2011年2月24日木曜日
映画 「127アワーズ」のジェームス フランコ
映画「スラムドッグ ミリオネア」の、ダニー ボイル監督の新作「127HOURS」を観た。
現在 山岳登山家として活躍しているアーロン ラルストン原作の「BETWEEN A ROCK AND HARD PLACE」を映画化したもの。この本は 全米で40万部余り売れてベストセラーとなった。日本では「奇跡の5日間」という邦題で、小学館から出版されている。
この映画の主役を演じた ジェームス フランコが アカデミー男優主演賞にノミネイトされている。今年 彼はアカデミー賞の司会者でもある。
映画はユタ州の ブルージョン渓谷で 単独登山中に、クレバスに落ちて 落石に右腕を挟まれて動けなくなり、自ら腕を切り落として 脱出し、生還してきたアーロンに 実際に起きたことを 映画化したもの。
この出来事は 2003年当時、新聞のニュースで知っていた。新聞記事だけでは 仔細がわからないので、高い岩壁をザイルで下降中に 宙釣りになったままの姿で片腕を取られて 切り取らざるを得なかったのかと思っていた。事実は、クレバスに落ちた時、肘から先を岩に挟まれて 手首や指の血液循環が完全に止まってしまった状態で5日間、127時間 様々な脱出方法を試みた上で、片腕を 先が丸くなった小さなナイフで切り取って生還した。
映画を見ながら この岩が 氷だったとしたら、こんなふうにして植村直己さんは 深いクレバスにとらわれてしまったのだろうか、と思った。彼は今もなお 氷に囲まれて 果たすべき目的地に到達する夢を見続けている。
ストーリーは
27歳のアーロンは 週末 愛車にマウンテンバイクをくくりつけて ユタ州のブルージョン国立公園に向かう。広大なロックマウンテン、見渡す限り 赤茶色の岩と渓谷が続く。幼い時から 幾度も父親に連れられて触れてきた自然の大地だ。新しいルートを探索する一日ハイキング旅行だ。
途中で道に迷っている二人の女性に出会う。彼女達は滝つぼを探していた。アーロンは彼女達をガイドして 滝まで連れて行ってやり、一緒に豪快な水遊びをする。充分楽しんだ後、アーロンは 彼女達と別れて ひとり歩き続ける。事故は 突然起きる。うっかりクレバスに落ちて、落石に片手を挟まれてうごけなくなってしまう。助けを呼んでも声の届く限りに人はいない。彼は 行き先を誰にも言っていない。待っていて 助けが来る可能性はない。
僅かな岩と岩の裂け目から地底深くに落ちて、岩に手を挟まれて動けない状態で、127時間の自分との闘いが始まる。土曜日の午後3時だ。身に着けているものは小さなザックにロープ、カラビナ、水、小さなナイフ、カメラ、懐中電灯に時計。携帯電話はない。あっても何百キロもある広大な渓谷に電波が届くはずもない。
とりあえず挿まれている岩を削るためにナイフで岩と格闘して夜が過ぎていく。ストームに襲われて、激しい雨が流れ込み 溺れて沈みかける。水筒の水がなくなる。絶望が襲い幻覚が始まる。父と母に、お別れの言葉を記録する。一日のうちに 同じ時間に空を鷹が舞う。正午に短い間だが陽が当たる。水への渇望。尿を飲む。繰り返し、繰り返し幻覚 幻視が起きる。そして遂に もう摩滅して先が丸くなった小さなナイフで片腕の切断を決意する。
という本当にあったお話。
映画化が決まった時、アーロン本人が ロスアンデルスのホテルにやって来て、ジェームス フランコに 当時のカメラを 見せてくれたそうだ。127時間の彼の絶望や焦燥が凝縮された記録が 余りにも 生々しいので このカメラは 最も親しい家族にもあまり 見せなかったものだったが、映画で自分を演じる役者には、誰よりもその時の自分の赤裸々な姿を見て 体感してもらいたい と思ってのことだったそうだ。
アーロンは 小型カメラを自分に向けて ショートビデオで行く先々の記録をたんねんにカメラに収めていた。金曜の夜の出発、渓谷に着いてからの景色、ハイクで出会った二人の女性たちとの水遊びの様子、クレバスに落ちてからの一刻一刻の変化、絶望と両親への別れ、岩から脱出した後のシーンも克明にカメラに記録をしていた。
本人が あまり人に 見せなかったフイルムを 役者のジェームス フランコが見て、完全に本人になりきって演じた。
腕を切り取るシーンでは 本物そっくりに作られた腕を文字通り痛みを持って切断したそうだ。映画館では、失神する人も出たようだが ジェームス フランコは アーロンの勇気に敬意を表して 目をつぶらずに見て欲しいと、言っている。
ジェームス フランコは32歳。多才な人だ。
母はロシア出身の詩人。そのまた母(祖母)は美術館のオーナーだそうだ。ジェームス デイーンに似ているので、映画「デイーン」役を好演して、2002年ゴールデングローブ賞をもらった。
「スパイダーマン」のナンバー2とナンバー3で、親友ハリーの役をやった。ハリーは ナンバー3で 死んでしまったが それが悲しくて もうスパイダーマンの続編は出ても もう見ない と決意したくらい スパイダーマンよりもずっと素敵だった。
ショーン ペン主役の 映画「ミルク」ではゲイの役で、とても良かった。
「食べて祈って恋をして」では、ジュリア ロバーツの恋人役を好演していた。
ジェームス フランコはカルフォルニア大学ロスアンデルス校で 英文学を学び、コロンビア大学院と、イエール大学の学位をもっている。短編小説集「PALA ALTO」を書いて出版している。また長いこと絵を描いていて 全米の美術館で自分が描いた絵の展覧会を開催したそうだ。おまけに、パイロットの資格まで持っている。文字通り マルチタレントなインテリで芸術家なのだ。
まだ32歳、これから もっともっと 活躍して欲しい役者だ。
