくちゃならないのかよ?」というツイッター。また、「英国はアルジェリアを植民しなくて運が良かったよ。」とツイッターするフランス人にも笑わせられた。
どの国に自分が属しているかに関係なく、過去の歴史をよく知り、正しく評価して、未来につなげるのが、今を生きる私たちの使命だ。帝国主義がその時代の必然だったにせよ、覇権主義は誤りであって同じことが起こらないように努めなければならない。
過去を礼賛して、帝国主義によるジェノサイトを美化したり隠したり、無かったと偽ったりして過去を美化してノスタルジーに陥るかどうかは、その映画を観る人による。女王を悪者と観るか善人とみるかに関わらず、映画は人を血の通った人として見るための切っ掛けになる。繰り返すがヴィクトリアに人間としてのあたたかい命を吹き込んだ役者の力量に心から感動した。