2016年4月29日金曜日

ドキュメンタリフイルム「ダイビングベル」セウォル号の真実 真実は沈没しない

            

監督:アン へ リオン
製作:ファン へ リム

事故は2014年4月16日午前8時48分に起きた。
大韓民国、仁川港を出て済州島に向けて運航していた大型旅客船セウォル号が、済州島の手前18キロのところで、急激に右転回したことによりバランスを失い横転し、沈没した。ダンウオン高校の修学旅行の生徒たち325人、教員14人、一般客108人、乗務員29人の合計476人を乗せていた。救助活動の不備のため、304人が亡くなり、救助活動に携わったダイバー8人も命を落とし、救助されたのは,たった172人だった。

事故から2時間後に教育長が修学旅行のために乗っていた生徒325人は全員救助されたと、生徒の保護者たちに一斉にメールをしていた。其の4時間半後に、事故対策本部は、全乗客476人のうち368人が救助され、約100人が不明だと発表。その3時間後に今度は、海洋警察が300人が不明だと発表していた。
混迷する情報に、保護者達は同校体育館に集まり、海洋警察の説明に苛立った。保護者達は、携帯電話を通して自分の子供達がいまだに船内で救助を待っていることを知っていた。状況を把握していない海洋警察に業を煮やした保護者の一部は、済州島に来て、漁船をチャーターして事故現場に行った。そこで彼らが見たものは、現場には対策本部さえできておらず、「640人の救助隊員、ヘリコプター121機、船舶69艘が救助にあたっている、」という警察発表がまったく偽りだという現実だった。

ドキュメンタリーフイルム「ダイビングベル」の語り部は、ジャーナリスト、GLOBALニュースのリー サン ホーだ。彼は自分の足で取材していて、「640人の海軍を含めたダイバーが救助活動をしている」 という政府発表が、全く事実に反することを知っていた。すでに6月19日となり、事故から3日経っているが、たった8人のダイバーが現場までボートで行き帰って来ただけだった。彼は民間のボランテイアのダイバーにインタビューした。彼らは現場で海洋警察に妨害されて、何の救助活動もできなかったと、証言している。
政府は、海洋警察、海軍、水産庁、独占的に救助を依頼されたオンデイ―ヌ社と結束していて、民間のボランテイアも、日本からの援助も、米軍からの救命ボートのオファーもすべて断っていた。それでいて19日時点でも、「海洋警察は720人の救助隊員、261艘の船、35台のエアクラフトが救助活動をしている」 と公表している。オンデイーヌ社のリー サン ホー社長は、海中から生存者を救出することは大変困難だ、と言っている。政府も警察もオンデイーヌも、すでに乗客を生きて救出など出来ない、と知っていたのだ。

ジャーナリストリー サン ホーは、社から解雇されたが、気にせず海洋事業で海難救助に詳しい人を探し回り、民間会社のリー ジョン インに出会う。彼はダイビングベルがあれば、転覆した船のエアポケットの中にいる生存者を救出できるという。ダイビングベルとは鉄製の釣り鐘型の救命機で、中では4人の人が座って普通に呼吸ができるという’装置。アメリカで沈没した戦艦に閉じ込められて30メートル海中で船内のエアポケットに居た兵士を救助した記録がある。これを使えばダイバーは、20時間も海中で捜査、探索ができるという。リー ジョン インは$150000もするダイビングベルを取り寄せて21日に、現場に向かう。 しかし、大型ボートでダイビングベルとともに、現場に行ったリー ジョン インと彼の仲間たちは、海洋警察に恫喝されて戻って来る。メデイアは、そろいもそろって「ダイビングベル設置できずに失敗」と報道する。ジャーナリストのリー サン ホーと、リー ジョン インは自分たちの前に立ちはだかる「権力」というものの大きさを改めて知らされる。

帰ってこない子供達に思いをはせる保護者達は黙っていない。海洋水産庁長官リー ジュ― ヤングと、海洋警察署長キム スック キョンを前に、「この3日間、救助と言いながら何もやっていないではないか、750人の救助隊員とは、どこにいるのか」と、追及し、怒りを爆発させていた。 その場でジャーナリスト リー サン ホーは、ダイビングベルを試してもらいたいと提起して、海洋水産庁長官と海洋警察署長の承認(オーダー)を取り、保護者達の賛同も得て、リー ジョン インに戻ってきてもらうことになった。
2度目のダイビングベルの登場。しかし当日になってみると、同行するはずのメデイアは見当たらず、船に同船するはずの保護者達も居ない。それでも 「わずかな人は私の失敗を待っているが、ほとんどの人達は成功して奇跡が起こることを望んでいるはずだ。」 と言ってリー ジョン インは港を後にする。そして再びセウォル号に近付くと海洋警察の停められて、「腹を刺されたいか」と恫喝威嚇される。