この映画、アメリカ大陸 ユタ州の広大な自然が美しい。山頂から見る日の出。雄大な岩山と大地。カメラワークが素晴らしい。
子供の時から 父親に連れられて山々や、渓谷に親しんできた青年の感性の柔らかさに、触れることが出来る。家族思いで 知的な仕事に就いて 週末には一人で山にやってくる ごくふつうの好青年が危機に陥っても 自分を失わうことがない。単独行の冒険者の勇気が語られている。
とても良い映画だ。
2011年2月22日火曜日
ミュージカル映画 「バーレスク」
去年の12月に公開が始まったミュージカル映画「BURLESQUE」をやっと観る事が出来た。12月からこの時期にかけて、アカデミー賞を獲る為に 沢山の映画が公開されて、それぞれが なかなか良い作品なので、週に一本の割で映画館に足を運ぶくらいのペースでは とても観きれない。次々と出る新作に目うつりしていて、あとあとになっていた「バーレスク」を 昨日やっと観る事が出来た。
制作費5,5ミリオンドル。ミュージカル映画として 史上最高のお金をかけて製作された。映画の中で歌われた新曲10曲のうち、8曲は主役のクリステイーナ アギレラ、あとの2曲が準主役のシェールが歌い、映画の公開とともにアルバムがリリースされた。
なかでも、シェールの歌った「YOU HAVEN'T SEEN THE LAST OF ME」は、2011年のベストオリジナル曲として、ゴールデングローブ賞を獲得した。
ストーリーは
アイオワの小さなバーで働くアリ ローズ(クリステイーナ アギレラ)は ケチで2ヶ月も給料支払いを遅らせているオーナーに腹を立てて 売上金を奪ってロスアンデルスに出てくる。しょぼいホテルを根城にして 新聞広告を頼りに仕事探しに明け暮れる。ある夜 バーレスクに迷い込み、長いこと自分が夢見てきた歌とダンスが繰り広げられる舞台に出会って 自分の生きる場所がここにしかない、と決める。しかし店のオーナー テス(シェール)は、飛び込みの田舎娘など相手にしない。アリは バーテンダーのジャック(カム ジナンデール)に頼み込んで ウェイトレスとして 働き始める。
アリは、ウェイトレスをしながら ショーガール達の歌と踊りを憶えるうち、ダンサーの一人に欠員が出たときには、その日のうちに代役ができるまでになっていた。やっとアリは自分の歌とダンスの実力が認められて ショ-ガールの一員に加えられる。親も兄弟もないアリにとって、バーレスクで働けるようにしてくれたオーナーのテスと、マネージャーのショーン(スタンレー ツチ)は、親代わりのような恩人だった。しかしアパートを提供してくれているバーテンダーのジャックだけが、アリの片思いで、愛情に答えてくれない。
一方、かつてはバーレスクの歌姫だったオーナーのテスは、古くなったバーレスクを持ちこたえる為の資金難に直面していた。店の権利を新事業家マルコス(エリック デーン)に売り渡さなければならない危機にあった。事業家マルコスは ジャックの煮え切らない態度に心揺れ動くアリを自分のものにして バーレスクも買収するつもりでいた。しかし、アリはテスとともに ライバルの事業家を取り込んで 債権を返し店を売らずに維持していくことにする。待ちに待ったジャックも ようやく自分が作曲した曲をもってアリに捧げて、やっと二人は 二人の気持ちを伝えることができて、、。というお話。
65歳になろうとしているシェールの網タイツ姿で踊り 歌う姿が素敵。そして、ゴールデングローブを獲った歌「YOU HAVEN'T SEEN LAST OF ME」をたったひとり 誰もいなくなった舞台でしみじみ歌うシーンが良くて泣ける。これが 他のどの歌よりも良かった。疲れたら 家に篭ってこの曲だけを繰り返し聴いて涙を枯らして 手負いの虎が 傷をなめて自分で治すようにして過ごしたい。この世の全ての悲しみを代表して歌ってくれているようだ。素晴らしい。
シェールは チェロキーインデアンの血が半分流れているから エキゾチックな顔立ちで、素晴らしい体形をしている。1960年代「ソニーとシェール」でデュエットで歌っていた頃は 反逆 反抗のシンボルだった。当時はベトナム戦争反対運動のさなかだから、ボブ デイラン、ジョーン バエズ、サイモンとガンファンクル みな抵抗の歌を歌っていた。彼女は歌だけでなく女優としても成功し、1987年には「月の輝く夜に」でアカデミー賞主演女優賞をとっている。1998年 シングルアルバム「BELIEVE]の大ヒットで グラミー賞を受賞。2000年以降、ワールドツアーを開催して、成功を収めている。何しろ40年余り 踊り歌い続けてきた人だ。ワールドツアーで シドニーに彼女がきたとき、超セクシーな姿で歌うのをみて、「彼女はバケモノではないか、同じ人間とは思えない」とオットはのたもうた。
主役のクリステイーナ アギレラは この映画を撮影収録していた頃は 幼い男の子を抱えるシングルマザー(別居中)だった。それを1日18時間歌って、踊るという 過酷なスケジュールのリハーサルを 几帳面にまじめにやり通した 根性のある立派な歌手だ。ちいさな体だが、ばねのように強い筋肉 激しい踊りとパワフルな歌声。体の造りが全く肉食動物。何百世代も肉だけを食べてきた人種のパワーに圧倒される。米食の日本人のパワーをはケタが違う。
ミュージカルといえば 一番良く出来たミュージカルは ライザ ミネリの「キャバレー」と、キャサリン ゼタ ジョーンズの「シカゴ」だと思うが、それにこの「バーレスク」を加えたい。3つとも1分のスキもない、2時間あまりのスクリーンの間中 ボリュームたっぷりの歌と 動きの激しいダンスとで、最高のエンタテイメントを提供している。
