2025年2月26日水曜日

映画「教皇選挙」

映画「教皇選挙」
監督:エドワード エルガー
2025英国アカデミー賞作品賞受賞作
ロレンス枢機卿:ラルフ フィネス
ベリーニ枢機卿:スタンレィ ツッチ

バチカン教皇の死に伴い、教皇の信認を得ていたロレンス枢機卿が、教皇選挙の指揮を執ることになった。
教皇の死後15-20日のうちに世界から集まってきた120人の枢機卿の中から、選挙で3分の2の得票を得た新しい教皇を選び取らなければならない。世界で14億人の信徒を持つバチカンの元首、ローマ教皇の選出だ。
システイン教会は、選挙のために外部からは閉ざされ、密室で枢機卿だけで協議がなされる。4人の候補者がいる。米国人のベリーニ、カナダのトンブライ、イタリア人のテデスコ、とナイジェリアのナデイミだ。3分の2の得票数が得られないたびに、票は燃やされて黒い煙となって、システイン教会の煙突を見上げている信者たちを落胆させる。候補者同士の陰での争いが始まっている。互いの過去や落ち度が醜いスキャンダルとなって流布される。

まず女性問題でナイジェリアの枢機卿が候補を落とされ、次に金銭の横領でカナダの枢機卿が落とされる。おりしも,教会付近でイスラム教徒による爆破事件が起こり,怒ったイタリアの枢機卿が取り乱し、これは宗教戦争だとイスラム教信徒を侮蔑する差別発言をして人格を疑われる。
そこで立ち上がった、アフガニスタンのカブール出身の枢機卿がクリスチャンの原点に立つ感動的な発言をして、彼が新教皇に選ばれる。人格的にも彼は申し分ない。
しかし降ってわいたように、彼の秘密が暴かれる。秘密を追及するロレンスに向かって、彼は自分が神によって生まれ、神によって作られた人であると言いロレンスを説得する。
というストーリー。

一貫して選挙を取り仕切るロレンスの苦悩が描かれる。新事実が現れるたびに事実を追求し候補者を一人ひとり落としていく。そのたびに苦悩する。正しい判断をきちんと出していくロレンスは、まるで映画の中でキリストのようだ。ラルフ フィネスは苦悩する男を演じる適役と言える。
俗に、人は「セックス」と「金」で堕落するものだが、映画でもそれだけでなくむき出しの人種差別意識まで、崇高であるはずのバチカンの枢機卿の世界でも存在する俗っぽい姿が描き出されていて、残念極まりない。現実では、こんなであって欲しくない。

しかし現実に、ドイツ出身の前教皇も、小児性虐待に関与していた過去がずっと囁かれていた。また、
オーストラリア人で現教皇から全信頼を得て、バチカンの財務長官まで勤めていた、ジョージ ペル枢機卿も、2019年小児性的虐待で逮捕され、6年の禁固刑を言い渡され、実刑に服していたが2020年最高裁で逆転無罪となり釈放された。彼がレイプした少年の1人は自殺し、生存者が訴訟を起こした。
バチカンは公式に、被害者に謝罪すべきだった。
また、世界でも最も豊かな財政を持つバチカンの財務に常に不正が囁かれている。それを止めたいなら財政を公表すべきだ。

ここで、カトリック聖職者が男性ばかりで、結婚は許されないという何百年の歴史に終止符を打つべきではないのか。このまま男だけをトップに立たせるのか。
このまま聖職者による少年少女へのレイプを許すのか。
子供の従順さを利用して個人の欲望を果たすことで、子供を裏切ることは何よりも重大な犯罪だ。
また、このまま教会は、トランプ大統領と同じに「世界は男と女しかいない。」と断言するつもりか。間違っている。この世には男でも女でもない人が沢山居る。数万人に一人の割に、子宮も精巣も持って生まれる人がいる。多くは普通に生活し問題なく結婚する。あなたのとなりにも、そのような人が居て、知らないだけであなた自身がそうした人であるかもしれない。だから差別をしてはいけない。世の中は男と女しかいなくはないのだ。神はそのような人を、人として造られた。

カトリック教会は、変わらなければいけない。それを映画の最後でラルフ フィネスが、穏やかな笑顔で空を見上げ、やっと煙が上がって人々が喜び歓声を上げるシーンで語り掛けている、と私は解釈した。