3度目の強行。ついにダイビングベルはセウォル号に取りつき海底探索を決行する。70メートル海中を2時間近く調査して浮上した。いままでの海洋警察のダイバーがダイビングできたのは11分、海軍が26分、それに比べてダイビングベルでは2時間捜査探索ができる。リー サン ホーと、リー ジョン インは、嬉々として、これで今後は海洋警察と海軍がこのダイビングベルを使って効果的に捜査できるだろうと、小躍りする。
しかし、翌日リー サン ホーとリー ジョン インが受け取った海洋警察の言葉は、「そこをどけ。」「帰れ」だけだった。
という記録。このドキュメンタリーフイルムは釜山映画祭で上映されたが、その執行委員長が更送された。

事故から2年経ち、いろいろな事実が明るみに出て来た。YOU TUBEだけでも、「DIVING BELL」、「NEWSTAPA:KCIJーGOLDEN TIME FOR SEWOL FERRY」、「UNCOVERING THE WEB OF INTRIGUE SURROUNDING THE SEWOL FERRY DISASTER」、「NEWSTAPA SEWOL FERRY ONE YEAR SPECIAL」などなどを見ることができる。亡くなった生徒達が送ったメッセージやビデオも、それを受け取った保護者達が記録として残している。セウォル号が沈没し、多くの死者が救出できなかった原因は。
1) 過剰積載オーバーロードで、積荷は基準の3.6倍もあり、大型車両などの貨物が固定されておらず、極めて不安定だった。
2) 操縦席に船長は不在、船長を含め、乗員全員が契約社員だった。事故当時操縦は入社4か月、26歳の女性三等航海士ひとりに任されていた。
3) 不適切な船体改造で、船体がバランスを欠いていた。過剰積載のバランスをとるための水が4分の1しか注入されていなかった。
4) 船体の公的機関、監査院による安全のための定期検査が行われていなかった。役所との癒着が船の安全を失わせた。
5) 船の機械そのものに欠陥があった形跡がある。
6) 船の引き上げ、乗客救助を民間会社オンデイーヌ一社に不正に独占契約させた。当会社は海洋警察と癒着し海洋警察の天下り先となっている。この独占企業が他の民間企業の協力を拒み、他国からの援助も拒否する結果となった。

時間を追って問題を見てみると
4月16日午前8時49分
セウォル号を船長に代わって操船していた入社4か月の契約社員三等航海士パク ハン ギョルは、この航路での操船は初めてだったが、16-18ノットで航海すべきところを21ノット(時速39キロ)のスピードで航行し、19ノットで急旋回したため、船体が傾き荷崩れが起きた。彼女は5度以上の操船角度で回せば沈没の危険があることを知っていて15度以上の大角変針して船を沈没させ、その後乗客に救護措置をとらずに船から脱出した。

船には大型トレーラー3台、車両180台(245トン)、コンテナ150本(1157トン)など、合計3608トンの貨物が積荷され、それらは固定固縛されていなかった。基準の987トンを大幅に上回った重荷を載せているため、それを隠すため船体のバランスをとるため注入されるべき2000トンの水を、その4分の1に減らしていて、580トンの水しか入っていなかった。またこの船は 2012年に輸入され、客室拡張のため、客室2階部分が増設され船体重心が上昇していた。そのため、船体は極めてアンバランスな状態になっていた。