「キャバレー」は1972年ボブ フォッセー監督の作品。ジュデイー ガーランドの娘 ライザ ミネリが 駆け出しからショーガールとして 脚光をあびるまでのサクセスストーリーだ。彼女が 黒いシルクハットにタイ、黒タイツで ダイナミックに踊る姿は迫力があった。これで彼女はその年のアカデミー主演女優賞をとった。映画の中で 彼女はプロとして輝かしいショーガールになるために それまで支えてくれた 貧しい恋人マイケル ヨークと別れなければならない。ライザ ミネリが大きな目で 男と一瞬見つめあい そして、クルリと後姿をみせて 手でバイバイをするラストシーンに、こらえていた涙がどっと出る。忘れられない名シーンだ。
「シカゴ」は2002年 ロブ マーシャル監督、マーテイ リチャード製作 これでマーテイ リチャードは アカデミーベスト映画賞をもらい、キャサリン ゼタ ジョーンズが アカデミー助演女優賞をもらった。このときのキャサリン ゼタ ジョーンズの歌と踊りは素晴らしかった。
オーストラリアのABC(日本のNHK)が出版した「死ぬまでにあなたが観なければならない1001本の映画」をいう本の 背表紙が ゼタ ジョーンズのこのときの踊る姿だ。1001本の映画について書かれた本の背表紙に選ばれるくらいだから 彼女のオカッパ髪、黒タイツに高いヒールで堂々と踊るシーンは 圧巻。記録に残るシーンだった。
ちなみに この本の表表紙は、アルフレッド ヒッチコックの「サイコ」だ。アンソニー パーキンスに殺される女の あの有名なシャワーシーンだ。
「バーレスク」とにかく楽しいミュージカルだ。ゴージャスなショガールが踊って歌う姿は けなげで パワフルで美しい。観て損はない。
2011年2月18日金曜日
ドキュメンタリ「プラネット アース」とサンクタム
スポーツ完全音痴でトロいくせに、冒険物語が大好き。
世界で一番 植村直己と デヴィッド アッテンボローが好き。
山の先輩のひとりに 登山も ロッククライミングも 渓流釣りも 洞窟探検もする人がいた。幾度か 洞窟探検の話をきかせてもらったが、深い洞窟の中に 生息する魚などの生物は 必要がないので 体の色がない上 目が退化して 無くなってしまっている と聞いて、どうしてもそれを見たいと思った。すぐに上野動物園に行って、小さな白い体をもっていて、エラの横に退化してなくなった目の跡をもった魚を見て、なるほど、、と感動した。
冒険の中でも、洞窟探検は 最も危険で神秘的で興味津々だ。
ジェームス キャメロンの 洞窟探検物語「サンクタム」に、思ったより感動できなかったので、本物の 洞窟探検のドキュメンタリーを 引っ張り出して 観た。改めて、こちらは、すごい。
数年前に イギリスBBCによって製作された 「プラネット アース」という すぐれた自然ドキュメンタリーフルムだ。日本のNHKと、アメリカのディスカバリーチャンネルも 製作に協力している。
すべてが HDカメラによって収録され、1シリーズが50分のフイルムを 全部で11シリーズに収録されている。ブルーレイでも出ているが、DVDではこれが2枚でセットになって いまでは2枚全部で50ドルくらいで、アマゾンで売っている。私は、完成と同時に それぞれのDVDを 50ドルで買った。
2006年に この11シリーズのうちの5シリーズまでが完成して放映されたが、そのときにすでに BBCは 40億ドルを 撮影に投入していた。並みのドキュメンタリーフィルムではない。衛星から観た地球の映像を ふんだんに使って、立体的に撮影している。その後2年かけて 6-11シリーズが製作された。全11シリーズとも、デヴィッド アッテンボローが ナレーターをやっている。素晴らしい出来で、 このDVDを 何度も何度もくりかえして観て そのたびに感動する。
NHKでは BBC版のフイルムを細かく切って、緒方拳のナビゲーターと 独自のフイルムを加えて 3枚のDVDにした。のちにこれをまた 細かく切ってとくに反響の大きかったシーンを NHKが再編集して 75分間のフイルムを2本作って、NHKスペシャルで放送したそうだ。原版のBBC版が いま50ドルで買えるのに、 NHK版がアマゾンで 安く買って1万6千円。定価より安く買っても 未だに、日本版は3倍もする。定価でしか買えなかった 数年前の発売当時では イギリスアマゾンから直接取り寄せたDVDと、NHKから売り出されたDVDとでは NHKの方の値段が 7倍も高かったそうだ。NHKは あこぎな商売をしているのではないだろうか。これから 買って見る人は BBC版を買うべきだ。
内容は
DVD1
シリーズ1:南極と北極
シリーズ2:山々
シリーズ3:水
シリーズ4:洞窟
シリーズ5:砂漠
DVD2
シリーズ6:氷の世界
シリーズ7:大陸
シリーズ8:ジャングル
シリーズ9:淡水
シリーズ10:森
シリーズ11:深海
このなかで洞窟シリーズは1時間30分。自然のなかの洞窟の美しさ。何千年もかけて、地球が作り上げた芸術の大成。まさに、人が立ち入ってはならない サンクタムだ。ボリビアのデア洞窟では、撮影の許可を取るだけで、交渉に2年間かかったそうだ。500キロの撮影機材を運び込むために、史上初めて、クレーンを洞窟内に設置しなければならないので、許可が下りなかったためだ。内部を絶対に損傷しない確約と保険をかけて、撮影している。1000年間、人から侵害されずにいた洞窟の中を 地上から400メートル 下って探索して カメラに収めている。
蝙蝠、ゴキブリ、白いカニ、目のない洞窟エンジェルフィッシュ、珍しい目のないサラマンダという生物、、。鍾乳洞に、クリスタルの自然の彫刻。
またメキシコのヨコタン半島にある水中洞窟では 淡水ワニや水鳥もいる。何キロも先は 深い水のなかで 海に通じている。
ニュージーランドの洞窟の中の 漆黒の中を土蛍の光り輝く美しさ。クリスタルに光る糸にからめとられた蚊や小さな虫が 光る蛍の幼虫に飲み込まれる瞬間も接写で写している。
素晴らしい BBCでなければ とても製作できなかった科学ドキュメンタリーだ。
地底に向かって 何百キロも下って下って行く 冒険の旅、、なんて素敵だろう。やっぱり、映画よりドキュメンタリーが良い。なんといっても本物だ。
2011年2月17日木曜日
ジェームス キャメロンの映画 「サンクタム」
「タイタニック」で泣かせてくれて、「アバター」で、新時代の映画テクニックを鮮やかにみせて度肝をぬかせてくれたジェームス キャメロンの新作「サンクタム」3Dを観た。原題「SANCTUM」で、密室とか、聖地とか 神聖な場所という意味。
同時に 大型映画館アイマックスでは、「タイタニック3D 海底のゴースト」、原題「TITANIC 3D GOHSTS OF THE ABYSS」という題名の 彼のフィルムの上映が始まった。2001年に「タイタニック」を作ったときに 役者のビル パックストンとともに、撮影隊が 沈んでいるタイタニック号探索のために潜水したときのドキュメンタリーフィルムだ。これは映画には使われなかった45分間の記録映画。1912年にイギリスからアメリカに向かって航海中に 氷山に当たって、沈んだ船には、宝物も亡くなった人の骨もそのまま手付かずに残っていると思われる。100年間ちかく沈んでいたタイタニック号の眠っている姿は、さぞ神秘的だろう。アイマックスの大画面で3Dで観たら、迫力満点にちがいない。
映画「サンクタム」の方は いちおうスリラーという分野に分類されている。
製作:ジェームス キャメロン
監督:アリスター グリアソン
キャスト
隊長フランク:リチャード ロスベルグ
息子ジョシュ:ライズ ウェイクフィールド
助手カール :ローン グラフト
カールの恋人:アリス パーキンソン
ストーリーは
南太平洋のエサアラ洞窟(ESA-ALA CAVE)は 世界最大規模の洞窟と思われるが その全容は まだ探検しつくされては居ない。この 地上から数百キロ下降したところに入り口がある洞窟内の すべて地形を明らかにして、太平洋に通じているはずの 経路を明らかにすることで 初めて洞窟の全容がわかる。
野心と探究心に燃える 隊長フランクに率いられた探検隊は、何ヶ月も洞窟にこもっている。洞窟が通じているはずの 海までの道を見つけ出すことが当面の目的だ。しかし、洞窟の中は複雑を極めている。ひとつの道を発見すれば突き当たり、洞窟から洞窟まで潜水してたどり着いてもまた 行き止まりという状況を繰り返していた。
隊長フランクのもとに 助手カールが冒険好きの婚約者を連れて やってくる。案内役は フランクの17歳の息子ジョシュだ。息子は家庭を顧みないで 洞窟にこもってばかりいる父親に反感をもちながらも、父の力になりたいと思っている。
一行は ヘリコプターで ジャングルを切り開いた山のてっぺんに降り立って、洞窟の入り口からパラシュートで洞窟内に降り立つ。ベースキャンプのある中ほどまで数キロ 岩を越えロッククライミングの要領でひたすら 地底に下る。
そこに大型のサイクロンが襲う。多量の鉄砲水が流れ込み 地上に戻る為の経路が破壊された。地上に戻る道は失われてしまった。洞窟の中に残ったのは 隊長フランクと息子と 助手カールのカップルだけだ。一行は洞窟の奥へ奥へと入っていく。海に至るまでの逃げ道を探し出さなければならない。そして一行は、、、。というお話。
洞窟の中が美しい。何万年もかけて、自然が作り出した芸術品。
しかし、探検に女が加わると どうしてストーリーが こんなにバカっぽくなるのだろう。女は馬鹿だ、といわれているようで 腹立たしい。冒険好きだけどダイビングが得意ではない、死人からダイバースーツを剥ぎ取って着る事を拒否したため低体温症で動けなくなる それでいて「あたしには これできないわ。いやーん。」などと 生きるか死ぬかの瀬戸際に 言っている。「もう、、、やめろ!!!まったくイライラする。」
おまけに、ストーリーは 単純で、「なんだ!」というような内容。
しかしジェームス キャメロンにとって 話の筋なんて どうでも良かったのだろう。洞窟の中の美しさ。水の中の神秘。彼は これに魅惑されている。
本当に 洞窟の中の水が美しい。地下深いので ライトがないと見えないが、青い真水を潜水する。この先がどうなっているのか わからない。酸素ボンベの残量と脱出との戦いだ。狭い通路を潜り抜ける時 酸素ボンベなどの装備を損傷することは直接 事故死に直結する。いつも強力な 指導力で人を率いてきた父への尊敬と反発、愛と憎しみ、信頼と背反。17歳のひ弱な青年が 死を目前にして、一人前の男になっていく様子が良い。
3Dの大画面のなかで、観客もみな水浸しになって水底に沈みながら 出口は、出口は、、、と わずかな希望を手繰り寄せながら 苦しい呼吸を繰り返していく、そんな体験のできる映画だ。平日の朝10時、ひとりで 他に誰も居ない映画館で観た。前から3番目 中央の座席、画面の水を真正面からあびて ぬれねずみになったり 水中を浮遊したり、洞窟探検を堪能した。
タイタニック以来、海底に魅せられてしまった ジェームス キャメロンの海への思いが 充分伝わった。ヒマラヤも 南極も北極も秘境やジャングルも冒険者達によって 走破 探検されつくしてしまった。洞窟もしかり。それでも未踏の地 まだ人に知られていない サンクタムを求めて冒険者は留まることを知らない。
ストーリーを大切にする人には この映画はつまらない。でも海の好きな人 海底探索や洞窟探検が好きな人には楽しめる。3Dで 迫力があるので、3D眼鏡と 水着とタオルを持って、どうぞ。
2011年2月15日火曜日