イー船長は事故発生当時、自室に居たが、船の事故を知ると、9時35分に最初に到着した海洋警察の船で逃亡した。これは大韓民国船員法「船長は緊急時に際して人命救助に必要な措置を尽くし旅客が全員下りるまで船をはなれてはならない」の違反しているため、後に高裁で、殺人罪で無期懲役を言い渡されている。
チョン ヨン ジュン副船長は前日に入社したスタッフで、セウォル号安全設備担当者も同日に入社、事故当時乗っていた船員15人のうち、8人はセウォル号乗船半年未満だった。
乗員たちが、乗客の誘導、救護をせずに、いちはやく逃げ出した理由は、20年以上前の救命ボートが使えないことを知っていたからだと、思われる。錆とペンキの塗り替えで救命ボートも、46個のカプセル状の筏も、下ろせず使い物にならない状態だった。
乗員たちは、みな制服から私服に着替えてから、乗員だけが知っている通路から救助されており、乗員として許されないことをしている自覚が十分あった。船長はズボンを脱ぎ捨てて「救助」されている。 また、のちには、いち早く救助された乗員たち15人は、海洋警察が宿泊しているホテルに滞在し、逮捕されるまで全員で口裏を合わせて罪から逃れるための画策をしていた。
高裁判決では、殺人罪を適用された船長を始めとして、14人は、遺棄致死罪で懲役1年6か月から12年まで言い渡されている。

この船会社では、緊急避難教育が全くなされていなかった。船員教育費年間:54万ウオン、広告費:2億3千万ウオン、接待費:6060万ウオンという記録がある。オーナーの楡氏に対して警察は、彼の国外逃亡を阻止しようと、彼が創設したキリスト教団体クムス院を6000人の機動隊を動員して捜査し、全国指名手配、情報提供者に5千万円の謝礼が約束された。彼はカナダとフランスに亡命申請していた。しかし2か月後に彼の変死体が見つかる。

事故後、9時24分に船は45度に傾いている。9時45分に船は62度に傾いていて、それまで船内放送で、「救命胴着を着用して待機するように、動かないように」 と幾度も念を押されていた生徒達も自分たちの客室で待っていることに、疑いと極度の不安にかられていた。傾斜した客室で落ちて来た家具などで死者、けが人も出ている。
9時43分に息子を会話をした父親が 「、言われたように待機していなさい。かならず救助されるから。」と言って携帯電話を終えた。その父親が、自分を責めて、ジャーナリスト リー サン ホーと泣きながら政府に抗議、真相究明の行進に参加している。9時56分の生徒が送って来たビデオには、エアポケットで心理的恐慌状態の沢山の生徒達が写っている。10時15分に生徒の「待て、待てだって」 という言葉が最後。それまで待つように、と放送していたアナウンサーが、同じ時間に、初めて全員脱出するように促したと言われている。しかし、この放送を誰か聞いて実行できた生徒はいない。

驚くべき権力との癒着。
見えてくるのは権力者と企業との腐敗した癒着だ。金権主義に染まっていて、子供達の安全など考えもしない。国と、海洋警察と、海軍、癒着企業の権威を取り繕うことしか考えない政府の公式発表。何事が起きてもすぐに誰かがトップになり、その他は追従する。極端に先の尖った三角形のヒエラルキーが出来上がり、一旦パワーが確保されると、どんなに人々が声をあげようが、嘆こうが、犠牲が出ようが、変えることができない。固定した「堅固な警察社会」。

混乱する現場を強力な権威:海洋警察が独占指揮を執る。民間ボランテイアやダイバー、海軍さえも海洋警察に従わなければならなかった。それはそれとして、しかし、ならば何故 生徒達が船内にとどめ置かれていることがわかった時点で、何故、どうして海洋警察は船内に入って生徒達を誘導、救助しなかったのか。市民国家にとって、ポリス:警察が市民を守らないで信頼できないとは、どういうことなのか。船が横転してから沈没するまでの1時間20分、海洋警察は何をしていたのか。

こういったドキュメンタリーを観るには覚悟が要る。
子供を失った保護者達にとっては事件は終わっていないし、いまだ海の底に沈む船内に居て保護されていない遺体もある。船の引き上げが完了するまで、見届けると言って、船の見える丘に代わる代わる座り込みをしている保護者達も居る。真相究明は、まだこれからだ。
この世で一番耐え難いことは、まちがいなく自分の子供を失うことだろう。子供のために生きて来たのに子供に先に死なれたら親は生きる価値はないと、自分を責めるしかない。今まで、これだけ嘘を重ねてきた政府権力者からの見舞い金など、受け取れるか、と拒否する保護者達の気持ちはよくわかる。

いま私たちは、テイシュペーパーボックスを次々と空にしながら、このようなドキュメンタリーフイルムを見ることが大切だと思う。何年経っても記憶して、いつまでも、こういった不正が行われ、無垢な子供たちが本当に苦しみながら殺されて逝ったのだということを、忘れない。記録を見て、強く記憶にとどめ、権力を憎み続ける。