イーストウッドとスピルバーグの映画「ヒア アフター」
映画「ヒア アフター」、原題「HEREAFTER」観た。
クリント イーストウッド監督。彼が作った32番目の映画。イーストウッドが監督をして、ステイーブン スピルバーグが製作、指揮をした。二人の 映画界における巨匠による作品だ。
監督: クリント イーストウッド
製作指揮:ステイーブン スピルバーグ
キャスト
マリー:セシル デ フランス
マルコス:フランキー マクレラン
ジョージ:マット デイモン
ロケーションごとの映像が美しい。イーストウッドが作る作品は いつも彼が作曲したり編曲したり選曲した音楽と、映像とが 実に巧みにマッチしている。そこに映像があるだけで 説明が要らない。字幕で「ロンドン」とか「パリ」とか「1年後」とか「半年後」とか字幕など入れない。彼はひとつひとつの画面を芸術と捉えているから野暮なことはしない。それでいて、観ているだけで そこがロンドンだ、パリだということがわかる。ロンドンの空気、ロンドンの人々の動き、ロンドンの喧騒が画面から濃厚に立ち上がってくる。パリでも サンフランシスコでも それが起こる。そんな彼の画面を見ていると魔術のようだ。
パリ、サンフランシスコ、ロンドンに住む3人の人物が それぞれ日々の生活をしていて 笑ったり 苦しんだり悩んだりしていて、一見それらが何の脈絡もないように思えるが 最後に一挙に つじつまが会うように作られている。映画作りでは完全主義者のイーストウッドの腕のみせどころだ。
そこに 「ラブリーボーン」のスピルバーグのテイストが 散りばめられている。
ストーリーは
テレビジャーナリスト マリー リレイは テレビ局のダイレクターの恋人と一緒に東南アジアの島で 休暇を過ごす。海辺の露店で買い物をしていたマリーを大津波が襲う。津波に流され沈んで いったん死ぬが 地元の人々に助けられ 息を吹き返す。そのときに体験した臨死体験を 恋人や友達に話すが 誰も信じてくれない。事故によるトラウマか 幻想にすぎないと笑われて、孤独の底なし沼に落ち込んでいく。誰の共感も得られず たどり着いたのは スイスアルプスの山麓にあるホスピスだった。そこで毎日 死に向かい合っているドクターの理解を得て、彼女は死の世界について本を書く。フランスで、出版はかなわなかったが、ロンドンの出版社からそれが出版されることになる。
ロンドンの下町に住む、マルコスとジェーソンは12歳、双子の兄弟だ。12分間先に生まれた兄、ジェーソンに、内気なマルコスは いつも頼りきっている。父は家族を捨て 母はアルコールと薬物中毒で、家庭が崩壊寸前、市の生活教育指導員の姿に脅えている。しかし、母親のお使いに街に出たジェーソンは 不良にからまれ 逃げようとして 車にはねられ死亡する。一人きりになったマルコスは 母親から引き離されて 里親に引き取られる。唯一頼りにしていた兄を失ってマルコスは立ち直ることが出来ない。兄の霊を求めて霊能力者を訪ねて回るが 皆ニセモノだ。マルコスの喪失感と孤独は深まるばかりだ。
サンフランシスコの港湾労働者ジョージは 生真面目で誠実な青年だ。偏頭痛の手術をしたことを契機に 死者を見たり話をすることが出来る能力がついてしまった。兄は 彼が心霊療法家としてビジネスをして 人助けをするべきだと信じている。しかし亡くなった人からのメッセージを身内の人に伝えることが 必ずしも生きている人の苦痛を取り去ってくれる訳ではない。頼まれても 死者に会うことを断ってきた。そんなまじめ一方のジョージが 社会人向けの料理教室で知り合った女性に恋をする。しかし、彼女に望まれて 彼女についている死者の霊を読むうち 彼女のが父親から虐待されていた過去を知ってしまう。彼女は自分の心の傷をジョージに知られて 黙って去っていく。ひとりジョージは 疲れきって、旅に出る。文学を愛するジョージは ロンドンで、ブックフェアに出かけていく。そこで パリからきたマリーと ロンドンの12歳の少年と、ジョージが、、、。
というお話。
最初の15分がすごい。
東南アジアのリゾートを津波が襲うときの 不気味な音と高波の恐怖。水が迫ってきて 人々が流される様子を撮影したシーンがとてもリアルだ。人工的に高波を作って撮影したそうだ。マリーが必死で走って 高波に追いつかれ 沈む様子、柔らかな人の体を 流されてきた車や屋根や鉄板がぶつかっていく姿は ドキュメンタリーフィルムのようだ。
サンフランシスコの港湾労働者の姿。組合との軋轢、一日として休みを取らずまじめに働き、チャールス デイッケンズが好きで 小説をテープで聞きながら眠るジョージ。ボーイスカウトをそのまま大きくしたような好青年が ひとり小さな台所で 大きな体を丸めるようにして食事をする姿で、イーストウッドは 上手にジョージの心象風景を語ってくれる。こんなジョージの人柄に、マット デイモンは適役だ。他にこの役を出来る人はいないのではないかと思う。
この映画を見ると 人はみな傷を持って生きているのだということが実感できる。子供の時に虐待されていたり、親が親としての能力を持たなかったり、学校時代に理解者がいなくて孤独な子供だったり、友達が居なかったり、信頼する人に裏切られたり、職場で自分の能力をわかってもらえなかったり、自分を利用しようとする人ばかりだったり、恋人が他の相手に走ったり つらい気持ちをわかってくれる人が居なかったり、、、本当に人は孤独で傷だらけだ。生きるだけでも大変なのに、ある日 大切な人に突然死なれてしまったら、残された人は途方に暮れるばかりだ。
悲しみを持っていく場を 持たない人にとって、死者から お別れの言葉を受け取ることができるなら それが 救いになり、許しとなって、残ってもなお、生きていける力になる。死者からのメッセージは、傷心の治癒に向かう為の過程 ヒーリングプロセスとしてなくてはならないものかもしれない。