2016年4月16日土曜日

映画 「ザ ウォーク」

                     
監督:ロバート ゼメキス

キャスト
ジョセフ ゴードンレヴィット: フリップ プテイ
シャルロット ルボン  :アニー
ベン キングスレー  : パパ ルデイ
クレマン ボニー   : ジャン ルイス
ジェームス バッジデール: ジャン ピエール
セザール ドンボーイ : ジェフ
ベン シュワルツ   : アルバート

ストーリーは
1973年 パリ。
フィリップ プテイは,ストリートパフォーマー(大道芸人)としてパリで綱渡りをして生活を始めた。こんなことをしていて定職に就こうとしない息子を、厳格な両親はとっくに見限って勘当してくれた。生活がどんなに厳しくても、フイリップは自分が子供の時からあこがれていた綱渡りを続けられることが、嬉しくて仕方がない。芸は、サーカス芸人のパパ ルデイから教えを受けた。しばらくは彼のサーカス団に加わっていたが、しょせんフイリップは人に使われるような仕事は続かない。たった一人、自由に街を歩き、気に入った所にロープを張って芸を披露して、立ち止まって見てくれた人から小銭をもらう。

ある日、彼の帽子に、小銭ではなくて大きな飴を子供が入れてくれた。それを思い切り噛んだフィリップは歯を傷付けて、歯医者に行く羽目になってしまった。歯医者の待合室で順番を待つ間、雑誌を見ていたフリップは、ニューヨークで建設中のツインタワーの写真を見て、その姿に魅せられる。この二つのツインタワーに綱を張って、その上を綱渡りしたい。この日から彼は憑かれたように、ツインタワーの間を歩いて渡る日を、夢に見る。日常でフランス語を話すのを止めて、英語で会話するようになった。心は、もうとっくにニューヨークだ。そのころ、同じストリート パフォーマーで、歌手のアニーと出会い、一緒に暮らし始める。二人でニューヨークに行って、ツインタワーの最上階で綱渡りを成功させることが、二人の夢になった。アニーは、フイリップの綱渡りを成功させるために、美術学校の友人、カメラマンのジャンを説得して、彼を計画に加える。フイリップは、ノートルダム寺院の尖塔など、次々と高い建物の上に綱を張り、綱渡り芸人として成功し、ジャンはカメラマンとして、綱渡りするフリップを写真に収める。二人は徐々に人に知られるようになり、人気者になっていった。

フイリップンはいよいよニューヨークに渡り、建設中のツインタワーを調査し始めた。最上階までどうやって登るのか、二つのビルの間にワイヤーを張れるような柱があるのか、ガードマンは’夜中どのように巡回しているのか。フイリップは工事現場の職人のように装い、ツインタワーの情報を調べた。そんな彼の変装を見破って話しかけて来た男が居た。ツインタワーの中にある保険会社に勤めるバリー グリーンハウス。彼はノートルダム寺院で綱渡りするフイリップを見ていて、彼のファンになった男だった。その日から彼もツインタワー綱渡りプロジェクトの仲間に加わる。仲間は、カメラマンのジャン ルイス、彼の親友でアーチェリーの達人ジェフ、電気専門家のジャン ピエール、もう一人のカメラマンのアルバート、そしてバリー グリーンハウスと、恋人のアニーだ。もちろんサーカス団長のパパ ルデイも一緒に知恵を絞ってくれる。一方のタワーからアーチェリーでまず縄を渡し、そこからワイヤーを張る。とうとう、ツインタワーの工事が終了し、建物が完成する日が近付いた。チームは決行の日を1974年8月6日の夜明けと決定した。失敗は許されない。成功すれば、世界で初めて、110階、地上411メートルの高所を綱渡りした人として、新記録を残すことになる。

決行前夜、チームはツインタワーに二手に分かれ、首尾よくビルに潜入して屋上に達した。誰にも気付かれないうちにワイヤーをビルの間に渡さなければならない。しかし思いのほか警備が厳しい。ガードマンをやり過ごすために、重いワイヤーを屋上から落下させてしまったり、見回りから姿を隠すために何時間も身動きが取れなかったり、仲間が穴から落下しそうになったり、もう一方のタワーから飛んできたはずのアーチェリーの矢がどこに刺さったのかわからなかったり、予想外のことがたて続けに起こる。何とか障害を克服して、予定から3時間遅れてフイリップは遂に綱渡りを始める。早朝の勤務に急ぐ人々の足が止まる。フイリップの心は平静だ。一方のタワーに着くと、下からハラハラして見上げている人達は大きく拍手する。フイリップは、またもとのビルに引き返し、縄の中央で膝をついてみせ、寝て見せて、歓声をあげている人々を熱狂させた。

そのころには警察官がフイリップを拘束しようと両ツインタワーの屋上に集合している。ヘリコプターまで出動してフイリップを止めさせようと必死だ。それを知っていてフイリップは、6回ワイヤーを渡り、彼のチャレンジを終えた。怒り狂ってフイリップを逮捕する警察官たちを後目に、彼はたくさんの建設工事労働者たちや、見物人たちに盛大な拍手をもって迎えられる。そして階下では、マスコミ報道陣が待ち構えていて、インタビュー責めに会う。
彼は違法で危険なことをした犯罪者であったと同時に、勇気ある綱渡り芸人で、人々の英雄になったのだ。これを機会にフイリップは、ニューヨークで暮らすことになる。
ツインタワーが完成してから、フイリップはタワーの展望台に登るチケットを賞与された。このチケットの有効期限のところは、消されていて、フイリップはいつでも気が向いた時には、「永遠に」、このタワーに登ることが許されたのだった。
というストーリー。

この映画の一番の見所はやはり、ツインタワーに張ったワイヤーを、フイリップが一歩、踏み出す瞬間だろう。朝霧で少し先のワイヤー以外 何も見えない。対岸のビルも見えない。白い霧の世界だ。その一歩先のワイヤーしか見えない世界を足を踏み出す。数歩歩いたところで、魔法のように霧が晴れて美しいグリーンの下界が’くっきり目の前に広がる。突然白一色だった世界から色のある世界が広がっていく、その瞬間がみごとな映像で、感動的だ。

フイリップが子供の時に大道芸人の綱渡りを、初めて見て心を奪われてからというものの、ずっと自分が一流の綱渡り芸人になる夢を捨てずに努力して、夢を実現させるところが偉大だ。子供の時は誰でも夢を見るが、その夢を実現する人は少ない。親に勘当されて、嬉しそうに家を出るフイリップの姿が印象的だ。一見小柄で軟派に見えるフイリップが、いつも頑固ともいえる自分の強い意志を通す。そんな彼に逆らったり、忠告したり、考えを変えさせようとしたり衝突しながらも、彼をしっかり支える友人たちも偉い。始め、街かどでギターを抱えて歌を唄っていたアニーが、綱渡りするフイリップに見物人をみな取られてしまって、文句を言いに行く。しかしアニーは文句を言っているうちにフイリップの熱を帯びた話し方に引き込まれてしまう。そのアニーがカメラマンのジャンを連れてくる。そのジャンがジェフを連れてくる。ジェフがアルバートを、というようにフイリップのまわりに仲間たちが自然と、吸い寄せられるように集まってくる様子が興味深い。フイリップのように強い意志を持った人には、特有の「磁力」とでもいうものが働いて、自然と周りの人を巻き込んで自分の方向に向かせてしまう力があるのだろう。

ただひとりの男が綱を渡る。それだけの映画なのだが、ただそれだけのことのために、それを支える仲間たちが惜しみなく協力する。その懸命さに心を動かされる。

主演のジョセフ コットンレビットは、祖父が映画監督のマイケル ゴードン。芸術家の家系の中で4歳の時から子役で舞台で演技をしていたという。「500日のサマー」(2009)、「インセプション」(2010)、「バットマン ダークナイトライジング」(2012)、「ルーパー」(2012)などでおなじみ。せっかくクリスチャン ベールから引き継いで、次のバットマンで登場するのかと思っていたら、次のバットマンはベン アレックに決まってしまいがっかりだ。
でも、2016年に完成される予定の映画、「エドワード スノーデン」の主役に抜擢されたそうで、映画の完成が楽しみだ。バットマンより、スノーデンの方が彼らしい。
この人も役作りに凝る人で、フイリップ プテイを演じるにあたって、本当の綱渡り芸人について特訓を受けて、スタジオに張られた綱を、平均棒を持って自分で本当に綱渡りをしてみせたそうだ。
フイリップはアメリカに行くと、決めてからパリに居る間も英語で通した。この映画は英語が60%、フランス語が40%くらいの割で会話が進んでいて、どっちも分かっていないと見ていて結構つらい。でも役者のジョセフ コットンレビットは、コロンビア大学でフランス文学を専攻して卒業していてフランス語には困らない人なのだそうだ。こんなとき日本人ってどんだけ語学で損をしているのか、と恨めしくなる。この役者は、英語なまりのフランス語ではなくて、フランス語なまりの英語を話す役を演じるために、プロについて発音を自分のものにしたのだそうだ。なかなかできないことだ。