この映画、80歳にして意気軒昂、強い男の代名詞であるイーストウッドから 弱者へのいたわりのメッセージを捉えることが出来る。
2011年2月10日木曜日
オペラ 「カルメン」を観る
オペラ オーストラリアでは 毎年12のオペラが上演される。
公演は前期の1月から3月と、後期の7月から12月に分かれていて 4,5,6月は オペラ興行はない。
同じオペラが だいたい3年から5年ごと位に繰り返されるが、演出家が変わるので 前に観たものとは 趣の異なった舞台を見ることが出来る。
毎年 5つほどオペラを観る。
9月に送られてくるパンフレットを見ながら その翌年に観たいものを選ぶのは 楽しい作業だ。去年は 「椿姫」、「トスカ」、「フィガロの結婚」、「真夏の夜の夢」、「ペンザンスの海賊」を観たが、「真夏の夜の夢」が 素晴らしいパックの活躍で、一番良かった。おととしは 「魔笛」、「ミカド」、「コシファントッテ」、「ムンセンスクのマクベス夫人」、「アイーダ」を観て、アイーダが とびぬけて良かった。
好きなオペラなのに 演出家が自分の好みでなくて 満足できない舞台もあるし、演出は良いのに、キャストが良くなくて期待はずれになることもある。
オペラを観るに当たって いちばん肝心なのは、良い席を取ることだ。3時間は かかるから、楽に舞台が観られる舞台近くの中央で、字幕を読みながら 舞台を観るのに疲れないような場所に座らないと ひどい目にあう。舞台上に電光掲示板みたいに出てくる字幕が よく見えない席も沢山あるからだ。
先週観たのは ビゼーの「カルメン」。こんなにセクシーなカルメンを今まで観たことがない。すごい。ゾクゾクするほど 男を挑発しまくっていた。
カルメン役は、イスラエル人のリナット シャハムという とてもパワフルで豊な声量のメゾソプラノだ。自由奔放で情熱的、熱くなるのも早いが冷めるのも早い。一人の男に夢中になっても それが3ヶ月と持たない。そんな女を演じ 劇のなかで カスタネット両手にもって、フラメンコも踊るし、動きも激しい。難しい役を上手に演じて すばらしく美しく歌ってくれた。
何年か前に観た「カルメン」では カルメンが本当の馬に乗って歌う場面があった。インタビューの中で 歌手が 馬から振り落とされて、何度も足を捻挫して、とても大変だったと 言っていた。馬にまたがるのでなく、横座りで馬の背で歌うのでは 安定が悪くて 馬もソプラノ歌手も気の毒。照明が輝く舞台で何千人ものお客を前にじっとしていなければならない馬も可哀想だ。独創的な舞台演出も良いが 動物の習性や、オペラ歌手の体形をよく考えて あまり無理させないほうが良いのに、と この時思った。今回の演出はとても良い。
演出:フランセスカ ザンベロ
オーストラリアオペラ バレエオーケストラ
指揮:ジェローム トルネイヤー
キャスト
カルメン;リナット シャハム
ドンホセ:リチャード トロクセル
エスカミリオ:シェーン ロレンシブ
ミケーラ:ニコル カー
第一幕
街の喧騒。タバコ工場の昼休みに女達が広場に出てくるのを待って 男たちが集まる。群れて遊ぶ子供達、通行人、兵士達で広場はいっぱいだ。
幼馴染のミケーラが田舎から 兵役についているドン ホセに会いにやってくる。息子を案じる母親のことずけを授けられている。再会を喜び合っているのもつかの間、タバコ工場で揉め事が起こる。血の気の多い女達が 掴み合いのけんかを始めたと思っていたら、カルメンがナイフで女ボスを刺し殺そうとする。兵隊が間に入って 紛争を収拾。首謀者のカルメンは拘束されることになった。
しかし、カルメンは 監視役の 純情なホセを誘惑して逃亡してしまう。そのためにホセは逮捕されて懲罰を受ける。
第2幕
ホセが懲罰を終えて、ジプシーの酒場に カルメンに会いにやってくる。カルメンはホセに恋をしている。人気者の闘牛士エスカミリオが口説いても 相手にしない。せっかくホセが会いに来たのに、帰営のラッパが鳴ると ホセは兵舎に帰ろうとする。それがカルメンには許せない。そこに酔っ払ったホセの上官がやってきて、カルメンに言い寄ろうとする。怒ったホセは上官を傷つけてしまう。ホセはもう兵舎には帰れない。カルメンの望むまま ジプシーの仲間となって、密輸や密造に手を貸して生きるしか なくなってしまった。
第3幕
ジプシーの山岳キャンプ。兵士としての面目も誇りも失って、カルメンの後をついていくことしか出来ないホセに対して カルメンの心は冷えていくばかりだ。エスカミリオが公然とカルメンを口説きにやってくる。嫉妬に狂ったホセの前に 幼馴染のミケイラが現れて、ホセの母親が危篤だという。ホセはやむなく山を下りる。
第4幕
人気者のエスカミリオが闘牛に出る。人々は熱狂し 街は興奮で沸き立っている。いまやカルメンは エスカミリオの恋人だ。有頂天のカルメンの前にホセが現れて 復縁を迫る。カルメンは昔の男の顔など見るだけで腹が立つ。ホセにもらった指輪を投げつけて 闘牛場に入ろうとするカルメンを ホセは短刀で、、、。
というお話。
カルメンへの愛で 骨抜きの腑抜けになったホセが純情で純真な心で ひたむきに愛を求める姿が 悲しい。伸びの良い美しいテノールが カルメン カルメン カルメーンと繰り返し何度も歌うごとに、泣きそうになる。
むかしヴィデオで観た ホセ カレラスのホセは 素晴らしかった。もうカルメンに嫌われてボロボロになったホセが 惨め度100%で むせび泣きながら歌う姿は、秀逸。泣かずに居られない。ホセ カレラスのホセに比べてしまうと どんなテノール歌手も 名前を憶える気にならない。今回のオージー テノール リチャード トロクセルは ちょっと声量が足りなめ。でもきれいな声で 声量たっぷりのカルメンに負けないように 懸命に歌っていた。
残念なのは エスカミリオのバリトンが あまり響かなかったこと。堂々として、ゆるぎのない自信とプライドをもったエスカミリオが 舞台に登場するだけで安心するような 頼りがいのある男であって欲しいのに、痩せてひょろ高いオージー シェーン ロレンシブだったこと。この人は「コシファントッテ」では、とても良かったが、エスカミリオの役をやる人ではない。これでは どうしてカルメンが ホセから乗り換える気になったのか わからない。
総じて カルメンがとても良くて パワフルでセクシーで、歌って良し、踊って良し、スタイルも良し、容貌も良しの100点満点だったので、まわりの男たちが、かすんでしまった ということかもしれない。
街の喧騒の中を走り回る子供達、兵隊のマーチをまねて行進する子供達、かれらの生き生きした歌と芝居がとても良かった。やはり オペラは舞台をヴィデオや中継でなく 実際に観ることが 一番楽しめる。
とても楽しいオペラの夜だった。
2011年2月9日水曜日
ラリアは夏のまっさかり
エルニーニョではなくて、ラニーニャ現象なのだという。
このひと月 オーストラリア大陸の東部と南部が 大規模な豪雨と洪水とサイクロンに見舞われた。
そのために 面積でいうと、クイーンズランド州の4分の3、ヴィクトリア州の3分の1が水に浸かった。石炭、農業、牧畜などの産業に被害が出ただけでなく 電気電話網 水道下水道、ガスなどすべての生活のための基盤が破壊された。
被害総額が この国のGDPの半分に当たる というのだから 国民が1年間で稼いだ分の半分を 雨でもっていかれてしまったことになる。国の基盤が そんなに脆弱なものだったのか と唖然とする。
ラリアは農業国として産業基盤ができていて、豊富な地下資源に恵まれて ラッキーカウントリーといわれ、中国インドという購買者にも恵まれて 景気も悪くなかった。失業者率も 5%代で先進国のなかでも最も低く保っている。
それが自然災害による被害額が大きすぎるので 政府の予算を切り詰めた上で、新しい「洪水税」を国民に強制することになりそうだ。洪水税:フラッド タックスという耳新しい税金。デザスター ファンド(災害基金)と言われれば、そんなもの どうして今まで ちゃんと積み上げていなかったのか、と怒る気にもなる。それでなくてもサラリーの30%余りを税金で持っていかれているのに、それが増えることになる。
なんか、割り切れないけど、批判すると 被害者に対して人でなしのようで、、、。
今回の洪水で大被害を被った 訳だけれど、つくずくこの国は 大きな国だ、と思えるのは、スーパーに行ったときだ。新鮮な野菜や夏の果物がどっさり陳列されている。クイーンズランドのオレンジがなくても他から調達できるので、スーパーにいると 洪水など まるでなかったよう。テレビニュースでクイーンズランドのバナナ園全滅の無残な様子を見ているのに、家から5分ほど行った店では バナナをキロ3ドルで買うことが出来る。全く値上がりしていない。
今の時期、ラリアの夏の果物は 最高の時期だ。白桃、黄桃、サクランボ、白ネクタリン、黄ネクタリン、西瓜、赤葡萄、マスカット、マンゴー、オレンジ、メロン パパイヤ、アボガド どれも陽をあびて とても甘くなる時期。今年は冬と春に雨に恵まれて、陽に恵まれて 白桃と白ネクタリンがとびきり美味しい。
オージーのオットと暮らすようになって、驚ろかされることが多かったが、オットが美味しそうに 皮のまま白桃にかぶりついているのを初めて見たときは びっくりした。皮のままのほうが 果物はなんでも美味しいそうだ。オットばかりでなく オージーはみな 桃を食べるのに皮など剥かない。いまでもわたしは白桃を皮つきで食べられないが ネクタリンなら皮つきのほうが美味しいと思えるようになった。葡萄も勿論 粒の大きさに限らず皮のままで、美味しい。
オットにとっては パパイヤが日常不可欠。1年365日 365個のパパイヤを朝食で食べる。オットと暮らして15年、5475個のパパイヤが消費されるところを 目撃したことになる。一年中ラリアのどこかしらでパパイヤが収穫され 価格も低いこの国だからこそ出来ることだろう。夏の短いヨーロッパなどだったら破産している。
今年のサクランボは 甘みがあって、大粒でとても美味しい。今朝食べたのは 直系3センチもあった。気を許して食べ過ぎると 舌だけでなく歯まで赤く染まってしまう深紅のサクランボだ。
三島由紀夫の「午後の曳航」という耽美的な小説がある。
神戸で貿易商を営む美しい未亡人に 粗野で男気のある航海士が恋をする。未亡人が 男の前でアイスクリームを食べ、添えてあるサクランボを口に含み、タネをそっと器の隅に出すと 男は突拍子もなく それをわし摑みして飲み込んでしまう。美しい女に対して どんな言葉で せつない恋心を伝えてよいかわからない男の激情が なせる業だった。びっくりして無邪気に笑う女を見て 男は前にも増して 女を愛してしまう。
とても美しいシーンだ。
サクランボは 空輸されて いまごろ日本のスーパーでも売っているはず。ことしのサクランボは大粒で実が柔らかくて甘いので 試して食べてみて欲しい。日本の上品なサクランボと違って、すぐ悪くなってしまうので、今日食べる分だけを どうぞ。
写真は
キロ$13.96のサクランボ
キロ$3.96の白桃
キロ$3.96の黄桃
2011年2月3日木曜日
松本大洋の漫画 「花男」を読む
松本大洋の「花男」1ー3巻 小学館を読んだ。
ストーリーは
夏休みが始まる前日 3年2組の花田茂雄は オール5の成績表を家に持ち帰る。茂雄は 県の 統一テストでもトップ10に入る成績だ。勉強が抜きん出てよくできることが 自分でも誇りだから 夏休みは塾に通ってもっともっと良い成績で他の子供を見下してやりたい。