この映画の前に、監督ジェームス マシューによるドキュメンタリー映画「マン イン ワイヤー」(2008年)という作品がある。ドキュメントフイルムと、フイリップ プテイの関係者のインタビューを編集した映画で、第81回、2009年のアカデミー賞ドキュメンタリーベストフイルム賞を受賞している。彼の行為は法的に罰金や拘留といった結果をもたらす違法行為であるにもかかわらず、常に自己の勇気を鼓舞させ、限界に挑戦していく姿が多くの人に高く評価されることで、賛否両論の的になってきた。
勇気ある人生のチャレンジャーか、ただのウケを狙ったお騒がせ行為か。
人気者か犯罪者か。
揺ぎ無い美意識を持った芸術家か、大人になりきれないやんちゃ坊主か。
英雄か、無法者か。
不可能を可能にした努力家か、社会に貢献しないヨタ者か。
人によって評価は異なるだろうが、そんな彼のために「マン イン ワイヤー」という映画と、「ザ ウオーク」という、2本の映画が制作された。どちらを観ても、同じくらいおもしろい。フイルムがIMAXにも3Dにもなった。これも極端な高所恐怖症でない限り楽しめることだろう。

2016年4月3日日曜日

映画 「スポットライト 世紀のスクープ」とジョージペルなどのオーストラリアのぺデファイル牧師


映画:「SPOTLIGHT」     
監督:トム マッカ―シー
キャスト
マイク ロビンソン:マーク ラファエロ
ウオルター ロビンソン:マイケル キートン
サーシャファイヤー:レイチェル マクアダムス
マーテイ バロン:リーブ シュレイバー
ベン ブラッドリー:ジョン スラッテリー
マット キャロル:ブライアン ダ―シ―ジェームス

第88回今年のアカデミー 作品賞、脚本賞の受賞作品
2003年にピューリッツアー賞公益報道部門で受賞した時のボストン グローブ紙のスポットライトチームについて描いた実話。スポットライトチーム(特別調査報道班)は、教会のペデファイル(小児性愛)牧師を追及することで、カトリック教会が組織的に犯罪者たちを保護し事実を隠蔽してきた事実を暴露した。

ストーリーは
カトリックが住民の大半という保守的なボストンで、ボストングローブ紙は地元紙として住民から強い支持を得て来た。社にはスポットライトチームという調査報道班があって、ひとつのテーマを、数か月かけて内容を深めて報道する役割を果たしていた。ベン ブラッドリー、ウオルターロビンソンを中心に6人の先鋭たちだ。定年退職していった編集長の代わりに、マイアミから新しい編集長マ-テイン バロンがやってきた。革新的な土地からやってきた新編集長の目からは、ボストンで起きた 「ケーガン神父によるペデファイル事件」について、ボストンのどの新聞社も、通り一遍の報道しかしていないことが気にかかっていた。もっと事件を掘り下げて事実上起こったことを住民は、知るべきではないのか。

チームは動き出した。ケーガン神父が子供達をレイプしていた、ということを当時の教会の上司達は知っていた。にも拘らず神父が犯罪行為を繰り返すことが許されたのは何故なのか。被害者たちの弁護士は、証拠をもって裁判に持ち込んでも教会内では警察が動かない。証拠と証言が充分にそろわずにいるため被害を立証できない。加害者がはっきりしているにもか関わらず、納得のいく判決が出ず、損害賠償に持ち込めない。そのうちに加害者の牧師は、他の教会地区に移動していって、罪を問われないまま引退していく。そんなことが許されるのか。様々な壁にぶち当たりながら、チームの記者たちは被害者たちを、ひとりひとり探し出し、彼らの硬い口を開かせて、その声を拾い集める。

徐々にわかってきたことは、同じ教会の上層部にいる司教が、性的虐待をされた少年少女被害者たちが訴え出ても、加害者の牧師を他の任地に移動させ、被害をもみ消していることがわかった。他の任地に移動したぺデファイル牧師は、その土地でまた犯罪を繰り返す。被害は広がる一方だ。ボストンだけでぺデファイル牧師の数は、90人。驚くべきカトリック教会組織内の腐敗と犯罪が見えて来た。調査が佳境に入るころニューヨークで9.11事件が起こる。各新聞社が9.11で浮き立っている中で、スポットライトチームは、しぶとくぺデファイル牧師というカトリック組織内最大のスキャンダルを追っていた。
2002年、遂にチームは、これまでの調査結果を紙上で発表する。衝撃は世界中に広がった。紙上で被害者は恐れずに被害を受けた時の話を聞かせてほしい、とスポットライトチームの電話番号を明記した。グローブ紙が配布されると同時に、出社したばかりのスポットライトチームの各電話が鳴り響いた。続々と被害者たちが自分に起こったことを語り始めたのだった。それは今まで誰にも言えずに隠してきた過去の心の傷を一挙にさらしだして教会に正義を問うことに被害者たちが目覚めた瞬間だったのだ。
というストーリー

ラブシーンもベッドシーンもなければ、家族が笑ったり食べたり喜んだりするシーンもない。地味で記者たちがひとつのテーマを追って仕事するシーンだけでできている映画。そんな映画が今年のアカデミー賞最大の名誉である作品賞を獲った。
最後のスポットライトチームの部屋にある電話すべてが次々と鳴り響くシーンが感動的だ。勇気をもって名乗りを上げようと被害者たちがかけて来た電話のベルが、力強い合唱のように聞こえるところで、映画が終わる。

編集長は犯罪が、いかに教会でシステマチックに行われてきたかを、告発することでしか再犯は防げない。被害をセンセーションに暴露して世に衝撃を与えるのではなく、いかにカトリック組織が、このような犯罪を黙々と許し、世間から隠蔽することによって、教会の権威を守って来たのか、教会の組織的犯罪を告発することを、記者たちに要求していた。かたくなな編集長の姿勢に対して、若い記者たちの、次々をわかってきた被害を、一刻でも早く暴露して報道したい熱意とが衝突する。正義感ゆえに、編集会議で編集長と正面衝突した記者が、行き場がなくなって夜中に仲間の家を訪ねる。自分が子供の時、親に連れられて教会に通った、そんな互いの共通点を語り合うことで荒ぶる心を鎮めようとする。スタッフ同士が言葉少なく、心を通わせるシーンが印象的だ。記者たちにとって、教会に通う「良い子」だった頃のことは、良い時代の良き思い出だ。教会に裏切られるということは、お父さんに裏切られたようなもの、心が傷つく。

被害者たちの代弁をする弁護士のミッチェル ギャラベデイアン(スタンリー トウッチ)は、アルメニアからきた移民。対する記者のマイク レゼンデス(マーク ラファエロ)はポルトガル移民の子だ。二人ともヨーロッパからきた貧しい移民だった背景が、彼らの正義感を裏打ちしている。
また、役者のマスター キートンがとても良い。「バードマン」でブロードウェイをパンツひとつで歩いたうらぶれた姿からは想像できない、切れ者、凄腕のジャーナリスト役に、はまっている。

確かにこのボストンブローブによる報道が世界に与えた影響は大きかった。これが’切っ掛けになってカトリック教会組織のスキャンダルを追及する動きは、大きな波となり、被害者のカミングアウト、警察の介入、裁判、それに続く損害賠償が盛んに行われるようになった。しかし、まだまだ教会組織の膿は出ていないし、バチカンはいまだ秘密に覆われていて、裁判はスローモーションで被害は救済されていない。

オーストラリアでは、2012年に創設された皇室小児性的虐待対策委員会(ROYAL COMMISSION INTO INSTITUTIONAL RESPONSES TO CHILD SEXUAL ABUSE)がこの問題を取り扱っている。今までぺデファイルで実刑を受け刑に服している牧師がたくさん居る。
1997年 26人の被害者に対して50の罪が立証され服役したビンセント ライアン牧師。
2004年 4人の被害者、24の罪で服役、余罪を追及されていた2006年に獄死したジェームス フレッチャー牧師。
2009年 39人の被害者、135の罪で服役したジョン デンハム牧師。
2009年 4つの罪で服役しているジョン ハウストン牧師。
裁判中の、5人の被害者、22罪状のデビッド オハーン牧師。
裁判中死亡した、8歳と10歳の少女をレイプしたデニス マクアリデン牧師。
審議中の 2人の被害者、22罪状のピーター ブロック牧師。
また、これらの牧師達を保護隠蔽した罪でパトリック コター神父、トーマス ブレナン神父、フィリップ ウィルソン大司教が罪に問われている。