ところが 御茶ノ水大学卒のお嬢様で お城のような家に住む母親は、茂雄に「夏休みはお父さんと暮らしなさい。」と命令する。記憶がないほど茂雄が小さかった頃に 自分達を捨てて プロの野球選手になることを夢見て家を出て行ったお父さんだ。嫌がる息子に母親は 教科書に書いてあることだけが勉強じゃないので 30歳にもなって子供のように夢ばかり見ている父親と暮らしてご覧 母はそういう男が好きなの、と説得して 茂雄を送り出す。
父 花田花男は 巨人に入団してでっかいホームランを打つことを夢みて 家庭を捨てた。彼が生まれて育ち住んでいる町では 花男は町のヒーローだ。高校時代に県下随一の長距離打者だった時の記録は まだ破られていない。町の商店街野球チームから引っ張りだこだ。花男が 試合でホームランを打つと 一本につき3万円と食料をもらうことが出来る。そんな父親を 茂雄は「妻子を捨てて野球なんかしている父親は最悪。内申書に響く親を持つ息子の気持ちになれ。」とシニカルで冷たい。
しかし花男は そんな息子の反応に びくともしない。
花男は 子供よりも子供が喜ぶ宝の宝庫を知っている。バイクを手に入れ、カブトムシが取れるところに茂雄を案内する。茂雄は伊勢丹の屋上でしか見たことのなかった立派な カブトムシを手に入れる。ザリガニ釣りにも 花男に連れられて行くうち 茂雄と花男はいつしか 家の中でのカクレンボにも つい夢中になっている。茂雄は 「迂闊、気がつけば奴のぺースに はまっている。」いつの間にか 花男がコーチをしているジュニア野球チームの面々に 茂雄の聖地、勉強部屋さえ すでに食いつぶされていた。
夏休みが終わり学校が始まって 茂雄は電車を乗り継いで 学校に行く。学校に戻ってみたら 成績だけが目的のような単純な生徒も先生も すっかり つまらない価値のない人々に見えてくる。 学校に価値を見つけられなくなった茂雄は、身なりにも構わなくなった。先生方は茂雄に 内申書を良くするために 父親からはなれて 母親と暮らすように 干渉してくる。怒った茂雄はさっさと父親の居る町の学校に転向する。
花男のそばには 心を込めて木製バットを作る源六じいさんが居り、毎年関西からプロ野球チームの勧誘にくるトレードマンも居る。中日球団から フリートレードされた投手は 花男に投球を打たれて 引退する決意をして帰っていく。花男はむかし長嶋茂雄に プロになるためには沢山練習して いつまでも夢を信じることだ と言われたことがある。花男はその 自分と長嶋茂雄との約束を果たすだけのために生きている。
茂雄は いつも散々文句を言いながら 花男のペースに完全に巻き込まれていく。
春になり、見知らぬ謎の男が訪ねてくる。花男は息子を連れて旅に出る。持ち金がなくなり 寺で寝泊りしながら 二人海で遊ぶうち、茂雄はお母さんと3人で暮らすことが夢だ、本心を漏らす。それを聞いた花男は 茂雄を 母親の家に置き去りにして姿を消す。家を訪ねても もぬけの殻だ。
意気消沈する茂雄の耳に、巨人軍に30歳になる謎のルーキーが誕生したことを報道する声が聴こえる。
巨人対大洋戦。9回裏 ツーアウト満塁。予告どおりに花男は 代打逆転満塁サヨナラホームランを打って ゲームをひっくり返してくれた。
というお話。
もちろん最後のシーン、逃げも隠れもできない 花男の究極のデビュー戦。9回裏で ホームランを打ち 息子を肩車してベースのもどる花男の姿が クライマックスだ。野球ばかの子育て。いくつになっても 夢を見続けることの大切さがテーマだ。
松本大洋は ストーリー作りが 上手な作家だ。ラストでしっかり泣かせてくれる。
また、絵がおもしろい。ひとコマひとコマに無駄がない。父子の会話にカラスやイルカやカバや恐竜が 何の脈絡もなくでてくる。ひとコマに人物があり その背景が細部漏らさずに描いてある。駄菓子屋のババアの描き方は 秀逸だ。ババアの背景に看板やら電信柱 駄菓子のひとつひとつまで細部が精密に描きこまれている。ババアは 花男が可愛くて仕方がないから、茂雄を「数学の公式覚えるくらいの頭じゃ花男が理解できない」とか、「結局お前の描く幸せの土俵じゃアリですら相撲とれんよ。」とか平気で茂雄を非難する。この父子への愛でいっぱいの人なのだ。
八百屋のはっちゃんは 片瀬高校で3番打者だったが いつも花男に回すだけの為に打席に立ち ランナーがいれば送りバンド インコースの球はわざと体に当てたりしていた。 そしていまは商店街チームで花男を支える。彼の誇りは花男の誇りだ。
昔かたぎの源六じいは、木製のバットを花男のために作る。頑固者、口は悪いがこの年よりも花男が大好きだ。
花男は、彼の純真な心と 真っ直ぐな闘志をよく理解してくれる人々に恵まれている。花男を取り巻く人は みな良い人ばかりだ。妻の花織、駄菓子屋のババア、八百屋のはっちゃん、源六じい、関西のトレードマン、巨人軍の担当者。良い大人ばかりと、頭が良くて社会常識を知っているシニカルな息子との取り合わせがおかしい。息子がこれらの人々を批判する口は 悪いが間違っては居ない。茂雄は 勉強ができるだけでなく、物事を判断する目を持っている。そんな息子が 天然の子供心をもった父親のペースに巻き込まれ、取り込まれていく様子が実におもしろい。
松本大洋の作品では、「竹光侍」が一番好きだ。絵のタッチがシャープで 何とも言えず美しい。次に「吾 ナンバーファイブ」。これもストーリーよりも絵が好きだ。「ピンポン」も、「青い春」も良かった。
彼も年をとってきて、作風がどんなふうに変わって行くのか 変わっていかないのか とても興味がある。
今後も 彼の作品を 楽しみにしていきたい。
登録:
投稿 (Atom)