これらのカトリック組織犯罪の中でも、オーストラリアで一番出世しているジョージ ペル枢機卿バチカン経済省主席が、最も犯罪的と言える。彼はバチカンで次のローマ法王の候補にあげられるようなカトリック教会の最高地位に登る場にいるが、彼は多くの牧師によるレイプを見逃して、隠蔽してきた。彼はメルボルンで1996年-2001年まで準大司教を務め、2001年から2014年までは、シドニーの大司教を務め、現在バチカンの大役を任されている。彼がメルボルンに居た頃に、部下のジェラルド リステル牧師は、1993年から2013年までの間に4歳の子供を含む54人の子供に性的被害を与え8年の実刑を受けて服役している。この恐るべき犯罪者と、当時同じ家に住んで居た、ジョージ ペル枢機卿は、「何も知らなかった」 と証言し、14歳の少年を毎晩自分のベッドで寝かせてレイプしていた犯罪者を、自分は、「何も見なかった」と言っている。ジョージ ペル枢機卿自身も、1961年に12歳の少年をレイプした罪で、2002年6月に訴えられているが、なぜか審議中に訴えが取り下げられたため継続審議されていない。


最近のことだが2016年2月、皇室審議委員会が審議中の証人としてジョージ ペル枢機卿をシドニーに召還したが、74歳の彼は、パリ旅行から帰ったばかりなのに、「健康上」の理由によって、バチカンからシドニーまで来られないと主張し、審議のために来豪しなかった。そこで証言は、バチカンからビデオを通して行われることになったが、被害者たち15人の一行は彼が証言するところを実際に見たいということで、自費でバチカンに飛んだ。この審議の様子をオーストラリアの公共放送ABCテレビでは、数日間の審議をすべて放映した。ABCは良くやったと思う。おかげでオーストラリアの人々は、当時彼が部下だった加害者牧師に、彼が何をしたのか、どう証言するのかを、ビデオで見て、証人になることができた。誰もが彼の、「知らなかった」、「見なかった」、「全然興味もなかった。」という彼の証言に、改めて怒りを持ったと思う。15人のバチカンに飛んだ被害者たちは、予想通り落胆し、バチカン最高責任者に面会を求めたが、受け入れられず、傷心の帰国をせざるを得なかった。
裁判はいっこうに進まない。犯罪が行われたことは疑いがないにもかかわらず、罪を問うことに時間がかかりすぎる。教会は人を救済するところではないのか。

この世で最も罪が深いのは、無垢な心を裏切ることだ。
神の教えを乞うために教会に来た子供達を、その師たるべき牧師が自分の性的満足のために虐待することは、人間として最も深い罪を犯していることになる。牧師にレイプをされ、信頼を裏切られ、精神的にも肉体的にも傷を負った被害者たちは。成長過程で、自己に自信を失い、人を信じられなくなり、他人との協調性を失う。うつ病や自殺に走る人や、薬物依存症などにもなりやすい。大人になっても普通の結婚ができなくなったり、理解者が得られず孤立していて、彼らの傷が癒えることはない。

ぺデファイルは、「嗜好」であって、病気ではないから治癒することはない。被害者の声によって一時的に反省しても、罰せられ受刑しても、彼らの「嗜好」を変えることはできない。ペデファイルは、「去勢手術」をするしかない。ぺデファイルに限らずレイプによってしか「快感」が得られない犯罪者を一生監獄に閉じ込めておくことはできない。彼らの中にも頭脳明晰で立派な業績を残せるような人もいるかもしれない。しかし彼らを放置して子供達を危険な状態に置くことはもっと許されない。こうした「嗜好」の人には、専門家が辛抱強く説得して、去勢施術を受けさせるべきだ。それが本人にとっても有益な結果を生む。
また、カトリック教会とぺデファイルとは、歴史的に長い事問題となってきた。カトリック教会の牧師も結婚するべきだし、カトリックの女性牧師がどんどん出てくるべきだ。何故って、「今は2016年だから。」(カナダのトルード大統領の弁を借りて。)